怪人クンのムフフ日記

ムフフ、ムフフ、時々オヨヨの〝怪人クンワールド〟炸裂!
あの大物も、この人も。愉快な仲間続々登場!

いざ、六本木

2006年06月30日 | Weblog
<6月29日(木)>

昔に比べ、季節がずれている。すべてが確実に早くなっている。
ひと月ほど前のこと。梅雨でもないのに雨ばかり降った。現在は、あけてもいないのに真夏日が続く。6月後半になってから雨の回数も激減したように思う。梅雨なのに梅雨らしさがない。地球上は、季節の前倒しが起こっている。
13時すぎ、外へ出る。歩いてヤマダデンキへ行く。ウイルスバスターの更新パックとプリンタのインクを買うためだ。太陽が眩しい。額には汗がにじむ。Yシャツの下に着ているアンダーシャツはもうぐちゃぐちゃだ。上半身から汗が滴り落ちているのか?パンツまで冷たくなっている。
途中、歩きながらうたさんへ電話を入れた。目の前が大通りなので、車が何台も行きかって話し声が聴きづらくなることもあった。彼は今週の月曜日、ターザン山本!さんと某社のT社長と3人で六本木のキャバクラというか、クラブへ行って来たという。詳しくは『煩悩菩薩日記』(6月27日更新分)を読んでもらいたい。
『たまにはキャバクラに行くことも必要だよ、怪人クン。男は女性のいる空間に行かなきゃダメだよ』。電話の向こうでうたさんはしきりに繰り返していた。どうやらキャバクラは彼にもいい気分転換になったようである。そうだよ、うたさん。キャバクラとかクラブは男たちを元気にする場所なんだよ。馬鹿にするヤツの方がどうかしてるのさ。あとあと形には何も残らないけど、あんな楽しい遊びはないよ。そこで起こったことは紛れもない真実。高級店ともなれば、日常とよりかけ離れた異次元の世界なんだから、大いに盛り上がらないとね。ターザンさんの言う“お祭り的空間”だよ、キャバクラは。
しかし、これは興味のある男たちだけが理解できる話。性に合わない人間に「キャバクラはいいよ。楽しいよ」と言ってもわかってはもらえないのだ。“好きな人にはたまらんでしょうなぁ…”の世界である。怪人クンは楽しいと思うから行き続ける。それでいいのだ。うたさんよ、いつか“あぶく銭”で豪遊しようじゃないか!いざ、六本木だ(笑)。

20時すぎ、3年前に知り合ったキャバ嬢から久々にメールが届く。同伴の誘いだ。
ポッチャリ系の彼女は“ZOO”(ズー)と呼ぶことにする。かつて、“夜の画廊”にいたこともある。怪人クンは、その1つ前に働いていた店でZOOと知り合った。音信不通となってしまった嬢たちを除けば、一番古い付き合いのキャバ嬢といえるかもしれない。
彼女とは、かれこれ1年会ってない。こうして時々連絡は入るものの、店には行ってなかったのだ。現在ZOOが働いている場所がちょっと街から離れていて行きにくい、というのもある。しかし、今回は受けることにした。怪人クンは気分屋であり、もともとフリーな立場。“いつなんどき、誰の誘いでも…”が基本。よほどのことがない限り断らない。明日の金曜、会うことになった。外見も含め、彼女の現在(いま)がどうなっているのか楽しみだ。
この先の“※印”の部分が長くなりそうなので、日記はこの辺にしておく。


※ちょんまげより「合気道のことはこれ以上書かないほうが…」という意見が出ました。そうですね。この話になると一部の方が過剰反応しますからね。“合気道”という言葉をこのブログでは放送禁止用語にしたほうがいいみたいですね(笑)。ここに綴られていることは“怪人クンの心の内”なので基本的には自由に表現してもいいと思うのですが、今後合気道に対する想いなどは書かないようにします。
だからといって、合気道関係の友だちが日記に登場することはありますよ。その人たちとはあくまで個人的な付き合いですから。怪人クンの1日に“出演”すれば書くこともあります。
※この話に関連して最後に一言。
指導員というのは確かに指導もしますが、全然偉いもんじゃありません。多少キャリアが長いだけです。「君、がんばってるから(来年度から)指導員に推薦するよ」みたいに決まります。「自分からしてほしい」と言ってなったものではありません。光栄にもならせていただいた、ということです。できる範囲で協力しましょう、ということです。
「教えながら教わりなさい。生徒とともに習うのですよ」。それが師範先生からの言葉です。REI氏はしきりにおカネのことを言われますが、怪人クンもおカネを払って習っています。そういう部分で言えば、ある意味生徒でもあるのです。毎月いくらいただいているとかいう直接的報酬は発生しておりません。多少の会費割引や特典はありますが。あくまでボランティアです。協力の域です。
おカネにならないからいい加減、という気持ちではありませんよ。そこは誤解のないように。これは趣味の世界です。楽しみながらやるものです。やりたい時にやる。協力できるものは(なるべく)する。都合が悪い時は休む。これができる範囲で、ということです。この都合には“精神的都合”もあるのです。気がのらない時は行かない。それでいいんじゃないでしょうか?すべての優先順位を合気道に置く必要はないはず。個人の自由だと思いますよ。怪人クンが間違ってますか?上層部でもない人間に「返上しろ!」とか言われるのもおかしな話で(笑)。
以前よく登場したDr.トドーやREI氏の表現ですと、いかにも“何よりまずは合気道絶対義務”のように聞こえますが、会のシステムはそこまで強制的なものじゃありませんよ。週2回以上の出席も、「会ではそんなことを言った憶えはない」と言われました。怪人クンに限らずほかの指導員の方々も、みな自分のペースで楽しみながらやってますよ。それでいいんじゃないでしょうか?
まぁ、外部(会の人間じゃない)の方には説明しても理解されない部分があるのは仕方ありませんが。なんでもかんでも「指導員だから」「指導員のくせに」というのはやめてください。この会から指導員に対してそんな押し付け的な言い方は一度もされていませんよ。
以上をもちまして合気道への想い、会のことはこのブログから封印いたします。反論は自由ですが、このことについて怪人クンからの回答はこれ以上ありませんのでご了承ください。読者のみなさん、お騒がせしました。
※「猪木VSアリ30周年記念パーティー」でのおみやげ。出席者は帰り際にパンフレット(復刻版)と本格焼酎“燃える闘魂”をいただきました(写真)。味わって飲みたいと思います。


黄金の薔薇

2006年06月29日 | Weblog
<6月28日(水)>

怪人クンの中で、合気道に1つの区切りをつけた。
「何を、どういうふうに?なぜ?」その部分は心の中にしまっておく。この先は、以前のように毎週顔を出すことはないかもしれないし、あるかもしれない。ただ、合気道そのものが嫌いになったわけじゃないのだ。このまま引退とかいう大げさなものでもない。体は動かしたい。汗を流したい。楽しみたい。またそのうち道着に袖を通す時が来るだろうが、しばらくはわからない。今言えるのはそれだけだ。
そんなこんなで、19時すぎには体育館へ足を運んでいた水曜教室も今宵は行かなかった。こういう時は、あえて自分の気持ちに逆らわずにいることだ。

便利になることは、複雑になることでもある。
世の中、いろんなものが進化する。家電製品もしかりだ。より高度な機能が追加された“地デジ”の操作。簡単なようでこれがなかなか難しいのだ。22時すぎからいじってみた。テレビ番組を録画する方法も複数ある。アナログモードで録るのか?デジタルモードで録るのか?同時刻の裏番組を2つ重ねて録ることもできる。怪人クンのウチにあった今まででのビデオデッキや、テレビでは考えられなかったことが次々できるようになった。その代わり、セットの手順が増えたのだ。
あと5年。2011年にはアナログ専用の、現在のテレビ機器がただの箱になる。粗大ゴミになるのだ。お年寄りなどはますます機械離れしそうな気配である。でも、やり方させ覚えてしまえばこんなに便利なものもないわけで…。

23時、激しい睡魔に襲われた。『東京タワー』(リリー・フランキー著)の続きを読もうとしたが、1ページも進まなかった。というより、開くまでに至らなかったのだ。
この作品、まだ70ページ目あたりでまごついている。理由は、彼の人生がつまらないからじゃない。小説として読もうとするから悪いのかもしれない。要するに、小説にはサプライズがないと面白くない。もっとハラハラ、ドキドキしたい。ビックリしたい。泣き笑いはあるが、前者は今のところない。メリハリがないのだ。音楽で言うと、一定のテンポやリズムが流れているだけ。曲調が最初から最後まで変わらない。それゆえ退屈。ページがなかなか進まない。そういうことなのだ。だからといって途中放棄はしない。最後まで読破するつもりでいる。そのまま横になると、知らぬ間に寝てしまったらしい。

昼間はホントと暑い。まだ梅雨はあけていないが真夏の陽気だ。そういえば、ピンク色の薔薇から13時すぎにメールが届いた。数回やり取りする。
(とっくに働いてるよ!)
返信に書かれた言葉だ。え、そうだったの?来月からじゃなかったんだ?彼女はすでに六本木デビューを果たしていたのだ。だったら薔薇に言いたい。以下怪人クンからのメッセージである。
君は栄光の一歩を踏み出したのだ。前だけを見て進んで行け。てっぺんを目指すなら過去は振り返るな。頂点を掴んだら休息も時にはいいが、今はスタートしたばかり。後ろを見るな。一心不乱に突き進め。怪人クンを相手にしてる暇などないぞ。君は進化したのだ。夜を照らせ。東京という大都会で光り輝け。黄金の薔薇になれ!


※赤レンガ倉庫(写真)。


消えない赤い靴

2006年06月28日 | Weblog
<6月27日(火)>

これはしばらく消えそうもない。一夜経っても、朝から怪人クンの口を吐(つ)いて出る鼻歌は『♪赤い靴』。おまけに、どうしても口調が猪木さんの歌声になってしまう。
今頃になってやっとわかった。26日の「アントニオ猪木VSモハメド・アリ30周年記念パーティー」。その登場シーン。あの曲を選んだ理由はそういうことだったのかぁ。「闘魂猪木塾」の仲間たちの中にはとっくに気がついていた人もいるだろうが、怪人クンは瞬時にわからなかったのだ。これは猪木さんお得意のダジャレだ。
49年前、猪木さんが14歳の時の話だ。猪木家はおじいさんに連れられてブラジルへ渡ったのだ。
「異人さんにぃ つれられてぇ 行~っちやぁ~ったぁ~」は「じぃ~さんに つれられて い~っちゃったぁ~」をかけたもだったのか?
パーティーの前、開場までの待ち時間。広場でハマのフクちゃんが言っていた。
「あそこの橋から猪木さんは船に乗ってブラジルへ行ったんだよ」。彼が指差す方向の先にはかすかに見える橋があった。横浜港の大桟橋(おおさんばし)がそれである。なるほどなぁ。今回の会場をなぜ赤レンガ倉庫にしたのか?主催者の意図も読めた。すべてが繋がった。猪木、人生の原点が横浜。闘いの源流がアリ戦ということだろうか?

日中は暑かった。午後、外を歩いていると額に汗がにじんでくる。襟元もべたついて気持ち悪い。
19時すぎからウチに電気屋が来た。ようやくというか、ついにというか“地デジ”デビューを果たしたのだ。アナログモードとデジタルモードを2分轄で表示することができる。比べれば一目瞭然。37型液晶テレビで見るそれは実に綺麗だ。リモコンひとつで番組表も出るの?これじゃあ、新聞なんか要らないなぁ。説明などを受けていたらあっという間に22時になっていた。
23時すぎにニュースを見る。カリスマ女性整形外科医の長女が誘拐され十数時間ぶり無事保護されたという。母と娘は犯人の前で何度も電話による会話を交わした。
「今どこにいるの?」
『マンションの中』
という具合だ。それにより監禁場所が特定されたというが、この犯人はなぜそんな簡単に彼女にしゃべらすことを許したのだろうか?なんとも間抜けである。とにもかくにも、無事助かってよかった。

日記はこんなところだろう。今現在(28日昼)気分的にこれ以上は書く気が起こらないのだ。これまた暑さのせいか?
それより、何より、怪人クンの口からは『♪赤い靴』がリピートされるばかりである。いつまで続くの『♪赤い靴』?自分自身にもわからない…。


※横浜赤レンガ倉庫の『INOKI GENOME』入口。


伝説の証人

2006年06月27日 | Weblog
<6月26日(月)>

「♪赤い靴ぅ~ 履いてたぁ~ 女の子ぉ~ 
異人さんにぃ つれられてぇ 行~っちやぁ~ったぁ~
横浜のぉ~ 埠頭(はとば)からぁ~ 船に乗ってぇ~

ということで、わたくしは今から49年前(14歳の時)この場所からブラジルへと旅立ちました。バカヤロー!」

19:05、場内が暗転する。前方の舞台横にはスクリーンが2つ並んでいる。懐かしいVTRが10分ほどで終わると、アカペラで『♪赤い靴』を歌う男の声が館内にこだまする。冒頭に書いたものがそれだ。直後、テーマ曲が鳴り登場ゲートにはスモークが焚かれる。黒いタキシード姿。蝶ネクタイ。首にはおなじみの…。赤じゅうたんを踏みしめながらその男は降臨した―――。

ここは港横浜。赤レンガ倉庫1号館3Fホールに怪人クンは佇んでいた。あの人に会うために。伝説から30年後の“6・26”を友と共有したいがために…。
『INOKI GENOME~アントニオ猪木VSモハメド・アリ30周年記念パーティー~』。
つい最近のもの。「心はレンガ色」というタイトルの日記を憶えているだろうか?「闘魂猪木塾」の生徒会長M氏がくれた“業務連絡”の中身はこのことだったのだ。一般参加はできないイベントに塾生たちはこうして参加できたというわけである。なんという光栄か?3万円?どうってことねぇよ!これはもう行くしかないだろう。怪人クンは前回、猪木さんの誕生日パーティーに参加できなかった。大変に悔やまれた。
あれから4ヵ月。“燃える闘魂”に今度は会えた。「怪人クンです」。宴の後半、立食形式のテーブルを回ってきた猪木さんにそう言うとにっこり笑って握手。“よう!”そんな表情を作ってくれた。写真も撮らせていただいた。塾生たちも同じ光景。その中を猪木さんが掻き分けていく。立ち止まっては撮影に応じるのだ。

時は前後する。15時に仕事を切り上げて、急いでJR静岡駅に向かう。曇り空だが雨は降っていなかった。15:23のこだまで新横浜まで約1時間。そこから市営地下鉄に乗り桜木町で下車。この間約15分。タクシーで赤レンガへ。これが5分程度。
そんな具合に、ハマのフクちゃんに教わったとおりの道順で辿り着いたのは17:15頃。横浜の空も曇っていたが雨はない。木々が立ち並ぶ。2つの倉庫が向かい合わせに並び立っている。どちらも横長だが、さらに横長のほうが2号館。それぞれの建物の間は広く開いていて、広場のようになっている。さらに奥を臨むと、正面には港が見える。

うたさんに電話したあと、まず電話を入れたのは“イノキ者”Aさん。しばらくすると彼が現れた。塾生が続々やってくる。ものまね芸人・アントキの猪木さんもいる。
「元気ですかぁ!?」挨拶を交わす。フクちゃんにも着いたことを電話した。彼がメールで(わからないようなら連絡して)とアクセスを心配してくれたからだ。もちろんこの人、生徒会長M氏にも連絡を入れた。彼に声をかけてもらわなかったら、怪人クンはここにいないのだから。
彼らと合流する前、怪人クンは会場入口に立っていた案内の女性と立ち話をしていた。
「猪木さんとアリってどっちが勝ったんですか?」
「引き分けでした」。
「(猪木さんが)引き分けることってあるんですね?」
話をしてみてわかったが、彼女はプロレスも格闘技も詳しいわけでもない。しかし、“アントニオ猪木は勝ち続ける人”というのが意識の中にあったらしい。
立ち話の間、目の前を板東英二氏、新日本プロレス相談役の坂口征二氏などが通っていった。現在(いま)では“憲二パパ”で世間に有名だが、『医龍』の父、“世界の荒鷲”はデカイの一言。

そうこうしているうちに開場時間の18:30を迎えてみんなで中に入ったのだ。ロビーで猪木VSアリという“世紀の一戦”を仕掛けた人、新間寿さんの姿を見かけた。その時だ。新間さんが怪人クンに気がついて「おう、来たね」と言いながら手を差しのべてくれた。握手だ。金曜日のお礼を言うと、女性マネージャーとともにエレベーターに同乗させていただいた。ちなみに金曜日のこととは、ターザン山本!さんの「昭和プロレス学」のことである。
「あのあとまた食事会やったんだって?」
「ハイ。ターザンさんも炎上してましたよ」。
「うわぁ~、相変わらすごいなぁ(笑)」。
次回「昭和…」での再会を約束して新間さんは関係者受付フロアーの2F、怪人クンと同乗者の参加者は3Fへ上がった。

この闘いにゆかりのある人々が壇上へ上がる。実況を務めた舟橋慶一アナ、通訳のケン田島氏の姿もある。歓談。『週刊ゴング』を発行している会社の元社長、竹内宏介さんとも談笑させていただく。この方も怪人クンを憶えてくれていた。1年前、ターザンさんの会社設立パーティーでお会いしたのだ。塾生のシャクハチ君や他の人とも再会だ。イベントは2時間で終了。同じテーブルにはものまね芸人の春一番さんもいた。彼とも2ショットを撮った。帰り際にまた新間さんに挨拶。生徒会長M氏、フクちゃん、塾生の面々にもそれをして怪人クンは会場を後にした。入口で昼間立ち話をした案内の女性と会う。
「お気をつけて」と声をかけられた。この時、小雨が降っていた。ライトアップした赤レンガはオシャレだ。行きと同じ方法で新横浜駅へ。22時の新幹線で静岡へと帰っていったのだった。

それにしても、猪木さんの歌声を聴けたことは貴重だ。なにより、伝説の日に猪木さんと同じ時間、空間を過ごせたことが夢みたいだ。塾生たちもそう思ったに違いない。
今宵、ここに集った人々すべてが“伝説の証人”である。幸せモノたちよ、“ダー!”を叫ぼう!


※ご参考までに。
『デイリースポーツ』HP
新日本プロレスHP
※このブログも「第2章」を迎えたということで、「タイトルや壁紙の変更をしたら?」という声をいただいております。テンプレートは今のものが気に入っているので変更はありませんが、タイトルはひらめいたら変更します。『怪人クン☆cafe』に何かが加わる形になるでしょう。
※「第2章」ということで、☆を2つにしてみました(27日更新追加)。
※goo blogのテンプレートデザインの中では、猪木さんのガウンに一番近いなぁ…と思い“日の出”に変更しました。合わせてタイトルを“2nd”というシンプルなものにしました(28日更新追加)。
※赤レンガ倉庫1号館内部では…(写真)。


夜のメジャー・リーグへ旅立つ女

2006年06月26日 | Weblog
<6月25日(日)>

「果たしてオレは世界に通用するのか?どこまでやれるのか?やってやるぜ!」
数年前、そんな気持ちでイチローも松井秀喜も遠くアメリカ、メジャー・リーグに旅立って行った。
“怪人クンの街”。ここにもまた、己の力を試すため“夜のメジャー・リーグ”へ旅立つ女がいる。ピンク色の薔薇が、この夏から東京は六本木の高級クラブで男たちを魅了する。棘をさす。その店、1回最低でも6万円。ボトルを入れれば10万円を超えるという。数字的にはこれが当たり前となるのだろう。
移籍話は1ヵ月ほど前に彼女から聞いていた。この日の朝、6時すぎの着信でメールが入っていて正式に決まったことを知った。おめでとう。やるんなら、てっぺん目指せ。ナンバー・ワンを勝ち取るんだ。静岡の夜とはわけが違うぞ。そこは闘う女たちの花園なのだ。今までのような独走態勢はないと思え。ライバルがゴロゴロしてるのだ。近いうちに二人で祝い酒を飲もう。薔薇の旅立ちに乾杯だ!

本日、26日はなんやかんやと忙しく日記を書いている時間がない。その代わり、あした(27日更新分)はとても長くなりそうだ。書くほうも、おそらく読むほうも気合が入るぞ。お楽しみに!


※新幹線に乗って彼女は東京へ(写真)。
※ノース氏、G・ヌマ、温かいコメントありがとう!


世界最強の猪木愛

2006年06月25日 | Weblog
※読者にみなさん、毎度大変お騒がせしております。怪人クンです。
『怪人クン☆cafe』の第1章はきのう(6月23日分・24日更新)をもちまして幕を閉じました。ご愛読ありがとうございました。
本日(6月25日)更新分からは第2章のスタートです。といっても、これは怪人クンの気持ちの上でのことなので、今までのものと内容が大きく変わることはありません。
ここに綴られているのは心の内。怪人クンがあなたの心までは覗けないように、あなたも怪人クンの心は覗けません。しかし!普通では覗けないけど見れちゃう。ブログという魔法の道具がそれを可能にしてくれるのです。
怪人クン流の表現は何度も言いますが、誤解を多々招く場合があります。それにより、読者によっては気分を害する恐れがあるかもしれませんが、意図的のものではありません。これからもみなさんが楽しんでくれるようなブログになれば、と思っております。
懲りもせず怪人クンのガガママ(わがままの進化形)を覗いてみたい!と思う方のみお入りください。ここはいつでもオープンしております。
お待たせしました。それでは心の扉を開きましょうか。日記をお楽しみください。




<6月24日(土)>

まずは23日(金)の日記である。
怪人クンにとっては今回が2度目の参加となる「昭和プロレス学」。開始時刻は19時。水道橋にある貸し会議室が会場だ。会議室というと、白地を基調にした壁、机と椅子、ホワイトボードが中央に置かれているのが一般的。それとは違い、ここは学校の教室を思わせた。正面には黒板と教壇がある。こういう雰囲気は好きだなぁ。
トークライブの参加者はざっと40名。
それにしても…見渡す限り野郎(おとこ)、野郎(おとこ)、野郎(おとこ)。あの時代のプロレスには、ライブ会場にも女性ファンはほとんどいなかった。現在(いま)は選手がイケ面になったからなのか、綺麗な女性も多く見かける。強面(こわもて)のレスラーがホント少なくなった。

会議室には昭和くささが漂っていた。彼らの愛したプロレス。あの時代にはいかにも悪党といえる選手がいた。今はみんないい人になりすぎている。中途半端に悪党なのだ。タイガー・ジェット・シン、上田馬之助のように悪の中の悪がいない。どこかでモテたいのだ。嫌われたくないのだ。それを恐れているのか、ベビーフェイスとヒールの区別がほとんどなくなってしまった。これでは面白くなくなるよ。みんな同じことをしたら、目立つものも目立たないよ。プロレスが衰退するはずだ。
怪人クンは現代のプロレスラーを“モテラー”と呼びたい。強さを求める選手もいる。人気を求める選手もいる。それはそれでいい。ただ、自分のポジションはここにあるというものがあるならそれを徹底的に貫いてほしい。悪ならもっと怖さを見せてほしい。

さてさて、今回も語り部はこのお二人。ターザン山本!さんと新間寿さんである。来た者だけが得をする。そんな話が次々飛び出した。怪人クンも大いに笑わせてもらった。「え、そんな話があるの?」心の中で何かが弾けると自然と笑いがこみ上げてきたのだ。いやぁ、楽しいなぁ。
新間さんはもっともアントニオ猪木を愛した人間であり、誰よりも猪木さんを憎んだ人でもある、と怪人クンは思うのだ。愛情と憎悪、好きと嫌いは常に背中合わせなのだ。
ファンというのはヒーロー伝説のごく一部を共有してその人にあこがれる。
イベントのあと、会場から少し離れた中華料理店でターザンさんとの食事会があった。参加者は10名ちょっとか?2つのテーブルに分かれる。あの頃のプロレスについて語り合う。多くのファンは心変わりした。猪木→UWFなどへ流れていった人も少なくない。怪人クンはどんな時でも猪木さんしか映らなかった。ほかは眼中にないのだ。それは今でも変わらない。現役を退いてもアントニオ猪木しか見えないのだ。会の時、怪人クンの横にはターザンさんがいた。そこでターザンさんが言った言葉である。
「怪人クンは猪木さんを裏切らないよ。だって(猪木さんとの間に)利害関係がないから」。猪木さんへのファンとしての愛はある。しかし、憎しみは一切ない。新間さんは違う。猪木愛には私と公が混ざり合っている。ファンも怪人クンも私のみ。愛の次元が違うのだ。上手くは言えないが、新間さんの場合もっと果てしなく大きなところに猪木さんに対する愛があるのだ。猪木さんと新間さんは人間関係において相思相愛。一方、ファンや怪人クンの場合は永遠に片想い。猪木さんと新間さんは裏切られたり、裏切ったりもした。泥沼にもなった。でも愛のほうがやっぱり強かった。だからまた2人の付き合いが戻った…。こんなこと比べてもしょうがないのだが、う~ん、これは到底かなうものじゃない。新間さんは世界最強の猪木愛を持った人である。

会が終わると23時を回っていた。ターザンさん、うたさん、怪人クンの3人で帰った。ターザンさんは立石、うたさんと怪人クンは青砥で降りる。ところがだ、ここからがすごかった。どこかで人身事故が起こったため、駅には人が溢れていた。到着した電車に乗った。車内は超満員。身動きすらできない。あれはには参った。あそこまでぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ったことは生まれて初めてだ。サラリーマンは毎朝あんな電車に乗ってるの?そりぁ、仕事したくなくなるはずだよ。密着だもん。

青砥着。いつものカプセルホテルにチェック・イン。外でうたさんに待っててもらう。受付のおばちゃんにはさすがに顔を憶えられたのか、問いかけられた。
「いつも静岡から来るの?仕事で?」
「遊びです」。
「そう。この辺で遊ぶとこなんてあるの?」
「…。まぁ、適当に(笑)」。
そんな会話をする。荷物を置き、再び外出。うたさんといよいよプチ・キャバクラ「ムッチーニ」へ。というのはウソ。居酒屋「チムニー」へと向かった。歩いて数分の距離なのだ。店内はすいていた。従業員の数も前回より少ない。男性が2人。女性が1人。あれ?もう一人の彼女がいないぞ?でもびっくりしたのはこの女性アルバイトのコが、1ヵ月月前に怪人クンたちが来たことをちゃんと記憶していたことだ。
「あちらの席にいらしたんですよね?」彼女は2人が座った場所まで憶えていた。これにはうたさんが絶賛。
「すごいねぇ。あのコは客商売に剥いてるよ」。感心しきっていたのだ。でもなぜ彼女と口が利けたかというと、うたさんのアシストがあったからなのだ。注文をとりにきた時、「彼ね、静岡から来てて、名前を怪人クンっていうんですよ」。これでいて結構シャイな怪人クン。うたさんには彼女と話したがってる怪人クンが手に取るようにわかったようで、この時きっかけを作ってくれたのだ。こうなるとあとは怪人クン全快。焼酎“海人”(うみんちゅ)のニューボトルを入れた時、彼女にも「空いてる場所へあなたの名前を書いて」とお願いする始末。すると彼女は快く了解してくれた。
「お客さんのボトルに私の名前を書いたことなんてなかったですよ。初めてのことです」。“怪人クン”の左横には彼女の名が記された。うたさんありがとう!チムチムちゃんもありがとう!彼女のことである。この行動、うたさんからしてみれば“怪人クンよ、何をやってるんだよぉぉぉ!”の心境だろう。でもまぁ、大目に見てくれ。数品の料理を食べ、2時に閉店。店を後にした…。

ここからが土曜日の日記となる。時間がないのでおおまかに書く。
10時にホテルをチェックアウト。空は晴れ渡って、暑い。汗ばむ陽気だ。“うたの街”へ移動し、彼と合流したのが0:30。近所でパスタを食べる。怪人クンがナポリタン、うたさんはミートソースを注文。これがなかなかいけるのだ。『黒い太陽』(新藤冬樹・著)の感想などを言い合う。電車に乗り上野へ。2人でしばらく上野公園を散歩する。この時、14時頃。絵を描いている人たち、何かの撮影か?自衛隊のような、軍隊のような訓練をしている人々の姿があった。号令に合わせ20人前後が“回れ右”などをするのだ。
上野からJRに乗り怪人クンは東京へ、うたさんは新橋へ。車内で挨拶して別れた。次回の東京行脚は7月28日(金)の予定である。取り急ぎの日記になってしまったが、ターザンさん、うたさん、東京軍団のみなさんまたよろしくお願いしますね!

16時に静岡へ到着。車内でケータイから日記を打ったものの、入力文字数オーバーで大部分を削除。やる気をなくした。18:30からは、合気道指導員の全体会議が街中のホテルであるのでそれに出席するのだ。時間がない。急がないと。シャワーを浴びて会社に行く。おおむね出来上がっていた日記をチェックしてアップした。この時すでに18時を10分ほど回っていた。21時まで会議をやった。参加者は30名くらいか?もう少しか?1人ずつマイクに向かってスピーチ。思い思いの意見をぶつけた。言いたいことはハッキリ言うのだ。怪人クンも遠慮なく思ったことをズバズバ言わせてもらった。実に目まぐるしい1日だった…。


※炎上するターザン山本!さん(写真)。デジカメが不調のため画像が上手く撮れておりません。


アバヨ!

2006年06月24日 | Weblog
<6月23日(金)>

夜、新間寿さんとターザン山本!さんのイベント、「昭和プロレス学~猪木論3」に参加するため東京は水道橋に行って来た。それについてはあした更新の日記に書く。昭和のプロレスはスケールが違う!現在のそれとは家庭用小型テレビと映画館の大スクリーンほどの差がある。すべてが圧巻なのだ。

Dr.トドー、黒い影はやっぱりお前だったのか!?コメント欄にREI氏がいないのが答え?確定とみなしていいんだな?残念だ。
友だちの扉を完全に閉めてしまったおぬし。お前の言う「どうしても許せないこと」をやめない限りは復活はないということだな。、たぶんないだろう。怪人クンが“それ”をやめることはないからだ。一生かはわからない。でも今すぐはありえない。
お前が許せないというのは1年前の夏、怪人クンがナバとおぬしの前で「キャバクラ引退」を誓ったくせに1ヵ月で男の約束を破ったこと。もうひとつは、合気道指導員のくせに週2回以上出てこない。開始時間(18:30)にいないことをいうんだろ?後者はさておき、前者について書く。
「キャバ嬢は仕事。本気になるな!オレや(“イモ”の)みんなが何度も言ってるじゃないか。なぜ気づかない?わかろうとしないの?嘘で固められた世界で恋してなんになる?目を覚ませよ!どうしてこんなに親身なオレの忠告を聞かないんだ?」
彼の言葉はおおむねそんな具合だった。よくよく考えると、待てよ?となる。まったくくだらない。バカバカかしいことに怪人クンも乗ったよなぁ、と後悔してしまった。自分が楽しむ遊びをやめるなんて宣言しちゃってさぁ・・・。キャバクラ遊びを友情と天秤にかけること自体、ナンセンスとわかったから撤回したのだ。もっというなら、あれはその場の勢いだった。酒の席での話。そもそも、他者の楽しみをなんの権利があって奪うのだ?と思い直したのだ。怪人クンが行こうが行くまいが、お前にはなんのメリットもデメリットもない話だろ?と。そう思ったから破った。撤回した。そういうことなのだ。それこそお前が言った押しつけである。違うか?

最後に武道を習う者同士、この言葉で別れよう。REI(礼)に始まりREIに(礼)終わる。出会いと別れのことである。いつか怪人クンがキャバを卒業することがあったらまた友として会おう。それまでは合気道の単なる知り合いだ。お互い大人なんだから、シカトなどという陰険な態度だけは取らずにいよう。挨拶だけは忘れるなよ。まぁ、それが人間として最低限のマナーだからな。アバヨ!

※日本サッカーも終わってしまいました(写真)。友情もホントにこれで終わってしまったの?

黒い影

2006年06月23日 | Weblog
<6月22日(木)>

どう捉えるかはその人の自由だ。それについては怪人クンも納得である。書き手の意図と読み手の解釈が重なることは人と人とが出会うのと同じで、これまた1つの奇跡といえる。だから怪人クンがDr.トドーに向けてエールとして送った文章も、読者によっては押し付けや嫌がらせと受け取られてしまうのだ。まぁ、それはそれで仕方ない。
「なんというトルネードな、もとい。ひねくれた考えをするの?」と言っても、相手のそれが感性なのだから。

木曜17:57のこと。読者のREIさんからこのような質問をいただいたので答えることにする。
「例えば、『俺は金輪際キャバをやめるから、Dr.トドーよ、表舞台にでてこい!』こんな感じに言ったら出てくると思うのは私だけでしょうか?」
ハイ。おそらく、あなただけでしょう。怪人クンも気まぐれなので、反応してしまう時とそうでない時がある。たまたまだが、反応してしまった(笑)。彼のコメントに対して、もう一言付け加えさせてもらう。
“申し訳ございませんが、それ以上はお答えできません”。
アンサーブロックをかけさせていただく。あくまで、“今回のこと”についてである。嫌がらせではないのであしからず。

ノース氏に告ぐ。
「(REI氏が)なぜここでキャバクラを持ち出すのか、理解できません」。
普通に考えればまったくである。しかしだ。視点を変えると、ぼんやり影が見えてくる。黒い影が…。あなたはそれに気づいたんでしょ?たぶん鋭い読者もね。ムフフフ…。
怪人クンにも謎なのだ。あくまで想像でしかないので、これ以上軽はずみなことは言えない。でもなっぁ、当たらないでほしいなぁ。怪人クンの想像とそのことが一致したら、なんとも悲しいことである。

夕方、外は雨だった。あしたは降らないでほしいなぁ。
22時。『医龍』(フジテレビ)はサッカー中継に飛ばされお休み。今宵はオフ・ビートか。いよいよ来週(29日)が最終回である。裏番組の『弁護士のくず』(TBS)を見た。これは気楽に見れるドラマだ。トヨエツ(豊川悦司)も演技が上手いなぁ。俳優という呼び方より、役者!という領域の人だと思う。日付が変わる深夜4時には「日本VSブラジル」戦がキック・オフを迎える。それに備えて早く寝た人もいるんじゃない?怪人クンはいつものとおり。朝起きれば結果がわかるだろう。このブログが更新される頃にはとっくに出ているわけだが。

もうひとつ書いておきたい話がある。20時にウチに帰ると、大きめの封筒が届いていた。早速「闘魂猪木塾」の生徒会長M氏に電話する。
「どうも怪人クンです。無事届きましたよ、例のもの。ハシモトダツルコさんの名前で」。
『どうも。生徒会長M氏です。あ、着きましたか?よかった。でもね、怪人クン。それは“ハシモトタズコ”さんって読むんですよ。ハッハッハッハ』。
「…」。
絶句のあと、お互い大笑いである。
橋本田鶴子(さん)…しっかり区切ってくれぇ!


※本日(6/23)、夕方から東京へ向かいます。あしたの更新は、おそらく短縮版です。
※「馬刺しの会」にて(写真)。



わかったかぁ~、コツがぁ!

2006年06月22日 | Weblog
<6月21日(水)>

空はどんよりと曇っている。蒸し暑さでYシャツのボタンに手をかけたくなる。こんな時は、できることならネクタイは外したい。道行くサラリーマンもご丁寧に上着まで着込んでいる。なんのために?仕事のためさ。みな条件は同じなのだ。
8時を、20数分ほどすぎた頃の怪人クン事務所。パソコンを開いてメールをチェック。続いて「ミクシィ」を見る。自分のもの、仲間のものと読んでいく。さてと、次は…。そこで目にした信じられない光景。デビュー3日目の惨劇―――。
20日分(21日更新)のブログでも触れた“イモ”メンバー某氏によるシカト事件は、システム上の問題じゃなく明らかに仕組まれたもののようだ。怪人クンがその人物のページへ入れないのは、“アクセスブロック”という他者を拒否する機能であることを「ミクシィ」利用者数名が教えてくれた。考えてみればそのとおりだ。受け入れるも拒否するも、相手の自由である。
もういい。これ以上、あれこれ言っても始まらないのだ。来る者は拒まず。去る者は追わず、である。
『怪人クン☆cafe』は、たとえ同じ機能が使えたとしてもシャットアウトはしない。ブロックはかけない。世界中、インターネットで繋がっている人間なら誰が覗いてくれてもいい。無条件で歓迎する。もちろん、怪人クンを拒絶した“イモ”の某氏もだ。線引きはしない。好きな時に立ち寄って、いつでも発言してくれればいい。これまた自由なんだからな。

それと、いらぬおせっかいかもしれないが聞いてくれ。アクセスを拒否した“イモ”の某氏よ、見てみろ。怪人クンのような感情丸出しのブログを書くとこういう嵐が巻き起こるものなのだ。でもそれは、怪人クンの文章が自分の感情を殺さずの“丸出しスタイル”(自己中文?)で押し通しているからだ。コメンテーターに罪はない。彼らの発言はある意味、当然といえるのだ。原因のすべては発信者にある。このブログがなかったら起こりえないことだからだ。最低限のマナーは守りつつも、自分を殺さず書きたいことを書けば嵐はやっぱり起こるということ。だからといって、スタイルは変えるつもりはない。自分の考もハッキリ載せる。
ブログを書く多くのライターは、当たり障りのないことをテーマに自分に嵐が来ないようにと考えながら書く。抑える。そりゃそうだ。誰も好き好んで渦の中に巻き込まれたくはない。叩かれたくはない。怪人クンもそれを考えていないわけじゃない。何はともあれ平和が一番!である。でも吐き出したいことがあると、時に読者の“感情線”を超えてしまうらしいのだ。ブーイングを食らってしまう。

また話が長くなった。某氏に怪人クンが言いたいのは、“世界”に飛び出す。旅をするということはこういうことなのだ。わかったかぁ~、コツがぁ!
とまぁ、偉そうなことは言えないけどね(笑)。
書きたいことを素直に書く。全部受け止める。裏を返せば嵐も愛なのだ。期待なのだ。
せっかく「ミクシィ」という制限的世界に飛び出したのだ。やるんなら、1日も長く続けるんだ。遠慮なんかせず、アンタらしさが漂うブログを書いてくれ。でもなぁ、怪人クンとしては、アンタにはもっと大きな誰もが訪れることのできる無制限的ネットの世界で暴れ回ってほしいなぁ。それを望んでいる人もいっぱいいると思うよ、Dr.トドー。以上!


※たくさんのコメント、ありがとうございます。え~、サウスさんですか?おそらくお名前はお初かと。あのう、一言いいいですか?怪人クンを勝手に終わらせないでくださいよ(笑)。怪人クンを終わらすことができるのは、この世に3人しかいません。1人はもちろん怪人クン自身です。残る2人は、ご想像にお任せします。
※ロボコン(たーちゃん)氏へ。
「“イモ”の中の日記で、怪人クンの悪口言ってる人なんて一人もいませんよ。っていうか、怪人クンを話題にしたことすらないんですから」って、オイオイ。
これだけ叩かれてる怪人クンが、いちいちそんなことを今さら気にしてもしょうがないでしょう?怪人クンの被害妄想?と読者が勘違いしてるじゃないですか。ただ純粋に“イモ”たちの文章を読みたいと思っただけです。君たちの日記に怪人クンのことが書かれてるとか、ないとかはどうでもいいです。君の発言ですが、捉え方によっては怪人クンが“イモ”たちに何を書かれているのか気にしたため「ミクシィ」に入った的なニュアンスともとれるのですが?ロボコン氏の書いた意図と、怪人クンの捉え方が違っていたらごめんなさい。
まぁ、それはさておき、文章というのは読み手によって受け取り方も違います。難しいですね。「ロボコン、0点」。
※「馬刺しの会」にて(写真)。



鎖国末期

2006年06月21日 | Weblog
<6月20日(火)>

これが単なる怪人クンの勘違い、思いすごしであることを祈る。そうであってほしい。あるいは、相手の都合でどうしてもそのもの自体を閉鎖しなければならない事情が発生したとか?
だとしたら以後書いてある文章(暴言?)は全面撤回する。謝る。けれども、そうでないのなら。怪人クンだけに向けられたものであるのなら…?

火曜日の日記に入る前に、緊急事態勃発だ。本日(6/21)の朝8:30前後に判明したことである。開けないのだ。たった1箇所。とあるページが。
理由未確認の段階で、このことに触れることは正直迷った。あした木曜日(6/22)更新のブログまで待ってもよかったのだが、そう思えない気もするのだ。相手の意思でやったことだと…?
ここからは、“その人物”を確信犯とみなして書く。もう怒りを通り越し、言葉も出ないよ。でも、叫ばせてもらう。吐き出させてもらう。このブログは怪人クンの心の声をぶちまける場所なのだ。言いたいことはハッキリ言う。

これまた「ミクシィ」での話である。何気に日記を読もうと接近した。ところがだ。
“申し訳ございませんが、このページにはアクセスできません”。
どしょっぱいとはまさにこのことだ。あぁ、情けない。なんなんだ、このメッセージは?何度やっても結果は同じだった。怪人クンを完全にシャットアウトした人間がいる。しかも相手は“イモ”軍団の人間である。まさか、の世界だ。いや、これはなるようにしてなったのか?もしこれが操作ミスとか、システムの不具合によって起こったのなら仕方ないが、そうでないなら…。その証拠に、他の“イモ”たちのページにはアクセスすることができるのだ。ここまで来ると笑うしかない。鎖国圏でさらに扉を閉めるとは…。鎖国末期もいいところだ。ハッハッハッハァ~。
名前はあえて触れないでおく。武士の情けというやつである。この人物は心が腐ってしまって、あまりにも哀れでかわいそうだからだ。これは、うぬぼれでもない。意図的に「逃げた」と考えるのが妥当だろう。怪人クンに文章を読まれることを恐れたのだ。そう思わざるをえない。それにしてもだ。心が狭いというか、こんなちっぽけな人間がこの軍団にいたとはカッカリだ。悲しい。

怪人クンを拒否した人間に告ぐ。
要するに(怪人クンの)存在そのものが悪なんだろ?人間として許せないんだろ?最低だと思ってるんだろ?付き合う価値がないんだろ?そうなのか?どうなんだ?
ならば。ネットだけなんて中途半端なことはせず、どうせなら合気道からも怪人クンを消してみろ!ダラけた練習ばかりしてる怪人クンだ。目障りだろ?ムカツクだろ?抹殺したいなら早くやれよ。さぁ、遠慮するな。指導員証でも何でもはく奪してみろ。なんなら、来たる6・24の全体会議で議題に載せてみろ。不要人間はさっさと排除しろ!と上に言ってみろ。何を言われようと、怪人クンは今のペースで練習に参加するだけだ。ムフフフ…。
もう一度言うが、このアクセス不能という事実が単なる操作ミスやシステム上のトラブルであることを願う。誰が好き好んで“イモ”のメンバーに罵声を浴びせたいと思うものか?それだけはわかってほしい。

さてさて、ここからは火曜日の日記である。
朝、サービスで入っていたスポーツニッポンに、テレビの視聴率ランキングがあった。
「サッカーが50%を超えたか。すごいなぁ。でも、予想できたことだよなぁ」。
心でそう呟いた。
この日の出来事といえば、19時すぎにかかってきたうたさんからの電話と深夜に交わしたエロ茶とのメール以外はこれと言って大きな動きはない1日だった。『東京タワー』(リリー・フランキー)の続きを少し読む。ようやく80ページに突入だ。
やっぱり夏なんだなぁ。昼間の暑さには参った。そんなところか?


※これまた「馬刺しの会」にて(写真)。