遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『審議官 隠蔽捜査9.5』  今野 敏   新潮社

2023-08-23 13:27:10 | 今野敏
 『隠蔽捜査』から始まる隠蔽捜査・竜崎伸也シリーズは、通算すると第12弾になる。整数表記の間に、3.5と5.5という表記の2冊がイレギュラーに入っているからだ。
 さて、本書は9編の短編連作集。2018~2022年に7編が「小説新潮」に掲載され、1編「内助」がアミの会(仮)著『惑-まどう-』に所収された。1編「信号」を書き下ろされて、2023年1月に単行本が刊行された。

 短編はモチーフが絞り込まれてストレートにストーリーが進展する。気持ち良くさくさくと読み進めることができた。竜崎伸也シーズは数あるシリーズの中で、私には特に好きなシリーズの一つである。各短編について、読後印象を含め簡略にご紹介しよう。

<空席>
 警視庁大森署長から神奈川県警刑事部長に異動した竜崎伸也の最初の活躍を描いたのが前作『探花』だった。この短編は、竜崎が異動した後、北海道警から新任署長が着任するまでの期間に大森署の貝沼副署長以下が署として窮地に立つ姿、奮戦を描く。
 品川署での2件のひったくり事件に関連して、第二方面本部の野間崎管理官が緊急配備を命じてくる。一方、大森署管内でタクシー強盗事件が発生。こちらも緊急配備が必要となる。署内の人員は限られている。貝沼は板挟みの苦境に立つ。そして、遂に竜崎に相談の電話をかけた。
 野間崎管理官の圧力と署内課長クラスからの要求。一見、二律背反の状況。あちらを立てればこちらが立たず。管内事項は最優先したい。貝沼の心境が伝わってくる。どう切り抜けられるかがおもしろい。
 
<内助>
 竜崎の妻冴子(サエコ)は、午前11時半からのテレビの報道で、大森署管内で焼死体発見というニュースを見た。その時冴子はふとデジャヴを感じた。大森署では捜査本場が立つ。捜査会議までの時間に竜崎が一度帰宅してきた。勿論、竜崎は捜査関連のことは一切話せないと言う。そこで、冴子は自分が抱いた既視感の原因究明のために分析推理を始める。
 たまたま早く帰宅した娘の美紀は、母の話を聞き、公開情報の収集に協力する。
 冴子の分析推理の結果が、竜崎には意外な発想視点となる。
 「内助の功」が発揮されるという展開がおもしろい。読んで楽しくなる短編。

<荷物>
 竜崎の息子邦彦が大学生の時、思わぬ窮地に陥ったと思い悩むストーリー。浪人時代の邦彦にはヘロインの所持・使用で捕まり不起訴となった苦い経験がある。それが因で、竜崎は警察庁長官官房総務課から大森署に飛ばされた。ポーランド人留学生ヴェロニカに頼まれて彼女の友人から紙袋の荷物を受け取るのを引き受けた。だが荷物が気になり中身を見る。邦彦は黒い化粧ポーチのようなバッグの中にビニールの袋に小分けされた白い粉を見て、愕然とする。覚醒剤の運び屋として捲き込まれたのでないか・・・・・と。
 法律の規定はどのように解釈されるのか。邦彦のこの状況にどう適用されるのか。父が警察の幹部である邦彦の恐怖感・切実感が伝わってくる一編である。

<選択>
 竜崎の娘美紀は広告会社に通勤する途中、新橋駅のホームで、痴漢とみなされた中年男にしがみつき捕まえる協力をした。だが、そのため、重要な広告企画のプレゼンの仕事に少し遅れることになった。そこから2つの事象が始まる。富岡課長のパワハラ的言動、新橋署の増原刑事からの呼び出し。痴漢被害を叫んでいた女には痴漢詐欺の疑いがあるという。さらに、あの中年男が名誉毀損を云々していると増原刑事は言い、美紀に共犯の疑いを抱く。思いあまった美紀は父に相談する。
 次元の異なる事象が渾然一体として扱われているというよくありそうな局面をキラリと切り出して見せたストーリー。竜崎の客観的な助言が興味深い。
 竜崎は新橋署の署長にでも、一言連絡したのだろうか。竜崎はそんなことをするかな。しないかな。そんなことを想像したくなる短編。

<専門官>
 神奈川県警の刑事部長となった竜崎の日常の一コマを切り取っている。良くありそうな一断面。矢坂敬蔵は捜査一課の捜査員で、警部待遇の警部補。専門官と呼ばれている。板橋捜査一課長とは同年齢。仕事の実力・実績はあるが、一匹狼的で組織人としては問題にされる存在。いわば大森署の戸高刑事のようなタイプ。板橋課長は過去の事件での竜崎との関わりから、竜崎には敬服している。
 港北署管内で死者、怪我人はいないが強盗事件が発生。連続強盗犯の可能性があった。本部からは捜査員として、矢坂が単独で現着していた。
 池辺刑事総務課長は竜崎から「捜査本部はどうだ、と訊かれた」ということを板橋課長に伝えた。その時、池辺の解釈を添えて。その結果、矢坂が竜崎に直に抗議するという行動へと走り出す。矢先と竜崎の対決。組織無視の矢坂の行動に両課長はあわてる。
 捜査本部を立てるかどうか・・・・。竜崎の対応が読ませどころとなる。
 矢坂が竜崎に対面し、いわば毒気を抜かれるところが楽しい。

<参事官>
 竜崎は池辺課長から佐藤実本部長からの呼び出しを伝えられる。本部長の話は、刑事部に所属する二人の参事官のことだった。阿久津参事官と組対本部長の平田清彦警視正。竜崎は阿久津のことは知っているが、平田組対本部長が参事官兼務とは認識していなかった。佐藤本部長の話は、前任の本郷刑事部長からこの二人の参事官の折り合いが悪いと聞いているということだった。阿久津はキャリアで平田は地方(ノンキャリア)。佐藤本部長はこの参事官二人の関係をなんとかしてほしいと言う。
 横須賀での発砲事件に関する110番通報が契機となり、竜崎が二人の参事官と対話する状況が生み出されて行く。この事件は竜崎にとって二人と会話を重ね、観察する好機となる。竜崎は独自の見解をもつことに・・・。
 これもまた、組織の中ではありがちな話ではないか。実像と虚像。人の噂の伝播。確かめられないまま虚像が実像化していく。一事象が正反対の解釈を生み出す思い込み。そんな局面が鮮やかに切り取られている。

<審議官>
 『探花 隠蔽捜査9』での事件-横須賀で起きた殺人・死体遺棄事件-の解決後に尾を引いた後日譚。警察庁長官官房に所属する刑事局担当の長瀬友昭審議官から、佐藤本部長に呼び出しの連絡が入った。それは、横須賀での殺人・死体遺棄事件に関連していた。竜崎は佐藤本部長に同行する。
 長瀬審議官は言う。NICSの特別捜査官が被疑者を追うために東京都内で捜査活動をしていたことを知った。米軍関係者が都内で捜査するのは日米地位協定を逸脱している。日本の警察の権威失墜に繋がると。竜崎にねじ込んできた。竜崎はその状況について事実関係を論理的に説明した。だが、長瀬審議官には聞く耳なしという状態。事前に知らされていなかったことが根底にあるようだった。長瀬審議官は佐藤本部長に竜崎の処分を指示した。
 竜崎は論理的な説明を受けつけない長瀬審議官の背景を考え始める。そして、奇抜な対応策を編み出す。
 佐藤本部長に対する竜崎の発言が奮っている。「問題の本質が、長瀬審議官の機嫌だということがわかったので、それに対処したまでです」(p230)
 人の心理の機微を巧みに突いた竜崎の作戦がおもしろい。人間って、複雑で単純!

<非違>
 マスコミが言う「不祥事」を、公務員の世界では「非違行為」と称することをこの短編で知った。非違行為は「明かな犯罪行為から軽微な違反、さらには職務怠慢なども非違行為に含まれる」(p241)
 この短編、大森署の戸高刑事が野間崎管理官の建前上のターゲットにされるという話。大森署の新任署長は女性キャリアで40歳の藍本百合子警視正。貝沼は、藍本署長は好みの問題を超越した美貌の持ち主ととらえている。貝沼副署長は、第二方面本部の野間崎管理官が足繁く署長に面談にくることに頭を痛めていた。面談後、辻褄合わせの署内視察をするのだ。大森署に頻繁にくる用件を貝沼が問うと、野間崎管理官は、戸高の勤務中のボートレース場通いを非違行為だと言い、調べなければと言い出した。
 思いあまった貝沼は、再び竜崎に電話をして、相談に乗ってもらう。
 このストーリー、非違行為に対する話のオチがおもしろい。ナルホドである。
 藍本署長を主人公にしたストーリー展開を期待したくなる。

<信号>
 神奈川県警ではキャリア会が恒例行事として行われている。竜崎は赴任後、出席しなかった。だが、警察学校時代に同期であった八島が警務部長として赴任してきた。その八島がキャリア会に出ることを誘ってきた。竜崎は何のメリットもないと思いつつ、出席せざるを得なくなる。
 そのキャリア会で、歩行者用の信号で赤信号を無視して渡ることについての是非が話題となり、賛否両論に別れた。その後、この話題での無視論が漏れ伝わり、三島交通部長が佐藤本部長に問題だと詰め寄ってきたのだ。三島交通部長は地方でノンキャリア。部下の課長にはキャリアが居る。誰かが信号無視の話を記者に洩らしたことが原因らしい。
 八島が本部長からの竜崎呼び出しを伝えに来た際に、この話を伝えた。キャリア会に出席していた竜崎は、三島交通部長の怒りに捲き込まれていくことになる。
 竜崎が三島交通部長に語る落としどころが興味深い。
 法律の規制ってその目的は何か。原点に立ち戻る視点がここに出てくるのだが・・・・・。
 法律遵守って何だろうかを考えるおもしろい材料にもなっている。

 楽しく読める短編連作集である。
 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『マル暴 ディーヴァ』   実業之日本社
『秋麗 東京湾臨海署安積班』   角川春樹事務所
『探花 隠蔽捜査9』  新潮社
「遊心逍遙記」に掲載した<今野敏>作品の読後印象記一覧 最終版
                   2022年12月現在 97冊
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『若冲の目』  黒川 創  講談社

2023-08-20 17:06:23 | 諸作家作品
 伊藤若冲は心惹かれる絵師の一人である。本書のタイトルに目が止まった。著者は手に取って初めて知った。若冲関連本は順次読み継いでいるのでどんな本かと興味を抱いた。
 若冲ものでは予想外の異色な小説だった。なぜか。ストーリーのベースは現代にあり、現代小説である。登場する主人公が伊藤若冲に執心する要因を持ち、ある事項を明らかにしようと追求する。その視点で伊藤若冲のある局面に鋭く光をあてていく。だが一方で、その主人公は現在の己の中に一種の懊悩、葛藤を抱いている。パラレルにそれにフォーカスが当てられストーリーに織り込まれていく。一種のもどかしさがストーリーを包んでいく。明確なテーマ追跡と事象分析のプロセスの一方で、主人公の模糊としたたゆたう曖昧な現在の心情が交錯していく。一種奇妙な余韻を残す作品だった。 

 本書は「鶏の目」「猫の目」というタイトルの小説2作で構成されている、前者が156ページ、後者が184ページというボリュームなので、中編小説というところか。『群像』(1997年8月号、1998年8月号)に発表され、1999年3月に単行本が刊行されている。

 <鶏の目>
 主人公は京都育ちで、東京の大学に進学し、油絵を描いていたが今は絵を描くことを辞め、フリーライターとなっている女性で木村と称する。若冲は天明8年の大火、「団栗火事」で焼け出された後、晩年を伏見の石峰寺の門前に草庵を結んで住んだ。若冲は石峰寺に五百羅漢像を建立し続けたことで知られる。若冲の墓が石峰寺にある。この頃、若冲は「妹」と称される眞寂尼(/心寂尼)と同居していたという。木村は若冲自身よりも、この心寂尼の存在について、事実を追跡することに関心を抱く。
 木村は、画集『若冲』に採録された文化9年作成「伊藤家過去帳」や伊藤家の遠縁だという安井源六が作成した伊藤家系図を手がかりにし、伊藤家の菩提寺である光蔵寺を訪ねて、過去帳を調べるという作業を始める。若冲作品の収集家である京都の富石さんを訪ね、若冲の石板摺り「乗興舟」他を拝見したときにその助言を受けた。この富石さんがこのストーリーでは黒子的役割として登場する。
 ストーリーは、木村が光蔵寺での伊藤家過去帳記録の探求を行うことが中心に進展していく。さらに富石さんからの便りで、四国讃岐の金刀比羅宮奥書院に若冲作と判明した花の絵200点ばかりの貼付のことを知り、現地を訪れる。この部分、私にはストーリーとしては付け足しのような印象が残った。ここでは白装束の神官が木村に応対する。その拝観の経緯が描写されるのだが、末尾の一文が「その顔は、鶏の目をしていた」である。タイトルは、多分ここに由来するのだろう。

 伊藤家系図の探求とそこに潜む謎の解明というテーマをメイン・ストーリーにしつつ、木村の回想がサブ・ストーリーとして織り込まれていく。18歳まで京都に住んだ折の高校時代の同級生・ヒロミの描く絵と彼女との交流の記憶。東京で絵描きのジャックという愛称の相方との関わりについて。85歳で死んだ祖母との晩年の関わりについて。これらの回想がメイン・ストーリーの間に織り込まれていく。脈絡があるようで、そうでもないような形での挿入。主人公の心の内面の諸相、知的探求心と日常性の同時存在が生み出す模糊とした心理の変化と雰囲気を描こうとしたのだろうか。そのギャップが読者に与える印象・・・・一人の実存する人間の心の動き・・・・。エンディングは唐突。

 序でながら、フィクションなので設定は自由である。しかし、伊藤家の墓が実在する菩提寺は宝蔵寺。本書に記述される伊藤家の家系図は史実通りなのか。ここにも創作上のフィクションが交えてあるのだろうか。たぶん、こちらは判明している資料に基づいているのだろうと思うが・・・どうだろう。その点について資料がなく不詳。

 <猫の目>
 こちらの設定もおもしろい。主人公は複数で移動する。最初と最後の主人公として、東京でIと生活する女性、ヨーコの視点で描かれる。よっちゃんという愛称が出てくる。彼女はIの発案で一緒に内能登の和倉温泉から羽咋への旅に出る。
 ところが、Iが京都まで行こうと言い出した。二人はそこで別れて、主人公はIになる。彼は京都にある小さな美術館の学芸員をしていた。学芸員の時に、特別展「視覚の宇宙-18世紀日本画の新しい流れ」を企画し実現させた。その後、学芸員を辞して、東京に移る。Iが一つの新聞記事に着目して、京都に行く意図を実行したのだ。身勝手な・・・・。そこから、彼は、伊藤若冲の大幅の代表作『動稙綵絵』が全30幅と言われるが、実は他にも実在していたのではないか、という謎の解明に突き進む。Iは、夏目漱石が「一夜」の中に、若冲が描いた「冬蘆群雁図」の描写があり、その絵は実在していたものを見ての記述ではないかと推測する。そこから、『動稙綵絵』が30編に留まらず他にもあったという仮説をIは立てる。それをどのように論証していくかが一つの読ませどころになる。

 だけど、読んでいて、京都に行く必然性がどこにあったのか・・・私には判らなくなって行った。それは、サブストーリーである彼の回顧を鮮明にする舞台装置にすぎないのでは・・・・そんな気がした。ストレートに『動稙綵絵』の実物が所蔵される場所に行く記述、関係者に直に会うという展開が出て来ないのだ。ちょっと不思議な思いに・・・。京都国立博物館に立ち寄る場面は出てくる。だが、それは若冲の絵についての記述はあるが、『動稙綵絵』とは直接には関係しない。
 さらに、夏目漱石が「一夜」に描いた「冬蘆群雁図」のことは、回想の一部として描き込まれているのである。ストーリーの進展がちょっと奇妙な・・・・と感じた。

 ここではサブ・ストーリーのウエイトが大きいと感じる。一つは早紀子という女性についての回想、特別展を企画・実施したときの若冲作品の展示貸し出しを快く承諾してくれたジョーンズさんとの関わりの回想が、織り込まれていく。早紀子とは連絡を取ろうとまでする。これを語る背景としての京都か。
 夏目漱石家の猫の話が出てくる。エピソードとしてはおもしろい。だが、なぜこれが挿入されるのか。

 次の文が出てくる。
「画家の視界は、このとき、猫のものだ。
 若冲は、細部に執着した。それはある定点に立つ視界ではなく、その空間全体を舐めるように接写していく、透明な眼球を通して描かれている。繁みは、葉一枚一枚の病斑まで、緻密に描いた。それ一つひとつの穴から、何かがこちらを見つめている。猫の目。猫の気配は、そのようなものとして、彼の画幅のなか、あちこちに埋まっている。見つめ、見つめられる、この被視の網の目から、逃げられない」(p256)
「牡丹の繁みのなかで、猫の目が動いている」(p282)
「若冲が、猫の目で、こっちを見て絵に描いている」(p330)
 この小説のタイトル「猫の目」はここに由来するようだ。

 若冲の絵の技法などについての記述から学ぶところがいくつもあった。『動物綵絵』についてのIの論考も興味深い。一方で、私には読後にスッキリしない余韻が残る。そこに意図があるなら成功しているといえるのだろう。他の読者の印象記をちょっと検索してみようか・・・・。

 ご一読ありがとうございます。
 
補遺
乗興舟 伊藤若冲 :「和泉市久保惣記念美術館 デジタルミュージアム」
乗興舟 (Happy Improvisations on a Riverboat Journey)1 :「伊藤若冲」
乗興舟 (Happy Improvisations on a Riverboat Journey)2 :「伊藤若冲」
乗興舟 (Happy Improvisations on a Riverboat Journey)3 :「伊藤若冲」
乗興舟 (Happy Improvisations on a Riverboat Journey)4 :「伊藤若冲」
乗興舟 幻の若冲版木が縁側に [連載] :「ARTNE アルトネ」
石峰寺と伊藤若冲  :「石峰寺」
宝蔵寺と伊藤若冲  :「宝蔵寺」
第59話 伊藤若冲 百花図(花丸図) :「金比羅宮美の世界」
 神秘で濃密な絵画空間 武者小路千家官休庵家元後嗣・美術史家・千宗屋
修復終えた伊藤若冲「百花図」公開 緻密な描写がより鮮明に 金刀比羅宮で8日から特別展 香川 YouTube
天才絵師 伊藤若冲の“最晩年の傑作”を貸切で鑑賞! :「そうだ京都、行こう」
[京都 美の鑑賞歩き]第7回~信行寺本堂の天井に描かれた伊藤若冲の傑作が初公開!
               2015/11/3   :「サライ」
群鶏図     :「文化遺産オンライン」
蝦蟇・鉄枴図  :「京都国立博物館」
果蔬涅槃図   :「e國寶」
樹花鳥獣図屏風 :「静岡県立美術館デジタルアーカイブ」
夏目漱石 一夜 :「青空文庫」
夏目漱石 草枕 :「青空文庫」
動植綵絵  :ウィキペディア
若冲展 by ぶらぶら美術・博物館|新発見の真筆・孔雀鳳凰図 :「クラシック音楽とアート」

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『旅のネコと神社のクスノキ』 池澤夏樹・黒田征太郎 スイッチ・パブリッシング

2023-08-17 17:32:03 | 池澤夏樹
 先日、『ヤギと少年、洞窟の中へ』を読んだ。その時、共著の第一作として、本書が出ているということを知った。『ヤギと少年、洞窟の中へ』とは真逆で色彩豊かなイラストが描かれている。本書が共著による最初の絵本。
 このタイトルではどんな絵本か想像が及ばない。表紙は黒でクスノキの幹とネコが描かれているだけだから、表紙はタイトルの確認にとどまる。
 この絵本は、1945年7月はじめと9月末に広島市内を旅するネコに仮託した物語である。そう、8月6日、原爆投下、被爆、その惨状。被爆のビフォーとアフターを旅するネコの目と耳を仲介にして、物語っていく。旅のネコが話し合うのは小さな神社のクスノキと。その神社は、陸軍被服支廠の正門の横にあったという。
 本書は、2022年8月6日に第1刷が刊行された。購入したのは2023年8月6日発行の第三刷である。

 本書は、「ダイアログ」として最初に「旅のネコと神社のクスノキ」の絵物語が載っている。この絵本のページ数の大半を占めている。この絵本もまたページ番号が記されていない。物語の後に「ヒストリー 陸軍被服支廠」と題して、この陸軍被服支廠についての解説が8ページで語られている。
 ここでは、陸軍被服支廠の歴史/8月6日の原爆投下の事実/爆心からわずか2.7キロに位置するこの被服支廠が倒壊しなかった事実/被曝後のこの建物の状況/なぜ原爆は広島に落とされたのか?について、池澤が記述している。

 「ダイアログ」の物語に少しふれておこう。一匹のネコが7月初めに旅をする。そして大きな建物に出会う。それが「りくぐんひふくしょー」。ネコはこれはなに?と疑問を抱く。神社のクスノキと会話して、教えてもらうことに・・・。
 そして、「でも、戦争は道理にかなっているの?」とネコは問い、「いない だからきっと恐ろしいことが起こるんだ ヘータイさんが撃った弾がぜんぶ一つになって返ってくる」と神社のクスノキが答える。
 9月末、旅のネコは、比治山を山越えし、クスノキの許にやって来る。ネコは山の向こうで見たことを語る。クスノキは何が起こったのか-被曝当日とその後の状況-をネコに語る。

 比治山の南側にあった被服支廠の建物は残り、こちら側の草木は元気に繁り、花を咲かせていたのである。
 
 ネコは草や葉の間から沢山、だれかが見ていると感じる。クスノキはいう「死んだ人たちの目だよ 今から先の方を 見ているんだ」と。

 この物語はクスノキの語る代弁により締めくくられる。

    自分たちはもうしかたがない
    でもまたこどもはうまれるし
    こどもはそだつ

    そのときに草や木から
    力をもらおうとおもって
    みんな草のあいだ
    木の葉のあいだから世界をみている

 原爆投下、被爆とその惨状という歴史的事実を、陸軍被服支廠という現存する建物を介在させ、被服支廠を語るという形、それもネコとクスノキとの対話という間接的な形で語っていく。そこで語られている内容は実に重い。この歴史的事実は今も猶進行形の課題を含む。
 「みんな草のあいだ 木の葉のあいだから世界を見ている」
 この感性を大切にし、あの日の事実を忘れてはならないのではないか。

 衣服支廠の正門の横に小さな神社があったのは事実だそうだ。「そこにクスノキがあったというのはぼくの創作だが、・・・・」と著者池澤は記している。

 ヒロシマ・ナガサキの原爆被爆については、今迄に写真集や詩、文を読んだり、報道で関連映像に接したりしてきた。しかし、ここで題材としてフォーカスされた陸軍被服支廠については知識も記憶もなかった。比治山のことも遅ればせながら本書で知った。
 今年で78年。被爆の状況、事実については、まだまだ知らないこと、知らされていないことに満ちている・・・・それが事実、そんな思いが湧き起こる。
 被爆という事実。被爆を生み出した背後に潜む事実。被爆の実態と被爆者の現状。
 これらを風化させてはならない。ヒロシマ・ナガサキは現在進行形なのだ。
 それどころか、核問題は形を変えていま改めてグローバルかつ重要な喫緊の問題事象になっているのだから。
 因果の連鎖と政治経済のダイナミズムの中で、全てがリンクしているように思う。
 
 絵本という形でワンクッションを置いて、ヒロシマの被爆を知る、捉え直してみる、そんな機会になる。8.6を語り継ぐのに役立つ一冊だと感じている。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
旧広島陸軍被服支廠   :「広島県」
広島陸軍被服支廠    :ウィキペディア
  広島市への原子爆弾投下の爆心地から2670メートルの距離
旧陸軍被服支廠の三次元動画を公開中! :「広島県土地家屋調査士会」
比治山 71m  :「10th YAMAP」
比治山「平和の丘」 :「広島市」
砂澤ビッキ  :ウィキペディア
街角美術館 砂澤ビッキ制作『四つの風』 札幌芸術の森野外美術館 
                  :「ワイン好きの料理おたく 雑記帳」
「四つの風」最後の1本 札幌芸術の森 <ドローン撮影>  :「北海道新聞」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ヤギと少年、洞窟の中へ』 黒田征太郎との共著 スイッチ・パブリッシング
以下は、[遊心逍遙記]に掲載しています。
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』  堀川惠子 文藝春秋 
『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』  堀川惠子  講談社

『第二楽章 ヒロシマの風 長崎から』 編 吉永小百合 画 男鹿和雄 徳間書店
『決定版 長崎原爆写真集』 「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『決定版 広島原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』 高瀬 毅  文春文庫
『ヒロシマの空白 被爆75年』  中国新聞社  中国新聞社×ザメディアジョン
『原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』 黒古一夫・清水博義 編 日本図書センター
『普及版完本 原爆の図 THE HIROSHIMA PANELS』 共同制作=丸木位里・丸木俊 小峰書店
                                  以上
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『折れない言葉』  五木寛之  毎日新聞出版

2023-08-16 12:26:47 | 五木寛之
 かなり前の新聞広告でこの本のタイトルが目に止まった。その後も幾度か新聞広告で見ている。著者名を見て読んでみることにした。
 冒頭の「まえがきにかえて」にこんなフレーズが記されている。「心が折れそうになった時もある」「励ましの言葉」「心と体に効く」「大きな支えとなった言葉」。ここからタイトルの表現ができあがったのではないかと思う。
 本書は『サンデー毎日』(2015年4月~2022年1月)に「ボケない名言」と題して連載されたようだ。2022年3月に単行本が刊行された。新書版サイズより少し幅広の大きさのハードカバー本。単行本化にあたっての改題は成功だと感じる。

 「この一冊の本のなかには、私が実際に日々生きているなかで、大きな支えとなった言葉を自由に選んで感想を述べてみた」(p2)と記している。つまり、「大きな支えになった言葉」をお題にしたエッセイ集である。お題の言葉に対して、見開き2ページでまとめられたエッセイなので、読者としては読みやすい。ちょっとした時間で読み切れるというのメリットがある。ペラペラと開いてみて、気になった「励ましの言葉」の見開きページから読み始めるのもありだろう。
 本書は5章立てにして、テーマ分類した構成になっている。それぞれの章の最初と最後に取り上げられた「折れない言葉」を参考にご紹介する。
    第1章 明日を信じる
       今日できることを、明日に持ちこしてはいけない。 
                     ベンジャミン・フランクリン
       口笛を吹きながら夜を往け  コリン・ウィルソン

    第2章 青年と老年
       転ばぬ先の杖  ことわざ
       人は慣れると手ですべきことを足でするようになる  蓮如

    第3章 淋しくて仕方のない日には
       淋しい時には 淋しがるより仕方ない  倉田百三
       見るべき程のことは見つ   平知盛

    第4章 変化に追いつけない時に
       国破れて山河在り  杜甫
       深淵をのぞきこむとき 深淵もまたこちらをみつめる ニーチェ

    第5章 見知らぬ街で
       孤独は山になく、街にある   三木 清
       自分の経験しない事は、つまり不可解なのである  正宗白鳥

 著者が選んだ言葉に対して、著者は賛意を記す、一捻りした解釈を記す、思い出や体験を主体に記す、距離を置く考えを記す、対立に近い考えを記す、など、著者自身の思い、が綴られている。「歎異抄渾沌として明け易き 齋藤愼爾」を取り上げて、「この句の解釈は、私にはできない」(p139)と感想を記すものまである。尚、続けて「ただ、『歎異抄渾沌として明け易き』と声に出してつぶやく時、なにか大きなものを手でさわったような気がする・これを『俳偈』とでもよぶべきだろうか」の一文で締めくくっているのだが。
 「古代中国の思想家もいる。当代の人気アスリートのインタヴューでの感想もある。外国人の言葉もあり、日常的なことわざのたぐいもある」と「まえがきにかえて」に記されている通り、ここに選ばれた言葉は幅広い。
 たとえば、羽生結弦が語ったという「努力はむくわれない」を選んでいる。そのエッセイの中では、それに続く「しかし努力には意味がある」(p21) という発言も紹介している。
 私にとっては、知らない「折れない言葉」が多かった。そういう意味でも、興味深く通読した。通読してみて「前書きにかえて」の前半部に、読み返してみて少し矛盾がある表現と感じる箇所があった。まあいいか・・・・。私の主観かもしれないし、本文を読むのに影響はないので。
 読者として、欲をいえば、巻末に、ここに選ばれた言葉の索引を付けて欲しかった。本書に立ち戻るのには、その方が便利だから。

 さて、このエッセイ集、選ばれた「折れない言葉」そのものを「悩み多き人生の道連れ」として役立てることができるけれど、著者のエッセイそのものの中に、その言葉の鏡としてとらえられる箇所がある。それが読者にとり考える糧になる。併せて役立てるのが勿論プラスだろう。

 エッセイの中に、著者の実体験を通した思いの表明でキラリと光る、示唆深い箇所が沢山ある。そこから少し引用しておこう。他にもいろいろあるが・・・・。
 敢えてそれがどのページに記されているかは表記さない。本書を読みながら、ああ、ここかと見つけていただきたい。私にとっては、キラリと示唆深いが、そのエッセイを読んだ貴方がどう受けとめられるかは別だから。出会いを楽しんでいただければ・・・。

*「明日できることは、明日やろう」と、明日を信じて、私は今日まで生きてきたような気がする。

*五十歩百歩という考え方は、世界を平面的に視る立場だ。これが上下の階段となると、とてもそんなことは言っていられない、・・・・五十歩百歩は、慎重に受けとめるべきだ。

*「努力してもむくわれないのが世の中と決めているから、努力に結果を求めない。やりたいからやっているのだ、好きでやるのだ、と覚悟して生きてきた。これでは駄目だろうか。

*真実は必ずしも一つではない。いくつかの事実が重なり合って現実となる。・・・・
 「おまかせ」しない姿勢もまた大事にしたいと思うのだ。

*ブツダも、イエスも、矛盾した言動や行動を数多く残している。しかし、矛盾と対立は運動エネルギーの原点である。反撥と結合のなかから歴史は作られてきた。自己を信じることと、自分を疑うことの狭間に私たちは生きているのだ。 

*人は論理によって動かされるだけではない。・・・人の心を動かすのは感情のともなった条理である。

*蓮如の経説は、親鸞の思想の実践編である。世の中には理論ではそうでも、現実には通用しないことが多い。そこをどう通り抜けていくかが人間の器量というものだろう。

*表現というのは、伝えたいことを伝えるための行為だ。親鸞も道元も、どこかゴツゴツした直截な物言いが共通している。鎌倉新仏教の力強さはそこにあるのかもしれない。

*拡散のスピードが速ければ速いほど、事実は稀薄になっていく。 

*私たちは、どんな人でも二つの相反する気持ちを心に抱いているものだ。 
 人間は薬だけでなく、毒によっても生かされている存在なのだ。

*私は思春期に敗戦を迎えたせいか、世の中そんなにうまくいくものではない、という固定観念を抱いて生きてきた。
 踏んだり蹴ったりというのが、この世のならわしだと今でも思っている。 

*ことわざが通用するのは、その時代のあり方による。ことわざも永遠の真理ではない。 <時機相応>という発想が必要なのだ。   

*要するに人は己の欲することを選ぶのだ。その理由づけとして名言や諺を持ち出すのだろう。
 反対の言葉があればこそ、諺は長く生き続けるのだろう。 

*スキャンダルは、人間の魂の深淵だ。暗い亀裂の底に、見てはならないものがうごめいている。
 スキャンダルにも前年比がある。少しずつ濃度をあげていくことを読者は求める。

*人びととまじわり行動するなかで、私たちは自分が他の仲間とちがう独立した個性であることを知らされる。・・・それを感じるときに主体的な個人が見えてくる。

*人は励ますことによって励まされ、励まされてまた励ます力を得る。 

*人間は自分の思い出の持ち方次第で、現在を一層光にみちたものにすることも出来れば、恐ろしく暗い影のなかに包んでしまうことも出来る。

*自他の相剋のなかに人は生きるのだ。 

 己にとっての「折れない言葉」と出会うために、このエッセイを手に取るところから始めるのも良いきっかけになるかもしれない。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『百の旅千の旅』  小学館

以下はブログ「遊心逍遙記」に載せた読後印象記です。
『親鸞』上・下     講談社
『親鸞 激動篇』上・下 講談社
『親鸞 完結篇』上・下 講談社
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『堤未果のショック・ドクトリン』  堤未果  玄冬舎新書

2023-08-14 11:25:21 | 歴史関連
 新聞広告を見たとき、ちょっと気になっていた。著者の本は未読だったが名前は記憶していた。「政府のやりたい放題から身を守る方法」というキャッチフレーズ的な副題と「ショック・ドクトリン」という用語が引っかかったのである。手に取らないでいる内に、U1さんのブログ記事で本書について書いておられるのを読んだ。その数日後だったか、大きめの出版広告が再び目に止まった。そんな経緯から読み始めた。
 本書は2023年5月に刊行された。私が入手したのは6月第3刷である。かなり関心の高い新書の1冊になっているようだ。

 著者は本書の序章を、2001年9月11日、「9.11」のニューヨクでの体験を語ることから始めている。著者はあの時、あのツインタワーに隣接する世界金融センタービルの20階で勤務していたという。あの惨劇を身近で体験した一人だった。そして、あのテロ行為以降にアメリカが変貌する様相を見聞し体験してきたのだ。「9.11直後のアメリカで身に染みた、絶対に忘れてはならないこと、それは、一度成立してしまったら、凄まじい勢いで社会を変えてしまう『法律の力』です」(p15)と記す。この認識が本書においても展開されていく。
 9.11以降にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症した著者は、勤務先の野村證券を辞め帰国。「人断ち」という修行を勧められ実行した結果、己を取り戻し、国際ジャーナリストに転進したという。数年後に出会ったのが上掲のナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』だったそうだ。

 本書は、著者がジャーナリスト・作家であるナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』から学びヒントを得たことを踏まえ、現在の重要な問題事象を分析し、論点を明確にして、「政府のやりたい放題から身を守る」ために警鐘を発する書である。
 ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン』は2007年に刊行された。原書には副題として、THE RISE OF DISASTER CAPITALISM とある。翻訳書では副題を「惨状便乗型資本主義の正体を暴く」と訳出する。不勉強故に、この翻訳書が2011年9月に出版されていたことを本書で初めて知った。

 著者は「ショック・ドクトリン」を次のように定義づけている。
 「ショック・ドクトリンとは、テロや戦争、クーデターに自然災害、パンデミックや金融危機、食糧不足に気候変動など、ショッキングな事件が起きたとき、国民がパニックで思考停止している隙に、通常なら炎上するような新自由主義政策(規制緩和、民営化、社会保障切り捨ての三本柱)を猛スピードでねじ込んで、国や国民の大事な資産を合法的に略奪し、政府とお友達企業群が大儲けする手法です。」(p17)ナオミ・クラインの考えを継承しているのだろう。
 この定義のもとに、まず序章で、ショック・ドクトリンが実行されていくプロセスに、5つのステップがあると提示し、問題事象の分析視点を提示している。こののフレームワークを使って、問題事象について、緻密な情報収集を行い、情報分析をして論理的推論からえた所見を整理しするとともに、身を守るための対策法を論じてく。ショック・ドクトリンの応用編レポートと言える。

 では、そのフレームワークとは何か?
  ①ショックを起こす   ショックが発生するという場合もある。例:大地震
  ②政府とマスコミが恐怖を煽る
  ③国民がパニックで思考停止する
  ④シカゴ学派の息のかかった政府が、過度な新自由主義政策を導入する
  ⑤他国籍企業と外資の投資家たちが、国と国民の資産を略奪する。
著者はこの5大ステップをフレームワークとして、現実の諸問題の発生経緯と現状を論じていく。
 さらに、このショック・ドクトリンのステップについて、「ターゲットが世界規模になったことと、GAFA(アメリカ大手IT企業群)やBATH(中国大手IT企業群)のような、極めて危険な新プレィヤーが参入してきたこと」(p47)で、大きな変化が加わっていると説く。
 本書p56-57には、今までの「世界のショック・ドクトリン事例」を簡潔に一覧表で示している。ショックに該当すもの、つまり上記①として、次の事象が列挙されている。
チリ軍事クーデター、旧ソ連崩壊、韓国通貨危機、アメリカ同時多発テロ(9.11)、イラク戦争、スマトラ沖地震、ハリケーン・カトリーナ、東日本大震災、新型コロナパンデミック。
 このリストを読み、ウ~ンと唸らざるを得なかった。このような5つのステップというフレームワークで現実に発生してきている事象を捉える思考をしていなかったからだ。断片的、分散的な事実認識にとどまっていた。

 著者は「正しい判断をするための第一歩は、何が起きているかを知ることです」(p53)と助言する。五感を再起動させ、何か変? という違和感を感じるかどうかがスタートになるという。序章の最後に「違和感チェックリスト」が掲載されている。このチェックリスト、まず序章の一環として通読した。本書全体を読み終えてから、再読するとそのチェック項目の意図と奥行を再認識することになった。役立つチェックリストである。

 さて、これからが「堤未果のショック・ドクトリン」になる。つまり、著者がナオミ・クラインの提唱した用語とフレームワークをヒントに、現在進行形の事象を解明するために応用した所見であり、読者に問題提起し捲き込むためのレポートでもある。ここでは
 第1章 マイナンバーという国民監視テク    ⇒マイナンバーカード制度
 第2章 命につけられる値札ーコロナショック・ドクトリン ⇒コロナ禍の背景の動き
 第3章 脱炭素ユートピアの先にあるディストピア  ⇒脱炭素問題と排出権取引
という3つの事象が論じられている。
 その内容は、本書を繙いていただきたい。

 著者はこの3つの事象について、それぞれが現在進行形である状況を、上記の5ステップで分析しつつ、具体的に指摘している。考えられる問題点や不明瞭な動きの中で決められた事項の実態、どのような金の流れが発生しているかなどを指摘し論じている。読み進めてナルホドと思う指摘事項が多い。こういう風に繋がっているのか・・・と愕然とする箇所。見れども見えず・・・。我が問題意識の闕如といえそう。己の五感を活性化させる刺激材料となった。
 一方、これからも立ち戻って考え直す、あるいは著者の指摘を再チェックしつつ再考する情報源になると思う。特に、マイナンバーが当初の目的が曖昧化され、知らぬ間に拡大解釈され、国民監視の手段とされないように注視する必要が喫緊のようである。デジタル化で一番気をつけるべきことは? 「決して、権力を集中させてはいけません」と台湾のデジタル担当大臣オードリー・タンが答えたという。「リスク分散」の視点、大事にしたい。
 
 本書内で著者が述べている鉄則的な所見表記の箇所を引用しご紹介しておこう。
*全く同じ出来事が起こるわけではないけれど、一つ一つの事象をつなぎ、長い時間軸で眺めると、ある共通パターンが見えてくるからです。
 過去をひもとき、つなぎ合わせ、その法則を知ることで、歴史は私たち市民が未来を取り戻すための、協力な武器になるのです。  p47  ⇒温故知新に通じる発言。
*何が起きているのかを多角的に摑み、全体像を見るスキルを身につける p49 
*デジタルの制度設計をうまくかせる秘訣:社会の中で、一番システムを使いづらい人たちに合わせてつくればいいんです。  p78
*ショック・ドクトリンを読み解くには、それがあるとできることではなく、それがないとできないことに注目してください。 p113

 最後に、著者の警鐘事項から、2つ引用しておきたい。
*民主主義国家では、国が国民に何かを強制すると大問題になるため、代わりに「選択肢を奪う」という手法が取られることがあります。 p118
*ショック・ドクトリンを実施する側にとって「緊急事態」とは、憲法や法律、民主主義や民意といった「障害」を一気に消し去る、魔法の言葉だからです。 p160

 この新書、しばらくは、立ち戻り、時間軸での経緯を確認するのに役立つ情報源になりそうだ。

 ご一読ありがとうございます。



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