怪人クンのムフフ日記

ムフフ、ムフフ、時々オヨヨの〝怪人クンワールド〟炸裂!
あの大物も、この人も。愉快な仲間続々登場!

世界最強の猪木愛

2006年06月25日 | Weblog
※読者にみなさん、毎度大変お騒がせしております。怪人クンです。
『怪人クン☆cafe』の第1章はきのう(6月23日分・24日更新)をもちまして幕を閉じました。ご愛読ありがとうございました。
本日(6月25日)更新分からは第2章のスタートです。といっても、これは怪人クンの気持ちの上でのことなので、今までのものと内容が大きく変わることはありません。
ここに綴られているのは心の内。怪人クンがあなたの心までは覗けないように、あなたも怪人クンの心は覗けません。しかし!普通では覗けないけど見れちゃう。ブログという魔法の道具がそれを可能にしてくれるのです。
怪人クン流の表現は何度も言いますが、誤解を多々招く場合があります。それにより、読者によっては気分を害する恐れがあるかもしれませんが、意図的のものではありません。これからもみなさんが楽しんでくれるようなブログになれば、と思っております。
懲りもせず怪人クンのガガママ(わがままの進化形)を覗いてみたい!と思う方のみお入りください。ここはいつでもオープンしております。
お待たせしました。それでは心の扉を開きましょうか。日記をお楽しみください。




<6月24日(土)>

まずは23日(金)の日記である。
怪人クンにとっては今回が2度目の参加となる「昭和プロレス学」。開始時刻は19時。水道橋にある貸し会議室が会場だ。会議室というと、白地を基調にした壁、机と椅子、ホワイトボードが中央に置かれているのが一般的。それとは違い、ここは学校の教室を思わせた。正面には黒板と教壇がある。こういう雰囲気は好きだなぁ。
トークライブの参加者はざっと40名。
それにしても…見渡す限り野郎(おとこ)、野郎(おとこ)、野郎(おとこ)。あの時代のプロレスには、ライブ会場にも女性ファンはほとんどいなかった。現在(いま)は選手がイケ面になったからなのか、綺麗な女性も多く見かける。強面(こわもて)のレスラーがホント少なくなった。

会議室には昭和くささが漂っていた。彼らの愛したプロレス。あの時代にはいかにも悪党といえる選手がいた。今はみんないい人になりすぎている。中途半端に悪党なのだ。タイガー・ジェット・シン、上田馬之助のように悪の中の悪がいない。どこかでモテたいのだ。嫌われたくないのだ。それを恐れているのか、ベビーフェイスとヒールの区別がほとんどなくなってしまった。これでは面白くなくなるよ。みんな同じことをしたら、目立つものも目立たないよ。プロレスが衰退するはずだ。
怪人クンは現代のプロレスラーを“モテラー”と呼びたい。強さを求める選手もいる。人気を求める選手もいる。それはそれでいい。ただ、自分のポジションはここにあるというものがあるならそれを徹底的に貫いてほしい。悪ならもっと怖さを見せてほしい。

さてさて、今回も語り部はこのお二人。ターザン山本!さんと新間寿さんである。来た者だけが得をする。そんな話が次々飛び出した。怪人クンも大いに笑わせてもらった。「え、そんな話があるの?」心の中で何かが弾けると自然と笑いがこみ上げてきたのだ。いやぁ、楽しいなぁ。
新間さんはもっともアントニオ猪木を愛した人間であり、誰よりも猪木さんを憎んだ人でもある、と怪人クンは思うのだ。愛情と憎悪、好きと嫌いは常に背中合わせなのだ。
ファンというのはヒーロー伝説のごく一部を共有してその人にあこがれる。
イベントのあと、会場から少し離れた中華料理店でターザンさんとの食事会があった。参加者は10名ちょっとか?2つのテーブルに分かれる。あの頃のプロレスについて語り合う。多くのファンは心変わりした。猪木→UWFなどへ流れていった人も少なくない。怪人クンはどんな時でも猪木さんしか映らなかった。ほかは眼中にないのだ。それは今でも変わらない。現役を退いてもアントニオ猪木しか見えないのだ。会の時、怪人クンの横にはターザンさんがいた。そこでターザンさんが言った言葉である。
「怪人クンは猪木さんを裏切らないよ。だって(猪木さんとの間に)利害関係がないから」。猪木さんへのファンとしての愛はある。しかし、憎しみは一切ない。新間さんは違う。猪木愛には私と公が混ざり合っている。ファンも怪人クンも私のみ。愛の次元が違うのだ。上手くは言えないが、新間さんの場合もっと果てしなく大きなところに猪木さんに対する愛があるのだ。猪木さんと新間さんは人間関係において相思相愛。一方、ファンや怪人クンの場合は永遠に片想い。猪木さんと新間さんは裏切られたり、裏切ったりもした。泥沼にもなった。でも愛のほうがやっぱり強かった。だからまた2人の付き合いが戻った…。こんなこと比べてもしょうがないのだが、う~ん、これは到底かなうものじゃない。新間さんは世界最強の猪木愛を持った人である。

会が終わると23時を回っていた。ターザンさん、うたさん、怪人クンの3人で帰った。ターザンさんは立石、うたさんと怪人クンは青砥で降りる。ところがだ、ここからがすごかった。どこかで人身事故が起こったため、駅には人が溢れていた。到着した電車に乗った。車内は超満員。身動きすらできない。あれはには参った。あそこまでぎゅうぎゅう詰めの電車に乗ったことは生まれて初めてだ。サラリーマンは毎朝あんな電車に乗ってるの?そりぁ、仕事したくなくなるはずだよ。密着だもん。

青砥着。いつものカプセルホテルにチェック・イン。外でうたさんに待っててもらう。受付のおばちゃんにはさすがに顔を憶えられたのか、問いかけられた。
「いつも静岡から来るの?仕事で?」
「遊びです」。
「そう。この辺で遊ぶとこなんてあるの?」
「…。まぁ、適当に(笑)」。
そんな会話をする。荷物を置き、再び外出。うたさんといよいよプチ・キャバクラ「ムッチーニ」へ。というのはウソ。居酒屋「チムニー」へと向かった。歩いて数分の距離なのだ。店内はすいていた。従業員の数も前回より少ない。男性が2人。女性が1人。あれ?もう一人の彼女がいないぞ?でもびっくりしたのはこの女性アルバイトのコが、1ヵ月月前に怪人クンたちが来たことをちゃんと記憶していたことだ。
「あちらの席にいらしたんですよね?」彼女は2人が座った場所まで憶えていた。これにはうたさんが絶賛。
「すごいねぇ。あのコは客商売に剥いてるよ」。感心しきっていたのだ。でもなぜ彼女と口が利けたかというと、うたさんのアシストがあったからなのだ。注文をとりにきた時、「彼ね、静岡から来てて、名前を怪人クンっていうんですよ」。これでいて結構シャイな怪人クン。うたさんには彼女と話したがってる怪人クンが手に取るようにわかったようで、この時きっかけを作ってくれたのだ。こうなるとあとは怪人クン全快。焼酎“海人”(うみんちゅ)のニューボトルを入れた時、彼女にも「空いてる場所へあなたの名前を書いて」とお願いする始末。すると彼女は快く了解してくれた。
「お客さんのボトルに私の名前を書いたことなんてなかったですよ。初めてのことです」。“怪人クン”の左横には彼女の名が記された。うたさんありがとう!チムチムちゃんもありがとう!彼女のことである。この行動、うたさんからしてみれば“怪人クンよ、何をやってるんだよぉぉぉ!”の心境だろう。でもまぁ、大目に見てくれ。数品の料理を食べ、2時に閉店。店を後にした…。

ここからが土曜日の日記となる。時間がないのでおおまかに書く。
10時にホテルをチェックアウト。空は晴れ渡って、暑い。汗ばむ陽気だ。“うたの街”へ移動し、彼と合流したのが0:30。近所でパスタを食べる。怪人クンがナポリタン、うたさんはミートソースを注文。これがなかなかいけるのだ。『黒い太陽』(新藤冬樹・著)の感想などを言い合う。電車に乗り上野へ。2人でしばらく上野公園を散歩する。この時、14時頃。絵を描いている人たち、何かの撮影か?自衛隊のような、軍隊のような訓練をしている人々の姿があった。号令に合わせ20人前後が“回れ右”などをするのだ。
上野からJRに乗り怪人クンは東京へ、うたさんは新橋へ。車内で挨拶して別れた。次回の東京行脚は7月28日(金)の予定である。取り急ぎの日記になってしまったが、ターザンさん、うたさん、東京軍団のみなさんまたよろしくお願いしますね!

16時に静岡へ到着。車内でケータイから日記を打ったものの、入力文字数オーバーで大部分を削除。やる気をなくした。18:30からは、合気道指導員の全体会議が街中のホテルであるのでそれに出席するのだ。時間がない。急がないと。シャワーを浴びて会社に行く。おおむね出来上がっていた日記をチェックしてアップした。この時すでに18時を10分ほど回っていた。21時まで会議をやった。参加者は30名くらいか?もう少しか?1人ずつマイクに向かってスピーチ。思い思いの意見をぶつけた。言いたいことはハッキリ言うのだ。怪人クンも遠慮なく思ったことをズバズバ言わせてもらった。実に目まぐるしい1日だった…。


※炎上するターザン山本!さん(写真)。デジカメが不調のため画像が上手く撮れておりません。