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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『不疑 葉室麟短編傑作選』   葉室 麟   角川文庫

2024-02-28 18:30:09 | 葉室麟
 愛読作家の葉室麟さんが逝去されてはや6年2ヵ月余が経った。2017年12月23日、66歳で亡くなられた。これからさらなる活躍を期待していたのに・・・。実に惜しい。合掌。

 本書は、「葉室麟短編傑作選」とあるように、著者没年の2017年に刊行された「決戦!○○」という作家競作の短編集のシリーズに掲載された短編と、著者没後に月刊雑誌等に掲載された短編が、角川文庫オリジナル短編集として編纂されたもの。全6編が収録されている。2024年1月に刊行された。
 
 全編、歴史の一局面を切り出し、史実を踏まえて著者が独自の解釈と想像力によりフィクションとして仕上げた小説である。歴史の一コマがこのようにも読み解けるかという面白さが味わえる。記録に残された史実の空隙をつなぐ想像力と構想力、読み解きがスリリングである。
 各編ごとに簡略な紹介と読後印象をまとめてみたい。

<鬼火>
 沖田総司が7~8歳頃の原体験を夢に見る場面から始まる。総司の鬱屈した心理を基底にまず総司のプロフィールが語られる。そして、江戸から上洛した浪士組が分裂し、京に留まった壬生浪士組が新選組に改称される過渡期の局面を沖田総司の視点から描いていく。局長首座の芹沢鴨に言われ同行する機会が多かった総司が芹沢鴨の思考と行動を見つめていく。土方の指示を受けて、総司は壬生屯所に近い八木家の座敷で芹沢鴨等を暗殺する一人に加わわる。その事実は後に知られるようになったこと。
 著者は、「沖田君、わたしは斬られるなら、君がいいと思っていた」と芹沢につぶやかせ、総司の心境を「総司は胸の底からの感情に揺すぶられた。・・・・・・ 芹沢さん/ わたしはあなたを殺して/ 悲しみを/ 初めて知りました」(p58-59)と記述する。
 この短編を読み、沖田総司と芹沢鴨の人物像を掘り下げてみたくなった。

<鬼の影>
 赤穂城を受城使に引き渡し、事後処理を終えた後、大石蔵之助良雄は山科に1800坪の土地を買い隠棲する。伏見・橦木町の遊郭に通い、遊興にふける姿を見せ、もとの凡庸な振る舞いを見せる。まずは、浅野家再興の根回し工作を続ける。そこへ、仇討ちを掲げる急進派の堀部安兵衛が山科に大石との直談判にやって来る。この状況に焦点を当てた短編である。
 時が経つにつれ義盟を誓った人々の間に生まれる意識の分裂。その急先鋒はすぐさま仇討ちをと迫る堀部。一方、大石の周辺には伏見奉行の手の者が監視し蠢いている。内憂外患の中での大石の行動が描かれていく。
 本心を読み取られないように周到に行動する大石の姿がリアルに描き出されている。
 山科での隠棲が、大石にとって外見的行動とは裏腹に、最も苦衷に満ちた時期だったと思う。
 著者は最後に大石に言わせる。「どうやら、われらは、皆、主君の仇を討ち、天下大道を正す鬼となったようだ。わたしたちが進むべき道はこれから開けよう」(p96-97)と。

<ダミアン長政>
 ダミアン長政とは、黒田官兵衛の息子の黒田長政である。長政は朝鮮出兵において、勇猛に闘ったが、太閤秀吉の仕打ちに激怒し「豊臣家に神の罰を下してくれる」と誓ったと著者は記す。長政は德川家康の側に加担して、政略をめぐらせる。
 本作は、関ヶ原の戦いの意味と読み解きを大変おもしろい視点から描き出している。当時のマクロな勢力分布を前提としての豊臣家という位置づけをなるほどと思わせるところがすごい。

 秀吉の没後に、石田三成と黒田長政が対話をする場面を描く。その際に著者は三成に次のことを語らせている。(p115-116)
「長政殿はやはり如水殿につかれるか」
「德川も毛利も外から豊臣を崩そうとする。内側から豊臣を崩せるのは黒田殿だけでしょうな。黒田は豊臣が懐に抱えた蝮でござる」
「長政殿には禅の<啐啄同時>という言葉があるのをご存知か」
「黒田が豊臣の味方であることを願っております」
 
 この三成が長政に発したメッセージの読み解きが、関ヶ原の戦いにつながっていく。
 史実の読み解き方の一つの極みになっていることに驚くとともにおもしろいと感じた。

<魔王の星>
 『信長記』には天正5年(1577)9月29日に巨大な彗星が現れたことが記されていると著者は記す。その時、蒲生忠三郎(氏郷)が天文に興味を抱くようになったことからストーリーが始まる。天正10年4月、再び夜空に巨大な彗星が現れた。それに先だって、2月14日にも彗星が見られたという。
 この短編は、天正5年~10年という時代状況と、彗星を一つの表象として、キリスト教を仲介に西欧の知識が伝搬されてきた状況を描き出す。蒲生忠三郎を介して、信長の理知的聡明さとともに、彼の酷薄さを含む多面性が描かれていく。
 星の天文観測による自転・公転論議、キリスト教のあむーるという心の有り様が忠三郎から信長に伝えられること、荒木村重の謀反に、高山右近が加担したことに対して、右近の拠点高槻城を攻める信長の対応、天正8年に安土にセミナリヨが開校された状況などが織り込まれていく。
 当時の時代状況が活写されている作品である。あの時代をトータルでイメージするのに役立つ短編小説だ。

<女人入眼(ニョニンジュゲン)>
 「入眼」という語句は、「叙位や除目の際に官位だけを記した文書に氏名を書き入れて、総仕上げをすること」(p184)を意味するそうだ。ここに記された女人とは誰か。北条政子を指している。一方、京の宮廷側には、藤原兼子という権力者がいたという。
 健保6年(1218)2月、北条政子が10年ぶりに上洛し、女官で従二位の藤原兼子を私邸に訪れ、親王を将軍に迎えたいという要望を語る場面から始まっていく。
 頼朝の意思を継ぎ、関東を統治していく上での仕組みを確立し、<女人入眼>を果たして生涯を終えた北条政子の伝記風短編小説である。
 北条政子が女傑と称される所以がなるほどと感じられる。頼朝の生前中、二人はどのような人間関係を築いていたのだろうか・・・・そちらの側面も知りたくなってくる。また、母親としては、どのように心情をコントロールしたのだろうか、それが知りたいという思いも残る。

<不疑>
 この短編傑作選の中では異色作品である。というのは題材が中国の漢代にとられているからだ。著者は、古代中国小説の領域に創作を広げていこうという構想を持っていたのだろうか。
 主人公は漢の都、長安の知事と警察長官を兼ねた役職「京兆尹(ケイチョウイン)」になり、辣腕と言われた雋不疑である。
 漢の武帝が没して5年後、始元5年(紀元前82年)春に大事件が発生する。当時、黄色は天子の色だった。長安の市場の通りに、牛、乗る車、単衣も帽子も全て黄色尽くしで40歳ぐらいの背が高い男が出現した。未王宮北門で、「わしは衛太子だ。取り次げ」と告げたのだ。武帝の長子だと名乗ったのである。
 衛太子拠は乱を起こし、後に死んだ筈なのだ。昭帝の朝廷は困惑する。
 衛太子と名乗る男の正体を暴かねば、朝廷が危地にさらされることになる。北門のところで、不疑は衛太子と名乗る男を一旦不埒者として捕らえるよう命じた。そして、自らこの男の詮議に関わって行くことに・・・・。
 不疑は、身内の弟たちと配下を使い、衛太子を名乗る男の背景を調べていく。そこにはとてつもない謀略が浮かび上がってくる。
 おもしろい謎解き小説になっている。
 ネット情報を検索してみると、『漢書』には巻71「雋不疑伝」があるそうだ。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
雋不疑  :ウィキペディア

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



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『曙光を旅する』  葉室 麟   朝日新聞出版

2023-10-21 20:56:50 | 葉室麟
 愛読作家の一人としてその作品を読み継いできた。ネット情報で作品一覧をチェックしていて、本書は未読だと気づいた。それで本書を遅ればせながら読み終えた。
 奥書に、2018年11月に第1刷とある。著者は2017年12月に逝去した。残念でならない。本書は、ほぼ1年後に刊行されていたことになる。
 本書はエッセイを主体にしながら、対談ほかを組み合わせて編集されている。

 著者のエッセイ集を読み継いできて、そのエッセイの端々に著者の歴史観、創作にあたっての立ち位置と思い、自作からの気づきが読み取れる。つい、ナルホドと思いながらエッセイを読み進めた。本書もそうだった。エッセイと対談などから、著者の作家としての視点を著者自身の言葉により知ることができるという副産物があり、興味一入である。

 全体の構成をまずご紹介しよう。4部構成になっている。
< 旅のはじめに 時代暗雲 詩人の出番 >
 この一文が、通常の「はじめに」の代わりになっている。「旅に出ようと思った。遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ」という書き出しから始まる。小倉(北九州市)への歴史紀行文である。
 この一文に、早くも著者の作家の視点が明確に記されている。
 地方をめぐり歴史にふれてみたいという著者は、「勝者ではなく敗者、あるいは脇役や端役の視線で歴史を見たい。歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや脇道、路地を歩きたかった」(p10)と記す。それが著者の作品につながっている。

 著者は晩年の平成の時代をとらえ「近頃の世の中の流れを見ていると頭上に暗雲がかかる思いがするし、今にも降りそうな雨の匂いもかいでいる」(p12)と危機感を表明する。そして、時代を詠う詩人が求められている時代だと語る。「詩を読み、人の心が動くとき、世界が変わる。今は、そんな詩人が求められている時代だ」(p12)と。

< 第Ⅰ部 西国を歩く >
 葉室麟さんの歴史紀行文をまとめたもの。朝日新聞(西部本社版)に2015年4月11日~2018年3月10日の期間、「曙光を旅する」連載のエッセイである。著者が生前に記したエッセイの一部はこの連載の終幕部分で死後に発表されたことがわかる。
「旅のはじめに」は、この歴史紀行の第一回なのだろう。
 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のファンだったという葉室麟さんは、「曙光を旅する」というこの歴史紀行を書き続けていきたいという夢があったのではないか。司馬さんが歩き訪れた地を、葉室さんにも歩いてもらい、敗者・脇役の視点で歴史エッセイをもっと書いて欲しかった。そう思う。
 この連載では、福岡、柳川、若松(福岡県)、臼杵・日田(大分県)、名護屋・佐賀(佐賀県)、長崎、鹿児島・奄美(鹿児島県)、小天(熊本県)、飫肥(宮崎県)、下関(山口県)、沖縄、京都が歴史紀行として取り上げられている。
 著者がこのエッセイ集で思いを馳せている内容を人物名で捉えると、大友宗麟、沙也可、司祭ロドリゴ、広瀬淡窓、西郷隆永(隆盛)、坂本龍馬、木戸孝允、鍋島閑叟(直正)、佐野常民、夏目漱石、宮崎滔天とその兄弟、金子堅太郎、小林寿太郎、北原白秋、島村速雄、火野葦平、丸太和男、青來有一、島尾敏雄、古川薫、守護大名大内氏、高嶺朝一、大城立裕などである。
 著者の歴史観の一端と思索の広がりを知り、感じるとともに、初めて知る人物名もかなりあり、目を開かれる思いがした。敗者・脇役というフィルターを通して歴史に思いを馳せる著者の姿勢が見えてくる。
 この第Ⅰ部で本書のページ数の半ばとなる。

< 第Ⅱ部 先人を訪ねて >
 これも元は上記の新聞連載の一環のようである。一部、書き下ろしも含まれている。
 内容的にこちらは著者が尊敬する先人を訪れた時の内容をエッセイにまとめている。
筑豊(大分県)の上野朱(アカシ)さん(長男)を訪ねて、故上野英信さんについて語る。中津(大分県)の松下竜一さん、熊本の渡辺京二さん、土呂久(宮崎県)の川原一之さんとの対話がまとめられている。著者がどういう先人から何を学んだかが伝わってくる。
 ここに、対談「小説世界 九州の地から」が収録されている。2015年の直木賞作家東山彰良さんとの対談。奇しくも大学の先輩後輩の関係になるそうだが、「いま九州で書くこと」について、語り合っている。ここに葉室麟の作家意識が語られている。以下を抜き出してみる。
*僕は歴史を地方の視点、敗者の視点から捉えたいと考えているんです。 p169
*自分が感じていないことは書けませんから、小説とは、うそをつけないものかもしれません。 p172
*僕は国家や社会への帰属意識は必ずしも持たなくていいと思っています。自分が生育してきたなかで、大事だな、信じられるなと感じたものがあれば、それがよりどころとなる。 p173
*その人が今まで生きてきた実感として、何を美しいと感じ、何を大事だと思うのか、その感性から逃げないことが何より大切だと思います。 p173
 どういう文脈で語られたものかは、この対談をお読みいただきたい。

<第Ⅲ部 苦難の先に>
 2016年4月、熊本県益城町を震源とした震度7の地震に関連したエッセイが2つ。熊本を襲った震度7の大地震を背景にしながら、熊本藩出身で明治憲法の起草者となった井上毅(コワシ)を語るエッセイ。秋月(福岡県)の歴史を振り返りつつ、豪雨被害からの復旧を願うエッセイ。4つのエッセイが収録されている。
 自然災害における被災者の人々への著者の悲痛な思いが伝わってくる。

< 第Ⅳ部 曙光を探して >
 2017年の春先に、「曙光を旅する」連鎖開始から2年目の節目に合わせて行われたインタビューの内容が収録されている。結果的に、葉室麟さん最晩年の作家としての抱負が語られている。「『司馬さんの先』私たちの役目」というタイトルになっている。
 勿論、ここには作者自身の思い、作者のスタンスが表出されている。インタビューの文脈の中で、葉室麟さんの言葉のニュアンスなどを味わっていただく必要があるが、覚書を兼ね、私なりにその発言を抽出して見る。
*「人生は挫折したところから始まる」が、私の小説のテーマ。 p206
*50歳を過ぎて作家デビューするまでに人生の経験を積み、・・・・・経験の数が私の強みです。  p206
*歴史小説は、自分に似た人を歴史の中に探して書きます。
 自分とつながる人から見る方が、歴史がよく見える気がします。  p207
*(『大獄 西郷青嵐賦』『蝶のゆくへ』)その2作品では、私なりの明治維新論を、近代という歴史そのものを描きたいと考えて書いています。 p208
*九州・山口・沖縄は、現代に至るまでの日本を考える材料がそろっています。 p208
*私は地方記者出身であり、発想も地方記者そのもの。地方が大事で、そこに寄り添っていきたいと根っから思っています。 p209

 第Ⅳ部の最後であり、本書の末尾として、「葉室メモ」が収録されている。
 「連載を始めるにあたってのおおざっぱなメモです」という一行から始まる。「曙光を旅する」の新聞連載の準備中に葉室さんから担当記者に発信されたメールだという。
 編集者の前書きが付いていて、そこに次の文がある「単なる『メモ』にはとどまらない、日本の歴史に対する深い省察が込められていた。『葉室史観』の一端を示す、その内容をここに紹介する」(p204) と。 
 葉室麟さんの人柄と連載に取り組む意欲・夢などが伝わってくる。葉室ファンには是非読んでほしいと思う「葉室メモ」だ。司馬遼太郎さんとの問題意識の違いも表明されている。
 次の箇所だけご紹介しておきたい。
「歴史の大きな部分ではなく、小さな部分を見つめることで、日本と日本人を知りたい。 あえて言えば、自分たちが忘れている歴史を思い出したいのです」  p214

 なお、各所に、「曙光を旅する」連鎖との関連で、著者と関わりを持った人々による葉室麟さんへのメッセージも載っている。著者を知るのに有益なメッセージである。

 せめて、あと10年、葉室史観を書作品として書き続けて欲しかった。噫、残念だ。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『読書の森で寝転んで』   文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<葉室 麟>作品の読後印象記一覧 最終版
              2022年12月現在   70冊+5冊
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『読書の森で寝転んで』  葉室 麟   文春文庫

2023-09-27 16:34:17 | 葉室麟
 著者は2017年12月23日、66歳で惜しくも物故した。愛読作家の一人だった。これから更に・・・と期待していた時にこの訃報だった。噫。合掌。
 本書は、エッセイを主体に、対談、遺稿を併載している。目次に続く内扉の裏ページに文春文庫オリジナルと明記してある。2022年6月に刊行された。

 本書には、葉室麟さんが時代小説家になった背景や、個々の作品を創りだした作者の意図やその作品に托した思いなどが、エッセイ等の文脈の中で自作に触れる際に書き込まれている。愛読者として、その点を一番の着目点にしながら、少しずつ読み進めた。葉室麟さんの人と形、素顔がイメージしやすくなる一冊である。
 読み終えてからも長らく机の側に積んでいた。区切りをつけるために、読後感想を覚書を兼ねてまとめてみたい。

 全体は4章構成になっている。章毎にご紹介し、少し付記する。

<第1章 読書の森で寝転んで>
 本書のタイトルの由来になる章。「わたしを時代小説家へと導いた本」(「kotoba
」所載)を最初に、「毎日新聞西部本社版」に掲載された23編、「日本経済新聞」に掲載された4編、合計27編の読書エッセイが収録されている。最後に、「書店放浪記」(「日販通信」)という題のエッセイが載る。
 「『韃靼疾風録』司馬遼太郎」から始まり「『追われゆく坑夫たち』上野英信」に至る23編は、その書の読後感想とともに、著者への思い、書の書かれた時代背景への思い、その書から葉室自身の思いへと枝葉を広げる。エッセイは各篇4ページの分量でまとめられている。書評ではなく、あくまで随想が綴られている。
 「日本経済新聞」の方は、「空海」という題から始まる4編だが、こちらも同様である。たとえば、「空海」は高村薫著『空海』を読んだという書き出しから、思いを司馬遼太郎著『空海の風景』へと展開していく。
 書名・著者名の出てくる本を、葉室麟さんがどのように読んでいるかを楽しめ、かつ読み方の一例を学ぶきっかけにもなる。著者葉室麟を知ることにつながり愛読者としてはおもしろい。

 この第1章から、葉室麟を知るという視点で、いくつか引用しご紹介しよう。
*時代小説家へと導いた本:白土三平画『忍者武芸帳 影丸伝』『カムイ伝』、花田清輝著『東洋的回帰』『もう一つの修羅』、上野英信著『追われゆく坑夫たち』『地の底の笑い話』、長谷川伸『相楽総三とその同志』、山本常朝『葉隠』  p12-p18
*拙作の『銀漢の賦』(文春文庫)で武士の子である源五、小弥太と少年時代、友になり、長じては一揆の指導者になった十蔵に、わたしは『カムイ伝』の真摯な農民、正助の生きざまを託しているのかもしれない。  p13
*わたしは拙作『蜩の記』で・・・・主人公の戸田秋谷には筑豊の記録文学作家、上野英信の面影があると気づいて愕然とした。   p15
*「至極は忍ぶ恋」と考えることは、常朝が理想とした武士道に通じるものがあったのだ。いずれにしても同書(付記『葉隠』)から拙作『いのちなりけり』『花や散るらん』(共に文春文庫)の着想をえた。  p18-19
*(『小説 日本婦道記』山本周五郎のエッセイの末尾)
 そんな生き方を求めて苦闘していく女性たちの姿が描かれているから、この作品は感動的なのだ。そう思ったときから、わたしも女性を主人公にした小説を書き始めた。 p55
*小説に純文学かエンタメかという分類は必要ではないのだ。心に響くものだけが小説ではないか。  p69-70
*伝えねばならないものは何か。この世の矛盾への憤りであり、苦しむすべてのひとへの共感であろう。
 ただ、わたしにできるのは、ひとの内にある、
 -物悲しいやわらかさ
 を語ることだけかもしれない。そんな気がして不甲斐なさを申し訳なく思うのだ。p111

<第2章 歴史随筆ほか>
 「”西郷隆盛”とは誰だったか」から始まり、「酒を飲む」までのエッセイ19編が収録されている。葉室麟さんの歴史への視座をはじめ、身の回りの諸事への視点と思いがうかがえる。葉室麟の作品の裏側にある考えや心情が垣間見えて、楽しめる。
 ここでもいくつかご紹介しよう。
*西郷をわかり難くしているのは維新後に作られた、明治維新は尊王攘夷派による革命だったとする薩長史観の革命伝説だろう。  p132
*西郷の真骨頂は、デモクラシーに近い感覚を持ちながら保守的な政治活動を取ったところにある。・・・・やはり、西郷の心は信じるべきだと思う。  p134-135
*わたしにとって、(付記:『蜩の記』の主人公)秋谷が書いたものは白紙ではなかったということだ。(注記:随想文の前部で「小説としては、家譜と書くだけでいい」と)
 秋谷が筆をとって書き記したものは、上野さんが書いた炭坑労働者の記録であり、作品ではなかったか。
 そのことを思うと、小説はフィクションだが、書いていることは決して嘘ではないのだ、とあらためて思う。・・・・・・・・・
 だが、描いているのは、私が生きてきて、上野さんのように実際に会ったひとであることが多い。・・・そんなひとびとを虚構に仮託して描いてきたように思う。  p147-148
*わたしが思う(付記:立花)宗茂の魅力は、普通のひとの感覚を持ち、それを貫いたことにある。  p152
*宗茂の心の内には、茶で培っただけではないにしても、人生の厳しさと対峙し、内面を深めたことによる静謐があったに違いない。  p154
*少し翳りのある中年男になりたかったのだ。・・・・・・
 酒を飲むのは、生き方を学ぶことでもあった。   p224

<第3章 小説講座で語る>
 web「小説家になりま専科」2014年8月27日に載った講義録が収録されている。文芸評論家・池上冬樹氏に招かれて山形に赴き、小説講座で池上氏と対談した講義録である。
 この章の冒頭に「小説は虚構だけど、自分の中にある本当のことしか書けない。書くことは、心の歌をうたうことです」という文が載る。
 当然ながら、上記の引用と重なってくる。さらに、その語りには枝葉の広がりがありおもしろい。例えば、手塚治虫の『ジャングル大帝』や本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』ほかにも広がって行く。次のような箇所もある。引用する。
*僕は大学のサークルで俳句を始めたんですが、最初になんで俳句をやろうと思ったかというと、やっぱり寺山修司ですね。  p232
*文章というのは、何かを説明すればいいというものではないですよね。その人が持っている、精神の高みに人を連れていく。石川淳は「精神の運動」と言っています。それが、文章を読むときの大事さだと思うんです。・・・・高みという言い方はよくないかもしれませんけど、何か違うものを得る。それが大事なんです。      p233
*五十歳になったときに書き始めたというのは、過去というものに対して、自分の中で振り返るというか、自分の生きてきた中での、いろんな意味での決着をどこかでつけたい。その枠組みとして、時代小説がいいのではないかと、考えて書き出したんです。 p241
*技術は手段であって目的ではない。人に伝わるのは、本当の言葉だけです。 p259

<第4章 掌編、絶筆>
 ここには、「読売新聞大阪本社版」2016年4月3日に載った「芦刈」と題する10ページの掌編と、「我に一片の心あり 西郷回天賦」が載る。こちらは、著者が2018年から「オール讀物」で『大獄』第二部を連載開始するために、最後まで推敲を重ねていた序盤の遺稿だという。
 それと、最後に「オール讀物」2018年2月号に掲載された原稿が収録されている。葉室麟さんが、亡くなる2017年12月に病床で語っていた内容だそうだ。『大獄』第二部のテーマ、構想について残された音源を元に、「オール讀物」編集部が構成したもの。
「葉室麟 最後の言葉」である。噫!『大獄』第二部・・・・読みたかったなぁ。

 本書は、葉室麟愛読者にとり、やはり欠かせない一冊だと思う。

 ご一読ありがとうございます。


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