散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

源頼朝は征夷大将軍を辞任していた・鎌倉殿=征夷大将軍ではない。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

2020年01月18日 | 鎌倉殿の13人
「いだてん」を見ていなくて、「書くこと」があまりなく、韓国史劇を見て書いたりしていたのですが、今年は「麒麟がくる」があるし、2022年は「鎌倉殿の13人」があって、一気に「学習意欲」が高まっています。

「源頼朝は征夷大将軍を辞任していた」、割と有名なことのようですが、私は一年ぐらい前に知りました。辞任したのか、本人は辞任したけど朝廷は受理しなかったのか、判然とはしないようです。とにかく頼朝の意識としては「オレは征夷大将軍ではない。鎌倉殿だ。官位というなら、一応、前右大将ということでヨロシク」という感じだったのでしょう。

官位なんていくら高くても「それで現実に御家人たちが自分に従う」なんてことはないわけです。官位に従うというなら平清盛なんて前太政大臣です。そんなことに関係もなく、反平氏の動きは高まっていきました。

つまり「鎌倉政権のリーダーは征夷大将軍ではなく鎌倉殿」ということになります。

頼朝は1194年に将軍を辞任している。1199年までの5年間は将軍ではない。もし早死にしなければ、それからずっと征夷大将軍という肩書はなしに鎌倉殿を務めたことになります。二代目の頼家もすぐに将軍にはなっていません。

となると「鎌倉殿」とは誰なのか。鎌倉時代に限定して書くなら、

・源頼朝
・源頼家
・源実朝

まではまあ「鎌倉殿」なのかなと思います。しかしその後の藤原将軍や親王将軍は「実権力を有していない」わけです。

そうなると「源実朝」の次は

・北条政子と北条義時
・上記の二人が亡くなった後は、北条泰時
・その後は「北条得宗」

が「実質的な鎌倉殿かな」と思います。北条氏はなぜ将軍にならなかったとか言われますが、征夷大将軍位に意味などないならその質問自体が無効となります。北条得宗は実質鎌倉殿だったのであり、「鎌倉殿なんだから他の称号など必要ない」ということになります。得宗とは北条泰時直系の鎌倉政権のリーダーです。もちろんじゃあなんで親王将軍が必要だった?という疑問は残るわけで、それは今後考えてみたいと思います。

北条が将軍にならなかった(名目上のトップ1にならなかった)ことについては「出自が低かった。他の御家人と同列であった」「朝廷の権威を利用し、権力は自分たちが手にした」とか言われています。しかし北条の家格は低いのでしょうか。権威を利用したのでしょうか。私はちょっと違う考えを持っています。むしろ逆なんじゃないか。京都、朝廷の権威を排除しようとしたのではないか。征夷大将軍になるとすると、朝廷にその官位をもらわないといけないわけです。鎌倉の名目上でなく、真の権力者が朝廷によって「認めてもらう」という構造になる。これを避けたのではないか。鎌倉の権力者は「北条得宗であり、それは朝廷とは全く関係ない」という立場なのではないか。そう考えています。北条は高い官位も拒否しました。四位ぐらいにしかなっていないはずです。

話は大きく変わって、「鎌倉殿の13人」の「源頼朝役は誰が良いか」という話に移ります。

設定として「北条義時は源頼朝からすべてを学んだ」ということにするようです。そうなると小栗旬さんより年上ですね。そして「貴族風で気品がある」「でも粗野な面もある」「女好きであるけど憎めない」「それなりに威厳はある」ということになります。となると、

中井貴一さん、、、適役だが以前に演じている。
妻夫木聡さん、、、貴族風だが女好き感がない。小栗旬と年が近すぎる。
内野聖陽さん、、、悪くないが、やや武骨か。
北村一輝さん、、、悪くないが、貴族風ではない。
堺雅人さん、、、、いいかも知れない。
福山雅治さん、、、いい感じかも知れない。
佐々木蔵之介さん、適役かも知れない。

という風になります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿