遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『ブツダ最後の旅 -大パリニッパーナ経-』 中村元訳  岩波文庫

2023-06-25 14:25:40 | 宗教・仏像
 仏教の開祖ゴータマ・ブッダ(釈尊)の最後の旅路から死までを伝える経典。上座部仏教系のいわゆる涅槃経。大乗仏教系の涅槃経はまた、別に存在する。本書は、中村元先生がパーリ語の原文から邦訳されたもの。手許にあるのは、2010年4月第42刷改版。その頃に購入し、部分的に読んだり、参照することがあったものの通読することなく、書架に眠っていた。先日、松原泰道著『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』(祥伝社)を読み終えて、本書に戻り通読する動機づけになった。

 本書は6章構成になっていて、各章は4あるいは5のセクションに区分されている。その各セクションはパラグラフ毎に通し番号が付されている。
 漢文訳の経典は「如是我聞」で始まる。こちらも同様に「わたしはこのように聞いた」という一文から始まっている。
 
 王舍城の<鷲の峰>にいて、修行僧に教えておられた釈尊が、若き人アーナンダを同行者にして、最後の旅に出られる。己の死を迎える最後の旅の経緯が記述されていく。旅のプロセスの記述が中心なので、邦訳の内容は読みやすく、何が記されているかの大凡はわかる。185ページの邦訳文に対して、161ページの訳注が詳細に付記されているので、釈尊の教えに出てくるの用語の意味も理解しやすくなっている。

 この経典の冒頭は、鷲の峰に居る釈尊の許に、マガダ国王アジャータサット(付記:阿闍世王、アジャセオウ)の指示を受け、大臣でバラモンのヴァッサカーラが訪ねてくる場面から始まる。国王がヴァッジ族を征服し根絶しようと考えていることについて、釈尊の意見を尋ねさせたのだ。釈尊は、ヴァッサカーラの質問に直接には答えない。釈尊はヴァッジ族について聞き知っていることを、背後にいるアーナンダにそれが事実かどうか問いかけるという方法をとる。アーナンダは釈尊による確認の問いかけにその通りと返答する。その問答がくり返される。ヴァッサカーラは釈尊とアーナンダの問答を全て聞き、その内容を国王に伝える。アジャータサットはヴァッジ族の征服を断念する。釈尊は大臣の質問には直接答えないで、答えるという方法を採った。実に興味深いやり方である。
 大臣でバラモンのヴァッサカーラが立ち去った後、釈尊は王舎城の近くに住む修行僧全員を会堂に集合させて、衰亡を来さないための7つの方法を教える。さらに興味深いのは、その内容である。釈尊がアーナンダと問答した時の内容そのものなのだ。

 この後、釈尊は最後の旅に出かけることをアーナンダに告げ、若き人アーナンダが釈尊に付き従う。これがいわゆる釈尊80歳で故郷をめざす旅立ちである。
 この経典を読む限り、釈尊は王舎城を去った後、次の経路を旅して行く。
 アンバラッティカー~パータリ村~コーティ村~ナーディカ村~商業都市ヴェーサーリー~ベールヴア村~バンダ村~ボーガ市~パーヴァー~カクッター河~ヒラニヤヴァーティー河を渡る~クシナーラー
 クシナーラーのマッラ族のウパヴァタナの地の二本の沙羅双樹の間が釈尊の涅槃の場所になる。

 この経典を読んでいき、次の諸点について、学びまた気づくことになった。
1.クシナーラーまでの途中の行先は、その都度釈尊がアーナンダに告げる。

2.各行先へは、「多くの修行僧の群とともに」移動する。この修行僧たちが入れ替わるのか、最後まで同行するのか、具体的には触れていない。同じ表現がくり返される。

3.最後の旅の過程で、釈尊は同行したアーナンダと修行僧たちに教えを語る。何を教えたかについて、教えの内容が記述されてえいるものと、ただ教えの項目を記すだけのものとが出てくる。たとえば、次の事項が記されている。
 内容に触れた教え:七不退法、4つのすぐれた真理。法の鏡。4つの大きな教示。
 教えた項目の明記:戒律。精神統一。智慧。心。四念処。四正勤。四神足。五根。五力
          七覚支。八聖道。          
 その内容を知るのに訳注が参考になる。詳細は別の経典等を読む必要がある。

4.釈尊がこの最後の旅の途中で教えることは、重なる部分がありながらも広がっていく

5.この経典は最後の旅路と涅槃の経緯を主題にすることに重点があるようだ。
 どの地においても、釈尊が「心ゆくまでとどまったのちに」次の地に移るという記述が毎回でてくる。この表現にも意味が込められているのだろう。

6.釈尊は、ベールヴァ村にて、一度病み、命を捨てる決意をし、悪魔との対話すら行ったという段階があったことを通読して初めて知った。第三章は、釈尊が旅に病んだときのことを具体的に語っている。

7.その後、釈尊はパーヴァーに赴いた時に、鍛冶工チュンダから食事の布施を受ける。その時きのこ料理を食べた。経典の記述では、釈尊自身が用意された料理の中から、きのこ料理を選び、「用意された他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧たちにあげてください」(p116)と言っている。
 釈尊は「チュンダよ。残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。・・・・・世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見出しません」(p116) と指示したとも記されている。
この箇所を読む限り、釈尊はきのこ料理に問題があることを事前に察知していたと読める。

8.同じことを3回くり返して記述していくというパターンが要所で使われている。
 中国に三顧の礼という有名な故事もあるが、3回には人間心理の普遍性があるのかもしれない思いがする。

9.第6章の冒頭が「23、臨終のことば」である。釈尊が修行僧たちに述べた最後のことばは、「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」(p168) である。
 「自灯明。法灯明」について語られた言葉は、臨終の時では無い。それは、釈尊がベールヴァ村にて旅に病んだ時に、修行僧が自分に何を期待しているのか、と釈尊が自問し、アーナンダに対して、語りかけた言葉だった。この時、釈尊は己の年齢を「わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。」(p65)と語った上で、
 「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(p65) と。
 ここで自灯明・法灯明について語っている。先に読んだ松原泰道著に寄れば、釈尊は舎利弗の病死と目連の事故死を知らされたときにも、自分自身を諭し励ますように、この言葉を語ったそうだ。

10.釈尊の死後、その遺体の処理について、マッラ族の人々がアーナンダに質問し、アーナンダが答えていることを知った。
 「ヴァーセッタたちよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同様なしかたで、修行完成者の遺体を処理しなければなりません。」(p179)と。
 だが、この答え方は第5章の「18、病い重し」の中で、アーナンダが釈尊に問いかけた。その問いに釈尊が答えた内容である。第11パラグラフに記されている(p141)

 通読して初めて知り、かつ疑問に思うことが少なくとも一つある。それは、釈尊がベールヴァ村で旅に病み、命を捨てる決意をし、悪魔との対話もした後で、アーナンダが釈尊に「尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください」と懇請した時の会話に出てくる。釈尊は「お前は何故、三度までも、修行完成者を悩ませたのですか?」と尋ねる。その後で、釈尊は「アーナンダよ、これはお前の罪である。お前の過失である」ということを例を挙げてくり返し語っている。なぜ、釈尊がアーナンダの罪であり、過失であるとこの箇所で語るのか。不敏にして今ひとつ理解できていない。課題が残った。

 ちょっと、関心を引かれたことが一つある。沙羅双樹の木の傍で釈尊が臨終を迎える直前に、遍歴行者スバッダが現れ、釈尊の最後の直弟子になったという描写がある。このスバッダは、その後どうなったのか。他の経典に登場してくる弟子になったのだろうか。ただ、釈尊が臨終の間際まで教えを語るという行為を行ったという事例として名を残した直弟子ということなのだろうか。

 上座部仏教系の涅槃経をやっと通読できた。一歩、涅槃経の世界に踏み込んだに過ぎないが、部分読み、部分参照するだけでは分からなかった「ブツダ最後の旅」の全体イメージをつかむことができた気がする。本書の細部はいずれまた読み返す機会を持ちたい。釈尊の生涯を知るには、欠かせない一冊である。
 
ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション
『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社
「遊心逍遙記」に掲載した<宗教・仏像>関連本の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 43冊

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』  今村翔吾   祥伝社文庫

2023-06-24 00:41:05 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズ第2弾。不審火即ち火付けが連続して発生する。火付けの規模は小規模なものが続いていく。その先で大きな規模の火付けに発展していく。その一連の火災に、不思議な共通点があった。
 この第2弾は、平成29年(2017)年7月に書下ろし文庫として刊行された。

 今回、始まりの設定がまず興味深い。明和の大火(1772年)の後、霜月(11月)に改元があった。安永2年(1773)年弥生(3月)10日、白金で火の不始末による火災が起こった。新庄藩火消、通称羽州ぼろ鳶組は、勿論すぐさま火事現場に駆けつけた。この時、頭取並の鳥越新之助が指揮を執る。読者としてその想定をしていなかったので、読み始めて、なぜ?と意表をつかれた。火事場での指揮に不慣れな新之助の描写がおもしろい。
 それはなぜか。新庄藩江戸家老北条六右衛門が急遽帰国する必要があり、それに火消方頭取松永源吾が深雪を伴い安永2年の年初から同行した。源吾は国元の防災状況の調査と道標を示すという使命を担った。また、加持星十郎は暦に関する事で山路連貝軒に随行し京都に出かけていた。源吾と肝胆相照らす仲となっていた火付盗賊改方の長谷川平蔵宣雄が、改元の時点から京都西町奉行に栄転していた。長谷川平蔵に請われて星十郎は京都で長谷川の手助けをすることにもなる。そんな次第で、源吾の不在中新之助が筆頭となる。
 新之助にとっては、武家火消の頭取並として力量を問われ、火消として修羅場に立つことになる。一方で、これは新之助の覚悟と成長の機会になる。彼は一歩逞しくなる。
 新之助は彦弥、寅次郎と会議を開き、最近起こった火災の分析をする。寅次郎は11日前に湯島天神下町が火付けだったこととその火消の経緯に不審感を抱いていた。

 老中田沼意次により、府下の火消は防火の観点も考慮し復興の手伝いを命じられていた。新庄藩火消もまた、町へ繰り出していたが、銀座の南端、丸屋町あたりの火事に気づく。勿論、火事現場に駆けつける。そこで不審な状況に気づく。未だ太鼓も半鐘もなっていない。この不審点がストーリーの背景となっていく。

 このシリーズを読み始めて、江戸時代の火消の制度・仕組みが少しずつわかるようになってきた。今回焦点となっている火消の規則がある。
「火消には独自の規則がある。まずは士分の火消が太鼓を打ち、それを聞いた後でないと町火消は半鐘を鳴らすことは出来ない。さらに同じ士分でも、最も火元に近い大名家が初めに太鼓を打つ決まりとなっていた」(p25)
 太鼓が鳴らなければ、半鐘を鳴らせない。半鐘を鳴らせないと、火消の活動ができないという馬鹿げた縛りとなっていたという。
 勿論、方角火消桜田組、新庄藩火消もまた、この規則に縛られている立場である。火事現場に駆けつけた火消たちは皆、この規則に縛られている。
 さて、羽州ぼろ鳶組、どうするか? 新之助、どのように指揮を執る?

 3日後、弥生16日の黄昏時、麹町三丁目の空き家で出火。
 この時には、もう一つの仕組み、奉書の存在が描き込まれる。「奉書とは幕府からの命令書であり、これがないと元来は管轄外での活動は許されない」(p44) というもの。方角火消はその例外になるという扱いのようだが、「それでも奉書が出れば、地先での無用な揉め事を回避できる」という次第。「他の方角火消は、これが出ない限り、わざわざ骨を折る真似はしないのが普通で、どこにでも向かう新庄藩の方が例外といえた」(p45)
 火消のシステムが少しずつわかってくると、このシリーズの読者としておもしろさが一層加わってくる。

 第1作では、大火が扱われた。火付け側は、かなりの高度な技術と知識を駆使し、己の恨みをぶつけようとする元花火師が加担していた。火付けの一団の背後には、政治的野心を持つ黒幕が潜んでいた。
 この第2作では、小規模の火付けが連続的に引き起こされていく。火付け側の技術と知識はレベルが下がるが、逆に江戸火消が縛られている規則や仕組みを逆手にとって、それを悪用する戦術に出て来たのだ。この背後にも黒幕の存在がうかがえる。

 麹町三丁目の火事現場に新之助以下、ぼろ鳶組は出張っている。そこに国元新庄から戻ったばかりの源吾と深雪が駆けつけてきた。新之助はいわばほっとする。
 源吾の即断と指示から、状況の展開がおもしろくなっていく。

 源吾が馘になった松平家のある飯田町で火災が発生した。松平家は太鼓をならさない。だが、町火消の万組が魁けの鐘を鳴らした。万組の頭・魁武蔵が意識的に先打ちを行ったのだ。松平家が太鼓を鳴らさないことから、源吾は松平家に踏み込む。それを端緒にして火付け側のやり口を源吾は把握するようになっていく。源吾は京に居る長谷川平蔵に連絡をとり、彼を仲介にして田沼意次の力を借りようと動く。星十郎の戻りも促す。

 火付け側の魔手は、江戸一番の大名火消加賀鳶を率いる大音勘九郎を罠に掛ける。一方で羽州ボロ鳶組の動きをも阻止せんと図る。大音勘九郎の娘・お琳を攫う。他方、ボロ鳶組の彦弥を慕うお七もまた攫われてしまう。加賀鳶とぼろ鳶組の火事場出動を妨害しようとする行動を顕わにしてきた。
 勿論、源吾は二人の娘の探索に乗りだす。この顛末が一つの読ませどころになる。

 加賀鳶とぼろ鳶組に妨害の手を打てたと判断する火付け側は、深川木場の材木商い名胡屋に火付けをした。火の手は本所方面へ北上していく。だが、本所、深川界隈の火消は全く出ていない。皆、我身がかわいい・・・・そんな行動をとる。
 大音勘九郎は娘を犠牲にしても加賀鳶の誇りと職務を優先せんと決意し、加賀鳶の一部を率いて出向いていく。源吾はこの火事場出動にある策略を企てた。この策略がおもしろい。源吾の本領が発揮されていく。

 源吾の判断力と行動力、新之助の記憶力と剣技、星十郎の分析力と知略、彦弥と寅次郎の特技などが相乗効果を生み出していく。
 この大火にどのように源吾や勘九郎が果敢に挑んでいくのか。少数であっても、業火を前に、命を張って駆けつける火消群もいた。協力者もいる。命を張った男たちの団結と行動が始まって行く。この山場に読者が引きこまれていくのは必定となる。

 序でに、本所深川界隈には、定火消、大名火消、町火消、方角火消が揃っていることを本書で知った。ここは町火消であるいろは四十八組の管轄外の地域で、本所深川専門の町火消が1,280人もいるという。さらに、所々火消が本所の二箇所にいる。飛火防組合もいるという。
 江戸には、複雑怪奇な火消構造が形成されていたようだ。
 
 この第2作、最後の最後に、深雪が源吾にビッグ・ニュースを伝える。
 それともう一つ、羽州ぼろ鳶組に新たな戦力が加わることになる。

 エンターテインメント性も十分に盛り込んでいる。大音勘九郎の娘お琳の心意気がおもしろい。また、「海だの、陸だの関係ねえ。人が人を救うのに理屈がいるか! 男が男を恃むのに訳がいるか!」(p319) と叫んだ鳳丸の船頭の櫂五郎と源吾が最後に交わす会話がさりげなく書かれている。だが、その会話をよく読むととってもおもしろい内容になっている。
 第3作がどう進展していくかを期待しよう。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
江戸の火消  :「東京消防庁」
へらひん組がなかった「いろは四十八組」 :「東京消防庁」
大名火消   :「コトバンク」
火消     :ウィキペディア
      :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『『教行信証』を読む 親鸞の世界へ』  山折哲雄  岩波新書

2023-06-20 17:54:29 | 親鸞関連
 長らく書棚に眠っていた本をやっと読んだ。本書は2010年8月に刊行された。手許の本は同年10月の第2刷である。今、何刷になっているのかは知らない。
 親鸞聖人の畢生の著作を『教行信証』という略称で私はまず知った。正式書名は『顕浄土真実教行証文類』という。未だ覚えられない名称である。手許には、親鸞著・金子大栄校訂『教行信証』岩波文庫(2010年5月第54刷)もある。これも略称を使っている。また、市販書籍を検索すると「教行信証」の略称を使っているものがけっこう見られる。
 この春、京都国立博物館で特別展「親鸞 -生涯と名宝」が開催された。この特別展で初めて、親鸞直筆の『顕浄土真実教行証文類』(坂東本)を拝見した。親鸞が生涯くり返し推考を重ねた跡がはっきりと見られる草稿の実物である。この現物ほかを鑑賞したことも、本書を引っ張り出してきて読む動機づけになった。
 唯円が書き遺した『歎異抄』を介して親鸞の言葉を読むのと比べると、親鸞著『教行信証』はやはり敷居が高い気がしてなかなか近づけなかった。

 さて、本書は親鸞著『教行信証』の内容の全体をどのようにとらえるかについて、『教行信証』の内容の要所を押さえてながら、著者の読みときの仮説を論じている。読後印象は「親鸞の世界へ」の導入書というところ。『教行信証』の内容自体の入門レベルの解説書とも一線を画していると思う。一方で、『教行信証』の骨子を大凡押さえることはできる。『教行信証』の基本ガイドブックの役割は兼ねていると言える。

 「はじめ」の記述から、まず読者を引き付ける箇所がある。著者は鎌倉時代のいわば新興宗教群のリーダーたちの主要著書を最初に例示する。法然の『選択本願念仏集』、道元の『正法眼藏』、日蓮の『立正安国論』。これらのタイトルは、彼らの主張する主題、命題が書名に表出されている。法然は「われは念仏を選択する」、道元は「正法」を命題とする、日蓮は法華経で国を安泰にする、とその主張は明確である。一方、親鸞の主著は、その略称が『教行信証』である。正式書名は上記の通り『顕浄土真実教行証文類』。著者はこのタイトルからは親鸞が何を主張しようとしたのかが読み取れないと疑問を呈する。また正式書名の中には「信」という一字が含まれていない。この疑問は、読者にも「なぜ?」という意識を芽生えさせるだろう。私は、言われてみれば・・・と思った。

 ならば、略称はどこに由来するのか。「総序」と称される冒頭の文の末尾に、「顕真実教 一」「顕真実行 二」「顕真実信 三」「顕真実証 四」「顕真仏土 五」「顕化身土 六」と項目が列挙されてている。顕真実○の○の字を取り出すと、「教行信証」になる。そこで、著者はこの略称が親鸞のめざす主題を表しているのかと問いかける。「目次仕立ての表記にすぎないようにみえる」(pix)とすら語る。わかりやすいアプローチである。

 本書の目次構成をご紹介しながら、著者の主張の一端と読後印象をご紹介しよう。
< 第一章 総序 -主題と目標- >
 著者はこの「総序」で親鸞は海上浄土というイメージと悪人成仏という二つの主題を明らかにし、悪を転じて徳をなす正智を明らかにするという目標を掲げたと読みとく。その目標実現の道筋が、教・行・信・証なのだと。
 興味深いのは、正式書名と総序との内容全体を考察し、親鸞の著作構想が徐々に軌道修正されていったという観点で論じていくことである。
 「『教行証』という三段階システムから『教行信証』の四段階システムへの展開、そしてさらに『真仏土』と『化身土』という二命題の増補、である」(p35)と。この後、著者はこの仮説を論じて行くことになる。
 第一章で興味深い点がさらに3つある。
1)親鸞は『大無量寿経』を「真実の教 浄土真宗」と総序で明記した。
2)著者が『古事記』『古今和歌集』『平家物語』それぞれと『教行信証』とを対比して考察していること。
3)無常観について、親鸞と蓮如の間には断絶があると著者が解釈している点。

< 第二章 依拠すべき原点と念仏 -「教」から「行」へ- >
 まず興味深いのは、著者が略称『教行信証』というタイトルにこだわって行く点である。なぜ「目次」のようなネーミングにしたのかという点。「親鸞自身の思考の推移を追ってその本質の議論(主題)に近づいていくほかはない」(p42)という立ち位置から著者は『教行信証』を読みといていこうとする。「ふたつの主題のさらなる主題化」(p45)、つまり「主題の主題化」が本書を通じて論じられていく。ここからミステリー調のアプローチが始まる。
 二種の廻向(往相と還相)をまず読みといていく。ここにこう記されているという説明だけではなく、著者のスタンスは、常に「総序」の二主題一目標に引き戻りながら論じて行くのでおもしろい。そして親鸞が『大無量寿経』を拠り所と宣言した点を一歩掘り下げていく。親鸞が生涯の師と崇めた法然は「念仏」を選択すると主張するにとどめた。法然と親鸞との対比分析を興味深く読めた。たぶん「念仏」についての思考を一歩推し進め、深化させることに親鸞が挑戦したということなのだろう。
 著者は七高僧の論点を抽出し、親鸞の考えを論じることで、「正信念仏偈」を親鸞の信仰のマニフェストと位置づけている。

< 第三章 難問に苦悩する親鸞 -「信」Ⅰ- >
 正式書名は『顕浄土真実教行証文類』である。この書名には、「信」の一字がない。行の中に「信」を抱え込んだ「行信一体」と捉えれば「教行証」で収まる。著者はここで「行信一体」の議論では片のつかない難問が存在したことに親鸞が気づき、著作構想の軌道修正を図ったのではないかと推論する。その論証として、「信」巻に親鸞が「序文」を付した意図を読みとくことから始めていく。
 「五逆と誹謗正法」をめぐる親鸞自身の疑問を解決する必要に迫られたことが、この序を書かせ、「信」巻を論述させる結果となったと著者は説く。ここで、親鸞が『大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)』の経文を大量に引用しつつ、論じていかざるを得なくなった背景を推察していく。本書が私にとっては『教行信証』への一冊目なので、関心を抱きながら読み進めることになった。
 親鸞により「一貫して取り上げられていた主題が『アジャセ逆害』の問題であり、アジャセのごとき『難治の者』の救済に関わる問題」(p123)つまり「悪人往生」という課題がそこにある。著者は「除外規定」をめぐる「大無量寿経」の相対化を親鸞が試みたのだと読みといている。『大無量寿経』の第十八願に記された「除外規定」には素朴な疑問を抱いていたので、この読みときにはなるほどと思う側面がある。

< 第四章 見過ごされてきた不幸な事実 -「信」Ⅱ- >
 本書で初めて知ったのだが、「坂東本」には反故落書きがあるという。この落書きを無視していいのかどうかを、落書きの原文を明記したうえで、著者は論じている。
 道元を引き合いに出して論じているので、著者は「親鸞が生きていた時代の大きなうねり」(p148) を感じさせる証拠として無視してはならないと主張しているものと受けとめた。

< 第五章 未解決の課題 -「証」から「真仏土」- >
 往相として、「浄土への旅が成就したことを明らかな形で示すステージが『証』(悟り)の段階にほかならない」(p164) とする。そして、それは「浄土から穢土へのあらたな旅だちを誘う逆流の合図」(p165)であり、「還相」への折り返し地点だと言う。
 著者は「証」巻の前半で「往相」論が総括され、後半で「還相」とは何かを、親鸞の言を引用して読みといている。しかし、「証」そのものについての説明には踏み込んでいないと感じた。親鸞自身がその点どのように論じているのか本書では不詳。著者は専ら往相・還相に焦点を当てている。
 「真仏土」とは何か、についても冒頭の原文と訳を示すに留まる。その定義から、著者は「凡夫、凡愚の者のおもむくべき浄土は、どこか。『化身土』である、というのが親鸞の出した解答だった」(p184)という結論を説明するにとどまる。

< 第六章 幻想の浄土 -「化身土」- >
 「化身土」は幻想の浄土であり、親鸞が『観無量寿経』を引用し論じていると説く。そこが「悪人往生」への道筋とする。著者は「親鸞自身がその主題の核心に分け入っていくために悪戦苦闘している」(p192) とさらりと述べるだけである。「化身土」の議論は難解なようだ。入門レベルの読者には歯が立たないということか。
 著者は「懺悔三品」のテーマの解説に移っていく。懺悔する心の有り様に、悪人往生の主題があるということらしい。「懺悔三品」の意味を理解するのに役立つ解説である。 この章の末尾で「化身土」巻の最後に記された親鸞の信仰告白「三顧転入」に触れている。
 著者はこの巻で、親鸞が「重層的で螺旋状の論理」(p194)を展開し、悪戦苦闘している点を指摘している。
 私には、「化身土」巻の要所はどこかが理解できたものの、「化身土」自体についてはぼんやりイメージできる程度にすぎない。その点、少し残念である。

< 第七章 葛藤と自覚 -「化身土」から「後序」へ- >
 要は、「悪人往生と凡愚往生を約束する究極のターミナルが『化身土』である」(p217)らしい。この章では、『教行信証』のこれまでの流れを整理要約した上で、当時の「末法」意識にふれていき、親鸞が引用した持戒と破戒を中心テーマとする『末法灯明記』の引用箇所が読み解かれている。
 最後に「後序」の構成と内容を解説している。そこに親鸞の心情が表白されているという。

「あとがき」
 著者は最後に2つ、興味深い問題提起をしている。
1.「懺悔三品」は親鸞の思想を主題化するうえで不可欠の鍵概念ではないか。
2.『教行信証』というテキストは、親鸞にあっては未だ変貌をとげつづける「未完の作品」なのではないか。

 幾度も「総序」に立ち戻りながら、著者が己の推論と読みときを重ねて行くアプローチに引きつけられながら読み終えた。『教行信証』の知識ゼロでも、読み進めることができる書である。
 今まで『歎異抄』にとどまっていたが、本書を契機に『教行信証』へ一歩近づくことができた気がする。少し敷居が下がったかもしれない。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもご一読いただけるとうれしいです。
『親鸞を読む』  山折哲雄  岩波新書
「遊心逍遙記」に掲載した<親鸞聖人関連>本の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在  7冊
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション

2023-06-19 16:22:16 | 宗教・仏像
 少し前に、夢枕獏著『仰天・俳句噺』(文藝春秋)を読んだ。この書で本書を知った。対談集というのはあまり読まないのだが、地元の図書館に蔵書としてあったので借り出して読んでみた。奥書を読むと、1989年10月に単行本が刊行され、1994年5月に文庫化されている。
 冒頭の表紙は文庫初版のものである。「方舟(はこぶね)」という言葉を読めば、『旧約聖書』の「創世記」に出てくる「ノアの方舟(箱船)」を連想する。ブツダとの連想などない。この表紙絵からは「七福神の宝船」をまず連想してしまう。当然、方舟ではない。表紙自体が、ブツダ、方舟、宝船・・・異質なもののコラージュである。読了して、この対談集の一局面を象徴しているようにも感じる。私が読んだ記憶では「方舟」という語句は対談文に出て来なかったと思う。

 本書の読後印象は、花火大会の連続する打ち上げ花火を見ているような、つまり天空にぱっと湧き上がる花の色彩ときらめきを、目にし、読んでいるという感じである。
 思わぬ内容、事例がぱっと出てくる。関連説明は多少ある。そこにきらめきが含まれている。背景の文脈が詳しくは語られないないままに、未知の事象、事実が飛び出してくる。その点は対談だからそういうものかもしれない。だが、新知の断片に触れることになる。対談の話材は次々に移ろっていく。
 対談は主に、夢枕獏が疑問や話材を投げかけて、それに中沢新一が持論の要所を語る。そこに宮崎信也が補足説明を加えたり、持論を展開していく。三者三様のスタンスと意見・所見が、その場に投げ入れられた話材から談論を広げ、要所を考察していく。直線的に深化していくことはない。対談は話材との関わりのなかで、行きつ戻りつしながら、縦横に飛躍し、また螺旋的なループを描くかのようにどこかで繋がっていく。
 関心を惹かれる知識がぱっと飛び出してくるような印象が強い。知的で刺激的な局面を数多く含む対談。それがどこまで適切な説明なのかは良く分からないままという感じ。背景の知識を十分に持ち合わせていないので何とも言えないという次第。そういうことがあるのか/あったのか、そういう宗派、宗教もあったのか、そういう見方もできるのか・・・・・という感じ。
 仏教を基軸にした対談集であるが、他宗教にも言及していくので、そのとらえ方が興味深い。仏教の広がり、変容、わけのわからない側面を内在するというところが、花火が乱れ咲くように、語られている。三十有余年前の対談集であるが、仏教を知る上で、鮮やかに咲いた花火のように、現時点でも知的刺激材料にあふれた一冊であることは間違いない。

 本書の構成をご紹介しておこう。

 はじめに 『ブツダの方舟』というとんでもない本はいかにしてできたか 
  夢枕獏が雑談的なタッチでこの対談集のなりたちを語っている。

 第一章 人これを邪教と言う  1989.10.27  夢枕獏+中沢新一
  対談でのキーワードを列挙しておこう。(以下同じ)
  キリスト教のビリーヴ(believe)、チベット密教、仏教はサイコテクノロシー
  理趣経・真言立川流、二種類の般若心経、鎌倉時代の新興宗教、富士講、真言律宗
  山岳仏教と水銀、空海以前に将来された「大日経」、常行三昧堂の摩多羅神
  比叡山と高野山の歴史、輪廻の問題、チベット密教の宇宙論

 第二章 山の空間、山の時間 1987.6.25  夢枕獏+中沢新一+宮崎信也
  自然智(じねんち)、天台宗の本覚門思想、仏教の宇宙論、東南アジア諸国と密教
  仏教経典の翻訳、瑜伽唯識派、「色即是空」講義、仏教の時間軸、「有」と「空」
  仏教の空間論、仏教理解の基本文献、一所不住、仏典は心の楽譜、仏教は否定形

 第三章 神仏うらマンダラ  1987.6.26  夢枕獏+中沢新一+宮崎信也
  高野山(空海)と比叡山(最澄)、如来像と本覚、宗教界の離合集散、葛城山
  山岳信仰と不動尊信仰、彼岸は意訳、デーモンになれない日本の仏教

 第四章 超高層の宮沢賢治  1988.3.3   夢枕獏+中沢新一+宮崎信也
『銀河鉄道の夜』の作った空間、宮沢賢治:ロマン、科学、法華経世界、先見性
  法華経の特殊性・実践性、仏教の実践、大乗経典の作者は謎

 エピローグ 仏教と「有」の思想  1988.11.24   中沢新一+宮崎信也
  宮崎信也は中沢新一の自称・弟子という立場で中沢新一と対談する。
 ここからは印象深い文をいくつか引用してみたい。
*いまある仏教は仏教じゃないと言った人たちは、天才やら直観やらでそういうことを言う。新しい仏教としての大乗仏教の開祖みたいに言われるナーガールジュナなんてそうだったんだろうと思う。・・・・・これはほんとうの仏教じゃないと言い続ける、たぶん真理って全部そういうものだと思うよ。・・・・真理なんて現象の世界ですべて表現し尽くされるものであるわけがない。  中沢 p276-277
*永久のノンを言い続ける仏教とか、永久のノンを言い続ける真理の思想というのはありうると思うんだ。    中沢 p277
*鎌倉新仏教の時は、いままでの仏教を否定して出てきたんだけれど、いまはもう全部が並列にある。攻撃もしないし、仏教が思想の歴史をつづけることをやめてしまった。 
            宮崎 p278
*僕は、仏教というものは触媒だと思っているの。ひとつの完成形として何かがあるものじゃないと思うわけです。・・・・仏教によって日本人の思想は飛躍的に拡大したと思う。
            中沢 p279
*アジア人にとっての仏教というのは「そうたい的」に考えなければいけない。「そうたい的」というのは、レラティヴ(相対的)であると同時にトータル(総体的)に考えなければいけないということです。だからインド仏教だけを正純なものとして、唯一の思想展開としてとらえるのは、僕にはナンセンスだと思えるんだ。  中沢 p280
*無を説く仏教は、思想としてはそれはあると思う。しかし無の思想としての仏教を説いている人たちに、僕は嘘を感じちゃうんです。この世界の本質に対して嘘を言っているってね。すべては有から発しなければいけないと思う。ただ、その有をどうとらえるかということが問題で、その点において仏教は有に対してキリスト教とは違う思想展開をした。でも、ストレートな無の思想とは違うと思うんだ。 中沢  p292

 知的刺激に満ちた本であることは間違いない。考えるための出発点になる本と言える。
 ご一読ありがとうございます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社

2023-06-14 22:01:05 | 宗教・仏像
 著者は「序章 私の老病死」と題して、”九死に一生”をくり返してきた人生を簡略に語り、自らの老いと死に思いを寄せる。その上で「齢九十五にして、釈尊の老いと死を見つめる」という立ち位置で釈尊の最後の旅と死を主題にした涅槃経を取り上げて、読者に語りかけていく。平成15年(2003)4月に単行本が刊行された。
 調べてみると、著者は2009年、肺炎により101歳で死去されていた。合掌。
 本書が出版された95歳時点以降も、数々の著作を残されているようである。

 著者は第一章で、釈尊の臨終(死)の場面をまず取り上げる。つまり、「釈尊の涅槃」の状況を語る。我々が「涅槃図」として目にする場面である。
 著者は釈尊の死を主題にして、上座部仏教と大乗仏教の両方で4世紀の頃に「涅槃経」が作られたと言う。それぞれに複数の訳経があるため、様々な「涅槃経」が存在することをまず明らかにしている。上座部の涅槃経では釈尊入滅の前後、つまり釈尊の最後の旅と入滅の前後が主たる内容に取り上げられている。一方、大乗の涅槃経では釈尊の入滅という厳粛な時機において、釈尊が入滅前に説かれた教義の内容を取り上げている。両者には釈尊の涅槃の取り上げ方に観点の相違がある点を指摘している。この点が本書での最初の学びであった。

 著者は、上座部の説く「涅槃経」をベースにして、第二章・第三章で、釈尊晩年の三大悲劇と80歳で故郷を目指した釈尊の最後の旅の経緯について、それらの要点を読者に分かりやすく語っている。大きめのフォントを使い、語り口調の平易な文は読みやすく、理解しやすい。
 三大悲劇とは何か? 1)釈尊の生国カピラヴァスツと釈迦族の滅亡。2)同年代の幼ななじみである提婆達多(だいばだった)の叛逆。3)釈迦が後継者と目していた愛弟子、舎利弗(しゃりほつ)と目連(もくれん)の死。これらがまず、語られていく。
 第1の悲劇では、コーサラ国の大軍がカピラヴァスツに向けて進軍する街道の沙羅の枯木の下で、釈尊が坐禅するという行動を三度くり返したと言う。三度は釈迦族殲滅作戦が挫折したとか。そもそもの原因は釈迦族の背信行為にあるそうで、結局釈迦族は殲滅する。このことを本書で初めて私は知った。
 第2の悲劇は、提婆達多にそそのかされ、阿闍世王が起こす父殺しと提婆達多が新教団を誕生させ釈尊から離反することである。阿闍世王のことは『観無量寿経』の教えとの関連で多少知識はあった。しかし、『法華経』の第十二品「提婆達多品」に、提婆達多に対する釈尊自身の思い、慈悲心が寓話で示唆しているということを本書で知った。著者は釈尊の心を、友松圓諦訳『発句経』五を例示して説いている。
  まこと恨み心は/いかなる術(すべ)を持つとも/恨みを懐くその日まで
  ひとの世にはやみがたし/うらみなさによりてのみ/うらみはついに消ゆるべし
  こは易(かわ)らざる真理(まこと)なり
 第3の悲劇は、釈尊の入滅を間近にして、舎利弗と目連が死ぬという悲劇である。例えば、漢訳の『仏説阿弥陀経』は仏が舎利弗に語る形で描かれている。これだけでも舎利弗が高弟だったとわかる。舎利弗と目連が釈尊の弟子となった経緯が本書に書かれている。また、舎利弗が病死し、目連が伝道の途中で殺され非業の死を遂げたことを本書で学ぶ機会になった。
 この時の釈尊の思いは、やはり詩に託されたという。有名な章句だ。
  自らを洲(しま)とし、自らを依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ
  法を洲とし、法を依りどころとして、他を依りどころとしてはならぬ
 
 第二章で三大悲劇を語り、第三章はいよいよ80歳で故郷を目指す釈尊の最後の旅、死出の旅路の要所要点が語られていく。この最後の旅について、多少の予備知識はあったが、本書でその経緯を整理して理解できた次第。
 最後の旅において、釈尊は最後まで己の思いを説きつづけたことが語られていく。ここでは、『発句経』からの引用と説明、此岸から彼岸へ渡る六つの方法(六波羅密:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)、「自灯明・法灯明」、「天上天下、唯我独尊」の本当の意味、「上求菩提 下化衆生」、「生きる縁を大切にせよ」の内容がわかりやすく説かれていく。
 釈尊が最後まで説かれたのは、「自灯明・法灯明」の教えであった。そして最後の説法を次のように締めくくられたそうである。これも初めて学んだこと。
「汝ら且(しば)らく止みね(靜にせよ)、また語(もの)いうことなかれ、時(とき)まさに過ぎなんとす。われ滅度せんと欲す。『この世はすべて壊法(えほう:無常・移り変わりゆく)なり。放逸(怠けて修行に専心できないこと)することなく精進(自己完成に励むこと)すべし』これが我最後の教誨(きょうげ:教えさとす)するところなり」
 実に耳の痛い言葉と感じる・・・。

 ここに上座部仏教の特徴が表れているようである。人間釈尊の死を素朴に語っていき、釈尊の法を説くという立場が貫かれている。

 本書の特徴は、この後の第四章を大乗仏教の立場から釈尊の涅槃を説明することに転じていることだ。釈尊が説かれた仏法は、いつ・どこにでも開示されている。この法の常住を中心に釈尊の思想を大乗仏教の経典『大般涅槃経』は説いていると言う。私にとっては、白紙の経典であり、本書でその要点をいくつか学ぶ機会になった。その要点を箇条書きで覚書を兼ねてご紹介したい。詳しくは本書を開いてみてほしい。

*法の象徴としての釈尊は「如来常住」。人間釈尊の死は法を伝える上では方便。
*涅槃のさとりの面を中心に「常楽我浄」(常徳・楽德・我德・浄徳)の四德目を説く。
    ⇒德:そのものに本来具わっているすぐれた資質という意味
       「常楽我浄」を備えるのは法身の釈迦である。
 注意点:涅槃経のいう常は、常と無常の相反する二つの見方を止揚統合して創られた
     常であるということ。それは創造された常観である。
     楽・我・浄もまた同様の思考プロセスを経て創造された楽観・我観・浄観
*「一切衆生 悉有仏性」(命あるものは、すべて仏となる性質(可能性)を内に持つ
    ⇒「仏性」は大乗経典では涅槃経で初めて登場する言葉だという
*涅槃経は「一闡提(いつせんだい)」ですら成仏できると説く。
    ⇒一闡提は梵語イッチャンテイカの音写語で<欲望ある人・欲望を持つ人>から
     目の前の欲楽を追求して、自分の人間的成長を願ったり、心身のやすらぎな      どを思ってもみない人のこと。
    ⇒異論も多く、長い間論争されてきたが、大勢としては「闡提成仏」の思想は
     大乗仏教思想の根幹となっていると言う。

 上座部仏教と大乗仏教の双方が伝える「涅槃経」理解への奥は深いのだろう。本書は、その入口を一歩入って学び始める入門書として、分かりやすくて読みやすい一書だと思う。長らく書棚に眠らせていた本書をやっと通読して「涅槃経」群に少し踏み込む動機づけにすることができた。

 最後に、本書で印象深い文をいくつか引用してご紹介しておこう。
*釈尊の言葉をそのまま記憶するよりも、釈尊の教えの精神を象徴的に表現するねらいが、大乗仏教徒にあったようです。・・・・(「仏」を釈尊に限定せず、「法を知りしもの、道をさとりひもの」の説を「仏説」と解するように、必ずしも釈尊の説でなくともよし、とするのが大乗仏教者の通説です)  p196
*「大乗仏教経典を理解するには、象徴文学を理解するように読まないと、その底に秘められた教えを正しく納得できない」ーー--と喝破したのは・・・・岡本かな子さんです。p196
*人間が(本当の)人間になるために必要なのは、「自分に秘められている仏性を自覚する」こと、つまり「真実の人間性にめざめる」ことです。それはまた自分が済(すく)われることでもあります。自分を済う大きな機能は、自分の中に潜在しているとするのが、大乗仏教の人間観です。   p230-231
*人間が度(すく)われるということは、個々に具わる自己の仏性を自覚して、「人間はどうあるべきか」と自らうなずきとることでなければなりますまい。仏性とか仏心とかいう仏教用語を平たくいうなら、”自分の身に生まれながらに具わっている自分を自分であらしめる根元的な心”となるでしょう。この根元的な心は、また「命」とも、「もう一人の自分」と言い換えてもいいでしょう。 p259
*人間をリードする大いなる力や権威を、多くの宗教は天など人間の外界に設定します。しかし大乗仏教は、人間を人間たらしむる超人間的な機能を、人間の外界ではなく人間の内部に凝視するところに、その特徴があります。それだけ人間性を高次に考え、人間を尊重いたします。こうした思想を完全にまとめたのが、涅槃経です。 p233
*如来(仏に同じ)の名称は、「釈尊が得たさとりの内容」、菩薩の名称は、「釈尊が積まれた数々の修行の内容」です。たとえば、釈尊が積まれた忍耐の修行を、人に踏まれ汚物にまみれる土になぞらえ、その徳の豊かさを人格化して「地蔵」菩薩として崇めます。そのため、忍耐する柔軟な心を象徴して、彫刻でも絵画でも柔和な容姿に表すのです。 p256

 ご一読ありがとうございます。


補遺
大般涅槃経   :ウィキペディア
涅槃経     :「コトバンク」
大般涅槃経 : 現代意訳  :「国立国会図書館デジタルコレクション」
松原泰道  :ウィキペディア
松原泰道 宗教家  :「NHKアーカイブス」
松原泰道先生の思い出 2022.08.03 今日の言葉 :「臨済宗円覚寺派大本山 円覚寺」
Vol.06 松原泰道「私が彼土でする説法の第一日です」(最終回) 禅僧のことば
    細川晋輔 臨済宗妙心寺派 龍雲寺 住職   :「わたしと仏教」
岡本かの子   :ウィキペディア

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする