今日のワイコマさんのブログを紹介します。
明治43年(1910)の今日、鎌倉七里ヶ浜沖で12名の逗子開成中学校生徒が遭難し全員死亡した「遭難の日」として書かれています。
『連鎖の海』という本が、この事故に三つの謎があるとして小説化しています。
文字部分を拡大しておきます。
今日のワイコマさんのブログを紹介します。
明治43年(1910)の今日、鎌倉七里ヶ浜沖で12名の逗子開成中学校生徒が遭難し全員死亡した「遭難の日」として書かれています。
『連鎖の海』という本が、この事故に三つの謎があるとして小説化しています。
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この歌詞は、当時神奈川師範学校生徒であった福田正夫が文学仲間と書いた詩の寄宿舎自室から奪取された原稿を部分的に改変したものであると福田本人や福田の四女美鈴が主張している。
内藤卯三郎(愛知学芸大学初代学長)、石野隆(武相学園理事長)、新倉文郎(大和自動車交通創業者)、柳田謙十郎(弘前高等学校教授)らと同級生であった福田正夫は、詩歌を愛する文学仲間と雑誌を刊行していた。福田をはじめとする同級生は神奈川師範学校の歴史上かつてない優等生たちであった。
ボート転覆事故の頃、福田は雑誌掲載用に清書をした原稿を寄宿舎自室の机に置いていた。ある教師が福田の机から原稿を持ち去り、その数日後には鎌倉女学校生徒が合唱をし、世間に知れ渡るところとなった。
合唱されたその歌詞は福田らの詩の数か所が手直しされただけであった。3番までを福田が書き、残りは文学仲間皆で書いたという。すなわち、「真白き富士の根」の歌詞の内容に不可解な点があるのは、事故の詳細が分からないうちに福田らの生徒たちによって書かれた詩だからである。福田らによるものか三角によるものか不明ながら特に1番の転調部分「帰らぬ十二の雄々しきみたまに」のフレーズは無許可出艇をした不良生徒を美化するものである。不良たちはさらに、学校規定の海域である逗子海岸に囲まれた逗子湾を抜け出し、江の島を目指した。地元漁師が恐れる突風が吹く七里ヶ浜沖を通過する危険な航路である。江の島からの帰路に漁師が出艇の中止を警告したが、彼らは出艇したとのこと
確かに 歌詞にちょっと違和感を感じるところがある
ば、史実と言われるある日のある時間の「事故事件」
についての見方はかなり細部の「発見」が内容を決め
ると言えます。
このWIkiを見ていないだけに、面白さがより強く感じ
るのです。この本の内容には歌詞の奪取と改変についての部分は無かったと思います。さてもう一度借りて
くるか、買って手元に置くか、『連鎖の海』の内容を
追ってみます。