牧野富太郎少年のこと、『牧野富太郎 私は草木の精である』
のこの部分
第四章 独学の人
少年時代から牧野富太郎の本来の生活は学校ではなく、自然の中にあった。 後に大学で講義するよようになっても、教室内での授業よりも、野外での植物の実習に力を注いだのは、彼にとってむしろ当然なことなのであった。まず佐川は化石の産地として有名だったが、彼が最も自然に接し、最も親しんだ場所は横倉山であった。そのためこの平凡な山は、牧野富太郎によって日本の植物学上、有名な山となってしまったのである。 (略)彼はこの山へ何度も出かけるうちに、この山にある多くの植物に気付くようになった。平凡なものの中に秘められた非凡さは、誰もがすぐ見付けられるものではない。 特に自然はこのような非凡さを易々と曝け出すことを嫌うものである。このような非凡さは逃げ易く、しかもいつもは光を避けて、洞窟の奥深くに潜んでいるものなのだ。 だから非凡さを見付けることの出来る人は、まず好奇心が強く、鋭い観察者であり、熱狂的な探求者でなければならない。そして牧野富太郎は、その総てであった。 彼は頻繁に出かけることによって、 横倉山のことを何でも知ろうとした。 やがて彼の熱意の前に、自然は今まで隠していた真実の姿を見せだした。 そして牧野富太郎は、盗賊の洞窟へ入ったアリババのように、自分がどのような宝庫の中に居るのかということに、気が付いたのだった。 しかし彼は次から次へと見付かる珍しい花を、見るだけでは満足しなかった。彼はそこの総ての花の名前まで、知ろうとしたのである。自然は優秀な教師であり、優秀な教師であるが故に厳しい教師でもある。自然は容易に名前のわからない珍しい花を、次々と見せては牧野富太郎を困らせた。だが花の名前を知りたいという彼の熱心さと誠実さとは、そのようなことで屈服する訳がなかったのであった。
藤井聡太少年のこと、
私はこの部分に引かれました、
以下に文字写し、
相手と戦うのではなく、 将棋盤と対峙している
子ども時代の藤井聡太は負けると将棋盤にしがみついて激しく泣いた。 「引きはがすのに苦労した」 という瀬戸市の「ふみもと子供将棋教室」の文本力雄は 「将棋を始めると何も見えない。すさまじい盤面集中だった」と振り返る。 将棋を考えながら歩いていて、 溝に落ちた逸話も有名だ。
谷川は語る。「彼は相手によって作戦を変えることはなく、 相手の得意戦法を外すこともしません。対戦相手と戦っているのではなく、 将棋盤と対峙しているのです。 子ども時代の将棋教室で培われた集中力と長時間考え続けられる力から来たのでしょう。 普通は1時間も考えていたら、 考えるのを休みたくなりますが、 彼は公式戦でも相手の手番の時間帯も休まず考え続けます」。
藤井は対局中、 ほとんど相手を見ない。 相手が羽生であれ、誰であれ関係ない印象だ。 ある意味、 社会体験が少ないから萎縮しないで済むのでは?とも思うが、谷川の見方は異なる。
「社会体験の多寡より、 彼は強い相手と将棋ができることが純粋にうれしいのでしょう。 将棋の真理を追究することを実現するためには相手が強ければ強いほどいい。 きっと初防衛戦で渡辺さんと豊島(将之竜王・叡王)さんが挑戦者になったことさえも喜んでいると思います。 普通は 「大変なことになったな』と思うものですが」と驚くのだ。
(この記事は2019年9月のものです)