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鎌倉殿の13人・「武士の武士による武士のための政治」を考える。

2020年12月15日 | 鎌倉殿の13人
「鎌倉殿の13人」は、鎌倉幕府の成立、つまり武士による政治の成立を描くドラマでしょう。たぶん。コミカルに。

鎌倉幕府が成熟するにつれ「武士の武士のよる武士のための政治」が始まった。これは東大の本郷和人さんの決め台詞だと思われます。

図式A
荘園が成立する。荘園を守るために有力者(寺社、貴族、上皇)に荘園を寄進して対価を払い「守ってもらう」という現象が起きる。院政が発達する。しかし守ってもらえないことが多い。なら自分たちで守る。自己責任。そして「武士の武士による武士のための政治」が始まる。、、、なるほど。

本郷和人さんは自分で「学会では少数派」と書いています。東国国家論を指すようです。または二つの王権論。「歴論」というTV番組では、近藤成一さん、佐伯智広さんを迎え、面白い議論をしています。MCが本郷さんですが、女性陣は必ずしも本郷さんの意見に賛同せず、きちんと文句言っています。自由な学問の雰囲気を感じます。私も若い頃、教師であったこと(歴史ではない)もありますが、一番苦労したのが「自由に発言する楽しい雰囲気を作ること」です。それができているという点で、いい番組だと思いました。特に近藤さんに味がある。昨日もビデオを見返しました。

私は誰か特定の「先生」を支持したりしません。先生とも基本書きません。だから「本郷派だ」と思わないでくださいね。派閥抗争、派閥遊びは大嫌いです。

先に挙げた「図式A」に対しては反論もあります。私なんぞは「あれ、おおかた合っているだろう。教科書にもそう載っているし。」と思いますが、証明するのは難しいですね。歴史上起こった客観的事実ではなく、歴史の把握の仕方だからです。

そもそも院政が起こったのも、「偶然」だと言われます。でも武士の発生は「偶然」なんだろうか?武士集団の発生、そして武士集団が政治の主導権を握ることも「偶然」なんだろうか?

そういうことを考えると、なんだか楽しくなってきます。承久の乱で北条義時という「人」が勝ったのは偶然かも知れません。源頼朝という「人」が幕府を開いたのもたまたまでしょう。でもどっちにせよ「源頼朝みたいな人」「北条義時みたいな役割をする人」が出てきた。そっちの考えのほうが蓋然性があるような気がします。

歴史は偶然の連続で「必然的に発達」したりしない。唯物史観への対抗意識が強い人ほど、こう考えるのだと思います。私のように特に唯物史観を意識しないで、他の史観と別に同じだろう。徳川史観、皇国史観、織田史観、帝国主義史観、司馬史観、唯物史観、薩長史観、、、こう同じ並びで捉えていると、「必然的な発達」という言葉に過剰な反応は起きてきません。

また「武士の武士のための武士による政治」という考えが、「必然的な発達」を指しているとも思いません。

「ある理由をもって変化していく」です。「変化」であって「発達」ではない。進化論はよく誤解されているのですが、進化論における「進化」とは「退化を含める」のです。これは昔大学の生物の教授に質問して確認した記憶があります。

武士の政治が始まって、「発達」せずに「退化」した側面も沢山あります。退化したから大江広元が、京都の政治を導入したし、源実朝も京都を吸収しようとした、のかなと思います。

こういうことを考えるのは久々です。徐々に考えを深めてみたいと思います。


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