遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『旅のネコと神社のクスノキ』 池澤夏樹・黒田征太郎 スイッチ・パブリッシング

2023-08-17 17:32:03 | 池澤夏樹
 先日、『ヤギと少年、洞窟の中へ』を読んだ。その時、共著の第一作として、本書が出ているということを知った。『ヤギと少年、洞窟の中へ』とは真逆で色彩豊かなイラストが描かれている。本書が共著による最初の絵本。
 このタイトルではどんな絵本か想像が及ばない。表紙は黒でクスノキの幹とネコが描かれているだけだから、表紙はタイトルの確認にとどまる。
 この絵本は、1945年7月はじめと9月末に広島市内を旅するネコに仮託した物語である。そう、8月6日、原爆投下、被爆、その惨状。被爆のビフォーとアフターを旅するネコの目と耳を仲介にして、物語っていく。旅のネコが話し合うのは小さな神社のクスノキと。その神社は、陸軍被服支廠の正門の横にあったという。
 本書は、2022年8月6日に第1刷が刊行された。購入したのは2023年8月6日発行の第三刷である。

 本書は、「ダイアログ」として最初に「旅のネコと神社のクスノキ」の絵物語が載っている。この絵本のページ数の大半を占めている。この絵本もまたページ番号が記されていない。物語の後に「ヒストリー 陸軍被服支廠」と題して、この陸軍被服支廠についての解説が8ページで語られている。
 ここでは、陸軍被服支廠の歴史/8月6日の原爆投下の事実/爆心からわずか2.7キロに位置するこの被服支廠が倒壊しなかった事実/被曝後のこの建物の状況/なぜ原爆は広島に落とされたのか?について、池澤が記述している。

 「ダイアログ」の物語に少しふれておこう。一匹のネコが7月初めに旅をする。そして大きな建物に出会う。それが「りくぐんひふくしょー」。ネコはこれはなに?と疑問を抱く。神社のクスノキと会話して、教えてもらうことに・・・。
 そして、「でも、戦争は道理にかなっているの?」とネコは問い、「いない だからきっと恐ろしいことが起こるんだ ヘータイさんが撃った弾がぜんぶ一つになって返ってくる」と神社のクスノキが答える。
 9月末、旅のネコは、比治山を山越えし、クスノキの許にやって来る。ネコは山の向こうで見たことを語る。クスノキは何が起こったのか-被曝当日とその後の状況-をネコに語る。

 比治山の南側にあった被服支廠の建物は残り、こちら側の草木は元気に繁り、花を咲かせていたのである。
 
 ネコは草や葉の間から沢山、だれかが見ていると感じる。クスノキはいう「死んだ人たちの目だよ 今から先の方を 見ているんだ」と。

 この物語はクスノキの語る代弁により締めくくられる。

    自分たちはもうしかたがない
    でもまたこどもはうまれるし
    こどもはそだつ

    そのときに草や木から
    力をもらおうとおもって
    みんな草のあいだ
    木の葉のあいだから世界をみている

 原爆投下、被爆とその惨状という歴史的事実を、陸軍被服支廠という現存する建物を介在させ、被服支廠を語るという形、それもネコとクスノキとの対話という間接的な形で語っていく。そこで語られている内容は実に重い。この歴史的事実は今も猶進行形の課題を含む。
 「みんな草のあいだ 木の葉のあいだから世界を見ている」
 この感性を大切にし、あの日の事実を忘れてはならないのではないか。

 衣服支廠の正門の横に小さな神社があったのは事実だそうだ。「そこにクスノキがあったというのはぼくの創作だが、・・・・」と著者池澤は記している。

 ヒロシマ・ナガサキの原爆被爆については、今迄に写真集や詩、文を読んだり、報道で関連映像に接したりしてきた。しかし、ここで題材としてフォーカスされた陸軍被服支廠については知識も記憶もなかった。比治山のことも遅ればせながら本書で知った。
 今年で78年。被爆の状況、事実については、まだまだ知らないこと、知らされていないことに満ちている・・・・それが事実、そんな思いが湧き起こる。
 被爆という事実。被爆を生み出した背後に潜む事実。被爆の実態と被爆者の現状。
 これらを風化させてはならない。ヒロシマ・ナガサキは現在進行形なのだ。
 それどころか、核問題は形を変えていま改めてグローバルかつ重要な喫緊の問題事象になっているのだから。
 因果の連鎖と政治経済のダイナミズムの中で、全てがリンクしているように思う。
 
 絵本という形でワンクッションを置いて、ヒロシマの被爆を知る、捉え直してみる、そんな機会になる。8.6を語り継ぐのに役立つ一冊だと感じている。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
旧広島陸軍被服支廠   :「広島県」
広島陸軍被服支廠    :ウィキペディア
  広島市への原子爆弾投下の爆心地から2670メートルの距離
旧陸軍被服支廠の三次元動画を公開中! :「広島県土地家屋調査士会」
比治山 71m  :「10th YAMAP」
比治山「平和の丘」 :「広島市」
砂澤ビッキ  :ウィキペディア
街角美術館 砂澤ビッキ制作『四つの風』 札幌芸術の森野外美術館 
                  :「ワイン好きの料理おたく 雑記帳」
「四つの風」最後の1本 札幌芸術の森 <ドローン撮影>  :「北海道新聞」

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『ヤギと少年、洞窟の中へ』 黒田征太郎との共著 スイッチ・パブリッシング
以下は、[遊心逍遙記]に掲載しています。
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』  堀川惠子 文藝春秋 
『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』  堀川惠子  講談社

『第二楽章 ヒロシマの風 長崎から』 編 吉永小百合 画 男鹿和雄 徳間書店
『決定版 長崎原爆写真集』 「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『決定版 広島原爆写真集』「反核・写真運動」監修 小松健一・新藤健一編 勉誠出版
『ナガサキ消えたもう一つの「原爆ドーム」』 高瀬 毅  文春文庫
『ヒロシマの空白 被爆75年』  中国新聞社  中国新聞社×ザメディアジョン
『原爆写真 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ』 黒古一夫・清水博義 編 日本図書センター
『普及版完本 原爆の図 THE HIROSHIMA PANELS』 共同制作=丸木位里・丸木俊 小峰書店
                                  以上
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『ヤギと少年、洞窟の中へ』 池澤夏樹・黒田征太郎 スイッチ・パブリッシング

2023-08-10 10:19:54 | 池澤夏樹
 本書は朝日新聞に掲載された池澤夏樹へのインタビュー記事を読み、著者が絵本を出していると知り、読むきっかけとなった。読後の第一印象は、絵本であって絵本ではない。そんな異彩を放つ絵本ということ。本書は、2023年6月に刊行されている。

 本書を読み終え、最後に奥書を読んだ時点で、著者にとっては、イラストレーターの黒田征太郎との共著として、本書が絵本第二弾であることを知った。

 第1作の絵本は知らないので、本書だけでの読後印象である。
 この絵本の主軸は「ダイアログ」という冠語を付けた「ヤギと少年、洞窟の中へ」というお話にある。洞窟内での少年の体験がストーリーとなっている。冒頭の表紙が表すように、洞窟の闇、黒が基調になる。だが、読後印象として、「黒」には別の意味合いが幾重にも重ねられていると感じる。イラストが黒を基調とするのは頷ける。

 少年と彼がビンキと名付けたヤギが主人公。繋がれていた綱から抜け出たビンキを少年が追いかけ、ヤギが入って行った岩の間の穴に少年も導かれるようにして入る。入ってすとんと落ちたところからヤギを追いかけ、そこが大きなガマ(洞窟)であるとわかる。少年はガマで女の人に出会うという不思議な体験をする。「わたしは三年前の戦争の時にこのガマで死んだの。・・・・」とその女性が語り始める。
 ガマ(洞窟)・・・そう、場所は沖縄である。少しファンタジィックな要素を加えてあるが、洞窟での少年の体験をフィクションという形で描き出していく。どのページも黒が基調のイラストなので、白抜きの文字で語られている。女性が少年に語る話は、実に重い。 最後の見開きのページは、ビンキに導かれて少年がガマから出るシーン。「外は眩しかった」で終わる。黒から白・黄色への転換。一瞬ほっとした。
 だが、ガマの闇の中の話。具体的には知らなかった。詳しくは知らされていなかった。いや、ごく表層的に知っていた側面はある。だが、その先へ更に踏み出す思考が欠落していたことに気づいた。

 本書が異彩を放つと冒頭に記した理由を説明しよう。
1.上掲の絵本としてのお話は、凡そ本書のページ数の半分ほどである。
 読後にページの表記がないのに気づく。ページ数を数える気がしないので正確には語れない。
2.絵本の後に「用語解説」が付いている。これはこの絵本を子供に伝えるための大人へのガイドという形になっている。いや、実はこの絵本、大人のための大人に読んでほしいという意図を持つ絵本ではないか。
 用語解説の見出し語は、「ガマ」「沖縄戦」「ひめゆり学徒隊」「アブチラガマ(糸数壕)」「遺骨収集」である。この用語解説、ぜひ、内地(本土)の大人には読んでほしい。読んで、己への情報とし、さらに子供に伝えるために。
3.「さらに書いておくべきこと」という見出しで、著者の思いが3ページにまとめられている。ここで、著者自身が「ダイアログ」の絵解きを少し記している。「アブチラガマ(糸数壕)」を参照例の一つにしたが、「『ダイアログ』について、これがフィクションであって史実とは異なることをお断りしておく」と。いくつもの事例をフィルターにかけて、そのエッセンスをフィクションという形でお話に統合したものと述べている。
4.「戦争で死んだ少女たち」が最後のセクションとして載っている。
 ここには、「沖縄戦で亡くなった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等学校の生徒たちの名簿」総計211名の氏名と死亡の場所が死亡の日付順に記録されている。
 著者は記す。「小さいながら紙碑のつもりだ。一人一人に黒田征太郎さんが花を捧げられる」と。名前と死亡の場所が明記され、次の行には花のイラストが描かれて行く。
 著者は断ずる。彼女たちの死は「難死」(小田実の造語)に当たるものだ。要するに彼女たちは軍によって死の世界へ放逐されたのだ、と。

 史実としての「沖縄戦」は終わった。だが、「沖縄戦」の結果は終わってはいない。現在もその結果・影響が継続している。遺骨収集調査の手が入っていないガマが未だたくさんあるという。知らなかった事実の一端を本書で知った。「最近になって、遺骨を含む沖縄本島南部の土砂を辺野古の埋め立てに使うという政府案が浮上した。・・・・ひとまずは撤回されたらしい」と言う記述がある。沖縄戦は過去の歴史ではない、結果は未だ現在進行形なのだ。

 アブチラガマ(糸数壕)は沖縄県南城市に所在する。読谷村(ヨミタンソン)には、チビチリガマとシムクガマという対照的な歴史を辿ったガマが存在することを知った。
 本書の最後に載る「紙碑」を著者の助言通り、一人また一人と読み上げて行った。亡くなった場所が「伊原第三外科壕」が38人、「伊原第一外科」が7人、「摩文仁村伊原付近消息不明」が11人、という人数の多さ・まとまりが特に目に止まる。伊原という地名は糸満市にある。伊原第三外科壕跡は「ひめゆりの塔」が建立されている場所だと知った。

 本書によって、今まで沖縄について無知なままでいた側面を自覚させられることになった。まず本書は、私にとって「大人の絵本」の役割を果たしてくれた。
 本書で『旅のネコと神社のクスノキ』という第1作を知った。近々読んでみようと思っている。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
糸数アブチラガマ案内センター  :「らしいね南城市」
ひめゆりの塔 ひめゆり平和祈念資料館 ホームページ
ひめゆりの塔  :「沖縄観光チャンネル」
沖縄本島(糸満・ひめゆりエリア)-伊原第三外科壕跡- :「OKINAWATRIP」
魂魄の塔          :「県営平和祈念公園」
平和の礎(いしじ)     :「県営平和祈念公園」
戦没者遺骨収集情報センター :「県営平和祈念公園」
沖縄での戦没者遺骨収集について  :「PEAK+AID ピーク・エイド」
遺骨収集ボランティア・ガマフヤー代表、具志堅隆松さんインタビュー  YouTube
沖縄・辺野古埋め立て計画から、戦没者の遺骨を守る物語【ドキュメンタリー】遺骨~声なき声をきくガマフヤー~(2021年・沖縄テレビ)  YouTube
遺骨収集ボランティア 子どもや年寄りの遺骨 遺族のもとへ(沖縄テレビ)2022/2/24
     YouTube
沖縄県の10地域で収容された戦没者遺骨のDNA鑑定の申請受付について
                :「厚生労働省」
戦没者遺骨のDNA鑑定の実施について(令和3年10月1日から受付開始) :「沖縄県」

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『また会う日まで』   朝日新聞出版

[遊心逍遙記]に掲載
『アトミック・ボックス』  毎日新聞社
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』   小学館
『すばらしい新世界』  中央公論新社
『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 写真・鷲尾和彦 中央公論社
『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館

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『また会う日まで』  池澤夏樹   朝日新聞出版

2023-05-25 13:42:20 | 池澤夏樹
 本文709ページという長編小説。作者の父方の大伯父にあたる秋吉利雄とその家族について書かれた小説である。本書の主題部は秋吉利雄が己の人生と家族・親族のことを回想する、つまり「わたし」という一人称の視点で語られていく。自伝風小説の形式をとっていると理解した。最後のセクションは「コーダ」というタイトル。語義を調べてみて、ここでは「終結部」の意味と解釈する。秋吉利雄の長女洋子の語りと、水路部で腹心の部下だった内山修治さんの墓参場面、そして、作者自身による「秋吉利雄が亡くなってまもなく75年、長女の洋子が他界してからも8年になります。この先のことを報告するのは作者であるぼくしかいなくなりました」から始まる2ページの内容がこの小説の締め括りである。
 本書は、朝日新聞の朝刊(2020年8月1日~2022年1月31日)に連載され、加筆修正を経て、2023年3月に単行本が刊行された。

 秋吉利雄は、3つの顔を持つ人だった。利雄の二人目の妻となった「よ子」が使った言葉で言えば3つのアトリビュートである。3つの柱と秋吉利雄自身は自覚している。
 1つ目の柱は、海軍軍人として生きるという人生。2つ目の柱は天文学者であり理学博士であること。3つ目の柱は、聖公会に属する敬虔なキリスト教徒であること。アメリカの聖公会という教派の信徒として教会に通い、信仰を基盤に日常生活を送るという生き方。日曜学校の教師を務めるほどに教会との関わりが深かった。

 1892(明治25)年11月18日に井上岩吉・ナカ夫妻の子として生まれ、兄が居たので秋吉徳三郎の養子となる。秋吉利雄として生きる。父井上岩吉は31歳の時に洗礼を受け、キリスト教徒になった。紆余曲折の後、両親は敬虔な信者として教会の周辺で布教の手伝いをして暮らす。
 秋吉利雄は、尋常小学校を卒業後、高等小学校の科目は自習で身につけ、メソジストの経営する長崎の鎮西学院に進学。首席で卒業後、江田島の海軍兵学校に入校する。日露戦争が終結して6年という時期である。3年3か月の課程を経て、1914(大正3)年12月19日、海軍兵学校をハンモックナンバー、席次16番で卒業。海軍少尉候補生になる。
 このストーリー、秋吉利雄が海軍軍人として成長して行くプロセスがまず描かれて行く。海軍兵学校を卒業後、練習艦隊での艦上生活が始まる。練習艦隊から5年、水雷学校と砲術学校の課程を終え、最後に戦艦「霧島」には乗らなかった。大尉への昇進予定の前に、上官から進路の面談を受ける。上官から学究肌なのではないのかと問われたことが契機となり、己の思いを述べて、航海術を学ぶために海軍大学校に入学する道を選択をする。さらに水路部に進み天文をやりたいとその方向を定める。海軍大学校を終えた後には、東京帝国大学理学部に入り、ニュートンの天文学を学ぶという道を進む。つまり、天文学者、理学博士になる。己の才能を開花させていく。
 海軍軍人として海軍省の組織下にある水路部に勤務する生活が始まって行く。海軍の艦と民間の船は全て航海上の位置を天測により確定しなければ目的地に到達できない。その確定の為には、航海暦/天文暦という文書が必須である。その天文暦を準備する部署が水路部にある。秋吉利雄はその部署を統括する立場で実績を積み、昇進していく。
 秋吉利雄は、海戦という実戦経験が皆無の職業軍人の道を敗戦(終戦)まで歩み続けて行く。

 このストーリー、軍部が戦争へと突き進んで行くプロセスを時代背景に織り込みつつ、秋吉利雄の胸中で上記の3つの柱が常に葛藤しつづける局面を描き出していく。
 例えば、秋吉利雄が東京帝国大学理学部学生の時点において、己の心境として、「どれが最も大事と決めることはできない。言わば三本の柱がわたしという人格を宙空に支えていた。三本の木が隣り合ってたち並び、それぞれから横に伸びた枝の先に開く葉叢は互いに重なり合っている。あるいは互いを遮って陽光を奪い合っている。わたしの中で争っている」(p217)と自覚していたのだ。
 キリスト教徒としての信仰からの葛藤が常に内在する。モーゼの第6戒「汝殺すなかれ」である。職業軍人である己は、戦場に臨めば勝つために相手を殺す立場になる。水路部に所属し、天文暦を作成するという立場なので、その可能性はほとんどない。だが、天文暦が戦艦の航海上で使われ、海戦に突入すればそれは殺し合いの場に間接的に加担している立場である。天文暦の提供は間接的に「汝殺すなかれ」の戒を犯していることになる。秋吉利雄にはその自覚がある。
 秋吉利雄の心中の葛藤描写がこの小説の一つの中心的なテーマになっている。

 秋吉利雄の心中の葛藤はいわば、コインの一面である。当時の政治状況、社会経済状況、海軍の状況という反対の一面を、秋吉利雄の視点を介して読者は知り、文字を媒体にして認識していくことになる。本書は、大正から昭和前期にかけての社会情勢・状況を明らかにしていく。この時代を捉え直すということも本書のテーマの一つになっていると私は受けとめた。
 ここでは、秋吉利雄が練習艦に乗る1915(大正4)年から、病院で死亡する1947(昭和22)年までの社会情勢・状況が継続的に書き込まれていく。ここに、折々の重要な情報提供者としてMが登場する。Mは秋吉利雄と海軍兵学校での同期生。事故に遭遇し脚部を損傷。艦上勤務から外れ、海軍省の大臣官房海軍文庫で機密文書の管理をする一方で戦史を研究するという仕事に従事している。そのMと秋吉利雄はしばしば居酒屋で会って対話、情報交換をする。Mが最新情報を秋吉に伝え、二人は情勢分析を行い、戦争の動向、政治の動向や社会情勢について語り合う。読者はこの二人の会話を介して、当時の状況を具体的に知る立場になる。
 私はこの小説を通じて、当時の具体的な事実の多くを初めて知る機会を得た。大正時代・昭和の前期について、多くを学ぶことになった。例えば、真珠湾攻撃以降の海戦の実態。沖縄戦において海軍陸戦隊を率いた太田実さんが6月6日に打電したという電報文の内容。8月15日の玉音と称された天皇の音声の文面(その一部は以前にテレビの番組でわずか数行分を音声で聴いたことがある)。その後、新聞で報道された正文の内容。また、国内の戦時下の状況描写など・・・・である。

 秋吉利雄の第3の柱との関係でいえば、日頃の彼の信仰生活の描写として、聖書(旧約・新約)からの章句引用が全体を通して頻繁に登場してくる。聖書の章句は信徒の信仰と切り離せない。日常生活に自然に関わるものとして、聖書の章句が出てくる。信仰者にとっては、馴染み深い章句なのだろうが、私には初めて知る章句が多かった。ある意味では、聖書の内容を少し広げて知る機会になった。私には知識としての副次的産物である。

 秋吉利雄が海軍軍人、水路部の統括者になっていく生き方は、このストーリーの経糸と捉えることができる。秋吉利雄の家族・親族の関わりを描く部分が緯糸となっていく。経糸に緯糸が織り込まれていくことで、このストーリーに奥行と広がりが生まれて行く。
 秋吉利雄の軍人人生の略歴は上記でご紹介した。このストーリーの経糸で最もハイライトとなって行くのは、東カロリン群島トラック島の南に位置するローソップ島での2分44秒の皆既日食観測である。秋吉利雄はこの日食観測隊の統括責任者となり、皆既日食観測を無事完遂する。このストーリーの大きな山場となっていく。
 もう一つ、読ませどころの山場と私が受けとめたのは、戦争末期になりB29が頻繁に本土に襲来する状況下で、水路部の統括者として、機材・資料・文書等並びに関係者の疎開を実行し、適切に対処していく経緯である。秋吉利雄の本領が発揮されていく。
 一方、このストーリーの緯糸は幾つもの事象が秋吉利雄の軍人人生と絡みながら点描的に織り込まれていく。経糸と緯糸が秋吉利雄の日常生活のなかで結びついていく。織り込まれる緯糸を項目として簡略にご紹介しよう。それらがどのように秋吉利雄の人生に影響を及ぼして行くかを本書で味わっていただきたい。
 伝道師の道を歩み始めた利雄の実妹トヨの転機(第七戒)。福永末次郎とトヨの結婚、武彦の出産。文彦出産後にトヨの死。1922年4月、秋吉利雄と従妹のチヨが結婚。利雄は文彦を養子として受け入れる。チヨは長女洋子を出産。恒雄出産後にチヨの死、そして嬰児恒雄の死。信仰の師・牛島惣太郎先生の娘・栄の仲介により益田ヨ子と出会い再婚(ベターハーフ)。家族の生死:文彦の死、光雄・直子・輝雄の誕生、双子の紀子・宣雄の誕生と宣雄の夭逝。福永武彦と山下澄の結婚。1945年7月に福永澄が夏樹を出産。洋子は秋吉利雄を看病し、看取った後、栄の仲介で栄の従弟の岡達夫と結婚。
 こんな経緯が織り込まれて行く。

 秋吉利雄と彼の家族、親族との関わりを通して、秋吉利雄の人生を描いたストーリーである。海軍軍人として生き、その枠の中で己の適性・才能を伸ばせる領域を見つけ出した。キリスト教の信徒として内奥の葛藤を常に抱きながらも、3つの柱をなんとか共存させる生き方を貫けた人と言えるのではないか。大正期から昭和の前期にという時代において、相対的に考えると、苦労を負う一面はあったものの、才能に恵まれ、己の選択した道をひたすら歩み、恵まれた人生を送ることができた人と言える気がする。
 秋吉利雄の人生は、本書の最後の箇所に集約される。本望ではないか。
 この最後の箇所の余韻を味わう為に、700ページ余のストーリーを読んでいただきたいと思う。

 神ともにいまして
 ゆく道をまもり
 天の御糧もて
 力を与えませ
 また会う日まで
 また会う日まで
 神の守り
 汝が身を離れざれ

賛美歌の歌詞はまだ続く。本書のタイトルは、この賛美歌の句「また会う日まで」に由来する。長女の洋子は「この聖歌は別離の歌ですが再会を約する歌でもあります」(p685)と語る。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
学校法人 鎮西学院 ホームページ
江田島の旧海軍兵学校で歴史を学び、そして海軍カレーを楽しむ!:「トラベルjp」
モーセの十戒  :ウィキペディア
モーセの十戒をわかりやすく解説! 十戒に隠されている本当の目的とは?!:「新生宣教団」
聖公会   :ウィキペディア
水路部   :ウィキペディア
ローソップ島皆既日食(1)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(2)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(3)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(4)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(5)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
【天文暦】2023年1月~12月星の動き|新月・満月|逆行 :「星読みテラス」
日食一覧 :「国立天文台」
池澤夏樹が3作目の歴史小説「また会う日まで」で描いた大伯父の3つの顔 現在と重なる日本の戦中史   2023.4.7  :「東京新聞」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
[遊心逍遙記]に掲載
『アトミック・ボックス』  毎日新聞社
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』   小学館
『すばらしい新世界』  中央公論新社
『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 写真・鷲尾和彦 中央公論社
『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館
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「遊心逍遙記」に掲載した<池澤夏樹>作品の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2023-01-06 17:27:36 | 池澤夏樹
ブログ「遊心逍遙記」を開設した以降、読み継いできた作品を一覧にまとめました。

新たにブログを開設して、初めてカテゴリーの設定をしてみました。著者のカテゴリーを設けましたので、諸作家作品として一覧にまとめたものから抽出してみました。
既読の著者作品へのリンクのために掲載します。

お読みいただけるとうれしいです。

『アトミック・ボックス』  毎日新聞社
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』   小学館
『すばらしい新世界』  中央公論新社
『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 写真・鷲尾和彦 中央公論社
『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館

以上

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