遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『迷路のはじまり ラストライン3』   堂場瞬一   文春文庫

2024-03-26 17:12:37 | 堂場瞬一
 ラストライン第3弾。文庫書き下ろしとして、2020年3月に刊行された。
 このストーリー、羽田空港国際線ターミナルから岩倉剛の恋人赤沢実里がニューヨークへ旅立つ場面から始まる。所属する劇団の方から回ってきた話で、オーディションを受ける為に出かけるのだ。少なくとも3ヶ月は離ればなれになる。このシリーズでは初めて、岩倉の私生活の側面描写で変化が現れる。基層として流れるストーリーがどのように変わるか。シリーズを読み継ぐ読者としては、岩倉の心理面に及ぼす変化が気になるところ。この側面がどのように織り込まれていくかが楽しみとなる。

 午前2時に電話がかかり、岩倉は殺人事件の連絡を受ける。場所は梅屋敷。被害者は駅からの帰宅途中、背後から頭部を一撃された。所持品の免許証から現場近くに住む島岡剛太、28歳と判る。午前9時、南太田署に特捜本部が設置される。岩倉は警視庁捜査一課の中堅刑事、田澤とコンビを組むことになる。アパートの大家からの聞き込みで、島岡が石山製作所大森工場を辞めたという情報を得た。石山製作所大森工場の総務課長からの聞き込み捜査により島岡は勤務態度不良で解雇となっていたことがわかる。
 目黒中央署にも特捜本部が設置されていた。被害者は藤原美沙、32歳、東大卒。あるシンクタンクに勤務する会社員だが、若手の経済評論家としてテレビ番組にもよく出演し、かなり知られる存在になっていた。金曜から会社に出社せず、週明けも無断欠勤のため、会社の同僚が家を訪ねて、自室で殺されているところを発見したのだった。
 岩倉は田澤とともに、島岡周辺の関係者への聞き込みを広げていく。島岡がギャンブル好きであり、多額の借金を抱えていたことが判ってくる。さらに女性関係にもルーズだったことが明らかになってくる。調査を進める中で、藤原美沙の名前が浮上してくることに・・・・。
 殺人事件の被害者となった島岡と藤原美沙がどこでどのようにつながるのか。

 島岡と藤原美沙がつき合っていたという事実を捜査会議で報告した後、南大田署刑事課長の柏木の指示を受け、岩倉は目黒中央署刑事課長・田島にこのことを直接伝える。
 その結果、藤原美沙の自宅で採取された指紋の中に島岡剛太の指紋と一部合致するものが発見された。
 捜査会議は、島岡が藤原美沙を殺害した可能性でざわつく。岩倉は短絡する危険姓を指摘する。会議の雰囲気に水をさすことになる。
 このストーリー、この後これまでの捜査展開と異なる展開になって行く。なぜか。

 極めて異例なことだがと前置きして、南大田署の特捜本部と目黒中央署の特捜本部が協力して捜査を進めるという方針に転換されたのだ。この時点で、岩倉は柏木刑事課長の指示により特捜本部から外され、通常業務として発生する事件の捜査に戻されてしまう。
 そこで、岩倉は特捜本部の事件に一切関与するなと命じられたわけではないと勝手に解釈し、通常業務としての事件捜査に従事しながら、特捜本部の事件に関わる捜査を独自に開始していく。勿論、特捜本部の捜査の進展状況がわからなければ独自捜査も無駄になるかも知れない。密かに両捜査本部内の刑事とコンタクトをとり、情報交換できる工作をする。捜査一課の田澤と岩倉が捜査一課にいた当時の後輩にあたる大岡である。大岡は藤原美沙の事件に関わってきていた。岩倉は自分の入手した情報をこの二人に伝え、特捜本部に情報が伝わるようにしていく。イレギュラーに行動する岩倉の捜査そのものと、特捜本部との関わり方が、このストーリーの読ませどころとなっていく。
 岩倉の独自捜査が、ある局面では特捜本部の捜査の一歩先を進んでいくという面白さといえよう。いわば突破口を岩倉が切り開き、田澤と大岡を介して、特捜本部の人海戦術に密かにリンクできるようにしていくことである。
 単独で一歩先を進む岩倉の捜査は、岩倉を危地に立たせることにもなる。岩倉が追跡捜査の過程で拉致される羽目に!! だがその禍が転じて特捜本部に返り咲く契機にもなる。柏木課長の鼻を明かす結果にもなる。
 
 本作第3弾の面白さを幾つか挙げてみよう。
1.事件捜査の途中から、岩倉が単独捜査を始めて行くという展開になること。
 その背後に、柏木課長の思惑が絡んでいる局面が織り込まれている。柏木と岩倉との間には警察官人生における価値観の差が根っ子にあるのだ。
2.両特捜本部が担当する事件は、岩倉の活躍もあり、犯人を逮捕でき一応の決着がつく。
 一方、その背景に謎の組織が存在することが判明する。だが、その実態はおぼろげに把握できたに留まった。岩倉が接触しえた頂点の人物が静岡県伊東の海岸で遺体で見つかった。トカゲの尻尾切りの如くに・・・・。つまり、この組織の解明は本書のタイトル「迷路のはじまり」を意味しているというエンディングとなる。
 その組織とは何か。このストーリーの読ませどころの先にこの組織がある。第4弾以降への期待が湧く。
3.ストーリーの底流にこれまでは岩倉と実里との私生活が織り交ぜられてきた。今回は、岩倉の娘千夏が登場する回数が増えることに置き換わる。父と娘の関係に焦点があたっていく。千夏は大学進学の進路を選択する岐路に来ている時期でもある。さらに、千夏が父親の危地を救う一助を果たすことになる。どのように? それは読んでのお楽しみ。
4.この第3弾で、南大田署の刑事課長が交代した。新しい課長が柏木で、岩倉より年次が一年上。岩倉は「柏木はやたらと張り切るタイプで、かなり鬱陶しい」(p17)と感じるタイプ。それは逆に読者にとって、岩倉がどう対応するかという面白味につながる。
 一方、第4弾以降、今度は岩倉自身が他署に異動しての物語となっていくのかという期待感にもつらなる。
5.岩倉が、本部の”エージェント”と見做している川嶋刑事が要所要所で登場してくる。 川嶋の存在が、このシリーズの中でどのような位置づけなのか、それがいつも興味を引き立てるところがおもしろい。
6.岩倉の視点からストーリーの中で次の二人に言及させているところがおもしろい。
   失踪人捜査課第一分室室長高城賢吾   p224
   鳴沢了  p339
 この言及の面白さは、鳴沢了と高城賢吾の各シリーズを読んでいる人には、ニヤリとさせるところになるだろう。このあたりの言及は著者の遊び心か。

 本作は、第4弾への期待を抱かせる。本作の末尾の文を引用しておこう。
「川嶋のように距離を置くことで、安閑としているわけにはいかない。先回りしてカバーするのも、最終防御線としての自分の役割なのだ。」

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『割れた誇り ラストライン2』   文春文庫
『ラストライン』          文春文庫
『共謀捜査』            集英社文庫
『凍結捜査』            集英社文庫
『献心 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『闇夜 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『牽制 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『遮断 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『波紋 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『裂壊 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<堂場瞬一>作品の読後印象記一覧 最終版
                  2022年12月現在 26冊
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『姑獲鳥の夏』 京極夏彦  講談社文庫 

2024-03-23 17:41:04 | 京極夏彦
 京極夏彦さんの最近の本を数冊読んだ。そこでこのデビュー作から読み始めてみることにした。読み通していけるか未知数だが、できるだけ出版の時間軸に沿って読んでみたい。時には近年の作品を挟みながら・・・・。
 冒頭の表紙は手許の文庫本1998年9月第1刷の表紙。
 こちらは現在の新刊カバーの表紙である。
 カバーのデザイン一つでかなり印象が変わるな、という感じ。私的には第1刷のカバーの方が怪奇性が横溢しているように思う。一方、よく見ると文庫版のカバーに連続性が維持されている側面もある。
 元々の作品は、奥書を読むと1994年9月に講談社ノベルスとして刊行された。30年前に出版されていた。文庫版で四半世紀の経過、時代の変遷がカバーのデザインにも反映しているということなのかもしれない。
 いずれにしても、このデビュー作自体がロングセラー作品になっていることが新版カバーでの出版になっていることでわかる。

 私は最近の書楼弔堂のシリーズを京極夏彦作品として先に読んで、本作に回帰した。共通するのは、本屋の主を登場させていることである。書楼弔堂の主は元禅僧という背景がある。一方、本作は京極堂という古本屋を営む一方で、神社を預かる神主であり、陰陽師・祈祷師でもある人物が登場する。いずれの人物も培われた宗教的背景を持ち、共に博学で造詣が深い。またストーリーの中では当初は准主役的な位置づけにいる点が共通しているように思う。そして、主役にシフトしていく。
 ストーリーの雰囲気としては、書楼弔堂を読んでいたので、馴染みやすさがある。
 蘊蓄を傾ける知的論議にかなりのページが費やされていく点が共通する。本作でいうなら、怪奇現象、憑き物という世界の話が民俗学的考察の視点から論じられたり、たとえば不確定性原理までが俎上にのぼるなど科学的な論議もなされる。ストーリーのバックグラウンドとして、長々とした知的対話の場面がある。それも導入段階から続く。こういうところが、読者を惹きつけるか、本書を放り出すかの岐路になりそうである。

 本書を開くと、鳥山石燕筆「姑獲鳥(ウブメ)」の絵が載っている。『画図百鬼夜行』に収録された絵。それに続いて、姑獲鳥とは何かの説明が見開きページに4つの原典から引用されている。この姑獲鳥のイメージがこのストーリーの根底にある。のっけから異様な文、文脈が判読しがたい文が見開きページで続く。ここまでがプロローグになるようだ。

 さて、主な登場人物をまず簡略に紹介しよう。
関口巽 :文筆家。後述の京極堂、榎木津、藤野は学生時代からの友人。
     学生時代以来粘菌の研究を続けていた元研究者。鬱病を患った時期がある。
京極堂 :本名は中禅寺秋彦。京極堂と称する古本屋の主。関口と同学年。
     神社の神主。陰陽師であり祈祷師。
榎木津礼次郎 :神保町で「薔薇十字探偵社」を営む私立探偵。社名は京極堂の命名。
     旧華族の家柄。総一郎という兄が居る。天真爛漫な性格。
     人には見えないものを見ることができる特異な能力を持つ。
木場修太郎 :戦時中関口の部隊に属した戦友。生き残ったのは関口と木場のみ。
     東京警視庁の刑事。
久遠寺涼子 :榎木津の探偵事務所に行方不明の調査依頼にくるクライアント。
     雑司ヶ谷にある久遠寺医院の長女。梗子(キョウコ)という妹が居る。
中禅寺敦子 :京極堂の妹。稀譚社という中堅出版社の編集者。榎木津の調査する案件
     に関わって行く。
藤野牧朗 :ドイツに留学し、帰国後久遠寺梗子と結婚。失踪したとされる当事者。

 このストーリーの現在時点は、昭和27年の夏。榎木津の探偵事務所に、久遠寺涼子が訪れ、妹の夫であり婿養子となった藤野牧郎の失踪について調査依頼に来る。その時、関口は榎木津の探偵事務所に来ていた。榎木津はこの依頼を受諾。関口は藤野牧郎が学生時代の友人であることは伏せて、この事案に探偵助手という名目で参画していく。
 関口は、学生時代に、この久遠寺医院を訪れ、藤野の恋文を代理として持参し、少女の久遠寺梗子に手渡した記憶があった。藤野が恋慕した梗子に恋文を書けと助言したのは京極堂だった。
 久遠寺医院を訪れた榎木津と関口、中禅寺敦子は、涼子に案内され、妹夫婦が住居としていた元小児科病棟だったという建物に行き、部屋を検分する。部屋を見るなり、榎木津は「ここで惨劇が行われた訳だ」(p250)語った。さらに、絨毯の隅の血痕にも気付く。その血痕が失踪したとされる牧朗のものと言う。
 牧朗が最後に入ったのは、書庫だったと涼子は言う。その部屋は内側から小さな閂をかければ、部屋の外からは開けることができない。密室を構成する状態の部屋だった。その部屋には、現在妹の梗子が使っているという。涼子はその部屋に入る。引き続き榎木津が入口から少し入り、部屋を見た瞬間にその部屋から離れる。
 関口が理由を問うと、榎木津は「やることなんて何もないよ。強いていうなら、僕らに残されたできることは、ただひとつ、警察を呼ぶことだけだよ」(p268)と。また、榎木津は牧朗と梗子の寝室に居た時点で、「蛙の顔をした赤ん坊」が見えたとも関口に語っていた。
 榎木津はこの後、その場から退出してしまった。関口が引き継いで涼子からの依頼の件をこの後探索していく羽目になる。牧朗は本当に失踪してしまったのか・・・・。
 関口は、梗子に紹介される。また、その部屋には第二の扉があり、その状態も確認した。関口は牧朗の研究ノートや日記を調査のために借用する。それらの資料は京極堂が読み、分析することでこの案件に関わっていく。
 梗子は妊娠20ヶ月という異常な状態にあることが判る。一方で、久遠寺医院では、産まれたばかりの赤ん坊がいなくなるという事件が度々あったらしいという噂が流れていた。一昨年の夏から暮れにかけて、木場刑事はこの赤ん坊失踪事件を担当していたという。さらに、木場は、久遠寺の出自が香川であることから、所轄に調査依頼をしていた。そして、久遠寺の出身の村では、かつては御殿医という名家ではあるが、おしょぼ憑きという憑物筋だという噂があることを知らされたと言う。
 このミステリーが具体的に動き出していく。

 本作は、関口の視点からストーリーが進展していく。その進展のプロセスで、関口は恋文に関わる彼の記憶あるいは幻想を探索のプロセスに重層化して思考し始めることにもなる。また、このミステリーの謎解きに、陰陽師、祈祷師である京極堂が更に関わりを深めていく。このステージでは京極堂がいわば主役になる。独擅場となっていく。
 奇想天外とも感じるが、じつに論理的な展開、実に意外な顛末へと突き進む。

 本作にはいくつかのテーゼが下敷きになっている。以下は京極堂の発言である。
1. この世には不思議なことなど何もないのだよ。関口君。   p23
2. 関口君。観測する行為自体が対象に影響を与える--ということを忘れるな。
  不確定性原理だ。正しい観測結果は観測しない状態でしか求められない。
  主体と客体は完全に分離できない--つまり完全な第三者というのは存在しえない
  のだ。君が関与することで、事件もまた変容する。     p172
3. およそ怪異は遍く生者が確認するんだ。つまりね、怪異の形を決定する要因は、生
  きている人、つまり怪異を見る方にあるということだ。   p321
4. 憑物筋の習俗は今も根強く生きている。これを無視することはできない。 p348
5. 地域の民俗社会にはルールがある。呪いが成立するにも法則というものがある。
p544

 百鬼夜行の世界と現代ミステリーとの結合。不思議と思わせる状況を書きつらね、それを論理的理論的に突き崩していく。これがデビュー作だとは! 実におもしろかった。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『書楼弔堂 炎昼』  集英社文庫
『書楼弔堂 破暁』  集英社文庫
『書楼弔堂 待宵』  集英社

[遊心逍遙記]に掲載 : 『ヒトごろし』  新潮社

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『恋大蛇 羽州ぼろ鳶組 幕間』   今村翔吾   祥伝社文庫

2024-03-17 18:14:07 | 今村翔吾
 本書が現時点では羽州ぼろ鳶組シリーズ、文庫の最新刊。「幕間」という言葉が付いているように、このシリーズの本流からは少し外れている。本流は、前回ご紹介の『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』上・下巻で一区切りを迎えたようである。
 その後に本書が令和4年(2023)3月に文庫版で刊行された。

 本書はこれまでの書き下ろしの文庫と異なる。異なる点が2つある。
 1.本書に3つの短編が収録されていること。
 2.これら作品が『小説NON』(2022年1月号~4月号)に掲載された後に加筆修正されて、文庫刊行となっていること。

 さらに興味深いのは「幕間」という言葉が「羽州ぼろ鳶組」の後に付記されていることである。『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』の場合は、時を遡り、シリーズ以前の始まりを描き加えることで、『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』というシリーズ最長の長編を生み出した。それは松永源吾の火消人生において、憧れるシンボル的存在、伊神甚兵衛と訣別し、そのシンボルを乗り越えて行かねばならぬ立ち位置に己が居るということになった。これまでのシリーズの一区切りともいえる。
 その後にこの『羽州ぼろ鳶組 幕間』が刊行された。幕間は、芝居用語。「芝居で、劇が一段落ついて幕をおろしている間。芝居の休憩時間」(『新明解国語辞典』三省堂)ということだから、この語句をタイトルの一部に冠するということは、羽州ぼろ鳶組シリーズを、今後何等かの形で第二ステージに進展させる構想があることを期待させる。『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』の「あとがき」で著者がそれらしきことに触れていた。
 読者としては、そうあってほしい。

 さて、この『幕間』のご紹介に移る。
 本書は火消ワールドとして捉え直した立場から生み出されたエピソード集といえる。羽州ぼろ鳶組・新庄藩火消頭取、松永源吾と関係の深い火消仲間の方に焦点が移る。個別の火消の人生に光を当てて行く。松永源吾は、ここに取り上げられた火消たちにとって、彼らの内心に居場所を占める存在になる。ひとり一人の火消が主役となり、そこに源吾との接点がなにがしか織り込まれていく。今まで脇役として登場してきた火消がここでは主役となる。火消物語という火消ワールドへのステップアップと捉えてよいのかもしれない。
 『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』に、源吾の思いとして、
「市井の人々はいつしか火消を英雄のように祭り上げるようになった。しかし彼らが見ているのは火事場での姿だけ。その火消にもそれぞれの人生があり、背負っているものがあることを知らない。己が火消になってようやく解ったことである」(p214)
という一節があった。
 それぞれの火消の人生、その一端がここに具体化されている。
 つまり、火消物語短編連作集である。羽州ぼろ鳶組シリーズからのスピンアウト短編シリーズと言ってもよい。江戸火消は数が多い。この『幕間』がシリーズ化してもおかしくない気がする。

 簡略に3つの短編の内容と読後印象に触れておきたい。

<第一話 流転蜂(ルテンホウ)>
 遠島・八丈島送りとなる流人が主人公。島送りの船上の点描から始まる。流人の久平に名を尋ねられたもう一人の流人は留吉と答える。彼は元武士だが、仮名を名乗り、八丈島に着いた後もその名で通す。この短編の興味深いところは、留吉の正体が最終ステージで明らかになるストーリー構成の面白さにある。
 八丈島に流人となった罪人が島でどのような生活を送り、島人とはどのような関係を築いていくことになるのか。この側面がストーリーの背景として織り込まれていくので、読者としては、八丈島送りの流人生活のイメージと知識がこの時代小説の副産物となる。
 留吉は「村割流人」として八丈島南東の中ノ郷村に割り当てられ、そこでの生活が始まる。村名主は流人証文で本名を知ってはいるが、本人の希望通り留吉の仮名を認める。留吉は流人生活に慣れていく。そして、刑期を終えても島に留まり漁師生活を続ける角五郎との人間関係を深めていき、彼から漁法を学ぶ。留吉は徐々に角五郎の過去を知ることに。
 一方で、三根村での失火を契機に、島に新たに火消組が編成されることになる。流人と島民の合同組織。元火消の流人がリーダーになり、火消訓練から始める。留吉は参加しない。
 山火事が発生し、それが中ノ郷村に飛び火する形に進展する。角五郎と漁に出ていた留吉は火事場に向かうことになる。村を守り、子供の救助のために、己の正体を明かす。
 この短編のエンディングが実に意味深長である。火消ワールドの大きな展開につながる伏線が敷かれた思いが残る。

<第二話 恋大蛇>
 この短編が本書のタイトルになっている。文庫のカバーに使われた火消の後姿。その判別箇所は、腰紐に吊した瓢簞。そう、野条弾馬(ノジョウダンマ)が主人公である。表紙の右上、猫を抱く女は、緒方屋の一人娘、紗代。弾馬の異名は「蟒蛇(ウワバミ)」。蟒蛇とは大蛇(オロチ)のこと。この短編、弾馬と紗代の恋の物語。弾馬のプロフィールが明らかになっていく。
 時は安永2年(1773)文月(7月)から始まる。当時の淀城と淀藩がどのような状況にあったかという点が時代知識として、読者には副産物となる。
 おもしろいのは、安永3年秋、弾馬が淀城での教練中に、松永源吾の妻、深雪から厚みのある封書を受け取る。弾馬が源吾を介して深雪に依頼した料理のレシピが到着したのだ。松永家での源吾と深雪の語り合う一場面が彷彿となってくる。こんな形でつながるのか・・・・と。勿論、弾馬は緒方屋を訪れ、紗代に深雪の文を手渡す。
 火消は何時命を落とすかもしれない。そうなれば残された者は嘆き苦しむことに。その思いから弾馬は紗代の思いに気付きながら、紗代を思い切ろうと試みる・・・・。
 当番月である神無月(10月)、小火が立て続けに起こる。弾馬が紗代に己の決意を告げ、緒方屋を飛び出した後、淀藩京屋敷戻る途中、蛸薬師御幸町が火元の火事に気づく。勿論、弾馬は直に火事場に駆けつけていく。が、瓢簞を緒方屋に置き忘れたことに気づく。さて、弾馬どうする・・・・。この火事が弾馬の生き方を変えることになる。
 この短編のエンディングも興味深い。大坂火消を兼ねる律也が椿屋として、緒方屋を訪れる。緒方屋は1年間、火消を借りることにしたという。この時、律也は弾馬に、老中田沼意次が、江戸火消と江戸以外の諸国火消を紅白二組にして「技比べ」をさせ、研鑽の場作りの準備を進めていると告げる。弾馬はすぐさま反応する。この終わり方、ここにもシリーズ続編の構想の広がりを期待させるではないか。
 
<第三話 三羽鳶>
 安永3年(1774)師走(12月)町火消め組の頭、銀治はいつもの通り管轄内を夜回りしていた。管轄内の二葉町の火事に気づく。火元は空き家。め組が消口を取り、午前4時過ぎに鎮火させた。火元の空き家跡を火事場見廻の柴田と銀治が検分すると、五人の骸が肩を寄せ合うように並び、消し炭の如くに黒変していた。五人の中に女が二人いると銀治は判じた。逃げようとした様子がない。銀治は心中ではないかと推理した。だが、その五つの屍に何かがおかしいと銀治の経験が告げている。銀治は、今日一日、現場をこのままにしておくことを柴田に願い出る。け組の燐丞に屍の検分をしてもらうためである。柴田は了解した。燐丞は医者を兼ねている。燐丞は、屍の内、男一人は武士、二人の女の内一人は子を宿していた等、検分結果を柴田と銀治に告げた。
 焼け跡からの帰路、銀治はこの件を追うと燐丞に告げる。子を宿していた女に銀治は心当たりがあったのだ。燐丞は銀治に多分、尾(ツ)けられていると告げる。そして、闇が深いようですと語り、この件の探索に加担するという。さらに、私たちの世代で最も荒事が得意な人に、力をかして貰おうと即断する。
 いくつかの火事が発生する中で同種の事件がついに再発・・・・・。
 事件解決後に読売の文五郎が、この事件の顛末を読売に書く。その末尾に記す。
「まさしく銀波の世代といえり。江戸火消に隙間なく、ますます天晴(アッパレ)なり」(p293)と。
 松永源吾、大音勘九郎ら「黄金」の世代は評判だった。その次の世代に、「銀波」の世代という名がついた。これが黄金の世代を頂点にした新たな火消ワールドの始まりにつながるのではないか。

 この『幕間』は、『羽州ぼろ鳶組』第二ステージが引き続いていく期待を抱かせる。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』 上・下   祥伝社文庫
『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』 祥伝社文庫
『双風神 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社

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『襲大鳳 羽州ぼろ鳶組』 上・下  今村翔吾  祥伝社文庫

2024-03-16 22:33:33 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズの第10弾!! 本書はシリーズの1冊であるが、勿論単体として読むことができる。しかし、本作に関しては、前回ご紹介した『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を読んでから、本作を読むことをお薦めする。
 私は本作を先に読んでしまってから『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を読んだので、つながりで気がかりなところを一応の解釈で読み進めてしまった。『黄金雛』を読んだ後に、本作の読後印象をまとめている。

 本書は今まで通り、長編時代小説書下ろしの文庫として刊行されたが、このシリーズでは初の上・下巻本。上巻は令和2年(2020)8月、下巻は同年10月に刊行された。

 『黄金雛』は、宝暦6年(1756)霜月(11月)23日未明、林大学頭の屋敷から出火した火事の鎮圧がエンディングとなる。この火事は後に「大学火事」と称され、江戸の大火の原因となった。本作の序章は、この大学火事が鎮圧された後の火事場検分の場面描写となる。加賀鳶大頭が火事場見廻に申し入れ、「千眼」の卯之助を強引に火事場の検分に同行させる手はずを取った。卯之助は火事場で飯田橋定火消頭取、松永重内の亡骸を見つける。そして、卯之助たちの様子が描写される。
 ”・・・・・すぐには気付かなかった。この火事場は明らかにおかしい。あるべきものが、ないのである。「ありえねえだろ」卯之助は周囲をもう一度見渡したが、やはり無い。まるで神隠しに遭ったように消えているのだ。・・・・・「こりゃあ大変なことだぞ・・・・」すぐに謙八に伝えねばならない” (p12)
 つまり、序章はストレートに『黄金雛』にリンクしている。卯之助の気づきがもたらす衝撃を読者が感じとるには、『黄金雛』読後の余韻の続きに、本作を読むことをお薦めする。そのインパクトが本作の底流となって行くのだから。

 「第一章 青銀杏」は「大学火事」から18年の時を経た、安永3年(1774)から始まっていく。それがこのストーリーの現在時点。「大学火事」以降の18年間--源吾18歳の時に九段坂飯田町の火事で女の子を救出した。姫様と呼ばれていたその子が今や源吾の妻となっている深雪である。源吾の名が初めて火消番付に載った当時のこと。彼らが黄金の世代と呼ばれたこと。源吾の親の世代への回顧など--が、源吾と折下左門、そして深雪の間の会話、回顧談として、なめらかなで巧みに時代をつなぐ導入となっていく。親の世代、勘九郎・源吾などの黄金の世代、源吾らの次世代-与市・燐丞・銀次・沖也など-が既に中堅の火消となり、その後に、新之助・牙八・宗助あたりの世代が続く。火消番付を介して源吾の想念は、い組の慎太郎、め組の藍助、に組の慶司など気骨のある新人が増えていることに及ぶ。
 その慎太郎と藍助が切絵図を頭に叩き込むために、町を歩いて見て回るという自主的な行動をとっている場面へとスムーズにストーリーが転換していく。勿論、慎太郎は「すぐに番付火消になってやる」と意気込んでいて、そのための行動なのだ。若者の意識は世代を巡るというところか。

 蕎麦屋に居た二人は、何かが遠くで爆(ハ)ぜるような音を聞き、きっと火事だと店を飛び出しす。中根坂の上に広がる尾張藩上屋敷から一筋の煙が上がっていた。二人は火事場をめざす。尾張藩上屋敷の広さは7万8144坪。その中の屋敷の一つが凄まじい火勢で燃え上がっていた。その屋根から傲然と火柱が飛び出している。
 この火事は定火消八家の会合が市ヶ谷定火消の屋敷で行われている最中に発生した。
 慎太郎は屋敷内に救助に入ろうとするが、藍助が引き留める。藍助は「何か・・・・・炎がおかしい。喜んでいるみたいだ」(p57)と感じたのだ。
 その場に八重洲河岸定火消頭、進藤内記が現れる。内記が平然と救助に入る。慎太郎は内記に続く。室内の状況を見た内記はもはや無理と判断し、姿勢を低くして畳を注視した後、慎太郎を促し退却する。そして内記は慎太郎と藍助に告げる。
「これは火付けだ。まだ続くとみて間違いない。この火付けには近づくな。死ぬることになる」(p71)と。
 源吾は教練中に半鐘の音を聞く。武蔵と20人ほどを先発として送り込み、後に後詰めとして新庄藩火消は番町に展開することに。源吾はこの火事にいやな予感を抱く。
 勿論、源吾は事後にこの火事の様子を新之助と武蔵に探らせる。火元は尾張藩2000石、西田兵右衛門の屋敷。火元と思しきところで兵右衛門の屍が見つかった。
 これが始まりとなる。

 新之助と武蔵の調べてきたことを聞き、源吾は宝暦3年から宝暦6年に発生した火事のこと。大学火事での父の殉職の話を新庄藩火消の主立った者に伝える。『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を先に読んでいれば、源吾が語った内容が何であるかがリアルに理解でき、イメージが湧き、ストーリーの奥行きがぐんと広がって行くことを請け合える。
 まずは新之助と武蔵には火事場の検分、源吾は慎太郎、藍助、内記への聞き取りを始める。藍助からの聞き込みは重要なヒントとなる。源吾は星十郎の力を借りる必要を痛感する。

 源吾は加賀藩火消大頭、大音勘九郎に働きかけ、一方、長谷川平蔵を介して田沼の了解を事前に得る。府内の名だたる火消たちを集めた会合が勘九郎の呼び掛けで開かれる。狙いは、市ヶ谷で起きた火事を契機に、江戸火消の連合を再開させることにある。そして、尾張藩上屋敷での火事の手口を考え、火消になって3年目までの者は出さないようにという方針を立てる。これは宝暦年間の思考と同じ、火消の若手層を未来の江戸の火事対策として温存したい考えだ。連合の系譜が繰り返されることを意味する。『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』を読んでいると、この連合の意義が、二重写しに重なってきて、事の成り行きのイメージが膨らむ。事態は繰り返される・・・・・。
 
 会合が終わった後で、町火消に組の副頭宗助が源吾らに思わぬことを告げる。己の聞き違いかも知れぬと言いつつ語ったことがは衝撃的だった。源吾には、その事実を、に組の先代卯之助から確認する必要が出て来た。

 源吾は教練中に遠くで鳴る陣太鼓の音色を耳にする。それは麹町の火事を意味した。尾張藩中屋敷のある所だ。加賀鳶七番組頭「風傑」の仙吉が、現場に着いた源吾に言う。屋敷が爆ぜた火事で、炎が何かおかしいと。
 爆発は異なる場所で二度、三度と起こる。五つ目の爆発が起こった。
 五番目の爆発が起こり炎上する屋敷の屋根上に、気絶した女中を抱えて、火消羽織を着た男が現れた。死んだはずの伝説の火消が再来した!!
 源吾の問いかけに対し、その男は言う。「この火付けは俺が止める」(p337)と。

 このストーリーの面白さは、火付けの下手人は誰なのかが、ここで混迷し始めることになる。男はその場の言い逃れをしただけなのか。男の言ったことが本当なら、下手人は誰なのか。その狙いは何か。この2ヵ所目の尾張藩中屋敷での爆発から、爆発原因が解明できるのか。

 加持星十郎は源吾に言う。「如何なる瓦斯かを突き止めることは肝要です。しかしそれ以上に考えねばならぬことがあります」武蔵は思い至っていた。源吾が言う。「如何にして火を付けたかということだな」と。「はい。これが極めて難しいのです」(下・p32)

 このストーリーは、源吾が長谷川平蔵を巻き込んでいくことから、一層その展開がおもしろくなっていく。長谷川平蔵の推理と探索力及び火消の思考枠とは異なる視点が、尾張藩に関係する重要な事実を炙り出していく。
 さらに、進藤内記の立ち位置と行動がストーリーの進展の中で重要な要となっていくところも興味深い。「菩薩」の内記が示すしたたかさとその反面で見せる陰り、そこがおもしろい。源吾と内記の関係は微妙である。火消組の頭としては、思考や行動において対極的な位置にいる存在なのかも知れない。

 神無月(10月)27日の巳の刻(午前10時)、教練中に、源吾は微かに何かが爆ぜる音を耳に捉えた。火元は戸山にある尾張藩下屋敷とわかる。

 火消の連合が総力を結集していく様子がますます緊密になっていく。読者は一層ストーリーの進展に引きこまれて、一気に読み込んでいくことになる。
 源吾の心境と彼がここで取った行動に、読者はますます思いを重ねていくことになるだろう。ネタバレは回避しておこう。
 さらには、独自に行動する慎太郎と藍助に、声援を送りたくなる。慎太郎の働きかけで、慶司までが加わってくる。若者の行動力が突破口を生むことに・・・・。

 さらにこの後、どのような展開になっていくのか。それは本書でご確認願いたい。
 クライマックスで、伝説の火消が本然を発揮するとだけ述べておこう。

 最後に大音勘九郎が源吾や与市に語った印象深い言葉をご紹介しておきたい。
*あの日の己たちが間違っているとは思わぬ。同時に父上たちが間違っていないことも今ならば解る。いつの時代も若い者が切り拓く。だがそれが今かどうかは、誰にも判らぬのだ。我らは我らの信じた道を行く。 下・p20

 この言もまた『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』のストーリーと重なる。重ねると一層、その意味が重みを増す。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』 祥伝社文庫
『双風神 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社

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『黄金雛 羽州ぼろ鳶組零』    今村翔吾    祥伝社文庫

2024-03-15 22:28:53 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズを読み継いでいる。シリーズが第9弾まで続いたところで、この「零」が挿入された。実は第10弾の『襲大鳳』を先に読了し、少しシリーズとしてのつながりが気になるところがあったのだ。読了後にこの『羽州ぼろ鳶組零』が先行していることを知り、急遽読んだ次第。読み終えてなるほどと納得できた。ミッシング・リンクがこの『零』が挿入されたことで解消したのだ。そこで、読後印象はこちらを先に記すことにした。
 本書は令和元年(2019)11月に長編時代小説書下ろしの文庫として刊行された。

 今までのシリーズはタイトルが『羽州ぼろ鳶組』と表示されてきた。本書は『羽州ぼろ鳶組零』と表示されている。それはこのシリーズの出発点以前の物語だからである。
 『羽州ぼろ鳶組』シリーズでは、松永源吾・大音勘九郎・鳥越新之助・進藤内記・日名塚要人・漣次・藍助・辰一・宗助・秋仁などが活躍する。火消番付の英雄たちにも青き春の時代があった。彼等の親の世代が火消として名を馳せていた時代にである。このストーリーは宝暦年間の前半をその舞台にしている。

 宝暦6年(1756)には、後に「大学火事」と称される大火事が江戸の火事史に記録されている。この史実を巧みにストーリーのクライマックスに織り込んでいく時代小説であり、火事の原因を究明するミステリー仕立てになっている。一気読みせずにはいられなくなる筋の運び。今村さんは、ストーリーテラーだと感じる。

 文庫本カバーの火消の後姿は、松永源吾の父、飯田橋定火消頭取松永重内だと思う。この時代、加賀鳶大頭は大音謙八。尾張藩火消頭伊神甚兵衛。仁正寺藩火消頭取柊古仙。町火消では、い組頭金五郎、に組頭卯之助らが火消として活躍していた。この親の世代は、源吾・勘九郎・内記・漣次・辰一・秋仁などを、火消としてやる気に満ちてはいるが、この先の江戸の火事に対処すべき次世代と見做していた。火事読売は彼等を「黄金(コガネ)の世代」と称している。つまり、親世代からすれば、次の時代の江戸の火消を託す層なのだ。
 この黄金の世代の中には、進藤内記だけが一足早く八重洲河岸火消頭取になっていた。それは日本橋の火事で発生した「緋鼬(アカイタチ)」に対処する中で死んだ兄・靭負の後を内記が継いだからである。一方、松永源吾は飯田町火消の「黄金雛」と呼ばれていた。
 本書のタイトルは、黄金の世代が今は雛であるという意味合いと源吾が「黄金雛」と呼ばれる2つの意味合いが重ねられているのだろう。

 序章は宝暦6年(1756)秋の一場面から始まる。それは読者をぐっと惹きつける。
 まず、八重洲河岸定火消屋敷の教練場で火消頭取の進藤内記が配下を教練する場面。内記19歳。火事の発生に気づき、内記は日本橋箔屋町の火事現場に駆けつけ消口を取る。そこに、よ組の秋仁(18歳)、い組の漣次(16歳)、に組の辰一(18歳)、加賀鳶の勘九郎(17歳)、飯田町定火消の源吾(16歳)、彼等が集結してくる。黄金の世代が活躍する。その場面がおもしろく描写されるから、一気に引きこまれるという次第。
 だが、その活躍の背景に、本作の伏線が敷かれている。「先日、奉行所に怪しげな文があったという。十日の内に江戸四宿のどこかに火を放つという犯行の予告だった」(p19)このため幕府はこれに対処するために有力な火消を動員していたのだ。

 「第一章 炎聖」は一転して、宝暦3年(1753)如月に遡る。未明に浅草安部川町から出火。尾張藩火消頭、伊神甚兵衛が火元に到着する場面から始まる。甚兵衛の異名は「炎聖」。「大物喰い」の伊神と言われ、「鳳(オオトリ)」の甚兵衛とも呼ばれた。
 そう呼ばれるようになった伊神甚兵衛のプロフィールと尾張藩火消の経緯がまず描き込まれる。これがこのストーリーの淵源になる。
 伊神は目黒不動南の百姓地の火事に出動せよとの奉書を受け、尾張藩火消を引き連れて現場に出動する。その結果、火事現場で窮地に陥る事態に。この火事の発生に、いずこからも応援は駆けつけない。最後の手段として、伊神が愛馬「赤曜」に乗り、炎の壁を突き抜け援軍を呼びに行く。伊神は謀略に嵌まったのだと悟る。一方、出動した尾張藩火消は死滅することに・・・・・。後に甚兵衛を含め全員が殉職したと火消たちに伝えられる。伊神は伝説の火消となる。
 源吾は父重内と伊神を火消として対比し、父を火消として不甲斐ない男と決めつけ、炎聖伊神に憧れた。伊神から火消羽織の裏地に鳳を使う許可を得る位に心酔していた。

 序章は、「第二章 死の煙」にリンクする。冒頭、宝暦6年の日本橋箔屋町の火事現場に、時が現在に戻る。消火という一点を御旗にした若き火消たちの行動を、親の世代が苦く受け止める状況がまず描かれる。
 そんな矢先に、湯島聖堂に程近い妻恋町で火事が起こる。火元は火事場見廻の屋敷だった。先着の榊原家の火消と加賀鳶の大音謙八率いる火消が消火に尽力する。が、ここで救助に入った両者の火消たちも煙に巻き込まれて死ぬという事態が発生する。加賀鳶頭取並の譲羽十時が隣家の主を救出して何とか戻ってくる。しかし、彼は煙が死の煙だと大音謙八に告げて頽れる羽目になる。
 火事の拡大を防ぎ、鎮圧できたものの、屋敷内には鎮火するまで踏み込めない。原因不明の死の煙。ここから大音謙八は江戸の全火消を巻き込んだ対応に挑んでいく。同種の火事の発生への懸念。それにどう対処するか。死の煙の原因究明を図る一方、今後火事が発生した場合の対処をどうするか。熟練の火消ですら生還できなかった死の煙。その原因が判明できるまでは、まず次世代を担うべき若輩の出動を禁ずることを、江戸火消全体の方針にする。

 ここから、ストーリーは面白くなっていく。
 次世代の温存を大前提に現在の窮境に対する火消対策を練っていく現活躍世代と黄金の世代と称される若者たちの意識のギャップが軋み始めて行く。
 源吾は火事発生において火消として人命救助に邁進するのに火消の年齢は無関係だという立場を堅持する。現在の火災における人命救助に出動できないという禍根を残せば、将来の火消活動への悔いが残ると主張する。親世代の思考方法と方針に真っ向から反発する。親世代である火消頭取、火消頭の会合に参加した最年少の火消頭進藤内記から情報収集することを兼ね、黄金の世代と称される主な火消を呼び集め、行動に乗り出していく。
 第三章は、黄金の世代たちの行動を描き出す。その見出しがおもしろい。「ならず者たちの詩」である。彼等は彼等なりに情報探しを始め、糸口を見出して行く。

 大音謙八は江戸の主立った火消頭を集めた会合で、死の煙の火災状況を伝え、今後の対策を語り、若輩火消の出動を禁ずる統一方針を決めた。このとき、不審なしぐさの人物に気づく。同様に気づいていた者が複数名いた。阿吽の呼吸でその会合の場に居残った頭たちとの話し合いで、ある疑問点に気づいていく。「そもそも尾張藩火消が全滅するということが、やはり有り得ない・・・・」(p176)と。この事件の闇の深さを感じ始めるのである。死の煙の正体、原因究明を進めて行くのは勿論である。

 日本橋亀井町にある「糸真屋」で火事が発生する。この火事が事件の闇を暴く契機になる。そこから、江戸城の御曲輪内にある林大学頭の屋敷門前に通告文が置かれていたこと。そして、大学頭の屋敷で火事が発生する形に進展していく。
 そして・・・・源吾は父重内の火消としての真の姿に気づくことになる。

 火事場での火消の行動が実に巧みに躍動的に描写されていく。本作は火消たちの行動が特にスピーディにダイナミックに活写されていくので、読みも加速していく気がした。

 この『羽州ぼろ鳶組零』は、大学火事から丸2年経った冬の火事で終章となる。松永源吾は父の死をうけて飯田町定火消頭取に就いていた。この時、源吾は「火喰鳥」と呼ばれている。飯田町にある商家が火元の火事が起こる。慌てふためきつつ姫様を探す武士。事情を聞いた源吾は火焔の中に飛び込み女の子を助け出す。「零(ハジメ)の物語」がここで、『羽州ぼろ鳶組』の初作『火喰鳥』にリンクしていくという次第。
 一方で、このストーリーが、シリーズ第10弾『襲大鳳』にリンクしていくことになる。
 最後に本作で印象深い文を引用してご紹介しておきたい。
*上の火消たちは間違っている。次の世代を守りたいのかもしれねえが・・・・・じゃあ、その次はどうなる。俺たちは一生、火付けを見過ごしたっていう悔いを背負っちまう。そんな火消に誰が憧れるってんだ。   p243
*不思議よな。歴の淺い者のほうが、普通の民の心に近いはず。だが火消はそれが逆様になる・・・・どれほど恐ろしかろう、どれほど苦しかろうと、歳を重ねるほどに慮るようになるのだ。火消を極致に至らしめるものがあるとするならば、それは人を想う心ではないか」 p292
*市井の人々はいつしか火消を英雄のように祭り上げるようになった。しかし彼らが見ているのは火事場での姿だけ。その火消にもそれぞれの人生があり、背負っているものがあることを知らない。己が火消になってようやく解ったことである。   p214

 ご一読ありがとうございます。

補遺
日本の災害・防災年表「火災・戦災・爆発事故/江戸時代(江戸時代編)」
:「WEB防災情報新聞」


 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『双風神 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社

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