遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『くらまし屋稼業』  今村翔吾   ハルキ文庫 

2024-07-16 15:07:26 | 今村翔吾
 2018年7月にハルキ文庫(時代小説文庫)刊の新シリーズとして始まった。手元の文庫は2021年12月刊の第10刷。本書は、ハルキ文庫の書き下ろし作品である。

 一般的には、内表紙、目次と続き、プロローグや序章という体裁でストーリーが始まる。本書の体裁はちょっとひねってある、内表紙のすぐ続きに6ページの序章があり、その後に改めて内表紙・主な登場人物・目次(この中に先の序章の見出しも組み込まれている)・地図が続く。第1章が始まる前に、「くらまし屋七箇条」がでんと1ページに載る。以下の通りである。
  一、依頼は必ず面通しの上、嘘は一切申さぬこと。
  二、こちらが示す金を全て先に納めしこと。
  三、勾引(カドワ)かしの類いでなく、当人が消ゆることを願っていること。
  四、決して他言せぬこと。
  五、依頼の後、そちらから会おうとせぬこと。
  六、我に害をなさぬこと。
  七、捨てた一生を取り戻そうとせぬこと。
     七箇条の約定を守るならば、今の暮らしからくらまし候。
     約定破られし時は、人の溢れるこの浮世から、必ずやくらまし候。

 「くらます」とは、「(姿などを)誰にも気が付かれないように隠す」(新明解国語辞典・三省堂)という意味である。現在地での生活状況、生活空間からその存在を消してしまうという目的をサポートして実行させる役割を担うというのが、「くらまし屋」稼業ということになる。七箇条の約束を破棄すれば、「必ずやくらまし候」のくらましは、約束を反故にした本人を抹殺するという意味であろう、

 本作を読み始めて、真っ先に私が連想したのは、池波正太郎作『仕掛人・藤枝梅安』シリーズと、かつて、藤田まことが中村主水を演じたテレビ番組「必殺仕置人」シリーズだった。仕掛人・仕置人シリーズは、依頼を引き受けた相手を必殺するというストーリーである。本作は行方・存在をくらますのを手助けするというストーリー。
 1.依頼人のオフアー(特定の場所を経由)、2.依頼内容の詳細確認と合意、3.金銭の授受、4.依頼内容の実行、というプロセスは同じ。Xという対象者を必殺しその存在を消すのと、依頼人側の存在を隠し新たに生きるための援助をするのは、全く逆方向の展開になる。
 発想を逆転させたところがおもしろい。多分、池波作藤枝梅安が、このくらまし屋創作の根っ子にあるのだろうと思う。

 角川春樹事務所のホームページを見ると、このシリーズは現在8巻が刊行されている。これで完結かどうかは知らない。触れていないように思う、未確認。

 さて、この第1作に移ろう。
 第1作の読後知識として、このシリーズの主人公群像にまず触れておこう。
堤平九郎:表の稼業は飴細工屋。浅草など各所で露店を出している。くらまし屋本人
     元武士。タイ捨流を学んだ後、井蛙流の師につく。全てを模倣する流儀。
七瀬:日本橋堀江町にある居酒屋「波瀬屋」で働く20歳の女性。平九郎の裏稼業協力者
   智謀を発揮する
赤也:「波積屋」の常連客。美男子。演技と変装に長ける。平九郎の裏稼業協力者
茂吉:居酒屋「波積屋」の主人。常連客の平九郎の素性等を知る存在として描かれる。
   平九郎の裏稼業のために場所の提供を暗黙裡に了解。七瀬、赤也のことも承知

 少なくともこの第1作では、平九郎、七瀬、赤也がくらまし屋チームとして行動する。
 この第1作、まず依頼人がおもしろい、浅草の丑蔵から信頼の篤い子分の万治と喜八の二人である。丑蔵は浅草界隈を牛耳る香具師(ヤシ)の元締めで、高利貸しをはじめとして手広くしのぎを行っている。万治は丑蔵の子飼いの子分。喜八はその剣術の腕を見込まれ、丑蔵から信頼を得るようになった。万治はやくざ稼業での所業に嫌気がさし、日本橋にある馴染みの小料理屋「肇屋」に勤めるお利根と堅気になり一緒に暮らしたいと思うようになる。喜八は国元に帰らねばならない理由ができた。万治と喜八は肇屋で、互いの気持ちを知り合い、一緒に丑松を裏切る決心をする。
 二人は丑蔵のしのぎである高利貸しの集金業務を行った銭をそのまま持って江戸から逃げようと計画する。だが、ひょんなことから集金の途中で裏切りが暴露して、丑蔵の怒りを買い、丑蔵の命を受けた刺客たちに追われる羽目になる。
 二人は、高輪の上津屋を本拠とする香具師の大親分、録兵衛のところに逃げ込んだ。窮鳥懐に入れば・・・・を建前に、録兵衛は一旦二人をかばう。禄兵衛は丑蔵のしのぎなどの内情を聞き出したいという肚があった。丑蔵は勿論、執拗に万治喜八の行方を追跡する、禄兵衛の本拠地「上津屋」を襲い家捜ししても二人を捕まえたい形勢を丑蔵は示す。
 禄兵衛にとって万治と喜八が疎ましくなってくるのは道理。彼は二人に銭さえ払えば必ず逃げる手助けをしてくれる男を紹介するという。万治と喜八はその手段に合意する。そこで登場するのが「くらまし屋」の平九郎たちという次第。

 万治と喜八は上津屋に匿われている。上津屋は平静を装い続ける。丑蔵は配下の子分や浪人者を数十人規模で動員し、上津屋の周辺をくまなく監視しつつ、万治と喜八の存在を確認して引き立てようと構えている。さて、その状況下で、くらまし屋はどのように二人をくらます計画を実行するのか。ここに極めつけの方法が持ち込まれていく。この顛末は実におもしろい。読者を引きこんでいくエンターテインメント性が高く、実に楽しめる。この脱出シーンを映像化したら、おもしろいだろうなと思う。
 この脱出劇成功でめでたしめでたしにならないところが真骨頂。ひとひねりがあり、なるほどの読ませどころとなっていく・・・・。この先は語れない。

 このストーリー、万治の依頼によりくらます対象者にお利根が入っている。この時、お利根は肇屋に勤めているままの状態。丑蔵は遂にお利根が万治の女であることに気づいてしまう。くらまし屋の平九郎はお利根を如何にくらますか。くらましの第二段がつづくところが、この第1作の構想の妙でもある。この第二段の展開が凄まじい。

 この第1作で、著者はくらまし屋の裏稼業を単なるまやかし、絵空事に堕さないように、読者に合理性を感じさせるある手段を導入している。ひそかな仕組みをサポート体制として築いている。このあたりも読者を惹きつける一要因になると思う。くらまし屋にリアル感を加える。

 この第1作に、シリーズのテーマとして据えられていると思う記述箇所がある。引用してご紹介しておこう。
 「表と裏、裏と表、人は物事をそのように分ける。果たしてそれは正しいのであろうか。裏が生まれるのは、どちらかを表と定めるからではないか、
 まず人がそうである。如何な善人でも、己の守るべき者のためならば悪人になれる、喜八がそうであったように。それと同時に人を殺すのを何とも思わぬような悪人も、路傍に捨てられて雨に濡れる仔犬に餌をやることもある。
 どちらが表で、どちらが裏ということはない。人とは善行と悪行、どちらもしてのける生き物ではないか」(p272)

 最後に、次の文がさりげなく平九郎の思いとして記されている箇所がある。
「高額で人を買い漁る謎の一味。喜八にその話を聞いた時から、頭の片隅にずっと気に掛かっていた。平九郎が探し求めるもの、それの手掛かりがあるような気がしてならないのである」(p247)
「再会を誓って始めたこの稼業である。」(p269)
これらの箇所、このシリーズの根底になるようだ。このシリーズを貫いていく伏線だと思う。その意図するところを楽しみにして、シリーズを読み継ごうと思う。

 お読みいただきありがとうございます。


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『童の神』   ハルキ文庫
『恋大蛇 羽州ぼろ鳶組 幕間』  祥伝社文庫
『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』 上・下   祥伝社文庫
『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』 祥伝社文庫
『双風神 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社
                             以上
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『童の神』  今村翔吾  ハルキ文庫

2024-06-26 23:21:25 | 今村翔吾
 本書は第10回角川春樹小説賞受賞作品で、第160回直木賞候補作にもなった。2018年10月に単行本が刊行された後、2020年6月に文庫化され、時代小説文庫の一冊となっている。余談だが、著者は2022年、『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞した。

 本作の核心になるのは「童」という一字である。大和葛城山は土蜘蛛の棲む地とされた。土蜘蛛の長である毬人(マリト)が桜暁丸(オウギマル)にこの一字の意味を次のように語る場面がある。
 京人は「童」を「わらは」と読むが、我らは「わらべ」と読むと。それは奴を意味する言葉なのだと語る。”童という字は「辛」「目」「重」に分けることが出来る。「辛」は入れ墨を施す針、「重」は重い袋を象った字で、つまり童は目の上に墨を入れられ、重荷を担ぐ奴婢という意味らしい。「元からその地に住まう者、あるいは貧しい者。それらも一纏めにして京人はそう呼ぶ。京人の驕り、蔑みの証とも言える字よ。小さいかも知れぬが、その一字さえ屠ってやりたくなる」”と。(p204)
 「童」という文字は、当初奴・奴婢、つまり奴隷という意味で使われていて、それが後に平安・鎌倉の頃から「子供」を意味する言葉に転じて行った。この「童」の使われ方の原義を知ったことと、酒呑童子の名を目にした瞬間に、この作品が脳裡に一気に流れ込んで来たと、著者は「受賞の言葉」の中で述べている。

 古代より中央の政権に纏ろはない、反抗的な人々・集団は蔑称で呼ばれてきた。『日本書紀』に出てくる九州の熊襲、隼人はその例であろう。本作に登場する土蜘蛛も同様である。『古事記』にも登場している。
 本作には、京人が付けた蔑称として、夷、滝夜叉、土蜘蛛、鬼、百足、犬神、赤足、鵺などが出てくる。彼らが童である。本書のタイトル「童の神」とは、「童」の諸集団を結束する総大将的な立場に押し上げられて行った桜暁丸をさす。桜暁丸は、己たちの生き方を中央の政権に認知させようと試みた。だがその思いは潰える。  本作は、藤原道長の治政下において、京周辺に棲み朝廷側に服従しない集団が、朝廷側の軍団に殲滅されていくプロセスを、桜暁丸の半生と絡めて描いていく。
 朝廷側の軍団とは、道長の側近である洛中随一の武官源満仲とその配下である。満仲の嫡男は源頼光。部下には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が居る。相模足柄山の「やまお」と呼ばれる民であり、京人に「山姥」と蔑称されてきたが、朝廷側に下って配下となる道を選択した坂田金時が加わっている。同様に、犬神と夜雀も朝廷側の配下になっていた。

 桜暁丸は、最後には京の帝から、大江山の酒呑童子と称されるようになる。

 「大江山絵巻(酒呑童子絵巻)」が史料として残されている。これは大江山の酒呑童子を頼光、渡辺綱らが退治する物語として描かれている。大江山の鬼退治という伝承は世に知られた話である。
 平安時代の朝廷側と政権に従わない人々との間の戦い、当時の社会構造などの史実を背景に踏まえながら、本作は、ダイナミックなフィクションの世界に読者を誘っていく。被抑圧者側のやるせない思いがひしひしと伝わる作品になっている。

 序章は皆既日食が始まった状況の描写である。当時の人々はこのとてつもない現象に驚愕したことだろう。
 安部清明はこの自然現象の到来を予期し、それを利用する。どのように利用したかが重要な要になる。その一方で、己は京の中枢に秘やかに沈潜し、己の拠点を維持していく。この設定がまずおもしろい。

 第1章にまず安部清明が登場する。「天の下では人に違いはない」という境地に達したと記されている。この一文が本作のテーマになっていると思う。
 清明は天暦2年(948)に皐月と出逢った。それが契機で、二人の間には子が生まれた。如月と名付けられる。皐月は、愛宕山に居を構え、配下は100人を越える群盗「滝夜叉」の女頭目である。皐月は自ら平将門の子だと清明に告げる。京人は平将門を東夷と罵った。
 歴史年表を読むと、「安和2年(969)3月、安和の変(藤原千晴ら流罪、源高明左遷)という一項が記されている。著者はこれは、左大臣源高明が緊急朝議を開き、天下和同という自説を展開しようとした。その源高明に、国栖率いる葛城山の土蜘蛛、虎節率いる大江山の鬼、皐月率いる愛宕山の滝夜叉らが加担したと描く。源満仲の裏切りにより、高明の企ては頓挫した。安和の変である。
 土蜘蛛、鬼、滝夜叉たちの苦難が再び始まっていく。滝夜叉は落ちのび、摂津竜王山に拠点を移すことに・・・・・。

 第2章に桜暁丸が登場する。越後国蒲原郡の豪族で、先祖が朝廷に服属した故に、郡司を任命されている山家重房を父にして、天延3年(975)、皆既日食の日に生まれた。母は山口という浜に漂着した異人だった。その母は出産後、流行り病で死んだ。父は桜暁丸の姿形は母に似ているという。周辺の人々は、桜暁丸を禍の子と見なし、鬼若と密かに呼んでいた。
 桜暁丸は師となった老僧の蓮茂から学問と教練を学ぶ。1年後の寛和2年(986)に、暗雲が立ちこめる。この時国主は源満仲であり、重房が蒲原郡にある夷の村にも善政を行うやり方に対し、反対の立場を取り、重房を攻めてきた。攻めてきたのは、満仲の嫡男頼光、卜部季武、碓井貞光らである。このとき、蓮茂の素性が百足だと明らかになる。
 桜暁丸はこの時、父重房の説得と蓮茂の助力により、落ちて生き延びることになる。
 これが桜暁丸の波瀾万丈の人生の幕開けとなっていく。

 桜暁丸は京に上る。そして、花天狗と称される凶賊となる。夜回りする検非違使や武官しか狙わない。「金を返せ。返さぬとあらば抜け」金を差し出した者には危害を加えない。刀を抜いた者は斬り殺す。錯乱して素手で挑んだ者は殴り倒すという行動に出る。それが評判となる一方、追われる立場になる。
 花天狗の所業において、彼は渡辺綱、坂田金時らとの対決の出会いが生じてくるのは当然である。
 一方で、袴垂保輔との出会いが生まれ、保輔に助けられることから、その後の状況が大きく動いていく。まずは保輔の活動を手伝う事から始まって行く。義賊と称される保輔を身近で見聞し協力する。それが「童」と称される人々、集団との出会いへと広がって行く。
 民を騙すことに長けた中流貴族の藤原景斉の屋敷に盗賊に入ることを契機に、滝夜叉との連携が始まる。
 かつて保輔が助けた娘、穂鳥を再び保輔から託されて、大和葛城山の裾野を歩く途中で土蜘蛛との出会いが生まれる。土蜘蛛について、桜暁丸は蓮茂から教えられていた。
 土蜘蛛の頭領毬人との絆が、彼らの里である畝傍山での砦再構築を生むことになる。桜暁丸は、毬人の子である欽賀と星哉を同行し、この計画を為し遂げる。葛城山と畝傍山の二山の連携が始まる。
 この後、竜王山、大江山との連携を推進していくという展開になる。
 そして、桜暁丸がある経緯を経て大江山の鬼の頭領に推されることになるという次第。 ここに到る紆余曲折が、まず読ませどころになる。
 その先に、大江山、葛城山、竜王山を拠点にする童が京の朝廷側の軍と対峙していかざるを得ない推移がクライマックスへと読者を導いていく。

 「天の下では人に違いはない」という原理がなぜ実現しないのか。この不条理を鮮やかに描いている。

 酒呑童子と恐れられた桜暁丸が最後に麻佐利に告げる言葉、そこに彼の万感の思いが込められていると言えよう。
 「鬼に横道なきものを!!」
 
 ご一読ありがとうございます。

補遺
袴垂保輔  :「コトバンク」
藤原保輔  :ウィキペディア
源頼光の大江山酒呑童子退治  1089ブログ :「東京国立博物館」
作品解説 酒呑童子/大江山  :「兵庫県立歴史博物館」
大江山絵巻(酒呑童子絵巻)   :「徳川美術館」

土蜘蛛  :ウィキペディア
滝夜叉姫 :ウィキペディア
鬼とは何者? :「日本の鬼の交流博物館」
勇将・藤原秀郷(俵藤太)の伝承から見えてくる古代の製鉄民族と製銅民族との対立
                             :「歴史人」
 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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『恋大蛇 羽州ぼろ鳶組 幕間』  祥伝社文庫
『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』 上・下   祥伝社文庫
『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』 祥伝社文庫
『双風神 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
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『恋大蛇 羽州ぼろ鳶組 幕間』   今村翔吾   祥伝社文庫

2024-03-17 18:14:07 | 今村翔吾
 本書が現時点では羽州ぼろ鳶組シリーズ、文庫の最新刊。「幕間」という言葉が付いているように、このシリーズの本流からは少し外れている。本流は、前回ご紹介の『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』上・下巻で一区切りを迎えたようである。
 その後に本書が令和4年(2023)3月に文庫版で刊行された。

 本書はこれまでの書き下ろしの文庫と異なる。異なる点が2つある。
 1.本書に3つの短編が収録されていること。
 2.これら作品が『小説NON』(2022年1月号~4月号)に掲載された後に加筆修正されて、文庫刊行となっていること。

 さらに興味深いのは「幕間」という言葉が「羽州ぼろ鳶組」の後に付記されていることである。『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』の場合は、時を遡り、シリーズ以前の始まりを描き加えることで、『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』というシリーズ最長の長編を生み出した。それは松永源吾の火消人生において、憧れるシンボル的存在、伊神甚兵衛と訣別し、そのシンボルを乗り越えて行かねばならぬ立ち位置に己が居るということになった。これまでのシリーズの一区切りともいえる。
 その後にこの『羽州ぼろ鳶組 幕間』が刊行された。幕間は、芝居用語。「芝居で、劇が一段落ついて幕をおろしている間。芝居の休憩時間」(『新明解国語辞典』三省堂)ということだから、この語句をタイトルの一部に冠するということは、羽州ぼろ鳶組シリーズを、今後何等かの形で第二ステージに進展させる構想があることを期待させる。『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』の「あとがき」で著者がそれらしきことに触れていた。
 読者としては、そうあってほしい。

 さて、この『幕間』のご紹介に移る。
 本書は火消ワールドとして捉え直した立場から生み出されたエピソード集といえる。羽州ぼろ鳶組・新庄藩火消頭取、松永源吾と関係の深い火消仲間の方に焦点が移る。個別の火消の人生に光を当てて行く。松永源吾は、ここに取り上げられた火消たちにとって、彼らの内心に居場所を占める存在になる。ひとり一人の火消が主役となり、そこに源吾との接点がなにがしか織り込まれていく。今まで脇役として登場してきた火消がここでは主役となる。火消物語という火消ワールドへのステップアップと捉えてよいのかもしれない。
 『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』に、源吾の思いとして、
「市井の人々はいつしか火消を英雄のように祭り上げるようになった。しかし彼らが見ているのは火事場での姿だけ。その火消にもそれぞれの人生があり、背負っているものがあることを知らない。己が火消になってようやく解ったことである」(p214)
という一節があった。
 それぞれの火消の人生、その一端がここに具体化されている。
 つまり、火消物語短編連作集である。羽州ぼろ鳶組シリーズからのスピンアウト短編シリーズと言ってもよい。江戸火消は数が多い。この『幕間』がシリーズ化してもおかしくない気がする。

 簡略に3つの短編の内容と読後印象に触れておきたい。

<第一話 流転蜂(ルテンホウ)>
 遠島・八丈島送りとなる流人が主人公。島送りの船上の点描から始まる。流人の久平に名を尋ねられたもう一人の流人は留吉と答える。彼は元武士だが、仮名を名乗り、八丈島に着いた後もその名で通す。この短編の興味深いところは、留吉の正体が最終ステージで明らかになるストーリー構成の面白さにある。
 八丈島に流人となった罪人が島でどのような生活を送り、島人とはどのような関係を築いていくことになるのか。この側面がストーリーの背景として織り込まれていくので、読者としては、八丈島送りの流人生活のイメージと知識がこの時代小説の副産物となる。
 留吉は「村割流人」として八丈島南東の中ノ郷村に割り当てられ、そこでの生活が始まる。村名主は流人証文で本名を知ってはいるが、本人の希望通り留吉の仮名を認める。留吉は流人生活に慣れていく。そして、刑期を終えても島に留まり漁師生活を続ける角五郎との人間関係を深めていき、彼から漁法を学ぶ。留吉は徐々に角五郎の過去を知ることに。
 一方で、三根村での失火を契機に、島に新たに火消組が編成されることになる。流人と島民の合同組織。元火消の流人がリーダーになり、火消訓練から始める。留吉は参加しない。
 山火事が発生し、それが中ノ郷村に飛び火する形に進展する。角五郎と漁に出ていた留吉は火事場に向かうことになる。村を守り、子供の救助のために、己の正体を明かす。
 この短編のエンディングが実に意味深長である。火消ワールドの大きな展開につながる伏線が敷かれた思いが残る。

<第二話 恋大蛇>
 この短編が本書のタイトルになっている。文庫のカバーに使われた火消の後姿。その判別箇所は、腰紐に吊した瓢簞。そう、野条弾馬(ノジョウダンマ)が主人公である。表紙の右上、猫を抱く女は、緒方屋の一人娘、紗代。弾馬の異名は「蟒蛇(ウワバミ)」。蟒蛇とは大蛇(オロチ)のこと。この短編、弾馬と紗代の恋の物語。弾馬のプロフィールが明らかになっていく。
 時は安永2年(1773)文月(7月)から始まる。当時の淀城と淀藩がどのような状況にあったかという点が時代知識として、読者には副産物となる。
 おもしろいのは、安永3年秋、弾馬が淀城での教練中に、松永源吾の妻、深雪から厚みのある封書を受け取る。弾馬が源吾を介して深雪に依頼した料理のレシピが到着したのだ。松永家での源吾と深雪の語り合う一場面が彷彿となってくる。こんな形でつながるのか・・・・と。勿論、弾馬は緒方屋を訪れ、紗代に深雪の文を手渡す。
 火消は何時命を落とすかもしれない。そうなれば残された者は嘆き苦しむことに。その思いから弾馬は紗代の思いに気付きながら、紗代を思い切ろうと試みる・・・・。
 当番月である神無月(10月)、小火が立て続けに起こる。弾馬が紗代に己の決意を告げ、緒方屋を飛び出した後、淀藩京屋敷戻る途中、蛸薬師御幸町が火元の火事に気づく。勿論、弾馬は直に火事場に駆けつけていく。が、瓢簞を緒方屋に置き忘れたことに気づく。さて、弾馬どうする・・・・。この火事が弾馬の生き方を変えることになる。
 この短編のエンディングも興味深い。大坂火消を兼ねる律也が椿屋として、緒方屋を訪れる。緒方屋は1年間、火消を借りることにしたという。この時、律也は弾馬に、老中田沼意次が、江戸火消と江戸以外の諸国火消を紅白二組にして「技比べ」をさせ、研鑽の場作りの準備を進めていると告げる。弾馬はすぐさま反応する。この終わり方、ここにもシリーズ続編の構想の広がりを期待させるではないか。
 
<第三話 三羽鳶>
 安永3年(1774)師走(12月)町火消め組の頭、銀治はいつもの通り管轄内を夜回りしていた。管轄内の二葉町の火事に気づく。火元は空き家。め組が消口を取り、午前4時過ぎに鎮火させた。火元の空き家跡を火事場見廻の柴田と銀治が検分すると、五人の骸が肩を寄せ合うように並び、消し炭の如くに黒変していた。五人の中に女が二人いると銀治は判じた。逃げようとした様子がない。銀治は心中ではないかと推理した。だが、その五つの屍に何かがおかしいと銀治の経験が告げている。銀治は、今日一日、現場をこのままにしておくことを柴田に願い出る。け組の燐丞に屍の検分をしてもらうためである。柴田は了解した。燐丞は医者を兼ねている。燐丞は、屍の内、男一人は武士、二人の女の内一人は子を宿していた等、検分結果を柴田と銀治に告げた。
 焼け跡からの帰路、銀治はこの件を追うと燐丞に告げる。子を宿していた女に銀治は心当たりがあったのだ。燐丞は銀治に多分、尾(ツ)けられていると告げる。そして、闇が深いようですと語り、この件の探索に加担するという。さらに、私たちの世代で最も荒事が得意な人に、力をかして貰おうと即断する。
 いくつかの火事が発生する中で同種の事件がついに再発・・・・・。
 事件解決後に読売の文五郎が、この事件の顛末を読売に書く。その末尾に記す。
「まさしく銀波の世代といえり。江戸火消に隙間なく、ますます天晴(アッパレ)なり」(p293)と。
 松永源吾、大音勘九郎ら「黄金」の世代は評判だった。その次の世代に、「銀波」の世代という名がついた。これが黄金の世代を頂点にした新たな火消ワールドの始まりにつながるのではないか。

 この『幕間』は、『羽州ぼろ鳶組』第二ステージが引き続いていく期待を抱かせる。

 ご一読ありがとうございます。

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『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』 上・下   祥伝社文庫
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『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』 上・下  今村翔吾  祥伝社文庫

2024-03-16 22:33:33 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズの第10弾!! 本書はシリーズの1冊であるが、勿論単体として読むことができる。しかし、本作に関しては、前回ご紹介した『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を読んでから、本作を読むことをお薦めする。
 私は本作を先に読んでしまってから『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を読んだので、つながりで気がかりなところを一応の解釈で読み進めてしまった。『黄金雛』を読んだ後に、本作の読後印象をまとめている。

 本書は今まで通り、長編時代小説書下ろしの文庫として刊行されたが、このシリーズでは初の上・下巻本。上巻は令和2年(2020)8月、下巻は同年10月に刊行された。

 『黄金雛』は、宝暦6年(1756)霜月(11月)23日未明、林大学頭の屋敷から出火した火事の鎮圧がエンディングとなる。この火事は後に「大学火事」と称され、江戸の大火の原因となった。本作の序章は、この大学火事が鎮圧された後の火事場検分の場面描写となる。加賀鳶大頭が火事場見廻に申し入れ、「千眼」の卯之助を強引に火事場の検分に同行させる手はずを取った。卯之助は火事場で飯田橋定火消頭取、松永重内の亡骸を見つける。そして、卯之助たちの様子が描写される。
 ”・・・・・すぐには気付かなかった。この火事場は明らかにおかしい。あるべきものが、ないのである。「ありえねえだろ」卯之助は周囲をもう一度見渡したが、やはり無い。まるで神隠しに遭ったように消えているのだ。・・・・・「こりゃあ大変なことだぞ・・・・」すぐに謙八に伝えねばならない” (p12)
 つまり、序章はストレートに『黄金雛』にリンクしている。卯之助の気づきがもたらす衝撃を読者が感じとるには、『黄金雛』読後の余韻の続きに、本作を読むことをお薦めする。そのインパクトが本作の底流となって行くのだから。

 「第一章 青銀杏」は「大学火事」から18年の時を経た、安永3年(1774)から始まっていく。それがこのストーリーの現在時点。「大学火事」以降の18年間--源吾18歳の時に九段坂飯田町の火事で女の子を救出した。姫様と呼ばれていたその子が今や源吾の妻となっている深雪である。源吾の名が初めて火消番付に載った当時のこと。彼らが黄金の世代と呼ばれたこと。源吾の親の世代への回顧など--が、源吾と折下左門、そして深雪の間の会話、回顧談として、なめらかなで巧みに時代をつなぐ導入となっていく。親の世代、勘九郎・源吾などの黄金の世代、源吾らの次世代-与市・燐丞・銀次・沖也など-が既に中堅の火消となり、その後に、新之助・牙八・宗助あたりの世代が続く。火消番付を介して源吾の想念は、い組の慎太郎、め組の藍助、に組の慶司など気骨のある新人が増えていることに及ぶ。
 その慎太郎と藍助が切絵図を頭に叩き込むために、町を歩いて見て回るという自主的な行動をとっている場面へとスムーズにストーリーが転換していく。勿論、慎太郎は「すぐに番付火消になってやる」と意気込んでいて、そのための行動なのだ。若者の意識は世代を巡るというところか。

 蕎麦屋に居た二人は、何かが遠くで爆(ハ)ぜるような音を聞き、きっと火事だと店を飛び出しす。中根坂の上に広がる尾張藩上屋敷から一筋の煙が上がっていた。二人は火事場をめざす。尾張藩上屋敷の広さは7万8144坪。その中の屋敷の一つが凄まじい火勢で燃え上がっていた。その屋根から傲然と火柱が飛び出している。
 この火事は定火消八家の会合が市ヶ谷定火消の屋敷で行われている最中に発生した。
 慎太郎は屋敷内に救助に入ろうとするが、藍助が引き留める。藍助は「何か・・・・・炎がおかしい。喜んでいるみたいだ」(p57)と感じたのだ。
 その場に八重洲河岸定火消頭、進藤内記が現れる。内記が平然と救助に入る。慎太郎は内記に続く。室内の状況を見た内記はもはや無理と判断し、姿勢を低くして畳を注視した後、慎太郎を促し退却する。そして内記は慎太郎と藍助に告げる。
「これは火付けだ。まだ続くとみて間違いない。この火付けには近づくな。死ぬることになる」(p71)と。
 源吾は教練中に半鐘の音を聞く。武蔵と20人ほどを先発として送り込み、後に後詰めとして新庄藩火消は番町に展開することに。源吾はこの火事にいやな予感を抱く。
 勿論、源吾は事後にこの火事の様子を新之助と武蔵に探らせる。火元は尾張藩2000石、西田兵右衛門の屋敷。火元と思しきところで兵右衛門の屍が見つかった。
 これが始まりとなる。

 新之助と武蔵の調べてきたことを聞き、源吾は宝暦3年から宝暦6年に発生した火事のこと。大学火事での父の殉職の話を新庄藩火消の主立った者に伝える。『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を先に読んでいれば、源吾が語った内容が何であるかがリアルに理解でき、イメージが湧き、ストーリーの奥行きがぐんと広がって行くことを請け合える。
 まずは新之助と武蔵には火事場の検分、源吾は慎太郎、藍助、内記への聞き取りを始める。藍助からの聞き込みは重要なヒントとなる。源吾は星十郎の力を借りる必要を痛感する。

 源吾は加賀藩火消大頭、大音勘九郎に働きかけ、一方、長谷川平蔵を介して田沼の了解を事前に得る。府内の名だたる火消たちを集めた会合が勘九郎の呼び掛けで開かれる。狙いは、市ヶ谷で起きた火事を契機に、江戸火消の連合を再開させることにある。そして、尾張藩上屋敷での火事の手口を考え、火消になって3年目までの者は出さないようにという方針を立てる。これは宝暦年間の思考と同じ、火消の若手層を未来の江戸の火事対策として温存したい考えだ。連合の系譜が繰り返されることを意味する。『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を読んでいると、この連合の意義が、二重写しに重なってきて、事の成り行きのイメージが膨らむ。事態は繰り返される・・・・・。
 
 会合が終わった後で、町火消に組の副頭宗助が源吾らに思わぬことを告げる。己の聞き違いかも知れぬと言いつつ語ったことがは衝撃的だった。源吾には、その事実を、に組の先代卯之助から確認する必要が出て来た。

 源吾は教練中に遠くで鳴る陣太鼓の音色を耳にする。それは麹町の火事を意味した。尾張藩中屋敷のある所だ。加賀鳶七番組頭「風傑」の仙吉が、現場に着いた源吾に言う。屋敷が爆ぜた火事で、炎が何かおかしいと。
 爆発は異なる場所で二度、三度と起こる。五つ目の爆発が起こった。
 五番目の爆発が起こり炎上する屋敷の屋根上に、気絶した女中を抱えて、火消羽織を着た男が現れた。死んだはずの伝説の火消が再来した!!
 源吾の問いかけに対し、その男は言う。「この火付けは俺が止める」(p337)と。

 このストーリーの面白さは、火付けの下手人は誰なのかが、ここで混迷し始めることになる。男はその場の言い逃れをしただけなのか。男の言ったことが本当なら、下手人は誰なのか。その狙いは何か。この2ヵ所目の尾張藩中屋敷での爆発から、爆発原因が解明できるのか。

 加持星十郎は源吾に言う。「如何なる瓦斯かを突き止めることは肝要です。しかしそれ以上に考えねばならぬことがあります」武蔵は思い至っていた。源吾が言う。「如何にして火を付けたかということだな」と。「はい。これが極めて難しいのです」(下・p32)

 このストーリーは、源吾が長谷川平蔵を巻き込んでいくことから、一層その展開がおもしろくなっていく。長谷川平蔵の推理と探索力及び火消の思考枠とは異なる視点が、尾張藩に関係する重要な事実を炙り出していく。
 さらに、進藤内記の立ち位置と行動がストーリーの進展の中で重要な要となっていくところも興味深い。「菩薩」の内記が示すしたたかさとその反面で見せる陰り、そこがおもしろい。源吾と内記の関係は微妙である。火消組の頭としては、思考や行動において対極的な位置にいる存在なのかも知れない。

 神無月(10月)27日の巳の刻(午前10時)、教練中に、源吾は微かに何かが爆ぜる音を耳に捉えた。火元は戸山にある尾張藩下屋敷とわかる。

 火消の連合が総力を結集していく様子がますます緊密になっていく。読者は一層ストーリーの進展に引きこまれて、一気に読み込んでいくことになる。
 源吾の心境と彼がここで取った行動に、読者はますます思いを重ねていくことになるだろう。ネタバレは回避しておこう。
 さらには、独自に行動する慎太郎と藍助に、声援を送りたくなる。慎太郎の働きかけで、慶司までが加わってくる。若者の行動力が突破口を生むことに・・・・。

 さらにこの後、どのような展開になっていくのか。それは本書でご確認願いたい。
 クライマックスで、伝説の火消が本然を発揮するとだけ述べておこう。

 最後に大音勘九郎が源吾や与市に語った印象深い言葉をご紹介しておきたい。
*あの日の己たちが間違っているとは思わぬ。同時に父上たちが間違っていないことも今ならば解る。いつの時代も若い者が切り拓く。だがそれが今かどうかは、誰にも判らぬのだ。我らは我らの信じた道を行く。 下・p20

 この言もまた『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』のストーリーと重なる。重ねると一層、その意味が重みを増す。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』 祥伝社文庫
『双風神 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社

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『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』    今村翔吾    祥伝社文庫

2024-03-15 22:28:53 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズを読み継いでいる。シリーズが第9弾まで続いたところで、この「零」が挿入された。実は第10弾の『襲大鳳』を先に読了し、少しシリーズとしてのつながりが気になるところがあったのだ。読了後にこの『羽州ぼろ鳶組零』が先行していることを知り、急遽読んだ次第。読み終えてなるほどと納得できた。ミッシング・リンクがこの『零』が挿入されたことで解消したのだ。そこで、読後印象はこちらを先に記すことにした。
 本書は令和元年(2019)11月に長編時代小説書下ろしの文庫として刊行された。

 今までのシリーズはタイトルが『羽州ぼろ鳶組』と表示されてきた。本書は『羽州ぼろ鳶組零』と表示されている。それはこのシリーズの出発点以前の物語だからである。
 『羽州ぼろ鳶組』シリーズでは、松永源吾・大音勘九郎・鳥越新之助・進藤内記・日名塚要人・漣次・藍助・辰一・宗助・秋仁などが活躍する。火消番付の英雄たちにも青き春の時代があった。彼等の親の世代が火消として名を馳せていた時代にである。このストーリーは宝暦年間の前半をその舞台にしている。

 宝暦6年(1756)には、後に「大学火事」と称される大火事が江戸の火事史に記録されている。この史実を巧みにストーリーのクライマックスに織り込んでいく時代小説であり、火事の原因を究明するミステリー仕立てになっている。一気読みせずにはいられなくなる筋の運び。今村さんは、ストーリーテラーだと感じる。

 文庫本カバーの火消の後姿は、松永源吾の父、飯田橋定火消頭取松永重内だと思う。この時代、加賀鳶大頭は大音謙八。尾張藩火消頭伊神甚兵衛。仁正寺藩火消頭取柊古仙。町火消では、い組頭金五郎、に組頭卯之助らが火消として活躍していた。この親の世代は、源吾・勘九郎・内記・漣次・辰一・秋仁などを、火消としてやる気に満ちてはいるが、この先の江戸の火事に対処すべき次世代と見做していた。火事読売は彼等を「黄金(コガネ)の世代」と称している。つまり、親世代からすれば、次の時代の江戸の火消を託す層なのだ。
 この黄金の世代の中には、進藤内記だけが一足早く八重洲河岸火消頭取になっていた。それは日本橋の火事で発生した「緋鼬(アカイタチ)」に対処する中で死んだ兄・靭負の後を内記が継いだからである。一方、松永源吾は飯田町火消の「黄金雛」と呼ばれていた。
 本書のタイトルは、黄金の世代が今は雛であるという意味合いと源吾が「黄金雛」と呼ばれる2つの意味合いが重ねられているのだろう。

 序章は宝暦6年(1756)秋の一場面から始まる。それは読者をぐっと惹きつける。
 まず、八重洲河岸定火消屋敷の教練場で火消頭取の進藤内記が配下を教練する場面。内記19歳。火事の発生に気づき、内記は日本橋箔屋町の火事現場に駆けつけ消口を取る。そこに、よ組の秋仁(18歳)、い組の漣次(16歳)、に組の辰一(18歳)、加賀鳶の勘九郎(17歳)、飯田町定火消の源吾(16歳)、彼等が集結してくる。黄金の世代が活躍する。その場面がおもしろく描写されるから、一気に引きこまれるという次第。
 だが、その活躍の背景に、本作の伏線が敷かれている。「先日、奉行所に怪しげな文があったという。十日の内に江戸四宿のどこかに火を放つという犯行の予告だった」(p19)このため幕府はこれに対処するために有力な火消を動員していたのだ。

 「第一章 炎聖」は一転して、宝暦3年(1753)如月に遡る。未明に浅草安部川町から出火。尾張藩火消頭、伊神甚兵衛が火元に到着する場面から始まる。甚兵衛の異名は「炎聖」。「大物喰い」の伊神と言われ、「鳳(オオトリ)」の甚兵衛とも呼ばれた。
 そう呼ばれるようになった伊神甚兵衛のプロフィールと尾張藩火消の経緯がまず描き込まれる。これがこのストーリーの淵源になる。
 伊神は目黒不動南の百姓地の火事に出動せよとの奉書を受け、尾張藩火消を引き連れて現場に出動する。その結果、火事現場で窮地に陥る事態に。この火事の発生に、いずこからも応援は駆けつけない。最後の手段として、伊神が愛馬「赤曜」に乗り、炎の壁を突き抜け援軍を呼びに行く。伊神は謀略に嵌まったのだと悟る。一方、出動した尾張藩火消は死滅することに・・・・・。後に甚兵衛を含め全員が殉職したと火消たちに伝えられる。伊神は伝説の火消となる。
 源吾は父重内と伊神を火消として対比し、父を火消として不甲斐ない男と決めつけ、炎聖伊神に憧れた。伊神から火消羽織の裏地に鳳を使う許可を得る位に心酔していた。

 序章は、「第二章 死の煙」にリンクする。冒頭、宝暦6年の日本橋箔屋町の火事現場に、時が現在に戻る。消火という一点を御旗にした若き火消たちの行動を、親の世代が苦く受け止める状況がまず描かれる。
 そんな矢先に、湯島聖堂に程近い妻恋町で火事が起こる。火元は火事場見廻の屋敷だった。先着の榊原家の火消と加賀鳶の大音謙八率いる火消が消火に尽力する。が、ここで救助に入った両者の火消たちも煙に巻き込まれて死ぬという事態が発生する。加賀鳶頭取並の譲羽十時が隣家の主を救出して何とか戻ってくる。しかし、彼は煙が死の煙だと大音謙八に告げて頽れる羽目になる。
 火事の拡大を防ぎ、鎮圧できたものの、屋敷内には鎮火するまで踏み込めない。原因不明の死の煙。ここから大音謙八は江戸の全火消を巻き込んだ対応に挑んでいく。同種の火事の発生への懸念。それにどう対処するか。死の煙の原因究明を図る一方、今後火事が発生した場合の対処をどうするか。熟練の火消ですら生還できなかった死の煙。その原因が判明できるまでは、まず次世代を担うべき若輩の出動を禁ずることを、江戸火消全体の方針にする。

 ここから、ストーリーは面白くなっていく。
 次世代の温存を大前提に現在の窮境に対する火消対策を練っていく現活躍世代と黄金の世代と称される若者たちの意識のギャップが軋み始めて行く。
 源吾は火事発生において火消として人命救助に邁進するのに火消の年齢は無関係だという立場を堅持する。現在の火災における人命救助に出動できないという禍根を残せば、将来の火消活動への悔いが残ると主張する。親世代の思考方法と方針に真っ向から反発する。親世代である火消頭取、火消頭の会合に参加した最年少の火消頭進藤内記から情報収集することを兼ね、黄金の世代と称される主な火消を呼び集め、行動に乗り出していく。
 第三章は、黄金の世代たちの行動を描き出す。その見出しがおもしろい。「ならず者たちの詩」である。彼等は彼等なりに情報探しを始め、糸口を見出して行く。

 大音謙八は江戸の主立った火消頭を集めた会合で、死の煙の火災状況を伝え、今後の対策を語り、若輩火消の出動を禁ずる統一方針を決めた。このとき、不審なしぐさの人物に気づく。同様に気づいていた者が複数名いた。阿吽の呼吸でその会合の場に居残った頭たちとの話し合いで、ある疑問点に気づいていく。「そもそも尾張藩火消が全滅するということが、やはり有り得ない・・・・」(p176)と。この事件の闇の深さを感じ始めるのである。死の煙の正体、原因究明を進めて行くのは勿論である。

 日本橋亀井町にある「糸真屋」で火事が発生する。この火事が事件の闇を暴く契機になる。そこから、江戸城の御曲輪内にある林大学頭の屋敷門前に通告文が置かれていたこと。そして、大学頭の屋敷で火事が発生する形に進展していく。
 そして・・・・源吾は父重内の火消としての真の姿に気づくことになる。

 火事場での火消の行動が実に巧みに躍動的に描写されていく。本作は火消たちの行動が特にスピーディにダイナミックに活写されていくので、読みも加速していく気がした。

 この『羽州ぼろ鳶組零』は、大学火事から丸2年経った冬の火事で終章となる。松永源吾は父の死をうけて飯田町定火消頭取に就いていた。この時、源吾は「火喰鳥」と呼ばれている。飯田町にある商家が火元の火事が起こる。慌てふためきつつ姫様を探す武士。事情を聞いた源吾は火焔の中に飛び込み女の子を助け出す。「零(ハジメ)の物語」がここで、『羽州ぼろ鳶組』の初作『火喰鳥』にリンクしていくという次第。
 一方で、このストーリーが、シリーズ第10弾『襲大鳳』にリンクしていくことになる。
 最後に本作で印象深い文を引用してご紹介しておきたい。
*上の火消たちは間違っている。次の世代を守りたいのかもしれねえが・・・・・じゃあ、その次はどうなる。俺たちは一生、火付けを見過ごしたっていう悔いを背負っちまう。そんな火消に誰が憧れるってんだ。   p243
*不思議よな。歴の淺い者のほうが、普通の民の心に近いはず。だが火消はそれが逆様になる・・・・どれほど恐ろしかろう、どれほど苦しかろうと、歳を重ねるほどに慮るようになるのだ。火消を極致に至らしめるものがあるとするならば、それは人を想う心ではないか」 p292
*市井の人々はいつしか火消を英雄のように祭り上げるようになった。しかし彼らが見ているのは火事場での姿だけ。その火消にもそれぞれの人生があり、背負っているものがあることを知らない。己が火消になってようやく解ったことである。   p214

 ご一読ありがとうございます。

補遺
日本の災害・防災年表「火災・戦災・爆発事故/江戸時代(江戸時代編)」
:「WEB防災情報新聞」


 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『双風神 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
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