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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『くらまし屋稼業』  今村翔吾   ハルキ文庫 

2024-07-16 15:07:26 | 今村翔吾
 2018年7月にハルキ文庫(時代小説文庫)刊の新シリーズとして始まった。手元の文庫は2021年12月刊の第10刷。本書は、ハルキ文庫の書き下ろし作品である。

 一般的には、内表紙、目次と続き、プロローグや序章という体裁でストーリーが始まる。本書の体裁はちょっとひねってある、内表紙のすぐ続きに6ページの序章があり、その後に改めて内表紙・主な登場人物・目次(この中に先の序章の見出しも組み込まれている)・地図が続く。第1章が始まる前に、「くらまし屋七箇条」がでんと1ページに載る。以下の通りである。
  一、依頼は必ず面通しの上、嘘は一切申さぬこと。
  二、こちらが示す金を全て先に納めしこと。
  三、勾引(カドワ)かしの類いでなく、当人が消ゆることを願っていること。
  四、決して他言せぬこと。
  五、依頼の後、そちらから会おうとせぬこと。
  六、我に害をなさぬこと。
  七、捨てた一生を取り戻そうとせぬこと。
     七箇条の約定を守るならば、今の暮らしからくらまし候。
     約定破られし時は、人の溢れるこの浮世から、必ずやくらまし候。

 「くらます」とは、「(姿などを)誰にも気が付かれないように隠す」(新明解国語辞典・三省堂)という意味である。現在地での生活状況、生活空間からその存在を消してしまうという目的をサポートして実行させる役割を担うというのが、「くらまし屋」稼業ということになる。七箇条の約束を破棄すれば、「必ずやくらまし候」のくらましは、約束を反故にした本人を抹殺するという意味であろう、

 本作を読み始めて、真っ先に私が連想したのは、池波正太郎作『仕掛人・藤枝梅安』シリーズと、かつて、藤田まことが中村主水を演じたテレビ番組「必殺仕置人」シリーズだった。仕掛人・仕置人シリーズは、依頼を引き受けた相手を必殺するというストーリーである。本作は行方・存在をくらますのを手助けするというストーリー。
 1.依頼人のオフアー(特定の場所を経由)、2.依頼内容の詳細確認と合意、3.金銭の授受、4.依頼内容の実行、というプロセスは同じ。Xという対象者を必殺しその存在を消すのと、依頼人側の存在を隠し新たに生きるための援助をするのは、全く逆方向の展開になる。
 発想を逆転させたところがおもしろい。多分、池波作藤枝梅安が、このくらまし屋創作の根っ子にあるのだろうと思う。

 角川春樹事務所のホームページを見ると、このシリーズは現在8巻が刊行されている。これで完結かどうかは知らない。触れていないように思う、未確認。

 さて、この第1作に移ろう。
 第1作の読後知識として、このシリーズの主人公群像にまず触れておこう。
堤平九郎:表の稼業は飴細工屋。浅草など各所で露店を出している。くらまし屋本人
     元武士。タイ捨流を学んだ後、井蛙流の師につく。全てを模倣する流儀。
七瀬:日本橋堀江町にある居酒屋「波瀬屋」で働く20歳の女性。平九郎の裏稼業協力者
   智謀を発揮する
赤也:「波積屋」の常連客。美男子。演技と変装に長ける。平九郎の裏稼業協力者
茂吉:居酒屋「波積屋」の主人。常連客の平九郎の素性等を知る存在として描かれる。
   平九郎の裏稼業のために場所の提供を暗黙裡に了解。七瀬、赤也のことも承知

 少なくともこの第1作では、平九郎、七瀬、赤也がくらまし屋チームとして行動する。
 この第1作、まず依頼人がおもしろい、浅草の丑蔵から信頼の篤い子分の万治と喜八の二人である。丑蔵は浅草界隈を牛耳る香具師(ヤシ)の元締めで、高利貸しをはじめとして手広くしのぎを行っている。万治は丑蔵の子飼いの子分。喜八はその剣術の腕を見込まれ、丑蔵から信頼を得るようになった。万治はやくざ稼業での所業に嫌気がさし、日本橋にある馴染みの小料理屋「肇屋」に勤めるお利根と堅気になり一緒に暮らしたいと思うようになる。喜八は国元に帰らねばならない理由ができた。万治と喜八は肇屋で、互いの気持ちを知り合い、一緒に丑松を裏切る決心をする。
 二人は丑蔵のしのぎである高利貸しの集金業務を行った銭をそのまま持って江戸から逃げようと計画する。だが、ひょんなことから集金の途中で裏切りが暴露して、丑蔵の怒りを買い、丑蔵の命を受けた刺客たちに追われる羽目になる。
 二人は、高輪の上津屋を本拠とする香具師の大親分、録兵衛のところに逃げ込んだ。窮鳥懐に入れば・・・・を建前に、録兵衛は一旦二人をかばう。禄兵衛は丑蔵のしのぎなどの内情を聞き出したいという肚があった。丑蔵は勿論、執拗に万治喜八の行方を追跡する、禄兵衛の本拠地「上津屋」を襲い家捜ししても二人を捕まえたい形勢を丑蔵は示す。
 禄兵衛にとって万治と喜八が疎ましくなってくるのは道理。彼は二人に銭さえ払えば必ず逃げる手助けをしてくれる男を紹介するという。万治と喜八はその手段に合意する。そこで登場するのが「くらまし屋」の平九郎たちという次第。

 万治と喜八は上津屋に匿われている。上津屋は平静を装い続ける。丑蔵は配下の子分や浪人者を数十人規模で動員し、上津屋の周辺をくまなく監視しつつ、万治と喜八の存在を確認して引き立てようと構えている。さて、その状況下で、くらまし屋はどのように二人をくらます計画を実行するのか。ここに極めつけの方法が持ち込まれていく。この顛末は実におもしろい。読者を引きこんでいくエンターテインメント性が高く、実に楽しめる。この脱出シーンを映像化したら、おもしろいだろうなと思う。
 この脱出劇成功でめでたしめでたしにならないところが真骨頂。ひとひねりがあり、なるほどの読ませどころとなっていく・・・・。この先は語れない。

 このストーリー、万治の依頼によりくらます対象者にお利根が入っている。この時、お利根は肇屋に勤めているままの状態。丑蔵は遂にお利根が万治の女であることに気づいてしまう。くらまし屋の平九郎はお利根を如何にくらますか。くらましの第二段がつづくところが、この第1作の構想の妙でもある。この第二段の展開が凄まじい。

 この第1作で、著者はくらまし屋の裏稼業を単なるまやかし、絵空事に堕さないように、読者に合理性を感じさせるある手段を導入している。ひそかな仕組みをサポート体制として築いている。このあたりも読者を惹きつける一要因になると思う。くらまし屋にリアル感を加える。

 この第1作に、シリーズのテーマとして据えられていると思う記述箇所がある。引用してご紹介しておこう。
 「表と裏、裏と表、人は物事をそのように分ける。果たしてそれは正しいのであろうか。裏が生まれるのは、どちらかを表と定めるからではないか、
 まず人がそうである。如何な善人でも、己の守るべき者のためならば悪人になれる、喜八がそうであったように。それと同時に人を殺すのを何とも思わぬような悪人も、路傍に捨てられて雨に濡れる仔犬に餌をやることもある。
 どちらが表で、どちらが裏ということはない。人とは善行と悪行、どちらもしてのける生き物ではないか」(p272)

 最後に、次の文がさりげなく平九郎の思いとして記されている箇所がある。
「高額で人を買い漁る謎の一味。喜八にその話を聞いた時から、頭の片隅にずっと気に掛かっていた。平九郎が探し求めるもの、それの手掛かりがあるような気がしてならないのである」(p247)
「再会を誓って始めたこの稼業である。」(p269)
これらの箇所、このシリーズの根底になるようだ。このシリーズを貫いていく伏線だと思う。その意図するところを楽しみにして、シリーズを読み継ごうと思う。

 お読みいただきありがとうございます。