2015年6月25日(木)
モーセの置物が事務所に来てから・・、なにやら私に話しかけてくるような気がして・・・。
いつものように睡魔が襲って、目を覚ますと・・、いつものように地図を開かされて・・・・。
なんと、出雲の北に鶴島があって、三重県の志摩市に鳶ヶ巣という岬があって・・。
その二点と丹後半島のモーセの陵墓を結ばせます。
なんとぉ・・、綺麗な二等辺三角形を描かされます。 そして・・
その二等辺三角形の底辺へとモーセの陵墓からの垂線の交点を見さされます。
そこには、なんとぉ! 以前に教えられていたコヤネ爺さんの陵墓があります。 大きな大きな前方後円墳です。
コヤネ爺さんの陵墓を見つけた経緯は、鶴と亀の巨大な地上絵がある生野を頂点とする黄金比の十字架の
縦のラインと、出雲大社と伊勢神宮内宮を結んだ斜めのラインが交差するあたりにあって、何か大いに意味がる場所だと思っていましたが、
なんと、モーセの陵墓とも大いに関係する場所ですから、・・この陵墓は日本の歴史を解き明かす大事な陵墓です。
さぁ~いったいこの前方後円墳に埋葬された主は誰でしょう!?
卑弥呼さんの陵墓に2012年5月5日に初めて登った翌日に私はそのポイントに登りましたが、 間違いなく陵墓でした。
応神天皇の代に弓月、現在の中央アジア カザフスタン、キルギス
あたりから19万の民を引き連れてきた秦氏達のご先祖様の陵墓と推測します。
それを臭わすように、人工的な綺麗な畑山という山に守られるように息をひそめて眠っています。
240年代、この日本で最大の実力者の陵墓か、あるいは30年代の最高権力者の陵墓か。
いったいこの方は誰!?