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葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

がんと俳句

2019-08-18 20:55:12 | 「がん」を読む

   この本は2015年5月発行ですから、パラパラとめくる程度でも一度は目を通しているはずです。でも書き手の俳人石寒太さんが大腸がんを患っていたことは憶えていません。

「はじめに」に書かれていることです。

「十数年前〜突然に大腸がんを宣告され、それもステージ4生存率40%という〜。自分としては死ぬなどということは毛頭考えてはいませんでした。なぜ死が頭に浮かばなかったかというと、俳句を作ったいたことが大きかったと思います」

   この時の大腸がんは開腹手術に成功し全快宣言をもらうところまでいきました。しかし十年後に大腸に新しいがんがみつかります、今回は内視鏡での手術で成功して「再び生還を果たしました」。

石さんはこの本に「病気体験をプラスにする俳句の効用」という節を立て、

まさに生と死に関わるがんを患ったことにより、その経験を踏まえて、何冊かの本が生まれました。一つは句集『生還す』(ふらんす堂)です」とし自分の句を紹介してます。

私の場合、1月からの句会に出席はもちろん投句も出来ずに過ごしてきました、とはいえまるで詠まなかったわけではなく、

がんの娘については、

がんの娘の黙す時空か夏銀河

がんの己に対しては、

生き抜いて夏陽にさらせがん身体 


娘を看取る。

2019-08-08 23:46:58 | 「がん」を読む

7日付けで知人に送ったメールの一部です。

〈 昨夜「今夜がヤマだ」と医者から言われていました。ヤマは越しましたが全身で息を吸い意識はありません。夏場を越せるか?と思います。それにしても土壇場での生命力の発揮は大したものだと思います。〉

ところが先ほど送ったのは、

〈 夏場どころか二日持ちませんでした、私の見方の甘さを示したものです。その夜は孫息子と交替で寝ずの番をし、妻に休んでもらおうと「二階で寝たら」と言って怒られました。娘の状況を熟知している妻からみたらとてもそばを離れて良い状況ではない、と分かっていたのでしょう。

   娘の推移は妻の判断どおりになり、夜明けの四時近くに息が止まりました。これも先のメールで書いたことですが「土壇場での生命力の発揮」についてです。12月の中ほどに石垣島から葉山に飛び出してきて我が家で治療生活に入り、1月でしたか救急車で病院へ、そこでは「明日明後日亡くなっておかしくないし、何ヶ月後かも知れない」と言われたそうです、不安定な状況だったのでしょう。

   2月始めに主治医を紹介されその医師から「お薬手帳」とそこに妻がメモした病状や医師のコメントを読み「率直に言って余命一ヵ月」と言われ、私も家の桜の咲くのも見ずに逝ってしまうのかと思ったものです。それが満開の桜を二人の子供と共に愛で、梅雨時も過ぎ猛暑と言われる時期まで半年を越す「余命」でした 


今夜がヤマと言われた夜、娘の手を握りながら「私の臨終の席にはこの子はいない」との思いがあらためてよみがえってきます。

以前「見納めの顔」というタイトルで「つぶやき」ました、

 https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/c11327810a57bd012a6c5a1d595bc912

 娘の見納めの顔に人生が集約されていたように思えるのです。


昨日はCT検査でした。

2019-08-03 22:00:58 | 「がん」を読む

昨日はCT検査でしたが、終わって帰宅したら何やら眠くなり夕食もとらず寝てしまいました。

夕食を食べる気がしないほど疲れた?

いいえ、昼飯はダメという検査条件でしたので終わったら腹ペコ、久しぶりに中華料理をシコタマ腹へ入れたので腹の皮が張って目の皮がたるむ現象です。

CT検査について「つぶやき」ましょうと、このアップ、

この写真のCT機がkaeru の潜ったものか?

いずれにしてもこんな感じでした。

出かける前に見ておくべきでした、そうすれば「これは64列ですか320列ですか」と聞けたのでした。

 

https://www.ykh.gr.jp/service/chuohosyasen/chuo_h04


追記

CT検査は検査入院前に予定されていたのですが、その入院を延期したときにキャンセルしていたのです。ですから今回の検査結果の説明は次の入院時でしょう。 


病名(がん・癌)を書くということ。

2019-08-01 23:40:17 | 「がん」を読む

   娘の薬をもらいにいつもの薬局に行って、ついでに昨日医師から処方された自分の薬を頼みました。すると薬剤師さんが「はじめてですね」と、もう顔なじみなのですが、自分の薬でははじめて。すると「お薬を安全にお使い頂く質問票」というものの記入を、と。

その ② の「今日はどのような症状で〜」という質問、血尿でもいいか、病名を書こうか、と考えたとき「がん・癌」と書くことに躊躇いがある、と感じました。

「これだな」と思ったのはこの本の書き出し、

「がん」。この病名には重苦しい響きがあります。早期に発見し、適切な治療を受けることで治る例も増えているものの、がんの種類や進行度によっては亡くなる方も依然として多いからでしょう。

この重苦しさが躊躇させるのです。「kaeruのつぶやき」でかなり長くつぶやかなかったのは、慣れない介護に集中しなければならなかった生活の大変化とともに、この「重苦しさ」に戸惑い続けた期間でした。

その重苦しさを背負う当事者になってみて、「がん患者の役割」とでもいうべきものがあると感じています。例えばこの人のこの本、

と言っても先ほど買ってきたばかりでペラペラめくっただけですが、坂井さんが本の出版前に亡くなっているとのこと、文字が声となり「こういうことはがん患者しかできないことです」といわれているように思えます。


kaeru の膀胱癌 ー自分への告知ー

2019-07-31 22:44:56 | 「がん」を読む

   入院前の医師は男性でしたが、入院中は主治医は女医で今日説明してくれた人です。説明のために描いたものを写しました、もちろん「kaeruの」はkaeru の付け足しです。

   膀胱の左側に2つあったそうです。削りとった肉片は、手術直後小ビンのなかで透明な液体に浮いているのを見せてもらいました。

    尿路上皮癌という名前です。タチは良くない=悪い、そうで顕微鏡で見ての判断なのでしょう。人相ならぬ細胞相が悪相なのでしょう。膀胱という皮袋は三層(3枚重ね)になっていて、内側から粘層ー間質ー筋肉です。15㍉20㍉の癌は中ほどの間質まで広がっていた、という説明です。

   「すると転移はないな」と思いつつ医師に「転移は?」と聞いてみました。「ない、と判断しています」とのこと。それでも同じところ(薄くなっている)を削るのは念には念を入れるということでしょう。来月の中ほど五日間ほど涼しい病室ですごそうと思います、そのあと一ヶ月半くらい週一で病院通いです。

   それにしても「がん告知」が当たり前の時代になったものだなー、と。ただ病院側はそういう時代に入っていますが、患者側(親族)が旧感覚だと思うのは、娘をめぐるこの間のことからの思いです、自分のなかにも旧感覚が残っています。

   このブログでは、がんに対する21世紀水準(4000年の歴史を経てきた)の感覚を感じ取りたいと思い、我が身への告知として「つぶやき」続けてみたいと思います。


明日の膀胱がん手術の結果説明を聞く前に……。

2019-07-30 23:06:46 | 「がん」を読む

 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190729-00000004-binsider-int

これを見て私のフェイスブックにアップしましたのが、

 この名言とは『がん  ー4000年の歴史ー』上巻のp37から、

宮本さんの言われるように、戦争などという内向きのゴタゴタに気を向けていられるほど宇宙は「平和」ではないのです。内向きと言えば人間の本質=細胞分裂のなせる身体=に根拠を持つがんを克服することに、戦争に向ける関心の方向転換を人類史的規模でやることです。

などという思いを抱きつつ明日医師から説明と今後のことを聞きましょう。


『がん ー4000年の歴史ー』の面白さ。

2019-07-27 10:15:33 | 「がん」を読む

書き手のシッダールタ・ムカジーがこう書いています。

「私が書いていたのは、ある病気の歴史というよりも、より人間的で、より感情的なもの、そう、伝記だった」

続いて、

〝 伝記ならば、私も伝記作家の例に洩れず、まずは主人公の誕生から書きはじめたいと思う。がんはどこで「生まれたのか?」 がんは何歳なのか? がんを最初に病気として記録したのは誰なのか?〟

これらの?への答えが、

 

   一八六二年のこと、エドウィン・スミスという一風変わった人物ーー学者でもあり、小売り商人でもあり、骨董品の偽造者でもあり、たたき上げのエジプト学者でもあったーーが、エジプトのルクソールの骨董品売りから四 ・五メートルの長さのパピルス写本を買った(一説には、盗んだとも言われている)。写本は実にひどい状態で、今にも粉々に崩れそうな黄ばんだぺージには古代エジプトの筆写体文字がびっしりと書かれていた。今日ではそれは紀元前一七〇〇年に写本された、紀元前二五〇〇年の文書と考えられている。写本した人物一ー大慌ての盗用者ーーはいくつよものミスを犯しており、余白に赤いインクで修正が書き込まれている。

 

    そのパピルス写本は一九三〇年に翻訳され、今日では、紀元前二六二五年前後に活躍した偉大なエジプト人医師、イムホテプの教えを集めた書と考えられている。現在知られている王室の血を引かない数人の古王国時代エジプト人の一人であるイムホテプは、急速に発展するエジプト文化の中心にいたルネサンス的教養人で、ジェセル王朝の宰相をつとめながら、脳神経の手術をおこなったり、建築に手を出したり、占星術や天文学の世界を覗いたりした。それから何世紀も経ったあとでエジプトに行軍したギリ シャ人ですら、彼の知性の熱風に遭遇したあとでイムホテプを魔法の神と崇めるようになり、ギリシャの医神アスクレーピオスと同一視したほどだった。

 

    だが、スミスのパピルス写本の驚くべき特徴は、魔法や宗教ではなく、魔法も宗教も登場しないという点だ。魔法や呪文や魔力に浸りきっていた世界にあって、イムホテプは、折れた骨や椎骨脱白について、まるで現代の外科の教科書のように、客観的かつ淡々とした科学用語で書き記している。パピルス写本に登場する四八症例ーー手の骨折、ばっくりと開いた皮膚の膿瘍、粉々に砕けた頭蓋骨ーーはどれも神秘的な現象としてではなく、解剖学的な用語や診断名や経過や子後を持つ、医学的な状態として扱われているのだ。

 

    古代の外科医療のそんな明断なヘッドライトの下で、がんは歴史上初めて、他と区別された一つの疾患として登場する。症例四五についての説明のなかで、イムホテプ は次のように助言している。「乳房に隆起する塊のある(症例を)診察し、その塊がすでに患者の乳房全体に広がっており(その)乳房に手を置いた(ときに)冷たくて、塊自体も熱を持っておらず、肉芽がなく、切開しても液体の貯留がなく、乳汁の分泌もないが、触診で明らかに盛り上がっている場合には、その症例についてこう言わねばならぬ。"これは隆起するしこりの病である..….乳房の隆起するしこりは、しだいに広がる大きな硬い腫癌が乳房に存在することを意味する。手で触れた感じは丸めた梱包用の布や、まだ熟していない硬く冷たい血液の果実のようだ"」

 

「乳房の隆起するしこり」 ーー冷たく硬く、血液でできた果実のように身が詰まっており、皮膚の下を秘かに広がっていくーーという表現は、乳がんの描写としてはこれ以上望めないほどに鮮明だ。パピルスに記載された症例には必ず、たとえそれがただ単に症状を緩和すそためのものであっても、治療に関する簡潔な考察が添えられていた。たとえば、脳神経外科の患者の耳にはミルクを注ぎ、傷にはハップ剤を貼り、火傷には香油を塗る、といったよらに。だが症例四五については、イムホテプは珍しく沈黙している。「治療」と題したセクシンで彼が書いたのはたった一文だった。「治療法はない」

さて「伝記」でこう書かれていることを短く言うと、こちらでは、

 がんに関して現存する最古の記録は、紀元前2600年頃に活躍した古代エジプトの医師イムホテプが残したものだといわれています。48の症例を記載しているなかのひとつとして、「乳房の隆起するしこり」を取り上げ、「冷たく固く、血液でできた果実のように実が詰まっており皮膚の下をひそかに広がっていく」と表現しており、これが乳がんに関する記述であると考えらているのです。

と書かれています。

人間の記録にはじめて登場した「がん」は医師イムホテプに「治療法はない」と言わしめ、次に記録されるまでの2000年間「沈黙の覆いにつつまれます」。