遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『浄瑠璃寺の365日』  佐伯功勝  西日本出版社

2024-05-27 14:40:56 | 宗教・仏像
 奥書のタイトル表記は標題の通りであるが、表紙と背表紙には、「石仏の里に佇む静寂の寺」という冠語句が記されている。浄瑠璃寺は探訪したことがある。まさにそんなお寺だなと思う。浄瑠璃寺という寺名をご存知ない人には、「石仏の里」という言葉が魅力を加えることになるだろう。
 池の西側に横長の本堂が見え、そこに九体の阿弥陀如来坐像が祀られているお寺。九体阿弥陀堂は平安時代に幾つも建立された歴史があるが、現存するのはここ浄瑠璃寺の本堂だけという。ひょっとすると、九体の阿弥陀仏よりも、年に3回、厨子の開扉期間にのみ拝見できる秘仏・吉祥天女像の方がよく知られているかもしれない。

 本書はお寺の365日シリーズの一冊として2023年7月に刊行された。
 カバーの裏の折り込み部分には、興福寺、金峯山寺、大安寺という3寺の先行本が紹介されている。

 本書は浄瑠璃寺の現住職が、浄瑠璃寺について語ったエッセイ集である。
 ここには浄瑠璃寺の365日の日々の営み、浄瑠璃寺の沿革、浄瑠璃寺の立地、現在のお寺の伽藍や池、境内で眺められる季節の花々、境内で一番広い面積を占めている池について、浄瑠璃寺とこの石仏の里周辺のお寺について、また諸寺との関係について、著者の子供時代の心象風景、お寺という存在について・・・等が、静寂の寺と照応するかのように、淡々とした平静な筆致で綴られていく。難解な語句はほとんど出てこない。平易な文で語られている。祖父から三代目のお寺の子としての思い出も含め、浄瑠璃寺について、いろんな視点から見つめた本である。

 目次の続きに、池越しの本堂全景、三重塔の正面全景、池三景と浄瑠璃寺伽藍(案内図)がまず載っている。そのあと、エッセイの内容に照応する形で、適宜、写真が併載されていく。境内の四季の変化、境内の四季の花々、秘仏として扱われている、大日如来像・薬師如来坐像・厨子入義明上人像・厨子入弁財天像・地蔵菩薩立像・役行者三尊像・厨子入吉祥天女像の諸像、また、九体阿弥陀如来坐像、延命地蔵菩薩立像、四天王像、子安地蔵菩薩像、不動明王三尊像、馬頭観音立像が載っている。
 「当尾の里の石仏」と題して、石仏の里に佇む石仏たちも紹介されている。
 巻末には、「浄瑠璃寺花ごよみ」と「浄瑠璃寺略年表」が併載されている。
 結果的に総合的な浄瑠璃寺ガイドになっている。
 
 このエッセイ集を読み、知ったこと、再認識したこと、並びに印象に残る一節をご紹介しておきたい。
 まず、知ったことと再認識したこと。
*浄瑠璃寺の境内にある池(外周約200m)の水は湧水であること。
*浄瑠璃寺の本寺(本山)は、中世より明治初頭までは奈良の興福寺(法相宗)で、それ以
 降は奈良の西大寺(真言律宗)になった。
*九体阿弥陀仏の中尊の光背は「千体光背・千仏光背」と呼ばれる。
 令和2年度の修理で、寛文8年(1668)の後補と判明。千仏個々には願主が存在した。
*平成期に飛び地境内に地蔵堂を建立した。 
*顕教四方仏の世界観
  東の薬師と西の阿弥陀は「相対的な時間軸」 太陽の運行、繰り返しの生死観
  南の釈迦と北の弥勒は「絶対的な時間軸」 過去の釈迦から未来に出現する弥勒
*寛文6年(1666)に本堂の屋根が桧皮葺きから瓦葺きに改変され、建物の構造変更の工事
 などもこの時に行われた。
*平成20年代に約10年がかりで庭園整備が行われ、その折に弁財天の祠の修理を実行
*発掘調査により、以前は本堂前に通路がなく水際が近くまであり、そこに州浜が造
 られていたことが判明した。現在の水際付近に州浜を復元する折衷案で整備された。
*鐘楼の鐘は昭和42年(1967)に再興 ⇒もとの鐘は戦時中に金属供出の対象に
*平成20年(2008)に三重塔内にアライグマが入り込み巣作りして被害を及ぼした。
*境内に咲く花の多くは「野生の」、またはそれに準ずる品種である。
   ⇒その花の多くは通路の脇、足元で咲くことが多いとか。

 エッセイ中の印象深い一節をいくつか引用する。
*参拝の方々に花に関わる話をする際には、こういった足元に咲く花にも目を向けてほしい、とよくお願いしている。花に限らず、目立つものや一番多いものを見て納得してしまうのでなく、頭上や足元、全方位を意識する広い視野が何ごとに対しても大事だと。p28

*いわゆる明治政府の発した神仏分離令は、それまでの日本の信仰のあり方に大きな歪を生み、それは現在にも続いている。一方を否定し、一方を礼賛することの不条理、危険姓を見ることができる例だと思われる。・・・・・お互いが尊重し合い、わかり合おうとする努力、それを続ける限り争いは起こらない。  p31

*顕教と密教、この2つの教えが重なって、浄瑠璃寺全体の世界観となっている。p146
  ⇒ 東の三重塔内に秘仏薬師如来、西の本堂に九体阿弥陀如来
    飛び地境内に地蔵堂。将来は更にその北側に弥勒菩薩を祀るお堂の建立構想
    境内北の灌頂堂には密教(真言系)の大日如来

*正直自分の寺の宗派以外と接する機会が少なく、わかっていないことも多い(自分の宗はですら心許ないが)
 宗教に限った話ではないが、全体の姿と、今自分がいる位置を俯瞰的に見る習慣を持つことはとても大切だと感じている。偏りすぎず、こだわりすぎず、広い視野と気持ちの余裕を持って。  p147

 エッセイを通して、読者が浄瑠璃寺に親しみをもてる内容に仕上がっていると思う。
 本書を読んでから浄瑠璃寺を訪れれば、市販観光ガイドブックとは一味違う浄瑠璃寺に触れられるのではないだろうか。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
浄瑠璃寺(木津川市) :「京都やましろ観光」
浄瑠璃寺  :「木津川市」
浄瑠璃寺について  :「京都南山城古寺の会」
浄瑠璃寺  :ウィキペディア
九体阿弥陀仏に込められた人々の願い  1089ブログ :「東京国立博物館」
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀)  :「TSUMUGU Gallery」
秘仏 吉祥天女立像(秋季)(浄瑠璃寺)  :「祈りの回廊」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


もう1つの拙ブログ「遊心六中記」で浄瑠璃寺の探訪をまとめている。
こちらもご覧いただけるとうれしいです。
歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -1 まず常念寺へ
  6回のシリーズとして探訪記をまとめた。
  その中で、
  歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -5 浄瑠璃寺  を記している。

  
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『仏教 第二版』  渡辺照宏  岩波新書

2023-10-17 17:37:53 | 宗教・仏像
 仏教書を系統的に学ぶという形が取れず、関心の赴くままに行きつ戻りつという形で読み継いで来た。著者の名はかなり以前から知っていたが、著書を読んだことがない。『ブツダの方舟』(中沢新一・夢枕獏・宮崎信也共著、河出文庫・文藝コレクション)を読んだことが、本書を読む契機になった。
 仏教の入門書・基本書に立ち戻るよき機会となった。著者は1977年に鬼籍に入られている。本書は1974年12月の刊行であり、手許の本は2012年11月第51刷である。現在も市販されているので、増刷は続いていて、まさにロングセラーの一冊なのだと思う。
 
 「まえがき」の冒頭に「仏教とは何か、という問いに答えるのが本書の仕事である」と著者は記す。その次のパラグラフで、本書執筆への著者のスタンスが明言されている。これを転記するだけで、一つの紹介になると思う。

「本書を通読すれば仏教についてひととおり基本的な知識が得られるように工夫する。どうしても必要なテーマを落とさないように注意する。叙述をできるだけ平易にして、予備知識なしに読めるように気をつける。それと同時に、内容については専門学者の批判に耐え得る水準を保ち、学問的に責任の持てることのみしか書かない。仏教において人生の指針を求める人びとの手引ともなる。学生や研究者の参考書としても役に立つ」と。
 
 この冒頭での宣言、通読して期待を裏切らない説明とまとめ方になっていると思う。読みやすいし、学問的な視点での説明も要所要所できっちり論じてあるように受け止めた。「学問的に責任の持てることのみしか書かない」という宣言が特に惹かれるところである。 「ひととおり基本的な知識が得られる」という視点は、目次の構成に反映されていると思う。本書の構成は、次の通りである。
    Ⅰ 仏教へのアプローチ
    Ⅱ 仏陀とは何か
    Ⅲ 仏陀以前のインド
    Ⅳ 仏陀の生涯
    Ⅴ 仏陀の弟子たち  -出家と在家-
    Ⅵ 聖典の成立  -アショーカ王の前と後-
    Ⅶ 仏陀の理想をめざして  -ボサツの道-
    Ⅷ 仏陀の慈悲を求めて  -信仰の道-

 今まであまり意識しなかったことで本書で知ったことの一つは、ヨーロッパやロシア等における仏教研究の一端に触れられている点である。それは、サンスクリット語、パーリ語による聖典からの直接の仏教研究というアプローチである。私が今までに読み継いできたのは、漢訳経典から出発した研究を踏まえた仏教書が多かった。「日本では1300年以上のあいだ、もっぱら漢文資料によって仏教を学び、研究し、実践し、これによって信仰を形成した。鎌倉期においてさえも中国仏教の型から脱出したことはなかった」(p36)と著者は指摘している。日本においては「明治の開国によって、漢訳仏典の原典の存在が判明した」(p36)という。そういう意味で、異なる仏教研究のアプローチが進展している状況に触れたことは、遅ればせながらいい刺激になった。仏典解釈を相対化して客観的に受けとめる視点ができる。
 さらに、著者が、「インドの仏教はどのようなものであったか」という歴史的な考察が基本にないと、日本における仏教の考究もできないし、「仏教とは何か」という問いにも答えられないと論じている点も、刺激剤になった。
 仏教について、漢訳経典中心ではなく、違った次元から視野を広げるのに役立つ基本書と言える。
 仏陀以前から説き起こし、仏陀の生涯を説明しながら、仏陀の思想がどのように形成されて行ったかの説明が織り込まれていく。それが読みやすさ、わかりやすさになっている。
 最後に、仏陀の理想をめざすアプローチとして3つの道を説明する。仏陀の教えを忠実に守り、厳しい戒律に従い、出家教団の中で解脱の道をめざす第一の道。仏陀の理想をめざし、衆生の救済を志す第二のボサツの道。一般の大衆にはそのどちらも困難である。そういう人々のための第三の道が信仰なのだと著者は言う。
 ”「私は仏陀に帰依する。私は法に帰依する。私は教団(サンガ)に帰依する」という文句を三度繰り返して唱えるだけで信者となることが許された”(p185)そうである。
 その上で、三宝(仏・法・僧)への帰依という形から、仏陀の死後、人々にとって信仰の対象がどのように多様化して行ったかの事実を著者は概説している。

 通読して、仏教の考えについて著者が説明する基本的な要点を覚書としてまとめておきたい。その具体的な説明は本書でお読みいただきたい。
*仏陀はサンスクリット語”ブッダ”を漢字で音写したもの。原語は”目覚めた者、最高の真理を悟った者”という意味で、完全な人格者のことである。 p3-4
*仏教もまた当時の諸宗教と同じく輪廻説を前提とし、解脱を目標とする。 p4
*仏教の基本用語が日本ではまったく別の意味で使われるようになった側面がある。p5-7
  成仏:鎮魂思想にもとづく使い方になった。
  ほとけ:死者を亡者という代わりにほとけと一種の婉曲語法で使う。死者≠仏陀
  往生:死ぬという意味で用いるようになった。
  念仏:阿弥陀仏の名号を口に唱えることが念仏になった。
     唱名を念仏と同一視するのは中国人の発明である。中国の浄土教。
*仏典の用法 死没:一つの生涯を終えること
       往生/来生:その後に新しい生涯を始めること。仏国土での新しい生涯。
             原語には往生・来生の区別はない。
       往生は成仏(仏陀になる)ための手段である。   p6
*念仏というのは本来は仏陀を思念しそれに精神統一することをさし、心的作用である。 p6
*仏教とは、シャーキャムニによって説かれた教え。仏陀が説いた宗教。仏教とは仏陀を信仰する宗教。というようにとらえ方が複数ある。  p46-50
*仏教は中道を説いた。八つの部分からなる聖なる道[八正道]を説いた。p74-75
*すべての苦悩の根源は根本的無知にある。「根本的無知によって[縁]、生活活動その他が生ずる[起]」という。”縁起説”として知られるこの考えが仏教思想の出発点となる。
 根本的無知から老死まで十二支分あることから十二因縁とも称される。 p90
*人間苦の解決は、”四つの聖なる真理”[四聖諦]を知ることと説いた。 p97-102

 また、「過去において日本人の精神形成に仏教が重要な役割を果たしたことは明白である」(p3)、「日本ではほとんど最初から中国の宗派仏教を伝えているが、インドにはこのような組織はなかったのである」(p10)、「中国において成立した浄土教では往生を終極的な目的と考えている」(p6)、「日本にも、初期の仏教は西域→北魏→朝鮮→日本という径路で来た」(p11)、「今日の原典批判の立場からみれえば、玄奘訳が必ずしも正しいとは断言できないのである」(p14)、「中国仏教は必ずしもインド仏教の忠実な模写ではないのである」(p15)と諸点にふれてはいる。
 しかし、本書は「インド仏教に重点を置き、それ以外は必要ある場合に触れるにとどめる。中国や日本における独自の形成は別の書物にゆずる」(p19)と一線を画している。

 インド仏教を重点にして、「仏教とは何か」を説く基本書・入門書として最初に読むのに適した一冊。やはりロングセラーになるだけの価値はあるなと思った。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『ブツダ最後の旅 -大パリニッパーナ経-』  中村元訳  岩波文庫
『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション
『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社

「遊心逍遙記」に掲載した<宗教・仏像>関連本の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 43冊


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『ブツダ最後の旅 -大パリニッパーナ経-』 中村元訳  岩波文庫

2023-06-25 14:25:40 | 宗教・仏像
 仏教の開祖ゴータマ・ブッダ(釈尊)の最後の旅路から死までを伝える経典。上座部仏教系のいわゆる涅槃経。大乗仏教系の涅槃経はまた、別に存在する。本書は、中村元先生がパーリ語の原文から邦訳されたもの。手許にあるのは、2010年4月第42刷改版。その頃に購入し、部分的に読んだり、参照することがあったものの通読することなく、書架に眠っていた。先日、松原泰道著『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』(祥伝社)を読み終えて、本書に戻り通読する動機づけになった。

 本書は6章構成になっていて、各章は4あるいは5のセクションに区分されている。その各セクションはパラグラフ毎に通し番号が付されている。
 漢文訳の経典は「如是我聞」で始まる。こちらも同様に「わたしはこのように聞いた」という一文から始まっている。
 
 王舍城の<鷲の峰>にいて、修行僧に教えておられた釈尊が、若き人アーナンダを同行者にして、最後の旅に出られる。己の死を迎える最後の旅の経緯が記述されていく。旅のプロセスの記述が中心なので、邦訳の内容は読みやすく、何が記されているかの大凡はわかる。185ページの邦訳文に対して、161ページの訳注が詳細に付記されているので、釈尊の教えに出てくるの用語の意味も理解しやすくなっている。

 この経典の冒頭は、鷲の峰に居る釈尊の許に、マガダ国王アジャータサット(付記:阿闍世王、アジャセオウ)の指示を受け、大臣でバラモンのヴァッサカーラが訪ねてくる場面から始まる。国王がヴァッジ族を征服し根絶しようと考えていることについて、釈尊の意見を尋ねさせたのだ。釈尊は、ヴァッサカーラの質問に直接には答えない。釈尊はヴァッジ族について聞き知っていることを、背後にいるアーナンダにそれが事実かどうか問いかけるという方法をとる。アーナンダは釈尊による確認の問いかけにその通りと返答する。その問答がくり返される。ヴァッサカーラは釈尊とアーナンダの問答を全て聞き、その内容を国王に伝える。アジャータサットはヴァッジ族の征服を断念する。釈尊は大臣の質問には直接答えないで、答えるという方法を採った。実に興味深いやり方である。
 大臣でバラモンのヴァッサカーラが立ち去った後、釈尊は王舎城の近くに住む修行僧全員を会堂に集合させて、衰亡を来さないための7つの方法を教える。さらに興味深いのは、その内容である。釈尊がアーナンダと問答した時の内容そのものなのだ。

 この後、釈尊は最後の旅に出かけることをアーナンダに告げ、若き人アーナンダが釈尊に付き従う。これがいわゆる釈尊80歳で故郷をめざす旅立ちである。
 この経典を読む限り、釈尊は王舎城を去った後、次の経路を旅して行く。
 アンバラッティカー~パータリ村~コーティ村~ナーディカ村~商業都市ヴェーサーリー~ベールヴア村~バンダ村~ボーガ市~パーヴァー~カクッター河~ヒラニヤヴァーティー河を渡る~クシナーラー
 クシナーラーのマッラ族のウパヴァタナの地の二本の沙羅双樹の間が釈尊の涅槃の場所になる。

 この経典を読んでいき、次の諸点について、学びまた気づくことになった。
1.クシナーラーまでの途中の行先は、その都度釈尊がアーナンダに告げる。

2.各行先へは、「多くの修行僧の群とともに」移動する。この修行僧たちが入れ替わるのか、最後まで同行するのか、具体的には触れていない。同じ表現がくり返される。

3.最後の旅の過程で、釈尊は同行したアーナンダと修行僧たちに教えを語る。何を教えたかについて、教えの内容が記述されてえいるものと、ただ教えの項目を記すだけのものとが出てくる。たとえば、次の事項が記されている。
 内容に触れた教え:七不退法、4つのすぐれた真理。法の鏡。4つの大きな教示。
 教えた項目の明記:戒律。精神統一。智慧。心。四念処。四正勤。四神足。五根。五力
          七覚支。八聖道。          
 その内容を知るのに訳注が参考になる。詳細は別の経典等を読む必要がある。

4.釈尊がこの最後の旅の途中で教えることは、重なる部分がありながらも広がっていく

5.この経典は最後の旅路と涅槃の経緯を主題にすることに重点があるようだ。
 どの地においても、釈尊が「心ゆくまでとどまったのちに」次の地に移るという記述が毎回でてくる。この表現にも意味が込められているのだろう。

6.釈尊は、ベールヴァ村にて、一度病み、命を捨てる決意をし、悪魔との対話すら行ったという段階があったことを通読して初めて知った。第三章は、釈尊が旅に病んだときのことを具体的に語っている。

7.その後、釈尊はパーヴァーに赴いた時に、鍛冶工チュンダから食事の布施を受ける。その時きのこ料理を食べた。経典の記述では、釈尊自身が用意された料理の中から、きのこ料理を選び、「用意された他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧たちにあげてください」(p116)と言っている。
 釈尊は「チュンダよ。残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。・・・・・世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見出しません」(p116) と指示したとも記されている。
この箇所を読む限り、釈尊はきのこ料理に問題があることを事前に察知していたと読める。

8.同じことを3回くり返して記述していくというパターンが要所で使われている。
 中国に三顧の礼という有名な故事もあるが、3回には人間心理の普遍性があるのかもしれない思いがする。

9.第6章の冒頭が「23、臨終のことば」である。釈尊が修行僧たちに述べた最後のことばは、「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」(p168) である。
 「自灯明。法灯明」について語られた言葉は、臨終の時では無い。それは、釈尊がベールヴァ村にて旅に病んだ時に、修行僧が自分に何を期待しているのか、と釈尊が自問し、アーナンダに対して、語りかけた言葉だった。この時、釈尊は己の年齢を「わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。」(p65)と語った上で、
 「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(p65) と。
 ここで自灯明・法灯明について語っている。先に読んだ松原泰道著に寄れば、釈尊は舎利弗の病死と目連の事故死を知らされたときにも、自分自身を諭し励ますように、この言葉を語ったそうだ。

10.釈尊の死後、その遺体の処理について、マッラ族の人々がアーナンダに質問し、アーナンダが答えていることを知った。
 「ヴァーセッタたちよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同様なしかたで、修行完成者の遺体を処理しなければなりません。」(p179)と。
 だが、この答え方は第5章の「18、病い重し」の中で、アーナンダが釈尊に問いかけた。その問いに釈尊が答えた内容である。第11パラグラフに記されている(p141)

 通読して初めて知り、かつ疑問に思うことが少なくとも一つある。それは、釈尊がベールヴァ村で旅に病み、命を捨てる決意をし、悪魔との対話もした後で、アーナンダが釈尊に「尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください」と懇請した時の会話に出てくる。釈尊は「お前は何故、三度までも、修行完成者を悩ませたのですか?」と尋ねる。その後で、釈尊は「アーナンダよ、これはお前の罪である。お前の過失である」ということを例を挙げてくり返し語っている。なぜ、釈尊がアーナンダの罪であり、過失であるとこの箇所で語るのか。不敏にして今ひとつ理解できていない。課題が残った。

 ちょっと、関心を引かれたことが一つある。沙羅双樹の木の傍で釈尊が臨終を迎える直前に、遍歴行者スバッダが現れ、釈尊の最後の直弟子になったという描写がある。このスバッダは、その後どうなったのか。他の経典に登場してくる弟子になったのだろうか。ただ、釈尊が臨終の間際まで教えを語るという行為を行ったという事例として名を残した直弟子ということなのだろうか。

 上座部仏教系の涅槃経をやっと通読できた。一歩、涅槃経の世界に踏み込んだに過ぎないが、部分読み、部分参照するだけでは分からなかった「ブツダ最後の旅」の全体イメージをつかむことができた気がする。本書の細部はいずれまた読み返す機会を持ちたい。釈尊の生涯を知るには、欠かせない一冊である。
 
ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション
『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社
「遊心逍遙記」に掲載した<宗教・仏像>関連本の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 43冊

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『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション

2023-06-19 16:22:16 | 宗教・仏像
 少し前に、夢枕獏著『仰天・俳句噺』(文藝春秋)を読んだ。この書で本書を知った。対談集というのはあまり読まないのだが、地元の図書館に蔵書としてあったので借り出して読んでみた。奥書を読むと、1989年10月に単行本が刊行され、1994年5月に文庫化されている。
 冒頭の表紙は文庫初版のものである。「方舟(はこぶね)」という言葉を読めば、『旧約聖書』の「創世記」に出てくる「ノアの方舟(箱船)」を連想する。ブツダとの連想などない。この表紙絵からは「七福神の宝船」をまず連想してしまう。当然、方舟ではない。表紙自体が、ブツダ、方舟、宝船・・・異質なもののコラージュである。読了して、この対談集の一局面を象徴しているようにも感じる。私が読んだ記憶では「方舟」という語句は対談文に出て来なかったと思う。

 本書の読後印象は、花火大会の連続する打ち上げ花火を見ているような、つまり天空にぱっと湧き上がる花の色彩ときらめきを、目にし、読んでいるという感じである。
 思わぬ内容、事例がぱっと出てくる。関連説明は多少ある。そこにきらめきが含まれている。背景の文脈が詳しくは語られないないままに、未知の事象、事実が飛び出してくる。その点は対談だからそういうものかもしれない。だが、新知の断片に触れることになる。対談の話材は次々に移ろっていく。
 対談は主に、夢枕獏が疑問や話材を投げかけて、それに中沢新一が持論の要所を語る。そこに宮崎信也が補足説明を加えたり、持論を展開していく。三者三様のスタンスと意見・所見が、その場に投げ入れられた話材から談論を広げ、要所を考察していく。直線的に深化していくことはない。対談は話材との関わりのなかで、行きつ戻りつしながら、縦横に飛躍し、また螺旋的なループを描くかのようにどこかで繋がっていく。
 関心を惹かれる知識がぱっと飛び出してくるような印象が強い。知的で刺激的な局面を数多く含む対談。それがどこまで適切な説明なのかは良く分からないままという感じ。背景の知識を十分に持ち合わせていないので何とも言えないという次第。そういうことがあるのか/あったのか、そういう宗派、宗教もあったのか、そういう見方もできるのか・・・・・という感じ。
 仏教を基軸にした対談集であるが、他宗教にも言及していくので、そのとらえ方が興味深い。仏教の広がり、変容、わけのわからない側面を内在するというところが、花火が乱れ咲くように、語られている。三十有余年前の対談集であるが、仏教を知る上で、鮮やかに咲いた花火のように、現時点でも知的刺激材料にあふれた一冊であることは間違いない。

 本書の構成をご紹介しておこう。

 はじめに 『ブツダの方舟』というとんでもない本はいかにしてできたか 
  夢枕獏が雑談的なタッチでこの対談集のなりたちを語っている。

 第一章 人これを邪教と言う  1989.10.27  夢枕獏+中沢新一
  対談でのキーワードを列挙しておこう。(以下同じ)
  キリスト教のビリーヴ(believe)、チベット密教、仏教はサイコテクノロシー
  理趣経・真言立川流、二種類の般若心経、鎌倉時代の新興宗教、富士講、真言律宗
  山岳仏教と水銀、空海以前に将来された「大日経」、常行三昧堂の摩多羅神
  比叡山と高野山の歴史、輪廻の問題、チベット密教の宇宙論

 第二章 山の空間、山の時間 1987.6.25  夢枕獏+中沢新一+宮崎信也
  自然智(じねんち)、天台宗の本覚門思想、仏教の宇宙論、東南アジア諸国と密教
  仏教経典の翻訳、瑜伽唯識派、「色即是空」講義、仏教の時間軸、「有」と「空」
  仏教の空間論、仏教理解の基本文献、一所不住、仏典は心の楽譜、仏教は否定形

 第三章 神仏うらマンダラ  1987.6.26  夢枕獏+中沢新一+宮崎信也
  高野山(空海)と比叡山(最澄)、如来像と本覚、宗教界の離合集散、葛城山
  山岳信仰と不動尊信仰、彼岸は意訳、デーモンになれない日本の仏教

 第四章 超高層の宮沢賢治  1988.3.3   夢枕獏+中沢新一+宮崎信也
『銀河鉄道の夜』の作った空間、宮沢賢治:ロマン、科学、法華経世界、先見性
  法華経の特殊性・実践性、仏教の実践、大乗経典の作者は謎

 エピローグ 仏教と「有」の思想  1988.11.24   中沢新一+宮崎信也
  宮崎信也は中沢新一の自称・弟子という立場で中沢新一と対談する。
 ここからは印象深い文をいくつか引用してみたい。
*いまある仏教は仏教じゃないと言った人たちは、天才やら直観やらでそういうことを言う。新しい仏教としての大乗仏教の開祖みたいに言われるナーガールジュナなんてそうだったんだろうと思う。・・・・・これはほんとうの仏教じゃないと言い続ける、たぶん真理って全部そういうものだと思うよ。・・・・真理なんて現象の世界ですべて表現し尽くされるものであるわけがない。  中沢 p276-277
*永久のノンを言い続ける仏教とか、永久のノンを言い続ける真理の思想というのはありうると思うんだ。    中沢 p277
*鎌倉新仏教の時は、いままでの仏教を否定して出てきたんだけれど、いまはもう全部が並列にある。攻撃もしないし、仏教が思想の歴史をつづけることをやめてしまった。 
            宮崎 p278
*僕は、仏教というものは触媒だと思っているの。ひとつの完成形として何かがあるものじゃないと思うわけです。・・・・仏教によって日本人の思想は飛躍的に拡大したと思う。
            中沢 p279
*アジア人にとっての仏教というのは「そうたい的」に考えなければいけない。「そうたい的」というのは、レラティヴ(相対的)であると同時にトータル(総体的)に考えなければいけないということです。だからインド仏教だけを正純なものとして、唯一の思想展開としてとらえるのは、僕にはナンセンスだと思えるんだ。  中沢 p280
*無を説く仏教は、思想としてはそれはあると思う。しかし無の思想としての仏教を説いている人たちに、僕は嘘を感じちゃうんです。この世界の本質に対して嘘を言っているってね。すべては有から発しなければいけないと思う。ただ、その有をどうとらえるかということが問題で、その点において仏教は有に対してキリスト教とは違う思想展開をした。でも、ストレートな無の思想とは違うと思うんだ。 中沢  p292

 知的刺激に満ちた本であることは間違いない。考えるための出発点になる本と言える。
 ご一読ありがとうございます。
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『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社

2023-06-14 22:01:05 | 宗教・仏像
 著者は「序章 私の老病死」と題して、”九死に一生”をくり返してきた人生を簡略に語り、自らの老いと死に思いを寄せる。その上で「齢九十五にして、釈尊の老いと死を見つめる」という立ち位置で釈尊の最後の旅と死を主題にした涅槃経を取り上げて、読者に語りかけていく。平成15年(2003)4月に単行本が刊行された。
 調べてみると、著者は2009年、肺炎により101歳で死去されていた。合掌。
 本書が出版された95歳時点以降も、数々の著作を残されているようである。

 著者は第一章で、釈尊の臨終(死)の場面をまず取り上げる。つまり、「釈尊の涅槃」の状況を語る。我々が「涅槃図」として目にする場面である。
 著者は釈尊の死を主題にして、上座部仏教と大乗仏教の両方で4世紀の頃に「涅槃経」が作られたと言う。それぞれに複数の訳経があるため、様々な「涅槃経」が存在することをまず明らかにしている。上座部の涅槃経では釈尊入滅の前後、つまり釈尊の最後の旅と入滅の前後が主たる内容に取り上げられている。一方、大乗の涅槃経では釈尊の入滅という厳粛な時機において、釈尊が入滅前に説かれた教義の内容を取り上げている。両者には釈尊の涅槃の取り上げ方に観点の相違がある点を指摘している。この点が本書での最初の学びであった。

 著者は、上座部の説く「涅槃経」をベースにして、第二章・第三章で、釈尊晩年の三大悲劇と80歳で故郷を目指した釈尊の最後の旅の経緯について、それらの要点を読者に分かりやすく語っている。大きめのフォントを使い、語り口調の平易な文は読みやすく、理解しやすい。
 三大悲劇とは何か? 1)釈尊の生国カピラヴァスツと釈迦族の滅亡。2)同年代の幼ななじみである提婆達多(だいばだった)の叛逆。3)釈迦が後継者と目していた愛弟子、舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)の死。これらがまず、語られていく。
 第1の悲劇では、コーサラ国の大軍がカピラヴァスツに向けて進軍する街道の沙羅の枯木の下で、釈尊が坐禅するという行動を三度くり返したと言う。三度は釈迦族殲滅作戦が挫折したとか。そもそもの原因は釈迦族の背信行為にあるそうで、結局釈迦族は殲滅する。このことを本書で初めて私は知った。
 第2の悲劇は、提婆達多にそそのかされ、阿闍世王が起こす父殺しと提婆達多が新教団を誕生させ釈尊から離反することである。阿闍世王のことは『観無量寿経』の教えとの関連で多少知識はあった。しかし、『法華経』の第十二品「提婆達多品」に、提婆達多に対する釈尊自身の思い、慈悲心が寓話で示唆しているということを本書で知った。著者は釈尊の心を、友松圓諦訳『発句経』五を例示して説いている。
  まこと恨み心は/いかなる術(すべ)を持つとも/恨みを懐くその日まで
  ひとの世にはやみがたし/うらみなさによりてのみ/うらみはついに消ゆるべし
  こは易(かわ)らざる真理(まこと)なり
 第3の悲劇は、釈尊の入滅を間近にして、舎利弗と目連が死ぬという悲劇である。例えば、漢訳の『仏説阿弥陀経』は仏が舎利弗に語る形で描かれている。これだけでも舎利弗が高弟だったとわかる。舎利弗と目連が釈尊の弟子となった経緯が本書に書かれている。また、舎利弗が病死し、目連が伝道の途中で殺され非業の死を遂げたことを本書で学ぶ機会になった。
 この時の釈尊の思いは、やはり詩に託されたという。有名な章句だ。
  自らを洲(しま)とし、自らを依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ
  法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ
 
 第二章で三大悲劇を語り、第三章はいよいよ80歳で故郷を目指す釈尊の最後の旅、死出の旅路の要所要点が語られていく。この最後の旅について、多少の予備知識はあったが、本書でその経緯を整理して理解できた次第。
 最後の旅において、釈尊は最後まで己の思いを説きつづけたことが語られていく。ここでは、『発句経』からの引用と説明、此岸から彼岸へ渡る六つの方法(六波羅密:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)、「自灯明・法灯明」、「天上天下、唯我独尊」の本当の意味、「上求菩提 下化衆生」、「生きる縁を大切にせよ」の内容がわかりやすく説かれていく。
 釈尊が最後まで説かれたのは、「自灯明・法灯明」の教えであった。そして最後の説法を次のように締めくくられたそうである。これも初めて学んだこと。
「汝ら且(しば)らく止みね(靜にせよ)、また語(もの)いうことなかれ、時(とき)まさに過ぎなんとす。われ滅度せんと欲す。『この世はすべて壊法(えほう:無常・移り変わりゆく)なり。放逸(怠けて修行に専心できないこと)することなく精進(自己完成に励むこと)すべし』これが我最後の教誨(きょうげ:教えさとす)するところなり」
 実に耳の痛い言葉と感じる・・・。

 ここに上座部仏教の特徴が表れているようである。人間釈尊の死を素朴に語っていき、釈尊の法を説くという立場が貫かれている。

 本書の特徴は、この後の第四章を大乗仏教の立場から釈尊の涅槃を説明することに転じていることだ。釈尊が説かれた仏法は、いつ・どこにでも開示されている。この法の常住を中心に釈尊の思想を大乗仏教の経典『大般涅槃経』は説いていると言う。私にとっては、白紙の経典であり、本書でその要点をいくつか学ぶ機会になった。その要点を箇条書きで覚書を兼ねてご紹介したい。詳しくは本書を開いてみてほしい。

*法の象徴としての釈尊は「如来常住」。人間釈尊の死は法を伝える上では方便。
*涅槃のさとりの面を中心に「常楽我浄」(常徳・楽德・我德・浄徳)の四德目を説く。
    ⇒德:そのものに本来具わっているすぐれた資質という意味
       「常楽我浄」を備えるのは法身の釈迦である。
 注意点:涅槃経のいう常は、常と無常の相反する二つの見方を止揚統合して創られた
     常であるということ。それは創造された常観である。
     楽・我・浄もまた同様の思考プロセスを経て創造された楽観・我観・浄観
*「一切衆生 悉有仏性」(命あるものは、すべて仏となる性質(可能性)を内に持つ
    ⇒「仏性」は大乗経典では涅槃経で初めて登場する言葉だという
*涅槃経は「一闡提(いつせんだい)」ですら成仏できると説く。
    ⇒一闡提は梵語イッチャンテイカの音写語で<欲望ある人・欲望を持つ人>から
     目の前の欲楽を追求して、自分の人間的成長を願ったり、心身のやすらぎな      どを思ってもみない人のこと。
    ⇒異論も多く、長い間論争されてきたが、大勢としては「闡提成仏」の思想は
     大乗仏教思想の根幹となっていると言う。

 上座部仏教と大乗仏教の双方が伝える「涅槃経」理解への奥は深いのだろう。本書は、その入口を一歩入って学び始める入門書として、分かりやすくて読みやすい一書だと思う。長らく書棚に眠らせていた本書をやっと通読して「涅槃経」群に少し踏み込む動機づけにすることができた。

 最後に、本書で印象深い文をいくつか引用してご紹介しておこう。
*釈尊の言葉をそのまま記憶するよりも、釈尊の教えの精神を象徴的に表現するねらいが、大乗仏教徒にあったようです。・・・・(「仏」を釈尊に限定せず、「法を知りしもの、道をさとりひもの」の説を「仏説」と解するように、必ずしも釈尊の説でなくともよし、とするのが大乗仏教者の通説です)  p196
*「大乗仏教経典を理解するには、象徴文学を理解するように読まないと、その底に秘められた教えを正しく納得できない」ーー--と喝破したのは・・・・岡本かな子さんです。p196
*人間が(本当の)人間になるために必要なのは、「自分に秘められている仏性を自覚する」こと、つまり「真実の人間性にめざめる」ことです。それはまた自分が済(すく)われることでもあります。自分を済う大きな機能は、自分の中に潜在しているとするのが、大乗仏教の人間観です。   p230-231
*人間が度(すく)われるということは、個々に具わる自己の仏性を自覚して、「人間はどうあるべきか」と自らうなずきとることでなければなりますまい。仏性とか仏心とかいう仏教用語を平たくいうなら、”自分の身に生まれながらに具わっている自分を自分であらしめる根元的な心”となるでしょう。この根元的な心は、また「命」とも、「もう一人の自分」と言い換えてもいいでしょう。 p259
*人間をリードする大いなる力や権威を、多くの宗教は天など人間の外界に設定します。しかし大乗仏教は、人間を人間たらしむる超人間的な機能を、人間の外界ではなく人間の内部に凝視するところに、その特徴があります。それだけ人間性を高次に考え、人間を尊重いたします。こうした思想を完全にまとめたのが、涅槃経です。 p233
*如来(仏に同じ)の名称は、「釈尊が得たさとりの内容」、菩薩の名称は、「釈尊が積まれた数々の修行の内容」です。たとえば、釈尊が積まれた忍耐の修行を、人に踏まれ汚物にまみれる土になぞらえ、その徳の豊かさを人格化して「地蔵」菩薩として崇めます。そのため、忍耐する柔軟な心を象徴して、彫刻でも絵画でも柔和な容姿に表すのです。 p256

 ご一読ありがとうございます。


補遺
大般涅槃経   :ウィキペディア
涅槃経     :「コトバンク」
大般涅槃経 : 現代意訳  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
松原泰道  :ウィキペディア
松原泰道 宗教家  :「NHKアーカイブス」
松原泰道先生の思い出 2022.08.03 今日の言葉 :「臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺」
Vol.06 松原泰道「私が彼土でする説法の第一日です」(最終回) 禅僧のことば
    細川晋輔 臨済宗妙心寺派 龍雲寺 住職   :「わたしと仏教」
岡本かの子   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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