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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『童の神』  今村翔吾  ハルキ文庫

2024-06-26 23:21:25 | 今村翔吾
 本書は第10回角川春樹小説賞受賞作品で、第160回直木賞候補作にもなった。2018年10月に単行本が刊行された後、2020年6月に文庫化され、時代小説文庫の一冊となっている。余談だが、著者は2022年、『塞王の楯』で第166回直木賞を受賞した。

 本作の核心になるのは「童」という一字である。大和葛城山は土蜘蛛の棲む地とされた。土蜘蛛の長である毬人(マリト)が桜暁丸(オウギマル)にこの一字の意味を次のように語る場面がある。
 京人は「童」を「わらは」と読むが、我らは「わらべ」と読むと。それは奴を意味する言葉なのだと語る。”童という字は「辛」「目」「重」に分けることが出来る。「辛」は入れ墨を施す針、「重」は重い袋を象った字で、つまり童は目の上に墨を入れられ、重荷を担ぐ奴婢という意味らしい。「元からその地に住まう者、あるいは貧しい者。それらも一纏めにして京人はそう呼ぶ。京人の驕り、蔑みの証とも言える字よ。小さいかも知れぬが、その一字さえ屠ってやりたくなる」”と。(p204)
 「童」という文字は、当初奴・奴婢、つまり奴隷という意味で使われていて、それが後に平安・鎌倉の頃から「子供」を意味する言葉に転じて行った。この「童」の使われ方の原義を知ったことと、酒呑童子の名を目にした瞬間に、この作品が脳裡に一気に流れ込んで来たと、著者は「受賞の言葉」の中で述べている。

 古代より中央の政権に纏ろはない、反抗的な人々・集団は蔑称で呼ばれてきた。『日本書紀』に出てくる九州の熊襲、隼人はその例であろう。本作に登場する土蜘蛛も同様である。『古事記』にも登場している。
 本作には、京人が付けた蔑称として、夷、滝夜叉、土蜘蛛、鬼、百足、犬神、赤足、鵺などが出てくる。彼らが童である。本書のタイトル「童の神」とは、「童」の諸集団を結束する総大将的な立場に押し上げられて行った桜暁丸をさす。桜暁丸は、己たちの生き方を中央の政権に認知させようと試みた。だがその思いは潰える。  本作は、藤原道長の治政下において、京周辺に棲み朝廷側に服従しない集団が、朝廷側の軍団に殲滅されていくプロセスを、桜暁丸の半生と絡めて描いていく。
 朝廷側の軍団とは、道長の側近である洛中随一の武官源満仲とその配下である。満仲の嫡男は源頼光。部下には渡辺綱、卜部季武、碓井貞光が居る。相模足柄山の「やまお」と呼ばれる民であり、京人に「山姥」と蔑称されてきたが、朝廷側に下って配下となる道を選択した坂田金時が加わっている。同様に、犬神と夜雀も朝廷側の配下になっていた。

 桜暁丸は、最後には京の帝から、大江山の酒呑童子と称されるようになる。

 「大江山絵巻(酒呑童子絵巻)」が史料として残されている。これは大江山の酒呑童子を頼光、渡辺綱らが退治する物語として描かれている。大江山の鬼退治という伝承は世に知られた話である。
 平安時代の朝廷側と政権に従わない人々との間の戦い、当時の社会構造などの史実を背景に踏まえながら、本作は、ダイナミックなフィクションの世界に読者を誘っていく。被抑圧者側のやるせない思いがひしひしと伝わる作品になっている。

 序章は皆既日食が始まった状況の描写である。当時の人々はこのとてつもない現象に驚愕したことだろう。
 安部清明はこの自然現象の到来を予期し、それを利用する。どのように利用したかが重要な要になる。その一方で、己は京の中枢に秘やかに沈潜し、己の拠点を維持していく。この設定がまずおもしろい。

 第1章にまず安部清明が登場する。「天の下では人に違いはない」という境地に達したと記されている。この一文が本作のテーマになっていると思う。
 清明は天暦2年(948)に皐月と出逢った。それが契機で、二人の間には子が生まれた。如月と名付けられる。皐月は、愛宕山に居を構え、配下は100人を越える群盗「滝夜叉」の女頭目である。皐月は自ら平将門の子だと清明に告げる。京人は平将門を東夷と罵った。
 歴史年表を読むと、「安和2年(969)3月、安和の変(藤原千晴ら流罪、源高明左遷)という一項が記されている。著者はこれは、左大臣源高明が緊急朝議を開き、天下和同という自説を展開しようとした。その源高明に、国栖率いる葛城山の土蜘蛛、虎節率いる大江山の鬼、皐月率いる愛宕山の滝夜叉らが加担したと描く。源満仲の裏切りにより、高明の企ては頓挫した。安和の変である。
 土蜘蛛、鬼、滝夜叉たちの苦難が再び始まっていく。滝夜叉は落ちのび、摂津竜王山に拠点を移すことに・・・・・。

 第2章に桜暁丸が登場する。越後国蒲原郡の豪族で、先祖が朝廷に服属した故に、郡司を任命されている山家重房を父にして、天延3年(975)、皆既日食の日に生まれた。母は山口という浜に漂着した異人だった。その母は出産後、流行り病で死んだ。父は桜暁丸の姿形は母に似ているという。周辺の人々は、桜暁丸を禍の子と見なし、鬼若と密かに呼んでいた。
 桜暁丸は師となった老僧の蓮茂から学問と教練を学ぶ。1年後の寛和2年(986)に、暗雲が立ちこめる。この時国主は源満仲であり、重房が蒲原郡にある夷の村にも善政を行うやり方に対し、反対の立場を取り、重房を攻めてきた。攻めてきたのは、満仲の嫡男頼光、卜部季武、碓井貞光らである。このとき、蓮茂の素性が百足だと明らかになる。
 桜暁丸はこの時、父重房の説得と蓮茂の助力により、落ちて生き延びることになる。
 これが桜暁丸の波瀾万丈の人生の幕開けとなっていく。

 桜暁丸は京に上る。そして、花天狗と称される凶賊となる。夜回りする検非違使や武官しか狙わない。「金を返せ。返さぬとあらば抜け」金を差し出した者には危害を加えない。刀を抜いた者は斬り殺す。錯乱して素手で挑んだ者は殴り倒すという行動に出る。それが評判となる一方、追われる立場になる。
 花天狗の所業において、彼は渡辺綱、坂田金時らとの対決の出会いが生じてくるのは当然である。
 一方で、袴垂保輔との出会いが生まれ、保輔に助けられることから、その後の状況が大きく動いていく。まずは保輔の活動を手伝う事から始まって行く。義賊と称される保輔を身近で見聞し協力する。それが「童」と称される人々、集団との出会いへと広がって行く。
 民を騙すことに長けた中流貴族の藤原景斉の屋敷に盗賊に入ることを契機に、滝夜叉との連携が始まる。
 かつて保輔が助けた娘、穂鳥を再び保輔から託されて、大和葛城山の裾野を歩く途中で土蜘蛛との出会いが生まれる。土蜘蛛について、桜暁丸は蓮茂から教えられていた。
 土蜘蛛の頭領毬人との絆が、彼らの里である畝傍山での砦再構築を生むことになる。桜暁丸は、毬人の子である欽賀と星哉を同行し、この計画を為し遂げる。葛城山と畝傍山の二山の連携が始まる。
 この後、竜王山、大江山との連携を推進していくという展開になる。
 そして、桜暁丸がある経緯を経て大江山の鬼の頭領に推されることになるという次第。 ここに到る紆余曲折が、まず読ませどころになる。
 その先に、大江山、葛城山、竜王山を拠点にする童が京の朝廷側の軍と対峙していかざるを得ない推移がクライマックスへと読者を導いていく。

 「天の下では人に違いはない」という原理がなぜ実現しないのか。この不条理を鮮やかに描いている。

 酒呑童子と恐れられた桜暁丸が最後に麻佐利に告げる言葉、そこに彼の万感の思いが込められていると言えよう。
 「鬼に横道なきものを!!」
 
 ご一読ありがとうございます。

補遺
袴垂保輔  :「コトバンク」
藤原保輔  :ウィキペディア
源頼光の大江山酒呑童子退治  1089ブログ :「東京国立博物館」
作品解説 酒呑童子/大江山  :「兵庫県立歴史博物館」
大江山絵巻(酒呑童子絵巻)   :「徳川美術館」

土蜘蛛  :ウィキペディア
滝夜叉姫 :ウィキペディア
鬼とは何者? :「日本の鬼の交流博物館」
勇将・藤原秀郷(俵藤太)の伝承から見えてくる古代の製鉄民族と製銅民族との対立
                             :「歴史人」
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『千里眼 ミッドタウンタワーの迷宮』  松岡圭祐  角川文庫

2024-06-22 12:12:50 | 松岡圭祐
 遅ればせながら千里眼新シリーズを読み継いでいる。本作は新シリーズの第4弾書き下ろし。平成19年(2007)3月に文庫版が刊行された。
 2007年1月にこの新シリーズの最初の3作が同時刊行されて、その後奇数月にこのシリーズが順次作品化されると公表されていたようだ。

 岬美由紀の友達である高遠由愛香が、東京ミッドタウンタワーの地上150mにあるオフィスフロアから巨大望遠鏡で2人の中国人に監視されている場面から始まる。この監視活動が、このストーリーに敷かれた伏線となる。
 場面は一転する。美由紀は雪村藍を伴って、百里基地で行われる航空祭に出かける。藍のリクエストでもあったが、美由紀は航空祭での講演依頼を受けていた。基地内で美由紀は偶然にも元上官の坂村久蔵元三等空佐を見かけて話しかけた。美由紀は坂村との会話中に、彼の表情に嫌悪や警戒心を働いた兆候を読み取った。会話はわずかの間だったが、坂村は知られたくない隠し事を抱いているように美由紀は感じた。坂村との出会い、ここにも伏線が敷かれていく。

 青空ではブルーインパルスのアクロバット飛行が行われ、航空祭の会場となった基地内には、無数の自衛隊機の展示とともに、ミグ25フォックスパットがデモンストレーション飛行のために待機していた。そこに、突然に警報ととも緊急事態発生の報せが伝わる。勿論、美由紀は条件反射的に指定場所に駆けつける。そこで見たのは段ボールの小箱に横たわる物体。外観は「パキスタン製小型戦略核爆弾、ヒジュラX5」。液晶タイマーが作動していて、7分後に爆発と分かる。容器は溶接されていて壊せない。本物かどうか、悠長な論議をしている暇はない。即決行動が要求されるのだ。この小型戦略核爆弾にどう対応するか? 集まった幹部自衛官らが戸惑う中で、美由紀が決然と行動に出る。その後を伊吹が追いかける。これがこのストーリーの最初の山場となる。のっけから読者をぎゅっと惹きつける展開。007シリーズで、最初に1つの見せ場が急速に進展して観客を惹きつけるアプローチに似ている。まずは読者があっけに取られる対処を美由紀が決断し実行するというダイナミックなプロセスが描き出されていく。
 その間に、地上では思わぬことが発生していた。フランス空軍がつい最近開発した通称カウアディス攻撃ヘリのプロトタイプが一機、航空祭で展示されていたのだが、それが核爆弾騒ぎの中で消えていた。坂村元三等空佐がその攻撃ヘリに乗り込み、発進させたという複数の証言があると菅谷三佐が語った。なぜ、彼が? これもまた布石となる。

 さて、メイン・ストーリーは? 東京ミッドタウンのガーデンテラス内に、由愛香が都内15番目の店、フランス料理の専門店「マルジョレーヌ」を開店する直前からストーリーが始まる。この店の開店準備と並行して、由愛香は賭博行為に手を染めていた。由愛香は元麻布に所在する中国大使館内で開かれるカジノに招待され、そこで賭博をしていた。その結果、破滅の瀬戸際まで来ていたのだ。
 ある日、美由紀は白金にある由愛香の店を訪れて、その店が閉店となっていることを知る。心配し、由愛香に会って事情を尋ねた美由紀は、由愛香が賭博行為に嵌まり、破産の瀬戸際に居ることを知る。
 美由紀は由愛香に同行し、このカジノでの賭博のカラクリを暴き、由愛香を破産から救出しようと決断する。そのために美由紀はそのカジノでの賭博資金として、己の預金を全額資金として持参する挙に出る。
 メイン・ストーリーのテーマは、友人由愛香を賭博癖と破産の苦境から立ち直らせることである。そこに構想の一ひねりが加わって行くところが楽しみどころなのだ。

 美由紀が由愛香に同行し、大使館内のカジノに行くには、前段のサブ・ストーリーがあった。
 東京ミッドタウン・メディカルセンターで、同僚の臨床心理士徳永良彦が担当しているクライアント又吉光春のカウンセリングに美由紀が関わることになる。それに起因する。徳永に又吉のカウンセリングを依頼しているのは、国税局査察部の小平隆だった。又吉の携わる仕事と彼の金の使い方、日常行動との間に大きなギャップがあり、その収入源について、マルサが疑問を抱いていたのだ。美由紀は又吉と対話し、彼の話を聞く中で又吉が嘘を語っていないと判断する。しかし、その話の内容自体は実に奇妙なのだ。そこで美由紀は独自の調査行動をとる。又吉に案内されて東京ミッドタウンタワーの31階オフィスフロアーを見てみる。そこであることに気づく。美由紀は警視庁捜査一課の岩国警部補とコンタクトをとる。その結果、1つの解釈に確信を持つ。それが由愛香の陥っている問題事象にリンクしていく。この謎解きが読者にとっては楽しみとなる。

 このストーリーのおもしろいところは、由愛香を賭博依存と破産の泥沼から救い出すつもりが、思わぬ裏切りから、状況が悪化し、美由紀が、大切な人の命と国家機密を賭けたカードゲームを行わねばならない苦境に突き進んでいくという進展にある。そこにはある罠が仕掛けられていた・・・・・。
 
 中国大使館内で、美由紀がリベンジのカードゲームを行うことと、美由紀の最後の闘いの場が、東京ミッドタウンタワーになることだけに触れておこう。

 最後に、本作の舞台になる東京ミッドタウンについて付記しておきたい。
 六本木交差点に程近く、かつては防衛庁の庁舎が存在していた場所。そこに緑豊かな複合施設が建設された。ミッドタウンタワーは高さ248m、地上54階、地下5階で、直線が主体の直方体の建物。東京ミッドタウンは、タワーを中心として複数のビルで構成されているという設定となっている。高級志向のエリアである。 p68~69
 
 さあ、この新シリーズ第4作をお楽しみいただきたい。
 
 ご一読ありがとうございます。



『天空の魔手 警視庁公安部・片野坂彰』  濱嘉之  文春文庫

2024-06-20 21:12:22 | 濱嘉之
 警視庁公安部・片野坂彰シリーズの第5弾! 2023年5月に書き下ろしの文庫が刊行された。ネット検索してみると、現時点(6/20)では、後続第6弾は刊行されていない。

 このシリーズの魅力は、実にリアルタイムなテーマ設定でインテリジェンス要素に満ちるコンテンツを扱ったフィクションだという点にある。
 最初にこのストーリーのキーワードを列挙してみよう。ドローン、eスポーツ、ミニ富岳、中国による台湾侵攻の想定、テルミット弾、対日有害活動の抑止、費用対効果、シュミレーションゲーム、ロボットの応用、衛星画像技術、SAR衛星、現地実験というところか。
 これらのキーワードが公安部の片野坂彰の頭脳の中でどのようにリンクしているのかが、このストーリーであり、それが実にリアルに結びついていくところを楽しめる。けれども、それがリアルに感じられるだけ余計に、この現実世界をリアルタイムで考える上でのインテリジェンスとなる。
 
 科学技術はコインのようなもの。平和利用と軍事利用の両面をもつ。どちらの側面で使うか。それは人間に課せられた選択である。このストーリーでは、ある目的のもとで、あるターゲットに対しドローンを飛ばすという行為が中心にストーリーが進展していく。
 プロローグは、群馬県の山間にある牧場に30人程度の選抜された青少年が、ドローンを操作し、最終的には高度50mから目標の直径2mの円内に3kgの重りを落とし、ドローンを出発地点に帰還させるという競技である。いわゆるeスポーツの一種といえる。
 この競技現場に片野坂は、警視庁警備局担当審議官五十嵐雄一警視監を伴って来ていた。ミニ富岳を1台レンタルして、この競技大会をオブザーブした。片野坂の脳裡には、公安の観点から、ドローンを実戦的に使うという発想があった。この競技大会はその発想を実現化する一歩だったのだ。それは五十嵐審議官への己の発想と実現化へのプレゼンでもあった。
 この競技大会での優勝者と準優勝者は、新規ソフト開発への参加権を獲得できるのだった。
 
 外見上はゲームソフト開発の会社を立ち上げ、eスポーツとしてドローンを使ったゲームソフトを開発する。eスポーツとしては、ドローン操縦は人間である。操縦には人間のスキル、ノウハウが累積され磨かれていく。しかし、それをコンピュータによる操縦という形に技術転換させたソフト開発を実現することが片野坂のねらいだった。つまり、ドローンを公安的観点から、対日有害活動の抑止に使う技術開発と技術確立である。
 その為には、ソフト開発をする特定の会社や資材調達をする会社などの基盤環境整備が勿論、マル秘レベルで必要となる。
 一方でそのソフト開発は、操縦者の操作という次元に落とし込み、形を変えることで、eスポーツのゲームソフトとしての販売ができる。採算性という側面が存在する。おもしろい領域に片野坂は着目したのだ。

 片野坂の脳裡には、直近の有事として、中国による台湾侵攻が想定され、かつその延長線上に、中国の日本国領海侵犯がリンクしており、そこに公安部としての立場での関与の限界と関与方法への独自の思考が渦巻いているのだ。

 このストーリーは、勿論、第一段階は実戦的ドローン作戦の実機とソフトの開発というプロセスがある。そして、実機とソフトの性能テストが成されねばならない。第二段階は、片野坂が想定して開発したドローン作戦のシミュレーション技術が、本当に実戦的なものといえるか。その調査と検証は不可欠である。公安部長の許可を取り、片野坂はアメリカに飛ぶ。
 片野坂の元同僚であり、NSBの上席調査官であるレイノルド・フレッチャーにまず相談を投げかけることから始まって行く。NSBはFBIの内局の1つ。連邦捜査局国家保安部である。
 片野坂が持参したのは、ドローンを使ったウクライナでの戦い方のゲーム感覚でのシミュレーションだった。この相談が、さらに実戦的なブラッシュアップへとつながっていく。
 第三段階は、現地実験へとステップアップすることに・・・・・。

 これをメインの大筋とすれば、ここに幾つもの筋が織り込まれていく。
1. リアルタイムで発生してきた様々な公安領域絡みの事象に関連した情報話
2. この第5作から、新人が加わる。片野坂の部下・望月の外務省時代の同僚で32歳の一等書記官、東大卒。中国の北京大使館と上海・瀋陽の領事館勤務経験あり。語学では「チャイナ・スクール」のエースとみなされていた男。現在は外務省アジア大洋州局北東アジア第二課勤務である。名前は壱岐雄志(イキユウジ)。本シリーズの愛読者にとっては、楽しい側面となる。片野坂のチームが教化されるのだから。
3. 片野坂はチームメンバーに、ロシア軍と中国人民解放軍の詳細な動向調査が喫緊の問題と判断し、その調査を指示する。メンバーが協力してこの課題に取り組んでいく。
 壱岐にとっては、トレーニングの要素を含めた実戦の調査活動となる。
4. 時事、世界情勢に関連した会話が、様々な関連情報を含んでいて、リアルタイムな豆知識情報を副産物として提供してくれる。

 このストーリー、フィクションではあるが、重要な点に気づかせてくれる。
 ドローンの利用が戦争そのものを変える段階に入っていること。
 衛星画像技術の進化によって、かつての軍事的極秘情報が手に取るように即座にわかる時代になってきたこと。
 他にもあるだろうが、この2点が印象的である。

 ストーリーを楽しみながら、思考材料となる情報を副産物として提供してくれる小説だと思う。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
ドローンとは? 国土交通省の定義や語源、ヘリ・ラジコンとの違いも解説
                      :「ドローンナビゲーター」
ドローンとは?意外と知らないドローンの定義を簡単に解説  :「mazex」
無人航空機  :ウィキペディア
日本水中ドローン協会 ホームページ
ウクライナ「ドローン戦」で変貌する戦争 :「REUTERS」
[密着]ウクライナ軍”ドローン部隊”徹夜の任務で目標『バンキシャ!』 YouTube
  2024年5月19日放送「真相報道バンキシャ!」より との付記あり
仏大統領"支援"のホンネは?/ウクライナ「新ドローン部隊」発足・・・G7サミットの舞台裏【6月14日(金)#報道1930】|TBS NEWS DIG
衛星データ入門  SAR(合成開口レーダ)のキホン 
   ~事例、分かること、センサ、衛星、波長~
    :「宇畑 SORABATAKE」

国土地理院で利用している主なSAR衛星  :「国土地理院」
光学衛星とSAR衛星の違い     :「SPACE SHIFT」

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『散華 紫式部の生涯』 上・下巻  杉本苑子  中公文庫

2024-06-19 22:06:58 | 諸作家作品
 千年余を越え現在も読み継がれ、諸外国語で翻訳版も出版され続ける『源氏物語』という畢生の大作を生み出し、『紫式部日記』『紫式部集』を残した通称紫式部。その紫式部はどのような人生を過ごしたのか。生年も没年も不詳。わずかの著書と断片的な史資料を踏まえて、なぜ、『源氏物語』が執筆されたのか、その経緯を中核に紫式部の生涯を描ききった小説である。
 本作は、『婦人公論』(昭和61年3月号~平成2年1月号)に連載として発表された。その後、1991(平成3)年2月に単行本が刊行され、1994年1月に文庫化された。冒頭のカバー表紙はこの文庫版のもの。そのカバー画は加山又造作で、上巻「夜桜」(部分)、下巻「朧」(部分)が使われている。かなり以前に入手していた文庫版を読み終えた。
 調べてみると、2023年9月に、カバーをイラストに変更した新装版文庫が刊行されている。

 本作で紫式部は小市という名で描かれていく。姉は大市。播磨国飾磨の市の日に生まれたので大市と名付けられた。紫式部は二女として生まれたことから小市の名が付いたとする。父の藤原為時の赴任先、播磨の国府で、三人目の子、薬師麿を生んだ後、産をこじらせて母が播磨で亡くなる。父為時は任務を終え、子供らと共に帰京。為時には周防と称する妹が居て、この周防が兄の子供らの世話を引き受ける。
 周防が小市と薬師麿を伴い、粟田口から日岡の街道経由で来栖野にある宮道列子の墳墓や勧修寺を訪ねる場面からストーリーが始まる。往路、日岡の街道で、裸で虚死(ソラジニ)していた男が強盗を働く様子を偶然に目撃した。周防等はこの強盗と勧修寺の回廊で出くわすことになる。同行していた薬師麿の乳母が、この男を今評判の袴垂かと推察した。男は藤原保輔と名乗り、その場を去る。この出会いが後々への一筋の伏線となっていくところがおもしろい。
 余談だが、最近平安時代を背景としたいくつかの著者を異にする小説を読み継いできて、袴垂れの保輔がいずれにも出てくる状況に出くわした。当時名を馳せた実在のいわゆる義賊だったようである。
 
 ここから始まる上巻は、当時の社会的状況と貴族社会の勢力関係などの背景を巧みに織り込んでいく。『蜻蛉日記』を介して藤原一門の状況が語られ、強盗の横行と魔火(放火)が頻繁に発生していた状況が明らかになる。円融帝が退位、花山天皇が新帝となるが、麗ノ女御と呼ばれた忯子の死が契機となり、藤原道兼の唆しに乗り花山天皇が出家する。花山天皇が東宮だった時に小市の父・為時は学問の相手として関わりを得、花山帝の政庁発足で式部丞に補されたのだが、この事態はたちまち為時に失職という影響を及ぼす。一方、姉の大市は、花山帝側近の一人となった権中納言義懐の想われ人として見出されていた。それが姉の人生を変える結果となる。
 花山帝出家、一条帝が7歳で践祚し、一条天皇の時代となる。それは息子たちを使い、政略謀略により一条帝の外祖父となった藤原兼家一族の時代、藤原摂関家の時代の始まりである。まずは兼家謳歌の時代。だが、そこから一族内部の兄弟間の熾烈な権力闘争に進展していく。まず長男道隆が摂関家を継承。道隆の娘・定子が一条帝に入内する。しかし、道隆は疫病で没し、二男道兼は「七日関白」で終わる。道隆同様に赤班瘡(アカモガサ)で没した。道長の時代へと移る。道隆の子息の伊周(コレチカ)と隆家(タカイエ)は、史上でいわれる「中ノ関白家事件」で転落していくことに・・・・。
 上巻では、左大臣になった道長の時代のもとで、小市の父・為時が当初淡路の国司への除目が、越前の国司に変替えを通達されるところまでが描かれる。

 ここまでの時間軸で興味深いと思った点がある。
1. この段階では、小市は己の生きている時代を、己の目と耳で見聞する観察者の立場にいる。父を含め、周囲の人々から社会の情勢、貴族社会内部の人間関係や権力闘争、政治の状況について情報を吸収する立場である。貴族社会内の格差を実感する。過去のことは、身近にある書物から知識を蓄える。小市が情報を己にインプットしていく状況を描いていると言える。そのプロセスで小市は己の見方を徐々に培い始める。
 たとえば、小市の意識を著者は次のように記している。姉の大市の生き方に絡んで、
「美しいものはこころよい。花でも鳥でも虹でも星でも、美しいものが世の中を潤す力ははかりしれないが、人間--ことに女が生きる上で、外貌の美醜が幸・不幸を分ける重大な決めてとなっている点が、小市には釈然としないのだ。(女の仕合わせとは何か、不仕合わせとはどういうことか)」   p340
そして、姉の生き方を(わたしには耐えられないわ)と己の立ち位置を自覚する。

2. 現在進行中のNHKの大河ドラマのフィクションとは大きな構想上での差異点があっておもしろい。
 1) 小市の母の死についての設定が全く違う。
 2) 父為時の越前国司受任時点までに、小市と藤原道長との人間関係は発生しない。
 3) 同様にこの時点までで小市が清少納言との間で親交を深める機会は描かれない。
  ただし、伯父・為頼の息子伊祐が清原元輔の家を訪ねる際に、小市が同行する。
  そこで、御簾を介して、小市が清少納言に古今集に載る清原深養父の歌17首を誦
  しきる場面が描いている。 上巻・p174-176
 4) 逆に、小市は姉大市が女房務めをしていた昌子皇后の御所に同様に幼女の頃から
  仕えている御許丸との関係が生まれ、織り込まれて行く。御許丸とは後の和泉式部
  である。著者は、御許丸の歌に、小市が「わが家は詩歌の家すじ・・・・・・せめて生き
  た証を、その伝統の中で輝かしたい」と触発される場面を描く。 p446
 5) 藤原宣孝が為時の家に頻繁に訪れ、小市と対話するのは双方で同様。
同じ史実をベースに踏まえても、状況設定が大きく異なり、それが成り立っているのが、フィクションのおもしろさといえるだろう。

 下巻は、小市が同行し、為時が越前国司として赴任地に出立する場面から始まる。往路の状況。越前国府での小市の心境。為頼伯父の病臥という通知を潮に小市は帰京。宣孝との結婚に至る紆余曲折。賢子誕生と宣孝の死。中宮定子に対抗する形での道長の娘彰子の入内。『枕草子』の評判。「光る源氏 輝く日ノ宮」の書き始め。小市の出仕とその直後の顛末。道長呪詛事件と道長の宮廷への布石。小市が中宮彰子出産の記録を担当。和泉式部の出仕と「宇治十帖」執筆。彰子の人格的成長(人形から賢后へ)。小市の晩年。という進展により、紫式部の後半の生涯が描き出されていく。
 大河ドラマがこの後どのように進展するのかは知らないが・・・・・。
 このストーリーでは、小市が宣孝と結婚して、女として体験する様々な側面、その感情と思いを著者は書き込んで行く。この期間は短いけれどもこの小市の結婚生活での心理的体験、女心の変転する機微が多分『源氏物語』の人物描写の中に反映していく、いわば創作の肥やしとなっていくのだろう。
 小市が土御門第に居た彰子のもとに年末に出仕したが、その直後に自宅に戻ってしまった。その時の原因を著者は道長の関わりとして描く。それを、恵み、通過儀礼の側面としている。当時の時代背景を踏まえると、立場によりその行為がいかように解釈できるかという描写となり、実に興味深い。この体験が、小市にとり『源氏物語』創作の肥やしになるのだろう。道長の立場での解釈を、小市が推察する記述が下巻のp318に明確に記述されている。その前に、小市の立場からの反射的判断が描き込まれているのはもちろんである。さらに視点を変えた解釈も小市が考えていく。多面的思考が盛り込まれていて興味深い。なるほど・・・である。

 四十余年の歳月を経た時点で「近ごろ小市を苦しめつつある索莫とした心情」として、著者は小市が自己省察する内容を明確に記している。これは著者が捕らえた紫式部像とも言えるだろう。長くなるが引用する。 
”もともと小市は、内省的な性格に生まれついていた。頭がよく、洞察力もあるため他人への批判はきびしい。口に出しては言わないけれど、見る目はなかなか辛辣だし、相手の欠点や短所を抉るのに手加減しなかった。
 しかもその目が、他人ばかりでなく、自分自身にも同じ鋭さ、容赦のなさで注がれているところに、小市の気質の不幸な特色があった。おのれに甘く人に辛いなら、まだしも救われる。相手を悪者にしてのければ気分は安まり、解き放たれもするのに、「まちがっているには相手、自分は正当」と思いこめる自己本位な楽天性が、小市にはない。
 人から蒙る不快、苦痛、恨みや憤りも、煎じつめてゆくと結局、自身に回帰してくる。原因をおのれに求めるという出口のない、息ぐるしい形に至り着いてしまう。それでなくても、よろこびの実感は常に淡く、あべこべに、悲しいこと口惜しいこと情けないことつらいことは記憶の襞に深く刻みつけて、容易に忘れないたちだった。
 誇りを傷つけられる無念には敏感に反応したし、何びとにも犯させない矜持と自我を、頑なまでに守り通しながら、まったくうらはらな弱さ脆さ、おのれへの嫌悪感、愧じの意識に苛まれるという二律背反の矛盾の中で、重荷さながらな生を、曳きずり曳きずり生きてきた四十余年の歳月なのである”  p398
 
 小市が『宇治十帖』を書き継いだ理由、心情の底にあるものも著者は記している。これは本書を読んでいただきたい。

 さらに、「それはすでに、小市の--紫式部の『源氏物語』ではなく、その読み手自身の『源氏物語』なのである」と記す。p416
 その後に、こう述べている。「作者は自分のために書き、自分の好みにのみ、合わせるほかないのだ」(p416)と。これは著者自身の自作に対する思いでもあると感じる。

 著者は「あとがき」に、「本質的には現代人と変わらぬ生き身の人間として、登場人物を描くことにつとめた」と記している。
 大長編小説だが、読みごたえがある。紫式部という存在が、ちょっと身近に感じられる小説だ。

 ご一読ありがとうございます。

『天を測る』  今野敏   講談社

2024-06-18 16:52:04 | 今野敏
 著者の作品群を長年愛読してきている。本書の出版広告を見た記憶がなく、たまたま地元の図書館で目にとまった。史実が残る人物を主人公にし、本格的な歴史時代小説の領域で著者が小説を書いていたとは知らなかった。
 著者の作品を読みついできた範囲では、時代小説的なのは、サーベル警視庁シリーズくらいの気がする。

 奥書を見ると、初出は「小説現代」2020年11月号で、同年12月に単行本が刊行されている。

 史実の人物と上記したが、私は本作を読むまで主人公の小野友五郎という逸材が存在したことを知らなかった。幕末・明治の時代の転換期について、また1つ新たな視点を知った。そこには「テクノクラート」が存在したということ。歴史年表に名を連ねる一群の人々の背景に、彼らと時代を支える立場のテクノクラートたちが活躍していたという視点である。
 著者は、末尾の「参考文献」で、藤井哲博著『咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯 -- 幕末明治のテクノクラート』を参考にしたと述べ、この文献を参考にして初めてこの小説が完成したと記している。

 小野友五郎は、笠間牧野家家臣であり、江戸幕府が創設した長崎海軍伝習所の一期生として学んだ。伝習所以来、艦船での経験を積んでいる。友五郎の得意とした領域は算術であり、観測と計算だった。
 安政7年(1860)1月、江戸幕府外国奉行新見豊前守正興が、日米修好通商条約の批准書交換を目的に、米国艦のポーハタン号に乗船して、アメリカに出向く。小栗豊後守忠順が遣米使節目付として乗船し同行する。
 この時、咸臨丸が随伴艦となり、アメリカに赴いた。小野友五郎は咸臨丸の測量方兼運用方となる。上記の参考文献で言えば、航海長。測量方として、長崎海軍伝習所での後輩である松岡磐吉、赤松大三郎、伴鉄太郎がクルーとなる。また蒸気方(今で言う機関長)として肥田浜五郎が加わる。中浜万次郎(通称、ジョン・万次郎)が遣米使節通弁として乗船。友五郎と万次郎の親交はこの航海時に深まったようだ。
 
 本作は、まず咸臨丸の米国往還と米国滞在中の状況描写から始まっていく。咸臨丸の名前と太平洋航海達成は史実として学んではいた、しかし、その状況は本作を読み、初めてイメージできるようになった。アメリカの海軍士官や航海士等が太平洋横断の往路に乗船していたことを初めて知った。事実をベースにフィクションが組み込まれているとはいえ、咸臨丸の状況がリアルに感じられておもしろい。往路、アメリカ側と日本側がそれぞれの天体測量の結果をオープンに開示する測量合戦をしたそうだ。
 この時の咸臨丸の船長は勝海舟。勝は船に弱いというのを以前にどこかで読んだことがある。本作には、咸臨丸渡航以外にも各所で勝海舟が登場する。多少カリカチュアな描写が含まれているかもしれないが、勝海舟の自己顕示欲的な側面が描かれていて興味をそそる。
 咸臨丸の友五郎らクルーは、サンフランシスコ滞在中、港北端のメーア島海軍造船所に用意された宿舎に滞在したという。そこを拠点に何をしたのか。
 友五郎らは、長崎伝習所でオランダの造船技術を学んでいた。友五郎は、日本が自力で蒸気軍艦を造る同等の力はあると確信していて、その上でアメリカの造船技術情報を収集するということに専念したようだ。勿論、造船所の公式の見学許可を取ったうえである。当時は技術情報の開示は大らかだったことが感じられる。産業スパイ的な発想と警戒心はなかったのだろう。彼我の歴然とした技術力格差という見方、偏見、蔑みが根っ子にあったのだと感じる。そういう時代だったのだろう。友五郎らの行動の描写が彼らの問題意識を鮮やかにしている。

 軍艦奉行木村摂津守喜毅と共に彼の従者という名目で福沢諭吉が咸臨丸に乗船して渡米した。このストーリーではこれを機会に、友五郎と福沢との関わりもできていく。西欧信奉派の立場の福沢と日本の技術力を確信する友五郎とのメーア島での会話が、日本VS西欧の代理対話のように描き込まれるところもおもしろい。

 咸臨丸は帰路にもう1つの任務を持っていたことを本作で初めて知った。無人島の調査。現在の小笠原諸島と称する島々の位置確定と測量である。日本の領土と宣言するための基礎固めという任務。これは咸臨丸の汽罐の蒸気漏れによる出力低下と悪化の懸念から断念され、帰国が優先されたようだ。後に咸臨丸が行う次の仕事になる。
 小笠原諸島の島を拠点に、万次郎が捕鯨をするという夢を抱いていたことも知った。

 咸臨丸での航海を契機に、木村摂津守は友五郎の能力と人柄を大いに評価する。木村摂津守が、幕末の幕府老中の中核で、開国を前提にして欧米の武力干渉に対抗するための政治的な舵取りをする人々と、友五郎とのリンキング・ポイントになっていく。咸臨丸での航海の後、友五郎は幕末の動乱の渦中でテクノクラートとして己の能力を発揮していく。そういう場を与え続けられる。咸臨丸渡航譚は、いわば本作の第一部のようなものである。

 江戸幕府の政事を司るトップの意思を受けて、友五郎がどのような事項に関与して行くことになるのか。それがこのストーリーであり、小野友五郎という逸材の半生を描いていく伝記風小説の側面を持っている。その反面で、テクノクラートの視点から眺めると、幕末期における幕府開国派と尊皇攘夷派との併存と時代の流れが見えてくる。何のための国内戦だったのか。あらためて幕末の動乱期は不可思議な時代だと感じる。

 友五郎がどのような人生を送るかは、本作をお楽しみ頂くとして、友五郎がテクノクラートとして、何に関わり主導的な役割を担う立場に投げこまれたかだけ、時系列的に列挙しておこう。咸臨丸での渡航の後のことである。
 もう一点、先に触れておく必要がある。それは友五郎が抜擢されて、笠間牧野家家臣から、幕臣・旗本に身分が転身するということである。旗本の立場で仕事が始まっていく。勿論、友五郎はもとから日本という視点を思考の中核にしているのだが・・・・。

 *蒸気軍艦建造の建言書の作成と提出 ⇒ 正確な縮尺模型の製作、軍艦建造へ
 *江戸湾の総合的な海防計画 ⇒ 江戸湾測量、砲台位置決定への準備、復命書提出
               ⇒ 『江都海防真論』七巻の完成と建言 ⇒ 実務へ
 *製鉄所付き造船所建設地の選定
 *咸臨丸による小笠原諸島の測量、硫黄島周辺の地形観察
 *公儀の会計事務全般の改革
 *貨幣改革
 *毛利家討伐のための動員計画策定の責任者 第一次、第二次ともに
 *軍艦とその他軍備調達のための渡米
 *兵庫開港の準備

幕臣として上記の様々な課題に携わった友五郎は、明治維新後、民部省への出仕を要請される。54歳のときだそうである。鉄道の測量。たちまち、技師長となり、測量に関わるすべての事柄を掌握していく。
 小野友五郎。テクノクラートとしての役割を担ったすごい逸材が居たのだ!
 違った目で、幕末・明治初期と人物群像をみつめることができる小説である。

 「軍艦とその他軍備調達のための渡米」の課題の遂行プロセスで福沢諭吉が渡米の一員になっていたそうだ。この時の福沢のエピソードが描き込まれている。福沢のいわば身勝手な行動の一側面である。幕末のどさくさでどうも結末はあやふやになったような読後印象をうける。これはネガティブ・エピソードなので、事実を踏まえているのだろうと思う。こんな側面もあったのか・・・と感じる。勝海舟も含め、やはり人は多面的なものの総体なのだと思う。

 最後に、友五郎の発言として記され、印象に残る一文を引用しご紹介しておこう。
*己にないものを自覚し、他者のよさを認めて足し算をしていく。品格というのは、そうして育っていくものでしょう。引き算ばかり考えている連中には、品格が備わることはありません。   p276

*どんなことになろうと、我々は公儀のため、日本のために働かなくてはなりません。
 私はそれに全力を尽くします。     p277

*その理屈は通りません。ご公儀の金で買ったものはご公儀のものです。  p301

*我々は、諸外国に負けない海軍力を培うために、苦労に苦労を重ねて横須賀造船所を造りました。ご公儀とか、薩摩とか、長州とかいう問題ではありません。日本の未来のために、日本人が使うのです。破壊してはいけません。  p313

 それと、元軍艦奉行で、後に勘定奉行として江戸城明け渡しの事務処理を行った木村喜毅が明治維新後に、友五郎を訪れて対話する場面での発言も、印象深い。
*政府は底が浅いので・・・・。公儀で実務を担当していた私から見ると、今の政府は張りぼてです。
 政府の要職に就いた薩摩・長州の連中は。残念ながら、まるで力がない。結局、かつての旗本や大名が実務を担うしかないのです。  p330-331

 ご一読ありがとうございます。


補遺
笠間が生んだ科学技術者 小野友五郎  :「笠間市」 
小野友五郎  :「千葉県富津市」
常陸の国が生んだ幕末明治のテクノクラート 小野友五郎を伝えてゆく会ホームページ
小野友五郎物語  YouTube
福沢諭吉は公金一万五千ドルを横領したか? :「blechmusik.xii.jp」
咸臨丸      :ウィキペディア
咸臨丸の歴史   :「木古内町観光協会」

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