鬼役シリーズの第6弾! そのタイトル通り、「間者」をモチーフとする中編連作集と言える。三作品が収録されている。それぞれ110~120ページほどで相互に連環していく小説である。
文庫書下ろしとして、2012年9月に初版が刊行された。手元の文庫は2014年4月第5刷。
将軍の毒味役(鬼役)である矢背蔵人介は、この第6弾でも引き続き御小姓組番頭の橘右近から呼び出され指示を受ける立場にいる。しかし、橘右近に知られているかつてのもう一つの顔・暗殺役について、右近の命令を受けて働くことは拒絶しつづけている。一線を画すという立場を堅持する。とはいえ、橘右近から指示を受けて、蔵人介が調べ始める事案の実態が明らかになって行くと、結果的に蔵人介は長柄刀の来国次を抜くことになる。悪をこの世にはびこらさぬために・・・・・。なぜ、長柄刀を抜かねばならぬのか、その必然性を蔵人介が感じ取り、読者もうなづけるに至るプロセスがこのシリーズの読ませどころなのだ。
三作品はそれぞれ一区切りの結末をみせながら、底流では謎の根源を追い求め、ステージを変えて連環していくことになる。それぞれの作品について、簡略にご紹介し、読後印象も付記する。
この第6弾は、天保6年(1835)如月から始まる。日本史の年表を参照すると、徳川第11代将軍家斉の在位の晩年期にあたる。天保5年3月に、水野忠邦が老中に加わった。一方、1833年に天保の大飢饉が発生し、継続している。この時代背景は重視されるべきであろう。
< 鈴振り谷 >
如月15日、宿直明けで帰宅する折、蔵人介は、従者の串部六郎太の諫めを無視して、近道となる番町の谷底への急坂、鈴振り谷を歩む。蔵人介は谷道の途中で、辻籠の担ぎ手変じて強盗を行う輩に狙われる。勿論難なく撃退するが、寒木瓜の枝葉に揺れるものが目に止まる。それは駕籠図だった。
帰宅すると、義弟の綾辻市之進が来ていた。市之進は、一昨晩、一関藩の元藩士で浪人の有壁大悟が一関藩中屋敷門前で殺された事件を探索中だった。その手口から下手人はかなりの手練れだという。その場所が、駕籠図に朱でX印を付けられた場所に一致していた。殺された有壁は、高価な螺鈿細工の帯留めを握り占めていたという。駕籠図と帯留め。蔵人介は、義弟の探索する事件に自ら関心を抱き、首を突っ込んでいく。
一方、雲上では、水野出羽守忠成が毒殺され、中奥出入りの医師が斬られるという事件が起こっていた。水野忠成の死は病死として扱われ、水野忠邦が老中に加わる結果となっていた。
有壁殺しと奥医師殺しの下手人が同じであると結びつく。そんな矢先に、蔵人介は橘右近から呼び出される。右近の話は、江戸城の大奥と絡み、感応寺建立という話に結びついていた。それは幕府の財政を揺るがすほどに影響が出る事案でもあった。蔵人介はその事案にからむ闇の部分に踏み込まされていくことに・・・・。
このストーリーで、間者として活躍するのは公人朝夕人の土田伝右衛門だろう。
「気持ちの保ちようが、生死を分けた」(p119)と蔵人介が思う一行が、哀しみの余韻を残す。
< 夜光る貝 >
飢饉の影響が大きい最中にもかかわらず、雑司ヶ谷の鼠山での感応寺の建立が公方家斉の鶴の一声で動き出す。それが真っ先に近隣の弱小町民に悪影響を及ぼし始める。この寺の建立が御政道に益なしと考えるものが蔵人介の身近にも現れる。新参の鬼役・八木沼蓮次郎、奥御右筆・長谷部新之丞である。長谷部により、蔵人介は一関藩江戸留守居役鳥谷玄蕃に引き合わされる。蔵人介は鳥谷から有壁大悟と彼の妹・古耶が間者として親藩である仙台藩の内情を探っていたという事実を聞かされる。一関藩は仙台藩からの頸木を逃れ独立することをめざしてきたという。
蔵人介には鳥谷の話から、幕府を巡る陰謀が見え始めてくる。市之進から預かっていた帯留めには、一枚の紙が隠されていたことがわかる。それが糸口となり、蔵人介は古耶に協力して、さらに探索の深みに邁進していくことに・・・・。
いくつもの事案が、利権と思惑が絡み合う複雑な人間関係の中で、進展し一方で頓挫していく。そのただ中、蔵人介が己の意思で一層関わりを深めていく姿が興味深い。
また、おさとと古耶という女性が登場するが、この女性たちに対処する蔵人介の心理描写がこのストーリーの魅力の一つになると私は思う。
< 黄金の孔雀 >
冒頭で余談だが、このシリーズを読み継ぐにつれ、公方家斉という人物像の愚劣さが鼻についてきている。本作冒頭の雑司ヶ谷の鷹場における家斉の描写にはさらに嫌悪感が増すという次第。そこからふと著者の造形したこの家斉像は歴史上実在した人物に肉迫しているのだろうか。それとも純然たるフィクションとしての造形なのか。その点が気になってきている。
それはさておき、中尊寺金色堂を江戸に移設すると家斉が妙案を出すところから、とんでもない事態へと急進的に波紋が広がり、ノンストップでストーリーが進展していくところが、本作のおもしろさである。
まず、一関藩江戸留守居役の鳥谷玄蕃が腹を切る。蔵人介が同じ日に佞臣二人から声をかけられる。新参の鬼役・八木沼蓮次郎が悶絶のすえ果てる。
数日後、裃姿で御濠端を歩く蔵人介は剃髪した古耶に出会う。古耶から「奥州人の気骨」を告げられる。さらに謎の黒幕について、鳥谷があるとき語っていたというヒントめいたことを古耶から知らされる。
古耶の恨みをはらしてやるという思いが、蔵人介の行動力の原点となる。蔵人介は黒幕の究明に踏み込んでいく。そして、遂に・・・・。
老中水野忠邦の君命を受け、蔵人介は鬼役本来の使命に徹することになる。使命を貫徹するも、蔵人介には虚しさだけが残ったのではないか・・・・・そう思う。
それはなぜか・・・・は本作を読んで、感じ取っていただきたい。
収録三編のうち、場面展開のスピード感はこのストーリーが頭抜けていると感じる。
さて、最後に蔵人介の言として次の一文が記されていることに触れておこう。
「黄金の孔雀とは、中尊寺金色堂の須彌壇に描かれた阿弥陀如来の眷属にござる」(p344)
ご一読ありがとうございます。
補遺
関山 中尊寺 公式ホームページ
金色堂について
中尊寺 :ウィキペディア
ヤコウガイ :ウィキペディア
螺鈿とは :「武蔵川工房」
いわての5ほうび ~螺鈿(らでん)細工~|岩手・盛岡市|5きげんテレビ YouTube
徳川家斉 :ウィキペディア
徳川家斉 40人の側室に55人の子を産ませた裏に破戒坊主 :「NEWSポストセブン」
教科書に載らない大奥のスキャンダル ~禁断の「智泉院事件」とは :「草の実堂」
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文庫書下ろしとして、2012年9月に初版が刊行された。手元の文庫は2014年4月第5刷。
将軍の毒味役(鬼役)である矢背蔵人介は、この第6弾でも引き続き御小姓組番頭の橘右近から呼び出され指示を受ける立場にいる。しかし、橘右近に知られているかつてのもう一つの顔・暗殺役について、右近の命令を受けて働くことは拒絶しつづけている。一線を画すという立場を堅持する。とはいえ、橘右近から指示を受けて、蔵人介が調べ始める事案の実態が明らかになって行くと、結果的に蔵人介は長柄刀の来国次を抜くことになる。悪をこの世にはびこらさぬために・・・・・。なぜ、長柄刀を抜かねばならぬのか、その必然性を蔵人介が感じ取り、読者もうなづけるに至るプロセスがこのシリーズの読ませどころなのだ。
三作品はそれぞれ一区切りの結末をみせながら、底流では謎の根源を追い求め、ステージを変えて連環していくことになる。それぞれの作品について、簡略にご紹介し、読後印象も付記する。
この第6弾は、天保6年(1835)如月から始まる。日本史の年表を参照すると、徳川第11代将軍家斉の在位の晩年期にあたる。天保5年3月に、水野忠邦が老中に加わった。一方、1833年に天保の大飢饉が発生し、継続している。この時代背景は重視されるべきであろう。
< 鈴振り谷 >
如月15日、宿直明けで帰宅する折、蔵人介は、従者の串部六郎太の諫めを無視して、近道となる番町の谷底への急坂、鈴振り谷を歩む。蔵人介は谷道の途中で、辻籠の担ぎ手変じて強盗を行う輩に狙われる。勿論難なく撃退するが、寒木瓜の枝葉に揺れるものが目に止まる。それは駕籠図だった。
帰宅すると、義弟の綾辻市之進が来ていた。市之進は、一昨晩、一関藩の元藩士で浪人の有壁大悟が一関藩中屋敷門前で殺された事件を探索中だった。その手口から下手人はかなりの手練れだという。その場所が、駕籠図に朱でX印を付けられた場所に一致していた。殺された有壁は、高価な螺鈿細工の帯留めを握り占めていたという。駕籠図と帯留め。蔵人介は、義弟の探索する事件に自ら関心を抱き、首を突っ込んでいく。
一方、雲上では、水野出羽守忠成が毒殺され、中奥出入りの医師が斬られるという事件が起こっていた。水野忠成の死は病死として扱われ、水野忠邦が老中に加わる結果となっていた。
有壁殺しと奥医師殺しの下手人が同じであると結びつく。そんな矢先に、蔵人介は橘右近から呼び出される。右近の話は、江戸城の大奥と絡み、感応寺建立という話に結びついていた。それは幕府の財政を揺るがすほどに影響が出る事案でもあった。蔵人介はその事案にからむ闇の部分に踏み込まされていくことに・・・・。
このストーリーで、間者として活躍するのは公人朝夕人の土田伝右衛門だろう。
「気持ちの保ちようが、生死を分けた」(p119)と蔵人介が思う一行が、哀しみの余韻を残す。
< 夜光る貝 >
飢饉の影響が大きい最中にもかかわらず、雑司ヶ谷の鼠山での感応寺の建立が公方家斉の鶴の一声で動き出す。それが真っ先に近隣の弱小町民に悪影響を及ぼし始める。この寺の建立が御政道に益なしと考えるものが蔵人介の身近にも現れる。新参の鬼役・八木沼蓮次郎、奥御右筆・長谷部新之丞である。長谷部により、蔵人介は一関藩江戸留守居役鳥谷玄蕃に引き合わされる。蔵人介は鳥谷から有壁大悟と彼の妹・古耶が間者として親藩である仙台藩の内情を探っていたという事実を聞かされる。一関藩は仙台藩からの頸木を逃れ独立することをめざしてきたという。
蔵人介には鳥谷の話から、幕府を巡る陰謀が見え始めてくる。市之進から預かっていた帯留めには、一枚の紙が隠されていたことがわかる。それが糸口となり、蔵人介は古耶に協力して、さらに探索の深みに邁進していくことに・・・・。
いくつもの事案が、利権と思惑が絡み合う複雑な人間関係の中で、進展し一方で頓挫していく。そのただ中、蔵人介が己の意思で一層関わりを深めていく姿が興味深い。
また、おさとと古耶という女性が登場するが、この女性たちに対処する蔵人介の心理描写がこのストーリーの魅力の一つになると私は思う。
< 黄金の孔雀 >
冒頭で余談だが、このシリーズを読み継ぐにつれ、公方家斉という人物像の愚劣さが鼻についてきている。本作冒頭の雑司ヶ谷の鷹場における家斉の描写にはさらに嫌悪感が増すという次第。そこからふと著者の造形したこの家斉像は歴史上実在した人物に肉迫しているのだろうか。それとも純然たるフィクションとしての造形なのか。その点が気になってきている。
それはさておき、中尊寺金色堂を江戸に移設すると家斉が妙案を出すところから、とんでもない事態へと急進的に波紋が広がり、ノンストップでストーリーが進展していくところが、本作のおもしろさである。
まず、一関藩江戸留守居役の鳥谷玄蕃が腹を切る。蔵人介が同じ日に佞臣二人から声をかけられる。新参の鬼役・八木沼蓮次郎が悶絶のすえ果てる。
数日後、裃姿で御濠端を歩く蔵人介は剃髪した古耶に出会う。古耶から「奥州人の気骨」を告げられる。さらに謎の黒幕について、鳥谷があるとき語っていたというヒントめいたことを古耶から知らされる。
古耶の恨みをはらしてやるという思いが、蔵人介の行動力の原点となる。蔵人介は黒幕の究明に踏み込んでいく。そして、遂に・・・・。
老中水野忠邦の君命を受け、蔵人介は鬼役本来の使命に徹することになる。使命を貫徹するも、蔵人介には虚しさだけが残ったのではないか・・・・・そう思う。
それはなぜか・・・・は本作を読んで、感じ取っていただきたい。
収録三編のうち、場面展開のスピード感はこのストーリーが頭抜けていると感じる。
さて、最後に蔵人介の言として次の一文が記されていることに触れておこう。
「黄金の孔雀とは、中尊寺金色堂の須彌壇に描かれた阿弥陀如来の眷属にござる」(p344)
ご一読ありがとうございます。
補遺
関山 中尊寺 公式ホームページ
金色堂について
中尊寺 :ウィキペディア
ヤコウガイ :ウィキペディア
螺鈿とは :「武蔵川工房」
いわての5ほうび ~螺鈿(らでん)細工~|岩手・盛岡市|5きげんテレビ YouTube
徳川家斉 :ウィキペディア
徳川家斉 40人の側室に55人の子を産ませた裏に破戒坊主 :「NEWSポストセブン」
教科書に載らない大奥のスキャンダル ~禁断の「智泉院事件」とは :「草の実堂」
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