遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『共謀捜査』  堂場瞬一   集英社文庫

2023-07-31 23:27:07 | 堂場瞬一
 『検証捜査』では、キャリア官僚永井をリーダーとして全国の警察署から集められた刑事たちがチームを組み、捜査に携わった。警察が警察を検証するために極秘に捜査をするというものだった。その捜査が完了した時点で、刑事たちは原職へと戻っていった。だが、彼らの間には情報ネットワークが築かれていた。
 本書は『検証捜査』を源流として、『凍結捜査』との関わりを持ちながら、「捜査」がキーワードとなり、かつての人間関係が再びリンクしていくという作品である。その「捜査」はフランスが舞台となり、そこから捜査がスイスに移ってくという国際的スケールの警察小説になっていくところがおもしろい。文庫のための書き下ろし作品として、2020年12月に刊行された。

 警察庁のキャリア官僚である永井はフランスのリヨンに所在する「ICPO(国際刑事警察機構)」本部に出向した。永井は、各国警察の「調整機関」であるICPOに、ICIB(国際犯罪組織捜査局)を正式に発足させる準備を行うリーダーとなっていた。これは永井が警察人生を賭けた目標でもあった。日本においては長官官房付でのICPO出向と位置づけられている。
 ここに『凍結捜査』がリンクしてくる。函館中央署の刑事である保井凜が担当した射殺事件は表面的には事実が解明されて解決したものの、実質は凍結状態となった。これを契機として、凜は永井の誘いを受け、2年限定でICPO本部に出向して来て、永井の下で勤務することになった。
 
 このストーリーは、ICIBの発足が間近になってきている時点で、リーダーの永井が本部から2キロほど離れたアパルトマンに通勤に使っている自転車で帰宅する途上で、密かにつけてきたハイブリッドカーに追突され、拉致されるところから始まる。
 ICPOには捜査権はない。永井拉致事件はフランスの警察に任せなければならない。つまり、凜は直接には捜査に携われない。ICIBのチームメンバーと協力して、事件周辺情報を収集するとともに、フランス警察に協力しながら事件解決をめざすしかない。凜は日本国内の長官官房とのコミュニケーションの窓口となっていく。凜は神谷には永井が拉致されたことを電話連絡する。
 地元フランスの警察からの出向で、ICPO職員のアンドレ・クレマンという同僚、地元警察であるリヨン署の犯罪対策班、独身女性で33歳のカミーユ・モローが凜の直接的な協力者になる。
 事態は、ICIBに身代金として100万ユーロを要求する脅迫メールが届いたことから動き出す。

 一方、日本では、神谷が警察庁のナンバースリーである浦部官房長から直接呼びつけられる。浦部は、松崎泰之、45歳が昨夜殺されたと神谷に告げた。手渡された殴り書きのメモによると、後頭部に銃創がある状態だった。元神奈川県警の人間で、ブラックリストに載っていたという。浦部は『検証捜査』時点の背景事象を念頭に置いていた。神谷は松崎射殺事件を特命事項として神谷に調査するように命じた。浦部は神谷の助っ人を予め準備していた。埼玉県警捜査一課の桜内翔吾刑事が浦部が手配した助っ人だった。さらに、福岡県警の皆川慶一朗が加わることに。彼らは神奈川県警の特命捜査のメンバーだった。
 「今は全てが謎だ。進む先に何があるかはまったく見えない」(p61)と神谷が感じるところから、事態がスタートする。
 かつてのタスク・フォースの一人だった大阪府警の島村は、定年退職し大阪警察博物館の館長になっていた。彼はつきあいのある人間関係から組織内の問題事象を耳にする。刑事魂で情報収集を始める。パトロール中の臨港署員が、不審なロシア人に職務質問し、荷物を調べ、コカイン10kgを発見した。保管中のこのコカイン10kgが臨海署で紛失状態になっていた。島村は伝手を使ってその経緯の事実を密かに調べた。

 読者としては、まったく独立したと思われる3つの事件がパラレルに進行しはじめる。それぞれの事件の捜査が、全く異なるやり方で、進む。それらの捜査状況が交互に描写されていく。
 副産物として、読者にはフランスの警察組織が日本とどのように異なるかということがイメージとして掴めていく。ICPOという組織のことも少しわかるようになる。
 神谷たちの捜査は、官房長からの特命事項故に、通常の捜査とどのよう異なる行動になるのかが、興味津々となる。なぜなら、官房長は彼らの捜査の拠点として、公安が昔使っていたとい警視庁の新橋分室を手配し、長官官房の職員二谷を浦部のメッセンジャーに指定したのだ。浦部か掴んだ情報は二谷を介して提供されることになった。
 また、神谷は浦部の動きにも疑念を感じ、何か深い裏がありそうな気がするのだから、おもしろい展開になりそうな予感を読者は感じることに。
 浦部が提供した情報から、神谷らは聞き込み捜査を始める。浦部の動きは早く、ロシアン・マフィアに関する情報が入り、東京に住む貿易商のニコライ・チェルネンコに会うよう示唆が来る。貿易という点で、松崎が海外と、それもブラックな側面での繋がりがあった可能性が出てくる。
 神谷は松崎の足跡を追う中で桜内が見つけた松崎の名刺に記載された住所の部屋を調べる。クローゼットの天井裏から、ちょうど文庫本ぐらいの薄い金属片を見つけた。短辺の片方に、長さ3cmほどの5本のスリットが入っていた。この金属片がキーになり、
 ロシアン・マフィアがキーワードになっていく。島村は神谷がロシアン・マフィアの絡む事件に振り回された事件のことを思い出した。

 拉致犯人が3回目のメールをICIBに送って来た時はブランと名乗った。受け渡し方法は追って指示するという。その後のメールで、永井の受け渡しをスイスと告げてくる。
 凜たちは、受け渡しがどこになりそうか想定し、、永井救出法を練ることになる。

 このストーリー、3つの事件が交差し収斂していくのかどうか、が読者にとっての楽しみどころとなる。交差し収斂するとするならどのように・・・・。
 
神谷たち3人は浦部の命令を受けて、スイスに行くことになる。なぜ、スイスに行くのか。それを語ればネタばれになるので回避する。
 スイスに出向いた3人は凜と合流することになる。勿論、それは永井の救出と関連していた。
 永井の救出行動。そこには国際的犯罪組織撲滅のために想いも寄らぬ企みが組み込まれていた。本書のタイトルは『共謀捜査』である。「共謀」という語句がキーワードになっていることが最後によくわかる。

 この小説、最後に著者の「あとがき」が付いている。そこに、次の文が記されている。ここでご紹介しておく。
*私は、『検証捜査』で出した登場人物たちを、もう少し自由に動かして、主役の座に押し上げてやりたかった。そのため、その後登場人物それぞれを語り部にして、『検証捜査』とは直接関係ない作品群を書き続けることになった。  p515
*全てが『検証捜査』のスピンオフ作品なのだ。・・・・・絶対にシリーズではない。
 本書で完結する・・・・  p516

 その結果、『検証捜査』の後に、『複合捜査』『共犯捜査』『時限捜査』『凍結捜査』が生み出されて、本作に至ったということになる。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『凍結捜査』   集英社文庫
『献心 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『闇夜 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『牽制 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『遮断 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『波紋 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『裂壊 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<堂場瞬一>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 26冊

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『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   今村翔吾   祥伝社文庫

2023-07-29 00:11:55 | 今村翔吾
 加持星十郎は、明和の大火後、安永2年(1773)1月末頃に、暦の論争に関して山路連貝軒に協力することと、長谷川平蔵宣雄から、京都西町奉行に着任後怪事件が頻発していることに知恵を借りたいという依頼を受けたことで京都に入った。だが、火消の身内を誘拐する事件を伴う火事が頻発することで、星十郎は江戸に急遽戻った(第2作『夜哭鳥』)。さらに、前作『九紋龍』の事件が発生した。新庄藩特産品のお披露目で松永源吾の妻・深雪はその販売に活躍した。安永2年5月の時点で、源吾は星十郎から長谷川平蔵の依頼により携わった事件-青坊主事件と漆器問屋「黒戸屋」事件-の顛末を詳しく聞いた。
 その後で、新庄藩特産品を買い付けてくれた京の「大丸」の主人、下村彦右衛門素休が長谷川平蔵から頼まれて源吾宛に渡していた書状のことを源吾は思い出す。そこには、長谷川平蔵の危機が記されていた。青坊主事件がまだ終息していないことに加えて、火を用いた事件が起きているという。源吾に星十郎を伴い、京にきて欲しいという依頼である。源吾は、星十郎と武蔵を伴い、京に向かう。
 この第4弾は、源吾・星十郎・武蔵が京都で一働きする顛末譚である。文庫書き下ろしとして、平成30年(2018)2月に刊行された。

 大坂に着いた源吾らは、そこで与力石川喜八郎に出迎えられ、また、平蔵の嫡子、長谷川銕三郎に引き合わされた。その後京都西町奉行に到着した源吾等は、長谷川平蔵から現状を聞かされる。2つの問題が発生していた。
1)黒戸屋事件の犯人長介の自白がさらに問題を明らかにした。頻繁に起こった青坊主事件の裏のカラクリ。一連の事件に関わる黒幕、真犯人の存在。この黒幕は、事件を不可思議なままで終わらせようと企んでいるらしいこと。長介は己を唆した男の特徴を語っていること。これらが事件が終息していない事実を示す。
2)人が突然に燃え上がる。それが火事の原因となり延焼が起こっていること。既に5件。
 初めの事件はその長介の妾の葬式の最中に、切断された首から煙が上り、火を噴いた。炎は棺へ移り、焔は天井を焦がす。人々は祟りを恐れ、手を拱いて、混乱。延焼した。
 この人が燃える一連の事件を、京の民は、妖怪火車と呼んでいるという。

 源吾等には、何故燃えるのかを調べ原因を究明し、起こった火事を消し止めることが使命となる。翌日から源吾等は動き出す。
 源吾は、長谷川平蔵から、嫡子の銕三郎が源吾等を呼ぶことに反対していたことを聞かされる。銕三郎には、放蕩の限りを尽くしたという過去があった。反対している銕三郎が源吾等の行動に対して、どういう影響を与えるか、当初から不確定要素が内在することになる。銕三郎は源吾に己一人でも火車の難事件を解決できると憤懣をぶつけた。
 既に起こった5件の火車事件の葬儀は、真宗佛光寺派本山佛光寺に関係する和尚が取り仕切っていたという事実がわかっていた。銕三郎はこの点を重視していた。

 このストーリーの面白さは、江戸の治安の仕組み、風土とはことなる京都を舞台とするところにある。宮廷貴族と寺社という勢力が中心になり長年都の治安が維持され、庶民が受け入れてきた風土と京の庶民が源吾らの相手となる。喜八郎は源吾に言う。京において、一番気を配らねばならないのは京雀だと。

 事件の探索というメイン・ストーリーに、サイド・ストーリーが織り込まれて行く。それは、京都に来た機会を利用して、武蔵が平井利兵衛工房を探して訪ねる。前作『九紋龍』でその名が出てくる。竜吐水を考案した絡繰師の工房である。武蔵は最新式の消火道具を己の目で見たかったのだ。武蔵は五代目平井利兵衛に会うつもりだった。武蔵は六代目平井利兵衛がまず応対したくれたことに戸惑った。その名跡を継いだのが当年19歳の水穂と称する女性だった。武蔵は、六代目から最新式の竜吐水の他に、火消道具の水鉄砲を見せられる。武蔵は五代目平井滝翁にも面談した。さらに六代目が奥から持ち出してきた新工夫の「極蜃舞」と称される霧を生む火消道具を見せられる。武蔵は使い方を試してみることを勧められた。滝翁はサイフォンの原理を使っていると武蔵に説明した。
 この平井利兵衛工房を武蔵が訪れたことが、源吾等の探索する事件との交点を持つことになる。なかなかおもしろい構想が展開されていく。お楽しみに。

 京都西町奉行所に下村彦右衛門が源吾を訪ねてくる。彦右衛門は源吾を連れ出し、庶民的な酒場「やちよ」という馴染みの店に案内する。ここで一騒動が起こるのだが、女将から「蟒蛇(うわばみ)さん」と呼ばれる無精髭を生やした武士と知り合う。この武士との出会いが、その後源吾の働きに大きく関わって行くことに・・・・・。著者がおもしろいキャラクターの人物を絡ませていくところが、おもしろい。

 京都西町奉行所に、佛光寺の代表として清峰と称する僧が訪れる。5件の葬儀に関わった状況を説明した。清峰の話が糸口となっていく。
 その翌日、四条河原町で生身の人が燃えているという事件が発生した。ここにもまた、糸口が見え始める。
 源吾等に反発心を抱く銕三郎は、姿を消し独自の行動を始めていく。彼の行動は源吾等にとって、どういう影響を及ぼすか・・・・。
 星十郎の知識が原因の究明に力を発揮しだす。さらに、事件の背後に思わぬ黒幕が浮かび上がって行く。おもしろいストーリー展開に、読者は一気読みしてしまうだろう。
 この作品もまた楽しめる出来映えになっている。

 事件が解決する一方で、悲しい結果を生む。長谷川平蔵の死である。
 どのように死を迎えることになるか、これもこのストーリーのエンディングにふさわしいように思う。己の死すら見切っていた平蔵の生き方となっている。
 長谷川平蔵宣雄は実在の人物である。調べてみると、彼は安永2年6月に京都で亡くなっている。このフィクション、平蔵の死の時点と整合させて、巧妙に採り入れた終結である。
 さらに付け加えておきたい。序章と終章が照応している。序章を読み始めた時は、その意味合いがほとんどわからない状態である。終章を読んで初めてその照応関係がわかる。さらに言えば、このストーリーを読んで初めて、序章・終章の置かれた意味あいを深めていけるといえる。

 本書に記された印象的な文を幾つか覚書を兼ね、引用しておきたい。
*どのような感情も、募り過ぎれば人の正気を奪う。それが正義からくるものであっても同じである。度が過ぎれば、悪を滅ぼすために己も悪事をする。そのような例はごまんとあった。  p178
*この世に生まれ落ちた時は、皆が善人だと儂は思っておる。生きていくうちに汚いものを見、知らぬうちに汚れていく。それでも多くの者は人の優しさに触れ、清らかさを取り戻すのだ。   p257
*人も同じ、身分は違えども煙草の銘柄ほどのもの。最後は煙に変じて灰になる。雁首で燃え、吸い口で消える。この羅宇をどのように潜って生きるか。詰まるところ人生とはそのようなものではないか。 p258
   付記:羅宇とは、煙管(きせる)の火皿(雁首)と吸い口をつなぐ竹の管のこと。
 最後に余談だが、池波正太郎の有名な作品に「鬼平犯科帳」シリーズがある。そこに長谷川平蔵が登場する。そこに登場するのは、長谷川平蔵宣雄の嫡子、銕三郎の方である。つまり、長谷川平蔵宣以(のぶため)が主人公となっている。

 ご一読ありがとうございます。
 

補遺
長谷川平蔵宣雄  :ウィキペディア
消防雑学事典・火附盗賊改・鬼の平蔵  :「東京消防庁」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社
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『凍結捜査』   堂場瞬一   集英社文庫

2023-07-27 21:42:54 | 堂場瞬一
 『検証捜査』でタスク・フォースとして全国から集められ捜査に従事したメンバーは、事件解決後、解散し原職に復帰した。だがそのネットワークを活用して事件捜査に役立てるというつながりが色濃く出てくる設定でおもしろい作品群が続く。それに加わった一冊である。文庫書き下ろしとして、2019年7月に刊行された。

 函館近郊にある大沼国定公園の雪中から後頭部を撃たれた遺体が発見された。発見者は国定公園内で土産物店を経営する浦田政次。彼は日課の早朝散歩の時、嫌な予感のする雪の膨らみを見て、雪を取り除いて、射殺遺体を発見した。
 保井凜(やすいりん)は、後輩の淺井真由から携帯に「大沼で殺しです」と連絡を受けた。凜は昨年10月から函館中央署の刑事一課に異動していた。連絡を受けた時には、3日の休暇をとり、神谷悟郎(かみやごろう)が訪ねてきていた。凜と神谷は『検証捜査』で捜査チームのメンバーだった。今は、遠距離交際の関係を続けている。神谷は警視庁刑事一課の刑事。
 凜が現場に着いた時、被害者は所持していた免許証から平田和己、33歳とみなされた。後頭部から二発撃たれて、二発とも顔面を貫通。通路脇の雪溜まりにうつ伏せ状態だった。アメリカのマフィアのやり口に似た射殺である。凜は、婦女暴行事件の被害者届が出されていたことから平田和己を記憶していた。彼の出身は東京で、札幌に住んでいた時、ロシアとの水産物輸出入を行う小さな商社に勤めていた。被害届が出されたことで本人の指紋が採取されている。この時の被害者は函館に実家がある水野珠希であり、被害届は一旦出されたが、その後すぐに取り下げられのだった。だが、凜は水野珠希の心のケアを兼ねて、彼女との接触を続けていた。凜は珠希の携帯に連絡をするが音信不通。珠希の実家に電話を入れると、母親が珠希が家出したようだと返答してきた。
 凜は、事件が望まない方に急に動き始めたと感じる。

 凜はまず、函館市内の珠希の実家を訪ねることから、捜査に入る。一方、神谷は函館の観光などをして時間を費やし、凜と過ごせる時間を有効に活用した後は東京に戻ることにした。神谷はこの事件に関心を寄せ、出来る範囲で情報を収集し分析する。東京に戻った後、間接的に東京から凜の捜査活動を支援する立場をとろうとする。
 函館の事件を知った埼玉県警の桜内省吾が神谷に連絡を入れてくる。神谷は桜内と会い意見交換をする。一方、神谷は警察庁刑事局広域捜査課長の永井とコンタクトをとる。永井はかつてのタスク・フォースのリーダーだったキャリア官僚。『検証捜査』で培われたネットワークがなにがしか有効なソースとなっていく。

 射殺事件の捜査本部が立つ。被害者について詳細に調べるために、凜は東京における平田の足取り捜査班4人の内に組み込まれる。東京での平田の足取り捜査の成果がでない内に、本部の2刑事は、札幌での殺人事件発生を理由に撤収し、かつ捜査本部も規模縮小となる。さらに凜たちも刑事一課長古澤からの連絡で函館に戻る羽目に・・・・。
 函館に戻った凜は捜査を続けるが、1週間ほど後に、凜は帰宅の途中、コンビニに立ち寄ったとき、見知らぬ女性に声を掛けられる。彼女は凜の素性を知った上で、接触をはかってきた。これを契機に、平田射殺事件には想像もできない裏がありそうだと凜は直観する。
 
 東京のあるホテルで殺しが発生する。待機中の神谷らは現場に臨場することに。被害者は若い女性。後頭部に二発撃たれ、処刑スタイルだという連絡を神谷は受けた。神谷は、函館の平田射殺事件を思い出す。手口が共通している・・・・と。浅川みどりという名での宿泊だったが、偽名と判明した。鑑識作業が終了時点で、遺留のバッグに残っていた運転免許証から、被害者が水野珠希と判明した。
 この事件について、神谷は函館の凜に連絡を入れる。非公式段階だが、凜は古澤課長にこの事件を報告し、遺体確認を兼ねて凜が東京に飛ぶことになる。これが第二部のはじまりとなっていく。
 函館中央署と警視庁は捜査で連携することになる。凜は函館中央署と警視庁との連絡役となる。警視庁側は、神谷が進藤を相棒として、珠希の交友関係を調べるために札幌に出張することから始まる。

 連携捜査は始まるが、捜査を進展させる事実が出て来ない。そんな最中に、凜の宿泊するホテルのロビーに、コンビニ前で接触してきたあの女性が、居ることに凜は気づく。神谷に連絡したことで、神谷が尾行し須藤朝美だと判明する。勤務先も大凡判明した。だが、それが逆に疑問を膨らませる。
 また、連絡役としての凜が函館に戻ることになった前夜、神谷と食事をして、宿泊ホテルの近くで別れた直後に、凜はプリウスにぶつけられ、スタンガンを使われて拉致されかけた。何とか車から自力で脱出。神谷が気づき車を止めさせようとするが、道路に放り出される。大通りに飛び出した車は、トラックと衝突事故を起こす結果に。凜は鎖骨にひびが入り全治三週間の怪我を負う。神谷と凜は、須藤朝美を糸口をつかむため、捜査のターゲットにする。須藤は凜を拉致しようとした運転手の名前だけは知っていた。
 須藤を問い詰めて得たひとかけらの情報と凜を拉致しようとした男が、捜査の糸口になっていく。そこから平田和己と水野珠希の射殺事件の真相は思わぬ方向へ進展していく。

 このストーリー、凜と神谷の連携捜査が軸となりこのあと進展していく。だが、捜査で判明することから意外な結末が導き出されていく。
 2つの射殺事件は、個別的には一応解明できる。だが、そこで留まらざるを得なくなる。真の問題は、現実の捜査という視点では「凍結」されてしまうことに・・・・・・・。
 興味深い構想のストーリーとなっている。捜査とは何か。それについて問いかける一つの視点が背景に置いて問題提起されているとも読める。

 最後に、上記のキャリア官僚、永井が神谷と凜に対して語ったことを、一つご紹介しておこう。
「神谷さん、変な風に聞こえるかもしれませんが、私は上から事態を見なければいけないんです。
 一方、あなたたちは、現場で人の苦しみや悲しみを見る---私たちがそういうことを経験していちいち気持ちを動かされていては、何もできなくなります」 p489

 読者として、仕方がないなぁ・・・・とは思う一方で、それ故フラストレーションが残る部分があるのも感想。とはいえ、こういう終わり方もありえるか。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『献心 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『闇夜 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『牽制 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『遮断 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『波紋 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『裂壊 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<堂場瞬一>作品の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 26冊
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『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』 今村翔吾  祥伝社文庫

2023-07-26 14:41:58 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズの書き下ろし第3弾。平成29年(2017)11月に文庫が刊行された。
 町火消「に」組の頭・辰一は、火消番付で東の関脇に位置づけられている。町火消最強と評される男。身の丈六尺三寸(189cm)で筋骨隆々の巨体の持ち主であり、背中に九頭の龍の入れ墨を彫っている。そこから九紋龍と通称されている。本書のタイトルは辰一のこの通称に由来する。

 序章は上方から始まる。長谷川平蔵が京都西町奉行に着任した当時、千羽一家という押し込み強盗が京を荒していた。平蔵は千羽一家を追う。千羽一家は京から姿を消す。そして、大坂で火事を起こして、火事を囮にして大坂南堀江の両替商「篠長」に押し入り、皆殺しにして金を奪って、消えた。火事は燃え広がった。上方で平蔵は切歯扼腕する。
 その千羽一家が、江戸に戻ってきたのだ。再び、大胆な手口で火付け押し込み強盗を開始する。江戸で発生した火事に敏速に対処するため源吾たち羽州ぼろ鳶組は率先して活躍する。一方、松永源吾は起こった火事の不審さに疑問を抱く。同時期に発生した悲惨な強盗事件との関連に気づいていく。不審を感じる源吾の思考と行動がこのストーリーの推進力となっていく。そんな折、長谷川平蔵から伝馬で源吾宛に文が届く。
 もう一人、「に」組の頭・九紋龍が千羽一家の動きを察知していた。九紋龍は千羽一家を壊滅することに執念を持っている。それはなぜか。それがこのストーリーの要になっている。

 このストーリーの面白さを生み出す背景にある構造的な要素をご紹介しよう。
 第1は、幕政を一手に担う田沼意次と将軍を輩出する資格を有する御三卿の一つである一橋家の当主・一橋治済(はるさだ)との間の政治的確執が継続している。前作で、田沼意次が建造を推進した弁財船、鳳丸が大火の消火手段に使われ、一度の航海もしないまま座礁した。この結果が、田村追い落としの材料に利用され、田村意次は守勢に回る状況になっていた。一橋治済は田沼潰しに黒幕として暗躍する。
 一橋治済は田沼意次に、新庄藩の方角火消の役割を免じてやればとすら言い始める。
 第2は、長谷川平蔵が栄転の形で、京都西町奉行に転出したことに起因する状況。島田弾正政弥(まさひさ)が火付盗賊改方の長官後継者となった。島田には長谷川平蔵のような気概もなければ能力も無い。源吾は頼りにならない人物と判断する。源吾にとり島田は事件解決で連携プレイがとれない負の要素に過ぎなくなる。長谷川平蔵が居てくれたならば・・・・というところ。 平蔵が京に去ってから、府下の火付け事件は増加の一途を辿るという状況にあった。
 第3は、新庄藩に状況変化が生まれる。新庄藩の家老、六右衛門は国元に帰ると、その後病の床に就いた。国元から御連枝戸沢正親が江戸に出て来て、家老の代行を始めた。正親は新庄藩の財政が困窮していることと、国元を優先させるという方針で、藩財政の運営を始める。源吾には、鳶の俸給を減じ、その他火消道具などへの費用を五個年差し止めると通告してきた。方角火消の役割も管轄範囲内に留めよという。源吾にとっては承伏できない方針である。正親は何処かから、それなりの情報を入手した上で、己の方針を打ち出してきたのだ。正親の言を受け入れるなら、新庄藩火消は壊滅する。源吾は再び窮地に立たされる。源吾、どうする・・・・。火消の矜持とぼろ鳶組の存続をかけて、源吾は正親に対峙しなければならなくなる。正親と源吾の関係はどのように進展するのか。
 第4は、前作で魁の武蔵が登場した。戸沢正親が江戸に出てくる以前の段階で、源吾は武蔵を新庄藩火消一番組頭に迎え入れていた。竜吐水の扱いが滅法上手い武蔵をぼろ鳶組の強力な戦力にしようとしていた。源吾は新庄藩の火消道具の老朽化への対処に迫られていた。
 第5は、源吾の妻、深雪が前作の最後の時点で身籠もっている事実がわかった。さらに深雪は己の才覚で近隣諸家の奥方たちと社交を広げ、交流ネットワークを築いていた。その結果が現れてくるという側面が織り込まれて行く。

 こういう背景要素が絡まり合って、正親の言を半ば無視する源吾と羽州ぼろ鳶組の火消活動が展開されていくというストーリーが展開する。その源吾の前に町火消「に」組の九紋龍が現れてくる。火事現場に乱入してきて、大混乱を引き起こす因となる。火消同士の喧嘩も始まる。配下の火消に命じるだけで、己の考えを語らない九紋龍のなぞの行動の有り様が、読者の関心を引き付けていく。
 火消活動が度重なるにつれ、源吾と九紋龍の関わり方が変化していく。今回のストーリーでは、消火活動と併せて千羽一家の撲滅をめざすという目的に向かった両者の関わり方が読ませどころとなっていく。勿論、火消たちの連携プレーを含めてである。

 火事の発生、火消たちの消火活動。それと同時期に事件が発生する。それらの名称だけ時系列でご紹介しておこう。
麻布宮村町 有馬兵庫守下屋敷の火事 :六本木町の商家「朱門屋」で18名斬殺・強盗
日本橋南、元大工町 会所の火事 :日本橋、谷町の材木問屋「菱屋」で皆殺し・強盗
南小田原町、乾物商「小谷屋」の火事 
浅草阿部川町、墨屋「染床」の火事 : 一軒の札差宅で11名皆殺し・強盗
神田橋御門近く三河町、そして小伝馬町 :最後の大団円となる。お楽しみに・・・。
 最後に火事を喰い止める場所が、小伝馬上町となる。源吾の一言「各火消! 俺の指揮に従ってくれ!」火消の一致協力が力を発揮する。著者はここの躍動的で迫力ある場面描写により読者を引き込んでいく。さすが、エンターテインメント性を存分に発揮する。
 
 九紋龍・辰一は背中に9頭の龍を彫っていた。8頭までは見事な龍の彫りと仕上げなのだが、1頭だけは筋彫りで輪郭を彫るだけに留めていた。この不可思議さが辰一の過去と現在の思いを表象している。この九紋龍を彫り込んだ辰一の思いが、彼の行動の原点になっている。源吾は星十郎、新之助、寅次郎らの協力を得て、その謎解きを試みる。また、「に」組の宗助が、辰一と源吾の間をつなぐ役割として要所要所に登場する。
 それがこのストーリーの読ませどころにリンクしていくということに触れておこう。
 ここからは読んでのお楽しみである。

 この第3作、「第6章 勘定小町参る」で締めくくられる。勘定小町とは源吾の妻、深雪のこと。新庄藩の財政運営の為に、深雪が一働きするというエピソードで締めくくられるところが楽しい。そこに、上方きっての豪商、大文字屋四代の下村彦右衛門素休を登場させるのだから、おもしろい。大文字屋の通称はご存知の大丸である。
 実在した新庄藩と大丸の下村彦右衛門は、史実として商取引の関係があったのだろうか。それともこれは時代小説としてのフィクションにすぎないのか。小説を離れてちょっと関心が湧いた。

 最後に本書から印象深い箇所を引用、ご紹介する。
*無欠な者などおりません。それを補い合い人は生きているのです。個の力には限界があるかと。    p162
*新庄の民は貧しい。しかし決して明日への希を捨てぬ。人への思いやりを忘れはせぬ。人の真の貧しさとは、それらを忘れることではなかろうか・・・・先代のお言葉よ。 p253

 松永源吾率いる羽州ぼろ鳶組がその存亡の窮地を脱する目途が立ったところで終わるのがいい。著者は読者の心をつかむのがうまいと感じる。第4弾への期待を募らせる。

 ご一読ありがとうございます。
 
補遺
消防雑学辞典 江戸時代の消防ポンプ  :「東京消防庁」
龍吐水   :「消防防災博物館」
坪内定鑑  :「民俗学の広場」
坪内定鑑  :「用例.jp」
喧嘩両成敗 :「コトバンク」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社

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『茶道の正体』  矢部良明  宮帯出版社

2023-07-23 18:50:57 | 茶の世界
 地元の図書館に設けられた本を紹介する書架で本書のタイトルが目に止まった。まず「正体」という語に惹きつけられた。「茶道の正体」というちょっと思わせぶりなタイトルで何を語るのか? 千利休関連の本は幾冊か読んでいるが、直接「茶道」を冠した教養書は読んでいない。好奇心が働いた。本書は、2022年12月に刊行されている。
 本書で初めて著者を知ったのだが、最後のページをみると、同出版社からだけでも7冊の著書を刊行されている。いずれこれらも読んでみたいと思っている。

 「はじめに」は、出版社より「茶の湯の基本的な常識についてまとめてほしい」、内容は自由にという依頼を受け、本書をまとめたという書き出しから始まっている。ターゲットとしての読者をどの辺りに想定した「茶の湯の基本的な常識」なのだろうか、という印象を抱いた書である。基本的な常識の基準線がちょっと高めだな・・・・と感じている。逆に少し踏み込んだ形で、珠光以降の茶の湯、茶道を通史的に学ぶ機会となり、役に立った。
 
 著者は「美術茶の湯」と「点前茶の湯」を茶の湯を支える二本柱と捉える。前者を尊ぶ人は数寄者であり、数寄茶の湯者である。後者は、点前中心の流儀の茶人であり、点前茶の湯者であると言う。そして、茶の湯500年間の起伏消長を論じていく。読後印象として、著者は茶の湯の真髄をなす美学は何かという点にウエイトを置いていると受けとめた。著者は「冷凍寂枯」という術語がその美学の根幹を成すと論じている。「世俗を超えるところに新境地をひらいた『超克の美学』を原理原則とする茶の湯」(p2)と語る。
 500年の茶の湯の歩みを通史的な視点で捉えると、「超俗の美学」をコンセプトにおいた茶の湯が、ファッションの茶の湯へと移行してきたと言う。その過程で茶の湯が多様化し、流儀(宗家)が生み出された。点前茶の湯に移行して行ったと論じている。
 500年間の当初200年ほどは、茶室と茶道具を使って超俗するための喫茶文化活動が継続した。それが美術茶の湯であり、そこに確立されたのが「冷凍寂枯」の美学だと論じている。その論証プロセスは読み応えがある。基本的な常識を踏み越えて、更に掘り下げていると思う。

 本書の構成をご紹介しておこう。私が理解した範囲で多少要点を付記する。
 第一部 茶の湯、その芸術活動
  第一章 心に染みる抹茶の美味しさ
   中国の茶の製法と喫茶法を簡略に紹介した後、日本で「抹茶」が確立され、濃茶
   と薄茶が生まれたと述べ、その製法にも言及する。

  第二章 芸術の道を歩む茶の湯
   中国は喫茶を芸術に発展させたとして『茶経』『茶録』の内容を説く。「鎌倉時
   代後期の14世紀に流行し始めた喫茶法は、中国の文人が9世紀から10世紀に称揚し
   始めた黒釉茶碗に象徴される新たな喫茶法だったのです」(p49)と著者は言う。
   日本には宋風喫茶が導入された。15世紀に、京都・東福寺の僧正徹が、茶好きを
   「茶呑み」「茶喰らい」「茶数寄」の三種の人々に分けた。「数寄」という概念
   がここに登場してくる。

  第三章 禅と茶の湯
   室町時代末期の禅僧たちが「茶禅一味」を言い出したが、日本において初期の茶
   人たちが茶の湯を発祥した動機付けは禅ではないと著者が論じる点が興味深い。
   珠光、彼の嗣子宗珠、武野紹鷗(以下、鴎で代用)を取り上げている。さらに、
   心敬法師が「連歌は枯れかじけて寒かれ」と言い、紹鴎は茶の湯美学の原点をこ
   こに求めたと論じていく。著者は藤原俊成の「寂び」、世阿弥の「寂び・冷え」
   に言及する。その上で、禅と茶の湯の精神共同体的な土壌の確認を進めたのが千
   利休と論じている。

  第四章 金銭が物語る茶の湯の発展
   茶の湯の発展を、唐物茶道具に財産価値が付き、茶道具の値段が高騰していく様
   の事例を挙げて論じている。それは、茶の湯が人々に理解され普遍性を獲得しそ
   の存在感を確かめるのに分かりやすいからと言う。確かに茶道具がどのように受
   容されて行ったかが一目瞭然である。当初の茶の湯は茶道具への関心が高かった
   ようだ。その点を信長が己の政治に採り入れたのをなるほどと思う。

  第五章 珠光茶の湯の遺産
   珠光は、自ら冷凍寂枯の美学を提案し、「喫茶が主目的ではなく、高級な茶道具
   を使って、特別な建築や庭園などの環境をととのえ、超俗の境涯に清遊すること
   に主眼をおく」(p113)美術趣味と捉えていたと著者は論じている。
   著者は、珠光の茶道具は「麄相(そそう)の美」を象徴していると言う。
   珠光は、当時格上とみられた建盞よりも格下と見られていた天目を高位に置いた
   という。
   さらに、著者は珠光が茶の湯台子と茶室の原形をつくったと推考している。珠光
   流の茶室は押板ではなく、床構えであり、「床」が茶席の飾り所となっていたと
   論じている。「床には飾りのマニュアルがないという自由さこそが、珠光の着眼
   点だったのでしょう」(p146)と推考する。

  第六章 茶の湯を大成したのは、武野紹鴎?千利休?
   著者は『山上宗二記』を基盤にし、諸文献を渉猟し引用することで論証しながら
   持説を論じている。知らない諸資料が次々に登場するが、論理の展開はわかりや
   すく読みやすい。
   紹鴎が活躍した天文年間(1531~1555)は、唐物茶道具が急展開する時期で、紹
   鴎は茶道具の目利きであり、彼の審美眼が実績となったと言う。紹鴎の茶室の図
   面が『山上宗二記』に記録されていて、著者はその図面を本書に掲載している。
   山上宗二は紹鴎を「正風体の茶の湯の大成者」と評価したと著者は紹介する。そ
   れと対比し、山上宗二の記述「千利休は、名人であったから、山を谷、西を東と
   言って、茶の湯の法を破り、自由をなしても面白い」(p173)を引用して、著者
   は千利休を茶の湯の革新者と位置づけて論じている。天正10年までは、紹鴎流が
   一世を風靡したとする。そして、「利休が、紹鴎茶の湯を乗り越えようと覚悟を
   つけたのは、天正10年以後のことでした」(p179)と述べ、この時期以降に利休が
   茶の湯の革新者となり、「唐物名物に代わる創作茶道具の提案と、格別な茶室の
   提案」(p179)をスローガンにした行動を始めたと論じている。利休が己の茶の湯
   を始めるのは、豊臣秀吉が天下人として君臨する時期と一致するという。
   さらに、著者は利休が己の創作へと突き進んで行ったのかを論じて行く。
   この章から学ぶことが多い。小見出しを列挙しておこう。
   「六、創作にかける利休の動機」  「七、超俗の至味をうながす利休茶席」
   「八、利休道具を貫流する寂びの美」
  
  第七章 ファッションの茶の湯の系譜 秀吉から織部・遠州・宗和へ
   「秀吉の心には三人の茶人が住んでいた」と比喩的な言い方で著者は持説を展開
   するところから始める。その一人がファッショナブルな茶人だと言う。利休の超
   俗の茶の湯という価値観に拘泥しない創意の地平を秀吉が開いた。その一例を黄
   金の茶屋で論じる。秀吉を筆頭にした故に、利休亡き後、時代の変化に呼応して
   織部・遠州・宗和というファッションの茶の湯が次々に生まれて行った。その経
   緯を論じていく。読んでいて興味深いし、おもしろい。
   それもまた、創作を試みた利休の根底に「自我の自覚」が厳然とあり、そこにフ
   ァッションの茶の湯を生み出す原点があると論じていると理解した。
   織部・遠州・宗和のそれぞれの創作した茶の湯が概説されていく。

 第二部 茶の湯、伝統芸能への道
  第一章 茶の湯流儀が成立する様子
   著者は、美術茶の湯の創造活動がそれぞれにおいて、理想的な頂点を極めていく
   とその先にはその芸術活動の伝統を守る気運が生まれていくのは必然だとする。
   「先人が築いた茶の湯が感動的に映り、守らなくてはならないという使命感が生
   まれ、さらに、先覚者の茶風をモデルとして尊重し、モデルからはみ出すことを
   避ける気運が生まれてきます」(p290)と。つまり、流儀が成立していく。茶の
   湯が伝統芸能になっていくのだと著者は言う。古典芸能は全て同じ道を歩んでい
   ると。茶の湯は「点前茶の湯」が主流となる道を歩み始めたということだろう。
   著者は、「二、千江岑と山田宗徧の流儀意識」「三、主要流派の成立」という小
   見出しのもとで、論証を進めている。
  この後の本書の展開は、章名のご紹介にとどめよう。
  第二章 流儀と点前
  第三章 流儀と茶室
  第四章 流儀と茶道具
  第五章 流儀を離れ、数寄風流する茶人たち

 また、本書は以下の事項について、参照資料として役に立つ。
*本文中に、紹鴎の茶室の図面と併せて、紹鴎茶席の特徴を箇条書きにまとめて、解説してくれている。  p166-168
*茶の湯の点前を眼目とする茶書について、桃山時代から江戸時代前期、17世紀の主だった茶書を一覧にまとめてくれている。 p314-316
*本書では様々な茶室の説明が出てくる。解説された茶室の茶室図が巻末に「茶室図」としてまとめられている。 p406-411

 最後に、著者の主張で印象に残る箇所を覚書として抽出しておきたいと思う。
*「侘び」と「寂び」とが、利休の思想のなかで、まったく別の次元の概念として相違していた。  p182
*「物を入れて、?相に作る」。この一語こそ、利休作為の原点です。 p195
  ⇒「物の入れる」という言葉は、金銭を掛けるという意味
*「秀吉なくして、利休なし」という想いを捨てるわけにはいきません。 p209
*利休がみずからの矜持としていたスローガンは、
  茶の湯は一個人のものであって、他人が模倣したり、遵守してはならない
というものです。美学は古典を守る利休でしたが、創作を試みる利休の精神を支える骨格は、 天が自らに与えた「自我」こそ、すべての真髄  という主張にあったようです。明晰な識見によって支えられる自我の自覚こそ、利休創作の基盤をなしていたのです。  p229-230
*利休自身の茶の湯は自分のなかで完結するものであって、利休は身内にも、まったく利休茶の湯を伝えることを強要しなかった。
 利休には、流派を形成しようという魂胆はまったくなかったのです。 p323
*茶道具に流儀が成熟する様子が投影しているとは、筆者の持論です。 p347
*大宗匠の功績は門弟たちに継承されて、流派は生まれます。流派の成立は、茶の湯の大道がすでに個々の茶人の個性から離れて、初めて可能になると思います。・・・普遍性を得たことによって、自我に根差すことが使命である芸術活動は沙汰止みとならざるを得ません。ここで、主導者が定めたマニュアルを守るという方向に茶の湯はすすむことになります。こうして茶の湯という高級な文化は、伝統に守られた没個性の芸能として保持されていくと、筆者は考えているのです。芸術から芸能へと歩むこの方向付けは、歴史の必然といえましょう。  p325
*画期的な茶道具作りが一段落した江戸中期、18世紀以降になると、・・・過去の名品をいかに按配するか、ここに茶人の力量が試される時代に入ったといってよいと思います。
  p349

 「美術茶の湯」と「点前茶の湯」、古典的な「冷凍寂枯」の美学をめざす茶の湯とファッションの茶の湯、芸術活動と芸能活動。茶道、茶の湯について考える観点が整理されていて、おもしろく読めた。
 著者の語るファッションの茶の湯の背景にある美学について、一歩踏み込んで知りたくなってきた。

 ご一読ありがとうございます。
  

補遺
村田珠光  :ウィキペディア
武野紹鴎  :ウィキペディア
千利休   :ウィキペディア
千利休   :「ジャパンナレッジ」
古田重然  :ウィキペディア
小堀政一  :ウィキペディア
金森重近  :ウィキペディア
山田宗徧  :ウィキペディア
珠光青磁茶碗(出光美術館所蔵):「表千家」
珠光青磁  :「鶴田鈍久乃章 お話」
建盞  :「コトバンク」
天目  :「コトバンク」
南蛮芋頭水指  :「茶道入門」
面桶      :「茶道入門」
古備前水指 銘 青海  :「文化遺産オンライン」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『茶人物語』  読売新聞社編  中公文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 26冊
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