始まりに向かって

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伊勢神宮・外宮の豊受大神・・隠された神としての北極星

2014-06-17 | 日本の不思議(現代)


「まつろわぬ日本の神々」から斎藤英喜氏の「豊受大神・伊勢外宮へ遷座した未来の「天帝」という文章をご紹介したいと思います。

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               *****


              (引用ここから)


豊受大神は、伊勢神宮の「外宮」に祀られている神である。

トヨウケの“ウケ”は、稲荷神社の祭神である穀物神の“ウカノミタマ”の“ウカ”と同一の語源である。

延喜式祝詞の大殿祭の祝詞に「屋船豊宇気姫命」とあり、トヨウケは“ウカノミタマ”と同一神と考えられている。

そのために、伊勢神宮における豊受大神は穀物神として、天照大神のミケツ神として、食物を調達し、農業をはじめ諸産業を司る神として崇敬されている。


ところが伊勢神宮では「外宮先祭」という言葉があるように、重要な祭りはすべて、まず「外宮」から始められることになっている。

それは豊受大神が天照大神の招きで丹波から伊勢へ遷座した際、天照大神の方が言いだした約束事であった。

しかし人間というものは、神同士の幽契にもなにか裏がありそうだとの疑いをはさみたがるものだ。


本来、神宮では「内宮」と「外宮」との間には上下関係はない。

しかし“内”・“外”という名称があたえるイメージや、さらに「内宮」が皇室の祖神であり、さらに太陽神にも擬せられている天照大神を祀っているのに対し、「外宮」のほうは天照大神の食物神としての豊受大神である。

したがって「外宮」は「内宮」に比べると、どうしても低く見られてしまう傾向がある。


そうした中で、アメノコヤネ命を祖神とする大中臣氏の子孫である「内宮」の荒木田神主に対し、伊勢国造の子孫を称し、

本来は両宮の大神主だった度会氏としては、その対抗意識からいっても、「外宮」の祭神の方が上位にあることが好ましかった。

そこで登場してきたのが、「外宮」を中心に発達した伊勢神道であり、度会神主たちは、「豊受大神は実は宇宙の本源神の国常立命、その働きを担当する天御中主=大元神だ」としたのである。

すなわち、「外宮」の神は「記紀神話」における天照大神の出生以前の、宇宙創造神・最高神であるから、天照大神よりも尊貴になる、と主張したのだ。


この伊勢神道の経典がいわゆる「神道五部書」で、吉田神道や、江戸時代の神道思想にも大きな影響を与えた。

この「神道五部書」を読むと、トヨウケはスサノオやツクヨミとも同一神であった可能性がでてくるのである。

さらに天地開闢の際、アマテラスとトヨウケとの間には交代に月となり日となって天下を治めようとの「幽契」までもがあったとされている。

ここには大本教の「国祖引退の神話」の中でのアマテラスとクニトコタチの地位逆転と、神政成就後の再逆転の話を髣髴とさせる契機が含まれている。

すなわち伊勢神道は、現代の神道系の新宗教の教学に、今もって深い影響を与えているのである。


さらにややこしいことに、民俗学者・吉野裕子風に言えば、“隠された神”としての「太一」の存在がある。

「太一」とは北極星を神霊化したもので、中国の道教思想では“天帝”と呼ばれ、紫微宮に住み、最高神として宇宙を支配している。

この「太一」の神が、伊勢神宮に深く関係している。


といっても、いわゆる「内宮」と「外宮」のどこを探しても、「太一」の痕跡すらない。

完全に埋没してしまっているのである。

やはり北極星といえども、“星神”は日本においては太陽神の光明にはかなわないようだ。


しかし神宮の直接のご神域を出ると、伊勢や志摩の周辺では、お田植え祭りや、神社の祭礼の時、必ずと言ってよいほど、「太一」と記したのぼりが立てられる。

また二十年に一度の神宮のご遷宮のためのご正殿の検建築用材のご神木を運ぶ“お木曳き”のときにも、「太一」の木札が用木の上に立てられたりするのである。

つまり民間レベルでは、伊勢神宮は「太一信仰」から成立しているといえる。


民俗学に陰陽五行という独創的な視点を入れた吉野裕子氏は、「神々の誕生」の中で、「天照大神の荒御霊を祀った「内宮」の「荒祭宮に、天武朝以来、全くの秘密裡に「太一」は祀られ、千数百年を経たわけである」と述べ、

またそれに先立つ「隠された神々」の中では、「内宮」は「太一」を、「外宮」は「北斗七星」を祀っていると考証している。

しかし伊勢神道のトヨウケ=クニトコタチ=アメノミナカヌシ=スサノオという構造を考えれば、むしろ「太一」は「外宮」のトヨウケの方がふさわしい。

実際トヨウケの出自からしても、その方がふさわしいのである。


ちなみに「伊勢風土記逸文」を見ると、「アメノミナカヌシの十二世の孫」として、度会氏の祖にあたる「天日別命」の名がでてくる。

トヨウケあるいはトユケの神は、「古事記」の「上つ巻」のニニギの天孫降臨の段で「次に豊受の神、こは外つ宮のわたらいにます神なり」として登場してくる。

つまり「古事記」では、高天原から天下った天つ神らしいという程度しかわからないのだ。

しかし「丹後国風土記逸文」を見ると、この神の出自がわかる。


             (引用ここまで)


             *****

伊勢神宮という、日本人の心の原点のような場所が、じつは一筋縄ではいかないたくさんの謎を内包していることに、いつもとても不思議な気持ちになります。

伊勢神宮が、日本の宗教性の中心であるとすると、その謎のありかを探ることは、日本の謎を解くことでもあることでしょう。

なにが正統で、なにが異端なのか、異端とはどういうことなのか?
しっかりと考えてみたい問題だと思います。


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