遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『千里眼の水晶体』  松岡圭祐  角川文庫

2024-05-25 21:21:38 | 松岡圭祐
 千里眼新シリーズが始まった時、この第3弾までの3冊が一挙に刊行された。つまり、本書もまた平成19年(2007)1月の刊行である。

 今年、78歳になるジェフリー・E・マクガイアが回想する。それは終戦直後の1945年8月20日に、日本国内の夏場でも涼しげな気候の山村で行った軍事行動の記憶。日本軍が開発した生物兵器”冠摩”を秘匿する建物と兵器を確保せよという命令だった。冠摩は日本軍がインドネシアの蚊から抽出したウィルスを培養させたもので、このウィルスは亜熱帯性の気候と気温のなかでなければ生きられないという。
 実際の軍事行動は、呆れるほど小さな木造の小屋から、ミルクのビンくらいのサイズ、コルクの蓋で液体が入っていったビンを確保するだけで終わった。小屋の番人だった一人の日本兵は、ライフル銃と拳銃を乱射した後、日本刀で自決した。何とも不可解な記憶なのだ。この回想がいわばプロローグ。読者にはこれがどのように繋がるネタなのか予想もつかない。

 ストーリーは、国土交通省航空局の職員で羽田空港事務所に勤務する米本亮が、臨床心理士会事務局を訪れるところから始まる。着陸した飛行機から外に出たがらない乗客に対応するために臨床心理士に臨場を要請する依頼だった。応対した舎利弗浩輔は岬美由紀を推薦した。同僚と喫茶店に居て、山形県での大規模な山火事のニュース映像を見ていた岬美由紀は舎利弗から電話連絡を受け、羽田空港に急行する。
 美由紀は篠山里佳子という極端な不潔恐怖症の女性に対処し、飛行機から空港近くのホテルへの移動を納得させる。だが、部屋に入るなり、バスルームに駆け込み、シャワーを使いつづけるという状況。夫の篠山正平は、山形を本社とする古美術品買い取り業の会社の課長で、東京支社設立により転勤となり、妻と一緒に、東京で住む場所を探しに来たという。
 その状況の中に、山形県警の葦藻祐樹警部補が現れる。その葦藻の風姿は里佳子からすれば真っ先に不潔なイメージを誘発させるものだった。ここらあたり、読者を楽しませる設定になっている。葦藻は山形県の山火事は放火であり、実行犯と見られる容疑者は既に身柄を拘束されていて、その犯行に篠山里佳子の関わりがあるとみられている言う。
 篠山夫妻を観察している美由紀には、彼らが嘘をついていないと分かっている。葦藻は篠山里佳子を現地に同行し、任意で事情を聞きたいと主張する。美由紀は現状で里佳子を現地に同行することは土台無理な話と判断し、里佳子の話を聞いておき、美由紀が現地に代行として行こうと主張する。それが契機となり、美由紀は山形県の山火事事件の捜査に巻き込まれて行く。
 葦藻は目撃証言と入手証拠をもとに、里佳子の関与を裏付けようと試みていくが、美由紀が次々に反論を繰り出していく。さらに、放火の容疑者に美由紀は会わせてもらうことで、容疑者の竹原塗士の自白が嘘であると見抜く。このストーリーで、まずこの反論プロセスが読ませどころとなる。おもしろい。

 美由紀が山形県に居る間に、東京では緊急事態が発生していた。美由紀と篠山正平は、警視庁のヘリで来た米本に言われ、急遽東京に引き返す。千代田区立赤十字医療センターに直行する。美由紀たちは血液検査の後、予防接種をした上で、化学防護服を着こむという手順を踏まされる。篠山里佳子は顔中に赤い斑点を発症させていた。息はあるが、意識はほとんど不明という状態に陥っていたのだ。
 何と、その総合病院に、美由紀の友人雪村藍が緊急搬送されてきた。由愛香が付き添って来ていた。雪村藍の症状は里佳子の症状とうりふたつだった。

 千代田区立赤十字医療センターの20階の大会議室で防衛省の関係者と美由紀は会うことになる。そこで、防衛大学の授業でも触れられていた冠摩というウィルス兵器について極秘事項として聞かされた。現在の緊急事態がその冠摩を原因とする感染だという。
 不潔恐怖症の悩みをもつ人々が真っ先に感染する状況が急激に進行していた。
 山形県内でも同種の症状が続出しているという。葦藻が美由紀にその後の竹原の自供内容を連絡してきた。その時にこの症状に触れた。さらに竹原は西之原夕子という女のことを自供したという。その女がこの症状のことを口にしていたことも。

 これは生物兵器”冠摩”の成り立ちや効果を知る者の計画的犯行なのか。そうだとすれば犯人は? 冠摩の開発段階で症状を中和するワクチンの研究はなされていたのか? 
 葦藻が伝えてきた情報をきっかけに、美由紀の行動が始まっていく。
 そして、すべての事象が連関して行く事に・・・・。意外な事実が根源にあった。
 本作の読ませどころは、一筋の糸口が確かな解明への道筋に転換していくプロセスにある。次々に意外な連関が明らかになっていく。
 美由紀が戦闘機を自ら操縦し、手がかりを求めてハワイ・オハフ島に飛ぶことに!!
 冠摩を原因とする感染を阻止する治療法を解明するためのプロセスが読ませどころである。読者を一気読みへと突き進ませる。

 このストーリーの興味深い点は、美由紀が直面させられる
「本心を見抜けなかったわけではない。見抜いていたから真実に気づけなかったのだ」(p183)
という思いにある。

 この美由紀の思いの直前に、美由紀に投げつけられた揶揄がある。
「・・・・なんにも気づいていなかったの? ・・・・千里眼が本心を見抜けないなんて、どうなってんの? いっぺん眼科に診てもらえば? 角膜に異常がなければ、水晶体がおかしくなってるのかもよ」(p183)
タイトル「千里眼の水晶体」はこの揶揄に由来すると言える。

 読了後に振り返り、読者の思考を右往左往させるプロットの組み立て方が実に巧妙だと感じた次第。楽しめる作品である。

 ご一読ありがとうございます。

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