goo blog サービス終了のお知らせ 

葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

人間は考える〇である。

2013-11-12 21:28:19 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 このところ、鎌倉に出る機会が少なくなって「鎌倉あるき」も出番がなく

なっていましたところ、意外なところで鎌倉アルプス行きに出会いました。

出会った所は本屋さん、例のとおり10分時間があったら本屋に寄ろうと

入ったらまず目についたのが雑誌「サライ」の表紙の“「健康寿命」は歩

いて延ばす”という「大特集」。

 「一日8000歩」と「生活環境作り」が肝要と書かれていて、なるほどと

立ち読みをすませて戻して一歩歩きだしたら「歩く旅をしよう」という見出

しが目に入りました。

 これも手に、NHK「趣味DO楽」という番組用のテレビテキストでした。

そのなかにあったのが「第1回 近くの丘に登ってみよう 鎌倉アルプス」

という記事。

 第1回、何日かとみると10月の済んだ日程でした。立ち読みで済ませ

るのにはもったいない感じでしたので、1050円なりで購入。全8回の番

組のうちこれから見られるのは3回分ですが、テキストのなかでは鎌倉ば

かりでなく、三崎口からコースも実際に歩いたことが地図と写真で紹介さ

れています。手元にあって役立つこと間違いなしとふみました。

 

 人間は考える葦であるとは、哲学者が残した言葉ですが、高齢者群の

なかにいると理想的な人間像は「考えるアシであること」、この「アシ」が

「足か脚か」。

 どうなんでしょう、二足歩行というよりより安定した積極的な歩きを考え

た時、「足より脚」だと思います。 両手も意識的に動かし四肢の動きで全

身前進という姿でありたいのです。「考えない脚」になったら徘徊です、こう

ならないためにも「脚+頭=健康寿命」の方程式の解を追究していきたい

ものです。


さて、鎌倉は?

2013-05-29 20:03:11 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 鎌倉の「世界遺産」は、出直し作戦になりました。「推薦」を取り下げ新規

まき直しでいく、ということです。

 

 私たちは昨日の続きの今日を生きて明日へとつなげていくわけです。歴史

を生きつつ歴史をつくるという毎日です。とはいえ、それは結果論でそんなこと

を意識して暮らしている訳ではないのです。

 鎌倉市民のなかで「世界遺産」反対の世論もかなりある、これ以上生活のな

かに「観光」が入り込んでは困る、というわけです。そういうことも含めて「世界

遺産」への道を切り開いていくには何が必要か。「新規まき直し期間」はその意

味で良い機会にできるでしょう。

 「いざ!鎌倉」という掛け声ばかりでなく、「どうする?鎌倉」と自問自答するな

かにkaeruも加わろうと思います。その意味で下のブログは格好の材料を与え

てくれますので、紹介しておきます。 

http://blog.livedoor.jp/kikurotakagi/

 

 昨日から気になっていた腰痛が気候のせいか酷くなってきました、横にならせ

ていただきます、お休みなさい。


「死者があとに遺すもの」、 逗子市/まんだら堂・やぐら群。

2013-05-26 20:47:21 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 

 逗子市の「名越切通」の「やぐら群」です。晩春とも初夏ともいえる快い

風が切り通しを抜けていくなかを行ってきました。

 今回の公開最終日で、「受付」の人に「資料は無くなりました」と言われ

残念と思いながら歩き、写してきました。

 いまこの写真で気づいたのですが、「やぐら」は三階建?なのでしょうか。

建てたわけではないから三層というべきでしょう。

 「やぐら」の前の「広場」に一つだけ小さい「石塔」があり、いかにも昔から

「あった風」ですが、話では以前ここが私有地であった頃は石もバラバラに

分かれごろごろしていたそうです。なんとか組み立てて「やぐら」に納めた

りしたそうですが(もちろん以前から内部にあった物もあります)、そういう

なかでこの場に遺されたのでしょう。

この写真は掲示されていたもので「火葬跡」、

下は斬首された頭部だそうです。

このURLは逗子市のHPです、よろしければ覗いて下さい。

http://www.city.zushi.kanagawa.jp/syokan/syakyou/newbunkazai/nagoe/nagoe.html

帰りは鎌倉へは出ず、小坪に下りてきました。

紫陽花の季節が近いとの「知らせ」です。

さきほど立っていた場所は火葬場の跡で、人骨片が出るそうです。

「年年歳歳 花相似たり 人同じからず」


「名越え」は「難越え」とか。

2013-05-22 15:53:16 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 「鎌倉歩き」で初めての写真入りです。

 「名越」は「難越」が変化したものとか、持っていった本の説明を読みなが

ら、昨日(5月21日)歩いてきました。

 

 まずは逗子市の法性寺の山門、「猿畠山」と掲げられています。

 

寺の裏が墓地、「大切崖」を背景にしています。

 

「大切崖」の端、すこし分かりにくいが登り口が……。

 

ところどころに「案内板」があります。

 

普段は入れないだろう「まんだら堂・やぐら群」への道の入り口に。

この機会を逃すことはないでしょう25か26日には…と思いながら、

写しました。

 

「難」の一字と「要塞」の機能を今でも示している。

 

ここが出口=鎌倉からの「入口」、鎌倉市大町5-19-12でしょうか(グーグルマップで)。

 

次は「まんだら堂・やぐら群」の報告になるでしょう。


いざ!鎌倉へ(歩いて)。

2013-05-03 23:03:53 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 「いざ!」というほど意気込んだわけではないのですが、行く先が鎌倉です

から、それに「歩いて行こう」と「決意」したので、こんなタイトルで。

 普段はバスと電車で行く所ですから、歩いていくのはかなり大変かと思い

きや、実際にはそうでもありませんでした。

 

 いまグーグルマップで調べてもわずか1時間半ほど、7.4kmとなっていま

す。この場合逗子から海岸寄りに入り逗子開成高校の裏を抜けていってま

すが、今日は反対に山側に入り岩殿寺にまわったりしました。

 はじめてのことと岩殿寺ばかりでなく、鎌倉に入ってからは安国論寺、妙法

寺などに寄ったりしたので、3時間余12km余という数字です、歩数で2万4千

余、ちょっと散歩というわけではありませんが、時間と体力を惜しまなければ

歩くのには楽しいコースです。

 

 「世界文化遺産」への推薦遺跡に「名越切通」がありますが、そこを通ってみた

いと思ったのです。地図を持たずに出てきてしまったので、当てずっぽうで歩い

たのでそれらしい所を通ることなく鎌倉市内に入っていました。

 これも帰ってきて地図で確認すると、かなり近くを歩いていたようで、目的は決

まっていても手立てがシッカリしていないとダメ!の図でした。そして思い出した

のは15年ほど前にこの「名越切通」の範囲にある「まんだら堂やぐら群」を見に

行っていたことです。

 法性寺という寺の裏山という感じでそれはありました。やぐら群は見ることが出

来ませんでしたが、大切岸という石切り場跡の印象はいまでも鮮やかです。地図

ではそこらからは鎌倉地域へ抜ける道が見当たりません。近いうちにこんどは鎌

倉側から逗子方面に歩いてみましょう。以下はWikiの「名越切通し」からですが

下線の部分が気になりますが、行ってみれが分かることです。

“名越切通しは狭く通行しづらいが、鎌倉七口のなかでも、初期に近い姿をよく

保っているとも言われる。現在は(略)、一般に交通路としては利用されていな

。” 【「一般に」というのだから「特別に」には利用できる?】


「鎌倉」を考えはじめる。

2013-05-02 23:57:09 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 鎌倉をすこし歩いてきました。

 まず、「世界遺産」のこと。「鎌倉世界遺産登録推進協議会」の「めざせ!

世界文化遺産MAP」のなかに「日本政府からユネスコに、鎌倉の世界文

化遺産に向けて推薦書が提出されており平成25年には登録の予定です」

とあります。 去年・2012年12月の作成です。

 ほとんどの関係者が「登録」を疑わなかったのではないでしょうか。

 私も当然のこととして「登録」を考えていました。

 

 歩きながら立ち寄った本屋で『平泉から鎌倉へ』(2012年2月・公人の友社)

なる一冊を手にしました。 副題が「鎌倉は世界遺産になれるか?!」というの

です。 立ち読みだけでは「?!」の内容が分からないので買ってきましたが、

これから読み進めていけばいろいろ分かってくるだろう、と期待しています。

 例えば、いたって初歩的ですが「武家の古都・鎌倉」の英文は「“Kamakura,

Home of the SAMURAI” だと(私は知りませんでした、あなたは?)。

 なぜ、City としなかったのか、と。 この本のなかでも、かなりやり取りがされて

いますが、ヨーロッパを中心とした「都市=城壁によって区切られた街(がい)」

のありようからみた都市と鎌倉の違い。

 その違いから鎌倉の世界遺産推薦にあたって「都市論」から離れた一因に

なっているということも指摘されています。もちろんそれが今回の「不記載」

につながっているというわけではありません。

 いずれにしても今回の問題は、観光地・鎌倉的見方から世界遺産的見方

へと理解を進化深化させる絶好の機会であり、この機会を逃すことはない

と思います、kaeruのこの面でのつぶやきに耳を傾けていただければとお願

いしまして、今夜はお休みなさい。


もういちど日本、もういちど鎌倉。

2013-05-01 23:18:23 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 富士山の世界遺産への登録が確実視されるなか、鎌倉のそれはこの

ままでは「絶望」に近い結果がでてしまいました。今後のことは6月のユ

ネコス世界遺産委員会に向けての動きを見ていかなければ分かりませ

んが、この時点であらためて「古都鎌倉」とはどういう街(がい)なのか、考

えてみなければと思います。

 

 司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズ「42」は『三浦半島記』で、

それは次のような文章からはじまります。

 「相模の国(神奈川県)の三浦半島は、まことに小さい。

 (略) 

 ところが、この半島から、十二世紀末、それまでの日本史を、鉄の槌

とたがねでもって叩き割ったような鎌倉幕府が出現するのである。

 なぜそうなったのか。そんな疑問を主題にして、この半島を歩こうとし

ている。  まず、武士の発生のことである。」と続くのです。

 

 鎌倉を世界遺産に推薦する文章(文化庁・2001年月)にも、鎌倉が

どういう観点から普遍的価値を有しているかを次のように述べています。

「戦士階級に属していた武家が、12世紀末の日本において古代社会の

貴族支配から中世・近世へと続く武家支配への移行という大変革をもた

らした政権を樹立し、~武家文化を生みだしたことを示す物証である。

そして、「山稜部と一体となった稀に見る政権所在地の類型を形成した。」

 

 しかし、イコモスは普遍的価値として評価しえるかの水準でみると

「物的証拠が少ないか、限定的なものか、証拠がない」とし、また、「資産

の周辺が都市化されていることの影響は無視できない。」と記しています。

 そして、「結論 完全性の観点、及び比較検討の観点から、顕著な普遍

的価値を証明できていない。」とされたのです。

 

 「もういちど日本」というのはNHKのTV画面にでてくる「言葉」ですが、

あらてめて「鎌倉世界遺産登録」という問題をつうじて、私たちの歴史

感覚・歴史認識というこを考えてみなければと思います。

 明日、そんなことを思いながら鎌倉を歩いてみます。


春隣。

2013-02-02 23:30:40 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 春隣という季語は好きな季語のひとつ、朝の雨も冷たさはなく妻と出かけ

た鎌倉も暖かく持って出たジャンパーも結局一度も着ることなく手にしたま

までした。 季語の話から入ったので俳句のことで「つぶやき」をはじめよう

かなの気持ちが半分、観てきた映画「キッコ」と岩上安身氏の講演について

触れようという気持ちが半分。

 

 映画の感想で「こういう映画は観たのははじめて」と奥さんの言葉、そういえ

ば大体夫婦で出かけて観る映画は劇映画ばかりでした、そうならば映画と講

演について話をしなければならないでしょう。 しかし、映画の字幕も読める位

置ではなく、言葉は聞き取れない耳なので画面を追いかけているばかりで内

容は? 講演も同じような調子でこちらも ? 

 奥さんは目も耳も大丈夫だから見聞きはできたわけで、岩上氏の話の切り口

は「しんぶん赤旗」とは違うと感心していました。

 映画の内容は下記を参考に。

 (下記URLをドラッグし右クリックしてみて下さい、該当ページに移動できます)

http://www.jca.apc.org/stopUSwar/latin_america/sicko.htm

 岩上氏については、Googel 検索「岩上安身」で、今日の講演内容ではありま

せんが現在の氏の仕事ぶりは下記でご覧になれます。

 http://iwj.co.jp/

 

 鎌倉での足跡として「つぶやき」俳句を、

 花の店妻と立ちよる春隣      清蛙

   陳腐ですが春隣とはこんな気分です。

 鎌倉の街に灯の入る春隣     清蛙

   明るいうちに離れたのですが、何のとなく灯し頃だったような気分でした。


濡れ煎餅かじりながら。

2013-01-22 23:58:19 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 鎌倉駅江ノ電口で、内の奥さんと待ち合わせて、暖かいものを食べようと

御成通りを歩き「らーめん店」が見つからず、若宮大路に出て「ラーメン」の

赤い幟を見つけ店の前へ、「準備中」の張り紙。

 そんなことが三軒ほど続いて、大路から小町通りへ入る横道でそば屋さん

が営業中。昼飯時と夕食時のあいだの中途半端な時間によくぞやっていて

下さいました、「なかむら庵」というお店です、入ってみるとやはりお客さんは

いません、お二人のために営業してますとは言われませんでしたが。

 天ぷら蕎麦の汁が美味かった、汁もというべきですしそうなのですがここ

は汁の美味さを強調したいところです。 終わって奥さんの丼をみたら底が

乾いているかと思うくらい何もありません。 小生の底には3ミリほど残ってい

たので飲みほして 「うまかってね」。

 

 暖かくなった体で小町通りでました。 雨で人出の少ないまま夕方を迎えた

通りは歩きやすく四つ角の煎餅屋で「濡れ煎餅」を買い、かじりながらの歩き。

川喜多映画記念館へ向かう角をまがり館の手前で、左に入ります。

 コンクリート塀の上に伸びている木の枝を見上げて木蓮の芽が、と言われ

ますが夕闇のなかでよく分かりませんが、季節はそういう季節です。

 

 裏道の角に「チェンジ 鎌倉 〇〇××」と市議会議員の肩書で看板が目

立ちました。 この四月議員選挙、先日の日曜日にはわが町の仲間と鎌倉

の日本共産党議員の応援に行ってきました。

 鎌倉が古都鎌倉の「らしさ」を保ち続けるには、世界遺産問題の含めて

どうあるべきかは鎌倉人のみの課題ではないでしょう。

 駅を出てバスターミナルを抜けると角に不動産業の赤い看板が目に入り

ます。ここは少し前は老舗という感じの漬物屋さんの店であったはずです。

駅の周辺に四軒の書店がありました、一軒が閉店一軒は店を狭めて仕舞

いました。

 

 資本の論理が浸食し浸透して人も街も、個性を失い一様な顔を化粧し

しまうのか。 以前、藤沢駅周辺を歩いて「なんとつまらない街なのだろう」

と思ったものです。たしかに買い物が目的であったり見る聞く食べるなど

の便利さを問われれば、便利ですということになるでしょう。それならば

便利さを競うことがその街の特徴を生みだすのでしょうか。

 鎌倉らしさ、逗子らしさ、葉山らしさ、そしてあなたの住む村町市らしさ。

私らしさ、私たち夫婦らしさ、私たち家族らしさ。この神社らしさをこの地

域の人びとと創り出し共有していきたいという思いが「酔いどれの一夜」

にあったのだと思います。

 日本の神は八百万の神といわれ、海・山・峯・岩・河・川・森林・大木・獣

・などなど。かけがえのない物のなかにかけがえのない己を投影して神

を創り出してきたのでしょう。しかしそこに権力の論理が浸食し浸透する

こによって「らしさ」が蹂躙されてきたのではないでしょうか。


スマフォン深夜便

2013-01-05 02:47:58 | 逗子 鎌倉 それぞれ

 夕食のあとひと寝入りしてから、「つぶやき」だそうと思ってましたが、いま夜中の一時過ぎです。

 寿福寺のことを書く予定でしたが、この時刻の鎌倉の寺歩きを考えて目が冴えてきました。そういう人がいるのか?分かりませんが死者との会話を目的とするならばこの時刻はふさわしいでしょう。

 これは想像の世界ですが、この時刻の寺という場と神社という場では受ける精神状態はかなり異なるでしょう。死者の弔われている場と神が祀られている場は昼間でも印象が当然違います。その違いはこの時刻でしたらもっとはっきりすること請け合います。

 嘗てこの違いは統一されていたのではないでしょうか。神社と仏閣が同じ場所にあった時代には。

 時刻は二時を回りました、こんな考えはこの時刻でなければ起こってこなかったかも知れません。それにスマフォンの不便な入力方法だから出てきたのかも知れません。明るい所で便利な道具を使って考えていると失ったものに気づかずに来てしまうのではないでしょうか。

 それにしても一字一字入力するのはしんどい、考えや思いが刻まれて疲れます。それでいて神経は活気づいてきます。一方は眠気を誘い一方が動き出す。夜明けに向かう時刻とはそんな二面を持っているのでしょう、時代も同じです。