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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『文庫版 魍魎の匣』  京極夏彦  講談社文庫

2025-03-19 23:29:11 | 京極夏彦
 私が入手したのは、1999年9月に刊行された文庫本、第1刷。
 本書のタイトルには「文庫版」という語句が冠されている。本作の後のページを見て、理由がわかった。『魍魎の匣』は1995年1月に講談社ノベルズとして刊行された。その後「文庫版として出版するにあたり、本分レイアウトに併せて加筆訂正がなされています」という変更による。しかし、「ストーリー等は変わっておりません」と記されている。「本分レイアウト」の語句は記載通りママで引用した。この文庫版からの読後印象を記す。
 
 調べてみると、現在の文庫版はこの表紙に切り替わっている。

 本書は『姑獲鳥の夏』に次ぐ京極堂シリーズ第2弾。30年前に出版された作品を今頃やっと読み終えた。文庫サイズで、作品本文の最終ページはなんと1048ページである。こんな分厚い小説のシリーズはこれくらいではないか。ノベルズでの購入本があるので、1冊の文庫としてこれだけの厚みの作品を読むのは初めて。第1作はノベルズで読んだ。文庫で上・下本に分冊されている他の作家の作品は数多くある。上・下巻合わせて600~800ページくらいのものが多いと思う。なので本の内容に入る前に、まずこのボリュームが驚きである。読み始めるには少し気合がいる。

 「魑魅魍魎」という熟語がある。手元の『新明解国語辞典 第5版』(三省堂)を引くと、「魑魅」は「山の精。すだま」。「魍魎」は「古代人がその存在を信じていた、山・川や木・石の精」と説明してある。
 本書の冒頭には、『今昔續百鬼・巻之下』に収載の魍魎の絵図が引用掲載され、その続きに、絵図に記載の文が載っている。「魍魎---形三歳の小児の如し、色は赤黒し、目赤く、耳長く、髪うるはし。このんで亡者の肝を食ふと云」と。こちらの方がより具象的な説明となっている。
 いずれにしても、現代人の意識・感覚では乏しくなっている領域になる。自然界にリンクして想像力が生み出した神霊・悪霊の領域、そんな世界を作品の背景に重ねている。こわいもの見たさというムードを漂わせているところが読者の心理としておもしろさの根底にある。
 「匣」は、「①はこ。こばこ。てばこ。②おり(檻)」と説明されている。(『角川新字源』)

 ストーリーは、昭和27年時点の事件として扱われていく。「荒川バラバラ殺人事件が起きたのは今年---昭和27年の5月のことである」(p135)という記述からわかる。

 冒頭に二人の少女が登場する。楠本頼子と柚木加菜子。同じクラスであり、加菜子が頼子に話しかけたことがきっかけで二人は友人となる。加菜子は頼子に「楠本君。君は私の、そして私は君の生まれ変わりなんだ」「私が死んで君になる。君が死んで私になるのさ。死んでしまえば時間なんて関係ない」(p22)という語りかけをする場面がある。また頼子は母との口論の中で「そんなの人間じゃなくて、お化けか、もうりょうです!」(p26)という言葉を母親からなげかけられる。冒頭から異界にリンクする接点が織り込まれている。巧みな伏線が敷かれていく。
 頼子と加菜子は、夏休みの三度目の金曜日に、最終列車に乗って、どこか遠くの湖へ行く約束をした。だが、待ち合わせた駅、中央線武蔵小金井駅のホームで、加菜子は入って来た最終列車が止まる直前に転落し、瀕死の重傷を負う。この列車にたまたま東京警視庁捜査一課所属の木場刑事が乗り合わせていた。

 木場は重症を負った少女の顔を見て、見覚えがあると感じた。そのこだわりが、木場を事件に巻き込んでいく。加菜子が応急処置を受けた病院から、母の柚木陽子は、懇意にしているという「美馬坂(ミマサカ)近代医学研究所」に加菜子を移す。木場は己の本務を棚上げし、上司すら無視して、この研究所に張り付き、この事件に対し単独行動をとるようになっていく。病院を移る時に、加菜子は全身ギブスだらけで身動きできない状態だった。
 この研究所は、神奈川県に所在し、普通の病院とは全く異なり、四階建てくらいに見える完全な立方体の箱のような奇抜な建物だった。建物内部も、奇妙なところである。
 なぜか、その加菜子の誘拐予告状が届いたということで、国家地方警察神奈川県本部から警部以下多数の警察官がこの研究所の警備に集まるという事態に進展する。木場は邪魔者扱いされる。
 そんな最中で、身動きできないはずの加菜子が誘拐されたのだ・・・・・・。

 この事件とはパラレルに、作家関口巽の行動が進展していく。関口は生活の為にカストリ雑誌の生き残り『月刊實録犯罪』に楚木逸巳のペンネームで寄稿している。その出版社・赤井書房の青年編集者鳥口守彦に頼まれる形で、取材活動に関口が巻き込まれる羽目になる。荒川バラバラ殺人事件の後、連続して直近でバラバラ殺人事件が発生していたからである。鳥口が運転するポンコツの車に同乗し、相模湖の現場まで出かけて行く。だが、その後、武蔵野連続バラバラ殺人事件が起こる展開となっていく。
 車で相模湖へ向かう道中で、鳥口は関口に「穢封じ御筥様」というお祓い憑き物落としが流行っていると語った。悪霊とか憑き物を教祖が祈祷して箱の中に祈り封じ込めるというのだ。これが別途、サブ・ストーリーとして動き出す。 
 関口は連続バラバラ殺人事件と「穢封じ御筥様」に関わりを深めて行くことに・・・・。

 さらに、もう一つの動きが加わる。増岡という弁護士が、榎木津礼二郎の探偵事務所に調査依頼を持ち込んでくる。誘拐された加菜子を探すという仕事である。加菜子には遺産相続問題が絡んでいたのだ。榎木津は木場と行動をともにする局面も生まれていく。

 本作には、異質な独白的ストーリーがさらに断続的に挿入され、こちらも怪奇猟奇的点描として進展していく。祖母の葬儀のために休暇を取って郷里に向かう男は、匣を持つ男と乗り合わせる。その男から匣の中に日本人形のような綺麗な娘の顔、胸から上がぴったり入っているのを見せられる。帰郷途中の男はその匣に魅了されてしまう。別れた後に、その男はその匣が欲しくなっていく。幻想的ですらある点描が続く。

 それぞれ異なる観点で活動している主な登場人物が出そろってくる。木場、関口、榎木津。彼らは順次、己の疑問を抱え、古本屋の京極堂を訪ねることになる。中禅寺秋彦は彼らの持ち込んできた情報と状況をじっくりと聴くことから、関りを深めていく。
 これがどうもこの京極堂シリーズの一パターンになりそうな気がする。

 紆余曲折し、複雑に絡みあった情報を、陰陽師でもあり、様々な領域の知識・造詣のある中禅寺秋彦が、情報を整理・分析し、状況を明解にしていく。自らも必要であれば事実を解明するために現場に乗り出していくことを厭わない。
 
 読者をあちらこちらに振り回すストーリーの流れ、その構成がまずおもしろい。
 混沌とした情報群の間で、徐々にそれぞれの相互関係が見いだされていく。その関係性が思わぬ大きな絵を描いていく形となる。この作品の面白さはここにある。
 このストーリーで興味深いことの一つは、中禅寺秋彦が美馬坂を知人として熟知していたという設定である。それは最終段階で初めて明かされる事実なのだが・・・・・。ここで、この点に触れておいても、関心が高まるだけで、本作を読むにあたって特に影響はないだろうと思う。

 本作のおもしろい点としてハコづくしの趣向が組み込まれていることに触れておこう。・列車に乗り合わせた男がもつ匣
・バラバラにされた体の一部を入れたハコ
・美馬坂(ミマサカ)近代医学研究所のハコ形の奇抜な建物
・穢封じ御筥様が悪霊・憑き物を封じ込める箱
・<箱屋>と呼ばれるようになった木工製作所
・風呂屋に預けてあった桐の箱。京極堂は福来友吉助教授の忘れた箱という。
・木場が事件に関わる中で、刑事である己の存在を菓子の空き箱みたいだと感じる
・関口が稀譚舎という出版社で紹介された若手幻想文学界の旗手・久保竣公の部屋の箱
・「怖気づいた。これは開けてはならぬ。穏秘(オカルト)の匣だ」 p1005
・「私は何もかも心の匣に仕舞い込んで、蓋をして、目を瞑って耳を塞いで生きて、
 それが幸せだろうと思えるようになった」 p1006
そして、重要なもう一つの箱について、京極堂が語る箇所がある。それは本作を読んでのお楽しみにとっておこう。

 1027ページ に、「私は、魍魎の匣だ」という一文が出て来る。本作のタイトルはここに由来する。

 最後に、この小説から興味深い記述箇所をいくつか抽出して、ご紹介しよう。
*事件は、人と人----多くの現実----の関わりから生まれる物語だ。
 ならば、物語の筋書きーーーー事件の真相----もまた、関わった人の数だけあるのだ。
 真実はひとつと云うのはまやかしに過ぎぬ。事件の真相などそれを取り巻く人間達が便宜的に作り出した最大公約数のまやかしに過ぎない。   p579

*動機とは世間を納得させるためにあるだけのものにすぎない。
 世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと、何としても思いたいのだ。   p717

*事実関係に関する供述は兎も角、自白に証拠性などないと僕は思うがね。
 動機は後から訊かれて考えるものなんだ。   p719

*「犯罪はね、常に訪れて、去って行く通り物みたいなものなんだ」
 通り物といのは妖怪の名である。通り魔と云うのもそもそもその類の妖怪のことだと、京極堂は云っていた。
                       p721

*犯罪は、社会条件と環境条件と、そして通り物みたいな狂おしい瞬間の心の振幅で成立するんだよ。
                       p834

*中身ではなく、外側が決めることも多いのだ。
 箱は、箱自身に存在価値があったのだ。  木場の自己認識として  p864

*京極堂の云う通り、科学とは何も入っていない箱だ。それ自体にどんな価値を見出すのかは、それを用い、使う者次第なのだ。               p959

*いずれにしても関口君。魍魎は境界的(マージナル)なモノなんだ。だからどこにも属していない。そして下手に手を出すと惑わされる。             p1044

 ご一読ありがとうございます。


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『書楼弔堂 霜夜』  京極夏彦   集英社

2025-01-10 22:55:02 | 京極夏彦
 新聞広告によれば、本書がこのシリーズの完結編となる。シリーズ第4弾。
 本署は「小説すばる」(2024年3月号~2024年8月号)に連載された後、2024年11月に単行本が刊行された。

 第1作の『破暁』は明治20年代半ばという時点から始まった。弔堂で「高遠の旦那さん」と呼ばれ、東京の外れで無為に過ごしていた高遠彬は、時が移り現在は、印刷造本改良會という団体の代表になっていた。巌谷小波が肝煎となり、博文館などの協力で創られた団体である。信州の山村から東京に出て来て、この印刷造本改良會に勤める甲野昇がこの完結編では主人公となる。甲野は高遠から鋳造活字の元になる字を書くという仕事を与えられた。

 本書には、甲野を主人公とする形で、書楼弔堂終焉までの6短編が収録されている。
 短編の構成形式はこれまでのスタイルを引き継いでいる。甲野に関わる様々な側面の話題から始まり、甲野が坂の上の茶店に立ち寄った後、書楼弔堂を訪れる。弔堂で主人や居合わせた客を交えた会話がストーリーの最終ステージになって行く。この時の客のほとんどが、その時代の著名人たちだった。その人物たちのプロフィールの一側面が鮮やかに点描されている。

 この完結編の主な登場人物は、書楼弔堂の主人龍典と店員・撓の他には:
鶴田夫妻  現在、坂の上の茶店を営む。茶店に立ち寄る甲野との会話相手になる。
弥蔵    茶店の地所の所有者。この茶店に鶴田夫妻と家族同様に住む。第3作まで
      は、この茶店の主人として登場していた人。
尾形    甲野の下宿先の向かいの部屋に住む下宿人。仏蘭西語の翻訳が生業。
      石見の出身。甲野の部屋を訪れ、話し相手にし自説を論じ、助言する。

 この完結編は、写本、木版印刷本、希少な輸入本が中心の時代から、鋳造活字の使用と活版印刷が始まり、大型輪転機が導入され、大量の書籍発行が可能となり、出版業界の体制が整いはじめてきた時代、つまり出版業界確立までの過渡期が終焉を迎える時代を背景としている。
 弔堂の主人は、本の弔いを旨として、客にとっての一冊の本を紹介するという方針を貫いてきた。時代の先を読み、弔堂を閉じる選択をするに至る。その決断に至る経緯が、ここに収録された6つの短編連作である。
 また、この6編は、東京に出てきた甲野の過去の人生を明らかにしていく連作にもなっている。尾形は己を語り、一方で甲野に彼の信州での人生を語らせる役回りを担っていく。

 この完結編の構成は、本に絡むタイトル仕立てをベースにし、そこに甲野の人生の歩みを織り込んでもいると受け止めた。短編の最終段階に当時の著名人が弔堂の客として登場するのは凡そ従来通り。全体構成と登場する著名人をまずご紹介しよう。
     探書拾玖   活字    夏目漱石
     探書廿    複製    岡倉覚三(天心)
     探書廿壱   蒐集    田中稲城
     探書廿弐   永世    牧野富太郎
     探書廿参   黎明    金田一京助
     探書廿肆   誕生    天馬塔子
 天馬塔子は『書楼弔堂 炎昼』で狂言回しの役割を担った才媛として登場していた人。
 短編の末尾に著名人を登場させる一方で、著名人を描き込んだ最後に、短編の最後を「それもまたーーーーーーー本の中に記されていることでしょう」の一文で締めくくるところがおもしろい。

 各編を、読後印象を含め簡単にご紹介しておきたい。

< 探書拾玖 活字 >
 甲野は己に与えられた仕事である活字を起こすための字を書くのに役立つヒントあるいは資料が手に入ると高遠に言われて、書楼弔堂探しをするという顛末譚。
 活字の意義と種類・働きなどが明らかにされる。 
 夏目漱石が教職を辞し、朝日新聞社に入社して再出発する日、将にその日に甲野は書楼弔堂で先客の漱石に遭った設定になっている。ここから、この完結編の始まりは明治40年(1907)とわかる。

< 探書廿 複製 >
 尾形が甲野の部屋を訪れる。尾形は、大叔父が亡くなり大叔父が残した浮世絵の一部をもらった。尾形には関心もなくその価値もわからない。売りさばけないかと甲野に相談。甲野は弔堂の主人を思い浮かべる。
 弔堂には先客として岡倉覚三が居た。浮世絵談義が始まるとともに、本物・複製・贋作論議へと発展する。浮世絵に関心を持つ読者には興味深く読めるた短編。
 岡倉天心が『浮世絵概説』を構想しながら、完成に至らなかったということを、本書で知った。
 「複製されたからこそ、・・・ 出会う機会が増える」 甲野の仕事との接点が浮かびあがる。

< 探書廿壱 蒐集 >
 下宿の親爺は元浪花節語り。甲野と親爺の会話は、浪花節から浄瑠璃・落語・講談へと広がり、レコードの蒐集話に及んでいく。これが下敷きとなり、坂の上の茶店では鶴田の処分された雑誌への嘆き話につながる。弔堂に着くと、先客と主人との間に口論が起こっていた。後で、二人の客は競取(セド)り業者だという主人の推測を聞く。そこには古書の蒐集という問題が絡んでいた。そこにはもう一人の先客がいた。その客と協力して、本の片づけを手伝うことになる。その先客は、岩国の出身だと名乗る田中稲城だった。
 田中稲城は、甲野の仕事を聞き、活字の大事さを語る。

< 探書廿弐 永世 >
 甲野が描いた文字が活字に起こされ、それを順不同に組んだ文字の羅列を各種の紙に印刷した試し刷り。甲野の勤務先の事務所で、紙問屋の社長大木と同僚の田川が試し刷りされた紙の状態を確認しながら、論議をしていた。その中に甲野が巻き込まれていく。紙の種類、質の違いが生む印刷仕上がりの差異。本にとっての重要な要素が俎上にあがる。
 高遠の注文していた本を甲野が受け取りに弔堂に行くことに。先客として、牧野富太郎が居た。そこで話題になるのが、本はいつまで保つかということだった。ここでも紙の質に戻っていく。甲野にとって、本そのものについて学ぶ場面になる。読者にとっても、本というもののベーシックな要素が論議の俎上にのぼっいるので、普段ほとんど意識しない側面を考える機会になる。

< 探書廿参 黎明 >
 気分が優れない甲野の部屋に尾形が訪れる。甲野が抱く劣等感の無意味さを話題にした後で、甲野の郷里の向かいの住人が訪れた時の言伝を甲野に伝えた。だが、それは甲野の気持を一層滅入らせる。
 翌朝早く、事務所に出た甲野は、高遠から弔堂が火災に遭ったらしいという噂を聞かされる。勿論甲野は弔堂に向かう。坂の上の茶店でまず鶴田から様子を聞く。このとき弔堂から戻って来た様子の男に話を聞く。彼はなぜか自分の決意も甲野に話した。その男は後に金田一京助と弔堂の主人から聞かされる。
 火つけ行為は、気づいたのが早くて、軽度なものにとどめることができた。だが、それは弔堂の龍典に一つの決断をさせる契機となる。
 この短編のタイトルは、金田一と龍典の二人の決意を象徴しているのだろうと思う。
 
< 探書廿肆 誕生 >
 言伝を聞いても甲野は帰省をしなかった。心配する尾形は、甲野の部屋を訪れ、その真意を問い詰める、甲野は遂に信州での己の過去を語る。尾形は最後に言った。「貴君が思っているよりも、貴君のことを気にしている者は多いのだ。それは心得ておいた方がいいと思うぞ」と (p433)
 甲野が事務所に出ると、高遠の来客を巌谷小波先生と紹介され、甲野は話に加わる。火災後の弔堂のことが話題となる。それを契機に、甲野はいつもの茶店に立ち寄った後、弔堂を訪れる。弔堂の状況の変化を知ることに。
 さらにその後、思わぬ事態が重なっていく。
 この短編のタイトルにはいくつかの事象の意味が重ねられていると感じる。
 お読みいただき、その意味合いを感じていただきたいと思う。
 末尾近くに記された次の箇所だけは触れておきたい。「僕・・・・・甲野昇は、相変わらず字を描いている」「・・・・遣り甲斐のある仕事だと思えるようにはなっている。僕の作った字が、組まれて活きて、読んだ人の中に何かを立ち上げることが出来たなら、それで満足だ」(p512)

 最後に、読書について、有意義な指摘が各所に織り込まれている。いくつか引用しておこう。
*読まなくたって好いんだ。積んでおこうが並べておこうが、読めるようになっているならそれで好いのさ。読みたい時に読みたいものが読める・・・・それが何より大事なことだ。     p233
*現実を忘れて書を読み耽るのは無上の悦びですが、それは現実の代替えになるものではないのですわ。  p470
*読書は、人や、世の中を変えるものではないし、書物も人や世の中を変えるためにあるものではないんだ・・・・・・そうした変化は凡そこちら側で起きること・・・。  p475
*この世に無駄な本はない、本を無駄にする者がいるだけだ・・・・・。  p475
*本の中に時間なんてないんです。・・・・・好きに読めばいいんです。  p478
*何が書かれているかではなくて、読み方次第、ということだと思いますわ。 p477

 ご一読ありがとうございます。



補遺
夏目漱石年譜  夏目漱石ライブラリ :「東北大学附属図書館」 
大極宮 京極夏彦 公式ホームページ
京極夏彦作品人名辞典  ホームページ
田中稲城    :ウィキペディア
田中稲城    :「山口県の先人たち」
田中稲城文書  :「同志社大学図書館」
牧野富太郎   :「高知県立牧野植物園」
飯沼慾斎著「新訂草木図説」草部  :「文化遺産オンライン」
飯沼慾斎著「草木図説」草之部稿本附写生本  :「岐阜県」
牧野富太郎   :ウィキペディア
金田一京助   :ウィキペディア
金田一京助   :「盛岡市先人記念館」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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『姑獲鳥の夏』 京極夏彦  講談社文庫 

2024-03-23 17:41:04 | 京極夏彦
 京極夏彦さんの最近の本を数冊読んだ。そこでこのデビュー作から読み始めてみることにした。読み通していけるか未知数だが、できるだけ出版の時間軸に沿って読んでみたい。時には近年の作品を挟みながら・・・・。
 冒頭の表紙は手許の文庫本1998年9月第1刷の表紙。
 こちらは現在の新刊カバーの表紙である。
 カバーのデザイン一つでかなり印象が変わるな、という感じ。私的には第1刷のカバーの方が怪奇性が横溢しているように思う。一方、よく見ると文庫版のカバーに連続性が維持されている側面もある。
 元々の作品は、奥書を読むと1994年9月に講談社ノベルスとして刊行された。30年前に出版されていた。文庫版で四半世紀の経過、時代の変遷がカバーのデザインにも反映しているということなのかもしれない。
 いずれにしても、このデビュー作自体がロングセラー作品になっていることが新版カバーでの出版になっていることでわかる。

 私は最近の書楼弔堂のシリーズを京極夏彦作品として先に読んで、本作に回帰した。共通するのは、本屋の主を登場させていることである。書楼弔堂の主は元禅僧という背景がある。一方、本作は京極堂という古本屋を営む一方で、神社を預かる神主であり、陰陽師・祈祷師でもある人物が登場する。いずれの人物も培われた宗教的背景を持ち、共に博学で造詣が深い。またストーリーの中では当初は准主役的な位置づけにいる点が共通しているように思う。そして、主役にシフトしていく。
 ストーリーの雰囲気としては、書楼弔堂を読んでいたので、馴染みやすさがある。
 蘊蓄を傾ける知的論議にかなりのページが費やされていく点が共通する。本作でいうなら、怪奇現象、憑き物という世界の話が民俗学的考察の視点から論じられたり、たとえば不確定性原理までが俎上にのぼるなど科学的な論議もなされる。ストーリーのバックグラウンドとして、長々とした知的対話の場面がある。それも導入段階から続く。こういうところが、読者を惹きつけるか、本書を放り出すかの岐路になりそうである。

 本書を開くと、鳥山石燕筆「姑獲鳥(ウブメ)」の絵が載っている。『画図百鬼夜行』に収録された絵。それに続いて、姑獲鳥とは何かの説明が見開きページに4つの原典から引用されている。この姑獲鳥のイメージがこのストーリーの根底にある。のっけから異様な文、文脈が判読しがたい文が見開きページで続く。ここまでがプロローグになるようだ。

 さて、主な登場人物をまず簡略に紹介しよう。
関口巽 :文筆家。後述の京極堂、榎木津、藤野は学生時代からの友人。
     学生時代以来粘菌の研究を続けていた元研究者。鬱病を患った時期がある。
京極堂 :本名は中禅寺秋彦。京極堂と称する古本屋の主。関口と同学年。
     神社の神主。陰陽師であり祈祷師。
榎木津礼次郎 :神保町で「薔薇十字探偵社」を営む私立探偵。社名は京極堂の命名。
     旧華族の家柄。総一郎という兄が居る。天真爛漫な性格。
     人には見えないものを見ることができる特異な能力を持つ。
木場修太郎 :戦時中関口の部隊に属した戦友。生き残ったのは関口と木場のみ。
     東京警視庁の刑事。
久遠寺涼子 :榎木津の探偵事務所に行方不明の調査依頼にくるクライアント。
     雑司ヶ谷にある久遠寺医院の長女。梗子(キョウコ)という妹が居る。
中禅寺敦子 :京極堂の妹。稀譚社という中堅出版社の編集者。榎木津の調査する案件
     に関わって行く。
藤野牧朗 :ドイツに留学し、帰国後久遠寺梗子と結婚。失踪したとされる当事者。

 このストーリーの現在時点は、昭和27年の夏。榎木津の探偵事務所に、久遠寺涼子が訪れ、妹の夫であり婿養子となった藤野牧郎の失踪について調査依頼に来る。その時、関口は榎木津の探偵事務所に来ていた。榎木津はこの依頼を受諾。関口は藤野牧郎が学生時代の友人であることは伏せて、この事案に探偵助手という名目で参画していく。
 関口は、学生時代に、この久遠寺医院を訪れ、藤野の恋文を代理として持参し、少女の久遠寺梗子に手渡した記憶があった。藤野が恋慕した梗子に恋文を書けと助言したのは京極堂だった。
 久遠寺医院を訪れた榎木津と関口、中禅寺敦子は、涼子に案内され、妹夫婦が住居としていた元小児科病棟だったという建物に行き、部屋を検分する。部屋を見るなり、榎木津は「ここで惨劇が行われた訳だ」(p250)語った。さらに、絨毯の隅の血痕にも気付く。その血痕が失踪したとされる牧朗のものと言う。
 牧朗が最後に入ったのは、書庫だったと涼子は言う。その部屋は内側から小さな閂をかければ、部屋の外からは開けることができない。密室を構成する状態の部屋だった。その部屋には、現在妹の梗子が使っているという。涼子はその部屋に入る。引き続き榎木津が入口から少し入り、部屋を見た瞬間にその部屋から離れる。
 関口が理由を問うと、榎木津は「やることなんて何もないよ。強いていうなら、僕らに残されたできることは、ただひとつ、警察を呼ぶことだけだよ」(p268)と。また、榎木津は牧朗と梗子の寝室に居た時点で、「蛙の顔をした赤ん坊」が見えたとも関口に語っていた。
 榎木津はこの後、その場から退出してしまった。関口が引き継いで涼子からの依頼の件をこの後探索していく羽目になる。牧朗は本当に失踪してしまったのか・・・・。
 関口は、梗子に紹介される。また、その部屋には第二の扉があり、その状態も確認した。関口は牧朗の研究ノートや日記を調査のために借用する。それらの資料は京極堂が読み、分析することでこの案件に関わっていく。
 梗子は妊娠20ヶ月という異常な状態にあることが判る。一方で、久遠寺医院では、産まれたばかりの赤ん坊がいなくなるという事件が度々あったらしいという噂が流れていた。一昨年の夏から暮れにかけて、木場刑事はこの赤ん坊失踪事件を担当していたという。さらに、木場は、久遠寺の出自が香川であることから、所轄に調査依頼をしていた。そして、久遠寺の出身の村では、かつては御殿医という名家ではあるが、おしょぼ憑きという憑物筋だという噂があることを知らされたと言う。
 このミステリーが具体的に動き出していく。

 本作は、関口の視点からストーリーが進展していく。その進展のプロセスで、関口は恋文に関わる彼の記憶あるいは幻想を探索のプロセスに重層化して思考し始めることにもなる。また、このミステリーの謎解きに、陰陽師、祈祷師である京極堂が更に関わりを深めていく。このステージでは京極堂がいわば主役になる。独擅場となっていく。
 奇想天外とも感じるが、じつに論理的な展開、実に意外な顛末へと突き進む。

 本作にはいくつかのテーゼが下敷きになっている。以下は京極堂の発言である。
1. この世には不思議なことなど何もないのだよ。関口君。   p23
2. 関口君。観測する行為自体が対象に影響を与える--ということを忘れるな。
  不確定性原理だ。正しい観測結果は観測しない状態でしか求められない。
  主体と客体は完全に分離できない--つまり完全な第三者というのは存在しえない
  のだ。君が関与することで、事件もまた変容する。     p172
3. およそ怪異は遍く生者が確認するんだ。つまりね、怪異の形を決定する要因は、生
  きている人、つまり怪異を見る方にあるということだ。   p321
4. 憑物筋の習俗は今も根強く生きている。これを無視することはできない。 p348
5. 地域の民俗社会にはルールがある。呪いが成立するにも法則というものがある。
p544

 百鬼夜行の世界と現代ミステリーとの結合。不思議と思わせる状況を書きつらね、それを論理的理論的に突き崩していく。これがデビュー作だとは! 実におもしろかった。

 ご一読ありがとうございます。


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『書楼弔堂 炎昼』  京極夏彦  集英社文庫

2023-04-25 21:40:12 | 京極夏彦
 このシリーズの『待宵』を最初に読み、そこから遡って本書を読んだ。連作短編集である。『破暁』に引き続き、本書にも6編の短編が収録されている。「小説すばる」(2014年9月号~2016年6月号)に掲載されたものが、2016年11月に単行本として刊行され、文庫の字組みに合わせ加筆修正されて、2019年11月に文庫化された。

 前著『破暁』と比べ、この『炎昼』に少し変化が現れる。短編6編に連なっていくサイド・ストーリー的位置づけで、いわば凖主役として「塔子」と称する女性が登場する。彼女がこの短編連作の狂言回し的な役割を担っていく。塔子が見聞したものとして、塔子の視点から描き出されていく。塔子は『破暁』の「高遠」に似た役回りである。『破暁』では最後に高遠の名前が初めて明かされた。今回はこの女性は名前でずっと記述され、その姓が明かされるのは本書最後の短編においてである。

 短編一作の構成パターンは一貫している。今回は前半に塔子が胸中に不満・鬱屈を秘めつつ行動するとともに塔子自身と家族関係についても少しずつ明らかになっていく。なので、サイド・ストーリーと上記した。塔子自身のプロフィールに対する興味が徐々に読者に形成されていく。これがまず一つの特徴と言える。
 この塔子が自然な成り行きで人々を弔堂に案内する立場になる。塔子に案内された人物が弔堂で主人公になる。弔堂の主とその人物との対話でストーリーが展開する。その話の中に時折塔子の思いや発言が織り込まれていく。

 本書の短編連作でおもしろいと思った第2の特徴は、短編の末尾が定型化されたことである。それは、塔子の言として「いえ、それはまた、別のお話なのでございます」と締めくくられる。
 本書の最後「探書拾弐 常世」の末尾では塔子の姓が明かされる。ここでもまた、
 「その後、私ー□□塔子がどのような人生を送ったのかといえば、
  それはまた、別の話なのでございます」(p541) □□の姓が何かはお楽しみに。

 塔子について、短編6作を読み重ねていくと、かなりイメージができる。だが、姓を明かされても煙に巻かれたままの余韻が残る。これがまたおもしろい。

 短編の後半に出てくる人物は、歴史に名を残す人々ばかり。人からの口コミで弔堂の存在を知り、書を求めて弔堂に来る。弔堂の主との対話を通して、その人物のある側面に焦点があてられ、人物像の一面が明らかになる。この対話プロセスが読ませどころである。史実を踏まえたフィクション化のおもしろさが鮮やかに発揮される。ここに第3の特徴がある。そこに明記される史実の該博さに驚かされる。事実を踏まえたフィクションを介して人物への興味が深まっていくという次第。

 さて、各短編について、読後印象を交えて簡略にご紹介しよう。
<探書漆 事件>
 ある思いを抱き芙蓉の木を眺めて佇む塔子の前に、松岡君、録さんと互いに呼び合う二人の男が現れる。弔堂への道に迷ったのだ。それが何かとは知らなかったが、塔子は陸燈台様の建物のある場所を知っていた。そこで案内役となる。塔子自身も初めて書楼弔堂の内部に入る。これが契機で、塔子は時折、人を案内し弔堂を訪れることになっていく。
 この連作では、単に狂言回しの案内役に留まらず、塔子自身も書を購う客の一人になっていく。そこに明治中期の女性の自我意識や自覚の高まりの先端部分が描き込まれていくことになる。明治時代の雰囲気が感じ取れておもしろい。
 弔堂では、松岡、田山(録さん)、弔堂の主という3人の会話になる。そして、録さんこと、田山花袋の求める書に関連した話に焦点が絞られていく。
 印象深い弔堂の主の言がある。
 「ええ。事実を事実として書くには、事実に見せ掛ける小細工をするのではなく、読む者の内面に事実を生成させるような工夫をしなければならないのではありませんでしょうか」(p85)
 ここでは、松岡國男の一書は決まらない。本書の短編連作では幾度か松岡が弔堂に現れることになる。松岡のことが少しずつストーリーに織り込まれて行く。これがこの『炎昼』の第4特徴といえる。

<探書捌 普遍>
 祖父と喧嘩した塔子は、反抗心にかられ行先も告げず家を出る。そして、弔堂に向かう坂の下に辿り着く。そこで偶然に松岡と出会う。松岡に背中を押されるような気持ちで弔堂に同行することに・・・・。二人は弔堂の前で不思議な人物に気づく。先客が居た。
 その人物は添田平吉、演歌師と名乗った。演歌は元は演説歌のこととか。そのことを本書で初めて知った。演歌師としての生き方を模索する様子が吐露されるストーリー。
 演歌師として活動した添田唖蝉坊が描き出される。  
 この時、塔子は弔堂で小説を初めて購入するというエンディングに・・・・。

<探書玖 隠秘(オカルト)>
 前作で「それはまた、別の話」となったことの話から始まる。塔子は明治女学校の英語教師・若松賤子著『小公子』を密かに自宅に持ち込んで読み始めるという冒険かつ経験をする。小説を知り、塔子はその感動を誰かと共有したくなる。相手として選んだ菅沼美音子との対話がストーリーになっていく。
 その後、塔子の足は弔堂に向く。弔堂には、先客として勝安芳枢密顧問官(勝海舟)が居た。弔堂の主との対話の話材は催眠術関連だった。おもしろいのは、塔子が美音子から聞かされた話題にリンクする点。勝と入れ替わりに、松岡が東京帝国大学哲学科の福來友吉を同行して弔堂を訪ねて来る。
 松岡が所望していたゼームズ・フレイザー著『The Golden Bough』二冊組みが入手できたことから、その内容へと話材が広がり、そこから福來の関心事へと転じて行く。福來友吉に焦点があたる。一方で、松岡についての関心事への広がりが加わることに。ストーリーの構成が実に巧みである。

 禅僧から還俗した弔堂の主の言が印象に残る。
「真理は、実は目の前にございます。しかし多くの人はそれに気づきません。気づかないからこそ、それは隠されていると考えるのです。隠されているなら暴こうとする。しかし隠されている真理など、実はないのでございます。隠すのは、何もないからでございますよ。ならば暴いても詮方なきこと」(p267)
 
<探書拾 変節>
 塔子は下女のおきねさんから聞いた垣根の花を見にでかけ、気味の悪い花という印象を抱く。なぜそう感じるかの描写から始まる。そこでハルと名乗る少女に出会い、時計草だと教えられる。ハルは修身学の授業を抜け出して来たのだと塔子に語る。塔子はハルを伴って、弔堂を訪れる。そこで再び、松岡と出会うことに。塔子は高等女学校に通うハルさんと松岡に紹介する。彼女は平塚明と名乗った。
 松岡が注文していた全国から集めた新聞の内容に話が転じて行く。そこから松岡とハルの間で「正しいこと」とは何かという論議に発展する。ハルの考え、ハルの父親の変節についての話へとその場での対話が進展していく。
 ハルは松岡から高山樗牛の翻訳小説の載る『山形日報』を譲られることになる。
 ハルとは後の平塚らいてうである。

 弔堂の主の言が印象深い。
「変節自体は問題にすべきではなく、寧ろ何故変節したのか、そして変節しても変わらぬものは何なのかこそ考えるべきではございませぬでしょうか」(p346)

<探書拾壱 無常>
 塔子の祖父が病気になる。その状況描写から始まる。祖父に接してきた塔子の愛憎が省察されていく。母親との会話に腹を立てた塔子はその場から逃げ出してしまう。
 いつもの坂道から、弔堂へと至る径を通り過ぎて行った先で、石に腰掛ける疲れた様子の老人に出会う。塔子は、その老人を一旦弔堂に誘い、そこで俥の手配をすることを提案する。老人は自身は軍人だが、泣き虫、弱虫のなきとだと名乗る。
 弔堂の主は、老人に会うなり「源三様」と呼びかけた。「あ、あんたは龍典さんか」(p404)。二人は三十年来の知り合いだった。
 二人の対話の最後に、龍典は、源三様と呼びかけた人、乃木希典に三宅観瀾著『中興鑑言』を進呈した。
 乃木希典がどのような人物だったのか、さらに知りたくなる短編である。

<探書拾弐 常世>
 年明けの状況が塔子の祖父の様子を描くことから始まる。塔子は美音子が嫁ぐという話を聞き、お祝いを持参する。その帰路、堀沿いのところで塔子は弔堂の主と丁稚のしほるに遭遇する。勝安芳(海舟)が亡くなったと聞く。梅が桜に変わる頃、塔子の祖父が死ぬ。祖父の一周忌が過ぎ、桜が散り舞う中、塔子は弔堂を訪ねる。途中で、塔子は1年半ぶり位に、松岡國男と出会うことに・・・。二人は弔堂を訪れる。
 この短編では、松岡國男自身のことが、弔堂の主と松岡の対話の中心になって行く。つまり、読者にとっては、遂に松岡が誰かがはっきりとする。
 最後に、主は松岡に言う。貴方さまの一冊は、貴方様がお書きになるものと推察致します(p538)と。
 一方、塔子は弔堂の主から奇妙な本、教則本のような本を薦められることに。
 この短編連作を通して、松岡國男のプロフィールが徐々に明らかになり、この「常世」でなるほどということになる。そこがおもしろい全体構成になっている。今回の6連作で落とし所が用意されていたという感じである。おさまりが良い。
 さらに、□□塔子の「それはまた、・・・」というエンディングは、いずれつづきが語られるという期待をポンと投げかけているようでおもしろい。

 この短編の中にも、印象に残る弔堂の主の言がある。引用する。
*それは方便でございます。人を生き易くするための嘘。信仰は、人を生き易くするためにあるのでございます。嘘だろうが間違いだろうが、信じることで生き易くなるのであれば、それで良いのでございます。信心というのは生きている者のためにあるのです。死人のためにあるのではない。  p513
*幽霊を扱った物語が怪談なのではございません。怪談の材料として幽霊という解釈は使い易いというだけのこと。怖くさせようとすすのですから、怖く書きましょう。 p517
*死者を成仏させるもさせぬも、それは生者次第でございます。 p528
*怖いというのなら、そう感じる方に疚(やま)しさがあるからでございます。生者の疚しき心こそが、幽霊を怖いものに仕立てるのでございます。  p530

 ご一読ありがとうございます。

補遺
田山花袋について  :「田山花袋記念文学館」
田山花袋      :ウィキペディア
添田唖蝉坊     :ウィキペディア
添田唖蝉坊・ラッハ゜節 /土取利行 Rappa bushi/Toshi Tsuchitori  YouTube
ラッパ節 「明治38年」 (明治・大正・昭和戦前歌謡)    YouTube
           東海林太郎(しょうじ たろう)唄
添田唖蝉坊:社会党ラッパ節::土取利行(唄・演奏)     YouTube 
女性の自立を求めた文学者 若松賤子  :「あいづ人物伝」(会津若松市)
福来友吉  :ウィキペディア
第13回 千里眼事件とその時代  :「本の万華鏡」(国立国会図書館)
 第1章 千里眼実験を読む 福来友吉と催眠術
平塚 らいてう   :ウィキペディア
平塚らいてう  :「近代日本の肖像」(国立国会図書館)
女性・平和運動のパイオニア 平塚らいてう  :「日本女子大学」
乃木希典    :「コトバンク」
乃木希典    :「近代日本の肖像」(国立国会図書館)
この写真の撮影日に夫婦共に自刃。明治天皇に殉死した乃木希典が神として崇められるまで  :「warakuweb」
三宅観瀾   :ウィキペディア
新体詩  :「HISTORIST」(山川出版社)
新体詩  :ウィキペディア
新体詩抄 初編 :「国立国会図書館デジタルコレクション」
柳田國男    :ウィキペディア
柳田國男    :「近代日本の肖像」(国立国会図書館)

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『書楼弔堂 破暁』  京極夏彦  集英社文庫

2023-03-31 10:30:32 | 京極夏彦
 最新刊第3弾の『書楼弔堂 待宵』を最初に読んだことから、このシリーズ第一弾に遡って読むことにした。短編連作集で6篇が収録されている。最初は各短編が順次「小説すばる」(2012年5月号~2013年8月号)に掲載され、2013年11月に単行本となった。2016年12月に、文庫版が出ている。

 先に第3弾『待宵』でご紹介しているが、短編の構成スタイルの基本は、前半に一人の男の日常生活がさまざまな形で描かれていく。その男がその都度、一人の人物を書楼弔堂に案内する役回りを担う立場になる。案内された人物は弔堂で主と対話して己の迷いや考えを吐露していく。主と客との対話の中で、その客のプロフィールが明らかになっていく。弔堂の主はその客のその後の人生に必要な本を助言する。興味深い点はその客が歴史に名を留める人物だという点である。

 時代設定は明治20年代半ば。書楼弔堂は東京のはずれにある。雑木林と荒れ地ばかりの鄙(いなか)、坂を登り切って、ある細道を歩む。細道のドン突きにはお寺がある。その途中に周りの風景に紛れ、融け込んだように、三階建ての燈台みたいな奇妙な木造建物がある。つい見過ごしてしまうような形で・・・。それが書楼弔堂。軒に簾が下り、その簾に半紙が一枚貼られ「弔」の一字が墨痕鮮やかに記されているだけ。この書楼自体が実に変梃な感じであり、本好きには興味津々となる設定である。

 それでは、読後印象を交えつつ、各編を少しご紹介しよう。

<探書壱 臨終>
 まず「高遠の旦那さん」と書舗の丁稚小僧・為三から呼ばれる男が登場する。二人の会話から、高遠の素性が少しずつ明らかになっていく。高遠は為三の勤める斧塚書店の贔屓客。この探書壱は、為三に案内されて書楼弔堂を訪ねるところから始まる。
 状況設定が明らかになっていく。高遠は10歳の頃に明治を迎えた元旗本の子であり、病気療養目的で家族と離れて一人仮住まいをし、自称高等遊民の下層的存在と言う。弔堂の主は、無地無染の白装束姿で、今は還俗し本屋を営む。己(じぶん)の本を探しているうちに本が増えてきた。求める者に本を縁づけるまで本を陳列し弔う。本を然るべき人に売るのが本への供養と考えると告げる人物である。先取りすると、探書弐では、「本と云う墓石の下に眠る御霊(みたま)を弔うために売っている」(p133)と語る。
 弔堂の主と高遠との会話が進む途中で、地本問屋滑稽堂の秋山武右衞門からの紹介で来たという客が現れる。話は後半に転じる。後半は、日本画が会話の話題となる。弔堂の主は会話を通じて、その客を吉岡米次郎と推断した。幽霊話に転じて行く会話が興味深い。主は、『The Varieties of Religious Experience』と帳面(のおと)の表紙に題が記された本を薦める。主は高遠に、あの人は浮世絵師・月岡芳年様ですよと教えた。
 当時の浮世絵、日本画の状況と月岡芳年の一局面が切り出された短編である。

<探書弐 発心>
 高遠の目を介して、当時の東京の様子が描き込まれていく。冒頭には様々な橋が話材になる。萬代橋・二拱橋・日本橋・吾妻橋・鍛冶橋・八重洲橋・二重橋などの変化について。さらに、当時の世相へと話が広がる。高遠の足は丸善に向かう。丸善の店員との会話。新文体が話題となるところがこの時代を反映しておもしろい。
 店員の紹介で尾崎紅葉の弟子に引き合わされる。未だ一編の小説も書いてはいないが小説家をめざしているというその弟子との会話でお化けが話題になった。それを契機に高遠はその弟子を書楼弔堂に導いていく。
 面白いのは、その内弟子の名前を聞いていなかった高遠は、弔堂の主に「畠の芋之助君」とでっち上げの紹介をした。これが後の伏線にもなっている。
 後半は、主とその内弟子との間で、書生としての日常の仕事内容から始まり、形而上のお化け論へと会話が展開していく。探書壱に引き続き、お化け論議の第二弾。弔堂の主が内弟子の心理・思考と高遠の紹介を分析していくところが読ませどころになる。
 主は「松木騒動の顛末を記した資料一式」をその内弟子に「これを-お売りします。あなた様の-筆で読みたい」(p180)と告げる。最後にその青年は実名を名乗った。泉鏡太郎と。後の文豪、泉鏡花がここに登場!
 
 この探書弐で印象的なのは、弔堂の主が語る次の文。
「何の、どうして怪談が無駄なものですか。人は、怪しいもの。世は常に理で動くものでございましょうが、その中で、人だけは合理から食み出してしまうものなのでございます。」(p162)
「仏道で云う悟りは、目的ではございません。悟るために修行するのではなく、修行そのものが悟りなのでございます」(p170)

<探索参 方便>
 元煙草製造販売会社の創業者山倉に誘われて、高遠が娘義太夫の舞台を見物するところから始まる。二人が立ち寄った居酒屋で、山倉は偶然に元警視庁の矢作剣之進を目にとめる。矢作を交えた会話で、またも、お化けが話題となる。女義太夫とお化けの話題から哲学館の話に転じていく。矢作が『哲学館講義録』と井上圓了のことに触れる。それが高遠を弔堂に赴かせる契機となる。
 弔堂で、高遠は先客の勝安芳(海舟)と出会うことに。勝が弔堂の主に対して話題にしたのが井上圓了のことだった。主と勝との間で、井上圓了論議が始まっていく。その上で、3日後に井上圓了を弔堂に来させると勝は言った。高遠はその日、己の関心から弔堂に出向き、主と井上の会話を傍聴する。二人の会話がこの短編の要となる。
 弔堂の主は井上に本を書けと薦める。「今の世に合った、真の方便を作るのでございます」(p273)と。そして、主は鳥山石燕の記した『畫圖百鬼夜行』を井上圓了に薦める。

<探書肆 贖罪>
 鰻が話材となり、高遠はうなぎ萬屋に行く。入口から少し離れたところに蹲る奇妙な男を目に止める。それが縁となり、土佐出身の中濱と称する老人と知り合う。奇妙な男は中濱の連れだった。中濱はその連れを世捨て人と言ったが、本人は死人だと訂正した。
 この老人もまた勝海舟の紹介で、書楼弔堂に行こうとしていた。鰻の取り持つ奇縁で高遠は中濱と連れの二人を弔堂に案内することに。
 弔堂の主は、その老人を中濱萬次郎と即断した。じょん万次郎と知り高遠は仰天した。主と中濱との会話は、幕末における勝海舟の行動が話題となり、さらに福澤諭吉の言論に話が及んでいく。当時の状況がわかって興味深い。その後で、中濱の連れの男の話になる。最後に中濱はその連れの名前を弔堂の主に告げた。連れの男の過去が明らかになる。
 主は文政9年に開版され14冊からなる『重訂解體新書』をその男に薦める。「あなたは、人が何故生きているかを知るべきです」(p360)と。そして、重要なひとことを付け加える。このひとことを伝えるのがこの短編の要と言える。

<探書伍 闕如(けつじょ)>
 高遠が紀尾井町の自宅に10日ばかり戻ったときの状況からストーリーが始まることで、読者はさらに一歩、高遠の人物像にふれることに・・・・。高遠は気分転換に日本橋の丸善に立ち寄る。そこで、店員の山田から泉鏡太郎の処女小説のことを教えられる。さらに尾崎紅葉からの作家繋がりで、作家の巌谷小波(いわやさざなみ)のことを聞き、作者名が漣山人となっている本を高遠は2冊買う結果となる。店員の一人合点によるまわりくどい紹介の仕方がおもしろい。
 高遠が仮住まいに戻る前に、世話になっている百姓の茂作の家に立ち寄る。その結果因縁のある猫を高遠が預かる羽目になる。この猫が一つの伏線となっていく。
 高遠の仮住まいに、巌谷小波が訪ねてくる。泉鏡太郎から聞いたということで、書楼弔堂を訪れてみたいと言う。高遠は巌谷を弔堂に案内することに。
 ここから弔堂の主と巌谷との会話となり、高遠はその傍聴者となる。読者もいわば傍聴者である。明治という時代の一端を感じることに繋がって行く。
 主は、巌谷が求めている本に、享保年間に刊行され23冊からなる『御伽草子』を附録として付けようと言う。

 この探書伍で印象深い文をご紹介しておこう。弔堂の主が巌谷に述べたことである。
「此方に向くのが正しいと思うなら、反対に向けば後ろ向きです。正しいと思わなければ、どちらを向いても前を向いていることになりましょうよ」(p431)
「歩むことこそが人生でございます。ならば今いる場所は、常に出発点と心得ます。そして止まった処こそが終着点でございましょう」(p442)
「ええ、現実と云うのは今この一瞬だけ。過去も、未来も、今此処にないものなのでございます。ならばそれは虚構でございましょう。過去なくして今はなく、今なくして未来もない。ならば虚実は半半かと存じます」(p444)

<探書陸 未完>
 高遠が預かった猫の話から始まる。猫を観察しながら高遠が己の生き方を重ねて行くところがおもしろい。高遠の仮住まいに、弔堂の小僧のしほるが猫の貰い手についての話を持ち込んでくる。それは弔堂に本を売る話と対になっていた。
 高遠は猫を貰ってもらうことと、弔堂が本を買い取るときの運搬作業に協力することに関わっていく。蔵書を売り、猫を欲しいと言うのは武蔵清明社宮司の中禅寺輔という人だった。教員だった中禅寺は神主を嗣ぐという人生の選択をした。自分にとって不要の本を売るという。弔堂の主は買い取る本を仕分けていく。そして、まだ生きている本は弔えないと述べ、その本を中禅寺輔に示して、理由を述べていく。弔堂の主の説くキーワードは、偽書と未完。偽書の意味が要となっていく。
 最後に弔堂の主は、高遠に初めて1冊の洋書を押し売りだと言い薦める。それは、奇妙な小説で未完のままだと言う。高遠はその本を買った。

 弔堂の主の名前が、この探書陸で初めて中禅寺が口にする形で出てくる。
 最後の最後になって、高遠の名前が初めて明らかにされる。そこがまたおもしろい。

 第2弾の短編連作がどのような展開になるのか。今から楽しみである。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
月岡芳年  :ウィキペディア
ウィリアム・ジェームズ  :ウィキペディア 
尾崎紅葉  :ウィキペディア
泉鏡花   :ウィキペディア
松木騒動 ⇒ 真土事件  :ウィキペディア
井上円了  :ウィキペディア
鳥山石燕  :ウィキペディア
畫圖百鬼夜行  :「維基百科」
ジョン万次郎の生涯  :「ジョン万次郎資料館」
ジョン万次郎  :「土佐の人物伝」
重訂解体新書  :「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
重訂解体新書  :「一関市博物館」
岡田以蔵伝   :「土佐の人物伝」
巖谷 小波   :ウィキペディア
御伽草子    :ウィキペディア
こんな本、あります No.48『大語園』  :「京都府立図書館」
ローレンス・スターン  :ウィキペディア
トリストラム・シャンディ  :ウィキペディア
『トリスラム、シャンデー』 夏目漱石  :「岐阜大学地域科学部」

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