遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『書楼弔堂 破暁』  京極夏彦  集英社文庫

2023-03-31 10:30:32 | 京極夏彦
 最新刊第3弾の『書楼弔堂 待宵』を最初に読んだことから、このシリーズ第一弾に遡って読むことにした。短編連作集で6篇が収録されている。最初は各短編が順次「小説すばる」(2012年5月号~2013年8月号)に掲載され、2013年11月に単行本となった。2016年12月に、文庫版が出ている。

 先に第3弾『待宵』でご紹介しているが、短編の構成スタイルの基本は、前半に一人の男の日常生活がさまざまな形で描かれていく。その男がその都度、一人の人物を書楼弔堂に案内する役回りを担う立場になる。案内された人物は弔堂で主と対話して己の迷いや考えを吐露していく。主と客との対話の中で、その客のプロフィールが明らかになっていく。弔堂の主はその客のその後の人生に必要な本を助言する。興味深い点はその客が歴史に名を留める人物だという点である。

 時代設定は明治20年代半ば。書楼弔堂は東京のはずれにある。雑木林と荒れ地ばかりの鄙(いなか)、坂を登り切って、ある細道を歩む。細道のドン突きにはお寺がある。その途中に周りの風景に紛れ、融け込んだように、三階建ての燈台みたいな奇妙な木造建物がある。つい見過ごしてしまうような形で・・・。それが書楼弔堂。軒に簾が下り、その簾に半紙が一枚貼られ「弔」の一字が墨痕鮮やかに記されているだけ。この書楼自体が実に変梃な感じであり、本好きには興味津々となる設定である。

 それでは、読後印象を交えつつ、各編を少しご紹介しよう。

<探書壱 臨終>
 まず「高遠の旦那さん」と書舗の丁稚小僧・為三から呼ばれる男が登場する。二人の会話から、高遠の素性が少しずつ明らかになっていく。高遠は為三の勤める斧塚書店の贔屓客。この探書壱は、為三に案内されて書楼弔堂を訪ねるところから始まる。
 状況設定が明らかになっていく。高遠は10歳の頃に明治を迎えた元旗本の子であり、病気療養目的で家族と離れて一人仮住まいをし、自称高等遊民の下層的存在と言う。弔堂の主は、無地無染の白装束姿で、今は還俗し本屋を営む。己(じぶん)の本を探しているうちに本が増えてきた。求める者に本を縁づけるまで本を陳列し弔う。本を然るべき人に売るのが本への供養と考えると告げる人物である。先取りすると、探書弐では、「本と云う墓石の下に眠る御霊(みたま)を弔うために売っている」(p133)と語る。
 弔堂の主と高遠との会話が進む途中で、地本問屋滑稽堂の秋山武右衞門からの紹介で来たという客が現れる。話は後半に転じる。後半は、日本画が会話の話題となる。弔堂の主は会話を通じて、その客を吉岡米次郎と推断した。幽霊話に転じて行く会話が興味深い。主は、『The Varieties of Religious Experience』と帳面(のおと)の表紙に題が記された本を薦める。主は高遠に、あの人は浮世絵師・月岡芳年様ですよと教えた。
 当時の浮世絵、日本画の状況と月岡芳年の一局面が切り出された短編である。

<探書弐 発心>
 高遠の目を介して、当時の東京の様子が描き込まれていく。冒頭には様々な橋が話材になる。萬代橋・二拱橋・日本橋・吾妻橋・鍛冶橋・八重洲橋・二重橋などの変化について。さらに、当時の世相へと話が広がる。高遠の足は丸善に向かう。丸善の店員との会話。新文体が話題となるところがこの時代を反映しておもしろい。
 店員の紹介で尾崎紅葉の弟子に引き合わされる。未だ一編の小説も書いてはいないが小説家をめざしているというその弟子との会話でお化けが話題になった。それを契機に高遠はその弟子を書楼弔堂に導いていく。
 面白いのは、その内弟子の名前を聞いていなかった高遠は、弔堂の主に「畠の芋之助君」とでっち上げの紹介をした。これが後の伏線にもなっている。
 後半は、主とその内弟子との間で、書生としての日常の仕事内容から始まり、形而上のお化け論へと会話が展開していく。探書壱に引き続き、お化け論議の第二弾。弔堂の主が内弟子の心理・思考と高遠の紹介を分析していくところが読ませどころになる。
 主は「松木騒動の顛末を記した資料一式」をその内弟子に「これを-お売りします。あなた様の-筆で読みたい」(p180)と告げる。最後にその青年は実名を名乗った。泉鏡太郎と。後の文豪、泉鏡花がここに登場!
 
 この探書弐で印象的なのは、弔堂の主が語る次の文。
「何の、どうして怪談が無駄なものですか。人は、怪しいもの。世は常に理で動くものでございましょうが、その中で、人だけは合理から食み出してしまうものなのでございます。」(p162)
「仏道で云う悟りは、目的ではございません。悟るために修行するのではなく、修行そのものが悟りなのでございます」(p170)

<探索参 方便>
 元煙草製造販売会社の創業者山倉に誘われて、高遠が娘義太夫の舞台を見物するところから始まる。二人が立ち寄った居酒屋で、山倉は偶然に元警視庁の矢作剣之進を目にとめる。矢作を交えた会話で、またも、お化けが話題となる。女義太夫とお化けの話題から哲学館の話に転じていく。矢作が『哲学館講義録』と井上圓了のことに触れる。それが高遠を弔堂に赴かせる契機となる。
 弔堂で、高遠は先客の勝安芳(海舟)と出会うことに。勝が弔堂の主に対して話題にしたのが井上圓了のことだった。主と勝との間で、井上圓了論議が始まっていく。その上で、3日後に井上圓了を弔堂に来させると勝は言った。高遠はその日、己の関心から弔堂に出向き、主と井上の会話を傍聴する。二人の会話がこの短編の要となる。
 弔堂の主は井上に本を書けと薦める。「今の世に合った、真の方便を作るのでございます」(p273)と。そして、主は鳥山石燕の記した『畫圖百鬼夜行』を井上圓了に薦める。

<探書肆 贖罪>
 鰻が話材となり、高遠はうなぎ萬屋に行く。入口から少し離れたところに蹲る奇妙な男を目に止める。それが縁となり、土佐出身の中濱と称する老人と知り合う。奇妙な男は中濱の連れだった。中濱はその連れを世捨て人と言ったが、本人は死人だと訂正した。
 この老人もまた勝海舟の紹介で、書楼弔堂に行こうとしていた。鰻の取り持つ奇縁で高遠は中濱と連れの二人を弔堂に案内することに。
 弔堂の主は、その老人を中濱萬次郎と即断した。じょん万次郎と知り高遠は仰天した。主と中濱との会話は、幕末における勝海舟の行動が話題となり、さらに福澤諭吉の言論に話が及んでいく。当時の状況がわかって興味深い。その後で、中濱の連れの男の話になる。最後に中濱はその連れの名前を弔堂の主に告げた。連れの男の過去が明らかになる。
 主は文政9年に開版され14冊からなる『重訂解體新書』をその男に薦める。「あなたは、人が何故生きているかを知るべきです」(p360)と。そして、重要なひとことを付け加える。このひとことを伝えるのがこの短編の要と言える。

<探書伍 闕如(けつじょ)>
 高遠が紀尾井町の自宅に10日ばかり戻ったときの状況からストーリーが始まることで、読者はさらに一歩、高遠の人物像にふれることに・・・・。高遠は気分転換に日本橋の丸善に立ち寄る。そこで、店員の山田から泉鏡太郎の処女小説のことを教えられる。さらに尾崎紅葉からの作家繋がりで、作家の巌谷小波(いわやさざなみ)のことを聞き、作者名が漣山人となっている本を高遠は2冊買う結果となる。店員の一人合点によるまわりくどい紹介の仕方がおもしろい。
 高遠が仮住まいに戻る前に、世話になっている百姓の茂作の家に立ち寄る。その結果因縁のある猫を高遠が預かる羽目になる。この猫が一つの伏線となっていく。
 高遠の仮住まいに、巌谷小波が訪ねてくる。泉鏡太郎から聞いたということで、書楼弔堂を訪れてみたいと言う。高遠は巌谷を弔堂に案内することに。
 ここから弔堂の主と巌谷との会話となり、高遠はその傍聴者となる。読者もいわば傍聴者である。明治という時代の一端を感じることに繋がって行く。
 主は、巌谷が求めている本に、享保年間に刊行され23冊からなる『御伽草子』を附録として付けようと言う。

 この探書伍で印象深い文をご紹介しておこう。弔堂の主が巌谷に述べたことである。
「此方に向くのが正しいと思うなら、反対に向けば後ろ向きです。正しいと思わなければ、どちらを向いても前を向いていることになりましょうよ」(p431)
「歩むことこそが人生でございます。ならば今いる場所は、常に出発点と心得ます。そして止まった処こそが終着点でございましょう」(p442)
「ええ、現実と云うのは今この一瞬だけ。過去も、未来も、今此処にないものなのでございます。ならばそれは虚構でございましょう。過去なくして今はなく、今なくして未来もない。ならば虚実は半半かと存じます」(p444)

<探書陸 未完>
 高遠が預かった猫の話から始まる。猫を観察しながら高遠が己の生き方を重ねて行くところがおもしろい。高遠の仮住まいに、弔堂の小僧のしほるが猫の貰い手についての話を持ち込んでくる。それは弔堂に本を売る話と対になっていた。
 高遠は猫を貰ってもらうことと、弔堂が本を買い取るときの運搬作業に協力することに関わっていく。蔵書を売り、猫を欲しいと言うのは武蔵清明社宮司の中禅寺輔という人だった。教員だった中禅寺は神主を嗣ぐという人生の選択をした。自分にとって不要の本を売るという。弔堂の主は買い取る本を仕分けていく。そして、まだ生きている本は弔えないと述べ、その本を中禅寺輔に示して、理由を述べていく。弔堂の主の説くキーワードは、偽書と未完。偽書の意味が要となっていく。
 最後に弔堂の主は、高遠に初めて1冊の洋書を押し売りだと言い薦める。それは、奇妙な小説で未完のままだと言う。高遠はその本を買った。

 弔堂の主の名前が、この探書陸で初めて中禅寺が口にする形で出てくる。
 最後の最後になって、高遠の名前が初めて明らかにされる。そこがまたおもしろい。

 第2弾の短編連作がどのような展開になるのか。今から楽しみである。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
月岡芳年  :ウィキペディア
ウィリアム・ジェームズ  :ウィキペディア 
尾崎紅葉  :ウィキペディア
泉鏡花   :ウィキペディア
松木騒動 ⇒ 真土事件  :ウィキペディア
井上円了  :ウィキペディア
鳥山石燕  :ウィキペディア
畫圖百鬼夜行  :「維基百科」
ジョン万次郎の生涯  :「ジョン万次郎資料館」
ジョン万次郎  :「土佐の人物伝」
重訂解体新書  :「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」
重訂解体新書  :「一関市博物館」
岡田以蔵伝   :「土佐の人物伝」
巖谷 小波   :ウィキペディア
御伽草子    :ウィキペディア
こんな本、あります No.48『大語園』  :「京都府立図書館」
ローレンス・スターン  :ウィキペディア
トリストラム・シャンディ  :ウィキペディア
『トリスラム、シャンデー』 夏目漱石  :「岐阜大学地域科学部」

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『書楼弔堂 待宵』  集英社
[遊心逍遙記]に掲載   : 『ヒトごろし』  新潮社


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『夜消える』  藤沢周平  文春文庫

2023-03-23 18:12:30 | 藤沢周平
 ゆっくりしたペースで、藤沢周平の作品を読み継いでいる。文庫本末尾の「解説」(駒田信二)は冒頭で次のように述べている。
「ここに収められた七篇は、出世作『溟い海』(略)以下今日までに書かれた九十篇に垂(なんな)んとする藤沢さんの市井物の短編小説群の中で、最も制作年代の新しい一群であって、いずれも単行本未収録のものである。」(p226)
 続きの解説によれば、最初の六篇が「週刊小説」(昭和58年~平成2年)に発表され、最後の一編「遠ざかる声」が「小説宝石」(平成2年10月号)に発表されたものという。
 
 ここに収録された短編はいずれも、江戸の市井に住む男女の日々の暮らしに現れる哀感とほんの一時の歓びや人情の機微をすくい取り、描き出している。一局面の切り取り方に、著者の静かな眼差しがみえるように感じる。
 各編にそって、読後印象を含めて、簡単にご紹介する。

<夜消える>
 第1作の短編のタイトルが文庫本のタイトルにもなっている。
 おのぶは雪駄問屋藤代屋に通いで勤めている。亭主の兼七は腕のいい雪駄職人だったが、三十を過ぎてから酒に溺れてしまう。40歳のおのぶがまだ30歳になっていない手代の友蔵からそのへんで飯でも喰いませんかと誘われる。一度は断るが、二度めには断らなかった。女ごころの揺れと心理がそこに描かれる。
 娘のおきみには大工の新吉と所帯を持つという話が進む。おきみは父を新吉には知られたくない難点と感じていた・・・・。
 幸せと不幸は対なのか・・・。「おきみのしあわせは、兼七の失踪で購われたのある」という一文が重い。そこに家族個々人の思いが重層化している。

<にがい再会>
 畳屋の源次と傘問屋の新之助は幼馴染みで今も遊び仲間。二人とも親の稼業を継いでいる。源次が新之助におこまが帰ってきたと知らせにくる。おこまは7年前に姿を消した。源次は団子屋のおきくから聞いたという。さらにおこまは岡場所にいたという噂も源次は新之助に伝える。新之助も源次も、おこまに夢中になった時期があったのだ。
 新之助とおこまの再会を描く。おこまは新之助に30両を貸してほしいと持ちかける。
 新之助の心理の変転を中心に再会のプロセスが描かれる。ありそうな展開、にがい記憶の1ページとなるところに庶民感覚が表れていて説得力がある。

<永代橋>
 端切れ屋の前を通った菊蔵は、店先にいた女が別れた女房おみつだと気づく。甘酒屋で二人は近況を語り合う。そこから、なぜ二人は別れたかの回想が始まる。上方から戻って来た兄貴分の喜八と再会し、菊蔵は話の中である事実を知ることに・・・。
 己の嘘が招いた結果の再認識によって、人生再出発を決意する菊蔵の行動を描く。
 次の展開としての続編を期待したくなる短編。

<踊る手>
 裏店の露地の住人だった小間物売り・伊三郎の家族が夜逃げした。原因は伊三郎の博奕にあったという。だが、寝てるだけの状態の老婆が置き去りにされた。計画的な夜逃げだった。ならず者の借金取りの出現、食事を摂ろうとしない老婆、残された老婆の世話にやきもきする信次の母・・・子供の信次の視点から顛末譚が描かれる
 「ばあちゃん、うれしぞうだな」と信次が感じ、読者をほっとさせる結末。「踊る手」というタイトルになるほどと思う。「ほとぼりがさめた頃に」というフレーズを連想した。

<消息>
 娘を育てながら裏店に住むおしな。夫の作次郞は5年ほど前に突然姿を消してしまった。それはほんの1年ほど所帯を持った後に起こった。
 近所のおすえがおしなに、以前裏店の住人だったおきちが作次郞を見かけたという話を伝える。おしなの許には大工の龍吉が出入りしていて、男女の関係が生まれていた。だが、おしなはおきちの目撃情報から作次郞の行方を探す行動をとり始める。その結果、作次郞が姿を消した真相に近づいて行くことに・・・・。
 生き方の選択を迫られるおしなの心情が描き込まれていく。おしなは娘に言う。「あのおとっつあんは、目をはなすとすぐいなくなるひとだから、そばにいてやんないと」(p160)と。おしなの決断の揺るぎなさがいい。一方、奉公先での柵にからめとられて姿を消す決断をした作次郞の哀れさが際立ってくる。そこには義理人情の軋轢が・・・・。

<初つばめ>
 姉のなみと弟の友吉の間での意識のズレがテーマとなっている。なみは親の借金返済や弟の面倒をみるために、水商売の世界を転々とした。今は通いの女中として小料理屋に勤める。なみの弟思いは強い。
 友吉は奉公に出て商人への道を進む。その友吉が縁談の相手を姉に会わせたいという日がくる。だが、それは二人の間での意識のズレを曝す場に転じて行く。友吉は己の縁談の場に姉を近づけたくはないのだった。友吉の縁談の相手は表店・八幡屋利兵衛の娘だった。彼らの意識のギャップの描写にすごくリアル感がある。
 幼馴染みの滝蔵が、友吉に依頼されたと言って、なみの家に飛んでくるという展開に進展する。そこに人情話のオチが生まれて行く。読者に一つの可能性を抱かせて終わらせるところがうまい。

<遠ざかる声>
 新海屋喜左衛門は、棒手振に毛の生えたような行商時代に女房はつに死なれた。運が向いて来て小体ながら太物屋の店を構えるに至った。だが、これまで幾度も縁談話があったのだが、いずれも縁がなかった。そこには亡妻はつが邪魔をしてきたと喜左衛門は思ってきた。新たな縁談話が持ち込まれる。両国で茶漬屋を営む菊本夫妻がもんという女を後添いに世話をしようとしている。喜左衛門も乗り気。37歳の喜左衛門は、仏壇の前で亡妻はつと縁談の邪魔をしないように交渉するというおもしろい設定で話が進展する。亡妻はつは「もんというひとは悪い女だからね。よく調べるといいよ」と差し出口を残した。はつは新海屋に子連れで住み込む寡婦、有能な婢(はしため)だが醜婦のまさを示唆する・・・・。すこしコミカルさを漂わすおもしろい短編である。

 人は誰しも己を中心にまず考えて、周りの人々と関わりあっている。そこから軋轢が生まれ、また人情の機微が生み出され、波紋が広がって行く。そんな人間の関わり合いの過程からキラリとした局面が巧みに切り出されている。読みやすい短編集である。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日暮れ竹河岸』  文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<藤沢周平>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 12冊
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『白い衝動』  呉 勝浩   講談社

2023-03-14 18:06:40 | 諸作家作品
 先日、新聞広告で関心を持ち読んだ『爆弾』(2022年)の読後印象をご紹介した。
その波紋で、本書が2018年に第20回大藪春彦賞を受賞した作品というのを知ったことから、2冊目として読んでみた。本書は2017年1月に単行本が刊行されている。

 シリアスな人間心理、社会心理を扱う小説である。
 冒頭は、「Aはまだ、人を殺してはいない」という一行からはじまる、太ゴシック体で書かれた2ページの文章である。途中2箇所に(数ページ先)と表記がある抜粋。その内容から何等かの心理分析レポート風の内容と推測できる。この2ページには何の見出しもない。いわば序、プロローグのような位置づけである。おもしろい点は、この小説を読み終えて初めて、読者はそのレポート風の文の持つ意味を掴めるというところにある。ストーリーを読み進める上でかなりトリッキーな伏線になっていくのが特におもしろい。

 このストーリーの中心になる人物は三十路を過ぎている奥貫千早。千早は天錠市にある私立の天錠学園でスクールカウンセラーをしている。元は白川大学を卒業し、心理学者・精神分析家の寺兼英輔の研究室で働き、研究者を目指していた。しかし、あることが原因で職を辞し、スクールカウンセラーになった。大学で千早は社会心理学の分野において、「社会に適合しにくい他者に対して、社会の方がどう振る舞うのか」という問題を研究テーマとしていた。彼女は包摂という用語を使う。だが、恩師の寺兼は千早の考え方に反対していた。一方、千早は寺兼をマッドサイコロジストとすら呼んでいた。
 千早の夫・紀文は、天錠市にあるラジオ局に勤務し、夕方の報道番組のメインパーソナリティを務めている。

 ストーリーは、2つのテーマがパラレルに進展しつつ交点ができる形に進展していく。
 一つのテーマは、千早が学園内のカウンセリングで直面する問題事象にどのように対処していくかである。このストーリーでは基本的には2つのケースが進行する。
 一つは中等部二年生の桜木加奈のケース。友達関係での身近な悩みを投げかけてくる一方で、学園内で起こっている話題などを千早に提供してくる。シロアタマごっこが流行っているとか、シロアタマが山羊のゲンジロウを苛めたという噂とか。山羊の足の腱が鋭利な刃物で切られていたという事件は、既に教職員の間で重要な問題になっていた。
 二つめは、高等部一年の野津秋成のケース。彼が千早の居るCルーム(相談室)を訪ねてきたことが始まりとなる。彼の質問は、カウンセラーはどんな能力を持っているのかから始まった。その会話の先で、秋成は山羊の足の腱を切ったのは自分だと告白し、「ぼくは、人を殺してみたい」「殺すべき人間を殺したい」と淡々と宣言し、「誰か、先生にとって邪魔な人間はいませんか?」「ぼくに、その人を殺させてくれませんか?」と投げかけてきたのだ。千早はカウンセラーとして、秋成との関わりを深めていく。
 読者にとっては山羊の問題を含め、またカウンセラーの守秘義務という側面とも関わり、秋成の宣言がどのように進展していくのかにひきこまれていかざるを得ない。千早が秋成に対処する心理学的アプローチも含めて、興味津々とならざるを得ない。

 二つめのテーマは、犯罪者が刑期を終えた後に社会復帰する際の現実問題にどう対処できるかというものである。
 関東連続一家監禁事件が16年前の秋に発生した。連続で起こった三件の事件である。一家族を監禁し、両親には暴力を働き拘束。娘を両親の前で強姦した上で、マーキングのように娘の身体を損傷したという事件である。3件目の娘の場合は耳の鼓膜と両目を潰したのだ。その娘が出血で死ぬことを恐れ、現場の家から救急車を呼ぶ。その上で犯人入壱要は現行犯逮捕された。求刑は無期懲役だったが、判決は15年だった。
 16年前、大学4年生の入壱要は長野県の出身中学で教育実習を行っていた。この時、千早はその中学校に通っていて、教育実習の対象者の一人だった。その数ヶ月後に事件が起こった。千早の通う学校に要請を受けてやってきたカウンセラーの説明を聞き、それをきっかけに千早は心理学に興味を抱くようになった。一方、入壱についての記事や噂話を集めるようになる。

 入壱要が刑期を終え、天錠市に住む親戚が身元引受人となった。身元引受人は自身が経営するアパートに入壱要を住まわせた。入壱の社会復帰が始まる。
 このストーリー、入壱要が天錠市に住んでいるという事実が公然化されるハプニングにより、市民間では大問題化されていく。
 奥貫紀文がメインパーソナリティを務めている夕方のラジオ報道番組にゲストとして迎えられた人の発言に端を発した。犯罪被害者支援として「リ・ファーム」の活動をしている代表者で、ゲストだった白石重三が、番組での対談の最後に、紀文が想定もしていなかったこと、入壱要の現住所を意図的に話してしまったのである。そのこと自体がラジオ局にとっては大問題となる。更に、このラジオの人気報道番組を視聴していた市民たちに与えたインパクトが大きなものとなっていく。

 この小説、入壱要という犯罪者の社会復帰という問題を軸としながら、それに関わる様々な立場の人々の心情、意識と関心、意遣・行動などが鮮やかに織りなされていく。一方、野津秋成が千早に宣言した殺人衝動という問題とその対処がパラレルに進行していく。

 千早が学園内の相談室で行う会話に、カウンセリング手法の一端の描写が織り込まれたり、カウンセラー同士、あるいは千早と寺兼との間でカウンセリングや心理分析に関わる会話などが織り込まれて行く。このストーリーの雰囲気・環境作りは十分である。
 学校や市が問題事象にどのように対応しようとするかという視点での描写も要所に描き込まれていく。良識派と称する週刊誌の記者も登場する。マスコミのスタンスの一端がうまく織り込まれて行く。寺兼が形だけは社会復帰している入壱要の精神鑑定を引き受ける事になり、千早がその場の書記役となる立場で関わらざるを得なくなる。この展開も興味深い。さらに、千早の子供時代について、妹・小万智とのトンネル池での原体験も明らかにされていく。巧みなストーリー構成になっていると思う。

 このストーリーには三つの際だったピークがある。
 一つは、天錠学園恒例の天錠祭の当日に学園内で起こる事件。それに入壱要が絡むことに。この事件について、学園内のCルームに居た千早が事実の解明に全力を投入する。このミステリー・タッチのストーリー展開が読ませどころとなる。
 二つめは、千早自身の問題、及び千早と紀文との問題が明らかになること。叙述は所々での伏線を含めても、相対的に短いボリュームで叙述されるが押さえ所と言える。
 三つめは、千早が野津秋成と最後に会話をする機会の状況が描かれて行くこと。
 後は、本書で楽しんでいただきたい。

 最後に、千早のスタンスを表す思いを一つ引用してご紹介しよう。
「入壱要や野津秋成のような人間と折り合いをつけられる社会を求めるのは、回り回って、それはあなたのためなんだ。あなたが、何かの拍子に人を殺してしまったり、心を病んでしまった時に、それでも幸福を諦めなくてもいいように。」(p306)

 ご一読ありがとうございます。

補遺
臨床心理士とは   :「臨床心理士資格認定協会」
異常心理学  :「コトバンク」
異常心理学  :「科学事典」
精神分析とは :「日本精神分析協会」
精神分析学  :ウィキペディア
認知行動療法とは :「認知行動療法センター」
対象a ⇒ 小文字の他者 :ウィキペディア
ラカンの用語の解説  :「池田光穂のウェブページ」
ジャック・ラカン   :ウィキペディア

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こちらもお読みいただけるとうれしです。
『爆弾』  講談社

「遊心逍遙記」に掲載した諸作家作品の読後印象記一覧(2)
                       最終版 2022年12月現在 

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『漆花ひとつ』 澤田瞳子  講談社

2023-03-11 13:17:23 | 澤田瞳子
 著者の作品を読み継いできている。本書は、白河上皇の死後、鳥羽上皇(宗仁)・後白河上皇(雅仁)・二条天皇(守仁)の時代、いわゆる院政時代を題材に取り上げる。天皇家の系譜における政治的確執を背景に、史実を踏まえて様々な確執の局面に焦点をあてている。様々な状況に投げ込まれた人々の人間模様をフィクション化した短編集である。5編の短編が収録されている。「小説現代」(2018年8月号~2020年4月号)に発表された後、2022年10月の単行本が刊行された。

 この時代の状況と雰囲気が感じ取れる短編集である。各編を読後印象を加えて簡略にご紹介しよう。

<漆花ひとつ>
 時代は白河院の死から1年を経た頃。鳥羽ノ宮は宗仁上皇(後鳥羽上皇)が主となっている。この鳥羽御堂に仕える応舜という気弱な法師が主人公。彼は我流ながら絵を描くことを得手とする。応舜は魚名という少年から寝ついた母に姉の顔を描いた絵をみせてやりたいと、絵を描くことを頼まれる。女を描いた事が無い応舜は、下郎法師を束ねる恵栄のはからいで、鳥羽ノ宮の一隅、泉殿跡に建つ小屋を拠点とする傀儡一座中の一人の傀儡女、中君を紹介される。この中君との関わりに絡むストーリー。
 当時、都で二人義親騒動が起こっていた。義親は二十余年前に、平正盛により誅伐されたはずなのに・・・。中君はこの義親を見物に行きたいという。応舜は案内する羽目になる。その見物行の折、中君は東市の店で漆の花を模つた銀作の釵子を購入した。その時は、義親の顔を見る機会はない。だが後日、応舜は偶然にも鴨院義親の顔を描くことになる。その絵を応舜は中君に渡した。だが、それが中君との別れに・・・。
 小屋が撤去された更地で応舜が残された銀作の釵子を見つける。
 二人義親に絡む政治的カラクリの一局面を応俊は理解する。応舜の中君に対する淡い思いが余韻となる。

<白夢>
 「自分はもしかしたら、泰子よりも彰子よりも、国母たる得子よりも幸せな女なのかもしれない。なぜなら年を経ても奪われぬ知識が、子を産めずとも果たせる勤めが、己にはあるのだから」(p97-98)という結論を抱くに到る典藥寮のたった一人の女医師、大津阿夜の見聞譚。
 阿夜の夫紀正経は家財道具一式を運び出し阿夜を捨てて出ていった。阿夜は典藥頭から命じられ、内覧藤原忠実の依頼として、土御門東洞院にある藤原泰子の住む屋敷に出向することになる。後に高陽院と称される泰子は、鳥羽上皇の形だけの皇后。
 形だけの皇后・泰子は、上皇と得子(後の美福門院)の間に生まれた叡子という赤子を養女としていた。泰子は気鬱の病だという。薫物を激しく焚きこめる屋敷において、赤子に対応し、泰子の症状に対処していく阿夜が描かれる。そこでの見聞から、阿夜には鳥羽上皇に関わる女性の人間関係が見えてくる。
 八条東洞院に住み、中流公卿の娘である得子は今は上皇の寵愛を一身に受けている。泰子は名ばかりの皇后で、上皇が通って来ることは皆無。花園・法金剛院御所に住む待賢門院璋子。璋子は、上皇との間に、顕仁(崇徳上皇)、統子(上西門院)、雅仁(後白河上皇)を産んでいる。ここには上皇をめぐる女性間の確執が描かれていく。待賢門院璋子から嫌がらせを受けていた泰子は、得子が男児を産んだ(体仁、後の近衛天皇)ことから、策略を巡らせていく。
 後宮の舞台裏は、まさに愛憎入り交じるサバイバルゲームともいうべき世界だったのか・・・・という思いを深くする。
 
<影法師>
 「上西門院統子内親王の護衛に当たるもののふ遠藤盛遠が、兵庫頭・源頼政の郎党である渡辺渡の妻女を殺害した」(p101)という一文から始まる。遠藤盛遠は出家して文覚と名乗った。
 京都の伏見には、この殺害事件、文覚に関わる寺が2つある。史跡探訪で訪れたことがある。「渡辺佐衛尉源渡(みなもとのわたる)の妻、袈裟(けさ)御前に横恋慕し、誤って彼女を殺してしまった」ということが探訪の折の記憶にあった。
 この短編は雅仁上皇(後白河上皇)に仕える人々の間に生じていた政争・確執を踏まえて一つの仮説を持ち込む。上西門院の暮らす三条南殿に仕える下﨟女房相模が、己の目を通してみた遠藤盛遠像と事態のギャップに対する疑問を解くために行動し始める。そして一歩踏み込んだ解釈を紡ぎ出していく。
 「武士なぞ畢竟、上つ方のただの手駒。彼らの気分次第で、幾らでも入れ換えられる。それにもかかわらず、文覚は己の務めを忠実に果たそうとし、結果、すべての罪を一人でかぶった」(p144)それが相模の行き着いた推測だった。
 遠藤盛遠(文覚)の妻女殺害行為についての真実は何か。今の世に伝わるエピソードの背後に、思わぬ歴史の謎が潜んでいる思いがした。

<滲む月>
 権中納言・藤原信頼と左馬頭・源義朝が信西入道を殺害せんと乱を起こす。歴史年表では、「平治の乱」の一行が載る。
 信西入道の首級を含め三級が獄舎の門の屋根に掛けられさらし者とされた。その首級の一つが平康忠である。中国の故事にならって、あるもくろみを期待し、康忠の妻周防と息子時経がその首級を取り戻そうとする。その時、信西入道の七男坊で叡山僧の澄憲が配下の者と首級を取り戻しに来ていた。それをきっかけに、周防と時経は澄憲との関わりができ、彼らは澄憲に活計としての仕官先を斡旋してもらう。
 周防は守仁天皇(二条天皇)の中宮・高松殿姝子(しゅし)の女房として宮仕えをする。高松殿は鳥羽上皇の内親王で、雅仁上皇(後白河上皇)の異母妹にあたる。雅仁上皇と高松殿は仲がいい。一方、時経は式部省の史生として勤めることになる。ところが、守仁天皇と雅仁上皇の間には政治上の確執がある。周防は己と時経が置かれた状況がわかってくると、澄憲の意図は何かに疑念を抱き始める。
 権勢争いの中で翻弄される母子の姿に哀れさを感じる一方で、生きることへのしたたかさを感じる。澄憲もまたしたたかである。

<鴻雁北(こうがんかえる)>
 雅仁上皇と守仁天皇との間には政治的確執がある。また、上皇は歌舞音曲の達人としても名高い。天皇は琵琶を愛している。琵琶には西流と桂流の二流が存在する。西流は隆盛を極めているが、桂流は衰退著しい。系譜として源信綱が桂流の後継者であるが、「弾かずの信綱」との異名をとり、笙や篳篥を奏するが琵琶には手も触れない。そこで桂流琵琶の正統なる後継者は大原の郷に隠栖する尾張尼一人となっている。
 天皇は宴の席での琵琶の演奏で上皇を瞠目させたいために、桂流琵琶を演奏したい願望を抱く。そのためには尾張尼を内裏に呼ばなければならない。中原有安はその役目を名乗り出た。尾張尼が天皇の要望を拒絶することから有安の苦労が始まるというストーリー。 天皇の周辺に連なる楽人たちの有り様も描き込まれていく。
 「楽を生業とする者にとっては、麗しき響きもまた立身出世の手立ての一つ。とかく慌ただしきこの世を渡るためには、楽の美しさばかりに耽溺してはいられぬのだ」(p210)という意識の有安は立身の手段として、尾張尼を大原から引き出そうとやっきとなる。
 有安は、皇嘉門院の女房として務める治部卿から呼び出される。治部卿は源信綱の娘だった。治部卿は桂流琵琶の秘事として、尾張尼の所有しない桂流琵琶の伝書を信綱が所蔵することを教えた。そこから、新たな動きが始まって行く。
 天皇と上皇の歌舞音曲面での確執が楽人達を翻弄していく。さらに、この話に摂関家の御曹司・藤原基実が平清盛の娘を娶ることになり、平清盛が絡んでくるところもおもしろい。尾張尼との関わりを通して中原有安は楽人の根本に回帰するに到る。それがオチといえるだろう。
 著者が尾張尼に語らせる言葉が印象深い。
*花鳥風月を恋い、異国を恋い、友を恋う。かような思いが楽を生み、人々に奏でさせるのさ。天を動かし地を感ぜしむ楽は、生きる人間の念そのものとも言えるんじゃないかい。 p246-247
*美しきものを激しく恋う思いがなけりゃ、楽は上達しないよ。 p247

 上皇・天皇間の確執からの波紋に翻弄されていく人々の姿と思いが様々な局面で描き出されている。歴史に残された断片的事実の隙間、明かされることのない闇の中に塗り込まれた人々の存在と状況がフィクションとして紡ぎ出されている。
 歴史年表に記された一行の説明のその奥を想像する楽しみにつながる短編集といえる。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
鳥羽離宮 :ウィキペディア
鳥羽離宮 都市史  :「京都市」
信西    :ウィキペディア
平治の乱 :「ジャパンナレッジ」
恋塚寺  :「京都感応Navi」
恋塚 浄禅寺  :「京都観光Navi」
鳥羽天皇  :ウィキペディア
待賢門院 ⇒ 藤原璋子  :ウィキペディア
美福門院 ⇒ 藤原得子  :ウィキペディア
「平安時代を終わらせた女性」美福門院と高野山  :「高野山の歴史探訪」
高陽院 ⇒ 藤原泰子   :ウィキペディア
後白河天皇 :「ジャパンナレッジ」
二条天皇  :ウィキペディア
姝子内親王 :ウィキペディア
上西門院 ⇒ 統子内親王  :ウィキペディア
琵琶譜(びわふ) :「宮内庁」
中原有安  :「雅楽研究所 研楽庵」
第23回 方丈記 鴨長明  荒木浩  :「京都新聞」

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『書楼弔堂 待宵』   京極夏彦   集英社

2023-03-05 22:28:43 | 京極夏彦
 書楼弔堂シリーズの第3弾! 第1・2作を読まずに、最近刊から読み始めてしまった。このシリーズは短編連作集である。本書にはこの短編シリーズの第13から第18の6編が収録されている。「小説すばる」(2017年2月号、2021年10月号~22年6月号の隔月)に各短編が連載されて、2023年1月に単行本が刊行された。
 手許に第1作の『書楼弔堂 破暁』を文庫版で購入済みだったのを後で思い出した。遅ればせながら、この第1作を確認すると、短編6編が収録されているので、各巻6編ずつということになる。

 この第3作、まずは表紙が洒落ている。オスカー・ワイルド作『サロメ』の挿絵部分図を組み込んだ装幀である。オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー画「ヨカナーンとサロメ」である。「書楼弔堂」という異質感を漂わすタイトルと共振している感じがする。
 一方、本書には、各編に鳥の図版が掲載されていて、その絵は毛利梅園『梅園禽譜』という天保10年(1839)の序が付く書からの図である。各短編に出てくる鳥名ともリンクしていて、様々な書を所蔵する「書楼」にマッチした雰囲気づくりにもなっている。

 元禅僧で還俗した男が、何でも揃う書舗(本屋)の主となり「弔堂」と称して営んでいる。その本屋はある坂道を登り切った先で一つの細道に入り、お寺に到るまでの細道の途中に周囲の景観に融け込むようにして建つ奇妙な建物である。見落としてしまう場所にあるという。普段は本を墓の如くにみなし本を弔っているが、その本を購うに最適な人に本を売るという方針の奇妙な本屋が舞台になっていく。然るべき人たちの口コミで書楼弔堂の存在を知り、然るべき人が本を探しに来ることにまつわる話を語ることがモチーフになっていると思う。それが所謂章立てに反映しているところが面白い。「第十三章」とは記さず、「探書拾参」と表すという具合である。読んでみてなるほどと思ったのだが、短編作品のタイトルはいわばそのストーリーのテーマが二文字の語句で表現されていると受けとめた。遅ればせながら手許の第1作『書楼弔堂 破暁』を確認したが、このネーミング法は一貫している。
 この後は、第1・2作は未読なので、この第3作に限定して、読後印象をご紹介する。

 本書の短編自体の内容は、勿論順次変化していくのだが、ストーリーの流れ・構成には一つのパターンができている。時代は明治の30年代後半に設定されている。ストーリー自体には明確な日時の記載はほとんどない。しかし主な登場人物が交わす会話などから大凡が類推できる。本書6編の大凡のストーリー展開は、前半でまずある坂道の上で甘酒屋を営む爺が登場する。彼の名は弥蔵。弥蔵は自らくたばり損ないの耄碌爺と自嘲している。幕末は幕府軍側に属した生き残りで、自ら賊軍だったという。弥蔵は人には語れない過去を背負っている。そこに、坂道の下側の町中に住む二十代の利吉が、甘酒飲みの常連客として登場する。彼は定職を持たない、職探し中の青年。弥蔵はいわば世捨て人。利吉は世間のホットな話材・情報を弥蔵に聞かせる。二人の会話から、時代状況や二人の考え方の違いやスタンスがわかる。明治時代の雰囲気も読者に伝わってくる。例えば、最初の「探書拾参」では、弥蔵の思い並びに弥蔵・利吉間の会話に、「行軍訓練中に命を落とす、やはり凍死は嫌だ、ハ甲田山の騒ぎ、もう十日も前のことだろうに・・・」という語句が次々に現れてくることから時代設定が推測できる。八甲田雪中行軍遭難事件は、調べてみると、明治35年(1902)1月に起こっている。
 この前段を踏まえて、もう一人主役になる人物が甘酒屋を訪れる。その人物は何等かの問題を抱えている。その対処ができる書を求めている。そこで書楼弔堂を訪れるために道順を尋ねたいのだ。だが、生憎とその書楼は説明しづらくわかりにくい場所にある。そこで、弥蔵が弔堂まで道案内する役割を担う。
 後半は、本を購うために弔堂を訪れる人物と弔堂の主との会話がストーリーの中心になる。弥蔵はいわばその場のオブザーバー。その状況の目撃者である、弥蔵という目撃証人の視点からストーリーが語られていく。時には弥蔵も会話に加わる。

 本書の特徴のひとつは、各短編の後半に登場する人物が、歴史に名を残す実在人物であること。その人物に関わる史実を踏まえて、その人物をモデルにし、ある一側面を鮮やかに切り取るという形でフィクション化している点にある。この点が実におもしろく、かつ弔堂の主とこの人物の会話が興味深い。
 2つめの特徴は、弔堂の主が、書について客に語る情報(チェックしていないが多分事実情報)の内容である。いわば書について該博な知識の泉があふれ出す。読書人には楽しみな情報提供になっている。著者の該博な知識あるはリサーチの結果がここに反映しているのだろう。
 3つめの特徴は、少なくともこの第3作に登場する弥蔵の人生に触れるということ。彼の抱える過去とは何か? その謎解きの側面が明らかになっていく・・・。短編を読み進めるうちに、読者は弥蔵という男への興味関心を深めていくに違いない。私がそうであったように。
 4つめの特徴は、利吉という人間がどうなっていくのかがわかるということ。利吉への関心をやはり読者は抱くことになるだろう。そのおもしろみが加わる。
 5つめの特徴は、目次におけるカウントの仕方である。この点は、以下のご紹介の中でおわかりいただける。こういう漢字の使い方は、私にとっては初見である。

 目次並びに、ストーリー後半に登場する歴史上の実在人物名、そして、読後印象からみの簡略なコメントを記してご紹介しよう。

<探書拾参 史乗>  徳富蘇峰  (蘇峰の弟は作家の徳富蘆花)
 徳富蘇峰は時代の転換期において、蘇峰は言論人として矜持を持つが、己の行動の方向性を模索していた。その局面が弔堂の主と蘇峰の会話で描き出される。
 弔堂の主は、頼山陽著『日本外史』を蘇峰に翳す。

<探書拾肆 統御>  岡本敬二(作家岡本綺堂)
 岡本敬二は、子供の時の記憶に残る絵を挿絵にしていた草双紙を求めて弔堂を訪れた。弔堂の主は、その書名を即座に返答する。しかし、それはもう手許にないと答える。そして、主は逆に、英国の雑誌『Beacon's Christmas Annual』を岡本に進呈した。その雑誌に、アーサー・コナン・ドイル著の小説「A Study in Scarlet」が載っているからという。そして弥蔵の発言に対して、「読み味の本質は何処にあるのでございましょうや」と応えるのだった。
 統御については、雑誌進呈の少し前に、主、岡本、弥蔵の三人の会話として出てくる。

<探書拾伍 滑稽>  宮武外骨(反骨の操觚者)  操觚者=文筆家、ジャーナリスト
 宮武は本を購うのではなく、書楼弔堂のことを知り、自らが編輯した雑誌類を売るために訪ねる。その目的は、雑誌発行などで作った借金返済のため。その経緯が宮武外骨の生き方を示す。
 弔堂の主は、雑誌の山を選り分け、一部を買い取る。しかし、大半は宮武が手許に保管し、逆に欠番をいずれ購入してフルセットにすることを薦める。
 「滑稽」にはいくつかの意味が重ねられている。そこが読ませどころだと思う。

<探書拾陸 幽冥>  竹下茂次郎(のちの竹下夢二)
 早稲田実業学校に在学し、己の生き方(実業か虚業か)に悩みつつ、幸德秋水の活動を手伝っている竹下茂次郎と弥蔵の出会いを描く。その時、往来で弔堂の小僧が事故に遭う場面に二人が居て、小僧を助ける。それが縁で、竹下は弥蔵とともに弔堂に行く結果となる。
 弔堂の主は、竹下に『サロメ』の英語版、そこに載る線画の挿絵を見せる。さらに、葛飾北斎と喜多川歌麿の絵をみせる。そして、主は2枚の浮世絵を竹下に進呈する。
 弔堂の主は、竹下との会話で、画風の違いについて、己の意見を述べる。それは、竹下の迷いに対する示唆となるのだろう。本書の表紙は、この短編と直接リンクしていた。

<探書拾漆 予兆>  寺田寅彦
 利吉が弥蔵を街中のある場所に案内するが、道に迷ってしまう。休憩に立ち寄った茶店で休んでいる時に、弥蔵はある老人に眼をとめる。何故か気になる。その老人は尋ね事をした若者に対し一礼して立ち去った。若者に尋ねようと弥蔵は声を掛けた。若者は弥蔵に寺田と名乗る。彼は、弔堂に幾度か出かけていて、弥蔵の顔を見知っていたのだ。
 茶店で行われる会話、金平糖がなぜあんな形になるかの話題の展開がおもしろい。弥蔵は寺田から老人の名は藤田五郎と知る。
 寺田は藤田五郎の探し求めている本について知る為に、弥蔵とともに弔堂に行く。寺田は藤田の尋ね事から、藤田の探す本に記された内容と藤田との関わりを論理的に解明することに関心を持っていたのだ。弔堂の主は本の題名も藤田の素性も知っていた。勝海舟他から情報を得ていたという。寺田は主にその本の入手を依頼する。寺田寅彦の当時の状況と思考スタイルが興味深く描かれている。その点はたぶん事実を反映していることだろう。

<探書拾捌 改良>  藤田五郎(齋藤 一)
 弥蔵は背中に痺れを感じる状態に陥る。そんな身体不調の状況の場に利吉が訪れ、弥蔵に関わっていく。一方で、己の今後の生き方について、弥蔵に語る。
 藤田五郎が寺田から連絡を受けたことで、弥蔵の店を訪ねてくる。二人の間で、過去の生き様が話材になる。
 二人は弔堂の主の許を訪ねる。会話の中から藤田五郎が齋藤一と名乗っていた新選組時代のことが明らかにされていく。また、弥蔵が己の過去を語る。
 読者にとって、この短編連作の前半部分のストーリーの累積の先で、弥蔵の心中がストンと理解できるという展開になっている。利吉の生き方の選択に一つの結論が出る。

 なかなか巧妙なストーリー展開になっている。
 早速、第1作に立ち戻って読み始めようと思う。一方、第4弾の出版を期待したい。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
八甲田雪中行軍遭難事件  :ウィキペディア
徳富蘇峰  :ウィキペディア
徳富蘇峰  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
岡本綺堂  :ウィキペディア
宮武外骨  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
明治新聞雑誌文庫 ⇒ 近代日本法制史資料センター 東京大学 
竹下夢二  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
夢二郷土美術館  ホームページ
サロメ (戯曲)  :ウィキペディア
4974554 オーブリー・ビアズリー 「ヨカナーンとサロメ(サロメ挿絵)」 :「アフロ」
寺田寅彦  近代日本人の肖像 :「国立国会図書館」
金平糖について :「緑壽庵清水」
齋藤一   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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[遊心逍遙記]に掲載
『ヒトごろし』  新潮社

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