kaeruのつぶやき

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デカルト座標という話

2022-10-09 00:13:49 | 算数+数学

R先生がこれを参考に、と中学生向きの数学勉強サイトに「デカルト座標」なる言葉が出てきて、先日のライプニッツに続き「偉大なる数学者」の2人目かと、手元の中学数学参考者をめくったがデカルトはいません。もちろんデカルトの名前やその著書『方法序説』は知ってますから、数学者としてではなくとも「偉大なる○○者」の一人として世に名を残してる筈、「デカルト 数学」で検索したのがこれです、

哲学者デカルトは数学の革命「座標」を生み出した

哲学者デカルトは数学の革命「座標」を生み出した

フランスの哲学者、数学者。父はフランス国王の評議員で、法律に携わる裕福な家庭で生まれた。デカルトは『方法序説』において、「数学には精緻をきわめた考案力がある」「...

東洋経済オンライン

 

目を通して気づいた一つにかの『方法序説』の発行が1637年とあり、かなり前に文庫でパラパラ読んだ時には発行年など気にしなかったが、なんだ俺の生まれる僅か300年前ではないか、と急に身近に感じられて、この朝寝坊(この話も彼を身近にさせた)の書いた者として手にするかと思ったり、更に彼が葛飾北斎と通じる癖があったりして大学者のなんと身近にいることよ、と思ったものです。

そうなるとデカルト座標なるものも、学び出したら座礁せず数学という大海を進めることが出来るのではないか、と思いましたのでこれからは夢の中でデカルトに会い挨拶をしておきます、何語かな? 万国共通の霊界語でしょう。



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2 コメント

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デカルト (屋根裏人のワイコマです)
2022-10-09 12:41:50
名前だけは 知っていましたが・・彼の功績などは全く知りません (≧∇≦)
デカンショ節 の語源が 江戸時代から篠山市域で
歌われていた「みつ節」が変形したものであると伝え
られている。大正時代には、デッコンショ節などとも
呼ばれていたようだが、次第にデカンショ節という名称
に収斂していった。
デカンショ節が学生歌として全国に普及したきっかけ
として、以下のような伝承がある。
旧篠山藩主の青山家は、明治維新後は学問を奨励し、
篠山に鳳鳴義塾等の私立の中学校を作り、その中の優秀
な者を東京に寄宿舎を作り遊学させた。
篠山からの遊学生は、例年、夏には千葉県の八幡の浜
で過ごしていた。明治31年(1898年)の夏、宿泊先の
江戸屋の二階で元藩主青山忠誠の養子青山忠允をはじめ
とする篠山出身の若者達が郷土の盆踊り歌を蛮声を張り
上げ「デコンショ、デコンショ」とうたっていた。それをたまたま階下に宿泊していた旧制一高の水泳部員
の塩谷温達がこの歌を聞きとめ、たちまち気に入り、
デカルト、カント、ショーペンハウエルを文字って
「デカンショ節」と名付けて歌ったという。
そこで、一高水泳部員達は、篠山出身の若者たちに付添
っていた亘理章三郎(後の東京高等師範学校教授)など
から歌の指導をうけ、意気投合した。それを、東京に
戻ってからも歌った。これによって多くの学生や若者の
共鳴を受けて愛唱されるようになり、全国に広まった。
また、デカンショ節の歌詞の多くを亘理章三郎が作成した
という伝承もある・・とWikより引用させてもらった。
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なるほどワールド (カエル)
2022-10-09 18:02:04
デカルト、カント、ショーペンハウエルでデカンショ、確かいつだかどこかで聞いた覚えが無いわけで
はない、という感じです。こういう形でデカルトだけ
でなく、ショーペンハウエルはショーベンハウエルと
言い換えたりして記憶の蔵に収めてきたのかと思いま
す。偉大なる○○とか言うのは、後世の凡人某が自分
は手抜きをして偉そうにする一工夫として捻り出した
言い方でしょう。もちろん偉大なる人はいますが、そ
の人の周辺でその偉大さを実感した人以外は、噂話を
信じるのと大した違いはないだけです。そのうち直に
偉大なる人と接触した人々も死に絶え、あとは噂話的
伝説を先の某氏等が己の修飾物として針小棒大に言い
伝えていくのでしょう。そういう仕組みが文鮮明ワー
ルドを生んでいます、デカンショ節は至極現代的話題
ですね。
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