遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『伊勢物語 在原業平 恋と誠』  高樹のぶ子  日経プレミアシリーズ

2023-11-28 14:06:25 | 諸作家作品
 『小説伊勢物語 業平』の読後印象をご紹介したときに少し触れたが、著者自身が
本書の「おわりに」の冒頭に、「『小説伊勢物語 業平』と、それを補足するために書いたこの新書」(p189)と説明している。本書を読了して、まず『小説伊勢物語 業平』の理解を深めるサブ・テキストとして読まれることをお薦めする。
 最初に小説を読んでから本書を読むのが結果的には良かったと思う。というのは、自分自身が『小説伊勢物語 業平』をどのように、どのレベルまでの理解で読み終えたかを対比的に振り返ることができるから。この著者が創作した小説でのべたかったことをサブ・テキストの説明内容で補うことができる。一方、ここに記された説明にまで己の理解が到達していたかを確認できる。
 残念ながら、自己評価としてはかなり淺いレベルでしか読み通せていないなぁと感じた次第。このサブ・テキストの著者自身の説明も考慮に入れて、少し時間を置いてから再読してみたくなった。

 本書は、2020年10月に刊行されている。小説が2020年5月に単行本で刊行されているので、その5ヶ月後に補足として出版されたことになる。

 「おわりに」の末尾に、著者は次のように記す。
 「小説の効用は、なにより生きている人間を直に感じられることです。千百年昔にも、男女は惹かれ会い、和歌や文で心を交わし、喜怒哀楽や情感を伝え合う同じ人間が生きていた、ということを知る以上の人間教育が、あるでしょうか」(p191)と。
 在原業平に対する風評は、好色なプレーボーイ、色事話いっぱいの貴族としかみられていない。そんな傾向に対し、業平の残した歌を丹念に読み込んで行けば、そんなレベルの人物ではないと著者は言う。「はじめに」に著者は「彼が残した歌から伝わる深い真情からは、どうしてもそうは思えません。業平は千年以上もの長いあいだ、間違ったイメージで語られてきたのではないかと思います」(p7)と己の視座を明示している。
 そして、独自の業平像を『小説伊勢物語 業平』に具象的に描き上げた。業平と関係を結ぶ女性並びに業平と深い親交を確立した貴族たちについて、このサブ・テキストでは、その関係性を分析的に補足説明してくれている。小説として情景描写し経緯を語ったその行間に存在するものを著者の視点で語って行く。実にわかりやすい説明である。

 本書での説明に入る前に、「平安時代の業平を理解するために」と題して、基礎知識を著者は説明する。平安時代の社会のしくみと時代背景を押さえて置かなければ、在原業平の「誠」の匂いに触れることができないという主旨だと理解した。その側面を小説の行間から読者が読みとりながら、ストーリーを理解する必要があるからだ。
 読者が業平を理解する上での基礎知識として、著者がここで説明する観点を列挙しておきたい。この点は、まず小説を読む上で、助けになっても、先入観を与えることにはならないだろうから。
  *在原業平は父(阿保親王)の上表により臣籍に降下した身分の人
   臣籍降下という立場が、業平の人生に影響を及ぼしていく要素となる。
  *「雅」の本質は「きよらかなあはれ」。相手を思いやる「哀れ心」である。
   一見曖昧に見える振るまい、考え方、余裕のある性格をもつ。そこにある謙虚さ
  *貴族にとり、身を護る助けになるのは、美意識と教養、そして表現する能力
  *通い婚が普通の時代。それがお付き合いのカタチだった。
   業平の恋は、女性たちとの接し方、雅な振るまいがあって成立している。
  *権力の危うさを熟知し、歌に生きることを選択。この貴種流離が、日本特有の芸
   術を作った。

 著者は、「業平の恋は、引きこまれ型が多いのですが、引きこまれたあげく、良きものを得た成功体験が、彼を豊かにした、そのことを業平は経験値として知っていたのです。信じるものからしか、大きなものは得られない。」(p27-28)と述べています。

 小説の流れは「初冠」を終えた在原業平が年齢を重ねるごとに、和歌を詠みつつ様々な恋の遍歴をしていく経緯を描き上げている。この恋の遍歴に登場する女性たちと業平の関係を著者は本書で分析的に説明して行く。
 まず第1章から第3章で、恋の遍歴に登場する女性との関係において、これらの恋がどのように業平の人間性を豊かにしたかを分析的に説明する。あまり先入観を与えない範囲で少しご紹介しておく。

 「初冠」の最初に登場するのが春日野の姉妹。この姉妹との関係では、業平が高貴なる出自として相手を思いやるという行為に著者は着目している。これは業平の人生で各所に見られ、業平の人間力となっていくと言う。業平は「良いと思ったことは、ためらわず行動する」(p35)男だったと。
 西の京に住まう女(ヒト)は思春期の業平にとり、生きていく上での真実を学ぶ上で、決定的な人になったと言う。どのようにかは本書を開いてほしい。
 五条の方、蛍の方、紫苑の方との恋の遍歴は、業平が女性から大きな気づきを得る結果になった。さらに、紀有常の懇願を断り切れずに彼の女の和琴の方を妻とし、疎遠な関係を続けたが、最後はその和琴の方からも大きな気づきを業平は得ることになる。
 そして、藤原高子(タカイコ)並びに恬子(ヤスコ)内親王それぞれとの禁じられた恋という大きなリスクを伴う人生の山場が生まれていく。
 各女性毎との関係の過程で、その女性と業平の人間性を分析的に説明していく。これが第1章~第3章の主内容となる。小説を通読した時には、読み切れていないことが多くあったと感じている。

 第4章は、源融(ミナモトノトオル)と惟喬(コレタカ)親王という二人との男同士の関係を分析的に論じている。源融は業平が憧れた人であり、彼の歌と人生をともに尊敬する人である。業平にとり、身分差を超えて文化人として交流し親交を深めえた人である。一方、惟喬親王は、雅を具現化する人であり、業平が生涯仕えたかった人だと著者は説く。
 この章の最後で、著者は業平の両親、阿保親王と伊都内親王の不仲について説明し、それが業平の生き方に影響した側面を論じている。業平が歌の才を拠り所とするようになる根本が両親にあったと。

 第5章は、二人の女性を媒介に説明しつつ、業平の人生の後期・晩年を語る。
 一人は九十九髪の女である。女の三男の息子に懇望され、「成り行きに身をまかせる」業平の一つの恋の遍歴がここにある。そこからも業平は相手を豊かな気持ちにさせ、そこに魅力を引き出し何かをつかんでいく。
 他の一人は、伊勢(杉)の方である。率直な性格でバランスがとれ、和歌に精通した才女として小説では描かれている。著者は「業平の最後の妻だったという説に従いました」(p178)と立ち位置を述べている。そして小説に描き出した伊勢(杉)の方について説明を加える。
 最後に業平が女性たちに恨まれなかった理由を論じている。
 小説を通読したとき、業平が女性たちに恨まれなかった理由などという切り口を考えてもいなかった。頭にガツンである。
 『小説伊勢物語 業平』は読み方を掘り下げていくことができる。読むに値するフィクションと言える。本書は理解を深めるガイドとなるのは間違いない。

 本書の末尾近くで、「私は誰にも恨まれない業平像を描きたかったのです」(p184)と明言している。それが在原業平のイメージ転換を意図する原点にあったようだ。それは業平が残した歌を精読し、歌の心を感じ取ることから生まれている。
 著者は、「業平の歌が今日まで残っているのは、率直な心が吐露されているからです」(p48)と論じている。
 さらに、業平は「それぞれの相手に対して、そのときどき、全身全霊で向かっていったからではないでしょうか。相手にとって、何が良いかを考えて、相手が喜ぶことをしてきたからでしょう。その瞬間を女たちは覚えていて、逢えなくなってもその記憶を大事にしていたということだと想像します」(p185)と記す。ここに、業平像の根っ子があると思う。
 また、著者は業平の人生を次のように述べている。
 「ひと言で言えば在原業平、『思うに任せぬことの多かった生涯』を、『思うに任せぬことも愉しみながら』生き抜いた人と申せます」(p15)と。
 業平の特徴を他にも具体的に説明している。本書でお楽しみいただきたい。

 『小説伊勢物語 業平』で著者は業平に「飽かず哀し」とひとこと言わせた。読後印象として、この「飽かず哀し」がキーワードになると感じる点を述べた。
 本書ではこの意味を少し具体的に説明してくれている。この点、ご紹介しておこう。
 「客観的にはすべてを持つ人生だったけれど、飽きるほどの満足ではなく、まだ十分ではない、足りないものがある、ということです」(p186)
 「業平は、『飽くほど満たされていないことを哀し』と思いつつも、それが生きることの有り難さだと言っています」(p186)と。
 著者は、紫式部が「飽かず哀し」を業平の歌や生き方から学び、それを光源氏の心境に反映させたと推測している。

 最後に、著者が本書で一般論あるいは本質論として指摘していることを引用(「」で表記)あるいは要点を記しておきたい。ナルホドと感じる諸点である。
*人を恋する効用、奇蹟は、その人を人間としてワンランク押し上げる。 p36
*「男は全員マザコンと言ってもよいのではないでしょうか」 p43
*「はっきりしているのは、時間の経過とともに男女の気持ちは変わるということ」(p90)
*平安文芸が描く出家は、ある程度文化度のある階層の「ぎりぎりの自己実現」だった。
 著者は、出家が「何か無心になれるものを見つけて没入し、心穏やかな一時を過ごす、あらゆるものから距離を置いたひとときを持つ。そして時間を稼ぐ」という精神的側面に着目している。(p99-100)
*「男女の恋愛は、本音、本性でつき合ってこそ面白いものです。・・・・・本性が見えたときに強い関係が作られると思っています」(p132)
*「権力というものは、感性に目隠しをさせ、繊細にモノを見る視力をなくさせ、大所高所からの見方だけに片寄ってしまうもの。(p163)
*「親とはこんなものだ、と決めつけている子どもたちよ、親もまた男であり女である、という意識を持ってもらいたいものです」(p177)

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『小説伊勢物語 業平』  高樹のぶ子  日経BP 日本経済新聞出版本部
『小説小野小町 百夜』   高樹のぶ子   日本経済新聞出版社


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『リーチ先生』  原田マハ  集英社文庫

2023-11-25 19:01:51 | 原田マハ
 著者のアート小説を主体にしながら読み継いできた。リーチ先生とは、イギリス人陶芸家バーナード・リーチのことである。本作は学芸通信社配信により全国の7新聞各紙に、2013年10月20日~2015年11月10日に順次配信され、2016年10月に単行本が刊行された。第36回新田次郎文学賞受賞作。2019年6月に文庫化されている。

 私は京都近代国立美術館で、河井寛次郎、富本憲吉、濱田庄司の作品を幾度も見ている間に、バーナード・リーチの作品も見る機会があり、その名を記憶した。陶芸家の彼らの間に交流があったことを知ったが、それ以上の人間関係などについて意識しなかった。
 私にとっては、彼ら相互間の人間関係や親交の経緯、さらに柳宗悦や白樺派との交流関係などを、本作で具体的にで知る機会となった。これはうれしい副産物である。バーナード・リーチのことは、美術館で作品を観た以上のことはほとんど知らなかった。本書を通じて、彼の人柄や彼の人生の一端、日本との関わりを具体的にイメージできるようになった。伝記風アート小説の醍醐味といえる。

 本書のタイトルは「リーチ先生」。先生と付くので、バーナード・リーチに対し先生と敬称で呼ぶ人が存在することになる。バーナード・リーチとその人もしくは人々との関係がタイトルそのものに現れている。バーナード・リーチ中心の伝記風小説というよりも、バーナード・リーチと人々との関係の中で、バーナード・リーチ像を浮き彫りにしていくアプローチである。
 一方、私は著者は、バーナード・リーチを一方の極にして、他方の極に次のメーッセージにあたる人を共に描き出したいのではないかと受け止めた。
 それは、エピローグに出てくる次の文:
 「----- 名もなき花。
  それは、まさしく父のことだった。
  ひっそりとつぼみをつけ、せいいっぱい咲いて、靜かに散っていった野辺の花。
  けれど、父は種をまいたのだ。東と西の、それぞれの大地に。
  そして、自分は、その種から芽を出したのだ」(p584)
が表象している人と受け止めた。
 「名もなき花」と題されたこのエピローグ、涙無しには読み通せなかった。ストーリーの流れに感情移入を深めさせる著者の作品構成と筆致は巧みだなと思う。受賞作になったのもうなずける。

 本作のプロローグとエピローグは普通の小説からすると、いわばそれぞれ一章分に近いと思えるボリュームがある。それによって、本作は時間軸の展開が入れ子構造のストーリーとなっている。さらに、その入れ子構造の時間経過に、本作のモチーフの巧みさが組み込まれている。読者を感動させる要因がそこにあり、かつバーナード・リーチの最晩年の一コマを描き出してもいる。

 ストーリーの入れ子構造の時間軸の経緯と、最小限の経緯をご紹介する。
 <プロローグ 春がきた>
 1954年(昭和29年)4月時点。バーナード・リーチが大分県の小鹿田(オンダ)という陶芸を生業とする集落を訪れる。受け入れを坂上一郎が代表として行い、小石原の出自で、坂上一郎を師匠として修行に入り、まだ日の浅い高市(コウイチ)がリーチ先生の世話係となる。リーチ先生は小鹿田に3週間ほど滞在し、陶工の指導と己の作品づくりをする。最初の2日間だけ、河井寛次郎と濱田庄司が同行してきた。
 窯の焚き口の近くで、高市はリーチ先生から、父親の名は沖亀乃介かと質問される。

 第1章から第5章は、時間軸が明治末近くを起点に始まっていく。
 <第1章 僕の先生>
 1909年(明治42年)4月時点。横浜の食堂で給仕をしていた14歳の亀乃介が、高村光太郎より差し出された住所を記した紙片をきっかけに、17歳で東京の彫刻家・高村光雲邸の住み込み書生になっているところから始まる。そこに、英国で高村光太郎と知り合ったバーナード・リーチが高村光雲邸を訪ねてくる。リーチと亀乃介の出会い。リーチは芸術において英国と日本の架け橋となりたいという大志を抱いて来日した。確たる方針はないままに。リーチはまずはエッチング教室を始める。亀乃介はこの時点からリーチ先生の弟子となる。

 <第2章 白樺の梢、炎の土>
 1910年(明治43年)6月時点。リーチのロンドンでの美術学校時代の親友、レジナルド・ターヴィーが、母国へ帰る途中に、来日する。その折り、富本憲吉が帰国途中でターヴィーと交流。それで光雲邸にターヴィーを導くことになる。そこから濱田とリーチならびに亀乃介との交流が始まる。
 エッチング教室開催を契機にし、リーチと白樺派を結成した人々との交流が始まる。亀之介は横浜で耳から修得した英語力でリーチ先生の通訳を担当し、白樺派の人々とも知り合う。同人誌「白樺」の編集長を柳宗悦が担当したことで、リーチと柳との交流が始まり、リーチと柳が生涯の友になって行く。その親交の経緯が明らかになる。
 リーチと亀乃介は富本憲吉に誘われて芸術家下村某の主催する会で絵付けを体験する。この陶芸初体験が、リーチを陶芸の世界に導く。勿論亀乃介も同席するので、亀之介自身もまた陶芸の魅力に引きこまれていく。

 <第3章 太陽と月のはざまで>
 1911年(明治44年)7月時点。尾形乾山の6代目を名乗る浦野光山のもとに通い、陶芸を始める。それがろくろの神秘を知る契機に。リーチは七代尾形乾山を襲名するまでに至る。が、その後、リーチは北京に引っ越すという決意に至り、亀乃介に告げる。リーチが日本に戻るまでの顛末が、一つのエピソードとなる。
 我孫子の手賀沼を望む高台にある柳宗悦邸に、柳の支援のもとでリーチが工房を構え、庭に窯を完成させる。初めて窯に火を入れた時の状況。濱田庄司がリーチに会いに来る顛末。第11回目の窯焚きで工房が火事となる事態。と、ストーリーは進展していく。
 リーチは陶芸の世界に深く入って行くことに。火災の原因となった窯からの作品の取り出し場面が感動的である。

 <第4章 どこかに、どこにでも>
 1920年(大正9年)6月時点。リーチの滞日11年目。「我孫子窯」の全焼後、黒田清輝子爵の好意を受け、麻布の邸内に、リーチは新たに工房と窯を造り、再スタートする。この頃、柳宗悦は陶器の持つ「用の美」に着目し「民陶」の美を主唱し始めていた。
 濱田は「アーツ・アンド・クラフツ」の実践をリーチ先生が実践していると理解していた。「無名」の職人としてではなく「有名」な芸術家として陶芸に取り組んでいるのだと。濱田と亀乃介にとり、リーチは理想の陶芸家だった。
 リーチはイギリスに帰国し、イギリスのセント・アイヴスで工房を開くという決断にたどり着く。濱田と亀乃介はリーチに同行し、工房の開設への協力という役割を担うことに。亀乃介はどこまでもリーチ先生の弟子として随行する決意を示す。
 セント・アイヴスの西、ランズ・エンドで陶芸創作の根幹となる土を発見するまでの経緯が描かれていく。この陶土発見がやはり感動的な場面である。

 <第5章 大きな手>
 1920年(大正9年)12月時点。セント・アイヴスでの工房と登り窯の建設から工房での作陶が一応軌道に乗るまでの状況が描かれていく。工房はリーチ・ポタリーと名付けられる。2年で、リーチ・ポタリーは著しく成長し、セント・アイヴスの産業として陶芸が認められるまでになる。リーチは、地元とロンドンで個展を開き、知名度が増していく。
 亀之介がセント・アイヴスで心に思うシンシアとやすらぎのある清々しい交際を始める。微笑ましいが哀しくもあるこのエピソードが織り込まれていく。
 濱田はロンドンで個展を開き、その作品が認知されるに至る。
 1923年秋、河井寛次郎から東京で大震災ありと、ひと言の電報が届く。これを契機として濱田は帰国の決意をする。亀乃介は迷うが、リーチ先生の言葉に押されて、濱田とともに帰国することに・・・・・。
   
 このストーリーが、興味深いと私が思うのは、リーチ先生と柳宗悦、濱田庄司、富本憲吉、河井寛次郎、白樺派の文豪たちとの親交・人間関係を、亀乃介の視点から叙述していりことである。リーチ先生の弟子となった亀乃介が、英語の通訳という役割を介して、これらの人々との人間関係の中に自然に加わり、皆から一員と見做されていく。それ故、亀乃介の思いと視点からの描写に全く違和感がない。リーチ先生と亀乃介の関わりが、リーチの人柄をよりイメージしやすくさせていく。
 「本作は史実に基づいたフィクションです」と巻末に明記されている。歴史上で名を残す作家・陶芸家など錚錚たる人々が実名で登場する。その中で、沖亀乃介と息子の高市は、フィクションとしてこのストーリーに織り込まれた人物のようだ。実に大胆な構想と設定だと唸りたくなる。だが、それが実に自然なのだ。リーチにとって欠くことのできない人、日本でのリンキング・ポイントとなっている。バーナード・リーチを西の太陽とすれば、沖亀乃介は東の月。このストーリーで二極を構成していると言える。実在するバーナード・リーチの人生の一側面を伝記風に語りながら、沖亀乃介の人生を描き出している。その亀乃介の思いが息子の高市に引き継がれるという形で・・・・。もう一人沖亀乃介の人生が、伝記風に実に自然にフィクション臭を感じさせずに織り込まれている。あたかもリーチと亀之介が、陶芸という一筋の道を一体として歩んだかのように。日本においてリーチを支えた様々な名も無き人々を一人の人物として著者が創造したのだろうと思う。

 エピローグは、エピローグは1979年(昭和54年)4月時点を描いてゆく。上記の引用とこのこと以外は触れないでおこう。
 あたかも、このエピローグを描くために、プロローグと第1章~第5章が準備されたとすら感じさせる。感動が湧出してきて、涙せずにはいられなくなった。

 亀乃介の視点を介して記されるバーナード・リーチの思いを2つ引用する。
*古きを重んじ、手仕事の中に芸術を見いだす。そういう日本の風土や文化が、イギリスと似通っているのだ、とリーチは言った。  p298
*富本の作品に対してリーチが感じたのは、清潔で、明るく、影のない、前向きな印象。それそのまま、富本自身の性質を映しているかのようだった。
 しかしながら、リーチは、自分自身の目指しているのは富本が創るものとは違うのだ、と気がついた。
 自分が創りたいのは、何か、もっとあたたかみのあるもの、言葉にはできないような、やわらかく、やさしさのあるもの。富本の創るものにはきっと似ていない。けれど、それでいいのだ。   p305-306

 リーチ・ポタリーの隣同士の部屋の薄い壁を介して、濱田と亀乃介が対話する場面で、こんな文章が記されている。本作の根底に流れている思いに重なっていると思う。
*わからないことは、決して恥じることではない。わからないからこそ、わかろうとしてもがく。つかみとろうとして、何度も宙をつかむ。知ろうとして、学ぶ。
 わからないことを肯定することから、すべてが始まるのだ。  p502

 柳宗悦邸の庭に設けられた我孫子窯で、リーチと亀之介が初めて窯の火焚をして一日目の徹夜をしたときの描写が素敵だと思う。これもご紹介しよう。

*ーーー ああ、なんてきれいなんだろう。
 すすで黒くなった顔を空に向けて、亀乃介は息を放った。
 新しい空気。新しい朝。新しい一日が、いままさに、始まる瞬間。
 静かに昇り始めた太陽と、次にやってくる夜のために休息をとらんと沈みゆく月。
 二つが同時に空に浮かぶ、そのはざまに、誰もが立っていた。
 かすかに赤く輝く火の粉が、明るくなった空に高々と舞い上がっている。もうもうと黒い煙が太陽と月のはざまに立ち上がっている。  p320

 この景色を眺めるのは、リーチと亀乃介、そして柳宗悦、同じく我孫子に住む武者小路実篤と志賀直哉である。

 改めて、本作に出てきたバーナード・リーチ、濱田庄司、河井寛次郎、富本憲吉たち陶芸家の作品を間近に鑑賞したくなってきた。さらに、柳宗悦が「用の美」を発見し主唱した「民陶」の作品群を。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
バーナード・リーチ   ウィキペディア
バーナード・リーチ作品  :「日本民藝館」
バーナード・リーチの民藝精神を担う後継者と工房  :「CDC」
セント・アイヴス   :ウィキペデキア
柳宗悦        :ウィキペデキア
民藝運動の父、柳宗悦 :「日本民藝協会」
柳宗悦と日本民藝館  :「日本民藝館」
思想家紹介 柳宗悦  :「京都大学大学院文学研究科・文学部」
濱田庄司記念益子参考館 ホームページ
濱田庄司       :ウィキペディア
濱田庄司作品       :「日本民藝館」
濱田庄司の略年表   :「とちぎふるさと学習」
旧濱田庄司邸     :「益子陶芸美術館」
富本憲吉       :ウィキペデキア
陶芸家 富本憲吉作品コレクション   :「奈良県」
富本憲吉《色絵金銀彩四弁花染付風景文字模様壺》1957年   YouTube
民藝~濱田庄司、富本憲吉、バーナードリーチ・用の美を極めた作品を紹介 YouTube
河井寬次郎記念館  ホームページ
河井寬次郎 :ウィキペデキア
「河井寛次郎記念館」民藝はじまりの地、京都で訪れたい聖地へ:「Discover Japan」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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『小説伊勢物語 業平』  高樹のぶ子  日経BP 日本経済新聞出版本部

2023-11-19 17:46:27 | 諸作家作品
 11月初めに『小説小野小町 百夜』が目に止まり読んだ。読後印象をまとめている。この本の奥書を読んで、『小説伊勢物語 業平』が出版されていることを知った。そこでタイトルに興味を抱き読んでみた。『伊勢物語』は文庫本で手許にあるのだが、部分読みしてきただけで、通読できていない。伊勢物語を取り上げて、在原業平をどのように小説として描くのか。そこに興味があった。『伊勢物語』を読む動機づけにもなれば、一石二鳥という気もあったので。
 本書は、日本経済新聞夕刊(2019年1月4日~12月28日)に連載された後、2020年5月に単行本が刊行されている。

 手許にある学習参考書『クリアーカラー 国語便覧』(平成25年第4版第3刷、数研出版)を参照すると、「作者は未詳。在原業平と縁のある人によって、『古今和歌集』が成立した905年以前に原型が書かれ、その後増補され、10世紀後半に現在の形にまとまったと考えられる」と説明されている。なお、在原業平が作者とする説もあるという。
 和歌と散文を融合させた歌物語というジャンルが、平安時代前期に『伊勢物語』により開拓された。
 本文は、「むかし、をとこ、」「むかし、をとこありけり」という書き出しで始まる章段が多く、「在五中将」という語句もでてくる(第63章段)。この「をとこ」は9世紀の歌人在原業平をさすと考えられてきた。
 現在通行する『伊勢物語』は、手許の文庫を見ても、本書の著者「あとがき」をみても、13世紀に藤原定家が書写した125章段の物語が基になっている。定家本と称されるそうだ。異本も存在する。

 「あとがき」の言葉を使えば、著者は「125章段をシャッフルし取捨選択し、時間軸の糸を通し」(p456)て在原業平の一代記を小説にするということにチャレンジした。その結晶が本書である。「最終的には私の業平像を創るために、蛮勇をふるうことになりました。やがて彼の人生を辿るというより、彼自身が歌でもって私を誘い、先導してくれたのです」と著者は述べている。
 著者は、2020年10月に『伊勢物語 在原業平 恋と誠』(日経プレミアシリーズ)を上梓している。今から、ゆっくりしたペースで読もうと思っているところだが、その「はじめに」に「業平は千年以上もの長いあいだ、間違ったイメージで語られてきたのではないかと思います」と記す。業平は単純なプレイボーイ、女好きの貴族ではなく、「女性に寄り添い、女性の身になって受け止める感性が備わっていることが解ってきました。いえ、業平の中には女性が存在していたと言ってもよい」(p8)とすら述べている。これを読み、著者の業平像になるほどと感じるところがある。

 本書もまた、業平の歌を中軸に据えながら、業平の人生がそれらの歌に融合していく形で具象化されていく。始まりは「初冠」と題する章。業平15歳で初冠(ウイカンムリ)の儀式を終えたばかりの時、乳母(メノト)山吹の長子・憲明(ノリアキラ)を伴として春日野で鷹狩りに興ずる場面から始まる。春日野のある一家の柴垣から垣間見た姉妹に、業平が狩衣の前裾の布を引き裂き、歌をしたためて、憲明に文使いさせる。その歌が
  春日野の若紫のすり衣
    しのぶのみだれかぎり知られず
これが本書で業平の第1首として出てくる。
 本書の最終章は「つひにゆく」。業平の臨終に至る様子が描かれる。その臨終に際して業平が詠んだ歌が、
  つひに行く道とはかねて聞きしかど
    昨日今日とは思はざりしを     である。

 『伊勢物語』(岩波文庫)を参照すると、第1章段は、「むかし、をとこ、うひかぶりして、平城の京、春日野の里にしるよしして、・・・」と始まり、最初にでてくる和歌が、
  かすが野の若紫のすり衣しのぶのみだれ限り知られず   である。
 第125章段は、本文わずか二行。
「むかし、をとこ、わづらひて、心地死べくおぼえければ、
   つひにゆく道とはかねてきヽしかどきのふ今日とは思はざりしを 」

 『伊勢物語』とこの小説は、始点、終点について題名通りに整合性が合っている。
 第1章段の原文は9行。第125章段は上記の2行。一方、本書の「初冠」は12ページ。最後の「つひにゆく」は10ページのボリュームで、小説化されている。
 『伊勢物語』の内容がどのように、どの程度、取捨選択され、シャッフルされているのかは、『伊勢物語』を一部参照してみただけなので、今はわからない。
 しかし、本書は『伊勢物語』をいずれ通読してみたい大きな動機づけとなった。

 本書で、在原業平は、宮廷政治の世界には距離を置き、己の職務を着実に務めて殿上人の位の五位には至る。漢詩の世界には興味を示さず、和歌の世界に生き、次々と恋をする。紙と筆の中に行き、己が死んだ後も、己が生み出した歌は未来永劫残る、そのために人生を投入していく。業平の恋の遍歴は、歌という形に結晶化させていくための動因とすら思われる。

 業平の人生で大きな山場となる恋が2つある。一つは藤原基経の妹である高子(タカイコ)姫との出会いとその恋の顛末。為し遂げられずに終わる恋。後に高子姫は清和帝に入内する結果に。もう一つは、惟喬親王の妹・恬子(ヤスコ)内親王が伊勢の斎王となった後に、業平が伊勢の斎宮を訪れて恋に陥る顛末。一夜の恋が意外な結果を生んでいく。

 本書を読み、私には、業平と源融と、並びに業平と惟喬親王とのそれぞれの交流・人間関係が特に興味深かった。
 おもしろいと思ったのは、清和帝との間に貞明親王を産み、貞明親王が立太子されたことで御息所となる高子が、和歌を広めて行こうとする意思を示し歌会を催すことである。次の一節が出てくる。
「恋情の顛末を越え、いま高子様は業平を、歌詠みとして高く評してくださっている。畢竟、残るは歌のみ。身は枯れて土となり果てても、歌は残る。言の葉に乗せた思いのみ、生の身にかわり生き残る。
 唐より来た文字の真名には、唐の思いが宿るが、仮名にて詠まれるこの国の和歌は、この国の人の思いとして伝わり残るのを、あの高子様が感得されておられるのです」(p406)
 もう一つおもしろいと思う設定がある。それは、清和帝から陽成帝に皇位が継承されることにより、伊勢の斎王となっていた恬子内親王が任を解かれて、帰京する。帰京後恬子内親王は出家し尼僧になってしまう。だが、斎王の時代に仕えてくれていた伊勢の方(杉子)を恬子は業平に託す。杉子は業平の下女として仕えると宣言し、この伊勢の方が業平の晩年を看取ることになる。この最後の設定に、著者の一つのロマンを感じている。

 在原業平を具体的にイメージ化する一つの架け橋として、楽しめる小説である。
 
 著者は本書の末尾近くで、「業平は、飽かぬことを哀しと思いつつ、それが生きることの有り難さだと、深く感じ入り目を閉じるのでした」と記す。「飽かず哀し」が業平の心を知るキーワードと捉えている。この事に触れておきたい。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
在原業平   :ウィキペディア
在原業平年表      :「e-KYOTO」
在原業平 関係人名辞典 :「e-KYOTO」
在原業平邸址 :「フィールド・ミュージアム京都」
在原業平   :「千人万首」
元祖イケメン?『伊勢物語』の在原業平ってどんな人?3分で解説! :「和楽」
[平安時代のプレイボーイ在原業平] 伊勢物語をサクッと読む!:「歴人マガジン」
「なりひら桜」に逢いに、在原業平ゆかりの十輪寺へ :「朝日新聞DIGITAL」
在原業平(ありわらのなりひら)と皐月の前(さつきのまえ):「志木市」
『在原業平(ありわら の なりひら)と八尾』  :「八尾市」
在原の業平園  :「滋賀県」
貴族・歌人の在原業平を偲ぶ。業平忌/不退寺   :「NARA」

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『小説小野小町 百夜』   高樹のぶ子   日本経済新聞出版社

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『硝子の塔の殺人』  知念実希人   実業之日本社

2023-11-14 20:33:59 | 諸作家作品
 たまたま、新聞広告で眼に止まり、このミステリー小説を読んでみる気になった。私にとっては初作家作品となる。時折、今まで読んだこと無い作家の作品を一度は読んでみようと試みている。その一冊。
 本書は、当初「アップルブックス」(2021年6月~7月)に連載、配信されたものに加筆、修正されて、2021年8月に単行本が刊行された。

 本書末尾に載る島田荘司著「『硝子の塔の殺人』刊行に寄せて」と本文の記述を参照すると、本作品は、1980年代後半から1990年代前半にかけて島田荘司、綾辻行人、法月綸太郎、有栖川有栖などが生み出してきた新本格ミステリーと称されるミステリー小説の系譜に連なる作品のようだ。

 長野県北アルプス南部の蝶ヶ岳中腹という山奥に建つ円錐状の硝子の尖塔。その硝子館がこのミステリー小説の舞台となる。硝子館の所有者・主人は神津島太郎。硝子館の主人を含めてこのストーリーに登場するのは総計10人。
 冬期の山奥に孤立した硝子館の主人に招待されて人々が硝子館に集合する。連続して3人がそれぞれ密室状態の空間で殺される事件が発生する。密室型連続殺人事件である。犯人はそこに集合した人々の中に居るはずだというミステリー。事件の謎解きが終わるまでの4日間の経緯が描かれる。

 著者はストーリーの中心人物、一条遊馬に「昔からミステリ小説を読むことが好きだった。特に本格ミステリと呼ばれる、幻想的なまでに不可能な謎を、探偵役が論理的に解き明かしていく物語が」(p11)と本格的ミステリの意味を語らせている。

 総計10人の登場人物は癖のある人々が多い。この円錐形の11階建て硝子館には主人の部屋を含めて部屋は10室あり、壱から拾まで漢字で番号が振られている。最上階は展望室であり、主人のコレクション収蔵庫になっている。地階は発電室・冷凍室・倉庫・メインキッチンが配置されている。

 まず、登場人物を簡略にご紹介しよう。( )内は硝子館内の部屋番号であり、10階から2階まで、壱から拾の番号の部屋がある。2階だけが2室(玖、拾)となる。

神津島太郎(壱): 舘の主人。数年前に退任するまでは帝都大学生命工学科の教授。
          遺伝子治療の歴史を変えた画期的な製品、トライデントを開発し
          た。毎年数十億の特許使用料を手に入れる富豪になった。
          神津島は、「この硝子館は、トライデントを細部まで完璧に再現
          して私が作らせた」(p36)と一条遊馬に話している。
          本格的ミステリに惹かれ、自分でもミステリ小説を書く。私は綾
          辻行人になりたかったとも語る。11階の展望室に世界中からミス
          テリ小説絡みの希少品をコレクションしている。重度のミステリ
          フリークにして世界有数のコレクターである。
          一方、潮田製薬のALS(筋萎縮性側索硬化症)関連新薬差し止
          めの訴訟を起こしていた。トライデントの特許への侵害だと。
          
老田真三(拾) : 執事。住み込み。

酒泉大樹(参) : 料理人。神津島の依頼を受けた時にだけ出張してくる。
          料理費用の予算制限がないので、ここでの仕事を気に入っている。          一方で、硝子館が建築基準法とか火災予防条例とかを完全に無視
          していることを知っていて、ここでの料理作業に恐怖感も持つ。
          メイドの巴円香に好感を抱いている。

巴円香(陸)  : メイド。住み込み。

加々見剛(弐) : 長野県警捜査一課の刑事。密室殺人事件の発生においては、専ら
          殺人現場の物理的維持保全を最優先させる。警察の到着までは極
          力現場の状態に手出しさせない。また自ら捜査しようとはしない。

一条遊馬(肆) : 神津島の専属医。週に2,3回硝子館に診察に来館。招待客の一人。
          妹を介護する必要から半年前に専属医に。普段は麓の街に住む。

碧月夜(伍)  : 名探偵を自称。連続密室殺人事件の謎解きは己の役割と活躍する
          複雑で不可思議な事件、警察でも解けないようなミステリアスな
          難事件だけを扱うと公言する。ここでも事件の謎解きを主導的に
          行う。警察内部でも有名人になっていると加々見が言う。

夢読水晶(漆) : 霊能力者。霊能力を使い事件を解決するというテレビ番組「霊能
          探偵事件ファイル」に定期的に出演。

久流間行進(捌): 本格ミステリ界の重鎮。神津島が硝子館で重大な発表をするとい
          うことで招待された一人。数年前に、久流間が講師を務める小説
          講座の受講生に神津島が加わったことで知り合い関係ができた。
          神津島の書く小説はオリジナリティが欠如すると評価している。
          神津島コレクションと硝子館自体への興味から招待を受けた。
          
左京公介(玖) : 雑誌「月刊 超ミステリ」の編集者。
          10年以上前にこの地方で起きた「蝶ヶ岳神隠し」と呼ばれた連続
          殺人事件の特集を組んだ。その折、神津島を訪れて懇意になって
          いた。また、神津島の書いた推理小説の出版を投げかけられ、そ
          の対応に苦慮してもいた。


 さて、ストーリーのプロローグは、一条遊馬が展望室でつぶやく場面から始まる。名探偵により真実が暴かれ、遊馬が犯人だとして展望室に拘束されている。『硝子館の殺人』は既に幕を下ろしたのだと。アレ!と思う始まりである。

 ストーリーは硝子館内での4日間という時空間を扱う。
 <一日目>の最初は招待された人物たちの相互交流が始まり、相互のプロフィールが大凡わかる導入部となる。その場面から一挙に一条遊馬が神津島を毒殺する経緯へと転じていく。勿論、この経緯は遊馬の視点から描かれていくので、読者にとっては密室殺人ではない。結果的に遊馬以外の人々には密室殺人現場が形成されていたという認識になる。
 遊馬は、神津島から、久流間行進の代表作『無限密室』で使われたフグの肝臓を粉末にした猛毒を新しくコレクションに加えたと見せられていた。遊馬は展望室に収蔵されたその猛毒を使う。神津島が午後10時から重要な発表を皆に行うと告げていた時刻より少し前に、壱の部屋で、神津島を毒殺する。遊馬は、死体が発見される時点で、現場目撃者の一人に加わり、医者として死亡確認し、心筋梗塞の再発と宣告して終えられるというシナリオを描いていた。
 壱の部屋に皆が集まった時点で、名探偵と自称する碧月夜は可能な範囲で独自に証拠を収集し始める。加々見は死体に誰も近づけず、殺人現場の維持に専念し、この部屋を封鎖してしまう。神津島はダイイングメセージを遺していた。
 ホールで警察に連絡を入れていた老田は加々見に携帯電話を渡す。通話を始めた加々見は、道路が雪崩により通行止めになったことにより、3日後の夕方まで来れない事態になったと皆に告げた。
 1階のシアター室で、碧月夜は皆の前で早速ダイイング・メッセージの解読を行なったのだ。神津島のシナリオが狂い始める。遊馬は己が疑われないように対処し始める。遊馬の対応の仕方の変化が読ませどころの一つになる。

 <二日目>は、午前6時に月夜が遊馬の部屋を訪れてきて、専属医としての一条の話を聞きたいと言う場面から始まる。その話し合いの途中で、1階のダイニングで火災発生の警報が流れる。ダイニングの火災はスプリンクラーの作動で鎮火した。しかし、そこには執事の老田が胸を幾度も刺された遺体があった。ダイニングのドアは内側から閂をかけるだけの形式で、外からは開けられない。人々はドアを壊して中に入った。
 老田が被害者となり、硝子館で連続殺人事件が発生したことになる。人々とっては2つめの密室殺人事件だ。老田の遺体の傍のテーブルクロスには、『蝶ヶ岳神隠し』という文字が老田の血で書かれていた。
月夜と会話中であった遊馬が犯人でないことは明白だが、遊馬にとり一層不利な状況が生まれたことになる。

 <三日目>に、今度は1階のサブキッチンで火災発生の警報が響く。そこには誰も居なかった。その場に巴円香の姿が見えず、逆に異常さを感じて、巴円香の陸の部屋に全員が向かう。ドアはロックされていた。金庫からマスターキーを取り出してきて、円香の部屋に入ると、ベッドに横たわった状態の円香の遺体が発見された。心臓を刺されていた。円香はなぜか、展望室に飾ってあった「シャーロック 忌まわしき花嫁」の撮影で使われた衣装を着ていた。なぜ、ウェディングドレスなのか。ついに第3の密室殺人事件が起こった。

 遊馬は、連続殺人事件の思わぬ発生から、己の毒殺行為をこれらの連続殺人犯に転嫁できないかと考え、行動を開始する。
 名探偵碧月夜の謎解きは、証拠が累積していくにつれ、加速していく。
 思わぬ状況が見え始める。

 壱の部屋の現場を調べに行き、新たな事態に遭遇する。遊馬が毒殺したはずの神津島の遺体の上にA4のコピー用紙が置かれ、遺体に武骨なナイフが深々と突き立てられていたのだ。なぜ、この犯行が必要だったのか。誰が実行したのか。

 三日目の最後に、全ての謎が解けたと言い、名探偵が高らかに宣言する。
「私は読者に挑戦する。この『硝子館の殺人』の真相を導くために必要な情報は、すべて開示された。犯人は誰なのか、いかにしてあの不可思議な犯行を成し遂げたのか、ぜひそれを解き明かして欲しい。これは、読者への挑戦状である。諸君の良き推理と、幸運を祈る」(p342)と。
 まさに、これが新本格ミステリーというところか。

 <最終日>、碧月夜は生き残った人々をダイニングに午前6時半に集合させ、密室連続殺人事件の謎解きを始めていく。ここで遂に遊馬が神津島を毒殺したことが明らかになる。そして、他の事件の犯人と目される人物もまた・・・・・。
 結果的に、遊馬はプロローグに描かれた状況に陥る。展望室に拘束されることに。だが、そこで遊馬はある真実に気づく。
 名探偵碧月夜は真相を導くための情報を明解な論理的解釈により謎解きをした。読者もまた納得せざるをえない。だがこの幕を下ろしたかに見えた事態が、大きく様相を異にした解釈に至るのだ。
 「この硝子館は、トライデントを細部まで完璧に再現して私が作らせた」(p36)という神津島の言が解釈転換の梃子になる。新たな論理的解釈が遊馬により実行されていくことに・・・・・。
 
 それぞれの密室殺人事件が、一つ一つ小さな山場として解釈され、それらを貫く全体の論理的解釈と謎解きという大きな山場へと碧月夜の解釈が実行されていく。だが集積された情報について視点を変えて見直すと、思わぬ事実解釈に転換していく。それを一条遊馬が行うのだ。何と言っても、最後のどんでん返しがおもしろい。まさにスリリングである。実に意外な展開!! 
 読み応えがある本格ミステリーになっている。お楽しみいただきたい。

 本書には一つの副産物がある。それは本格ミステリー小説の系譜について、一条遊馬と碧月夜の会話の中に、蘊蓄を傾けた話題として、その説明が頻繁に織り込まれていくことである。また、ミステリー小説の作品群の一部の発想がこのストーリーの中に応用されて織り込まれていく箇所もある。この領域で活躍してきた、あるいは活躍している作家名や作品名が頻出してくるところがもう一つのおもしろさとなっていく。これは、一条遊馬と碧月夜を媒介にした著者自身の蘊蓄の吐露なのだろう。そうならば、著者自身が相当なミステリーフリークではないだろうか。

 ご一読ありがとうございます。
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『奇跡の人』  原田マハ  双葉文庫

2023-11-11 18:05:55 | 原田マハ
 著者の作品を読み継いでいる。本書のタイトルを見た時、ヘレン・ケラーの名を自動的に連想してしまった。そのヘレン・ケラーに関連した本だろうかと想像した。読み始めて、そうではないことに気づいたしかし、この小説は、和歌でいえば、本歌取りともいえる創作である。本書は、2014年10月に単行本が刊行された後、2018年1月に文庫化されている。
 「奇跡の人」という書名に添えて、「The Miracle Worker」と文庫の表紙に併記されている。

 読後に改めて少し調べてみた。ヘレン・ケラー(1880~1968)は2歳の時に、視力・聴力・話す力の三重障害者となった。そのヘレンに寄り添ってヘレンの才能を開花させる助力者となる人が、ヘレンの家庭教師アン・サリバン先生である。14歳のときに救貧院を出てパーキンス盲学校に進学し、首席で卒業。幼い頃に感染したトラコーマによる眼病で視力が悪化し、弱視の状態だったと言う。ヘレン・ケラーはアン・サリバン先生を生涯の友とし、後に、ハーバード大学では盲ろう者で初めての学位取得者。アメリカの女流の社会事業家・著述家となる。ヘレンは1903年に自伝を出版し、ヘレン・ケラーとアン・サリバンとの人生を公にした。この自伝を翻案し、ウィリアム・ギブソンが舞台劇『The Miracle Worker』を生み出し、同名の映画『The Miracle Worker』が制作され、世に流布して行った。日本では「The Miracle Worker」が「奇跡の人」と翻訳されることになる。
 ここで原題は直接にはアン・サリバンその人を意味するという。しかし、奇跡の人と翻訳されたことから、奇跡の人=ヘレン・ケラーという受け止め方が日本で一般的となるに至る。勿論、三重苦を克服して社会活動を推進する人となったヘレン・ケラーも奇跡の人なのだが。

 さて、本書はフィクションという形で舞台を日本に移して創作された『奇跡の人』である。このストーリーでは、全体の構成が入れ子構造に組み込まれている。目次を示すと一目瞭然といえる。
 昭和29年(1954)2月  青森県北津軽郡金木町
 明治20年(1887)4月  青森県東津軽郡青森町
 明治20年(1887)6月  青森県北津軽郡金木村
 昭和30年(1955)10月  東京都日比谷公園

 文化財保護法の規定はこれまで重要文化財指定であった。昭和29年にそれを改正して、重要無形文化財、今では通称<人間国宝>と称される稜域。文化財に相応しい人間を指定する領域を制定すべきだと奔走する人物が登場する。民俗学の権威、小野村寿夫は、この人間国宝の候補者として推奨したい人物に再会するために、ながらく重要文化財指定に携わってきた文部省の役人柴田雅晴と雪深く寒さの厳しい金木町を訪れる。この場面描写から始まる。
 小野村は柴田を同行し、三味線の弾き手で、目の見えない狼野キワを訪ねて行く。そして、三味線を弾かないと拒絶するキワに、柴田の前で三味線を弾かせようと試みる。その際、小野寺は、キワに、あなたの三味線を私に紹介して下さった人物は、生きておいでです。あの「奇跡の人」は、と告げる。
 これがエピローグであるとともに、時が明治に遡っていく契機となる。

 主な登場人物を読後印象を含めてご紹介する。
[去場 安(サリバ アン)]
 明治4年(1871)、岩倉使節団の欧米派遣の折に、安は女子留学生の一人として渡米。
 安は弱視だったが、黒田清隆の知遇を得ていた父の命を受け、弱視を秘密にして9歳の折りに留学生に加わる。13年間をアメリカで過ごし、当時の女子がアメリカで受けられる最高級の教育を受けた。明治17年、22歳で帰国し、日本の女子教育の領域で活躍できる場を模索する。
 その安が伊藤博文から青森県の弘前での一人の少女の教育を引き受けてもらえないかという手紙を受け取る。その少女は、現在6歳。盲目で、耳が聞こえず、口が利けないと記されていた。安はこの依頼を引き受けり決断をする。弘前に赴く。
 上野から黒磯までは汽車が通っていたが、そこから弘前までは乗り合い馬車の乗り継ぎという時代である。まず安の決意に引き付けられるところから始まる。

[介良(ケラ)れん]
 長女。6歳。生後11ヵ月で大病を煩った結果、三重の障害者となる。
 大きな屋敷の奥まった位置にある蔵に、半ば閉じ込められ隔離された形で生活する。女中たちからも「けものの子」と呼ばれる形で扱われている日常だった。その扱われ方も、動物と同様の扱い。蔵の中は、乱雑そのもの。手づかみで物を食べ、あちこちに垂れ流す。時に叫び、暴れ回るという状態。女中たちから虐待も受ける。
 読み進めるにつれて、れんの生活環境のすさまじさと安の取り組み姿勢が、このストーリーへの感情移入を促進していくことになる。

[介良貞彦]
 れんの父親。弘前の名家の家長。男爵。貞彦はいずれ政界への進出を考慮している。
 三十苦の娘をこのまま生かしていいのかどうか、私にはわからないと安に言う。
 れんと一緒に食事することはあり得ない。想像するのも不愉快とすら語る。
 貞彦の望みは、れんに人間らしくなってほしいという一点だけだと、安は認識する。
 介良貞彦の言動から明治時代における名家と呼ばれる家の家父長制の状況を感じ取れる。一家の中で絶対的な権力者なのだ。家長であるれんの父貞彦への安の対応が興味深い。安は己の信念を崩さずに突き進む。読者として一層感情移入していくことになる。

[介良よし]
 れんの母。夫貞彦の方針の下で、何も言えない立場。れんが不憫であり、愛情を注ぎたくても、対処の仕方もわからず、懊悩しつづける存在。専ら安に期待を抱く。

[介良恒彦]
 介良家の長男。21歳。東北きっての権勢を誇る介良家の嫡男であるが、れんのうわさがもれ伝わっていることから、縁談話が悉く破断となっている。れんの存在が己の人生の障壁になっていると感じていて、憎しみすら抱く心境に居る。「妹がせめて口でもきけるようになってくれねば、私は一生妻を娶ることもかなわぬでしょう」と初対面の安に語る。

[ハル]
 安が介良家に着いた後、安の世話係に指名された介良家の女中。安の世話をし、安の手足ともなって行く女中。れんの教育に関連して安にあるアイデアをも語るようになる。。 安はハルを頼りにしていたが、思わぬ恐ろしい事件の発生後、ハルは辞めていくことになる。

[ヒサ]
 高木村にある別邸を維持管理する女中。別邸での安がれんに教育するプロセスを見守り、協力する。

 このストーリー、安が女中を含めて介良家でけものの子と蔑まれているれんを、さまざまな軋轢の中でどのように人間として教育していくかのプロセスを描き出す。安はれんの生活環境を変革しつつ、れんと一緒に生活する。安は教育目標を立て、試行錯誤と悪戦苦闘を繰り返しながら、れんの教育を一歩一歩着実に進めようとする。時には事態が揺り戻され、元の黙阿弥に近くなることすらある。読者はこのプロセスに引きこまれ感情移入していくことだろう。まさに、私はそうなった。涙する場面がいくつか重なっていくとだけ述べておこう。

 安のれんに対する教育環境は二転する。その内の最初の段階と場所を変える二段階目がこのストーリーのメインになる。一転する前に、れんへの教育が座礁しかける危機に遭遇することにもふれておこう。
 第一段階は、介良家の蔵での教育プロセス。一転しての第二段階は金木村にある介良家の別邸での教育プロセスである。さらに二転して、安とれんは介良家の本邸に戻ることになる。戻った初日の劇的な場面でこのストーリーはエンディングとなる。
 金木村の別邸で安が実行するれんに対する教育プロセスの中で、少女の頃の狼野キワが、れんと関わりをもつ一時期が生まれる。当時10歳のキワは、津軽地方ではボサマと称される門付け芸人の子として、別邸の前で三味線を弾き歌を歌うことにより、れんと安の二人に出会う。それがはじまりだった。それからの進展は本書をお読みいただきたい。

 安がれんの教育目標を当初順次どこに設定していったかに触れておこう。
1.「はい」と「いいえ」、「ある」と「ない」の概念を理解させる。
2.「やっていいこと」「悪いこと」を徹底的に教え込む。
3. この世のすべての物には言葉があり、意味をもつことを知らせる。
 
 れんの母よしと安とのやりとりで、こんな会話を交わす時がある。
 「なぜ、先生は、そんなに、あの子を信じてくださるのでしょうか・・・・」
 「わたしにはわかるのです」
 「れんは、不可能を可能にする人。・・・・・奇跡の人なのです」    p164-165
著者は、れんを「奇跡の人」と母のよしに答えている。本書のタイトルでは、れんその人をさしていることになる。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
ヘレン・ケラー  :ウィキペディア
ヘレン・ケラーの生涯 :「東京ヘレン・ケラー協会」
アン・サリヴァン :ウィキペディア
偉大な家庭教師アン・サリバンが求めたもの:「ハートネット」(NHK)
社会活動家 アン・サリバン :「OZYO オージオ」
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか」-サリバン先生の記録-  :「カニジル」
人間国宝      :ウィキペディア
津軽じょんから節  :ウィキペデキア
津軽三味線 高橋祐 津軽じょんがら節 イタリア公演  YouTube
津軽三味線組曲  高橋竹山  YouTube

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『20 CONTACTS 消えない星々との短い接触』  幻冬舎
『愛のぬけがら』 エドヴァルト・ムンク著  原田マハ 翻訳  幻冬舎
「遊心逍遙記」に掲載した<原田マハ>作品の読後印象記一覧 最終版
    2022年12月現在 16冊

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