遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『魂の退社 会社を辞めるということ』  稲垣えみ子  東洋経済新報社

2024-08-12 15:15:20 | 諸作家作品
 読後印象を綴るブログでフォローしているサイトがある。ある記事で本書のことを知った。このタイトルに惹かれて読んでみた。本書の著者は「会社を辞める」と考え始め、2016年1月に会社を辞めた。51歳無職の春の時点で執筆され、2016年6月に単行本が出版された。
 単行本で読んだが後で調べてみると、2024年5月、幻冬舎文庫として出版されている。
 

 会社と個人との関係について、自己の体験を通して思いを綴ったエッセイ集と受け止めた。退社に至るまでの時間軸に沿って、己の考えと心情の変遷をユーモアを交えながら、軽妙なタッチで綴っている。会社を辞めて、「会社」を離れ、己という一個の存在に立ち返ったことに対して、実にポジティブな心境が吐露されている。

 奥書の「著者紹介」には、「朝日新聞入社。大坂本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員をつとめ、2016年1月退社」と記されている。
 会社人間的常識で考えるならば、会社人生の経歴に紆余曲折が含まれるとしても、著者はいわゆる出世路線に乗っかっている勝ち組の一人だったのではないか。その著者が会社を辞めるという選択を時間をかけ、生き方のトライアルと熟考を経て、サバサバと実行した。「会社」という組織体に呑み込まれてしまう、心理的な従属の陥穽に陥ることなく、己という個の存在、己の生き方をまず重視する。その選択が「会社」を辞めるという結果となった。私が読み落としていなければ、「魂の退社」という語句は本文には出てこない。タイトルに使われた「魂」とは何を意味するのだろう。私的には、現時点で「魂」という一語は「自立する個の存在」という意識を意味しているのではないかと解釈している。
 「魂を売る」という表現がある。会社人間がある局面において、会社に魂を売るという行為に入り込むことが有り得る。会社を利する上で、己の個の存在と何等かの折り合いをつけた結果の行為がそんなところから生まれるのだろう。最近各所で暴露されてきているデータ改竄などの事例は、そこに会社人間が加担している結果に他ならない。

 本書は出だしから読者を惹きつける。「アフロにしたことと会社を辞めたことは関係がありますか」という見出しの一文から始まる。著者は大阪府警のサツ回りをしていた時の懇親会で、小道具にあったアフロのかつらをかぶったことがきっかけで、自分自身の髪型をアフロにしたという。奥書には、「このアフロヘアと肩書きのギャップがネット上で大きな話題となった」と、記されている。このエッセイの本文には、「あれ(=アフロ)は図らずも、会社を辞めるための予行演習だったのだ」(p9)という一文がある。その後に続く文がこのエッセイの締めである。「いや本当に、幸せとはそのへんに転がっているものなんじゃないでしょうか。それなのに、みんなはそれに気づいていても見ようとしていない」(p9-10)己という個の存在を見つめたとき、己にとっての幸せ、人生の価値は何かに戻ってみようよ、という視点がそこにある。著者にとっては、アフロ・スタイルの髪型がそのための実験的手段でもあり、己の存在を基軸に考える梃子にもなったように思う。著者にとっての幸せは「会社を辞める」ことから始まるのだ。

 プロローグの見出しが「会社を辞めるということ」である。辞めると宣言した時の周囲の反応を軸にまとめられている。その中に、「会社で働くことだけが真っ当な人生なのだろうか」(p14)、「『お金』よりも『時間』や『自由』が欲しくなったのだ」(p17)、「『会社』という強力な磁場を持つ組織から離れて一匹の人間として考えてみたいのである」(p18)と、著者の視点が織り込まれている。

 その後の本文構成を目次からご紹介しておこう。
   その1 それは安易な発言から始まった
   その2 「飛ばされる」という財産
   その3 「真っ白な灰」になったら卒業
   その4 日本ってば「会社社会」だった!
   その5 ブラック社員が作るニッポン
   その6 そして今
   エピローグ 無職とモテについて考察する

 このエッセイが扱っているテーマの意義は、2016年以前も2024年の現在も、何ら変わらない。古くて新しい問題提議といえる。いつでも、立ち上がってくる生き方の問題なのだから。ここに1つの考えるための貴重な事例が提示されている。
 
 本書を読み進めると、著者は「会社」に怨恨・敵視・疎外感等を抱いていてきたわけではない。「会社」に育てられたこと、「会社」という場で力を発揮できたこと、「会社」が日本社会にとって不可欠な組織体であることなど、客観的にその存在価値を肯定している。その一方で、「会社」と「自己/個の存在」を対置して考え始める契機があった。その視点に気づいたということである。

 本文から、著者の視点、思考を示し、琴線に触れる文を引用してみよう。
*お金がなくても楽しいこと、むしろお金がない方が楽しいことも世の中にはあるのだと気づき始めると、それまで当たり前のように考えてきた「給料を目いっぱい使って贅沢しよう」などという考えは、自然にどこかへ飛んでいく。そんなことは眼中になくなっていく。  p84
*もしかして、「なければやっていけない」ものなんて、何もないんじゃないか。
 現代人は、ものを手に入れることによって豊かさを手に入れようとしてきました。しかし、繰り返しますが「あったら便利」は、案外すぐ「なければ不便」に転化します。そしていつの間にか「なければやっていけない」ものがどんどん増えて行く。  p108-109
*いつでも会社を辞められるつもりの自分であるかどうか。
  「仕事」=「会社」じゃないはずだ。
  「会社」=「人生」でもないはずだ。
 いつでも会社を辞められる、ではなく、本当に会社を辞める。
 そんな選択肢もあるのではないか。               p95
*何かをなくすと、そこには何もなくなるんじゃなくて、別の世界が立ち現れる。それは、もともとそこにあったんだけれども、何かがあることによって見えなかった、あるいは見ようとしてこなかった世界です。・・・・「ない」ということの中に、実は無限の可能性があったんです。  p104
*「なくてもやっていける」ことを知ること、そういう自分を作ることが本当の自由だったんじゃないか。  p110
*日本社会とは、実は「会社社会」なのではないか。  p134
*日本という荒野では、会社に所属していないと自動的に「枠外」に置かれる仕組みになっているのだ。不審者扱いされ、信用されず、暮らしを守るセーフティネットからも外れていく。   p148
*会社に依存しない自分を作ることができれば、きっと本来の仕事の喜びが蘇ってくるということだ。
 仕事とは本来、人を満足させ喜ばせることのできる素晴らしい行為である。人がどうすれば喜ぶかを考えるのは、何よりも創造的で心踊る行為だ。それはお金のことや自分の利益だけを考えていては決してできないことである。金を儲けさえすれば何をやってもいいというのは仕事ではなく詐欺だ。それは長い目で見れば決して会社のためにもならない。  p179
*会社は修行の場であって、依存の場じゃない。・・・・結果的に会社を辞めても、辞めなくても、それはどちらでもいい。ただ、「いつかは会社を卒業していける自分を作り上げる」こと。それはすごく大事なんじゃないか。  p201

 会社を辞めるという視点から書かれたエッセイだけれど、逆に、「会社」と「仕事」そして「依存」について考える上でも有益である。コインの裏表なのだから。
 読みやすい本文を楽しみながら、一方で重要なテーマの意味を考えてみるのは、読者の意識を活性化することにつながることは確実である。

 ご一読ありがとうございます。

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『天路の旅人』  沢木耕太郎  新潮社

2024-08-11 21:59:12 | 諸作家作品
 第2次世界大戦末期、25歳の時に「密偵」(諜報員、スパイ)と自覚し、ラマ教(チベット仏教)の蒙古人巡礼僧になりすまし、中国大陸の奥深く、寧夏省、青海省にまで潜入した男がいた。名は西川一三(カズミ)。本書を読み、初めてこの人物の存在とその壮大で艱難な旅の顛末を知った。本作は実話がベースになっている。

 西川一三は、1950(昭和25)年にインドで逮捕され日本に送還されるまで、蒙古人ロブサン・サンボーと自称し、ラマ僧になりすまして旅を続けた。西海省からチベット、さらにインド亞大陸にまで足を延ばす。インドではブッダガヤを初めとして、聖地巡礼の旅を続けた。実に足かけ8年に及ぶ長い歳月の旅だった。
 帰国後、西川はこの旅について原稿用紙3,200枚に及ぶ記録を綴ったという。その生原稿は紆余曲折を経て、圧縮・編集され芙蓉書房から『秘境西域八年の潜行』と題する3巻(上巻・下巻・別巻)として出版された。その後、再編集され上・中・下の3巻本で中央文庫として改めて出版されている。
 つまり、この『天路の旅人』は西川の自著『秘境西域八年の潜行』をベースとしてまとめられたドキュメンタリー風の作品といえる。文芸誌「新潮」(2022年8月・9月号)に分載発表された後、部分修正を加え、2022年10月に単行本が刊行された。
 読了後に調べていて、本書が2022年に、読売文学賞の随筆・紀行部門で第74回受賞作となっていることを知った。

 本作は、その構成が興味深い。
 序章「雪の中から」では、著者沢木が、あと2,3年で80歳になろうかという西川一三に突然に電話を掛け面談を申し入れて快諾され、対話をした情景を描く。いわばエッセイ文である。なぜ、西川に興味を持ったのかが語られている。
 第1章「現れたもの」もまたエッセイである。その後、沢木が月に一度盛岡で西川に会い、インタビューを続けたこと、西川夫人のふさ子さんに面談した経緯、元の原稿の所在追跡の経緯などが綴られていく。その結果、沢木は「その日以来、二千ページの文庫本と、三千二百枚の生原稿を突き合わせる作業が始まった」(p44)という。読者にとっては、西川一三という人物像にアプローチする経緯がよくわかる。
 そして、沢木は、「私は、そ(=西川の長い旅:追記)の路をあるがままに叙することが、結局、西川一三という希有な旅人について述べる唯一の方法なのだと思い至ることになった・・・・・」(p47)という一文で、第1章を締めくくる。

 第2章「密偵志願」から、西川一三伝ともいうべきストーリーが始まって行く。山口県の地福にある比較的裕福な農家の二男として1918(大正7)年に生まれ、福岡の名門修猷館中学に進学後、南満州鉄道に就職。入社5年後の1941年(昭和16)年に満鉄を退社。内蒙古に設立された興亜義塾という学校に入校する。
 1933(昭和8)年に日本国内で設立された善隣協会から分立し、内蒙古の張家口に本部を置く蒙古善隣協会が、1939(昭和14)年に興亜義塾を創設していた。
 興亜義塾を卒業した西川は、ひとりで外蒙古に成立した蒙古人民共和国との国境に近い、最果ての地、トクミン廟という奥地に向かう。この地で生活し始めた西川は、日本人にとっては未知の地域である西北に潜入し、知見を深めたいという願望を抑えがたくなっていく。中国の西北地域へ潜入する計画書を書き上げ一歩を踏み出す。張家口大使館の嘱託となり、政府と軍部をつなぐ内蒙古における諜報活動のキーマンとなっていた熊本出身の次木一を介して、結果的に、張家口大使館の調査員という辞令と6000円の準備金を得る。戦闘中の敵国に「潜入」し、「永住」しろという命令書である。
 ここから、西川が「密偵」となり、西北地域への潜入を始めていく。
 
 ほぼ同じ時期に、中国の奥地、西北地域に潜入する密偵志願者がもう一人いた。興亜義塾二期生の木村肥佐生である。西川より一期先輩になる。西川より一足早く計画書を提出し、日本大使館の調査員として1万円の支度金を得て、一歩先行していた。木村肥佐生は日本に帰国後、『チベット潜行十年』という書を出版した。この書の考察もまた本作のベースとなっているようだ。
 西川と木村は、それぞれが全く別の計画のもとに、互いに目的も目的地も知らないままで、結果的にほとんど似たようなコースを辿って、中国奥地に潜行していくことになる。

 西川は、9月上旬に、オーズルとイシとラッシュの3人のラマ僧の同行者を得て、中国の支配地の奥深くへ潜行していく。
 ここからは、西川が蒙古人ラマ僧ロブサン・サンボーと自称して、西北地域という未知の領域を旅する状況が描写され、まさに、西川の辺境地域紀行録となっていく。

 第14章「波濤の彼方」までは、西川の8年に及ぶ潜行の状況を、著者沢木がリライトする形になる。「その路をあるがままに記す」というスタンスで叙述されていく。
 第2章の章題から第14章の文末まで、本文は465ページ。1ページが400字詰め原稿用紙2枚+αなので、およそ原稿用紙950枚のボリュームになる。本書でも、西川自身の生原稿からみれば、3分の1以下のボリュームだ。帰国後の西川一三が、己の経験を書き遺すことにどれほどの情熱と信念をもっていたかに驚き、敬服する。

 本作は第15章「ふたたびの祖国」において、1年間、西川の話を聞き続けた著者が、帰国後の西川の状況を点描していく。故郷への帰省、GHQからの呼び出しと事情聴取、原稿執筆と出版までの経緯、西川夫人となるふさ子さんとの出会い、水沢での商事会社勤務時代のこと、独立し盛岡で「姫髪」という店を経営することなど、その後の西川の人生が綴られる。そこに、西川と木村がそれぞれ出版した本への著者の考察も織り込まれていく。
 終章「雪の中へ」は、西川の妻ふさ子さんの死と娘の由紀さんの回想に触れたエッセイといえる。文中で父一三が由紀さんにぽつりと言ったという言葉に触れられている。
  「もっといろいろなところに行ってみたかったなあ・・・・」
  そしてしばらくして、こうも言った。
  「・・・・こんな男がいたということを、覚えておいてくれよな」  (p560)
ここに、西川一三の生き様の根源が表出していると感じた。

 「あとがき」に著者は次のように記す。
「この『天路の旅人』は、ここにこんな人がいたという驚きから出発して、その人はこのような人だったのかというもうひとつの驚きを生んでくれることになった」(p567)この驚きが、著者を突き動かした原動力なのだ。
 そして、次の一文が記されている。
 「私が描きたいのは、西川一三の旅そのものではなく、その旅をした西川一三という希有な旅人なのだ、と」 (p567)
 
 表表紙の裏、見開きページには、当時の中国・東南アジアの地図が掲載されている。そこに、本作と関係の深い地名等が明記されている。裏表紙側の見開きページには、西川一三が主として歩いて旅をした径路が赤色の実線で描き込まれている。そのほとんどは、標高で考えるとまさに天路である。足かけ8年で歩いたというその地理空間の広がりに圧倒されざるを得ない。そのこと1つをとらえてもまさに希有な旅人なのだ。
 地図には、カルカッタから神戸までの航路、寄港地も赤色破線で描き込まれている。

 西川一三が蒙古人ロブサン・サンボーというラマ僧として、どのような径路をどのように旅したのか、その旅のプロセスで、「希有な旅人」としてその存在がどのように描かれているかは、本作をお読みいただかないとわからない。旅の径路をここに記すだけでは、「旅そのもの」の一側面だけを記すだけにすぎないので・・・・。
 本書を読みつつ、延々と続く西川一三の天路の旅に同行していただきたい。それでこそ、西川一三の希有さの一端を感じ取れることと思う。

 もう1つ、興味深かった点がある。西川一三と木村肥佐生が、それぞれ全く独立に密偵志願の行動を取り、中国の西北地域やチベットなどに潜行した。一方で、二人が交差する時がいくどかあったことに触れられている。共に行動する時期の描写と考察、送還される起因になった事情、西川と木村の意識の対比などが興味深い。さらに興味深いのは、二人が個別にいわゆる回想録を出版している。一方、帰国後は、二人が全く異なる生き方を貫いた点である。著者はニュートラルに、西川と木村の違いを対比して考察を進めている。この点、参考になる。
 西川一三と木村肥佐生が書いた本を機会があれば読んでみたい。

 私にとって、本書は沢木耕太郎という作家に出逢う最初の一冊となった。作家名は以前から知ってはいたが読んだことがなかった。また一人、読みついでみたい作家が増えた。

 ご一読ありがとうございます。
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『小山さんノート』 小山さんノートワークショップ編  エトセトラブックス

2024-08-06 18:08:11 | 諸作家作品
 ある研究会で席を連ね、現在はブログでの交流をつづけている友人のブログ記事でこの本を知った。その読後印象記事に関心を抱き、地元の図書館に所蔵されていたので借り出して読んでみた。

 「こやまさん」と呼ばれる女性がいた。彼女が亡くなってから10年が経とうとしている時点で本書が編纂出版された。2023年10月初版発行。
 小山さんはA6サイズのノートをおよそ80冊遺して亡くなった。
 小山さんを火葬にする日、火葬に立ち会った「いちむらさんたちはそれらノートも一緒に燃やしてしまおうと考えたが、1行読んで、これは残さないといけない、伝えないといけない、と強く思った」(p6)という。遺されたノートの文字起こしをすることから、ワークショップが始まったそうだ。それが10年の時を経て、本書になった。

 小山さんは東京都内のある公園のテント村の住人で公園暮らしの日々を過ごした人。最後はそのテント村の一隅に自分一人が住むテントを設け、テント村の人々との交流は極力避けた生活をしていたようだ。上記引用文中のいちむらみさこさんは2003年に公園のテント村に住み始め、いちむらさんのテントがあったところから少し離れたあたりに、小山さんがひとりでいたという。2013年12月下旬に小山さんが亡くなった当時の経緯は、本書に収録された「小山さんが生きようとしたこと」と題するいちむらみさこさんのエッセイに書き込まれている。
 2014年12月27・28日に、テント村で小山さんの追悼展覧会が開かれた。吉田さんが相当な量のノートの文字起こしを手がけてはいたが、「キラキラの紐で結ばれたノートの束はまだいくつもあった」(p19-20)。2015年の春に、追悼展覧会をきっかけに集まった人たちで、残りのノートを文字起こしする「小山さんノートワークショップ」が始まったという。

 ワークショップとして確認できたのは1991年から2004年までに書かれたノートの範囲であり、テキストデータにしてみると、A4サイズの用紙に3段組で659ページもの量になった。実際にはもっと多くのノートが存在したと考えられている。
 本書はテキストデータ化された小山さんノートから抜粋された2段組で、次の6章に編集されている。小山さんが書き遺した日記の記録である。
 序章 1991/1/5~2001/1/31 
   40代でのアパート暮らし、「共の人/共にいる人」の住居で生活し受けた精神的・
   肉体的な暴力について、公園でのテント生活への移行が記されている。
 第1章 2001/2/2~4/28
   テント生活約半年後に、時折暴力を振るう男(共の人)が小山さんのテントに来
   て同居し始める。
   この章に次のパラグラフが記されている。
   「25歳より、読む書くことを志し、現在こんな環境の中で約2ヶ月で6冊ものノ
   ートを書けたら十分だ。きっと、はげまし協力してくれた人も、世に認められず
   収入がなくとも喜んでくれるだろう。私も喜んでいる。今日も書けた、読めた、
   歩けたと・・・・・。きれいな風景を見て、美しい音楽も聞くことができた」(2001/
   3/26,p50)
 第2章 2001/5/7~8/21
   テントでの同居生活中も、共の人の精神的・肉体的暴力が続く。共の人の人格が
   切り替わる局面での落差が幾度も書き込まれている。
   遂に共の人と暮らしてきたテントを出る決意をして、公園内の別の場所で一人暮
   らしを始める。その経緯が記されていく。
 第3章 2001/8/22~2002/1/30
   テントでの一人暮らしの状況が綴られていく。だが、2002/2/3以降工事に入るた
   めに、新たな地への移動を通告されることに・・・・・。
   1/26に共の人のテントのわきに自分のテントを建てて暮らしを再開。
 第4章 2002/9/3~10/4
   小山さん自身が表紙に「不思議なノート」と記したノート1冊をまるごと掲載。
   この章だけ、本紙の色を薄いグレーに変えてある。日々の具体的な生活行動が克
   明に綴られている。このノートだけが白い大型ノート。
 第5章 2002/10/30~2003/3/16
   2002/10/4の数日後、共の人が急死。大型ノートが終わりとなったことで、日記を
   書くことも止めようと思ったようだ。だが、10/30に書くことが再開される。
   小山さんは2003/2/2の日記に「平十四年十月七日、時計が二時二十分ちょうどの
   時、金真の肉体はテントより運ばれた」(p193)と記している。
   「共の人」と記してきた男性を日記の再開時点からは「金真(キンマ)」と呼び供養
   し始めている。
   この章ではテント村の「ボス」の干渉に脅かされ始める経緯が記されていく。
   警察の指示があり、金真テントはそのままの状態が維持される。管理事務所の人
   々、支援団体、テント村の住人との関わりが増えて行く。
   12/16には再び移動地の事前通告を受け、2003/3/10には新たな移動地でのテント
   設営となる。
 第6章 2003/7/6~2004/10/12
   困窮し、精神的にも苦しくなっていく状況が記されていく。2003/10/1の日記に
   は、「どっとこみあげる現実を生きることへの不安が胸や背中を突きさし、いた
   たまれない迷いと不安に包まれる。孤独と貧しさの究極、ろう人形のように気力
   失った我が姿。これではならないと思いつつどうすることもできないもどかしさ」
   (p219)と記す。この章の日記には、幻想的な空間に入り込んだ記述が増えて行く。
 この『小山さんノート』、小山さんの現在の思いや状況記述の中に、過去の回想が織り込まれて行く。なぜ小山さんがいわゆる通常の生活からテント村での生活に移行したのか少し抽象度の高いレベルでしかわからないところがある。
 だが、「文学と芸術に燃えて生き、精神と哲学への尊重」(1991/11/7、p25)を願望し続け、「私は私の心に忠実に生きていきたかった」(1993/12/22~23、p27)と記す。また、「男、女の現実の制約をこえて、人格としての芸術的人間になることが私の夢であった。そして、世界を旅することができたなら、どんなにすばらしいだろうと思っていた」(2001/2/17、p36)とも記す。ここに小山さんの心の根源があるようだ。このノートは、小山さんの夢・希望と現実との落差が克明に綴られている。そこには常に己の思いを見つめ続ける小山さんの姿が浮かびあがってくる。

 2000/3/24から、公園でのテント生活を始めたそうだ。そして、第1章が始まって行く。
 「小山さんノート」の前半では共の人からの精神的・肉体的な暴力を受けた後、己の精神状態を回復するために馴染みの喫茶店にて一時を過ごす場面が頻繁に記述される。後半は、困窮状況と孤独から、己を取り戻すための喫茶店行きが綴られる。小山さんにとって、喫茶店はいわばオアシスだったようである。
 馴染みの喫茶店をフランス風喫茶とかイタリア風喫茶と呼び、己が海外に居る気持ちを重ねて、そこで日記を書き、過去の日記を読み直し、本を読み、心のバランスを回復しようとする。太陽の席、月の席などとも居場所を名付けている。喫茶店は現実の困窮する生活から己を一時的に引き離す時空であったようだ。 日記の中には、小山さんが本について具体的に記している箇所がある。『法華義疏』を読むという記述が2002/9/20(p153)をはじめその後の数カ所に繰り返し記されている。ドンキホーテ新書を読み終え(2002/3/11,p204)と、ベルクソンの本の活字と共に二時間あまり過ごす(2003/2/28,p242)という記述もある。

 「小山さんノート」の後には、「小山さんワークショップ」に参画していた人々のエッセイが載せてある。エッセイのタイトルと筆者をご紹介しておこう。
 「小山さんとノートを通じて出会い直す」  吉田亜矢子
「決して自分を明け渡さない小山さん」   さこうまさこ
 「『ルーラ』と踊ること」         花崎 攝
 「小山さんの手書きの文字」        藤本なほ子
 「沈黙しているとみなされる者たちの世界」 申 知瑛


 この日記に記された状況は、私にはまさに異次元世界といえる。多少はイメージできても、体感的には理解できない状況が連綿と記されていく。
 「人が住むような地は皆、古くからいる人、仲間の集団でびっしりとつまっている。人のテントの前を通ることの苦痛は、冷や汗が出てくるほど気づかう。共の人は平気らしい」(2001/1/13、p125)という感性の持ち主なのだ。

 「はじめに 小山さんノートとワークショップ」で筆者の登久希子さんは次の諸点を記している。
*ワークショップでは、文字起こしだけでなく、フィールドワークや路上での朗読、座談会をしてみたりもした。小山さあんがよく立ち寄ったらしい神社や常連だったと思われる喫茶店などをメンバーとともに訪れると、ノートに書かれていた状況が違った解像度で見えてくる。 p8
*結局のところメンバーの誰も小山さんではないし、小山さんの真意はわからない。それに「真意」は本人ですら揺れていたり変化するかもしれない。 p10
*小山さんは、ユーモアのある、どこか冷静な記述をとおして、自分自身をある意味でつきはなしてみたり、赦してみたりしながら、悲母を生きつないでいたのではないかと思う。 p11

 本書の小山さんの日記からだけでは、小山さん像にどこまで迫れるかはわからない。しかし、テント生活者として生活し、延々と書き残された日記の中に、小山さんの生き方が息づいている。かなえられない願望を最後まで抱きつづけ、書き続けるという生き方をした人が居たという事実。書くことに己の存在を投影していたのではないかと感じる。

 いちむらみさこさんのエッセイに、「小山さんは満足してはいなかったかもしれないけれど、死ぬためではなく生きるためにここにいたのだ。ただ、どう生きたかったのか、わたしは十分に理解できていなかった。生きていた小山さんを理解するとは、このノートをどう読むかということでもある」(p20)と記している。

 「生きるためにここにいた」その存在を、その証をこの書き遺されたノートが示しているのだと思う。現代の日本社会における極限に近い生き方の一事例がここに遺されている。「生きる」とは何かを見つめ、考えるための鏡にもなる一書と思う。
 
 ご一読ありがとうございます。

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『千里眼の教室』  松岡圭祐  角川文庫

2024-08-03 14:26:40 | 松岡圭祐
 千里眼新シリーズの第5弾。新シリーズを読み継いでいる。新シリーズと言っても、この第5弾は平成19年(2007)5月に文庫の初版が発行された。
 
 岐阜県立氏神工業高校は過疎化した地域の公立高校が合併し、普通科、工業科、農業科が混在する奇妙な学校で、学習指導要領で必須とされる世界史の未履修問題が是正されないままの学校である。落ちこぼれの生徒が集まる学校でもあった。この氏神工業高校の生徒たちが、学校長はじめ教師達全員が学校の敷地から出払ってしまったタイミングをとらえて、学校に籠城し、生徒の自治による独立国家、氏神高校国の建国を宣言した。日本国という領土内に、突然に独立国が宣言された。このストーリーは、この氏神高校国の建国から終焉までの顛末譚である。
 自衛隊の戦闘機が一機、雷鳴のような轟音を響かせながらかなりの低空飛行で飛び去って行った直後に学校の体育館の方向で青い光が瞬くという現象が生じた。それからしばらくの時間が過ぎて、校舎の屋外スピーカーが、氏神高校国建国宣言を告げた。これが事件の始まりだった。

 このストーリー、冒頭は、岬美由紀が津島循環器脳神経科病院の五十嵐哲治院長を見つけ、出頭を勧める場面から始まる。五十嵐には、台湾製の時限式爆発物を海外のブローカーから購入した容疑がかけられていた。五十嵐は酸素欠乏症が脳細胞のいくつかを破壊し人が暴力的になり、いじめの原因となるという持論を主張していた。その主張を実証するために、時限爆弾をどこかに仕掛けた。五十嵐は説得する美由紀の前から逃亡する。この逃亡と美由紀の追跡場面がまず奇想天外な活劇風であり、映画のイントロにしたら観客を惹きつける市街破壊場面になることだろう。だが、イントロ場面にそれほど金をかけられないか・・・・・。まずフィクションのおもしろさがぶつけられている。

 このストーリー、氏神高校国建国後の内部状況をまず描きあげていく。旧生徒会役員が氏神高校国行政庁となり、生徒自身による民主的な自治を国家として独立運営すると決定し、実行するという。独立運営するといっても、どのようにして・・・という疑問から、読者は興味津々とならざるを得ない。
 学校敷地内に集団籠城するとして、ライフラインをどうするのか。食料をどのように確保するのかなど、次々に疑問が出てくる。一方で、これは単なる一時的憂さ晴らしの茶番劇の一幕か・・・そんな疑念も芽生える。
 いやいや、なかなか筋立てに理屈が通り、整合性が築かれていくのだから、おもしろさが増す。
 建国と宣言されれば、マスコミレベルの好奇心だけでは済まされず、日本政府も対応を迫られるという側面が当然生まれてくる。学校に籠城する高校生の集団を相手に、国家権力を行使するところまで行くのかどうか・・・・。
 
 ここには、氏神高校国という建国による国家という組織構築のシミュレーションがある。想定外の状況に投げ込まれた高校生達の心理変化、集団社会への適応などが描き込まれていく。
 ストーリーの進展に沿う氏神高校国描写関連の章見出しを一部ご紹介しておこう。
 「貴族・平民・奴隷」「処刑の真実」「統治官・補佐・平民」「貨幣経済とは」「数値と漫画」「独立国と女たち」・・・・と進展する。運営機構の確立、秩序の確立、運営資金源の確保、食料入手ルートの確保、方針と行動目標の設定と、独立国のメカニズムが動き出すのだから、なかなかに興味深いストーリー展開となる。
 最もおもしろいのは、「習研ゼミのセンター試験向け大学模試を、全国民にて行うものとする」という目標設定がなされ、それが進展していくことである。

 岬美由紀がどう関与するのか?
 五十嵐哲治を追跡した美由紀は、五十嵐が爆弾を仕掛けたのは氏神工業高校と推測した。そして、岐阜に所在の高校に向かうのだが、爆弾は作動してしまった。学校は氏神高校国として建国宣言された。学校を取り巻く待機所で数日を状況監視に費やした後、美由紀は、日本国代表使節団に加わり、学校内に入る。そして、使節団の中でただ一人、氏神高校国に残留する。美由紀の目的は、五十嵐が仕掛けた爆弾の爆発の証拠確保とその結果の事実確認であった。それは氏神高校国の実態把握とも関連していた。そして、美由紀は事実を解明する。

 フィクションならではの要素がいくつか組み込まれているものの、ストーリーの流れには整合性があり、現代社会の問題に対する風刺性、特に学校教育についての問題点への切り込みが加えられている。一方エンターテインメント性も十分に織り込まれていておもしろい。

 本作の各所に書き込まれたメッセージのいくつかを引用して終わりたい。
*突然の変化が訪れ、従うべきものが変わっても、どうすることもできない。集団がそちらに向かえば、ひとりだけ流れに逆らって生きることはできない。きづけば、驚くほど柔軟な自分がいた。   p86
*修学旅行も、学徒が兵役に出るときの団体行動の予行のためにおこなわれたのが始まりだ。出陣という目的があったころは、まだ集団も統率がとれていた。しかし目的を失い、形式だけが残って、団体教育は行き詰まった。   p114
*アメリカの心理学者ゴールドスタインとローゼンフェルトによれば、心になんらかの弱みを持った人は、同じ境遇の人たちとの仲間に加わることで安心を得ることができるらしい。生徒たちを支えているものが同胞意識だとすると、そこまで生徒たちを追い込んだmんがなんなのか、はっきりさせる必要がある。  p159
*子供たちが自活できることを主張する。それはすなわち、親への対抗意識にほかならない。   p172
*誰もが生きて、よりよい生活を営むための競争に参加している。同一の目的を与えられた集団が、こんなにまとまるものとは思わなかった。共存と繁栄は、いつの世でも平和をもたらすものだ。  p198

 ストーリーの底流になっているキーワードは「酸素」である。この酸素がどのように作用するのか。例によって、最後はどんでん返しが仕組まれている。そこがおもしろいところ!!

 そして、次の箇所に、著者の問いかけが重ねられているように受け止めた。
 ”正しいのは生徒たちだ。十代の子供たちが、社会の大いなる矛盾に疑問を突きつけている。われわれは、真摯に耳を傾けるべきではないか。
 それに、氏神高校国は本当に平和や平等を乱しているのだろうか。
 平和、平等。われわれの社会に、そんなものはあるのだろうか。たしかにかつては存在していた。だが、いまはどうなのだろう。
 それらが存在するのは、むしろ氏神高校国のなかではないのか。”    p268

 本書のタイトルに「教室」が使われている。それは美由紀が氏神高校国に残留し、内部からこの氏神高校国を観察し、彼らの信頼を獲得するに至ること。独立国家の終焉において、美由紀が一働きすることになることに由来するのだろうと思う。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
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