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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『陰陽師』  夢枕 獏   文春文庫

2025-02-05 21:17:08 | 夢枕獏
 昨年、紫式部に光をあてたNHKの大河ドラマ「光る君へ」を『源氏物語』との関わりから視聴し続けた。その中で、藤原道長にしばしば呼び出されて意見を述べる安倍清明に興味を抱いた。大河ドラマを見た副産物である。
 そこでふと、かつて夢枕獏の陰陽師シリーズがベストセラーになったことを思い出した。当時は安倍清明に関心がなかった。今になって、このシリーズで、安倍清明がどのように取り上げられどのように描かれているのだろうか、に関心が湧いてきた。

 陰陽師シリーズ、今ではロングセラーになっているようである。
 奥書を見ると、昭和63年(1988)8月に単行本が刊行され、1991年2月に文庫化されている。入手した文庫は、2011年3月第51刷と記されている。その後さらに増刷されていることだろう。
 
 京都は地元でもあり、京都の晴明神社や一条通り堀川にある戻橋、晴明神社飛地は、かなり以前に探訪している。趣味の寺社探訪で古都京都の土地鑑もかなりできているので、平安京を舞台とするこの小説は、ストーリーの背景をイメージしやすくて楽しめることに気づいた。
 晴明神社や戻橋は、テレビ報道で繰り返し取り上げられている。陰陽師安倍清明はやはり人気があるのだろう。

 この第1弾を読み始めてまず知ったことは、本書が短編連作集であるということ。手にするまでは、何となく長編小説というイメージを抱いていた。
 つまり、短編一編なら比較的短時間で読了可能、読者として気軽に読み進めやすい。
 
 本書は次の6編が収録されている。
   玄象という琵琶鬼のために盗らるること
   梔子の女
   黒川主
   蟇
   鬼のみちゆき
   白比丘尼
 一応、初作から順番に通読した。だが、それぞれ独立した小品なので、読後印象としてはどれから読んでもそれほど影響はないように思う。
 
 この陰陽師シリーズ、最初の短編 <玄象という琵琶鬼のために盗らるること> の冒頭の導入が実に巧みである。書き出しは「奇妙な男の話をする」という一文。これは読者の心をぐっと惹きよせる。名前・職業を安倍晴明・陰陽師とまず述べる。その続きに、「生まれたのは延喜二十一年の頃、醍醐天皇の世らしいが、この人物の生年没年は、この物語とは直接関係がない。物語のおもしろみとしては、そんな数字などはっきりさせぬ方がかえっていいのかもしれない。
 それはいずれとも決めまい。
 ほどよく、成行に応じて、自由に筆を進めてゆこうと思う。そういうやり方こそが、この人物の話をするにはふさわしかろう」(p9-10)と記す。
 平安時代に実在した陰陽師・安倍清明を、これから自由に描き出すというフリーハンドの宣言に等しい。フィクションなのだと先手を打っている。

 そして、巧みなのは、この短編の設定にある。他の5編のタイトルと比べて、初作のタイトルが長ったらしい。<玄象という琵琶鬼のために盗らるること> 。だが、ここに重要な要素が盛り込まれている。
 琵琶という楽器に「玄象」という銘がついている。これは唐から伝来した醍醐天皇の秘蔵品。今上天皇(村上天皇)の御代に「鬼」が盗んだとする。となれば、なぜ盗まれたのか。その行方を追い、琵琶を奪還するという展開が想像できる。
 この短編、『今昔物語』という語あるいは文を時折援用しつつ、ストーリーが進展する。

 この短編の骨格は、安倍晴明の屋敷に、源博雅朝臣という武士が訪れて、琵琶「玄象」が盗まれたことと、博雅がその琵琶の鳴る音を羅生門で聞いたことを告げる。そして、その事実を確かめた上で、その琵琶を取り戻そうという展開になる。その確認には、琵琶の名手、蝉丸法師が加わる。翌日、鬼から琵琶を奪還する折には、鹿島貴次という武士と後で名が玉草とわかる女が加わる。鬼の正体が明らかになる。琵琶「玄象」は無事に晴明と博雅の手許に戻る。清明は「玄象」に鬼のために呪をかけるというオチがついている。その経緯が読ませどころとなる。

 この短編、末尾に『今昔物語』巻第二十四から、四行の引用文が付記されている。
 手元に、佐藤謙三校註『今昔物語集 本朝世俗部 上巻』(角川日本古典文庫)があるので、それで確認すると、巻第二十四の中ほどに、第24番目の話として文庫本で約2ページの本文が載っている。その見出しが「玄象の琵琶、鬼の為に取られし語(玄象琵琶為鬼被取語)」なのだ。
 つまり、長い見出しの意図がわかる。この短編、単なるおもしろいフィクションだけではなく、当時の現実味を帯びた情報の出を巧みに織り込むことで、リアル感が高まることになる。
 『今昔物語』に載る原文を読んでみると、この話は源博雅だけが当事者として関わている。安倍清明は一切登場しない。「玄象琵琶為鬼被取語」を発想のヒントにして、著者の想像力が羽ばたき、安倍晴明・源博雅等の鎮魂武勇譚というフィクションを巧妙に構築していることが歴然となる、実におもしろい!

 安倍清明は大河ドラマとは大きく異なる設定がこの初作で明記されている。(p21-22)
要約すると、
*長身で、色白く、眼元の涼しい秀麗な美男子
*かなりみだりに方術を使っては、人を驚かせることを楽しんでいる。子供心がある。
*宮中の女共の噂にのぼる人物
*上の者に如才なく、一方でぶっきらぼうな側面も満ち合わせる
*上品な微笑と下品な笑みを併せ持つ。程よい教養とともに、人の道の裏側、闇も知る。というところ。これもまた面白さを加味する要素になりそうである。

 私の読了記憶では、それに続く5編にはストーリーの発想の原点になる典拠あるいはヒントがあるのかどうか、引用形式で触れられた文言はない。著者の完全な創作なのだろうか・・・・。

 以下、各編についてごく簡単にご紹介したい。

< 梔子(クチナシ)の女(ヒト) >
 源博雅が安倍清明を訪れ、宮中での歌合せでの壬生忠見の件を話題にした後、博雅が声明に、油瓶の怪奇現象が発生した件を話題にする。そこに梔子の女が関わっていた。清明がこの件に関わっていく。


< 黒川主 >
 ここでも源博雅が人の気配がしない安倍清明の屋敷での会話から始まる。式神と呪が話題になった後、鵜匠の賀茂忠輔の困りごと、妖異の事象を博雅が話題にする。孫の綾子のもとに、夜な夜な黒川主と名乗る男が現れるという。清明はその解明に乗り出していく。 勿論、この怪異現象の正体を清明が解明することに・・・・・。そして、呪の話に回帰していく。
 この短編連作では、呪というものが一つのテーマになっているようである。
 少しずつ、呪の関わり、領域が広がっていくようだ。
 

< 蟇 >
 これも、源博雅が安倍清明の屋敷を訪れての語らいから始まる。清涼殿で博雅が耳にした蝉丸法師の話から始まり、晴明が蟇(ヒキ)の所にでかけるというので、博雅が同行するという体験談。尾張義孝の子供のあやかしに関係する怪異現象譚。
 清明と博雅は危地に陥るが、それを掬うのが綾女。その綾女がどこからきたのかにも最後におもしろいオチがついている。蟇についてもちゃんと落としどころがあっておもしろい。


< 鬼のみちゆき >
 亥の刻を半ば過ぎた頃に、赤髪の犬麻呂と呼ばれる盗人が、ぼうっと燃える鬼火と共に、牽くもののない牛車と男女二人の人影が自分の方にむかってくるのを目撃する。犬麻呂が問うと、内裏まで行くと車の中の女が応えた。犬麻呂は捕らえられた後、この目撃内容をうわごとで言ったという。この博雅の話を聞き晴明がこの妖異の解明に乗り出していく。博雅が清涼殿を辞して用事で東寺に向おうとしていた時、女童を介して女から文と歌をもらったという。この歌も、この妖異に絡んでいたのだった。
 帝が絡んでくる妖異現象のなぞ解きが興味深い。


< 白比丘尼 >
 猫の発した晴明のような声での伝言を聞き、博雅は夕刻、晴明の屋敷を晴明の要望通り刀持参で訪れる。清明一人が住む屋敷の庭に、夜、30年ぶりだと言って、黒い僧衣を身にまとい、頭に黒い布を冠った女があらわれた。
 清明は、この女に対して禍蛇追いの法を修するというのだ。それに博雅は一役担うことになる。
 この話は、映像化できるとすれば、怪異と妖艶をミックスしたものにならざるを得ない。映像化はむずかしい短編の気がする。
 この短編、死とは何かが根底にあると思う。

 さて、陰陽師シリーズを読み継ぐ一歩を踏み出そう。

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
晴明神社  ホームページ
  安倍清明公逸話集
晴明神社  :ウィキペディア
戻橋 - 京都市  :「京都観光Navi」
羅城門  都市史  :「フィールド・ミュージアム京都」
安倍清明   :ウィキペディア
安倍清明   :「ジャパンナレッジ」
陰陽師 安倍清明  :「阿部文殊院」

15.安倍晴明生誕伝承地   :「大阪市」

拙ブログ記事 ~楽天ブログに「遊心六中記」として掲載~
探訪 [再録] 京都・洛西 天龍寺とその界隈 -4 龍門橋(歌詰橋)・長慶天皇陵・晴明神社飛地・角倉稲荷神社・鹿王院 

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『仰天・俳句噺』  夢枕獏   文藝春秋

2023-06-04 15:09:49 | 夢枕獏
 内表紙、目次の次に、再び本書のタイトルを記したページが来て、そこに「季語は縄文の神が棲まいたもう御社(みやしろ)である」という副題が記されている。この発想がまず仰天でありおもしろいと思う。本書はエッセイ集。著者が己の過去と現在の時の流れの中で、言いたい放題を語っている感じをうける。だが、一方で、著者の創作遍歴とその当時の背景を垣間見られるという点の面白さが加わる。
 本書は、「オール讀物」(2021年6月号~2022年2月号)に連載された後、加筆され2022年6月に単行本が刊行された。

 本書から知ったこと、感じたこと、読後印象などを交えて、列挙してご紹介したい。
1.著者は2021年3月22日に「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」というガンになってしまった。抗ガン剤での治療を継続しながら、このエッセイともうひとつの連載だけを続けたという。その他の連載作品その他はストップ。本書を読むまでは、著者がガンになっていたことを全く知らなかった。このとき著者は70歳。「あとがき」も再入院中に記されている。

2.本エッセイ集は、その文体がコロコロと変化していく。好き勝手に書いているようにすら感じる文体もあり、その変化自体がある意味おもしろい。告白調の記述文体がいくつも出てくる。著者自身が、抗ガン剤の影響を受けてハイになった状態で書いたエッセイと後半のエッセイとでは文体が変化している点を自覚して書いている。意図的に文体を変えたわけではなさそう。でも、ここに夢枕獏の作家としての本領の一端が垣間見えるとしたら、これもまたおもしろい。

3.「第一回 真壁雲斎が歳したになっちゃた」のエッセイで知ったこと。真壁雲斎もそうだが、著者が集英社から、『仰天・プロレス和歌集』(1989)、『仰天・文壇和歌集』(1992)という「仰天和歌」の本を出しているなんてことも初めて知った。著者自身が例示している中から幾つか引用してみる。
 膝に疾るこの痛みを我問わん 膝十字固めときには言いけり
 ”とうちゃんはプロレスラーです”という作文 息子は引き出しにそっとしまいおり
 あの賞が欲しいと口にはせねど欲しいと作品が叫んでいる
 しらじらと夜は明けて原稿用紙もしらじら
 新しい濡れ場書くたびに”この女は誰なのよ”妻への言いわけ先にネタが切れ
 木枯しにコートの襟ちょっと立ててしまうきみのこころにもすんでいる北方謙三 p10

4.「第4回 『おおかみに蛍が一つ--』考」にはいくつか興味深い記述がある。
 *金子兜太作句「おおかみに蛍が一つ付いていた」について、論じていること。
 *日本の三大偉人は空海、宮沢賢治、アントニオ猪木と著者は主張してきた。しかし
  著者はアントニオ猪木を偉人から外した経緯を語る。
 *宮沢賢治とはある意味真逆の要素を持つ高村光太郎の詩を好きだと論じていること。 *夏井いつきさんの夫が肺癌の手術をされたという。その時の夏井いつきさんの作句
  「蛍草」と題の付けられた全12句が紹介されている。

5.著者は、ガン治療のために一時ストップしている諸連載について触れるいっぽうで、己の脳内にふつふつと新たな作品への発想が湧いてくること、その発想内容を具体的に書き、熱く語っている。作品のネタはつきないようだ。創作への強い思いを感じる。

6.仰天俳句に至る経緯の間に、著者の様々な作家人生の側面が、自由奔放というか、ハチャメチャというか、著者の思いのままに、あちら行き、こちら行きという風に織り込まれていく。
 で、著者が物語作家脳を俳句脳にする上で、影響を受けたのが、「プレバト」の俳句であり、夏井いつきさんだと記す。仰天俳句の作句までの経緯が、断片的に織り込まれるかの様に綴られ最後に着地するのだから、おもしろい。
 このエッセイ集は、「最終回 幻句のことをようやく」の最後に、著者作の俳句を「黒翁の窓」とタイトルを付け、19句載せて着地する。その最後の句は、
 おいガンよ蓮華を摘みにいかないか
   籠にワインとクラッカー入れ(いつき)  夏井いつきさんの七七の付け句
さらに、再入院の時の作句として、二句載っている。
 夜嵐にいくつ鳴るやら除夜の鐘
 野の仏桜の雨の降りませと

 他にもいろいろあるがこのくらいに留め、印象的な文を最後にご紹介しておこう。
*漢字とは何か。
 それは、世界で一番短い神話である。それは、世界で一番短い物語である。 p111
*縄文の考え方として、「この世の全てのものには霊が宿っている」というものがあります。  p204
*縄文の神とは--「それは宿神である」ということになる。
 宿は、酒であり、咲であり、佐久でもあり、坂であり、シャカであり、宿神すなわち、守宮神であり、ミシャグチ神であり、なんと我らが陰陽師、安部清明があやつるところの式神であるということになる。芸能で言えば、これは、翁ということになる。 p209
*宿神は、摩多羅神であり、宿であり、それらはつまり縄文の神ではないかと僕は思っているのである。  p216
*型あればこそ、多くの芸事は成立しているのではないか。必要なのは、この型に心をのせることだ。型を学んでこそ、”かたやぶり”なこともできるのである。  p266
*言葉にどれほどの力があるのだろうか。
 物語に、どれほどの力があるのだろうか。
 そんなことを日々考えちゃう。
 わからん。
 わからんよねえ、諸君。
 わからんが、ただ---
 仕事は、やろう。
 原稿を、やろう。
 釣りも、やろう。
 言葉には、力がある。
 言葉には、力がある。
 言葉には、力がある。
 物語には、力がある。
 ここを、死守したい。
 どれだけ空しくとも、そう言わねばならない。
 ここが、自分の住む国だからである。
 もんくあるか。            p341-342

 読者にとっては、まさに作家夢枕獏を知るためのエッセイ集と言える。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
びまん性大細胞型B細胞リンパ腫  :「がん情報サービス」
真壁雲斎 ⇒ キマイラ・吼  :ウィキペディア
宿神    :「コトバンク」
摩多羅神  :ウィキペディア
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