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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『仏像の顔 -----形と表情をよむ』  清水眞澄   岩波新書

2025-03-26 15:53:19 | 宗教・仏像
 タイトル通り、仏像の「顔」に焦点をしぼり、日本における仏像の「顔」の表現、その造形が時代とともに変化してきている事実をつぶさに分析して解説した本である。

 本書は2013年9月に刊行された。手元の本は第1刷。

 仏像の前に立ち、仏像の「顔」を眺めて、「何ともいい顔」と感じる。この「何とも」とは何かということをテーマに取り組んだのがこの本である。仏像の種類や仏像全体・全身の様式や造形を解説する書はたくさんある。しかし、仏像の「顔」に着目し分析・解説する本は珍しいと思う。

 序章の第2パラグラフで、著者は次のように述べている。
 ”仏教は、信仰の対象として、ブッダの姿をイメージした仏像を造り祀りました。仏像は「仏」の代わりではなく、「仏」そのものとなり、仏像を拝むことは、「仏」を拝することでした。そこで、信仰の対象となるにふさわしい仏像の姿として、最も「顔」が重視されたのは、いうまでもありません。仏像の「顔」には、形としての「顔」だけでない、人の心に訴える何らかの意味があるはずです。” (p2)
 この「何らかの意味」を究明する仏像拝顔の時空をまたぐ旅が本書である。

 本書の目次を見れば、その要は一目瞭然である。仏像の「顔」の形と表情が時代とともに変化してきた事実とその特徴は、その章立てと章の見出しに明示されている。そう言われれば、確かに・・・・と感じる。
 目次のご紹介に併せ、その章の該当箇所で取り上げ分析されている仏像の一端のいくつかを、その名称で併記してみよう。どのように分析されていくのかへの誘いになることだろう。

 第1章 仏像の誕生 ----- インドと中国
   1 インドの仏像 --- 半眼と見開いた眼
       サリ・バロール出土弥勒菩薩坐像、チャウパーラ出土仏頭
   2 中国の仏像  --- 端正な顔から豊満な顔へ
       藤井有鄰館菩薩立像、永青文庫如来坐像
       雲岡石窟第20窟如来坐像、龍門石窟奉先寺洞廬舎那仏

 第2章 飛鳥時代の仏像 ----- 杏仁形の眼・古拙の微笑
   法隆寺金堂釈迦三尊像、法隆寺夢殿救世観音像

 第3章 白鳳時代の仏像 ----- あどけない顔・おおらかな表情
   中宮寺半跏思惟像、法隆寺観音菩薩像、法隆寺夢違観音像

 第4章 天平時代の仏像 ----- 国家仏教と威厳
   薬師寺薬師三尊像、東大寺法華堂不空羂索観音像、東大寺戒壇院四天王像

 第5章 平安時代前期の仏像 ----- 個性的な顔
   新薬師寺薬師如来坐像、神護寺薬師如来坐像、東寺講堂不動明王像

 第6章 平安時代後期の仏像 ----- 尊容満月の如し
   平等院阿弥陀如来坐像、
 第7章 鎌倉時代の仏像 ----- 力強さと写実
   願成就院不動明王立像、鎌倉大仏

 本書は、仏像の「顔」の特徴の分析、並びに仏像そのものについての論考を鎌倉時代までにとどめている。そして、これ以降の仏像彫刻を語る出版物が少なくなる理由を著者は明記している。
 「近年かなり見直されてきてはいますが、その理由としては、鎌倉時代までに比べて、信仰のあり方や財政基盤、造像技術と仏師組織などに充実と高まりがなく、各時代の個性を発揮するような優れた仏像が造られなかったことが大きいと思われます」(p169)と。
 最後に第8章が続く。「仏像の『仏』たるゆえん ----- 開眼供養と白毫相」という見出しで終章がまとめられている。
 なぜか。「仏像の顔」にとって、「開眼」が特別な意味を持つ故である。歴史上で特に有名なのは、東大寺大仏の開眼供養会。著者はこれに関連させて開眼について語る。
 「開眼供養会という儀式を行ない、彫刻としての仏像に仏の『たましい』を入れて、仏として本当の意味の仏像にします」(p172)と。

 仏像が美術彫刻と一線を画するのは、この開眼供養会という儀式を経て初めて真に「仏像」になる点にある。それを再認識した。

 著者は最後に、「仏の三十二相」の一つである「白毫相」について説明している。白毫相が何かは知っていた。だが、白毫相そのものについて、経典の記述に基づく一歩踏み込んだ知識として、本書で学ぶ機会を得た。一つの副産物である。

 最後に仏像の「顔」について、著者の分析・指摘の一端を引用し、覚書を兼ねてご紹介しよう。
*「あどけない顔」の特徴
 丸顔であること、眼と耳の位置が大人に比べて低く、顔を上下に二分割した時に眼がその線上、あるいはそれ以下にあること、眼と眼が離れていること、眉と眼が離れていること、鼻柱が短いことなど。  p68
*日本の仏像の瞼(特に上瞼)を見てみると、ほとんどが一重瞼です。  p72
 二重瞼の像(の例もある:付記)が7世紀後半白鳳時代に集中していること  p72
*眉は、仏像の顔形をいう場合に非常に重要な部分の一つです。・・・・・眉は動物にない極めて人間的な部分なのです。・・・・・・眉には、表情をつくる大きな役割がある点に注目してみましょう。・・・・・仏・菩薩像の眉がほとんど目立たないのは、眉を目立たせないことで、人間と一線を劃する意味があったのではないでしょうか。  p73-74

 このように分析的に仏像の顔を拝見したことはなかった・・・・そのことに気づいた。
 
 ご一読ありがとうございます。


補遺
ペシャワール博物館   :「西遊旅行」
ペシャワール博物館は、隠れた名所 パキスタン情報セクション :「no+e」
雲崗石窟  :ウィキペディア
【世界遺産】雲崗石窟とは?|高い彫刻技術と仏教思想!  :「skyticket」
龍門石窟  :ウィキペディア
龍門石窟  :「丹沢 森のギャラリー」
聖徳宗総本山 法隆寺 ホームページ
聖徳宗 中宮寺 ホームページ
奈良 薬師寺 公式サイト
華厳宗大本山 東大寺  ホームページ
新薬師寺 公式ホームページ
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『お地蔵さまのことば』 文・写真 吉田さらさ ディスカヴァー・トウゥエンティワン

2025-01-29 22:48:30 | 宗教・仏像
 「明日がちょっと幸せになる」という冠言葉が付いている。奥書のプロフィールを見ると、著者は「寺と神社の旅行研究家」と称されているようだ。
 本書は、著者が日本各地の石像を訪ねて、その多くはクローズアップ写真なのだが、自ら石像を撮り、その石像との対話から湧き出た「ことば」を写真に添えた本である。
 石像との語らい、その石像の代表が「お地蔵さま」なのだ。

 石像写真と短いメッセージが生み出すコラボレーション。どこから読むかも読者の自由。見開きの2ページで写真と文が一つにまとまっている。135ページという手軽なボリュームの本である。
 本書は2014年11月にた単行本が刊行された。

 本書はU1さんのブログ記事で知った。仏像の中でも、地蔵菩薩には特に関心を抱いている仏像の一つ。本のタイトルを読んでまず興味を抱いた。次に、取りあげられているのはお地蔵さまだけではないということと、未知の著者だったことがさらに興味を惹きつけた。
 地元の図書館には蔵書がなかったので、購入して読んだという次第。

 「はじめに」から著者の言葉を引用しよう。
 「耳を澄ましてみると、お言葉も聞こえてきます。もちろん本当にお地蔵さんがしゃべるわけじゃないけれど、お顔が親しみやすくて生きているかのように表情豊かなので、もしかすると、この石仏はこんなことを言いたいんじゃないかと、どんどん想像が湧いてくるのです」

 冒頭に、お地蔵さまは石像の代表と書いた。そこで本書の構成をまず分析的にご紹介する。
 本書は、お言葉を58項目取り上げている。目次として一行のメッセージが連なっている。見開きページを見ると、そのメッセージに、マンガで使われる吹き出しの形で、サブ・メッセージが語られる。いわば、一行メッセージをかみ砕いた解釈あるいは補足の語りが付いている。一行メッセージが一層具体的にわかりやすくなっている。吹き出しなしのメッセージもある。

 一行メッセージと吹き出しのメッセージ。その先の対話をどのように続けるか?
 それは読者のあなた次第ということに・・・・。

 お地蔵さまを石像の代表と記した。石仏とは意識的に書かなかった。
 そこで、58の石像の構成を、本書での見出し語句に準じて数量的にまとめてご紹介すると、次のとおり:
 地蔵菩薩 18
 観音菩薩 14  如意輪観音(7)、十一面観音(2)、聖観音(1)、二十五菩薩(1)
          三十三観音(2)、岩屋観音(1)
 阿弥陀仏  4  そのうちの一つは、二尊逆修塔(阿弥陀如来/薬師如来)
 羅漢像   7
 不動明王  2  そのうちの一つは、不動三尊像
 他の石仏  6  布袋像(1)、弁財天(1)、十王(1)、角大師(1)、金剛力士(1)
       奪衣婆(1)
 田の神   2
 女神    1
 巨石群   1
 動物等   3  狐(1)、狛犬(1)、ムジナ(1)

 本書で取り上げられた石像で一番数の多いのが地蔵菩薩であり、石仏のポピュラーさから考えても、お地蔵さまがやはり代表となることだろう。
 勿論、一枚の写真には数多くの石仏・石像が写っているので、本書で眺める石仏・石像数はかなりの数になる。地蔵石仏以外に関心が向く読者もおられるのではないかと思うので、全体構成もまた、参考にしていただけるのではと思う。

 地元としては、この本に取り上げられている京都市の愛宕念仏寺の羅漢像群や金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は訪ねたことがある。一方、赤山禅院の三十三観音・羅漢像や古知谷阿弥陀寺の如意輪観音は未訪。暖かくなったら・・・・探訪目標がまた一つできた。

 本書には、コラムが4つ載っている。お猫さま/ 赤の着こなし(付記:お地蔵さま関連)/ 狛犬コレクション/ 美貌の観音さま である。これらも勿論石像・石仏の写真のページ。
 美貌の観音さまの一番最後に取り上げられている写真が、赤山禅院の千手観音像。真っ先にこの石仏を真近くで拝見したくなった。

 最後に、一つだけ、お地蔵さまのことばをご紹介しておこう。
 お言葉32として掲載されている。見開きの左ページに載るのは、神奈川県川崎市の浄慶寺にある「足の裏地蔵」である。こんな石仏、初めて目にした!
 一瞬、エッ!と思い、ちょっとユーモラスでもある。
 お地蔵さまのことばは、
    守りに入るのはまだ早い
 これについている吹き出しの語りは:
    僕はあなたの足の裏にいる地蔵です。
    昔は、好きなものに向かって突進するあなたに
    難儀しましたが、最近は家と会社の往復だけ。
    でも、楽だからって楽しいわけじゃない。
    これからもどんどん突飛なことを思いついて
    右へ左へと、走り回ってほしいな。
    転んだりしないように、しっかり支えていますから。

 家と会社の往復すら、はるか過去のことになった現在、改めて「守りに入るのはまだ早い」という言葉をとらえ直してみたいと感じる。

 やさしい表現だけれど、その言葉とじっくり対話するとしたら、本書を通読する時間の何倍も、何十倍も時間を要するだあろうなぁ・・・というのも感想である。ときどき開けて、写真を見ながら、メッセージの意味の対話をつづけるのにもってこいの一冊である。

 ご一読ありがとうございます。


『はじめてのギリシャ神話解剖図鑑』  河島思朗監修  x-knouwledge

2024-10-03 10:58:54 | 宗教・仏像
 ギリシャ神話への入門編図解版。表紙でおわかりのように、人物イラスト(神・英雄・人間)は軽妙なタッチで描かれている。<1章 天地創造> <2章 英雄たちの活躍> <3章 戦いの時代>という大項目分類のもとに、見開き2ページ、あるいは1ページで一項目がまとめられているので読みやすい。索引が付いているので、名称・単語による逆引きもできる図鑑になっている。
 本書は2023年12月に単行本が刊行された。
 
 手元には、高津春繁著『ギリシア・ローマ神話辞典』(岩波書店)、呉茂一著『ギリシア神話』(新潮社)をはじめ、数種のギリシャ神話文庫本がある。しかし、今まで残念ながら専ら必要に応じて関連個所を参照するくらいで、通読することがなかった。そこで、初心に帰って本書を手に取ってみた。通読した最大の収穫はギリシャ神話の基礎的全体像に触れられたことである。おかげで全体のイメージを少し描くことができるようになった。勿論、日本神話と同様に、神々や英雄たちが多すぎて、おぼえられたわけではない。あくまで通覧したことで、全体の神々のつながりがわかったにとどまる。

 本書の利点は、神々の系譜図が数多く掲載されているので、神々の関係を理解しやすいこと。主要な神々については、その神名で関連ページの注記を入れて、リンクが張られている。それが図鑑としての使い勝手を便利にしている。ギリシャの神々が個別の都市と関係しているので、部分地図が結構多く掲載されている。

 「はじめに」では、ギリシャ神話の基礎知識が、<成り立ちと発展> <人間の5つの時代> <ギリシャ神話の舞台> <ギリシャ神話を伝えた人々>という見出し項目で簡潔にまとめられている。
「はじめに」の冒頭の見開きページの見出しは、<ギリシャ神話だからすごい!>である。その最初に有名なボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』のイラストが載る。女神アプロディテの誕生シーンである。ギリシャ神話は数々の芸術作品の題材になっているというわかりやすい事例の提示。この女神については、p.41参照の付記がある。リンクが張られている。該当ページを見ると、p.40-41は「アプロディテ」の説明ページ。
 『ヴィーナスの誕生』のヴィーナス、つまりアプロディテには、「身体をS字形にくねらせた姿は、古代ギリシャ時代のアプロディテ像にならったもの」と説明が付いている。また、この見開きページの本文には、「愛と美と豊穣の女神で、ローマのウェヌスと同一視される。クロノスが父ウラノスの男性器を切り取って海原へ投げ捨てたとき、そこに湧き出た白い泡から誕生した」と説明されている。
 『ヴィーナスの誕生』の絵を見たとき、あなたはなぜヴィーナスがS字形の姿で描かれ、なぜ海から誕生してきたのかを考えたことがあるだろうか? 私は考えていなかった! 本書を読んで頭にガツン! ここの説明文中にも、クロノスのページへの補足が記されている。

<1章 天地創造>
 副題は、「神々の世界と人間の誕生」。この章の小見出しに出てくる神々の名を列挙しておこう。
 ウラノス、ゼウス、ティタノマキア、ポセイドン、ヘラ、アテナ、アプロディテ、アポロン、アルテミス、ヘルメス、ヘパイストス、アレス、デメテル、ヘスティア、ディオニュソス、ハデス、プロメテウス
 これらの神々のうち少しは知っているなと思うものはわずか半数ていどだった・・・・。お粗末!

<2章 英雄たちの活躍>
 副題は「大冒険ファンタジー」。英雄物語には「型」があるという解説から始まる、本書では、物語の「型」として、1.人間離れした誕生、2.怪物退治、3.試練や冥界訪問、という類型を指摘している。このパターン、今の漫画やゲームや映画にも引き継がれていることがわかる。
 この章では、ペルセウス、ヘラクレス、ペレロポン、メレアグロス、イアソン、テセウス、オイディプス、が取り上げられている。
 知らない英雄が多いなぁ・・・・手元の本が持ち腐れになっている、という思い。

<3章 戦いの時代>
 ギリシャ神話は、神々の間も、人間同士でも、大戦争が勃発している側面を取り上げている。ここで取り上げられているのは、ゼウスへの反逆者、トロイア戦争、オデュッセウス苦難の旅、である。トロイア戦争は英雄の時代でもある。
 トロイア戦争でトロイアが陥落する。敗れて生き残った王族アンキセスの息子アイネイアスは、落ち延びてイタリアを目指し、イタリアに新都市を築き、ローマ建国の祖となったという。このことは知らなかった! トロイアとイタリアが繋がっていたとは・・・。
 「アイネイアスとラウィニアとの子孫として、ロムルスとレムスの双子の兄弟が生まれた。ロムルスによってローマが建てられたとされる」(p137) 
 このことが、ウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』に描かれているという。

 文化を理解するには、その地域の基盤にある「神話」を理解することが不可欠と言われる。ギリシャ神話を断片的に参照するだけでなく、改めて少なくとも通読する必要があると感じた。神々は複雑に相互連関している。
 これを契機に、手元の本を生かさねば・・・・・。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
ヴィーナスの誕生   :ウィキペディア
ギリシャ神話   :ウィキペディア
ギリシア神話の固有名詞一覧  :ウィキペディア
ギリシャ神話「オリュンポス十二神」一覧|文化に影響を与えた神々を知る:「NewSphere」
ヘーシオドス    :ウィキペディア
神統記       :ウィキペディア
オデュッセイア   :ウィキペディア
ホメーロス  :ウィキペディア
ウェルギリウス   :ウィキペディア

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『浄瑠璃寺の365日』  佐伯功勝  西日本出版社

2024-05-27 14:40:56 | 宗教・仏像
 奥書のタイトル表記は標題の通りであるが、表紙と背表紙には、「石仏の里に佇む静寂の寺」という冠語句が記されている。浄瑠璃寺は探訪したことがある。まさにそんなお寺だなと思う。浄瑠璃寺という寺名をご存知ない人には、「石仏の里」という言葉が魅力を加えることになるだろう。
 池の西側に横長の本堂が見え、そこに九体の阿弥陀如来坐像が祀られているお寺。九体阿弥陀堂は平安時代に幾つも建立された歴史があるが、現存するのはここ浄瑠璃寺の本堂だけという。ひょっとすると、九体の阿弥陀仏よりも、年に3回、厨子の開扉期間にのみ拝見できる秘仏・吉祥天女像の方がよく知られているかもしれない。

 本書はお寺の365日シリーズの一冊として2023年7月に刊行された。
 カバーの裏の折り込み部分には、興福寺、金峯山寺、大安寺という3寺の先行本が紹介されている。

 本書は浄瑠璃寺の現住職が、浄瑠璃寺について語ったエッセイ集である。
 ここには浄瑠璃寺の365日の日々の営み、浄瑠璃寺の沿革、浄瑠璃寺の立地、現在のお寺の伽藍や池、境内で眺められる季節の花々、境内で一番広い面積を占めている池について、浄瑠璃寺とこの石仏の里周辺のお寺について、また諸寺との関係について、著者の子供時代の心象風景、お寺という存在について・・・等が、静寂の寺と照応するかのように、淡々とした平静な筆致で綴られていく。難解な語句はほとんど出てこない。平易な文で語られている。祖父から三代目のお寺の子としての思い出も含め、浄瑠璃寺について、いろんな視点から見つめた本である。

 目次の続きに、池越しの本堂全景、三重塔の正面全景、池三景と浄瑠璃寺伽藍(案内図)がまず載っている。そのあと、エッセイの内容に照応する形で、適宜、写真が併載されていく。境内の四季の変化、境内の四季の花々、秘仏として扱われている、大日如来像・薬師如来坐像・厨子入義明上人像・厨子入弁財天像・地蔵菩薩立像・役行者三尊像・厨子入吉祥天女像の諸像、また、九体阿弥陀如来坐像、延命地蔵菩薩立像、四天王像、子安地蔵菩薩像、不動明王三尊像、馬頭観音立像が載っている。
 「当尾の里の石仏」と題して、石仏の里に佇む石仏たちも紹介されている。
 巻末には、「浄瑠璃寺花ごよみ」と「浄瑠璃寺略年表」が併載されている。
 結果的に総合的な浄瑠璃寺ガイドになっている。
 
 このエッセイ集を読み、知ったこと、再認識したこと、並びに印象に残る一節をご紹介しておきたい。
 まず、知ったことと再認識したこと。
*浄瑠璃寺の境内にある池(外周約200m)の水は湧水であること。
*浄瑠璃寺の本寺(本山)は、中世より明治初頭までは奈良の興福寺(法相宗)で、それ以
 降は奈良の西大寺(真言律宗)になった。
*九体阿弥陀仏の中尊の光背は「千体光背・千仏光背」と呼ばれる。
 令和2年度の修理で、寛文8年(1668)の後補と判明。千仏個々には願主が存在した。
*平成期に飛び地境内に地蔵堂を建立した。 
*顕教四方仏の世界観
  東の薬師と西の阿弥陀は「相対的な時間軸」 太陽の運行、繰り返しの生死観
  南の釈迦と北の弥勒は「絶対的な時間軸」 過去の釈迦から未来に出現する弥勒
*寛文6年(1666)に本堂の屋根が桧皮葺きから瓦葺きに改変され、建物の構造変更の工事
 などもこの時に行われた。
*平成20年代に約10年がかりで庭園整備が行われ、その折に弁財天の祠の修理を実行
*発掘調査により、以前は本堂前に通路がなく水際が近くまであり、そこに州浜が造
 られていたことが判明した。現在の水際付近に州浜を復元する折衷案で整備された。
*鐘楼の鐘は昭和42年(1967)に再興 ⇒もとの鐘は戦時中に金属供出の対象に
*平成20年(2008)に三重塔内にアライグマが入り込み巣作りして被害を及ぼした。
*境内に咲く花の多くは「野生の」、またはそれに準ずる品種である。
   ⇒その花の多くは通路の脇、足元で咲くことが多いとか。

 エッセイ中の印象深い一節をいくつか引用する。
*参拝の方々に花に関わる話をする際には、こういった足元に咲く花にも目を向けてほしい、とよくお願いしている。花に限らず、目立つものや一番多いものを見て納得してしまうのでなく、頭上や足元、全方位を意識する広い視野が何ごとに対しても大事だと。p28

*いわゆる明治政府の発した神仏分離令は、それまでの日本の信仰のあり方に大きな歪を生み、それは現在にも続いている。一方を否定し、一方を礼賛することの不条理、危険姓を見ることができる例だと思われる。・・・・・お互いが尊重し合い、わかり合おうとする努力、それを続ける限り争いは起こらない。  p31

*顕教と密教、この2つの教えが重なって、浄瑠璃寺全体の世界観となっている。p146
  ⇒ 東の三重塔内に秘仏薬師如来、西の本堂に九体阿弥陀如来
    飛び地境内に地蔵堂。将来は更にその北側に弥勒菩薩を祀るお堂の建立構想
    境内北の灌頂堂には密教(真言系)の大日如来

*正直自分の寺の宗派以外と接する機会が少なく、わかっていないことも多い(自分の宗はですら心許ないが)
 宗教に限った話ではないが、全体の姿と、今自分がいる位置を俯瞰的に見る習慣を持つことはとても大切だと感じている。偏りすぎず、こだわりすぎず、広い視野と気持ちの余裕を持って。  p147

 エッセイを通して、読者が浄瑠璃寺に親しみをもてる内容に仕上がっていると思う。
 本書を読んでから浄瑠璃寺を訪れれば、市販観光ガイドブックとは一味違う浄瑠璃寺に触れられるのではないだろうか。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
浄瑠璃寺(木津川市) :「京都やましろ観光」
浄瑠璃寺  :「木津川市」
浄瑠璃寺について  :「京都南山城古寺の会」
浄瑠璃寺  :ウィキペディア
九体阿弥陀仏に込められた人々の願い  1089ブログ :「東京国立博物館」
国宝 阿弥陀如来坐像(九体阿弥陀)  :「TSUMUGU Gallery」
秘仏 吉祥天女立像(秋季)(浄瑠璃寺)  :「祈りの回廊」

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もう1つの拙ブログ「遊心六中記」で浄瑠璃寺の探訪をまとめている。
こちらもご覧いただけるとうれしいです。
歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -1 まず常念寺へ
  6回のシリーズとして探訪記をまとめた。
  その中で、
  歩く&探訪 [再録] 京都・木津川市 加茂町 -5 浄瑠璃寺  を記している。

  

『仏教 第二版』  渡辺照宏  岩波新書

2023-10-17 17:37:53 | 宗教・仏像
 仏教書を系統的に学ぶという形が取れず、関心の赴くままに行きつ戻りつという形で読み継いで来た。著者の名はかなり以前から知っていたが、著書を読んだことがない。『ブツダの方舟』(中沢新一・夢枕獏・宮崎信也共著、河出文庫・文藝コレクション)を読んだことが、本書を読む契機になった。
 仏教の入門書・基本書に立ち戻るよき機会となった。著者は1977年に鬼籍に入られている。本書は1974年12月の刊行であり、手許の本は2012年11月第51刷である。現在も市販されているので、増刷は続いていて、まさにロングセラーの一冊なのだと思う。
 
 「まえがき」の冒頭に「仏教とは何か、という問いに答えるのが本書の仕事である」と著者は記す。その次のパラグラフで、本書執筆への著者のスタンスが明言されている。これを転記するだけで、一つの紹介になると思う。

「本書を通読すれば仏教についてひととおり基本的な知識が得られるように工夫する。どうしても必要なテーマを落とさないように注意する。叙述をできるだけ平易にして、予備知識なしに読めるように気をつける。それと同時に、内容については専門学者の批判に耐え得る水準を保ち、学問的に責任の持てることのみしか書かない。仏教において人生の指針を求める人びとの手引ともなる。学生や研究者の参考書としても役に立つ」と。
 
 この冒頭での宣言、通読して期待を裏切らない説明とまとめ方になっていると思う。読みやすいし、学問的な視点での説明も要所要所できっちり論じてあるように受け止めた。「学問的に責任の持てることのみしか書かない」という宣言が特に惹かれるところである。 「ひととおり基本的な知識が得られる」という視点は、目次の構成に反映されていると思う。本書の構成は、次の通りである。
    Ⅰ 仏教へのアプローチ
    Ⅱ 仏陀とは何か
    Ⅲ 仏陀以前のインド
    Ⅳ 仏陀の生涯
    Ⅴ 仏陀の弟子たち  -出家と在家-
    Ⅵ 聖典の成立  -アショーカ王の前と後-
    Ⅶ 仏陀の理想をめざして  -ボサツの道-
    Ⅷ 仏陀の慈悲を求めて  -信仰の道-

 今まであまり意識しなかったことで本書で知ったことの一つは、ヨーロッパやロシア等における仏教研究の一端に触れられている点である。それは、サンスクリット語、パーリ語による聖典からの直接の仏教研究というアプローチである。私が今までに読み継いできたのは、漢訳経典から出発した研究を踏まえた仏教書が多かった。「日本では1300年以上のあいだ、もっぱら漢文資料によって仏教を学び、研究し、実践し、これによって信仰を形成した。鎌倉期においてさえも中国仏教の型から脱出したことはなかった」(p36)と著者は指摘している。日本においては「明治の開国によって、漢訳仏典の原典の存在が判明した」(p36)という。そういう意味で、異なる仏教研究のアプローチが進展している状況に触れたことは、遅ればせながらいい刺激になった。仏典解釈を相対化して客観的に受けとめる視点ができる。
 さらに、著者が、「インドの仏教はどのようなものであったか」という歴史的な考察が基本にないと、日本における仏教の考究もできないし、「仏教とは何か」という問いにも答えられないと論じている点も、刺激剤になった。
 仏教について、漢訳経典中心ではなく、違った次元から視野を広げるのに役立つ基本書と言える。
 仏陀以前から説き起こし、仏陀の生涯を説明しながら、仏陀の思想がどのように形成されて行ったかの説明が織り込まれていく。それが読みやすさ、わかりやすさになっている。
 最後に、仏陀の理想をめざすアプローチとして3つの道を説明する。仏陀の教えを忠実に守り、厳しい戒律に従い、出家教団の中で解脱の道をめざす第一の道。仏陀の理想をめざし、衆生の救済を志す第二のボサツの道。一般の大衆にはそのどちらも困難である。そういう人々のための第三の道が信仰なのだと著者は言う。
 ”「私は仏陀に帰依する。私は法に帰依する。私は教団(サンガ)に帰依する」という文句を三度繰り返して唱えるだけで信者となることが許された”(p185)そうである。
 その上で、三宝(仏・法・僧)への帰依という形から、仏陀の死後、人々にとって信仰の対象がどのように多様化して行ったかの事実を著者は概説している。

 通読して、仏教の考えについて著者が説明する基本的な要点を覚書としてまとめておきたい。その具体的な説明は本書でお読みいただきたい。
*仏陀はサンスクリット語”ブッダ”を漢字で音写したもの。原語は”目覚めた者、最高の真理を悟った者”という意味で、完全な人格者のことである。 p3-4
*仏教もまた当時の諸宗教と同じく輪廻説を前提とし、解脱を目標とする。 p4
*仏教の基本用語が日本ではまったく別の意味で使われるようになった側面がある。p5-7
  成仏:鎮魂思想にもとづく使い方になった。
  ほとけ:死者を亡者という代わりにほとけと一種の婉曲語法で使う。死者≠仏陀
  往生:死ぬという意味で用いるようになった。
  念仏:阿弥陀仏の名号を口に唱えることが念仏になった。
     唱名を念仏と同一視するのは中国人の発明である。中国の浄土教。
*仏典の用法 死没:一つの生涯を終えること
       往生/来生:その後に新しい生涯を始めること。仏国土での新しい生涯。
             原語には往生・来生の区別はない。
       往生は成仏(仏陀になる)ための手段である。   p6
*念仏というのは本来は仏陀を思念しそれに精神統一することをさし、心的作用である。 p6
*仏教とは、シャーキャムニによって説かれた教え。仏陀が説いた宗教。仏教とは仏陀を信仰する宗教。というようにとらえ方が複数ある。  p46-50
*仏教は中道を説いた。八つの部分からなる聖なる道[八正道]を説いた。p74-75
*すべての苦悩の根源は根本的無知にある。「根本的無知によって[縁]、生活活動その他が生ずる[起]」という。”縁起説”として知られるこの考えが仏教思想の出発点となる。
 根本的無知から老死まで十二支分あることから十二因縁とも称される。 p90
*人間苦の解決は、”四つの聖なる真理”[四聖諦]を知ることと説いた。 p97-102

 また、「過去において日本人の精神形成に仏教が重要な役割を果たしたことは明白である」(p3)、「日本ではほとんど最初から中国の宗派仏教を伝えているが、インドにはこのような組織はなかったのである」(p10)、「中国において成立した浄土教では往生を終極的な目的と考えている」(p6)、「日本にも、初期の仏教は西域→北魏→朝鮮→日本という径路で来た」(p11)、「今日の原典批判の立場からみれえば、玄奘訳が必ずしも正しいとは断言できないのである」(p14)、「中国仏教は必ずしもインド仏教の忠実な模写ではないのである」(p15)と諸点にふれてはいる。
 しかし、本書は「インド仏教に重点を置き、それ以外は必要ある場合に触れるにとどめる。中国や日本における独自の形成は別の書物にゆずる」(p19)と一線を画している。

 インド仏教を重点にして、「仏教とは何か」を説く基本書・入門書として最初に読むのに適した一冊。やはりロングセラーになるだけの価値はあるなと思った。

 ご一読ありがとうございます。