遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『探偵の探偵 桐嶋颯太の鍵』   松岡圭祐   角川文庫

2023-05-31 17:58:12 | 松岡圭祐
 『探偵の探偵』は紗崎玲奈を主人公にした四部作として完結した。と、思っていたのだが、その『探偵の探偵』が復活した。スマ・リサーチで紗崎玲奈の先輩になる桐嶋颯太が主人公となって! 『探偵の探偵』では桐嶋は脇役として登場していた。今回はその桐嶋颯太が難題に取り組んでいくことになる。ハードボイルド+バイオレンスという要素を盛り込んだ探偵物になっている。本書は2022年11月に文庫書き下ろしとして刊行された。
 『探偵の探偵』シリーズの新たな始まりとなるのだろうか。

 文京区の坂宮女子大に通う19歳の曽篠璃香は、奨学金だけでは厳しいので生活資金を稼ぐために、大学の友達から紹介された「マリー・アンジュ」というガールズバーでアルバイトを始める。璃香のアルバイトは、己の生活資金だけでなく養護施設に居てそこから高校に通う妹への仕送り資金を稼ぐためでもあった。
 ガールズバーで働く璃香は徐々に店一番の売れっ子になっていく。ところがそこに、60歳過ぎと思われ、肥満体で白髪頭、ちぢれ毛、頬肉が垂れ、瞼も腫れぼったくてブルドックを連想させる顔の男が現れる。彼は漆久保宗治と名乗る。名刺には、スギナミベアリング株式会社代表取締役という肩書が記されていた。漆久保は璃香に目をつけたのだ。それから漆久保によるストーカーまがいの行動に出る。漆久保は執拗に璃香を独占しようと行動をエスカレートさせていく。漆久保にはクロという名で同様の肥満体、スキンヘッドの男が常に護衛としてつき従っていた。
 
 漆久保は璃香が店にも知らせていないことまで知っていた。璃香は不審感と恐怖をつのらせ、弁護士に相談すると、探偵を傭うことを勧められた。ところが依頼した探偵は逆にクロに暴行されて負傷する羽目に。その探偵が「探偵の探偵」を璃香に紹介した。桐嶋颯太である。
 桐嶋は璃香と日比谷公園の一隅で会う約束をする。その場所は、璃香を監視する探偵がどこかにいることを前提として桐嶋が設定した。その探偵が静音ドローンを使っていることを桐嶋は想定していた。この桐嶋と璃香の話し合いの場面描写がまず興味深い。だが、桐嶋は作戦として、璃香のスマ・リサーチ社対探偵課への依頼は不成立の終わるように仕向けた。桐嶋は璃香を監視する探偵が誰かを割り出した。だが、桐嶋が打った一手は徒となる。その後、桐嶋は漆久保に対する攻めの一手をさらに講じる。これがおもしろい。
 だが、事態は最悪となる。曽篠璃香がマンションの自宅で殺害されたのだ。さらに、桐嶋自身が反撃を受ける羽目に・・・・

 スマ・リサーチの事務所に戻った桐嶋は、須磨からいくつかの事実を知らされる。ストレッチャーで璃香が搬出されるのを桐嶋が目撃していた頃、別の場所で、男が陸橋から線路に飛び降り、直後に電車に轢かれるという事故が起こっていた。死んだのは窪蜂東生という璃香を監視していた探偵だった。また、それより少し前に、警視庁の組織犯罪対策部から、調査業者への情報収集・訪問が行われていたという事実。それは、近々5万丁の銃器の大量密輸が予測されることに絡んでいた。この件に関しては、スギナミベアリングは、警察や自衛隊向けに拳銃や機関銃を製造している業者であり、絶対的にシロであり、アドバイザーとして警察に協力する立場とみなされているという。
 このストーリー、実はここから本格的にスタートすると言える。

 依頼人の曽篠璃香は殺された。桐嶋は須磨の許可を得た上で、漆久保が璃香殺害に関わっていると確信し、漆久保が色情魔である側面を徹底的に調査する行動に出る。その手始めが、千葉県市原市にある国本射撃場、クレー射撃場の賭け競技場面である。読者にはクレー射撃のしくみが副産物として理解できるのもおもしろい。漆久保のプロフイールが少しずつ明らかになっていくところがおもしろい。
 この射撃場での行動が桐嶋の調査の手がかりづくりになる。一方で、桐嶋を窮地に追い込でいくきっかけにもなる。

 桐嶋は調査活動の途中で、曽篠璃香の妹・晶穂が単独で姉璃香の死因の究明の行動を撮り始めていることを知る。桐嶋は晶穂にコンタクトし彼女の身の危険を説くが、晶穂は聞き入れない。桐嶋と晶穂の二人は、漆久保側に辛めとられ窮地に陥っていくことに。
 さて、桐嶋どうするか? 囚われの身となった二人は、電気椅子でサディスティックな拷問を受けることに。彼らは桐嶋の狙いを吐かそうとする。この電気椅子の場面はかなり具体的な数値入りで描写されていくが、その具体性はどこまで現実的な裏付けがあるのだとうか、その点は少し気になる。
 桐嶋はこれまでに得た情報と状況分析から、心理作戦で漆久保に対抗していくしか手がない。

 漆久保の色情魔の側面以外に、べつの顔が見え始めてくる。そこからバイオレンスの要素が色濃くなっていく。
 興味深い部分は、漆久保が武田探偵社の藤敦甲磁を傭っていたことがあきらかになるところ。彼は対探偵課の手の内を熟知していて、桐嶋と藤敦は互いを良く知っている関係でもあった。桐嶋がピンチに至る一因にもなる。さて、桐嶋どう切り抜ける・・・というところ。

 いささか荒唐無稽感のあふれる展開となっていくが、ストーリーが面白くなるのは間違いがない。そこがフィクションの世界でのお楽しみといえようか。

 このストーリー、最終コーナーを回る辺りから、紗崎玲奈が独自の判断で桐嶋のピンチを助ける脇役として登場してくることに・・・・。読んでいて、残念ながら、玲奈が登場して来る伏線部分を見破れなかった。この伏線を見破れるかどうか、本書を読んでみてほしい。

 ストーリー展開のおもしろさとエンターテインメント性を楽しめる小説である。

 ご一読ありがとうございます。

 
こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『千里眼 トオランス・オブ・ウォー完全版』上・下   角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅵ 見立て殺人は芥川』   角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅶ レッド・ヘリング』  角川文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<松岡圭祐>作品の読後印象記一覧 最終版
                    2022年末現在 53冊
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『眠れないほどおもしろい 徳川実紀』  板野博行  王様文庫

2023-05-30 14:44:57 | 歴史関連
 本書はたまたま読んだ市政だよりの図書コラムで知った。大河ドラマで徳川家康をとりあげている関連での紹介だったのかもしれない。
 『徳川実紀』について手許の辞書には次の説明がある。「江戸幕府編纂の史書。516巻。林述斎を総裁に成島司直らが編集。文化6年(1809)起筆、嘉永2年(1849)完成。家康から10代の家治までの各将軍の治績を収録」(『日本語大辞典』講談社)
 江戸幕府の始まりからすれば200有余年後に編纂された史書ということになる。
 本書のタイトルは『徳川実紀』であるが、本書の実質は『徳川実紀』をベースにした徳川家康一代記である。本書は、文庫書き下ろしとして、2022年12月に刊行されている。

 奥書を読むと、著者は「眠れないほどおもしろい」という修飾句を冠して、源氏物語、百人一首、万葉集、やばい文豪、徒然草、平家物語、吾妻鏡、日本書紀を順次著してきている。私には本書が著者を知る最初の本になった。

 『徳川実紀』をベースとしていると著者が言うのだから、まあ言わば家康についてオーソドックスな見方で捉えていくことになる。「弱小国、三河の松平家に生まれた竹千代」(p18)の小見出しから始まり、「家康、75歳の大往生!」(p239)まで、家康の生涯の要所がコンパクトにまとめられている。

 本書は『徳川実紀』について最初に説明している(p16)。上記辞書の説明と重複しない部分を挙げるておこう。1.正式には『御実紀』という。2.林述斎は林羅山を祖とする林家八代目で、林家中興の祖。3.本書は正本517冊が完成とする。(付記:辞書等では516冊が多いが、517冊と説明する事例もあることを知った。)4.幕府の日記をもとにした編年体での記述である。5.『続徳川実記』の編纂が試みられたが未完に終わった。
 『徳川実紀』を意識したことがなかったので、この点も多少参考になった。

 さて、本書の特徴について、読後印象を含めて、ご紹介したい。
1.「はじめに」の見出しが著者の視点を示している。
    「焦らず急がず”最後に笑った男”の生涯」(p4)

2.本文は、大久保彦左衛門が案内役をするという形式で記述されていく。
 「江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』をベースに、『三河物語』や、その他の史料に基づいて家康公の一生と、名だたる戦国武将たちや戦いの数々をナビゲートつかまつらん!!」(p15)というスタンス。ところどころに、彦左衛門の私見(?)も加えられていておもしろい。まあ、そこに著者の視点が重ねられているのだろう。
 語り部口調を交えて本文が記述されているので文に硬さが無く読みやすい。

3.章立ての見出しは読み手の関心を惹くメッセージに仕立ててある。消費者の購買ブロセスのモデルの一つ、AIDMAの応用なのかもしれない。章立ては以下のとおり。
  1章 「天下人への資質」はかくして育まれた!
    ・・・・まさに臥薪嘗胆! 不遇を糧にした幼少時代
  2章 「九死に一生を得た」先で、何を悟ったか?
    ・・・・レジエンド信玄も驚嘆! 「三河武士との固い絆」
  3章 潰えた信長の野望! どうする、家康!?
    ・・・・堺から岡崎までいかに逃げ延びるか!
  4章 「秀吉に臣従するか否か」---そこが問題だ!
    ・・・・群雄入り乱れて「信長の後継者争い」勃発!
  5章 時は来た --家康の「天下取り」始動!
    ・・・・乱世に終止符を! 「盤石の体制」はこうして築かれた

4.各章の冒頭と章の要所要所に、3コマ、あるいは4コマのコママンガが載っている。
 勿論、そのマンガは本文と照応して、章のキーポイントを視覚化している。
 マンガ世代には読みやすい本になっている。敷居が低い感じで気楽に読み進めることができる。

5.併せて、要所要所に戦場や同盟関係のイラスト、史料、絵図等が挿入されていて、本文の説明をイメージしやすくなっている。

6.本文でキーワードに相当する箇所は、太字ゴシック体で表記されている。学習参考書の感覚、イメージで読めるのではないかと思う。メリハリが分かりやすい。

7.各所に挿入されたコラムが適当な気分転換となる。読み切りのいわば歴史豆知識。コラムのタイトルをご紹介しておこう。
  *家康の実母「於大の方」の生涯  p27-29
  *今川義元は本当にお公家かぶれのバカ殿だったのか!? p48-49
  *「甲斐の虎」武田信玄  p91-93
  *後家好きの家康     p110-111
  *妖刀「村正」      p127-128
  *「淺井三姉妹」     p143-144
  *日本一短い戦場からの手紙  p156-157
  *鉄の結束!「徳川四天王」および「徳川十六神将」  p168-174
  *「鳴かぬなら・・・・・」、三英傑のそれぞれ   p180-181
  *「三河武士の鑑」--鳥居元忠の忠義     p194195
  *真田幸村の人生  p236-238
  *天海が発案! 家康の神号「東照大権現」   p245-247
  *家康は倹約家? それともケチ?       p248-249
 なかなか話材がバラエティに富んでいておもしろい。

8.巻末に徳川家康の年譜が3ページに集約されている。家康の一生を通覧するのに便利。
 家康は茶屋四郎次郎の話を聞き、鯛の天ぷらを食べて死んだとどこかで聞いて記憶していた。疑問もあった。鯛の天ぷらを食べたのは事実だが、本書によれば、それから約三ヵ月後、1616年4月17日に亡くなった。『徳川実紀』の記述から、著者は死因が胃癌ではないかと推測している。ナルホドと納得できる。

9.本文末尾の終わり方が、軽くて愉快。仰々しくない締めである。
 「なお、その後、大奥で天ぷら料理をしていてあやうく火事になりかけたこともあって、江戸城内では天ぷらをすることは禁止となった」(p244)

 気軽に読み進めることができて、家康さんに親近感が湧くのではないかと思う。
 いわば、学習参考書タッチの本。「眠れないほど」まではいかないが、詠みやすさと「おもしろい」のは事実。マンガの効果も十分発揮されている。漫画・イラストレーションは谷端実さんだという。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
徳川実紀 第一編  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
42.御実紀(東照宮御実紀)  歴史と物語  :「国立公文書館」
徳川実紀   :ウィキペディア
徳川実紀   :「コトバンク」
徳川実紀   :「ジャパンナレッジ」
三河物語   :ウィキペディア
三河物語   :「ジャパンナレッジ」
家臣の家康への皮肉が書かれた「三河物語」の中身 伊藤賀一  :「東洋経済 ONLINE」
大久保彦左衛門 :「コトバンク」
大久保彦左衛門 :「港区ゆかりの人物データベース」

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『また会う日まで』  池澤夏樹   朝日新聞出版

2023-05-25 13:42:20 | 池澤夏樹
 本文709ページという長編小説。作者の父方の大伯父にあたる秋吉利雄とその家族について書かれた小説である。本書の主題部は秋吉利雄が己の人生と家族・親族のことを回想する、つまり「わたし」という一人称の視点で語られていく。自伝風小説の形式をとっていると理解した。最後のセクションは「コーダ」というタイトル。語義を調べてみて、ここでは「終結部」の意味と解釈する。秋吉利雄の長女洋子の語りと、水路部で腹心の部下だった内山修治さんの墓参場面、そして、作者自身による「秋吉利雄が亡くなってまもなく75年、長女の洋子が他界してからも8年になります。この先のことを報告するのは作者であるぼくしかいなくなりました」から始まる2ページの内容がこの小説の締め括りである。
 本書は、朝日新聞の朝刊(2020年8月1日~2022年1月31日)に連載され、加筆修正を経て、2023年3月に単行本が刊行された。

 秋吉利雄は、3つの顔を持つ人だった。利雄の二人目の妻となった「よ子」が使った言葉で言えば3つのアトリビュートである。3つの柱と秋吉利雄自身は自覚している。
 1つ目の柱は、海軍軍人として生きるという人生。2つ目の柱は天文学者であり理学博士であること。3つ目の柱は、聖公会に属する敬虔なキリスト教徒であること。アメリカの聖公会という教派の信徒として教会に通い、信仰を基盤に日常生活を送るという生き方。日曜学校の教師を務めるほどに教会との関わりが深かった。

 1892(明治25)年11月18日に井上岩吉・ナカ夫妻の子として生まれ、兄が居たので秋吉徳三郎の養子となる。秋吉利雄として生きる。父井上岩吉は31歳の時に洗礼を受け、キリスト教徒になった。紆余曲折の後、両親は敬虔な信者として教会の周辺で布教の手伝いをして暮らす。
 秋吉利雄は、尋常小学校を卒業後、高等小学校の科目は自習で身につけ、メソジストの経営する長崎の鎮西学院に進学。首席で卒業後、江田島の海軍兵学校に入校する。日露戦争が終結して6年という時期である。3年3か月の課程を経て、1914(大正3)年12月19日、海軍兵学校をハンモックナンバー、席次16番で卒業。海軍少尉候補生になる。
 このストーリー、秋吉利雄が海軍軍人として成長して行くプロセスがまず描かれて行く。海軍兵学校を卒業後、練習艦隊での艦上生活が始まる。練習艦隊から5年、水雷学校と砲術学校の課程を終え、最後に戦艦「霧島」には乗らなかった。大尉への昇進予定の前に、上官から進路の面談を受ける。上官から学究肌なのではないのかと問われたことが契機となり、己の思いを述べて、航海術を学ぶために海軍大学校に入学する道を選択をする。さらに水路部に進み天文をやりたいとその方向を定める。海軍大学校を終えた後には、東京帝国大学理学部に入り、ニュートンの天文学を学ぶという道を進む。つまり、天文学者、理学博士になる。己の才能を開花させていく。
 海軍軍人として海軍省の組織下にある水路部に勤務する生活が始まって行く。海軍の艦と民間の船は全て航海上の位置を天測により確定しなければ目的地に到達できない。その確定の為には、航海暦/天文暦という文書が必須である。その天文暦を準備する部署が水路部にある。秋吉利雄はその部署を統括する立場で実績を積み、昇進していく。
 秋吉利雄は、海戦という実戦経験が皆無の職業軍人の道を敗戦(終戦)まで歩み続けて行く。

 このストーリー、軍部が戦争へと突き進んで行くプロセスを時代背景に織り込みつつ、秋吉利雄の胸中で上記の3つの柱が常に葛藤しつづける局面を描き出していく。
 例えば、秋吉利雄が東京帝国大学理学部学生の時点において、己の心境として、「どれが最も大事と決めることはできない。言わば三本の柱がわたしという人格を宙空に支えていた。三本の木が隣り合ってたち並び、それぞれから横に伸びた枝の先に開く葉叢は互いに重なり合っている。あるいは互いを遮って陽光を奪い合っている。わたしの中で争っている」(p217)と自覚していたのだ。
 キリスト教徒としての信仰からの葛藤が常に内在する。モーゼの第6戒「汝殺すなかれ」である。職業軍人である己は、戦場に臨めば勝つために相手を殺す立場になる。水路部に所属し、天文暦を作成するという立場なので、その可能性はほとんどない。だが、天文暦が戦艦の航海上で使われ、海戦に突入すればそれは殺し合いの場に間接的に加担している立場である。天文暦の提供は間接的に「汝殺すなかれ」の戒を犯していることになる。秋吉利雄にはその自覚がある。
 秋吉利雄の心中の葛藤描写がこの小説の一つの中心的なテーマになっている。

 秋吉利雄の心中の葛藤はいわば、コインの一面である。当時の政治状況、社会経済状況、海軍の状況という反対の一面を、秋吉利雄の視点を介して読者は知り、文字を媒体にして認識していくことになる。本書は、大正から昭和前期にかけての社会情勢・状況を明らかにしていく。この時代を捉え直すということも本書のテーマの一つになっていると私は受けとめた。
 ここでは、秋吉利雄が練習艦に乗る1915(大正4)年から、病院で死亡する1947(昭和22)年までの社会情勢・状況が継続的に書き込まれていく。ここに、折々の重要な情報提供者としてMが登場する。Mは秋吉利雄と海軍兵学校での同期生。事故に遭遇し脚部を損傷。艦上勤務から外れ、海軍省の大臣官房海軍文庫で機密文書の管理をする一方で戦史を研究するという仕事に従事している。そのMと秋吉利雄はしばしば居酒屋で会って対話、情報交換をする。Mが最新情報を秋吉に伝え、二人は情勢分析を行い、戦争の動向、政治の動向や社会情勢について語り合う。読者はこの二人の会話を介して、当時の状況を具体的に知る立場になる。
 私はこの小説を通じて、当時の具体的な事実の多くを初めて知る機会を得た。大正時代・昭和の前期について、多くを学ぶことになった。例えば、真珠湾攻撃以降の海戦の実態。沖縄戦において海軍陸戦隊を率いた太田実さんが6月6日に打電したという電報文の内容。8月15日の玉音と称された天皇の音声の文面(その一部は以前にテレビの番組でわずか数行分を音声で聴いたことがある)。その後、新聞で報道された正文の内容。また、国内の戦時下の状況描写など・・・・である。

 秋吉利雄の第3の柱との関係でいえば、日頃の彼の信仰生活の描写として、聖書(旧約・新約)からの章句引用が全体を通して頻繁に登場してくる。聖書の章句は信徒の信仰と切り離せない。日常生活に自然に関わるものとして、聖書の章句が出てくる。信仰者にとっては、馴染み深い章句なのだろうが、私には初めて知る章句が多かった。ある意味では、聖書の内容を少し広げて知る機会になった。私には知識としての副次的産物である。

 秋吉利雄が海軍軍人、水路部の統括者になっていく生き方は、このストーリーの経糸と捉えることができる。秋吉利雄の家族・親族の関わりを描く部分が緯糸となっていく。経糸に緯糸が織り込まれていくことで、このストーリーに奥行と広がりが生まれて行く。
 秋吉利雄の軍人人生の略歴は上記でご紹介した。このストーリーの経糸で最もハイライトとなって行くのは、東カロリン群島トラック島の南に位置するローソップ島での2分44秒の皆既日食観測である。秋吉利雄はこの日食観測隊の統括責任者となり、皆既日食観測を無事完遂する。このストーリーの大きな山場となっていく。
 もう一つ、読ませどころの山場と私が受けとめたのは、戦争末期になりB29が頻繁に本土に襲来する状況下で、水路部の統括者として、機材・資料・文書等並びに関係者の疎開を実行し、適切に対処していく経緯である。秋吉利雄の本領が発揮されていく。
 一方、このストーリーの緯糸は幾つもの事象が秋吉利雄の軍人人生と絡みながら点描的に織り込まれていく。経糸と緯糸が秋吉利雄の日常生活のなかで結びついていく。織り込まれる緯糸を項目として簡略にご紹介しよう。それらがどのように秋吉利雄の人生に影響を及ぼして行くかを本書で味わっていただきたい。
 伝道師の道を歩み始めた利雄の実妹トヨの転機(第七戒)。福永末次郎とトヨの結婚、武彦の出産。文彦出産後にトヨの死。1922年4月、秋吉利雄と従妹のチヨが結婚。利雄は文彦を養子として受け入れる。チヨは長女洋子を出産。恒雄出産後にチヨの死、そして嬰児恒雄の死。信仰の師・牛島惣太郎先生の娘・栄の仲介により益田ヨ子と出会い再婚(ベターハーフ)。家族の生死:文彦の死、光雄・直子・輝雄の誕生、双子の紀子・宣雄の誕生と宣雄の夭逝。福永武彦と山下澄の結婚。1945年7月に福永澄が夏樹を出産。洋子は秋吉利雄を看病し、看取った後、栄の仲介で栄の従弟の岡達夫と結婚。
 こんな経緯が織り込まれて行く。

 秋吉利雄と彼の家族、親族との関わりを通して、秋吉利雄の人生を描いたストーリーである。海軍軍人として生き、その枠の中で己の適性・才能を伸ばせる領域を見つけ出した。キリスト教の信徒として内奥の葛藤を常に抱きながらも、3つの柱をなんとか共存させる生き方を貫けた人と言えるのではないか。大正期から昭和の前期にという時代において、相対的に考えると、苦労を負う一面はあったものの、才能に恵まれ、己の選択した道をひたすら歩み、恵まれた人生を送ることができた人と言える気がする。
 秋吉利雄の人生は、本書の最後の箇所に集約される。本望ではないか。
 この最後の箇所の余韻を味わう為に、700ページ余のストーリーを読んでいただきたいと思う。

 神ともにいまして
 ゆく道をまもり
 天の御糧もて
 力を与えませ
 また会う日まで
 また会う日まで
 神の守り
 汝が身を離れざれ

賛美歌の歌詞はまだ続く。本書のタイトルは、この賛美歌の句「また会う日まで」に由来する。長女の洋子は「この聖歌は別離の歌ですが再会を約する歌でもあります」(p685)と語る。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
学校法人 鎮西学院 ホームページ
江田島の旧海軍兵学校で歴史を学び、そして海軍カレーを楽しむ!:「トラベルjp」
モーセの十戒  :ウィキペディア
モーセの十戒をわかりやすく解説! 十戒に隠されている本当の目的とは?!:「新生宣教団」
聖公会   :ウィキペディア
水路部   :ウィキペディア
ローソップ島皆既日食(1)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(2)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(3)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(4)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
ローソップ島皆既日食(5)  :「中村鏡とクック25mm望遠鏡」
【天文暦】2023年1月~12月星の動き|新月・満月|逆行 :「星読みテラス」
日食一覧 :「国立天文台」
池澤夏樹が3作目の歴史小説「また会う日まで」で描いた大伯父の3つの顔 現在と重なる日本の戦中史   2023.4.7  :「東京新聞」

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こちらもお読みいただけるとうれしいです。
[遊心逍遙記]に掲載
『アトミック・ボックス』  毎日新聞社
『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』   小学館
『すばらしい新世界』  中央公論新社
『春を恨んだりはしない 震災をめぐって考えたこと』 写真・鷲尾和彦 中央公論社
『雅歌 古代イスラエルの恋愛詩』 秋吉輝雄訳 池澤夏樹編 教文館
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『朝星夜星』  朝井まかて  PHP

2023-05-22 16:43:16 | 朝井まかて
 大阪の中之島に、かつて「自由亭ホテル」があったということを、本書を読み初めて知った。1881(明治14)年に開業し、1895(明治28)年に改築し「大阪ホテル」と改称された。明治・大正時代に、大阪の最高級の格式を誇り、当初は外国人が大阪市内で唯一宿泊できるホテルだったそうだ。この小説は、「自由亭」を運営した草野丈吉・おゆき夫妻の物語である。調べてみると、「自由亭ホテル(大阪ホテル)」の跡地は、現在「大阪市立東洋陶磁美術館」が建っているところだった。大阪市立東洋陶磁美術館は幾度も展覧会の鑑賞に出かけているが、その近くに「自由亭跡」の説明板が建てられていることには気づかなかった。
 本書は、月刊文庫「文蔵」(2019年9月号~2022年4月号、2021年3月号・4月号を除く)に連載された後、加筆・修正され、2023年2月に単行本が刊行された。本文が502ページという長編である。

 ストーリーはおゆきが丈吉のもとに嫁ぐ時点から始まる。
 おゆきは、肥後の百姓の家に生まれで、12歳の時から長崎の円山町にある有名な傾城屋「引田屋」の奥女中として25歳まで13年間奉公していた。読み書き算盤も怪しい、肝心なところでぼうとして気働きがなく、図体の大きな女である。そのおゆきが丈吉に見初められたという。
 丈吉は、長崎の出島に奉公していた阿蘭陀料理の料理人である。家は伊良林の、若宮稲荷の袂にあり、両親、妹のよしと一緒に住んでいる。丈吉もまた、読み書きはできないが、出島で奉公する間に、生活経験の中で阿蘭陀語、英語などを覚えて使えるようになっていた。阿蘭陀の軍艦に乗り込んで下働きから料理人の道に進んだのだ。阿蘭陀料理をベースにして仏蘭西料理もできる西洋料理人となる。
 いつ、なぜ、丈吉がおゆきを見初めたのか? 引田屋で通詞の宴が催されたとき、阿蘭陀料理人の丈吉が料理を任されたのだ。丈吉が鍋や皿を洗っている時に、奥に夜食を運んだ後、おゆきが他の女中等と食事をしている姿を見た。それがきっかけだと言う。祝言の後に、丈吉がおゆきに告げた。「お前はほんに旨そうに食べとったたい。頬や顎を動かすさまは、気持ちよかほど元気で」「料理人の作るもんはぜんぶ胃袋の中に入って、何も残らんたい。一日がかりで仕込んで卓の上にいかほど皿を並べても、一刻ほどで消えてしまう。いや、残されたら料理人の恥、きれいさっぱり余さず消し去ってもらう稼業たい。故におれらの甲斐はほんのつかのま、食べとる人の仕合わせそうな様子に尽きる。その一瞬の賑わいが嬉しゅうて、料理人は朝は朝星、夜は夜星をいただくまで立ち働くったい」(p24)
 おゆきの食べっぷりのよさが丈吉を惹きつけたというのだからおもしろい。そして、この丈吉の言葉の中に、本書のタイトルの由来がある。さらに、朝星夜星は、まさに丈吉おゆき夫妻の生き方そのものでもあった。このストーリーは、二人がどのような人生を歩んだかを描き出す。

 このストーリーの面白さと興味深さを列挙してご紹介しよう。
1.おゆきは祝言後、おゆきの無様な庖丁さばきを見られて丈吉に言い渡される。
 「台所はおよし、お前に任せる。おゆきは掃除と洗濯、縫い物。以上」(p27)と。
 つまり、おゆきは料理の才なしとみなされたのだ。
 一方で、丈吉は出島から、乗組員たちの洗濯物を引き受けてくる。西洋式の洗濯法をおゆきに教える。西洋式洗濯屋がまずおゆきの仕事になる。家計の一助となることで、おゆきの居場所ができる。そのおゆきも、少しずつ料理になれて、それなりに料理の腕をあげていくのだから、おもしろい。
 このストーリー、一貫しておゆきの視点から描かれていくところが興味深い。

2.丈吉は薩摩の家中、五代才助(友厚)に料理の腕を贔屓される。そして、五代の勧めもあって、丈吉は突然に西洋料理屋をまず、自宅の一部を使って開くという行動に出る。それは、冒頭に記した「自由亭ホテル」開業に至る道を歩み始める端緒となる。
 このストーリーの中軸は、丈吉が西洋料理屋を己の人生を賭けて拡大して行く事業達成物語である。そしておゆきと義妹よしが陰で如何に支えたかの経緯物語でもある。
 
 西洋料理屋の開店と事業拡大の節目を簡略にまとめてご紹介する。それがこのストーリーの中軸であり、節目にもなって行く。
 1863年7月2日「良林亭」開業。伊良林郷にある自宅にて。鬱蒼とした山の斜面にて。
   ⇒1862年に生麦事件。1863年7月に薩英戦争。五代は長崎に不在の時期となる。
 1864(元治元)年4月 良林亭改め「自遊亭」の看板を掲げ借地で営業。
   坂を下った中腹で、二つの道に面した三角の角地。二階建て建坪30坪ほどの店。
   ⇒佐賀藩鍋島閑叟が店に同伴した海軍取調方付役佐野の助言で「自由亭」に改称
 過労により丈吉が倒れ、病床に伏す。その間自由亭はおゆきが女将で義妹よしと営業
   ⇒土佐の亀山社中の人々が贔屓客となる関わりが出来る。
 丈吉が健康を回復した後、自由亭に陸奥陽之助が訪れる。
 7月末、初秋に土佐藩の大監察、後藤象二郎の用命を受ける。後藤の面識を得る。
   ⇒後藤の推挙により、土佐藩の接待御用を承る。
 明治に改元の年、丈吉は土佐藩山内容堂に5人扶持で召し抱えられ、草野丈吉と称す
 1869(明治2)年 川口居留地外国人止宿所(大阪の自由亭)を開業。
   ⇒大阪府判事兼外国官権判事五代才助の命を受ける。
    大阪府知事後藤象二郎、摂津県知事になる陸奥陽之助、五代才助、岩崎弥太郎
    等との関わりが深まっていく。
   ⇒大阪での自由亭開業に伴い、丈吉の家族は大阪に移住する。
   ⇒止宿所の運営上、負債面で存続問題が発生。打開策の目途が立つ。
 1871(明治4)年 神戸に長男・孝次郎名義で蒸気船問屋開業。大阪府御用達を拝命
 1875(明治8)年 第1回京都博覧会開催予定を契機に、京都に進出。
   ⇒知恩院宿坊が外国人用ホテルの一つに。丈吉は中村楼と当ホテルの経営を実施
 1876(明治9)年 川口の冨島1丁目(旧大阪府外務局跡地)に自由亭の支店を開業
 1879(明治12)年7月 長崎の本大工町の島屋跡に自由亭を開業。
      同年11月15日 長崎に自由亭馬町支店を開業
 1880(明治13)年 京都自由亭の二階を増築して新規開業
 1881(明治14)年1月 中之島自由亭ホテル開業。大阪府商船取締所跡地(借地)
   ⇒建物は自前の新築。寄棟式の総二階建。外壁は漆喰仕上げの瀟洒な西洋館。

 大阪の中之島に自由亭ホテルが開業されるまでの凄まじい丈吉の事業活動をストーリーの文脈から抽出した。年次を読み違えているところがあるかもしれない点はお断りしておく。文中に年次の明記が無い描写の箇所は文脈から判断したので。
 借金を重ねながらも、一介の阿蘭陀料理人丈吉がこれだけの事業展開をした背景には、出島での奉公という体験と、西洋料理人という仕事を介して、明治初期に活躍した政界・経済界の枢要な人々との交わりがある。枢要な人々に接して得たた丈吉の見識、思いの発露がそこにある。日本人と西洋人が対等な関係で交わりを深められる。日本人による西洋料理を媒介にしてそんな場を作り上げる。そんな気概が丈吉には漲っていたのだ。
 上記の通りおゆきの視点からその経緯が回想風に語られて行く。丈吉の人物像が浮かび上がって行く。

3.丈吉の発言と、丈吉の語ったことからの理解並びにおゆきが見聞したことを背景にして、おゆきの視点で、幕末から明治中期にかけての日本の政治経済、国際関係の状況が枢要な人物を介して描き込まれていく。その一つが、政治の世界から在野に下り、大阪の復興に力を注ぐようになる五代才助(友厚)の行動である。丈吉の活動を支援し、時には料理人の腕を介して丈吉の協力を得る五代の行動がサブストーリーとして織り込まれて行く。
 もう一つサブストーリーが織り込まれる。江戸幕府が開国を迫られて諸外国と締結した不平等条約を如何に解消していくかである。ここでは陸奥陽之助(宗光)と丈吉・おゆきとの関わりは点描される形で、その当時の状況が明らかになっていく。
 このストーリー、当時の政治経済史、国際関係史とは切り離せない。明治時代という状況に思いを馳せるきっかけとなるところがおもしろい。

4.自由亭という西洋料理店・ホテル事業との関わりの中で、草野丈吉一家の一人一人が描写されていく。丈吉の両親和中とふじ。丈吉の妹よし。よしは兄の許で料理人となる。おゆきは、丈吉が病に臥した時期から自由亭の女将になっていくが、中之島自由亭ホテルの開業以降は、女将の位置を降りることに。おゆきは3人の子の母親となる。きん(錦)、ゆう(有)、孝次郎である。3人の子の人生の紆余曲折が織り込まれていく。
 さらに、自由亭の事業拡大の中で、幾人かの従業員が関わりを深めていく。名前だけを挙げておこう。貫太、萬助、米三郎である。

5.事業拡大に東奔西走し家をあけがちの丈吉は、一方、各地で女性関係を広げていた。長崎では玉菊。玉菊と丈吉の縁が切れた後で、おゆきはその事実を引田屋の女将から聞かされる。おゆきの心境如何? 関西では、松子、竹子、梅子という三人の芸妓を丈吉は落籍していた。その三人が自由亭の女将であるおゆきのところに、三人揃って挨拶に来るという場面で、おゆきはその事実を知る。ここから彼女たちとの人間関係が始まる。おゆきの対応がおもしろい。これもまた明治という時代の価値観を背景とするのか。一種、ユーモアすら感じられる関係となる。
 このストーリーの末尾は、齢74歳となり、秋の彼岸のある日に墓参りをするおゆきの姿と行動描写で終わるのだからおもしろい。

6.丈吉は、1886(明治19)年4月12日に肋膜炎が悪化して、入院の2日後に没した。女将修行をしていた長女のきん(錦)が、中之島自由亭ホテル他を引き継ぐ。しかし、自由亭には多額の負債があった。自由亭の再建を試みる。きんに助力したのは、曽て丈吉に手助けされたことがある星丘であり、自由亭の総理人を引き受けた。が、最後は事業から撤退する判断に至る。このストーリーの最終ステージは、この事業撤退までの経緯が描かれる。 
 史実をベースとして、そこにどこまでフィクションが混じえられているのかは知らない。だが、丈吉とおゆき、随所にそれぞれの気概があふれている。一方で、明治期の枢要な人物の一側面が鋭利に描き出されている。おもしろく読めるところが良い。明治時代のある断面を知り学べる小説でもある。

 印象深い文章を2つ引用して終わりたい。
*ゆきは胸中で訊く。お前しゃん、ただの銭儲けではあかんのだすか。
 己で稼いで己が費消するだけでは面白ないがな。商いは、かあっと胸の熱うなる大義こそが帆柱や。  p486
*[五代友厚が51歳で生涯を閉じた。葬送の折、丈吉が五代を偲び問いかける。それに対する五代の返答の思いとしての言]
 小成に安んずることは我が意にあらず、徒に富を成すも欲するところにあらずと、おれは答えたよ。草野君も同意してくれようが、男子ひとたび世に処して無為に終わるは深く恥じるところではないか。おれは生涯、己の安逸愉楽など希望せぬ。そもそも、天下の貨財は私すべきものにあらずと思っている。たとい失敗し、あるいは産を空しゅうすることがあったとしても、国家国民の幸福ならしむることを得れば。おれの望みはそこで成っている。
 本望だ。         p428

 ご一読ありがとうございます。

補遺
大阪の中枢「中之島」 :「三井住友トラスト不動産」
自由亭ホテル  :ウィキペディア
探そう!大阪市の歴史魅力 第3回「大阪のホテル事始め」:「大阪市立図書館」
明治時代に中之島にあった「自由亭」というホテル・・・・・:「レファレンス協同データベース」
5.「自由亭」の進出  :「京都ホテルグループ」
幕末の外交を支えた「西洋料理人」草野丈吉...五代友厚にも認められた手腕とは?
   朝井まかて      :「WEB 歴史街道」
日本初の西洋料理店シェフ 草野丈吉 :「九州偉人 マンガ」
五代友厚  :ウィキペディア
大阪の恩人 五代友厚  :「大阪商工会議所」
陸奥宗光  :ウィキペディア
政治家 陸奥 宗光(むつ むねみつ) :「和歌山県ふるさとアーカイブ」
陸奥宗光・小村寿太郎~条約改正への道のり~  :「NHK for School」

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「遊心逍遙記」に掲載した<朝日まかて>作品の読後印象記一覧 最終版
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『教場 2』  長岡弘樹   小学館

2023-05-18 18:39:20 | 諸作家作品
 教場シリーズ第2弾。第1作に続き、短編連作集でこちらも6話を収録する。「STORY BOX」(2014年9月号~2016年1月号)に定期的に短編が連載され、大幅な加筆改稿を行い、2016年2月に単行本が刊行された。2017年2月に文庫化されている。

 『教場』のエピローグで触れられていた第100期短期課程の学生が主な登場人物になる。入校から約1ヵ月が経ち、風間教場の学生数は38人。同期の荒川教場も38人。合計76人。この時点がストーリーの起点となる。ストーリーは勿論、風間教場を取り上げて行く。各短編毎に、読後印象を交えご紹介していこう。

<第1話 創傷>
 授業内容等:第100期短期課程警察手帳貸与式。逮捕術。地域警察。(個人特訓)
       射撃訓練。法医学。
 桐沢篤は警察手帳貸与式で、校長から手帳を受け取る南原哲久の蛞蝓(なめくじ)を連想させる風貌を注視して、以前どこかで見たことがあると思い出す。桐沢が内科医として勤めていた頃の記憶と結びつく。一方、桐沢は入校後すぐに美浦亮真と気が合い、親しくなった。逮捕術の授業で、朝永教官は学生をペアにして、互いに平手で相手の頬を張れと指示した。桐沢は美浦とペアになる。桐沢が指示通り、美浦の頬を張ったが、美浦は張り返してこない。それが問題事象となる。
 5月13日の朝、桐沢は風間から「点検教練」の個人特訓を受ける。その場で、桐沢が警察手帳を紛失している事実が露見する。それが発端となり、射撃訓練の終了後、風間が桐沢の前で、警察手帳紛失事件の謎解きをすることに・・・。
 風間による日々の学生観察力が発揮される一篇である。

<第2話 心眼>
 授業内容等:クラブ活動。(備品の紛失が相次ぐ)。救急法。地域警察。鑑識捜査。
 坂根千亞季がマレットが見当たらないと困惑しているのを忍野宗友が知る。教室内を探していると、梅村と中内が割り込んできて、忍野に対し、ポリグラフ検査と称した嫌がらせ、いじめを仕掛けてくる。通りがかった堂本真佐丈が忍野を救い出す。「救急法」の授業では風間の内意を受け、坂根千亞季が最初の実演志願者となり、彼女は、忍野、仁志川、桐沢を実演者として指名した。呼ばれた男子学生3人には一つの共通点があることに、忍野は気づく。「地域警察」の授業では、坂根と忍野が再び風間の指示で手本としての実演者をやらされる。
 授業後に、風間は忍野の前で、10円玉の入った口金のついた財布を罠とすると言う。
 「鑑識捜査」の授業で、10円玉の指紋鑑定結果は坂根の指紋と判明した。風間はその裏の意味を推理しきった。風間が仕掛けた罠は実に巧妙だったことが読後に理解できた。私は罠の意味を読み切れなかった・・・・。

<第3話 罰則>
 授業内容等:救助訓練法。逮捕術。地域警察。災害救助訓練。
 救助訓練の際、津木田卓は潜水の練習で貞方教官が設定した1分以内に浮上した根性無しになってしまう。それで彼の属する班全員が罰則をくらった。建物の窓ガラス磨きである。この罰則が、津木田に出来心を起こさせることに・・・・・。4階のガラス窓を担当していた津木田は、3階の担当者が居ないことに気づき、3階に降りてベランダの手摺壁に置いたままのバケツを落とした。汚水は、庭に貞方教官が置いていたシットアップベンチを濡らすことになる。これが因となる。逮捕術の授業での練習中の事故で秦山が一部記憶を無くす状態になった。秦山は罰則で3階のガラス窓拭きを担当していたのだ。
 災害救助訓練の授業が、津木田にとって、恐怖のピークとなる。
 教官への反発とふとした出来心が、負の連鎖を拡大していく。短編最後の一行。だがその先がどういう結果をもたらすのか・・・・その推測は幾通りも可能になる。なんというエンディングか。

<第4話 敬慕>
 授業内容等:(視聴覚室)。地域警察。
 菱沼羽津希と枝元佑奈が登場する。FTSという地元のテレビ局が警察学校の授業場面を取材していて、加えて学生代表のインタビューを撮影することになる。警察官一族に育ち、容貌にも自信がある菱沼が学校の広告塔としてインタビューを受ける。収録日の夕方にはニュースの番組の一部として放映予定である。
 菱沼は己の判断で、枝元をこのインタビューに捲き込もうと画策する。枝元は体こそ頑健だがルックスは伴っていない。枝元の特技はレスリングと手話だった。菱沼は枝元の手話をインタビューに加えたいという名目で、己の容貌に対する引き立て役として枝元を使う魂胆だった。番組側の要求質問以外に、菱沼は自分への質問項目すら準備した。番組は予定通り放映された。
 だが、風間は菱沼の発言通りではない手話を枝元がした一箇所に気づいた。
 菱沼は風間から退校届の用紙を突きつけられることになる。
 「そんなに好きだったのね。降参」内心で独り言ちる菱沼の発言、どこまで深く読み込めばいいのか・・・・。おもしろい結末のストーリーである。
 
<第5話 机上>
 授業内容等:犯罪捜査。地域警察。(殺人事件の捜査体験実習)
 仁志川は、以前に内倉・児玉と一緒になり、殺人事件の捜査体験実習という「特別授業」を思いつき、風間に提案したことがある。その時は、「卵を見て時夜を求む」だと風間に却下された。だが、風間は遂に、第一予備教場に殺人事件現場を設定して、第1班(内倉・児玉)、第2班(仁志川・能木)を結成させて、実習を行わせた。この捜査実習プロセスが描かれる。
 実習結果の推理は、風間が期待したレベルに達しなかった。「それから?」の問いかけに、沈黙したままで終わったのだ。だが、仁志川はそこから、風間の目的としたことを確信した。それが仁志川の教訓になる。当分の間「卵を見て時夜を求むるなかれ」を己の銘と決意した。
 風間の信念が明らかにされることになる。風間はどのような捜査経験をしてきたのか。それが知りたくなってきた。

<第6話 奉職>
 授業内容等:(個人特訓)。地域警察。護身術。
 桐沢と美浦は、問題を出して、その答えを交互に出し合う。詰まれば、罰ゲームとして特製青汁を飲むということを行っている。そんな場面から始まる。その後、美浦は一人で藁スタンドを使い突きの打ち込みを繰り出す日課を行う。そこに風間が現れ、両手にグローブをはめさせ、美浦にボクシングの相手をさせた。その後、風間は美浦に「退校届」を預ける。
 風間の授業風景を点描した後、卒業式直近の慌ただしさを背景とした描写に転じて行く。一つは、桐沢と美浦の会話。もう一つは、朝永教官の授業で、風間が特別に相手となり、防御の実演を美浦がするというもの。美浦の前職が最後に明らかになる。
 卒業式直前の緊迫感を点描した短編となっている。

 末尾に記された風間が美浦に対して告げた言葉が良い。
 「一つ言い忘れていたな。わたしが奉職している理由だ」
 「会えるからだよ。きみのような学生に」

 警察学校の一端が垣間見えておもしろい。授業内容を含め、実態描写という観点で、どこまでフィクションとしてデフォルメが加えられているのか、その点が興味津々なところである。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
警察学校の一日  :「警視庁」
警察礼式  :「e-GOV」
[PDF}通達甲(警.教.術)第5号昭和41年3月9日

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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『教場』  小学館
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