遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『芸術新潮 2024 4 特集 原田マハのポスト印象派物語』 新潮社

2024-04-11 15:30:41 | 原田マハ
 新聞広告で「芸術新潮」4月号が標題の特集であることを知った。昨年の12月号特集「21世紀のための源氏物語」以来、久しぶりに月刊誌を購入した。
 諸本を読む合間にゆっくりと併読していたので読み終えるのが遅くなった。

 とんぼの本の一冊に、『原田マハの印象派物語』(新潮社)が2019年6月に刊行されている。この読後印象記は既に載せている。今回の特集も、いずれとんぼの本に加わるのかもしれないが、印象派からポスト印象派への時代の推移がどのような物語になるのか、グラビアページにどのような作品が取り上げられるのか、に関心を寄せた次第。

 今回の特集から振り返ると、『原田マハの印象派物語』のタイトルの「印象派」というコトバは広い意味合いで使われているようである。「愚かものたちのセブン・ストーリーズ」の一環として、「セザンヌの物語」と「ゴッホの物語」が取り上げられていた。

 さて、この特集はおもしろい構成になっている。
 特集の最初の見開きには、右ページにオーヴェール=シュル=オワーズの聖母被昇天教会の後陣側の景色、左のページにはフィンセント・ファン・ゴッホがこの景色を描いた油彩の「オーヴェール教会」(1890年)が並んでいる。
 特集の全体は二部構成で、原田マハさんが旅をする形の紀行とその地で出会う絵画等の作品の紹介がベースになる。そして、この紀行において、原田マハさんはポスト印象派に関わる地を旅し、作品を鑑賞する人であり、被写体である。紀行文は編集部が記している。
 <ポスト印象派紀行1> 
   オーヴェール=シュル=オワーズにゴッホを訪ねる
     ゴッホが最後の70日間を過ごしたパリ郊外の町へ--
 <ポスト印象派紀行2>
   ブルターニュ地方にゴーギャンと仲間たちを訪ねる
     19世紀末、若い画家たちが異文化と新たなインスピレーションを
     求めたブルターニュへ--

 原田マハさんの「ポスト印象派物語」は、いずこに・・・・。それは<ポスト印象派紀行1>の構成の中に織り込まれていく。この物語、ちょっとしたSFファンタジー調の設定になっている点がおもしろい。
 プロローグは「パリでばったり出会う」と題されている。パリのアパルトマンに暮らす作家の私が、ある夏の宵に仕事を続けるのをあきらめると良く出かけるカフェで奇妙な男と出会う。「もしよかったら、私に同じもの、一杯おごってくれませんか?」という男の問いかけから始まる。私がパリの街角でばったり出会ったのが、ポスト印象派の画家、エミール・ベルナール(1868-1941)だった。その男は、ズボンのポケットから歌川広重の<名所江戸百景 亀戸梅屋舗>を取り出して、広げてテーブルの上に載せて、言う。「もしご興味があれば、この絵を私に譲ってくれた私の友人の画家たちに一緒に会いにいきませんか?」と私に語りかけたのである。エミールが現代にワープしてきた!?
 ここから5人の画家たちとの接触の物語に連なっていく。
 私が、21世紀のいま、パリのメトロ7号線にエミールとともに乗ったり、レンタルショップでシトロエンC4<ピカソ>をレンタルして運転したりしながら5人の画家に会いに行くという設定なのだ。
 5つの物語とは
  <ゴッホの物語> ルピック通りのドアをノックする
  <ゴーギャンの物語> ポン=タヴェンで黄色いキリスト像を見上げる
  <セリジェの物語> ル・プールデュの食堂で話し合う
  <ルドンの物語> カフェ・ヴォルテールで春風になる
  <セザンヌの物語> エクスで記念写真を撮る

 勿論、5人の画家それぞれと接触する各物語において、私が画家と出会うその場面は、エミールが画家に会いに行く。直接に出会うのは画家とエミールである。私は彼らの時代にタイムスリップし、エミールの近くにいて、エミールと画家の接触を眺め観察して己の思いを語るが、いわば画家には見えない透明人間的存在である。そういう設定で、画家と私の間接的なコンタクトも物語の一部になる。実にファンタジーがあり、おもしろくて楽しい短編小説の連作になっている。
 この5人の画家たちとの接触物語のタイトルには、「-○○とエミール(と私)」という添え書きがある。○○は画家の名前。私が括弧書きとなっているのは上記の意味あいになる。
 5人の画家それぞれにエミールが会いに行く場面の中で、彼ら画家たち、ポスト印象派の絵画論や画家が置かれていた状況、彼らの描いた作品のことなど、史実を織り込みながら、ファンタジーを背景にして物語られていく。 おもしろい物語集である。

 <ポスト印象派紀行1>は、この5人の画家たちとの接触物語と併せてあと2つの構成要素がある。
 1つは、大原美術館館長で西洋近代美術史家である三浦篤さんによる「『ポスト印象派』を理解するために」と題した5ページの概説文が併載されている。「ポスト印象派」という概念がどのように生まれ、形成され、どのような画家たちをさすのかについて、簡潔に述べられている。
 「印象派という呼称が19世紀当時の美術批評から生まれ、そのまま定着していったのに対して、ポスト印象派という用語は1910年まで存在せず、後世に作られた歴史的概念だ」そうである。(p34)そこに根本的な違いがあると言う。「曲がりなりにもグループと呼べる印象派とは違って、『ポスト印象派』はまとまった集団を形成していたわけではない。」(p35)。「少なくともそこに共通するのは、外界の現実を経験的、感覚的に再現しようとする印象派の写実主義、視覚至上主義に満足しない点であるが、彼らはさらにいくつかのタイプに分かれる」(p35)と言う。
 37ページには「ポスト印象派系統図」がまとめられている。ポスト印象派は、第1世代と第2世代以降に区分されている。
 系統図の図式では、第1世代を「新印象派、古典回帰/構築的、象徴主義的傾向、表現主義的傾向/他、ポン=タヴェン派」というタイプに区分している。第2世代以降については、「フォーヴィスム、キュビズム、ナビ派、表現主義的傾向/他」に区分している。詳細は本誌をご覧いただきたい。

 2つめは、原田マハさんが、「印象派以後-モダンアートを創出すること」展担当キュレーターのマリアンヌ・スティーヴンスさんと面談したインタビュー記録が掲載されている。この展覧会は、2023年にロンドン・ナショナル・ギャラリーで開催された。ポスト印象派を再考察する意欲的な企画展だったそうだ。

 <<ポスト印象派紀行2>では、以下の地への旅と芸術作品との出会いなどがグラビアと文で綴られていく。
  カンペール   ”地の果て”の首都
  ポン=タヴェン 画家たちのコロニー
  ル・プールデュ 漁村の旅籠にこもる熱気
  ブレスト    軍港に吹く風
  ドゥアルヌネ  ローズカラーの海

 フランスの北西部にあるブルターニュ地方。その西端に位置するのが「フィニステール県」だというのを、この特集で初めて知った。フィニステールとは「地の果て」を意味するそうだ。ゴーギャンが眺めたというキリスト像、海の景色、地の果ての街並みなどの写真を見て、文を読んでいると、パリから遠く離れたかの地へも行ってみたくなる。

 今まで様々な展覧会・企画展で鑑賞してきた画家たちを、この特集によって、「ポスト印象派」という概念で系統化して捉え直す機会にもなった。楽しめる特集である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
エミール・ベルナール(画家)  :ウィキペディア
シトロエンC4<ピカソ> :ウィキペディア
オーヴェル=シュル=オワーズのゴッホを訪ねる:「メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンド」
ポン=タヴェン :「世界の最も美しい村をめぐる」
ポール・セリジェ   :ウィキペディア
オディロン・ルドン  :ウィキペディア
549 トレマロ礼拝堂、Pont Aven :「長野氏の美術館探訪記」
礼拝堂のトレマロ  :「France-Voyage.com フランスのヴァカンスガイド」

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『おいしい水』  原田マハ  伊庭靖子画  岩波書店
『奇跡の人』    双葉文庫
『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  幻冬舎
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎

「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 16冊
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『おいしい水』  原田マハ  伊庭靖子画    岩波書店

2024-01-30 15:45:05 | 原田マハ
 著者の作品の文庫本が幾冊かまだ買ったままで書架に眠っているのに、たまたま図書館で著者作品の棚を眺めていて本書の薄さが目に止まった。「おいしい水」というタイトルに、「Água de Beber」と付記されている。
 コーヒーカップのイラストと、Coffee Books というシリーズ名が記されている。岩波書店がこんなシリーズを出していることを知らなかった。本書読了後に岩波書店のホームページで検索してみると、本書を含めて一作家一冊で6冊が刊行されている。
 本書は2008年11月に単行本が刊行されている。

 本書は85ページという薄さの本。その中に、伊庭靖子さんの絵が12点挿画となっている。ガラス容器、ガラスコップ、コーヒーカップ、椅子、クッションなどの個別の物体とちょっと抽象画風の作品が載っている。すごく透明感があり、写真では撮れないなあと感じる独特な物体の描写である。そこにどことなく暖かみが漂う。この挿画、見開きの2ページ全体に載る絵が3点あるので、挿画が15ページを占める。その結果、実質的には69ページの短編小説である。
 Coffee Books というネーミングは、静かなコーヒーショップの一隅あるいは自宅の静かな部屋で、まさにコーヒーでも飲みつつ、一時の安らぎの時間に読み切れる読書タイム向きの一冊ということだろうか。
 一つの短編に十分な挿画のある一冊の単行本。ある意味でゴージャスな本と言える。

 さて、本書の読後印象。ひと言でいえば、19歳の女性の甘酸っぱい恋心が1年弱の時の流れと交際の中で、ほろ苦い思い出に転じていく。その心理プロセスが読者を惹きつけていく。読者の青春時代の一コマ、あの頃の私は・・・・・を想起させる契機になるかもしれない短編である。

 「白い厚紙のマウントがすっかり古ぼけたスライドがある。泣き顔の女の子がポジフィルムに写っている。
  ぼろぼろに泣いている。・・・・・・・
  これは19歳の私。                
  もう1枚。別のスライドが、・・・・・・  」(p5) 
こんな冒頭文から始まっていく。

 このストーリー、関西でも有数の名門大学に入学、女子寮に入寮し、最寄り駅の西宮北口から神戸にある大学に通う「私」、「19歳の私」が登場する。
 「やがてあの地震が、すべてを一変してしまう十年まえのことだ。多くの人がそうであったように、私もあの街で大切なものを失った」(p6)という形で。少なくとも十有余年の歳月を経た時点で、「19歳の私」にとっての「憧れのひと」との恋物語を回想する形の短編小説。ストーリーが「私」の視点で進んで行く。後半になって、「私」の姓が「安西」であると、読者にもわかる。

 19歳の私は、元町北の路地裏、古ぼけた雑居ビルの1階にある「スチール・アンド・モーション」という輸入雑貨店で週末には店番のアルバイトをしている。そこはナツコさんが経営するお店。
 そこから、早足で行けば10分もかからないところに「エビアン」という喫茶店がある。私は、アルバイトに行く前には、この「エビアン」に立ち寄り、その結果、アルバイト先には、遅刻常習犯となっていた。
 それは、なぜか? 「エビアン」には、いちばん奥の席に、ベベと称する客がいつも居るからだ。ベベを私は「憧れのひと」として恋うようになっていく。
 ある日曜日の午前中、アルバイトに行く前に、「エビアン」のガラスのドアから中を覗き込み、奥の席にベベが居るのを見つけた。だが、ベベの対面に大柄な男がいる。しばらく覗いていると、その男が途中で激高する場面を目にした。大柄な男が店から出て来て立ち去った。その後ベベが「エビアン」から出て来た。
 駅に向かって歩き出したベベに初めて思わず声をかける。そして私は持っていたドアノーの写真集を「これよかったら」とベベに差し出す。この時の状況描写、そうだろうな・・・と共感する。この時、私はアルバイト先をべべに告げた。これが、私とベべとの交際の実質的な始まりとなる。
 
 翌年の2月の最後の日曜日が、私の最後のアルバイト日となる。雑居ビルが取り壊されることになり、ナツコさんが店を閉じるから。
 あたたかな日に、ベベと私は神戸港の遊覧船に乗る。だが、それがベベと私の交際の最後の日となる。この日にベベは初めて己の事を私に語った。最後に、「だからおれ、もう安西に会われへん。明日から、永遠に」(p80)

 大学の新学期が始まる頃、安西はナツコさんからの電話を受けて再会する。
 その時、ナツコさんを介して、冒頭の今は古ぼけてしまったスライドを受け取る。
 この顛末がこのストーリーの最後の場面となる。

 この私(安西)の恋の顛末がこのストーリー。私の内心描写の変転が読ませどころとなる短編である。ドアノーの写真集の表紙が一つの表彰として、「おいしい水」の場面に織り込まれている。そして、遊覧船上でのベベの告白が衝撃的!

 このストーリー、最後は次の文で終わる。
「おいしい水、とベベが言った。
 アストラッド・ジルベルトの名曲のタイトルだと、いまならわかる。
 けれどあの頃、私は19歳。
 桜が咲き乱れる季節に20歳になる、ほんの一歩手前を生きていた。
 ようやくほころびかけた、硬いつぼみ。
 おいしい水の味に気づくには、もう少し時間が必要だった」 (p85)

 この最後の文に照応する文が最初の場面に出ている。
「そして、いま頃ようやく気づいたけれど、かけがえのないものを得た、とも思う。
あの頃。
 私は花びらの開き方も知らない、固いつぼみだった。
 19歳の私。                   」(p6)

 著者は、19歳という青春の一時期を、恋心と重ねながら、鮮やかに切り取って描きあげている。「私」が回想する「19歳の私」。
 次の一文が、このストーリーの核になっていると思った。
「光のなかにいるときは、その場所がどんなに明るいか気づかない。そこから遠ざかってみて、初めて、その輝きを悟るのだ」(p11)

 最後に、この短編には、私の知らない音楽や写真の領域でのアーティスト名が数多く出てくる。私(安西)が週末にアルバイトをしている「スチール・アンド・モーション」の背景イメージを作る一環の描写である。だが、これらのアーティストを知っている人と知らなかった私とでは、読者としてこの記述個所を読むときのイメージの広がりと印象は、たぶん大きな開きがあることだろうな・・・・と思う。
 次の人名が出てくる。私の覚書として、列挙する。
 音楽家として:
 アストラッド・ジルベルト、エリック・サティ、ブラアイアン・イーノ
 トレーシー・ソーン、ジェーン・バーキン、チエット・ベーカー
 そして、もう一つが写真家として:
 ロベール・ドアノーの「市庁舎前のキス」、アジェ、ブラッサイ、エルスケン
 ロバート・フランク

 この短編、私にとっては、未知のアートの領域への扉を開けてくれた。取りあえずは、YouTube やウィキペディアなど、ネット情報の活用を手がかりにする楽しみが増えた。

 ご一読ありがとうございます。


補遺  ちょっと調べ始めて:
アストラッド・ジルベルト :ウィキペディア
おいしい水  YouTube
Astrud Gilberto - Best Vol.1   YouTube
エリック・サティ    :ウィキペディア
サティ:ピアノ曲集Ⅰ(compositions by Erik Satie)  YouTube
Erik SATIE - Gymnopedies 1, 2, 3 (60 min)    YouTube
ロベール・ドアノー   :ウィキペディア

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『リーチ先生』  原田マハ  集英社文庫

2023-11-25 19:01:51 | 原田マハ
 著者のアート小説を主体にしながら読み継いできた。リーチ先生とは、イギリス人陶芸家バーナード・リーチのことである。本作は学芸通信社配信により全国の7新聞各紙に、2013年10月20日~2015年11月10日に順次配信され、2016年10月に単行本が刊行された。第36回新田次郎文学賞受賞作。2019年6月に文庫化されている。

 私は京都近代国立美術館で、河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司の作品を幾度も見ている間に、バーナード・リーチの作品も見る機会があり、その名を記憶した。陶芸家の彼らの間に交流があったことを知ったが、それ以上の人間関係などについて意識しなかった。
 私にとっては、彼ら相互間の人間関係や親交の経緯、さらに柳宗悦や白樺派との交流関係などを、本作で具体的にで知る機会となった。これはうれしい副産物である。バーナード・リーチのことは、美術館で作品を観た以上のことはほとんど知らなかった。本書を通じて、彼の人柄や彼の人生の一端、日本との関わりを具体的にイメージできるようになった。伝記風アート小説の醍醐味といえる。

 本書のタイトルは「リーチ先生」。先生と付くので、バーナード・リーチに対し先生と敬称で呼ぶ人が存在することになる。バーナード・リーチとその人もしくは人々との関係がタイトルそのものに現れている。バーナード・リーチ中心の伝記風小説というよりも、バーナード・リーチと人々との関係の中で、バーナード・リーチ像を浮き彫りにしていくアプローチである。
 一方、私は著者は、バーナード・リーチを一方の極にして、他方の極に次のメーッセージにあたる人を共に描き出したいのではないかと受け止めた。
 それは、エピローグに出てくる次の文:
 「----- 名もなき花。
  それは、まさしく父のことだった。
  ひっそりとつぼみをつけ、せいいっぱい咲いて、靜かに散っていった野辺の花。
  けれど、父は種をまいたのだ。東と西の、それぞれの大地に。
  そして、自分は、その種から芽を出したのだ」(p584)
が表象している人と受け止めた。
 「名もなき花」と題されたこのエピローグ、涙無しには読み通せなかった。ストーリーの流れに感情移入を深めさせる著者の作品構成と筆致は巧みだなと思う。受賞作になったのもうなずける。

 本作のプロローグとエピローグは普通の小説からすると、いわばそれぞれ一章分に近いと思えるボリュームがある。それによって、本作は時間軸の展開が入れ子構造のストーリーとなっている。さらに、その入れ子構造の時間経過に、本作のモチーフの巧みさが組み込まれている。読者を感動させる要因がそこにあり、かつバーナード・リーチの最晩年の一コマを描き出してもいる。

 ストーリーの入れ子構造の時間軸の経緯と、最小限の経緯をご紹介する。
 <プロローグ 春がきた>
 1954年(昭和29年)4月時点。バーナード・リーチが大分県の小鹿田(オンダ)という陶芸を生業とする集落を訪れる。受け入れを坂上一郎が代表として行い、小石原の出自で、坂上一郎を師匠として修行に入り、まだ日の浅い高市(コウイチ)がリーチ先生の世話係となる。リーチ先生は小鹿田に3週間ほど滞在し、陶工の指導と己の作品づくりをする。最初の2日間だけ、河井寛次郎と濱田庄司が同行してきた。
 窯の焚き口の近くで、高市はリーチ先生から、父親の名は沖亀乃介かと質問される。

 第1章から第5章は、時間軸が明治末近くを起点に始まっていく。
 <第1章 僕の先生>
 1909年(明治42年)4月時点。横浜の食堂で給仕をしていた14歳の亀乃介が、高村光太郎より差し出された住所を記した紙片をきっかけに、17歳で東京の彫刻家・高村光雲邸の住み込み書生になっているところから始まる。そこに、英国で高村光太郎と知り合ったバーナード・リーチが高村光雲邸を訪ねてくる。リーチと亀乃介の出会い。リーチは芸術において英国と日本の架け橋となりたいという大志を抱いて来日した。確たる方針はないままに。リーチはまずはエッチング教室を始める。亀乃介はこの時点からリーチ先生の弟子となる。

 <第2章 白樺の梢、炎の土>
 1910年(明治43年)6月時点。リーチのロンドンでの美術学校時代の親友、レジナルド・ターヴィーが、母国へ帰る途中に、来日する。その折り、富本憲吉が帰国途中でターヴィーと交流。それで光雲邸にターヴィーを導くことになる。そこから濱田とリーチならびに亀乃介との交流が始まる。
 エッチング教室開催を契機にし、リーチと白樺派を結成した人々との交流が始まる。亀之介は横浜で耳から修得した英語力でリーチ先生の通訳を担当し、白樺派の人々とも知り合う。同人誌「白樺」の編集長を柳宗悦が担当したことで、リーチと柳との交流が始まり、リーチと柳が生涯の友になって行く。その親交の経緯が明らかになる。
 リーチと亀乃介は富本憲吉に誘われて芸術家下村某の主催する会で絵付けを体験する。この陶芸初体験が、リーチを陶芸の世界に導く。勿論亀乃介も同席するので、亀之介自身もまた陶芸の魅力に引きこまれていく。

 <第3章 太陽と月のはざまで>
 1911年(明治44年)7月時点。尾形乾山の6代目を名乗る浦野光山のもとに通い、陶芸を始める。それがろくろの神秘を知る契機に。リーチは七代尾形乾山を襲名するまでに至る。が、その後、リーチは北京に引っ越すという決意に至り、亀乃介に告げる。リーチが日本に戻るまでの顛末が、一つのエピソードとなる。
 我孫子の手賀沼を望む高台にある柳宗悦邸に、柳の支援のもとでリーチが工房を構え、庭に窯を完成させる。初めて窯に火を入れた時の状況。濱田庄司がリーチに会いに来る顛末。第11回目の窯焚きで工房が火事となる事態。と、ストーリーは進展していく。
 リーチは陶芸の世界に深く入って行くことに。火災の原因となった窯からの作品の取り出し場面が感動的である。

 <第4章 どこかに、どこにでも>
 1920年(大正9年)6月時点。リーチの滞日11年目。「我孫子窯」の全焼後、黒田清輝子爵の好意を受け、麻布の邸内に、リーチは新たに工房と窯を造り、再スタートする。この頃、柳宗悦は陶器の持つ「用の美」に着目し「民陶」の美を主唱し始めていた。
 濱田は「アーツ・アンド・クラフツ」の実践をリーチ先生が実践していると理解していた。「無名」の職人としてではなく「有名」な芸術家として陶芸に取り組んでいるのだと。濱田と亀乃介にとり、リーチは理想の陶芸家だった。
 リーチはイギリスに帰国し、イギリスのセント・アイヴスで工房を開くという決断にたどり着く。濱田と亀乃介はリーチに同行し、工房の開設への協力という役割を担うことに。亀乃介はどこまでもリーチ先生の弟子として随行する決意を示す。
 セント・アイヴスの西、ランズ・エンドで陶芸創作の根幹となる土を発見するまでの経緯が描かれていく。この陶土発見がやはり感動的な場面である。

 <第5章 大きな手>
 1920年(大正9年)12月時点。セント・アイヴスでの工房と登り窯の建設から工房での作陶が一応軌道に乗るまでの状況が描かれていく。工房はリーチ・ポタリーと名付けられる。2年で、リーチ・ポタリーは著しく成長し、セント・アイヴスの産業として陶芸が認められるまでになる。リーチは、地元とロンドンで個展を開き、知名度が増していく。
 亀之介がセント・アイヴスで心に思うシンシアとやすらぎのある清々しい交際を始める。微笑ましいが哀しくもあるこのエピソードが織り込まれていく。
 濱田はロンドンで個展を開き、その作品が認知されるに至る。
 1923年秋、河井寛次郎から東京で大震災ありと、ひと言の電報が届く。これを契機として濱田は帰国の決意をする。亀乃介は迷うが、リーチ先生の言葉に押されて、濱田とともに帰国することに・・・・・。
   
 このストーリーが、興味深いと私が思うのは、リーチ先生と柳宗悦、濱田庄司、富本憲吉、河井寛次郎、白樺派の文豪たちとの親交・人間関係を、亀乃介の視点から叙述していりことである。リーチ先生の弟子となった亀乃介が、英語の通訳という役割を介して、これらの人々との人間関係の中に自然に加わり、皆から一員と見做されていく。それ故、亀乃介の思いと視点からの描写に全く違和感がない。リーチ先生と亀乃介の関わりが、リーチの人柄をよりイメージしやすくさせていく。
 「本作は史実に基づいたフィクションです」と巻末に明記されている。歴史上で名を残す作家・陶芸家など錚錚たる人々が実名で登場する。その中で、沖亀乃介と息子の高市は、フィクションとしてこのストーリーに織り込まれた人物のようだ。実に大胆な構想と設定だと唸りたくなる。だが、それが実に自然なのだ。リーチにとって欠くことのできない人、日本でのリンキング・ポイントとなっている。バーナード・リーチを西の太陽とすれば、沖亀乃介は東の月。このストーリーで二極を構成していると言える。実在するバーナード・リーチの人生の一側面を伝記風に語りながら、沖亀乃介の人生を描き出している。その亀乃介の思いが息子の高市に引き継がれるという形で・・・・。もう一人沖亀乃介の人生が、伝記風に実に自然にフィクション臭を感じさせずに織り込まれている。あたかもリーチと亀之介が、陶芸という一筋の道を一体として歩んだかのように。日本においてリーチを支えた様々な名も無き人々を一人の人物として著者が創造したのだろうと思う。

 エピローグは、エピローグは1979年(昭和54年)4月時点を描いてゆく。上記の引用とこのこと以外は触れないでおこう。
 あたかも、このエピローグを描くために、プロローグと第1章~第5章が準備されたとすら感じさせる。感動が湧出してきて、涙せずにはいられなくなった。

 亀乃介の視点を介して記されるバーナード・リーチの思いを2つ引用する。
*古きを重んじ、手仕事の中に芸術を見いだす。そういう日本の風土や文化が、イギリスと似通っているのだ、とリーチは言った。  p298
*富本の作品に対してリーチが感じたのは、清潔で、明るく、影のない、前向きな印象。それそのまま、富本自身の性質を映しているかのようだった。
 しかしながら、リーチは、自分自身の目指しているのは富本が創るものとは違うのだ、と気がついた。
 自分が創りたいのは、何か、もっとあたたかみのあるもの、言葉にはできないような、やわらかく、やさしさのあるもの。富本の創るものにはきっと似ていない。けれど、それでいいのだ。   p305-306

 リーチ・ポタリーの隣同士の部屋の薄い壁を介して、濱田と亀乃介が対話する場面で、こんな文章が記されている。本作の根底に流れている思いに重なっていると思う。
*わからないことは、決して恥じることではない。わからないからこそ、わかろうとしてもがく。つかみとろうとして、何度も宙をつかむ。知ろうとして、学ぶ。
 わからないことを肯定することから、すべてが始まるのだ。  p502

 柳宗悦邸の庭に設けられた我孫子窯で、リーチと亀之介が初めて窯の火焚をして一日目の徹夜をしたときの描写が素敵だと思う。これもご紹介しよう。

*ーーー ああ、なんてきれいなんだろう。
 すすで黒くなった顔を空に向けて、亀乃介は息を放った。
 新しい空気。新しい朝。新しい一日が、いままさに、始まる瞬間。
 静かに昇り始めた太陽と、次にやってくる夜のために休息をとらんと沈みゆく月。
 二つが同時に空に浮かぶ、そのはざまに、誰もが立っていた。
 かすかに赤く輝く火の粉が、明るくなった空に高々と舞い上がっている。もうもうと黒い煙が太陽と月のはざまに立ち上がっている。  p320

 この景色を眺めるのは、リーチと亀乃介、そして柳宗悦、同じく我孫子に住む武者小路実篤と志賀直哉である。

 改めて、本作に出てきたバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉たち陶芸家の作品を間近に鑑賞したくなってきた。さらに、柳宗悦が「用の美」を発見し主唱した「民陶」の作品群を。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
バーナード・リーチ   ウィキペディア
バーナード・リーチ作品  :「日本民藝館」
バーナード・リーチの民藝精神を担う後継者と工房  :「CDC」
セント・アイヴス   :ウィキペデキア
柳宗悦        :ウィキペデキア
民藝運動の父、柳宗悦 :「日本民藝協会」
柳宗悦と日本民藝館  :「日本民藝館」
思想家紹介 柳宗悦  :「京都大学大学院文学研究科・文学部」
濱田庄司記念益子参考館 ホームページ
濱田庄司       :ウィキペディア
濱田庄司作品       :「日本民藝館」
濱田庄司の略年表   :「とちぎふるさと学習」
旧濱田庄司邸     :「益子陶芸美術館」
富本憲吉       :ウィキペデキア
陶芸家 富本憲吉作品コレクション   :「奈良県」
富本憲吉《色絵金銀彩四弁花染付風景文字模様壺》1957年   YouTube
民藝~濱田庄司、富本憲吉、バーナードリーチ・用の美を極めた作品を紹介 YouTube
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『奇跡の人』  原田マハ  双葉文庫

2023-11-11 18:05:55 | 原田マハ
 著者の作品を読み継いでいる。本書のタイトルを見た時、ヘレン・ケラーの名を自動的に連想してしまった。そのヘレン・ケラーに関連した本だろうかと想像した。読み始めて、そうではないことに気づいたしかし、この小説は、和歌でいえば、本歌取りともいえる創作である。本書は、2014年10月に単行本が刊行された後、2018年1月に文庫化されている。
 「奇跡の人」という書名に添えて、「The Miracle Worker」と文庫の表紙に併記されている。

 読後に改めて少し調べてみた。ヘレン・ケラー(1880~1968)は2歳の時に、視力・聴力・話す力の三重障害者となった。そのヘレンに寄り添ってヘレンの才能を開花させる助力者となる人が、ヘレンの家庭教師アン・サリバン先生である。14歳のときに救貧院を出てパーキンス盲学校に進学し、首席で卒業。幼い頃に感染したトラコーマによる眼病で視力が悪化し、弱視の状態だったと言う。ヘレン・ケラーはアン・サリバン先生を生涯の友とし、後に、ハーバード大学では盲ろう者で初めての学位取得者。アメリカの女流の社会事業家・著述家となる。ヘレンは1903年に自伝を出版し、ヘレン・ケラーとアン・サリバンとの人生を公にした。この自伝を翻案し、ウィリアム・ギブソンが舞台劇『The Miracle Worker』を生み出し、同名の映画『The Miracle Worker』が制作され、世に流布して行った。日本では「The Miracle Worker」が「奇跡の人」と翻訳されることになる。
 ここで原題は直接にはアン・サリバンその人を意味するという。しかし、奇跡の人と翻訳されたことから、奇跡の人=ヘレン・ケラーという受け止め方が日本で一般的となるに至る。勿論、三重苦を克服して社会活動を推進する人となったヘレン・ケラーも奇跡の人なのだが。

 さて、本書はフィクションという形で舞台を日本に移して創作された『奇跡の人』である。このストーリーでは、全体の構成が入れ子構造に組み込まれている。目次を示すと一目瞭然といえる。
 昭和29年(1954)2月  青森県北津軽郡金木町
 明治20年(1887)4月  青森県東津軽郡青森町
 明治20年(1887)6月  青森県北津軽郡金木村
 昭和30年(1955)10月  東京都日比谷公園

 文化財保護法の規定はこれまで重要文化財指定であった。昭和29年にそれを改正して、重要無形文化財、今では通称<人間国宝>と称される稜域。文化財に相応しい人間を指定する領域を制定すべきだと奔走する人物が登場する。民俗学の権威、小野村寿夫は、この人間国宝の候補者として推奨したい人物に再会するために、ながらく重要文化財指定に携わってきた文部省の役人柴田雅晴と雪深く寒さの厳しい金木町を訪れる。この場面描写から始まる。
 小野村は柴田を同行し、三味線の弾き手で、目の見えない狼野キワを訪ねて行く。そして、三味線を弾かないと拒絶するキワに、柴田の前で三味線を弾かせようと試みる。その際、小野寺は、キワに、あなたの三味線を私に紹介して下さった人物は、生きておいでです。あの「奇跡の人」は、と告げる。
 これがエピローグであるとともに、時が明治に遡っていく契機となる。

 主な登場人物を読後印象を含めてご紹介する。
[去場 安(サリバ アン)]
 明治4年(1871)、岩倉使節団の欧米派遣の折に、安は女子留学生の一人として渡米。
 安は弱視だったが、黒田清隆の知遇を得ていた父の命を受け、弱視を秘密にして9歳の折りに留学生に加わる。13年間をアメリカで過ごし、当時の女子がアメリカで受けられる最高級の教育を受けた。明治17年、22歳で帰国し、日本の女子教育の領域で活躍できる場を模索する。
 その安が伊藤博文から青森県の弘前での一人の少女の教育を引き受けてもらえないかという手紙を受け取る。その少女は、現在6歳。盲目で、耳が聞こえず、口が利けないと記されていた。安はこの依頼を引き受けり決断をする。弘前に赴く。
 上野から黒磯までは汽車が通っていたが、そこから弘前までは乗り合い馬車の乗り継ぎという時代である。まず安の決意に引き付けられるところから始まる。

[介良(ケラ)れん]
 長女。6歳。生後11ヵ月で大病を煩った結果、三重の障害者となる。
 大きな屋敷の奥まった位置にある蔵に、半ば閉じ込められ隔離された形で生活する。女中たちからも「けものの子」と呼ばれる形で扱われている日常だった。その扱われ方も、動物と同様の扱い。蔵の中は、乱雑そのもの。手づかみで物を食べ、あちこちに垂れ流す。時に叫び、暴れ回るという状態。女中たちから虐待も受ける。
 読み進めるにつれて、れんの生活環境のすさまじさと安の取り組み姿勢が、このストーリーへの感情移入を促進していくことになる。

[介良貞彦]
 れんの父親。弘前の名家の家長。男爵。貞彦はいずれ政界への進出を考慮している。
 三十苦の娘をこのまま生かしていいのかどうか、私にはわからないと安に言う。
 れんと一緒に食事することはあり得ない。想像するのも不愉快とすら語る。
 貞彦の望みは、れんに人間らしくなってほしいという一点だけだと、安は認識する。
 介良貞彦の言動から明治時代における名家と呼ばれる家の家父長制の状況を感じ取れる。一家の中で絶対的な権力者なのだ。家長であるれんの父貞彦への安の対応が興味深い。安は己の信念を崩さずに突き進む。読者として一層感情移入していくことになる。

[介良よし]
 れんの母。夫貞彦の方針の下で、何も言えない立場。れんが不憫であり、愛情を注ぎたくても、対処の仕方もわからず、懊悩しつづける存在。専ら安に期待を抱く。

[介良恒彦]
 介良家の長男。21歳。東北きっての権勢を誇る介良家の嫡男であるが、れんのうわさがもれ伝わっていることから、縁談話が悉く破断となっている。れんの存在が己の人生の障壁になっていると感じていて、憎しみすら抱く心境に居る。「妹がせめて口でもきけるようになってくれねば、私は一生妻を娶ることもかなわぬでしょう」と初対面の安に語る。

[ハル]
 安が介良家に着いた後、安の世話係に指名された介良家の女中。安の世話をし、安の手足ともなって行く女中。れんの教育に関連して安にあるアイデアをも語るようになる。。 安はハルを頼りにしていたが、思わぬ恐ろしい事件の発生後、ハルは辞めていくことになる。

[ヒサ]
 高木村にある別邸を維持管理する女中。別邸での安がれんに教育するプロセスを見守り、協力する。

 このストーリー、安が女中を含めて介良家でけものの子と蔑まれているれんを、さまざまな軋轢の中でどのように人間として教育していくかのプロセスを描き出す。安はれんの生活環境を変革しつつ、れんと一緒に生活する。安は教育目標を立て、試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、れんの教育を一歩一歩着実に進めようとする。時には事態が揺り戻され、元の黙阿弥に近くなることすらある。読者はこのプロセスに引きこまれ感情移入していくことだろう。まさに、私はそうなった。涙する場面がいくつか重なっていくとだけ述べておこう。

 安のれんに対する教育環境は二転する。その内の最初の段階と場所を変える二段階目がこのストーリーのメインになる。一転する前に、れんへの教育が座礁しかける危機に遭遇することにもふれておこう。
 第一段階は、介良家の蔵での教育プロセス。一転しての第二段階は金木村にある介良家の別邸での教育プロセスである。さらに二転して、安とれんは介良家の本邸に戻ることになる。戻った初日の劇的な場面でこのストーリーはエンディングとなる。
 金木村の別邸で安が実行するれんに対する教育プロセスの中で、少女の頃の狼野キワが、れんと関わりをもつ一時期が生まれる。当時10歳のキワは、津軽地方ではボサマと称される門付け芸人の子として、別邸の前で三味線を弾き歌を歌うことにより、れんと安の二人に出会う。それがはじまりだった。それからの進展は本書をお読みいただきたい。

 安がれんの教育目標を当初順次どこに設定していったかに触れておこう。
1.「はい」と「いいえ」、「ある」と「ない」の概念を理解させる。
2.「やっていいこと」「悪いこと」を徹底的に教え込む。
3. この世のすべての物には言葉があり、意味をもつことを知らせる。
 
 れんの母よしと安とのやりとりで、こんな会話を交わす時がある。
 「なぜ、先生は、そんなに、あの子を信じてくださるのでしょうか・・・・」
 「わたしにはわかるのです」
 「れんは、不可能を可能にする人。・・・・・奇跡の人なのです」    p164-165
著者は、れんを「奇跡の人」と母のよしに答えている。本書のタイトルでは、れんその人をさしていることになる。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
ヘレン・ケラー  :ウィキペディア
ヘレン・ケラーの生涯 :「東京ヘレン・ケラー協会」
アン・サリヴァン :ウィキペディア
偉大な家庭教師アン・サリバンが求めたもの:「ハートネット」(NHK)
社会活動家 アン・サリバン :「OZYO オージオ」
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」-サリバン先生の記録-  :「カニジル」
人間国宝      :ウィキペディア
津軽じょんから節  :ウィキペデキア
津軽三味線 高橋祐 津軽じょんがら節 イタリア公演  YouTube
津軽三味線組曲  高橋竹山  YouTube

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『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  幻冬舎
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
    2022年12月現在 16冊

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『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  原田マハ  幻冬舎

2023-07-05 15:32:17 | 原田マハ
 タイトルの 20 CONTACTS という文字列が目に止まり本書を手にした。そして、まず知ったことがいくつかある。ICOMと略称される International Council Museums (国際博物館会議)という国際会議が存在すること。2019年にICOM京都大会が開催されたこと。このとき、記念として「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート展」が清水寺を展示場所として会期9月1日から8日までの8日間で開催されたということ。不敏にして当時この展覧会情報を全く知らなかった。本書の末尾で、著者がその総合ディレクターとなっていたこと。そして、この作品は、その展覧会とリンクする形で創作されたということである。
 本書は書き下ろしであり、2019年8月に単行本が刊行された。2021年8月に文庫化されている。
  文庫表紙

 この展覧会企画において、コーキュレーターとなった林寿美さん(インディペンデント・キュレーター)がこの単行本に「解説」を書いている。それによると、「展覧会場となる清水寺では、作品をただ鑑賞してもらうのではなく、来場者に、本書に収録された物語(一部)を掲載したタブロイド紙が手渡されることになった」(p207)そうだ。鑑賞機会を逸して残念!!

 「はじまり」のスタイルが特異である。とある雑居ビルの3階にある著者の事務所に一通の手紙が届く。それは私(著者)が私に出した万年筆書きの分厚い封書で、まずその内容に目を通すところから始まる。その中で、ICOMがどのような国際機関であるかということと、「CONTACT つなぐ・むすぶ 日本と世界のアート展」の企画が登場する。そして、著者は挑戦状という形で、ミッションを受け取ることになるという次第。
 この展覧会には世界から30人のアーティストの作品が展示される。そこには美術家ではないアーティストも含まれる。「これらの巨匠たちは、西洋の美術をよく知り、芸術を深く愛し、かつ、世界じゅうにファンが存在する。そして彼らの肉筆原稿や資料はユニークであり、高い芸術性をもつ、ゆえに、”アーティスト”と呼称することができる。そういう理由でこの展覧会の参加アーティストに列せられているのだ」(p16)
 そのうち、20人が物故作家である。
 
 著者のミッションは、この物故作家20人と順に面会し、「必ず手土産を持参し、礼儀を尽くす」。そしてインタビューする。「質問はひとつ、ないしはふたつとする」という条件がつく。そして、「インタビューのプロセスと内容をまとめ、掌編小説にする」「一編につき、3000字~3500字とする」というのが主な設定条件となる。勿論、〆切りが設定されている。
 つまり、この作品は物故アーティスト20人とのインタビュープロセスと内容を綴った掌編小説作品集である。
 「消えない星々」というのは、ここに取り上げられたアーティストたちを指している。20 contacts <接触 コンタクト>とは、著者のインタビューによる面談の場数をさす。
 1番目から20番目までのコンタクトが目次となっている。各コンタクトには、タイトル名称があり、アーティストの名前が記されている。その右に多少付記する。なぜなら、私自身が本書で初めて目にするアーティストも若干含まれていたから。それ自体が私には一種の刺激材にもなった。

 いのくまさん     猪熊弦一郎         :画家
 曲がった木      ポール・セザンヌ      :画家、モダン・アートの巨匠
 雨上がりの空を映して ルーシー・リー       :陶芸家
 ちょうどいいとこ   黒澤明           :映画監督
 擬態         アルベルト・ジャコメッティ :彫刻家、現代彫刻の巨匠
 樂園         アンリ・マティス      :画家、「色彩の魔術師」
 背中         川端康成          :小説家、ノーベル賞受賞
 冥土の土産      司馬江漢          :絵描きで博物学者
 パリ祭        シャルロット・ペリアン   :家具のデザイナー
 大きな手       バーナード・リーチ     :陶芸家、10年余日本に滞在
 育ち盛り       濱田庄司          :陶芸家、人間国宝に
 垣の花        河井寛次郎         :陶芸家、日本民藝運動に与す
 歓喜の歌       棟方志功          :版画家、板画・板業と称す
 サフィア       手塚治虫          :漫画家、「マンガの神様」
 ピカレスク      オーブリー・ビアズリー   :挿絵画家、ペン画
 発熱         ヨーゼフ・ボイス      :アーティスト
 秋日和        小津安二郎         :映画監督
 緑響く        東山魁夷          :画家
 汽笛         宮沢賢治          :童話作家、詩人
 希望         フィンセント・ファン・ゴッホ:画家、印象派の一人

 本書から逸れるが、2019年時点で現在活躍中のアーティストとしてこの展覧会に参加した作家名も「はじまり」に出てくる。名前を列挙しておこう。そこには大家も新進気鋭も含まれるという。
  加藤泉/ゲハルト・リヒター/ミヒャエル・ボレマンス/三嶋りつ恵
  三島喜美代/荒木悠/杉本博司/森村泰昌/山田洋次/竹宮惠子
こちらも、私には大半が初めて目にする名前・・・嗚呼! 視野を広げなくっちゃ! 自己への課題が残ったという次第。

 掌編小説なので、一編が8~9ページというショート・ショートな短編集である。
 読後印象総論として、箇条書きで感想を記してみる。
*アーティストの一側面(局面)に焦点が絞り込まれて、きらりと光る一文に結晶化されていく。その切り出し方が新鮮!
*読むにつれ、著者がアーティストに何を手土産に持参するのか、楽しみになっていく。
 その手土産がアーティストの一面を語ることにつながっているのだからおもしろい。
*アーティストに面会するまでのプロセスがマンネリ化することなく、毎回工夫が加わったアプローチになっていて、読者をあきさせる事はない。
*少しは知っているアーティストについても、この掌編小説で、あらたな側面(局面)を知る/学ぶ機会になって、興味が増した。
*アーティストを主題にしたこの掌編小説作品集は、その中で今まで<接触>の機会あるいは意識がなかったアーティスト名との出会いのチャンスとなった。私にとっては、それがもう一つの副産物である。知的好奇心への刺激剤となった。
 覚書として、新たな邂逅、関心への起点として知り得たアーティスト名等を列挙する。
   宗紫石/アントワーヌ・ヴァトー/前川國男/坂倉準三/ピエール・ジャンヌレ
   柳宗理/小野忠明/鈴木伸一/森安なおや/よこたとくお/水野英子/向さすけ
   山内ジョージ/薗山俊二/つげ義治/つのだじろう/ユイスマンス/川久保玲
   ジェームズ・マクニール・ホイッスラー/エドワード・バーン=ジョーンズ
   ヴィルヘルム・レームブルック/東野芳明/エミール・ベルナール
*物故アーティストとのインタビュー。時空を超えたこのフィクションは、まさに今、ここで生身のアーティストと著者が面談しているように生き生きとした情景を感じさせる。読んでいて少し軽やかなタッチすら感じさせるところが楽しさにつながっている。
*アーティストたちの素顔に肉迫し、身近に感じさせる描写がじつに巧みである。

 気軽に次々と読ませる掌編小説集になっている。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
ICOM京都大会2019 :「ICOM」
丸亀市猪熊弦一郎美術館 MIMOCA ホームページ
上野駅に猪熊弦一郎の作品が設置されている理由は?中央改札口の壁画の魅力を探る
                      :「藝大アートプラザ」
猪熊弦一郎《自由》──平和への扉「古野華奈子」 影山幸一 :「artscape」
ルーシー・リー  :ウィキペディア
モダニズムの陶芸家 ルーシー・リー  :「WELL」
ジャルディーニ=ナクソス :ウィキペディア
ヴェネチア・ビエンナーレ日記<ジャルディーニ編> 神出鬼没のクロアチア館を目撃、展示に難ありの「魔女のゆりかご」  :「ARTnews JAPAN」
建築家・吉阪隆正の多岐にわたる仕事の全体像に迫る。「吉阪隆正展 ひげから地球へ、パノラみる」が東京都現代美術館で開催  :「美術手帖」
ジャコメッティと哲学者・矢内原伊作の関係性に迫る。国立国際美術館で《ヤナイハラ Ⅰ》の収蔵を記念する特集展示が開催  :「美術手帖」
ジャコメッティと矢内原伊作が作り上げたもの。|鈴木芳雄「本と展覧会」:「Casa」
嵯峨面 :「工美まつもと」
生命を吹き込まれた民芸品「嵯峨面」 :「東山見聞録 2013冬号」

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『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎
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