ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

暴力に至らせない強さ

2013-02-01 19:51:49 | ルビーの日常
1月も半ばを過ぎると、もう春の足音が聞こえてきますね。
 
1月24日の写真です♪
 
今日から2月だからこれからが寒いんだけど~~・・・
でも陽射しが春なんですよね。
 
春をかすかに感じる陽射しの中
お散歩にでかけました。
 
 
落ち葉の間からヨモギが顔をだしていたり
1月24日の写真です♪
 
梅の蕾もそれなりに。
1月24日の写真です♪ブレちゃってますけど^^;
 
 
春の兆しの陽射しの中
ベンチに座ってルビーと二人
ぼーっと考えるんですよね。
動物に
「まず大好きになってもらう」ということが
どんなに大切なことか。
 
そこ(大好きになってもらう作業)を飛び越えてしまっては
何も始まらないんだよね。
 
「大好きな人」になる為の私的キーワード。
 
・叱らない(でもおもねらない)、
・否定しない(叱ってなくても否定してる人はいますね^^;私も気を付けないと)
・そして共感。
 
”共感”って
まだ実践できるところまで自分が行っていない気のすることの一つなのですが、
例えば人間同士の関係においても、
自分が経験したことのない物事に対して、”共感する”って難しいな、
と思っていました。
「わかる、わかるよ~~!」
と思っていても、実際は自分は体験していないのだから、
本当にわかってあげられているのだろうか?
わかるなんて、軽々しく言っちゃいけないのではないだろうか?
なんて思うことがしばしばあったのですが。
 
でも多分、そういう事ではないような・・・。
「同じ苦労を知ってるよ、同じ恐怖を感じるよ」
というのが共感なのではなく、
「あなたはそう感じているんだね」
というのが共感ですよね。
 
だから、”肯定”にも似てるのかな~?
と、最近思うようになりました。
 
例えば、自分が疑問に思ったことを質問したりした時に、
ヒントを出しながら答えに導いてくれる人がいますよね。
これも私にとっては”共感されている”と感じる事の一つなんですね。
疑問に思った自分に共感してもらえている。
という感じがするのです。
 
例えば質問した私に
「これはこうであれはこうで、だからこうでしょ?なんでわからないの?」
って、^^;
これは答えを教えてくれているけれど、
でもこの場合、答えを教えてくれてる人は
私を否定してますよね。
そういうのを感じると私はその人自身を疑うかもしれません。
 
人間がこんなに警戒心をもっているのだから、
動物たちはもっと敏感な気がします。^^;
 
”共感”って、ネガティブな感情にも必要だけれど、
ポジティブな感情にもとっても必要なことですよね。
辛いことには共感してもらえれば安心できるし、
嬉しい事に共感してもらえれば凄く幸せですもんね。
 
 
などという事を、
オオアカハラ(と思われます)がミミズを捕ってる姿をぼんやり
見ながらルビーと二人考えていたら、
今ニュースで話題の「体罰」の問題に行きつきました。
 
オオアカハラ(多分)。近くに人がいても平気なんですよね。^^;
 
スポーツの世界で良い成績を取ると、
選手とコーチが抱き合って喜んだりする光景をよく目にしますが、
私だったら、自分に体罰(暴力を伴った叱り)を与えたコーチと
喜びを共有するなんて無理だろうな・・・
共感とか・・・
そこにはあるのだろうか?
と思ってしまった。
 
 
「体罰が必要な時もある」
という人に
「それはどんな時?」
って聞いたら、
「言ってもきかない時」
 
って言うんですね。
じゃあ犬には言葉が通じないから体罰(リードショックやジャーク、叩くなど)が必要?
 
って話になってしまうけれど。
 
言葉が通じない動物にはなおさら体罰(暴力)はしてはいけないですよね。
犬は”体罰”が何であるかも知らないわけですから
「いけない事をしたから罰としてたたかれる」
なんて事に思い至れるわけもなく・・・。
「その人の傍にいると痛い事(嫌なこと)が起きる」
という「警戒心」が芽生えるだけだと思うのですよね。
「その人 = なんだか嫌な物」
という条件付がされるでしょう。
 
それで一緒に生活する生きものとお互いに幸せになれるかな?
疑問ですよね。
 
言葉が通じる人間同士だって、
体罰、つまりは暴力ですが、
それで得るものはあるだろうか、お互いに。
 
『体罰(暴力)』は言葉が通じても通じなくても必要のないものだと、
気が付き始めている人も多いとは思いますが。
 
何かに追い込まれたり、周囲のプレッシャーに押しつぶされそうになった時、
そこから来るストレスや怒りを発散する為に、
自分より弱い立場の人(もしくは、弱いとみなした人)に暴力を振るう。
 
本当の意味で”強い人”は暴力は振るわないですよね。
”弱い人”が自分の中でどうしようもなくなったわだかまりを発散させる為に
他に向けるもの。
それが暴力(体罰)なのではないでしょうか。
 
中には体罰(暴力)を否定しながらも、
言葉による暴力をはたらく人もいますね。
その言葉による暴力は、
また他の誰かを暴力に向かわせる発端になることもありますね。
 
暴力は、次の暴力をうみます。
 
だから私達は、
強い人であり続ける努力をしなければならないのかもしれません。
弱いと、「暴力」の様なネガティブなパワーをどこか他に向けてしまうかもしれないから。
 
弱いと、「暴力」まがいの様々な事を許してしまいそうになるから。
 
そんな事をボーッと考えたお散歩でした。
 
ネガティブなものを外から受け取ったり、
もしくはそういうものが自分の中に湧いてきてしまっても、
フワ~~っとそれを溶かしてしまうような、
そんな強さが欲しいね!
強いってそういう事だよね!
と、心の中でルビーに語りかける私なのでした。

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