2022年という時代、長い歴史の一時代であるが私の人生という歴史的にはまことに短い期間中のその最終盤であるこの日——2022年10月11日——にウクライナという国でひと組のカップルが、このような思いで誕生していることは希望です。
ここに9日のタイトル「親子3代夫婦」の3組の夫婦をお見せして、ウクライナの新しい夫婦の親夫婦と祖父母夫婦にお祝いと連帯の言葉を添えたい、親夫婦、祖父母夫婦がここに甦っている、世界を新しくするために❗️
2022年という時代、長い歴史の一時代であるが私の人生という歴史的にはまことに短い期間中のその最終盤であるこの日——2022年10月11日——にウクライナという国でひと組のカップルが、このような思いで誕生していることは希望です。
ここに9日のタイトル「親子3代夫婦」の3組の夫婦をお見せして、ウクライナの新しい夫婦の親夫婦と祖父母夫婦にお祝いと連帯の言葉を添えたい、親夫婦、祖父母夫婦がここに甦っている、世界を新しくするために❗️
【内】はkaeruが書き入れました。
6日の広島は、その日の「Kaeruのつぶやき」です、
背中の子が77年後の竹本秀雄さんでした。
そして、今日8月9日、アメリカの核兵器によって被爆したのは長崎でした、3年前の放映ですが25分間ほどです「見つめて」ください。
この人が竹本秀雄さんです、
そして竹本さんの77年前の写真、
そのことを書かれた今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」
「あの子は、77年前の私です。 生きとりました」。 原爆が落とされた直後の広島を記録したフィルム。 そこに兄に背負われ、 頭から左ほおにかけて包帯を巻いた3歳の子が映っていました 今年80歳になる竹本秀雄さんです。 あの日、 爆心地から1キロの自宅で被爆。 家の下敷きになっていたと
ころを兄に助けられ病院での治療の行き帰りに撮られたものとみられます。 一命はとりとめたものの左ほおの傷は骨がみえるほど深く、 傷痕はケロイドに▼姉の一人は全身に大やけどを負い亡くなりました。被爆した家族はその後も苦しくつらい生活が続き、 いまわしい過去は封印してきました。「あまりにも起きたことが大きすぎて・・・」 ▼先月10日、 東広島で開かれた原爆展。 竹本さんは初めて公の場で自身の被爆体験を明かしました。 涙でつまりながらの77年越しの告白。 「やっと呪縛が解け、 肩の荷がおりた感じです」 ▼これまで口を閉ざしてきた被爆の人生。 開かせたのは、核兵器をなくそうと運動する身近な友人たちの励ましと、ロシアによるウクライナ侵略でした。 「やっぱり戦争はいけない。 泣くのは市民です。 あのときの恐怖がよみがえるいま、これからも証言を続けていこう
と心に決めています」 核なき世界の道を切り開いてきた被爆者たちの訴え。 それを伝え語り継いでいくことは、ますます重要に。 竹本さんは、 未来を生きる子どもたちに語りかけます。 「やさしい人になってください」。 それが戦争をなくす礎になることを願って。
見出しの言葉はプーチンのスピーチを紹介してくれた今井佐緒里さん(訳文に付記)がスピーチの全訳にあたって書かれたもので、私も同じ意見です。大変は長いものです、今井さんも言われていますが、斜め読みでも飛び読みでもいいでしょう、私も斜めに読んだというより目で舐めたくらいですが、読むに値するというよりまず記録しておくに値すると思いました。
今年はじめて8月6日に広島に向けて黙祷を、そして今日・15日正午に黙祷。6日は「広島へ黙祷を」との息子のFBに促され、15日正午黙祷は義父が行っていたのを受け継ごうと思ったからでした。来年は9日11時2分の長崎に向けての黙祷、それに3月11日の午後2時46分の黙祷……、この日本で生まれ83年間、生きていればこそ次への思いを込める時間を持たねばと思います。
この小池さんの話しかけのなかに、75年をはじめ60年5年という区切る年数が出てきます、私の生きて来た日々につながる時間です。60年の「安保」5年の「野党は共闘」は次の時代へ思いを馳せる節目です。
#29 75回目の #終戦記念日 の誓い
75回目の#終戦記念日に #YouTuber小池晃の「不戦の誓い」です 閣僚による靖国神社参拝と軍備拡張のなかで 侵略戦争と植民地支配の犠...
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