2021年5月30日(日)
昨日も『はまかぜ』に乗って三ノ宮から寺前まで一時間15分ほど車窓からの眺めを楽しんだ。
いつも通り都はるみの歌を聴きながらゼロリスト運動を密かに楽しむ私です。
姫路駅からは電車の方向が逆になるのでシートの向きを逆に回転せねばならない。
最初の頃はこのことが不便にも思ったが、今ではこのことで寝過ごすこともないので楽しみの一つにさえなっている。
でも・・一度だけ播但線での、特に甘地駅から遠くにそそり立った千鶴山を見て楽しんでいたら急激に睡魔が襲ってきて、降りなければならない寺前駅を乗り越して次の生野駅まえ行ったことがあった。
今はそのようなことが無いように、特急はまかぜが停まる福崎駅からはワクワクソワソワの緊張状態で目印の山を見ることにしている。
そして重いリュクを背負ってホームに降り立つ。いつもながら列車から降りる人は一人もいない。
まれに降りても一人ほどである。 今はほとんど私専用のホームと改札口を楽しんでいる。
駅を出ると4,5分で、到着まえに通過した踏切を渡って聖地神河ひろばに向かう。
そこからパジェロミニに重たいリュクを乗せて、ゆっくり安全運転で一風変わった山々とたんぼの情景を楽しむ私です。
昨日は、卑弥呼おばさんの家の畑を覘きました。
内藤さんと藤田君の作品です。
今年は美味しいスイカをみなさんと一緒に食べられるかもしれませんよ。
グゥィ~~ グゥィ~~~とビールでも飲みながら・・!!
今日もはまかぜで都はるみの歌を聴きながら車窓を楽しむ私です。
三津谷くん、今日使うかも・・!
2020年1月27日(月)
ウサギと天児屋命と仁徳天皇陵と、卑弥呼の墓の位置関係には何か大いに天の岩戸隠れの真相が秘められているようです。
これには倭国大乱の後に、卑弥呼が共立され再スタートを切った邪馬壹国の事情が聞こえてきそうです。
天児屋命の墓と仁徳天皇陵とうさぎは基本形に近い直角三角形を描きます。
綺麗な幻の山、千鶴山の山頂には、薬師さまが祀られていますが、コヤネ爺さんの墓を見つめていました。
そこからコヤネ爺さんの墓までと卑弥呼の墓までは同距離で二等辺三角形を描きます。
2018年10月29日(月)
昨日はイエスの四男であり第四代懿徳天皇陵の山を初めて後円部正面から眺めました。
市川大橋から眺める風景は、目の前に天皇陵、北には卑弥呼の陵墓、西には七種槍、橋の下には岩肌と川の流れ・・と、なんとも言えない情景を見ることができます。
そかから地元に住む古代史研究家の市川慎さんに電話すると、ほどなくして来てくれました。
そしてそこから山を見ながら、「あの山には磐座があるよ」と教えてもらったりしながら、「威徳森神社へ連れて行ってもらえませんか」とお願いすると快く「じゃ~」と言うことで、私の車を寺前駅の事務所へと置きに行って、市川さんの車で連れて行ってもらうことになりました。
・・・
んん~~ん、沢山書くことが多すぎて後日まとめることにして、昨日の最後の神社での結論です。
・・
「豊受大神って誰ですかね」と私が聞くと市川さんはニンマリ苦笑いして、「ホウジュと書いてるやんか」と。
「そうなんですかぁ」と私。
豊受大神は丹後の神であり素戔嗚尊でありモーセであると言ってますね。
トヨウケと読んでしまうから分からなくなりますが、ホウジュ(宝珠)と読んだら「宝珠はいらんかね」のお爺さんと分かりますよ。
この方は「道教」の神様でもありますが、分かってきたのは道教の本来の聖地こそがこの市川橋から西に見える綺麗に尖った山である七種槍(なぐさやり)がある七種山・千鶴山一帯でした。
昨日は、懿徳天皇陵の秘密を教えているであろう威徳森神社へと市川さんに連れて行ってもらいましたが、もうそれは予測した通りの神社の配置にビックリするばかりでした。
威徳森神社では豊受大神の扁額はみませんでしたが、他の二社では豊受大神をみることができました。古代史の謎がここから一気に解けそうです。
2018年10月19日(金)
いつもそうなのですが地元に泊まるということは、ネット上にも出ていない伝承や歴史などを教えてもらえるところにあります。
宍粟市一宮町には由緒ある神社が、伊和神社と庭田神社ということを宿のご主人に教えてもらい、伊和神社は数回今まで行っているので、二日目の目指すポインの道中にあるようなので庭田神社へと立ち寄りました。
先ず私の目に飛び込んできたのは、祭りをしらせるノボリにあったメノラーの神紋でした。
テレビでもとりあげられた元駐日イスラエル大使エリコーヘンもユダヤの紋章だと驚いた徳島の倭大国魂神社の神紋でした。
そのユダヤの紋章をよりダビデの星にしたように想像させるメノラーの紋章でした。
そして武部さんが、「亀石もありますよ」と。
そして・・んん!? ん??
鳥居をくぐって門に立ったとき んん!? 何これ!? ・・なんです。
今まで沢山の神社を見てきましたが、このような配置になっているところは初めてでした。
境内を見せないような造りといいますか、門からは何が見えるか・・本殿でなく、亀石に頭を下げるようなっていますよ。
亀さんに・・。
この亀石こそが大きな日本の歴史の真実を知っていましたねぇ。
亀さんは、コンパスグラスで152度方向を教えていました。
この方向には、十字架の山がありますし、その先には綺麗なベンチマークの山である千鶴山です。
十字架の山は、イエス終焉の地である備前の穂波から神河町南小田山頂にあるイエス・キリストの墓を結ぶライン上にありました。
この亀石と千鶴山とイエス・キリストの墓の三点を結ぶと、3:4:5の直角三角形である大矩が出来上がります。
大矩は、ピタゴラスの三角形の中でも、基本中の基本と言える三角形です。
亀石とイエスの陵墓を結んだラインの先には、キッチリと卑弥呼の陵墓が在ります。
まだその先には・・、間違いなく卑弥呼の陵墓の位置だしをしたと思われる障子岩が在ります。
偶然でしょうか・・。
亀石に手を合わせたら、次は本殿に手を合わせますが、この本殿がどこを向けて造ってあるかと言えば、四国の剣山です。コンパスグラスで206度。
人は何処に手を合わすかと言えば、一宮町福知にある荒神淵の真北山頂608mになりますから、人々はイエスの陵墓を教える大岩の荒神淵に手を合わすようになっていると言って良いでしょう。
もっと言えば、そのラインの先は、円山川の河口にある津居山に行きます。
ここはもう日本海です。
実は
イエス・キリストが最初に日本にやってきたのは22歳の時で、日本海側の現在の津居山湾から円山川を上がってきて生野、神河へとやってきたと教えられていました。
そしてイエスは日本各地、伊勢にも行ったりして28歳で日本を離れ、船でインドまで行って、陸路故郷キルギスへと帰った時は29歳て、そこからイスラエルへ向かいますが着いた時は31歳だったということです。
彼は2年間イスラエルに居て33歳で十字架にかけられましたが、そこで死ぬことなくアカバ湾から船で日本まで運ばれ、太平洋側から四国徳島の剣山に連れてこられて、剣山の西側にある三嶺で傷ついた心と身体を癒したと教えられました。33歳だったということです。
このように教えられていた私でしたから、庭田神社本殿の向きが、兵庫県豊岡市津居山と徳島県の剣山を結ぶライン上にあるのには驚くばかりです。
津居山と言ってもあまり馴染みがありませんが、この近くには最近、海外からの旅行者が急増しているという城崎温泉があります。
もうあまりにも常軌を逸している気さえもしますが、あまりにも出来過ぎているのです。
完璧なのです。疑う余地がないのです。
日本酒発祥の地とされる「庭田神社」には、日本の歴史の真実が秘められているようです。
本格的な相撲の土俵作りをされていました。
行ったその日は、別の場所で日本酒まつりをやっていたので、そこの屋台でお腹を満たすことにしました。
この田んぼの造りも意図して造られています。
川をもっと高度を上げて川の蛇行を全体的にみていくとよくわかります。
そして武部さんも同じことを理解されて居られるように、縦のラインは宝珠岩を教えていますし、その直角方向には、高野山の弘法大師廟がピタリと位置しています。
これは空海さまが、「私がやった!チーム空海でやった」と言っておられますね。
そして・・「宝珠を形どっているんですがね・・」と言っておられますよ。
下の写真は武部さんのブログから・・
ほら、そう見えませんか。 聞こえてきませんか。
下は、円山川の河口にある津居山の地図ですが・・、この島に記された数字が面白いですねぇ。
159. 73 113
・・このメッセージの解読は、
「異国の国から波に揺られてイイーサの王(イエスのことです)がこの地に着いた山だ」と言っておられますよ!
神様はいつも非常に面白くユニークなのです。
2018年6月12日(火)
千鶴山の北に位置する埴岡の里には、大国主命=イエス・キリストの墓を中心として、こと座を下ろした星々の位置のベガに卑弥呼の陵墓を造営し、祈りの場の八幡山や卑弥呼に同行した100人の同行場所が決められていました。
そして、イエスの四男で第四代懿徳天皇(いとくてんのう)の陵墓もイエスと対面するシェリアクの場所に決められていました。
あまりにも見事すぎます。
そしてそして・・、偶然では考えられないことで、千鶴山から卑弥呼のベガまでの距離とスラファトに位置する場所までは全く同距離で、ベガとスラファトを結んだライン上にイエス・キリストの墓が位置しています。
そして、イエス・キリストの墓からベガとスラファトの位置までは全く同距離です。
スラファトの位置に眠る人は、いったい誰なのでしょうか。
又、イエスの北側に位置する星に眠る人はいったい誰なのでしょうか。
このニケ所のポイントのコンターライン(等高線)は、共通したある形をしています。
人工的なコンターラインです。
何を表すのでしょう・・。
それは袋の形をしていますね。 そうです女性を意味している。
マリア様のお墓の発見の時も、コンターラインが気になって仕方がありませんでした。
母親のことを お袋さん と呼んだりしますが、語源は・・あるものを表しているようです。
みなさんの真の故郷とよんでもよさそうな・・、女性の方しか持っていないものです。
そして・・、「おふくろさん」という昭和の感動の歌もありました。
お袋さんという言葉を、大国主命=イエス・キリストも使っていたかもしれませんね。
2018年6月10日(日)
兵庫県姫路市夢前町と兵庫県神崎郡福崎町にまたがるこの優美な山に魅了されて、神河町にどんとんと引き込まれて行った私でした。
播但道路の市川南ランプから神河町へと続く直線道路の左前方にあまりにも特徴的にそそり立った山が、真正面に見えて右へとカーブするとその優美な山は姿を消してしまいます。
私はこの山を最初は幻の山と呼んでいました。
この山は七種薬師と呼ばれる山ですが、私はこの山に「千鶴山」と名づけました。
この山を中心にして巨大な折鶴の絵も描かされました。
この千鶴山から島根県大田市にある物部神社までと名古屋市にある大須観音までの距離は、ほぼ200㎞と同距離になります。
又、物部神社と大須観音とを結んだライン上にピタリと鶴と亀の地上絵が造られ、とうりゃんせの舞台である地下神殿がある生野の絶峯の三角点を見事に通ります。
最近の地理院地図は以前と違い、2地点間を結んで線が引かれると、直線距離で最短のコースを描くようになってカーブを描きます。
ですから、以前は角度は正確でしたが、このソフトになって東西間は距離が長くなるほどカーブを描き、微妙に角度にづれが生じるようになりました。
南北間ではその差は小さくなります。
実は、物部神社から生野の地下神殿の西手に達磨ヶ峰という山があり、ここの三角点を通て大須観音に至ります。
大須観音ではなごや七福神の一つである布袋像を安置しているとのことですが、布袋さんは達磨でありイエスの12使徒の一人のトマスのことを言い表しています。
ヘブル語で峰はお墓のことですから、達磨ヶ峰とは達磨のお墓=トマスの墓で、七福神では布袋さんの墓だと教えています。
大須観音で布袋さんを祀っていることは、偶然にしては、あまりにも・・・です。
この日本の礎を築かれた現人神七人衆を空海様は、七福神としてお祀りし語り継がせていました。
その七福神様たちの本当のお墓と、祈りの地下神殿が、播磨国風土記に記された埴岡の里でした。
現在の兵庫県の中央部に位置する、朝来市生野町と神崎郡神河町でした。
大須観音では空海様の像もあるようですね。 これはできるだけ早いうちに行かなければならないようです。
2018年5月31日(木)
兵庫県神崎郡市川町の役場から綺麗に見える山を私は、千鶴山と名付けました。
この綺麗な山の山頂(616.1m)には、薬師如来が祀ってあり、峰の薬師とか七種薬師(なぐさやくし)と呼ばれている霊峰です。
この山から、出雲の日御碕 伊勢の八祢宜山(はちねぎさん) 室戸岬の尾垂山までは同距離です。
そして、これらの事実を元に私は、日本列島に大きな折鶴を描かされました。
千鶴山は、鶴で言えば心臓にあたる重要な山です。
この場所からマリア様のお墓の山、イエス王家の陵墓(天神山)、イエス・キリストの遺体が埋められた陵墓、女王卑弥呼の陵墓、天児屋命(あめのこやねのみこと)の陵墓、剣山、一徳坊山、など重要な山が全て直線で見通せます。
遮るものは全くなく、光通信もできます。
王家の陵墓を守る重要にして重大なベンチマークの山が、市川町で唯一見ることができる見事ににそそり立った優美な山でした。
出雲の国譲りの話は、鶴さんと千鶴山が知っているようです。
鶴の恩返しの話・・も、卑弥呼さんのお話のようですよ。
・・・
八祢宜山(はちねぎさん)に、神様に供えた大事な壺が造ってあったのを武部さんが発見されました。
そして、武部さんの下、チーム上森と有志の方々がその埋もれていた大事な壺を大変苦労されて清掃されました。
完全に元の姿にするために、6月2日にも二回目の清掃をされるようです。
皆さんが八祢宜山に登って清掃される壺の水は、それこそ伊勢神宮の租神様と共に、出雲の祖神様へお供えする神聖な水を出すマナの壺かもしれません。
ここが綺麗に清掃され、綺麗な水がいつも蓄えられることで、この場所から日本が・・、そして世界が平和になって行くことでしょう。459。
西のメノラーの近くにある女神様の像が彫られてある亀ヶ壷と、瓶ヶ森の瓶壺と、伊勢八祢宣山の壺を結んだ三点は、綺麗な二等辺三角形を描きます。
これも偶然なんかではありませんよ。
2017年12月18日(月)
ノブさん、昨日、大歳宮 八幡神社 姫宮神社(神河町) 岩戸神社 八重畑神社へと行ってきました。
又、偶然に「聖地神河ひろば」で目の前に立たれたA木原さんが、それはそれは大事な場所へと私に代わって行っていただきました。
A木原さん、本当にありがとうございました。
ノブさん、Aさんに 感謝いたします。
ノブさん、使いの品は全てお届けいたしました。
昨日の夕暮れ時の千鶴山です。 いつ見てもきれいですねぇ。
その千鶴山と岩戸神社と、シオン(生野)とは、綺麗な直角三角形を描きます。
Aさんが行ってくれた大事な場所と、女王卑弥呼の陵墓と八重畑神社の三点もきれいな直角三角形を描きます。
大事な場所と七種槍と、とある古墳と八重畑神社の場所は一直線に並んでいます。
八重畑神社は比較的新しい神社ですが、大事な場所であることを十分ご存じのようです。
猪篠(神河町)の八幡宮には大変な秘密があるようです。
姫宮神社(神河町)も、生野町の姫宮神社と無関係でなく、大きな意味ある神社です。
姫宮神社から遠く北側に卑弥呼の陵墓も見えますし、手を合わす方角にピッタリと三角に尖ったベンチマークの山も見えています。
謎を解き明かしてくれる神社ですね。
岩戸神社は重要な神社です。
2017年5月23(火)
桓武天皇も後世の私達に本当の歴史を教える為に、亡骸を京都の高雄山の山頂に埋葬していた。
27日は、これらのことが分かった上で、桓武天皇と和気清麻呂に手を合わせに行きます。
桓武天皇の墓と、弘法大師廟とイエス・キリストの墓は直角三角形である。(卑弥呼の墓もライン上にある)
桓武天皇の墓から弘法大師廟までと、書写山円教寺(摩尼堂)までは二等辺三角形。
桓武天皇の墓と弘法大師廟の二等分垂線上に蘇我入鹿(聖徳太子)の墓がある松尾寺がある。
松尾寺は、法隆寺の奥ノ院である。
桓武天皇の墓から磁南に蘇我入鹿が眠る松尾寺がある。そのラインの垂直二等分線上に鴻の巣山があり、麓に水度神社がある。
桓武天皇の墓と後醍醐天皇陵とイエス王家の陵墓は直角三角形。
桓武天皇の墓とモーセの墓と千鶴山は二等辺三角形。(大まかには正三角形)
桓武天皇の墓と後醍醐天皇陵と生野の地下神殿入り口は、二等辺三角形。
桓武天皇も後醍醐天皇も、「とうりゃんせ」の舞台である地下神殿の入り口の場所を教えている。
桓武天皇のお墓と山口の空海さまのお墓と、箸蔵寺は、二等辺三角形を描く。
2017年2月12(日)
今日は朝から、空海さまのお墓に登頂します。
可愛いお魚さんのコンタラインをした空海さまの山は616mの標高です。
千鶴山も616mでしたが、これも偶然ではないでしょう。
空海さまとチーム空海の方々は、距離も標高の計測の仕方もご存じのようでしたね。
広島県府中市にある弘法山から山口県にある空海様の墓である真魚の山(616m)までの距離(149.7㎞)と、弘法山ら兵庫県の千鶴山(616m)までの距離で(150.7㎞)はほぼ同距離にあります。
二等辺三角形を描きます。
雨が降っても、雪が降っても登ります。
そして・・「マオさま~~!空海さま~~~!!」と4人で天まで届くように声を上げてきま~~す。
2016年6月15日(水)
先日、千鶴山に登りましたが、樹木があり360度のパノラマを見通すことはできませんでした。
360度見渡せるように樹木の伐採を地元関係者の方々にお願いできればと思います。
千鶴山山頂は、薬師峰または七種薬師とよばれ、薬師さまが祀られています。
その薬師さまが向いている方角は、キッチリとコヤネ爺さんの陵墓を見つめていました。
なんと、その薬師峰からコヤネ爺さんの陵墓までの距離と、女王卑弥呼の陵墓までの長さは水平距離で13.4㎞と、ピタリと同距離でした。 ・・偶然でしょうか。
又、コヤネ爺さんの陵墓から真北の位置に女王卑弥呼の陵墓が位置しているのも偶然ではないでしょう。
コヤネ爺さんの陵墓から磁北のラインに、神河町の寺前駅から北西に見える城山がピタリと位置しています。 ・・これは大きな意味がありそうです。
神河町の城山にも私は登りましたが、樹木が生い茂って何も見えませんでした。
神河町の方々には、京丹後にある磯砂山のように、この城山山頂の樹木を360度見渡せるように手を入れてほしいと願います。
城山からは、西のメノラーが真正面に見えますし、女王卑弥呼の陵墓とイエス・キリストの墓も祈りの山である大嶽山や、コヤネ爺の陵墓を隠すように、でも・・目印の山である畑山も綺麗に見えるはずです。
早急に、これらの祈りの山を360度見渡せるように、又、登山道も落石で事故をしないように整備していただければ、我が国の礎を築かれた大王や女王様やその方々を支えられたご先祖様達に手を合わせられ、そして共に世界の平和のためにお祈りされる人達の流れができることでしょう。
姫路から播但線に乗って寺前駅で降りられ、そこから城山に登る人達が増えれば増えるほど、世界の平和を引き寄せることができます。
世界中から生野、神河町へと多くの人達がやって来られます。 それは・・、イエス・キリストの遺体が入れられた陵墓や祈りの地下神殿などが用意されている世界の聖地だからです。
もう何人も隠し通すことはできません。
今、行政もマスコミもダンマリを決め込むほどに巨大で強力な力がはたらいているようです。
人は本来の自分の姿を取り戻さなければなりません。
自分の中に・・、そして自分を育むように外にも神様が居られることを常に意識しなければなりません。
お金のために神様を遠ざけ、自分の清らかな魂を売ってまでもただ生きるのであれば、それはもう死んでいるに等しいでしょう。
いえいえ、悪魔の手先として動き回る畜生に他ならないのではないでしょうか。
人は人として生きてはじめて輪廻も約束されます。
空海さまはそう申されているようです。
七種槍がとてもきれいでした。
遠くに卑弥呼の陵墓も見えました。
薬師様はキッチリと畑山裏にあるコヤネ爺の陵墓を見つめ見守っていました。
「お前、私をナメトンノカ! 命とったろか!!」と、神様が申されたので、私は、「どうぞとって下さい!」と冷静に言いました。
・・このことは、第一冊目の本にも書きましたが、この話は本当の話です。(P59~60に書きました)
命は神様に預けています。 神様・・ご自由に!と。
今までの人生で、3度ほど死んだような経験をしていますので、拾った命だと思っている私です。
私達のこの肉体は、神様、ご先祖様たちの乗り物だと私はいつも思っています。
「自分とは何ですか」と言われたら、タクシーの運転手さんのようなものだと私は答えます。
乗られた方のご希望の地に私は安全にお連れするだけの役割と思っています。
その為にこの世に遣わされたと思っています。
朝、自我が目覚めだすそのちょっと前に、神様は言葉をかけられます。
その通りに動き、しゃべり、神様の手足となって動かなければなりません。
そのように動かなければ・・、「あなたは必要ありません!」と、「手のまがい、足のまがい・・時には、ポアされるんです。」
・・このことも三冊目の本に書きました。
奥様は、「まあ~~!」と外へ飛び出すように出て行かれました。(P153~154に書きました)
亀さんの歩みは本当にノロノロですが、目的方向に着実に向かっていま~~す!
2016年6月7日(火)
千鶴山を中心に正六角形が描けるポイントの山があります。
八幡山ピラミッドもカゴメ紋が描けます。
その千鶴山と八幡山を結んだライン上に卑弥呼の陵墓があります。
んん~~、宇宙人が天空から遊んでいるのかもしれませんねぇ。
尖がった山々は、どうも法則通りに古代、宇宙人が造ったのでしょうか。
神様的宇宙人に指示されて人間様が造ったのでしょうかぁ。
武部さんは、自然様が造ったとおっしゃられますが・・。
ああ~それにしても、一日に二つの山に登ったら・・、ああ、足が思うように動きません。
階段を下りる時は、足がぁ・・イタタタタ。 武部さんに鍛えられましたぁ。
私は生野で突然、小人さんに出会いましたが、相手がビックリ仰天の様子でしたね。
そしてその小人・・と言っても、可愛い小人でなく宇宙人的姿をしていましたから、宇宙人が地底に基地を作っているのかもしれません。
その宇宙人たちは、何か大事な大事なものを護っているのかもしれませんね。
今日、私宛に一通の情報が寄せられました。
そこにはなんと、国や巨大組織から、朝来市役所に突然指令が来るようになり困惑しているとの情報。
そしてそこには、必至でヴィマーナを探しているとも・・。
八幡山ピラミッド
婀月山(山頂に卑弥呼の陵墓)
浦島太郎の物語の亀さんになりたいと思います。