かごめかごめの真実とは

空海様が私に教えてくれた秘密の暗号

庭田神社の亀石は日本の歴史の真実を知っている

2018-10-19 06:46:08 | かごめかごめの真実とは

2018年10月19日(金)

 いつもそうなのですが地元に泊まるということは、ネット上にも出ていない伝承や歴史などを教えてもらえるところにあります。

宍粟市一宮町には由緒ある神社が、伊和神社と庭田神社ということを宿のご主人に教えてもらい、伊和神社は数回今まで行っているので、二日目の目指すポインの道中にあるようなので庭田神社へと立ち寄りました。

先ず私の目に飛び込んできたのは、祭りをしらせるノボリにあったメノラーの神紋でした。

テレビでもとりあげられた元駐日イスラエル大使エリコーヘンもユダヤの紋章だと驚いた徳島の倭大国魂神社の神紋でした。

そのユダヤの紋章をよりダビデの星にしたように想像させるメノラーの紋章でした。

そして武部さんが、「亀石もありますよ」と。

そして・・んん!? ん?? 

鳥居をくぐって門に立ったとき んん!? 何これ!? ・・なんです。

今まで沢山の神社を見てきましたが、このような配置になっているところは初めてでした。

境内を見せないような造りといいますか、門からは何が見えるか・・本殿でなく、亀石に頭を下げるようなっていますよ。

亀さんに・・。

この亀石こそが大きな日本の歴史の真実を知っていましたねぇ。 

亀さんは、コンパスグラスで152度方向を教えていました。

この方向には、十字架の山がありますし、その先には綺麗なベンチマークの山である千鶴山です。

十字架の山は、イエス終焉の地である備前の穂波から神河町南小田山頂にあるイエス・キリストの墓を結ぶライン上にありました。

この亀石と千鶴山とイエス・キリストの墓の三点を結ぶと、3:4:5の直角三角形である大矩が出来上がります。

大矩は、ピタゴラスの三角形の中でも、基本中の基本と言える三角形です。

亀石とイエスの陵墓を結んだラインの先には、キッチリと卑弥呼の陵墓が在ります。

まだその先には・・、間違いなく卑弥呼の陵墓の位置だしをしたと思われる障子岩が在ります。

偶然でしょうか・・。

亀石に手を合わせたら、次は本殿に手を合わせますが、この本殿がどこを向けて造ってあるかと言えば、四国の剣山です。コンパスグラスで206度。

人は何処に手を合わすかと言えば、一宮町福知にある荒神淵の真北山頂608mになりますから、人々はイエスの陵墓を教える大岩の荒神淵に手を合わすようになっていると言って良いでしょう。

もっと言えば、そのラインの先は、円山川の河口にある津居山に行きます。

ここはもう日本海です。

実は

 イエス・キリストが最初に日本にやってきたのは22歳の時で、日本海側の現在の津居山湾から円山川を上がってきて生野、神河へとやってきたと教えられていました。

そしてイエスは日本各地、伊勢にも行ったりして28歳で日本を離れ、船でインドまで行って、陸路故郷キルギスへと帰った時は29歳て、そこからイスラエルへ向かいますが着いた時は31歳だったということです。

彼は2年間イスラエルに居て33歳で十字架にかけられましたが、そこで死ぬことなくアカバ湾から船で日本まで運ばれ、太平洋側から四国徳島の剣山に連れてこられて、剣山の西側にある三嶺で傷ついた心と身体を癒したと教えられました。33歳だったということです。

このように教えられていた私でしたから、庭田神社本殿の向きが、兵庫県豊岡市津居山と徳島県の剣山を結ぶライン上にあるのには驚くばかりです。

津居山と言ってもあまり馴染みがありませんが、この近くには最近、海外からの旅行者が急増しているという城崎温泉があります。

もうあまりにも常軌を逸している気さえもしますが、あまりにも出来過ぎているのです。

完璧なのです。疑う余地がないのです。

日本酒発祥の地とされる「庭田神社」には、日本の歴史の真実が秘められているようです。

                             

 

本格的な相撲の土俵作りをされていました。 

行ったその日は、別の場所で日本酒まつりをやっていたので、そこの屋台でお腹を満たすことにしました。

 

     この田んぼの造りも意図して造られています。

川をもっと高度を上げて川の蛇行を全体的にみていくとよくわかります。

そして武部さんも同じことを理解されて居られるように、縦のラインは宝珠岩を教えていますし、その直角方向には、高野山の弘法大師廟がピタリと位置しています。

これは空海さまが、「私がやった!チーム空海でやった」と言っておられますね。

そして・・「宝珠を形どっているんですがね・・」と言っておられますよ。

下の写真は武部さんのブログから・

 é–¢é€£ç”»åƒ ほら、そう見えませんか。 聞こえてきませんか。

下は、円山川の河口にある津居山の地図ですが・・、この島に記された数字が面白いですねぇ。

159.  73  113  

・・このメッセージの解読は、 

「異国の国から波に揺られてイイーサの王(イエスのことです)がこの地に着いた山だ」と言っておられますよ!

神様はいつも非常に面白くユニークなのです。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神河町は歴史的遺産の宝庫です

2016-07-13 15:52:13 | かごめかごめの真実とは

2016年7月13日(水)

 神河町にある女王卑弥呼の陵墓を764mの岩山の山頂に造営するとき、どこをポイントにして造ったのかは重要な問題でした。

その一つの場所が、障子岩でした。 やっとその場所へと行くことができました。

道なき道でしたし、高低差もあって湿度も高く、それはそれは大変でした。

武部さんはブログで詳しく伝えてくれています。

11月17日、イエス様の命日であり、女王卑弥呼が入定したその日その時、この障子岩にも沢山の方々が集まって別れを惜しんだと思うと、胸が詰まってきます。

いつまでもいつまでも留まっていたいという気持ちでした。

今、イエス様の命日と卑弥呼の入定に合わせてツアーの計画をしていまして、この場所にお連れしたいと思っていましたが、到底無理だと判断しました。

あまりにも危険な道のりでした。

いつの日か、神河町の方々が、大事な大事な遺産だと気付いて、安全なように道が整備されますことを願います。

神河町には世界遺産となる宝が山々に沢山眠っています。 

歴史的世界遺産の宝庫です。

 

       

 正面に女王卑弥呼の陵墓が見えます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早く行きなさい! 早く来なさい!!

2013-11-26 17:33:58 | かごめかごめの真実とは

2013年11月19日(火)PM3:00

「何かモヤモヤして身体もだるいし、あちらこちらでセッションも受けたりしたんですけど、何かすっきりしないので、こちらへ寄せていただきました」と大阪の女性Oさん。

「そうですかぁ・・」と私。

我が家の家紋である「抱き茗荷」が家紋であるというOさんの話を聞いていた私は、おもむろに最近書かされ沢山のラインが入った日本地図を広げて、「この地図に何か感じますか!」と。

Oさんはその地図を見ておられましたが、全くの無反応です。

それで私は神河町の「かごめの故郷」の重要な地図を広げて、「この地図には何か感じますか」と私。

そうすると即座にOさんは、一点を指差しました。

「ここです!」と。

「ここですか」と私。

そしてそのポイントの隣の三角点のポイントを指差して、「ここは感じませんか?」と私。

「いえ、858の地点です!」とOさん。

そしてOさんはニコッと表情を変えました。

それで私は別の近畿地方の大きな地図を広げて、「この地図に何か感じますか?」と聞くと、

Oさんは即座に、一点に指を置きました。

その場所はなんと、神武天皇陵がある橿原神宮でした。

そして「モヤモヤして身体は重いし・・」と言ってたOさんはニコッとして、「ああ~~スッキリしましたぁ!」 「御世話になりましたぁ!帰ります!!」サッと立ちあがって笑みを浮かべて帰られました。

Oさんは神様のメッセージを私に届けに来たのは間違いありません。

私がなかなか重要な山に行かないので、その場所へ行くようにと告げに来さされたようでした。

それは八幡山の遥拝の山を造るのに、どこからそのポイントを出したかと言うベンチマークの山でした。

今まで卑弥呼おばさんのお墓を造営したペンチマークポイントの障子岩のすぐ北にある三角点の山でした。

「早く来なさい!そして早く、卑弥呼様もイエス様も遥拝した場所に立ちなさい」と、神様のメッセージをOさんは届けに来さされたようでした。

今までこの「かごめかごめ」の謎解きには、沢山のメッセンジャーの方々が来られて、気がつけば「かごめかごめ」と「とうりゃんせ」の謎解きをさせられていました。

誰一人欠けてもここまで辿りつけていません。

 皆さん一人ひとりが重要な働きをされています。でもそのお一人お一人は、重要な働きをしている実感を全く知らされていません。

私の役割は、そのメッセンジャーの方々のメッセージを審神者(さにわ)しながら、神様の言われることを実行し、遂行することが私に課せられた任務ですから、

  さぁ!できるだけ早く行かなくてはなりません。

「うえもり君、頼みますよ! もっとスピードアップできませんか!」と言って居られますね。

「んん~とろくてご免なさいね」と言う私です

Photo


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神河町にモアイ像?があった!

2013-06-09 17:27:10 | かごめかごめの真実とは

2013年6月8日(土)

6日9:30分、待ち合わせ場所であった大黒茶屋に到着すると、市川慎さんが出迎えてくれました。そして私に、「行ってきましたよ!モアイみたいな巨大な岩がありました」と市川さんは急きょまとめられた写真集を私に差し出して説明してくれました。

Dscf9371
Dscf9373
Dscf9377

Img6091703060001

・・・それで、8日の朝、電話すると快く、「入口までなら案内します」と言うことで、南京錠がかかったチェーンの所まで案内していただき、そこから「行ってきます!」と私一人で山へ登って行きました。  なな、なんと歩いて数分たった所で、「んん ?? なんだろう・・!?」

と近寄ると、鹿の足の骨ではありませんか。・・ 不気味な一人登山の幕開けでしたが、それから数分も経たないうちに、又、大きな棒きれのようなものが目に飛び込んできたかと思いきや、私の一番嫌いなヘビがぁ・・・。 こちらもビックリでしたが、ヘビさんもビックリした様子で、飛んで草むらへと逃げました。 シャッターを切る余裕は到底私にはありませんでした。

これから本格的に山に入ると言うのに・・ トホホ。 今さら引き返す事も出来ないしぃ・・・。
Dscf9431

Dscf9489
Dscf9434
Dscf9435
Dscf9436
Dscf9439
Dscf9441Dscf9444
Dscf9445
Dscf9449
Dscf9451Dscf9455
Dscf9480
Dscf9490

 

Dscf9494

 ・・、「又ヘビさんが出たらどなんしょう」と思いながら無事、山頂に着くと来たかいがあったという情景が飛び込んできました。 素晴らしい!!

一人でしたから、十分に見ることができました。

私の結論は、この岩は人工的に積んでいるし、もう一つ同じようなものがあったが、一つは壊れて、土台だけが残っているという思いです。現在残っている8mほどの巨石にも、土台だけのものにも、水平を調整するクサビ的な石を見ることができました。

Dscf9477Dscf9478
Dscf9451

・・・

そこからまだ上へと登って山頂に行き着くと・・・ 仙人と空海様でしょうかぁ・・?? 誰でしょう。

Dscf9507Dscf9508
Dscf9509
Dscf9512
Dscf9506Dscf9513

Dscf9521

   「そのピンクのものは、なんじゃ!?」

Dscf9520

「ハイ!、これは・・ ・・」と言いながら、仙人様達の身体をさすってあげました。

「長い間、ご苦労様でしたぁ!いつもいつも山頂から神河町の人達と、卑弥呼おばさんをお守りいただきましてありがとうございました。これからもよろしくお願い致します」と、丁寧に丁寧にゼロ磁場のパワーを入れてきました。

下のモアイの場所からも、この場所からも卑弥呼おばさんのお墓である婀月山(あづきやま)は見事に見通せていました。

Dscf9459

Dscf9460
Dscf9464Dscf9528Dscf9539

  頼みがある。聞いてくれるかの・・!」

「ハイ、なんなりと・・」

下の川で龍神達が動きを止められておる。 そのピンクのなんとやらで、解放してやってくれるかの

「ハイ、喜んで・・」

・・・

Dscf9548
Dscf9549
Dscf9550Dscf9553
Dscf9561Dscf9562

 

「 それはなんですかぁ」とカニさんがよって来たかと思いきや、糸トンボさんもやってきましたねぇ。

Dscf9564
Dscf9563
Dscf9566
Dscf9567

「ゆっくり遊んであげたいけど、下で首を長~~くして市川先生がお待ちなので・・、ごめんなさいね!」と、ほんの少しだけカニさんやトンボさんと遊んで下山しました。  

・・・ あの大きなヘビさんが挨拶に出てきたら・・どなんしょう、「わざわざ挨拶に出て来られなくてもよろしいですので・・」と、お願いしつつ歩き出しましたが、

「ご挨拶に出て行こうと思ってましたのにぃ・・、ま、暑いことだしこちらも有りがたい!」と、ヘビさんもご遠慮の様子で、無事下山することができました。

・・・

 喫茶店で待っててくれた市川さんにご報告をして、それから七宝寺さんへ。 ・・・そこで、地元のおじさん二人と道路に座り込んで三人でワイワイ、ガヤガヤ。

「ほらっ、正面の丸いドーム状のあの山が女王卑弥呼の墓ですよ。邪馬台国の・・」

「おらぁ・・、ヒミコだとかヤマタイコクだか、そんなもん知らんなぁ・・」

「邪馬台国や卑弥呼の墓は奈良でしょうがぁ・・」

「いえいえ、あの山が卑弥呼の墓ですよ」と私。

「それが本当だったらえらいこっちゃぁがのぅ・・」

「遅くとも、今月の末にこのことを詳しく書いた本が全国の書店に並びます。そうしたら・・ここに皆さんが大勢押し寄せてきますよ」と、原稿を見せてあげました。

「それは大変だのぉ!!」 「大変じゃぁ・・!!!」

・・・

  武部さん、おじさんが教えてくれましたよ。

「この上へと登って行くと、障子岩と言うのがあってのぉ、8帖ほどの広さの、障子の桟みたいな模様しているんで障子岩と言うんじゃがのぉ・・」

・・・

 それから・・ 区長さんや議長さんのお宅へご報告に寄って・・・と、神河町での一日でした。

それにしても、これだけの素晴らしい観光資源を持っている町なのに・・

              もったいないなぁ

       かごめの故郷、神河町です!!


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする