「山が動いた!」
というメールが届きました。そのままコピーしておきます。
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天野 清司 さん
新国立競技場の計画が白紙となりました。Change.orgのキャンペーンを通して8万人もの賛同者を集めた「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」の共同代表、日置圭子さんからのメッセージをご覧ください。

新国立競技場計画が財政、景観などの点から問題あることを知った11人が、2013年10月「神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会」を立ち上げました。「こんな次世代のツケになるような建物を建てさせるわけにはいかない」「神宮外苑の青い空と緑をまもり、想い出のつまった国立競技場を直して使いたい」そんな私たち市民の声を国政に届けたいという、やむにやまれぬ思いからでした。
キャンペーンを展開するにあたって、早速署名活動を始めましたが2000筆くらいからなかなか広がりません。そんなとき知ったのがChange.orgでした。キャンペーン立ち上げ作業は難しくはありませんでしたが、ネット署名にどれだけの効果があるのか、これをどう使いこなしたら私たちのメッセージがうまく伝わるのか正直試行錯誤でした。
しかし、11月末のキャンペーン開始以降、賛同署名は着実に増え、公開勉強会など様々な活動との相乗効果もあって、8ヶ月後にはなんと30000筆超の署名が集まったのです。Change.orgキャンペーンがなかったら不可能な数字。賛同の広がりをジワジワと実感できる、嬉しい展開でした。
その後、今年5月以降一気に情勢が動き、各種世論調査で計画見直し賛成が7~8割になるのと平行して、当会キャンペーンの署名数も4万、5万、8万とあれよあれよという間に増え、驚きと共にまさに「山が動いた!」と思った瞬間でした。7月17日、遂に安倍首相が計画の白紙撤回を表明したのです。
この白紙撤回には国民の批判が大きな力になりましたが、2年弱積み上げてきたChange.orgを通じての声が国に届き、計画変更に貢献したことは確かです。私たち自身、途中、旧国立競技場が解体されてしまったときは正直「もうだめかな」と挫折感も味わいました。しかし、それでもめげずに正しいと信じることを訴え続けていくことで、動かないと思った山が動くことも経験しました。
今後どんな競技場ができるかはまだ不透明ですので手放しで喜ぶわけにはいきません。当会は「真に国民に望まれる競技場」になることを見届けるまで、85000人のご賛同の声を支えに活動を続けてまいります。
神宮外苑と国立競技場を未来へ手わたす会 共同代表 日置圭子
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私も街頭署名をやってきました。その結果をビラなどにして同じ場所で報告を兼ねて
宣伝配分をしました。しかし署名をしてくれた一人一人に報告することはできません。
今回インターネット署名の効果を直に学びました。
今、島崎藤村の『夜明け前』を読み出しているところです、この作品で最初に年月が
出てくるのは「文政九年」の街道の景です。
「文政九年の十二月に、黒川村の百姓が牢舎(ろうや)御免ということで、美濃境まで追放を命じられたこともある。(略)二十二人共に腰縄手錠であった。」
文政九年は1826年です、約200年前の「すべて山の中の」木曽路に伝わってくる時代
の変わり目を島崎藤村が父親の青山半蔵の姿を通してえがいていきます。
時代の変化を促進したいと念願する当時の青年たちにとって、それは大変な難事業で
した。200年の歳月と多くの試行錯誤とつまづきと犠牲のうえに、現代の到達がありま
す。このメールの語っていることもそのひとつと思います。
人たちの発言 行動が・・一つの歴史を作ってきた
歴史は 戦争や争いだけが歴史ではなく・・
国立競技場で・・世の中変わった・・・となるか?
未来に言って・・確かめてみたいものですね
化していくのを実感するのはトップクラスの面白さ
です。社会の変化ですから、すこし時間的物差しを
長くしなければなりませんが、それだけに年寄の得
意とするところです。
新国立競技場問題も、こうすれば社会が動くと実感
した人がいるということが大事だし、それに自分が
かかわったということが面白いことの中心です。
が分かります。200前は飛脚とか伝馬とかによって
伝えられた早めの情報が瞬時に伝わる、それだけ社
会の変化も早いのでしょうが、情報の中身が問われ
ることでしょう。
情報の受け手にもなり、発信元にもなれる時代だけ
に受け手としても発信者としても情報を評価する能
力が問われます、勉強せよの声が「夜明け前」から
聴こえてきます。