遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『千里眼 The Start』 松岡圭祐  角川文庫

2024-04-13 21:05:19 | 松岡圭祐
 千里眼クラシック・シリーズを読み終え、今、新シリーズの第1弾を読み終えた。
 とは言え、本書は平成19年(2007)1月刊行の文庫書き下ろし作品で、はや17年前の作品ということになる。新シリーズになり、カバー表紙のモデルも代わっている。

 この新シリーズ、岬美由紀がなぜ防衛大学に進学し二等空尉になり、その後自衛隊を除隊し、臨床心理士という新たな人生を踏み出したのかという経緯が導入部となる。これは巧みな導入部になっている。なぜか?
 クラシック・シリーズを読み継いでいる読者にとっては、岬美由紀が楚樫呂島の大地震と津波の被害の際に無断で救難ヘリを操縦し救助活動に参加した事件についての事実上の査問会議の内容が明らかになるからである。リエゾン精神科医、笹島雄介の所見発言により美由紀の上司である坂村三佐は、その時の判断と行為を糾弾され、その結果解任となる。その解任理由には承服できないと、美由紀は己の意志で除隊した。美由紀は笹島の所見の誤謬を証明したいがために、心理学を学び臨床心理士になる決意をした。それが新たな人生の始まりだった。この側面はクラシック・シリーズには触れていず、楚樫呂島での臨床心理士友里佐知子との出会いの側面が色濃かったように思う。記憶違いがあるかもしれないが・・・・。いずれにしろ、部入部で美由紀の過去の側面が再認識できる。
 一方、クラシック・シリーズを読まずに、この新シリーズから読む読者には、二等空尉で除隊し、カウンセラーに転身した美由紀の過去のキャリアと経緯の大枠を理解でき、この第一作のストーリーに、すんなりと入っていける仕組みになっている。

 臨床心理士になるトレーニングとして、美由紀が品川にある赤十字福祉センターの臨床精神医学棟で、臨床心理士の舎利弗から指導を受けるという状況は、クラシック・シリーズを読んできた読者にも、初めての内容になっている。美由紀が舎利弗の指導を受けて自己トレーニングを積むことで、千里眼と人から称される能力が開発される経緯は、精神医学、心理学に関心を抱く人には特に興味深いところになると思う。科学的知識と訓練により、己の身体能力と統合されて形成された美由紀の能力ということを納得できる流れになっている。

 美由紀がトレーニングを受けている時期に、全く離れたミラノでの場面がパラレルに挿入される。それは東大の理工学部を卒業してイタリアに渡った小峰忠志に関わる話である。彼は、遊園地用のアトラクションを製造する大手企業の子会社において、”存在するものを無いように見せる”技術として、フレキシブル・ペリスコープとなづける円筒を開発した。だが、その製造費用の巨額さでは採算に合わないと判断され、小峰を含む開発チームは解雇される。解雇された小峰に、マインドシーク・コーポレーション特殊事業課、特別顧問と称するジェニファー・レインが接触してくる。そして、2年後に南イタリアのアマルフィ海岸の崖からの自動車転落事故で小峰が事故死したことがさりげない挿話となる。これで小峰のことはストーリーから潜行してしまう。新シリーズの次の展開への大きな伏線がここで敷かれた。

 さて、この The Start は、狭義の導入部の後、臨床心理士資格を取得できる前の段階で、いくつかのエピソードを織り込みながら進行する。その挿話を簡略に並べておこう。
 *宮崎にある航空大学校に出向いて笹島雄介に会い、笹島の誤謬を指摘する。
  この時、笹島は両親を飛行機事故で亡くしていたことを聞かされる。
 *マンションの隣人の湯河屋鏡子の部屋が荒らされた事件に頼まれて関わっていく。
 *臨床心理士資格の面接試験の状況
 *大崎民間飛行場内の6階建てビルからの飛び降り自殺懸念のニュースに反応する
おもしろいのは、飛び降り自殺懸念の事件を解決できた直後に、美由紀は現場でトレーニングの指導者だった舎利弗から資格に合格したと臨床心理士のIDカードを受け取るのである。
 ここまでが、広義の導入部、つまり美由紀の過去のストーリー。著者はあの手この手で読者を楽しませてくれる。あちらこちらに、美由紀の知性と鋭さを散りばめていく。
 そして「現在」につながる。現在とは、クラシック・シリーズの最終巻「背徳のシンデレラ」の事件から1年以上過ぎた時点である。

 この新シリーズ第1作のメインストーリーは、美由紀が高遠由愛香(タカトオユメカ)と待ち合わせて会話をしている時に、ふと目をひいた写真週刊誌の表紙の見出し”旅客機墜落、全員死亡の日”がきっかけとなる。フリーライター好摩牛耳(43)、またまたお騒がせ情報。今度は旅客機墜落。その記事に好摩の顔写真も掲載されていた。「好摩が本当に旅客機墜落の事実を知っていて、その秘密を暴露したのだとしたら、この表情は理にかなったものといえる」(p129)、この男が真実を語っている可能性があると美由紀は感じた。その墜落予告は3日後だった。
 ひと晩かかりで、美由紀は好摩についてのインターネット情報を収集する。そして、写真週刊誌の版元を訪ねることから始めて行く。版元の編集長を助手席に乗せ、美由紀は好摩の事務所兼仕事場を訪れる。書庫で発見したのは、吊されたロープに首を巻きつけたスーツ姿の好摩のだらりと垂れ下がった姿だった。
 デスクの上には、JAIのロゴが刻印されたジャンボ旅客機の整備用の図面類が散らばっていた。
 好摩のスーツのポケットには、遺書らしきものが入っていた。本庁捜査一課の七瀬卓郎警部補は、その現場に自殺の疑いもあるので、好摩の生前の精神状態を推量するための専門家として、笹島雄介を呼び寄せた。美由紀は再び笹島と対面することになる。
 七瀬警部補はあくまで好摩を他殺/自殺両面で捜査するという認識であり、旅客機墜落予告の線は眼中にない。美由紀との認識ギャップは埋められない。
 美由紀は旅客機墜落予告をした好摩について、独自に関連情報を収集する行動に歩み出す。笹島はそれに協力すると言う。美由紀は好摩が直近に取り組んでいた事案について、調べ始める。このストーリーの進展でおもしろいのは、様々な意外な豆知識が美由紀の説明の中に織り込まれていくことである。これは他のシリーズにも共通する一面であり、おもしろい。好摩が取り組んでいた事案から、中華料理店でアルバイトをしている20歳の吉野律子が糸口となる。いわばそこから芋蔓式に事象がつながっていくことに・・・・・。
 それが意外な展開を経て行く結果になる。
 なんと、美由紀は飛行機墜落予告の対象となった飛行便を突き止めるに至るのだが、美由紀自身がその飛行機に笹島とともに搭乗する。
 その時点で既に美由紀は犯人を推定していた。美由紀はどうするつもりなのか!?

 搭乗するまでの経緯そのものが実に波瀾万丈となる。その先がさらに意外な展開へ。ここが読ませどころなので、これ以上は語れない。

 このストーリーの掉尾に、上記のジェニファー・レインが登場する。ここに小峰の一周忌という表現が浮上する。さらに、「またしても出しゃばってきたか、岬美由紀。だが、今度こそ邪魔させない」(p266)という彼女の執念が吐露される。
 今後おもしろくなりそう・・・・。

 新シリーズの始まりとなるこの第1作に記された美由紀の思いを引用しておこう。
*人の感情が見えるようになって、わたしにはわかる。人の本質はそんなに闇にばかり閉ざされてはいない。誰もが信頼を求めてる。信じられる前に、まず信じようと努力する。疑心暗鬼は信頼に至るまでの道のりの途中でしかない。  p262
*わたしは一方的に、人の感情を読んでしまう。相手がわたしの心をたしかめることさえないうちに。  p262
*この能力とともに歩んでいく。わたしが心を読むことによって、救える人がいるかぎり。 p272

 最後に、本書には「著者あとがき」が付されている。その中の次の文をご紹介しておきたい。新シリーズでは、科学的視点が求められる設定については極力リアルに描くと著者は言う。
*かつて「すべては心の問題」と見なされていた精神面の疾患は、脳内のニューロンに情報伝達を促進する神経伝達物質の段階で起きる障害に原因を求めるなど、より物理的で現実的な解釈が主流となってきました。ひところ流行った「抑圧された幼少のトラウマ」を呼び覚まして自己を回復する「自分探し」療法は、いまや前時代的な迷信とされつつあるのです。  p276

 精神医学、心理学の領域も大きく変容しつつあるようだ。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
アメリカ精神医学会    :ウィキペディア
精神障害の診断と統計マニュアル(DSM) :ウィキペディア
境界性パーソナリティー障害(BPD)について・基礎情報・支援情報:「NHKハートネット」
ヘンリク・ヴィニャフスキ :ウィキペディア

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