遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『不疑 葉室麟短編傑作選』   葉室 麟   角川文庫

2024-02-28 18:30:09 | 葉室麟
 愛読作家の葉室麟さんが逝去されてはや6年2ヵ月余が経った。2017年12月23日、66歳で亡くなられた。これからさらなる活躍を期待していたのに・・・。実に惜しい。合掌。

 本書は、「葉室麟短編傑作選」とあるように、著者没年の2017年に刊行された「決戦!○○」という作家競作の短編集のシリーズに掲載された短編と、著者没後に月刊雑誌等に掲載された短編が、角川文庫オリジナル短編集として編纂されたもの。全6編が収録されている。2024年1月に刊行された。
 
 全編、歴史の一局面を切り出し、史実を踏まえて著者が独自の解釈と想像力によりフィクションとして仕上げた小説である。歴史の一コマがこのようにも読み解けるかという面白さが味わえる。記録に残された史実の空隙をつなぐ想像力と構想力、読み解きがスリリングである。
 各編ごとに簡略な紹介と読後印象をまとめてみたい。

<鬼火>
 沖田総司が7~8歳頃の原体験を夢に見る場面から始まる。総司の鬱屈した心理を基底にまず総司のプロフィールが語られる。そして、江戸から上洛した浪士組が分裂し、京に留まった壬生浪士組が新選組に改称される過渡期の局面を沖田総司の視点から描いていく。局長首座の芹沢鴨に言われ同行する機会が多かった総司が芹沢鴨の思考と行動を見つめていく。土方の指示を受けて、総司は壬生屯所に近い八木家の座敷で芹沢鴨等を暗殺する一人に加わわる。その事実は後に知られるようになったこと。
 著者は、「沖田君、わたしは斬られるなら、君がいいと思っていた」と芹沢につぶやかせ、総司の心境を「総司は胸の底からの感情に揺すぶられた。・・・・・・ 芹沢さん/ わたしはあなたを殺して/ 悲しみを/ 初めて知りました」(p58-59)と記述する。
 この短編を読み、沖田総司と芹沢鴨の人物像を掘り下げてみたくなった。

<鬼の影>
 赤穂城を受城使に引き渡し、事後処理を終えた後、大石蔵之助良雄は山科に1800坪の土地を買い隠棲する。伏見・橦木町の遊郭に通い、遊興にふける姿を見せ、もとの凡庸な振る舞いを見せる。まずは、浅野家再興の根回し工作を続ける。そこへ、仇討ちを掲げる急進派の堀部安兵衛が山科に大石との直談判にやって来る。この状況に焦点を当てた短編である。
 時が経つにつれ義盟を誓った人々の間に生まれる意識の分裂。その急先鋒はすぐさま仇討ちをと迫る堀部。一方、大石の周辺には伏見奉行の手の者が監視し蠢いている。内憂外患の中での大石の行動が描かれていく。
 本心を読み取られないように周到に行動する大石の姿がリアルに描き出されている。
 山科での隠棲が、大石にとって外見的行動とは裏腹に、最も苦衷に満ちた時期だったと思う。
 著者は最後に大石に言わせる。「どうやら、われらは、皆、主君の仇を討ち、天下大道を正す鬼となったようだ。わたしたちが進むべき道はこれから開けよう」(p96-97)と。

<ダミアン長政>
 ダミアン長政とは、黒田官兵衛の息子の黒田長政である。長政は朝鮮出兵において、勇猛に闘ったが、太閤秀吉の仕打ちに激怒し「豊臣家に神の罰を下してくれる」と誓ったと著者は記す。長政は德川家康の側に加担して、政略をめぐらせる。
 本作は、関ヶ原の戦いの意味と読み解きを大変おもしろい視点から描き出している。当時のマクロな勢力分布を前提としての豊臣家という位置づけをなるほどと思わせるところがすごい。

 秀吉の没後に、石田三成と黒田長政が対話をする場面を描く。その際に著者は三成に次のことを語らせている。(p115-116)
「長政殿はやはり如水殿につかれるか」
「德川も毛利も外から豊臣を崩そうとする。内側から豊臣を崩せるのは黒田殿だけでしょうな。黒田は豊臣が懐に抱えた蝮でござる」
「長政殿には禅の<啐啄同時>という言葉があるのをご存知か」
「黒田が豊臣の味方であることを願っております」
 
 この三成が長政に発したメッセージの読み解きが、関ヶ原の戦いにつながっていく。
 史実の読み解き方の一つの極みになっていることに驚くとともにおもしろいと感じた。

<魔王の星>
 『信長記』には天正5年(1577)9月29日に巨大な彗星が現れたことが記されていると著者は記す。その時、蒲生忠三郎(氏郷)が天文に興味を抱くようになったことからストーリーが始まる。天正10年4月、再び夜空に巨大な彗星が現れた。それに先だって、2月14日にも彗星が見られたという。
 この短編は、天正5年~10年という時代状況と、彗星を一つの表象として、キリスト教を仲介に西欧の知識が伝搬されてきた状況を描き出す。蒲生忠三郎を介して、信長の理知的聡明さとともに、彼の酷薄さを含む多面性が描かれていく。
 星の天文観測による自転・公転論議、キリスト教のあむーるという心の有り様が忠三郎から信長に伝えられること、荒木村重の謀反に、高山右近が加担したことに対して、右近の拠点高槻城を攻める信長の対応、天正8年に安土にセミナリヨが開校された状況などが織り込まれていく。
 当時の時代状況が活写されている作品である。あの時代をトータルでイメージするのに役立つ短編小説だ。

<女人入眼(ニョニンジュゲン)>
 「入眼」という語句は、「叙位や除目の際に官位だけを記した文書に氏名を書き入れて、総仕上げをすること」(p184)を意味するそうだ。ここに記された女人とは誰か。北条政子を指している。一方、京の宮廷側には、藤原兼子という権力者がいたという。
 健保6年(1218)2月、北条政子が10年ぶりに上洛し、女官で従二位の藤原兼子を私邸に訪れ、親王を将軍に迎えたいという要望を語る場面から始まっていく。
 頼朝の意思を継ぎ、関東を統治していく上での仕組みを確立し、<女人入眼>を果たして生涯を終えた北条政子の伝記風短編小説である。
 北条政子が女傑と称される所以がなるほどと感じられる。頼朝の生前中、二人はどのような人間関係を築いていたのだろうか・・・・そちらの側面も知りたくなってくる。また、母親としては、どのように心情をコントロールしたのだろうか、それが知りたいという思いも残る。

<不疑>
 この短編傑作選の中では異色作品である。というのは題材が中国の漢代にとられているからだ。著者は、古代中国小説の領域に創作を広げていこうという構想を持っていたのだろうか。
 主人公は漢の都、長安の知事と警察長官を兼ねた役職「京兆尹(ケイチョウイン)」になり、辣腕と言われた雋不疑である。
 漢の武帝が没して5年後、始元5年(紀元前82年)春に大事件が発生する。当時、黄色は天子の色だった。長安の市場の通りに、牛、乗る車、単衣も帽子も全て黄色尽くしで40歳ぐらいの背が高い男が出現した。未王宮北門で、「わしは衛太子だ。取り次げ」と告げたのだ。武帝の長子だと名乗ったのである。
 衛太子拠は乱を起こし、後に死んだ筈なのだ。昭帝の朝廷は困惑する。
 衛太子と名乗る男の正体を暴かねば、朝廷が危地にさらされることになる。北門のところで、不疑は衛太子と名乗る男を一旦不埒者として捕らえるよう命じた。そして、自らこの男の詮議に関わって行くことに・・・・。
 不疑は、身内の弟たちと配下を使い、衛太子を名乗る男の背景を調べていく。そこにはとてつもない謀略が浮かび上がってくる。
 おもしろい謎解き小説になっている。
 ネット情報を検索してみると、『漢書』には巻71「雋不疑伝」があるそうだ。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
雋不疑  :ウィキペディア

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

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『曙光を旅する』    朝日新聞出版
『読書の森で寝転んで』   文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<葉室 麟>作品の読後印象記一覧 最終版
                    2022年12月現在   70冊+5冊 掲載

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『割れた誇り ラストライン2』  堂場瞬一   文春文庫

2024-02-27 15:52:29 | 堂場瞬一
 ラストライン・シリーズの第2弾。文庫のための書き下ろしとして、2019年3月に刊行されている。
 前年に発生した殺人事件が、地裁で「犯行の事実なし」と認定され、完全無罪判決が出された。この衝撃は警視庁全体に伝わった。これが本書のタイトル「割れた誇り」の一つの意味なのだろう。もう一つある。それは、刑事として事件を追う岩倉の誇りが割れる瞬間が生じたという信念次元での意味である。完全無罪判決が出た後に、殺人事件の関係者たちとの関わりを始めて行く岩倉が己の捜査活動に対する誇りという次元で感じた意識に関わる。私はそう受け止めた。

 無罪が確定した田岡勇太が実家に戻ってきたと安原刑事課長が岩倉剛に告げた。この殺人事件を担当したのは隣の北大田署だったのだが、田岡勇太の実家は南大田署管内の都営団地にある。北大田署から安原に非公式に田岡勇太を監視して欲しいという依頼が来たという。安原は岩倉に田岡勇太を極秘に監視するよう指示した。
 無罪判決で帰ってきた男を監視することは問題にならないかと岩倉は当初反発した。だが、近所でのトラブルの発生なども予想されることから、本人の所在を確認だけはしておくという意味でという安原の考えを受けて、岩倉はこの監視作業に入る。
 岩倉は監視の意味合いを読み替えた。無罪の男が無関係だった殺人事件の絡みで余計なトラブルに捲き込まれるのを避けるために、周辺を監視しようと。事件の発生を防止するための監視だと。

 岩倉はこの殺人事件を担当していなかったので、事件の外形的事実を知るだけで、田岡勇太の人間性については何も知らないことに気づく。岩倉は田倉勇太の周辺でのトラブル発生の回避、本人保護のためにも、まずは田岡勇太について、具体的にその人物像を知ろうと情報収集することから始める。
 団地の自治会長秋山をまず訪ねる。秋山は偶然にも警察官OBだった。岩倉のスタンスを知った秋山は協力的に対応し、岩倉が田岡の友人にコンタクトできるきっかけも作ってくれた。一方、岩倉は、田岡勇太の元の勤め先の社長や裁判で田岡の国選弁護人となった堤からの情報収集も行う。殺人事件に関わる情報収集の対象を広げて行く。
 岩倉は、徐々に田岡勇太のプロフィールを形成でき、殺人事件についても事実内容に詳しくなっていく。

 団地の田岡の家にカラーボールを投げつけるという嫌がらせが発生する。監視中の岩倉が2人組に近づこうとしたとき、その一人を組み伏せた男がいた。その男は、機動隊に異動した彩香の代わりに赴任してきた川嶋市蔵だった。なぜ彼がこのタイミングでここに・・・。岩倉は川嶋の着任当日から、この男の正体に警戒意識を喚起されている。
 本作で初登場のこの得体のしれない川嶋刑事の存在と行動が、読者の目からもおもしろい異分子的存在となっていく。
 田岡の家へのいやがらせ電話が頻繁に発生する。勇太は自宅に引っこもらざるを得ない状況となる。勤務先の寮に入り勤めていた勇太の兄直樹が、しばらく実家に戻ってきて、通勤しながら、母親と勇太を守る生活に入る。岩倉は秋山を介して、兄の直樹と話し合える関係を築いて行った。
 
 田岡が容疑者とされた殺人事件の外形的事実は、岩倉が川嶋に説明する形で、明らかになっていく。被害者の石川春香には光山翔也という大学生の恋人がいた。その光山が田岡勇太の実家の戸口に押しかけてくるようになる。彼は大学生の友人達に、無罪判決はおかしい。絶対に田岡が犯人だと言い続けていた。岩倉は、光山の友人への聞き込みで光山の主張を聞き知っていた。
 
 地裁判決から2週間後、思わぬ事件が発生する。事件現場は東京と神奈川の県境、多摩川にかかる第一京浜の橋、六郷橋のほぼ真下だった。午前3時に安原課長から岩倉に電話連絡が入る。岩倉の自宅が現場に一番近いためだ。遺体を見て、岩倉は光山翔也と身元がわかった。橋からの転落死。殺人の疑いが強いということで、南大田署に特捜本部が設置される。岩倉はこの特捜本部に組み込まれ、本庁捜査一課の若手刑事花田とペアを組み捜査活動に従事する。
 ここからのストーリーの特徴は、岩倉と花田の捜査活動を主体に進展していくところにある。岩倉は常に田岡勇太の実家周辺の監視と保護を念頭に置きながら、捜査に関わっていく。
 おもしろいのは、岩倉が要所要所で花田と川嶋の違いを脳裏で比較する側面を織り込んでいるところである。岩倉が伝手を頼り、川嶋の素性を調べる。一層胡散臭さが増すところが、今後の伏線になっていくように思われて興味が湧く。
 
 午前2時、岩倉は安原課長から、田岡勇太が自宅近くの路上で襲われたという連絡を受けることに・・・・。岩倉は緊急搬送された病院に駆けつける。
 岩倉は兄の直樹との関わりが一層深まっていく。
 襲撃事件はいわば嫌がらせの極み。犯人たちは速やかに逮捕される進展をみせる。

 一方で、捜査本部では光山殺害に絡んで、勇太への事情聴取を川嶋が訴えるという一幕が出てくる。勿論、岩倉は意見を述べるという一幕となる。捜査の行き詰まりの雰囲気と岩倉の信念が端的に描き込まれている。
 
 岩倉はあることに気づいた。その気づきが捜査情報とリンクし、光山殺害の容疑者逮捕に結びついていく。
 だが、この容疑者逮捕がもう一つの真相を明らかにしていくことに・・・・・。
 このストーリーの構図のおもしろさはここにある。
 実に意外な展開となっていく。お楽しみいただきたい。

 人の発言、行動の意味すること、真実は何か。それを理解し判断することの難しさということがテーマになっているように思う。真と偽の識別の難しさ・・・。
 もう一つは、岩倉の捜査に対する信念と行動を描き出すことが根底にあるテーマだと思う。

 「捜査会議の終わりに、岩倉は冷たい空気をはっきり感じていた。またやってしまった・・・・・捜査会議で自分が発した一言が、全体の流れを引き戻してしまう。---これまで何度も経験している。悪いことではないのだが、その都度敵を作ってしまうのは困ったものだ。しかしどうしようもない。・・・・・・誰だって、自分がやってきた仕事を否定されれば腹がたつ。」(p318) 岩倉の信念の一端が表出されている。

 このストーリーには、岩倉と女優の実里との交際関係が底流に流れるパラレルなストーリーとして織り込まれていく。これが、いわばストーリー展開の上で、オアシス的役割を果たしている。年の離れた二人の人間関係がどのように進展するのか。読者にとっては、楽しみな側面である。

 ご一読ありがとうございます。
 
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『ラストライン』          文春文庫
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「遊心逍遙記」に掲載した<堂場瞬一>作品の読後印象記一覧 最終版
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『早春 その他』  藤沢周平  文春文庫

2024-02-26 20:51:10 | 藤沢周平
 スローなペースで読み継いでいる作家の一人。「オール讀物」「文學界」ほかに発表された短編3作、それに随筆など4つが収録されている。手許にあるのは2002年2月第1刷の文庫本。はや20年余前の出版となる。
 文庫のタイトルは収録短編の3番目のタイトルに由来する。あれっと思ったのは、この「早春」が現代小説であること。本書で著者の現代小説を初めて読むことになったと思う。最初の2作は時代小説である。

 さて、読後印象を作品ごとに書きとめてみたい。

<深い霧>
 冒頭は「原口慎蔵には、長く忘れていたあとで、ふと思い出すといった性質の、格別の記憶がひとつある」という一文。それは、2,3歳の頃に、見るべきではない情景を見てしまったようなおそれを感じた記憶である。その記憶は、母の弟で慎蔵にとっては叔父にあたる塚本権之丞に関わっていた。権之丞は他国で討たれ、塚本家は絶家となった。この件は藩内では語ることが避けられてきた。慎蔵には深い霧に包まれた謎だった。
 三人目の討手とうわさのあった人物が御奏者になるために江戸から国勤めになるということと、塚本の縁者は心配いらぬのかという会話を、慎蔵は道場の廊下を歩いていて耳にした。事件から18.9年が経っている。
 これがトリガーとなり、慎蔵は叔父の権之丞が討たれた事実の原因究明を密かに始める。藩内に存在する派閥争いの過去、封じ込まれていた秘事を暴くことになる。
 純粋に真相を知りたいという慎蔵の一途な行動が浄化につながるところが良い。
 慎蔵の心の隅にわだかまっていたものは霧散したことだろう。最後の一文がそれを象徴している。

<野菊守り>
 斎部五郎助は代代御兵具方を勤める家禄三十石の下級武士。若い頃に無外流を修得し、試合で五人抜きをしたことがある。それを記憶する中老の寺崎半左衛門が、五郎助を見込み、藩の揉め事に関連する事態について語り、菊という女子の護衛を密かに命じた。日常の勤めを平常通り行いつつ、護衛の任務につけと言う。いわば、証人を守るための、よもやと思わせる目くらましである。五郎助は従わざるを得ない。
 日常の勤めの傍ら、それ以外の時間、五郎助は寺崎の設けた隠れ家で菊の護衛を始める。側用人の与田さまが帰国されるまでの期間である。やはり危機は訪れる。
 一方、護衛の間に、五郎助は菊の人柄に接することにもなる。
 お家騒動に発展しそうな揉め事を、証人の保護という一点に絞り込んだ局面を描く。そこに、斎部家の本家と分家の問題を重ねていく。五郎助の心境の変化を捕らえた一編である。冒頭に記された五郎助が自覚し始めていた冷笑癖は、たぶんもう消滅したことだろう。後味がいいエンディングだ。

<早春>
 5年前に病気の妻を亡くし、職場では今や窓際族。建売り住宅のローン支払いは定年退職までには返済見込み。息子は地方の大学を出て、そのまま地元の企業に就職し結婚して、ほぼ音沙汰なし。24歳の一人娘華江は、妻子のいる男が離婚した後に、彼との結婚を決意している。娘は岡村の気持など考えていない。自宅には午前2時に繰り返し無言電話がかかってくる。そんな環境で生きる初老のサラリーマン、岡村が主人公。
 ごく普通の家庭的な味に飢えている岡村は和風スナック「きよ子」の常連客になっている。ママのきよ子との話の一時が大きな気晴らし。そのスナック「きよ子」もビルの建て替えで、立ち退き話が進んでいる。
 岡村の日常を成り立たせている様々な局面を織り上げて、岡村の人生の今を描き出す一編。
 孤老という悲哀。岡村のやるせなさがズシンと伝わってくる。ありそうな情景・・・・か。
 最後は、午前2時にかかってきた電話への岡村の応対で終わる。そこに岡村の思いが集約されていると感じる。

 この後、「随筆など」の見出しを中仕切りにして4つの文が収録されている。

<小説の中の事実 両者の微妙な関係について>
 著者が己の作品を事例にして、小説の中の事実とは何かについて書き込んでいる。
 小説の中での事実とは何かである。冒頭で「そのつき合方は多種多様で、事実というのは実に微妙なものだと嘆息することが多い」と記すことから始まる。
 著者は歌人長塚節について書いた小説「白い瓶」、「天保悪党伝」、「蝉しぐれ」「幻にあらず」「春秋山伏記」を題材にして、事実に関して微妙な関係を語る。
 文筆活動の舞台裏が垣間見えるという点でも興味深い。一読をお勧めしたい。

<遠くて近い人>
 「司馬さんにお会いしたのは、ただ一度だけである」という書きだしから始まる。わずか5ページの随筆である。著者が司馬さんの作品について、思いを語っているところが参考になるとともに、両者の距離感がいささか感じられて興味深い。

<たった一度のアーサー・ケネディ>
 アーサー・ケネディがどのような俳優か知らないので、読んでいてもイメージできなかった。だが、主役とわき役との関係を、この人を例にして論じている内容そのものはなるほどである。俳優のもつ存在感。

<碑が建つ話>
 文学碑というものの意味合いについて、著者の思いが綴られている。「物を書く人間にとっては書いたものがすべてで、余計なものはいらない」(p188)という己の思いと、碑を建てようと思う人々の思い、「説明のつけがたいある感情を実現するため」(p188)の行為。その両面を見つめていく一文である。末尾を、藤沢周平の碑が建つらしいということに対して、「時には私ほどしああせな者はいまいと思ったり、複雑な気持で眺めているところである」(p190)としめくくている。
 ここまで書いて、調べてみると、「藤沢周平先生記念碑」というのが湯田川小学校に建立されていることを知った。他にも碑等が設けられていることも知った。


 ご一読ありがとうございます。


補遺
藤沢周平先生記念碑  :「やまがたへの旅」
藤沢周平生誕の地碑  :「じゃらん」
藤沢周平 その作品とゆかりの地 案内板  :「つるおか観光ナビ」

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『秘太刀馬の骨』  文春文庫
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『日暮れ竹河岸』  文春文庫
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『双風神 羽州ぼろ鳶組』   今村翔吾   祥伝社文庫  

2024-02-25 16:53:09 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズを読み継いでいる。書き下ろし文庫第9段!
 令和元年(2019)7月に刊行された。
 いつもの通り、表紙は火消の後ろ姿。だが、その髪の色を見ただけで、今回はこの男が羽州ぼろ鳶組・風読みの加持星十郎とわかる!
 さらに、本作を読んでみると、「双風神」というタイトルが重要なキーワードになっていること、それが今回のストーリーのテーマでもあった。

 本作の楽しみどころの一つは、久しぶりに淀藩定火消となった野条弾馬、通称「蟒蛇(ウワッバミ)」の登場である。序章は、京の高倉通二条上ル天守町での火付けによる火事現場に野条が登場するシーンから始まる。のっけから読者を惹きつける火災の描写。
 今回の舞台は江戸ではなく、大坂に。そのきっかけとなるのが淀藩定火消の野条が、新庄藩に送った火消頭取・松永源吾宛の封書で、源吾が京から戻って以来、初めての文だった。その内容は深刻で、大坂で頻発していている火事への対策のために星十郎を貸して欲しいという要請だった。

 そんな矢先に、星十郎が源吾を訪ねてきて、しばらくの暇を願い出た。江戸幕府は陰陽頭の土御門泰邦に編暦の主導権を再び奪われていた。幕府の天文方・山路連貝軒が、編暦の主導権奪還のための相論に京に上るにあたり、星十郎に助力を頼んできたことによる。
 一方で、時を同じくして、野条から星十郎来坂の要請がきたのだ。
 源吾は、野条の要請に対し、大坂での火事の発生状況を重視した。源吾自ら、武蔵を伴い、星十郎とともに大坂に赴くことになる。
 なぜ、源吾自ら大坂に赴く決意をしたのか? 野条の文に記された大坂の火事は、源吾が火消になって15年以上経つが、未だ二度しか見たことがないほど珍しい現象だった。それが頻発しているというのだから、まさに恐ろしい事態。大火が発生した後に、炎の旋風<緋鼬(アカイタチ)>が発生し、町を蹂躙して激甚な災禍を引き起こしているというのだ。源吾は下手をすると大坂が壊滅すると戦慄した。

 野条の文を受け取った3日後、源吾・星十郎・武蔵は、大丸当主、下村彦右衛門の持ち船にて、上方に向かう。星十郎は、土御門家との相論が始まるまでの期間、大坂で野条たちに協力することになる・・・・・。
 野条、源吾、星十郎、武蔵が、大坂の火消たちとどのように協力し合って緋鼬に対処していくかのプロセスがダイナミックに、かつ加速をつけて進展していくところが読ませどころとなる。

 本作の興味深い点を箇条書きで列挙してみよう。
1.江戸の火消組織と大坂の火消組織の構造的なちがいが背景情報として、巧みに織り込まれている。

2.町火消のみに守られている大坂の火消の組ごとの競い合いと互いの領分独立主義の強さ、また反目の様子が織り込まれていく。各組の頭のキャラクターが巧みに描き込まれていき、おもしろい。大坂の火消組のイメージが鮮やかに動き出す。

3.各火消組の単独行動が、緋鼬への対策としては逆効果となる。それをどのように克服するかことができるのか。各組の頭たちも、緋鼬への対処経験から学び始めていく。
 全火消組を如何に糾合し総合力を高めていくか。大坂の火消各組の分担領域と組頭たちの特徴を把握した源吾が彼等を結集させる要になっていく。その秘策の実施が一つのピークになる。
 総合力の発揮のしかたが読ませどころ。各組頭の強みが生かされていく。

4.緋鼬を発生させる為には、高度な天文の知識と実行日の風読みの的確さがまず求められる。更に幾箇所かで火災を同時に引き起こすという火付けが必要条件になる。つまり、緻密な計画と火災を発生させる手段や組織的な行動力が必要なのだ。それだけの人と金がかけられている。黒幕は誰なのか。一つの謎解きの要素が組み込まれている。

5.風読みとして、星十郎がどのように己の才を大坂で発揮できるのか。
 星十郎には体験のない火災による現象の発生である。星十郎がこの現象をどのように分析し、どのような危機対処策を発想し、提言するか。星十郎は、この難問を解けるかも知れない人物を思い出す。星十郎の思考と行動、そこが読者にとっての楽しみとなる。

6.かつての事件で嘉兵衛が生み出した極蜃舞を引き継いでいた武蔵は、火消道具という点で、あることに気づく。それがまた、もう一つの重要な危機対処策の要素となっていく。

7.陸路で上洛した山路連貝軒が、星十郎の話を聞き、風読みについて協力すると言い出す。意外な助っ人が源吾の味方になるという側面も挙げておくべきだろう。

8.野条弾馬が、なぜ蟒蛇と呼ばれるようになったのか。この点も、このシリーズの愛読者には知りたいことの一つだ。その経緯が本作で明らかになるという展開が楽しい。
 次はどこで、野条と源吾の再会が生まれることになるのだろう。

 本作のおもしろいところが、2つある。
 一つは、終章の手前で、ほんの少し一橋治済を登場させ、土御門に対する評価と橘屋の日記探索について語らせている点である。次作以降を期待させるところが、うまいなあと思う。

 もう一つは、第一章の冒頭で、源吾の妻深雪を登場させ天気の変化について深雪と源吾が賭けをする場面を描く。終章で深雪が源吾を介して頼まれた、料理のレシピを野条弾馬宛てに深雪が認めている場面を描く。僅かなページ数での描写なのだが、深雪の存在感をきっちりと押さえていて、微笑ましい。また、今後の野条との交流の深まりを暗示している感すらあって実によい。

 星十郎と山路との会話の場面で記されている一文が印象に残る。
 「いかなる人と巡り逢うかで、人の一生は大きく変わる。父もそうであったろうし、己もまたそうである」(p278)

 この文は星十郎の思いとして地の文で記されている。次の会話の後に。
 山 路「孫一に火消を辞めさせたのに、まさか儂が火消の真似事をするとはな。
     人の世とはおかしなものよ」
 星十郎「いかさま」         孫一とは星十郎の父である。
 山路が上洛後、星十郎と対面し、大坂の事態を知り、風読みの協力をすると言い出した続きの会話である。

 このシリーズ、「人との巡り逢い」が根底の原動力となっているように感じる。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『玉麒麟 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『狐花火 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夢胡蝶 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
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『半暮刻』  月村了衛  双葉社

2024-02-19 13:43:18 | 諸作家作品
 タイトルの「半暮刻」は「はんぐれどき」と読むそうだ。この言葉を本書で知った。手許の2冊の大辞典を引いたがこの語句は載っていない。著者の造語なのだろうか。
 本作の末尾は次の一文で終わる。
 「夕暮れが闇に呑まれる半暮刻に、波が嗤うようにざわめき始めた」(p461)
 本書のタイトルはここに由来するようだ。
 本書は2023年10月に単行本が刊行されている。

 『カタラ』は新宿にある表向き会員制クラブということになっている別世界。そこが最初の舞台となる。「カタラ」はギリシャ語で「呪い」という意味だという。「カタラは決してホストクラブなどではない」(p8)というが、女達を若くて見栄えがよい男達(スタッフ)が相手をするという点ではホストクラブと似ていると思う。カタラグループの創立者は城有。城有は「カタラ」に若い女をスタッフが連れ込む為の<マニュアル>を整備していた。マニュアルを熟読して、それに沿って実行する。何を実行するのか。若い女をスタッフ達がコール(カタラの隠語)する。つまりナンパして、クラブ「カタラ」の客として引き込み、マニュアルに沿った対応する。スマートで甘い言葉と態度により、高価な酒を飲ませて金を使わせる。借金を背負わせることにより、その返済のための手段にF(風俗)を紹介して、金を回収する。ホストクラブではないという意味は、女を嵌めてFに売ることに主眼があるという点なのだろう。スタッフになっている大半は見栄えのよい普通の大学生たち。
 「カタラ」は毎月、スタッフの中での売上高トップ・テンを公表している。つまり、女を嵌めて、酒を飲み楽しませ、借財を多くさせて、Fを紹介する形で返済させる。Fに行くことを納得させる言葉も、<マニュアル>には準備されている・・・という次第。
 勿論、これはフィクションだが、似たような別世界が現実に存在する気にさせるところがある。そう思わせるところにリアル感が・・・・。

 ここで登場するのが、山科翔太と辻井海人。二人は対照的な環境で育ってきた。
 山科翔太はシングルマザーに育児放棄された。家裁の判断で強制的に児童養護施設行きとなり、施設で育ち、定時制高校を中退。不良になった。地元の先輩に呼びだされて、カタラのスタッフになった。<マニュアル>を熟知し、それを元に行動するのは、生きる為だった。彼にとって<マニュアル>は己の行動を律する手段。
 辻井海人は、世田谷に豪勢な実家があり、G大の学生。父親は経産省のキャリア官僚である。海人はカタラのスタッフになっているのを人生勉強だと考えている。<マニュアル>の実践が大学での講義などよりはるかに人生経験の場になると判断している。<マニュアル>には、「意識の高さ」「自分磨き」「価値観」「向上心」「人生は勝ち負け」・・・などの言葉が散りばめられている。海人はこの<マニュアル>を有益で、その実践が人生経験になり己の成長につながると。若い女をコールし、カタラに連れ込み、Fに送り込むことに罪悪感のかけらもない。成果を挙げ、トップ・テンになることは、自分磨きの実証という観点しか捉えてないのだ。海人の自己中心性である。
 城有は「オレらは法に触れることは何もやってないわけ」「オレらの目的はあくまで自分磨き」(p31)を翔太や海人に強調していた。

 海人に誘われて翔太は海人とペアになって<マニュアル>の実践を行う。街中でこれはと思う若い女へのコールを効率的に実行していく。その結果は、たちまち二人を「タカラ」のトップ・テンに引き上げる。

 このプロセスがこのストーリーの「起」(第一ステージ)となる。ここから翔太と海人の人生が岐路に向かう。
 本作は二部構成。「第一部 翔太の罪」、「第二部 海人の罰」である。

 「承」(第二ステージ)は、カタラ・グループの城有はじめスタッフに職業安定法違反容疑で逮捕状が執行されることから始まる。翔太にとっては城有の言を信じていた故に、全く想定外の事態だった。この事態にどのように対処するか。逮捕者それぞれの対応の有り様が描き込まれていく。現実の法執行の状況でありそうな対応がリアルに描き込まれているように感じる。そこには法律の適用手続きの限界点すら感じる。
 第一部において、翔太は何も語らず、法律違反の「罪」を判決として宣告されて服役する。一方、海人は結果的に容疑者としての逮捕対象者にも入らなかった。実名でスタッフをしていたにも関わらずである。カタラの壊滅後、海人は素知らぬ顔でその後G大学の学生生活に戻っていく。翔太と海人のそれぞれの人生の岐路の始まり。

 第一部はまず翔太に焦点を当てる。刑期を満了した翔太が、出所し社会復帰していく人生の有り様が「転」(第三ステージ)として、第一部の後半で進展していく。お定まりの転落となり、そこから翔太は人生再生への道のりに歩み出す。あることが契機で読書することが翔太にとり人生再生への一つのトリガーになっていく。この設定が興味深い。

 第二部は、海人の人生の「転」(第三ステージ)の状況を主体に描き出していく。大学卒業後、海人は念願の広告代理店最大手、株式会社アドルーラーに入社していた。営業企画部戦略企画室という花形部署に所属。海人の欲望は、アドルーラーでの勝者となること。そために出世のチャンスを狙っていた。海人にとり、他人は踏み台にしかすぎない。だが、その意識の自覚すら海人は持ち合わせていない・・・・。
 仮称「東京ワールドシティ・フェスティバル」を2028年に開催することを目的とした「シティ・フェス推進準備室」に海人は課長待遇の室長補佐として、29才で出向することになる。
 アドルーラーのビジネス・センスを体現した海人は、かつて学んだカタラ・グループの<マニュアル>を融合させた意識と思考で、己に課された業務活動を推進する。そこにアドルーラーの企業倫理と企業風土、さらにビジネスの舞台裏が活写されていく展開となる。ビジネス行動の歪みが実に具体的で生々しいリアル感を漂わせて描き込まれていく。
 政財界の癒着。政治家と反社会的勢力との結び付き。都政の舞台裏。裏金作りと資金還流。業務の下請け構造とピンハネ構造。過酷労働。パワハラ。セクハラ。情報操作 ・・・・・。
 現代の日本における社会経済構造に潜むブラックな側面の実態が、アドルーラーとこの「シティ・フェス推進準備室」で室長補佐として行動する海人の行動に凝縮される形で、ストーリーが進展していく。海人が室長補佐で出向した頃に、海人の結婚生活もまた始まっていく。そこには海人の結婚観が反映している。
 海人を軸としたストーリの展開が、本作では読ませどころになっている。
 どこかで伝聞したような・・・・という事例が数々フィクションという形で織り込まれているように感じる。このあたり、社会諷刺小説の局面を内包しているとも言えよう。

 海人が準備室長補佐として、シティ・フェス開催PRの前面に顔を出す様になる。これが「転」の段階から「結」(第四ステージ)の段階に展開する契機になるのではないかと思う。顔を曝すことが墓穴を掘る契機になると言えようか。
 本作がどのような進展を経るかは、本書を開いて楽しんでいただきたい。
 
 辻井海人は、カタラの件でも、アドルーラーでのビジネス行動においても、法律の執行による「罪」を課されることなくすり抜けた。だが、社会的客観的視点では「罰」を受ける状況に落ちる結果となる。だが、海人自身がそれを「罰」と自覚し認識するかである。

 「結」の段階で、最後の最後に、翔太は海人と再会する。
 二人の会話がこの「半暮刻」の落とし所になっている。
 そして、冒頭に引用した本作最後の一行に帰着する。
 
 本作を読み終えて、「半暮刻」は、「半グレ」をダブル・ミーニングとして内包しているのではないか・・・・ 辻井海人が「半グレ」への道を歩み始める「刻」を暗示しているのではないかと。そんな印象を抱いた。
 
 本書の目次裏に、フョードル・ドストエフスキー『地下室の手記』安岡治子訳の一節が引用されている。本作を読み終えてから、この引用文を再読すると、実に巧みに照応しているように感じる。最後に引用しておきたい。

 「この手記の作者も、『手記』そのものも、むろん虚構である。にもかかわらず、こうした手記の作者のような人物は、そもそも我々の社会が形成された事情を考慮すれば、我々の社会に存在する可能性は大いにある。いや、それどころか、むしろ必ずや存在するにちがいない」

 ご一読ありがとうございます。
 

著者の作品について、以下の読後印象を以前に『遊心逍遙記』の方に載せています。
併せてご一読いただけるとうれしいです。

『土漠の花』  幻冬舎
『脱北航路』  幻冬舎
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