遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『のち更に咲く』  澤田瞳子  新潮社

2024-05-09 00:33:15 | 澤田瞳子
 本書を読み終えてから、ネット検索で関連情報を調べてみた。そして、本作は実に巧妙な構想で、歴史的題材をベースに、史実の空隙にフィクションを織り込み、複数の謎解きというミステリー仕立てにしていると思った。下層貴族の懊悩に共感させていく筆致は、あの時代の貴族社会並びに彼らの日常生活への理解を深めさせていく。史実を踏まえたうえで、著者流にその事実の意味を換骨奪胎してフィクションを加えて織り上げて行った時代歴史小説といえる。
 本作は「小説新潮」(2023年1月号~11月号)に連載された後、2024年2月に単行本が刊行された。

 読了後に少し調べてみて、目次の次に載せてある「登場人物紹介」が簡にして要を得ていると改めて思った。ここに記載の系図と説明文を押さえて読み進めると分かりやすいと思う。

 本作は、藤原致忠(ムネタダ)の末女・小紅(コベニ)の視点から、小紅が内奥に抱く疑問を主軸に、その疑問の核心に一歩ずつ迫っていくミステリーになっている。著者によりこのストーリーに織り込まれたフィクションの最たるものが、小紅という女性の設定にあると解釈する。
 この小紅の設定とその視点が、歴史的事実としての実在の人々-おもに上層の貴族とその家族-と、フィクションとして組み込まれた人々-盗賊を含む下層の人々-を巧みに統合し、ストーリーを円滑に進展させる役割を果たしている。
 小紅は今や28歳で、藤原道長の私邸・土御門第で働く下﨟女房として登場する。

 次に重要な登場人物は、小紅の兄、藤原保昌(ヤスマサ)である。保昌は武勇に優れ、藤原道長の四天王の一人と呼ばれた。このストーリーの時点では、肥後守であり、受領層の下層貴族である。
 どこかで見聞した名前・・・・。読みながら連想したのが、祇園祭で巡行する「保昌山」の保昌。読んでいる途中で祇園祭のウエブサイトを確認したら、「丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、・・・・」と冒頭に記されていたので、同名の別人だったかと思ってしまったのだが、後で調べ直して、藤原保昌の別名が平井保昌であり、同一人物だとわかった。ただし、このストーリーでは、「保昌が式部のために紫宸殿の紅梅を手折ってくる」という伝承とは程遠い関わり方になっている。保昌と和泉式部との関係がいかなるものかが、このストーリーで一つの妙味となっている。
 和泉式部は、このストーリーから外れる寛弘年間の末期に中宮彰子に仕えることになるようである。しかし、ここに描かれた和泉式部と、中宮彰子に女房として仕える和泉式部とが、イメージ的にすんなりつながらない印象が私には残った。

 さて、保昌と小紅にとり、祖父からの家系の背景が彼らの生き方を根底からしばっている。この部分は、史実・記録をほぼ踏まえて描き込まれていく。「登場人物紹介」の箇所に明示されていることを「」に転記してみる。
 藤原元方:祖父。「民部卿、天皇の外戚になる夢破れ、悶死」
 藤原致忠:父。「酒席で人を殺めて佐渡へ遠流となる」今から8年前。後、現地で死去
 藤原大紅:姉。「摂津国多田源氏の祖・源満仲の嫁ぐ」
        ⇒本作では父等の不詳事を理由に、己の保身として絶縁を宣言
 藤原斉光:「公卿の闇討ちに失敗し殺害される」今から22年前の事件
 藤原保輔:「郎党を率いて盗みを働き、捕縛され自害」今から19年前。末弟。

 つまり、小紅と兄の保昌は、咎人の血族として肩身の狭い思いで、後ろ指を指されつつ生きてきたのである。小紅は物心ついたころから、この負い目のもとに生きている。兄の保昌はこの負い目を少しでも軽減する為に、道長に忠勤をはげむことに精を出し続けている。

 もう一人、足羽忠信(アスワノタダノブ)という検非違使太尉が登場する。彼はかつては保輔に気に入られ、配下の一人だった。だが、忠信の密告で保輔は自害し、忠信はその功績で馬寮に勤めることできたと、世間的には思われてきていた。その後、検非違使に移って彼の現在がある。だが、忠信自身は密告には関与していず、なぜ密告者と見做されたのかが、忠信にとって解明したい疑問となっている。ここで、忠信の立場からみた謎の究明も、小紅の解明したい謎と絡み合う一側面になる。

 保輔が自害して以来20年近く経った今、都に「袴垂」と称す奇妙な賊徒が出没し始めた。このストーリーに、この袴垂が大きく関わってくることに・・・・。
 疫病や旱魃が数年置きに諸国を襲い、今や都の治安は悪化の一途を辿る状況にある。さらに「朝廷の要職のほとんどを藤原氏が占める当節、生まれながらに栄達を約束された御曹司や、反対にどれだけ足掻いたとて出世の先が見えている中流貴族の若君たちが酒を喰らい、馬や牛車で都大路を疾駆する風景は決して珍しいものではない」(p25)という社会状況になってきている。そのただなかで、袴垂と称する盗賊団が京を跳梁するという次第。
 このストーリーでは直接触れられていないが、調べていて知ったことがある。『今昔物語集』の「本朝世俗部」巻第二十五、巻七には「藤原保昌朝臣、盗人袴垂に會ひし語」という世間話が記録されている。当時、実在したとされる「袴垂」を、そのままストーリーに登場させている。うまくつながっている。
 
 小紅は同僚の命婦ノ君から、都の人々が、袴垂の正体は20年前に死んだ筈の藤原保輔ではないかと噂されていると聞かされる。捕縛される際に割腹して、獄舎でなくなった者は身代わりであり、盗人として再来したのではないかという噂が立っていたのだ。その手口が20年前の保輔のものと似ているという。
 この噂を聞いたことが小紅にとり、動因となる。末兄・保輔が亡くなったのは小紅がわずか9歳の時。小紅は、保輔がなぜ、罪人として自害せねばならなかったか。今、袴垂と呼ばれている盗賊は何者なのか。にっと笑う保輔の歯の白さを記憶する小紅は、世間の評判・噂ではなく、保輔の実像を究明したいという思いを深めて行く。この謎解きが小紅の行動を促す。
 そんな矢先に、土御門第に袴垂が侵入してきた。賊が南の蔵を破ろうとしたところに、女童が行き合い、女童の悲鳴で賊は逃げた。だが、西ノ対にて小紅は隠れていた賊の一人と遭遇することになり、それが契機で袴垂の首領の隠れ家に連れて行かれることになる。 ストーリーは、ここから進展していくことに・・・・・。

 このストーリーの興味深いのは、寛弘4年(1007)の晩秋の頃から寛弘5年の9月中旬という時期に時代が設定されている点である。
 寛弘4年秋には宇治・木幡の浄妙寺多宝塔造営が進行していて、12月2日に浄妙寺多宝塔の供養が実施される。同12月には中宮彰子の妊娠が確実とみなされることとなり、寛弘5年には、彰子が土御門第に退出してくる。そして、9月11日、皇子敦成親王誕生。引き続き生誕に伴う諸行事が執り行われていく。道長42~43歳、我が世を迎える時期に、このストーリーの焦点が当たっている。
 この時代の様相と人々の思惑が、状況描写として濃密に描き込まれていく。
 わずかではあるが、小紅と藤式部(紫式部)の接点が生まれてくる。その様子も織り込まれていく。
 藤原道長の治世の基盤が確立する時期を焦点にしているところが、読者にとって興味深い所となる。

 本書の内表紙の裏ページに、『和漢朗詠集』から元稹「菊花」の
   これ花の中に偏(ヒトヘ)に菊を愛するにはあらず
   この花開けてのち更に花のなければなり   
という詩句が引用されている。本書のタイトルはこの詩句に由来する。そして、この詩句が保輔がある女性に対して口にしたという形でリンクしていく。そこのこのストーリーの妙味と余韻が重ねられている。読ませどころとなってく。お楽しみに・・・・。

 本作から、印象深い箇所をご紹介して終わりたい。
*人を変えることが出来るのは人だけだ、と保昌は語を継いだ。
 「父上をみていたゆえ、小紅にも分かるだろう。人とはとかく弱いものだ。わずかな隙が心の箍(タガ)を取り払い、たやすくその身を持ち崩させることも多い。しかしそれでもほんの少しでも、誰かのために生きねばと思えれば、人はどんな淵からでも這い上がることができるのだ」  p317

*その推測はきっと間違いではあるまい。誰が信じずとも、小紅は--そして保昌は、倫子の言葉を信じられる。なぜなら、保輔はそういう男だった。風のようにこの世を駆け抜け、残された者たちの胸にただ鮮烈な記憶だけを残して消えて行く、秋菊のように清冽な男だったのだから。 p346

*何一つ残さぬまま獄舎の露と消えた保輔の面影は、残された人々の中に今なお鮮烈に刻みつけられている。ならば菊なき後の野面には、小さくとも鮮やかな花がいまだに咲き乱れているのだ。   p347

 本作の最後のシーンに藤式部が登場してくるところがおもしろい。

 お読みいただきありがとうございます。
 

補遺
藤原保昌   :ウィキペディア
平井保昌   :「WEB画題百科事典『画題Wiki』」(立命館大学アート・リサーチセンター)
保昌山 山鉾について  :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)
藤原元方   :ウィキペディア
藤原致忠   :ウィキペディア
藤原保輔   :ウィキペディア
源満仲    :ウィキペディア
和泉式部   :ウィキペディア
袴垂     :「WEB画題百科事典『画題Wiki』」(立命館大学アート・リサーチセンター)
全唐詩巻四百十一 -菊花 元稹- :「雁の玉梓 -やまとうたblog-」 

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『天神さんが晴れなら』   徳間書店
『漆花ひとつ』  講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
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『天神さんが晴れなら』   澤田瞳子   徳間書店

2023-08-02 15:14:29 | 澤田瞳子
 小説かと思って手に取ってみたら、エッセイ集だった。2023年4月の刊行である。

 冒頭のエッセイの見出しが「天神さんが晴れなら」である。この一文に、「天神さんが晴れなら弘法さんは雨。弘法さんが晴れなら天神さんは雨」との諺があると記されている。京都市の南部で生まれ育ったので、弘法さんと天神さんの縁日のことは知っていたが、こんな諺があるなんて知らなかった。冒頭から知らなかったことに出くわした。それも京都がらみなので、興味深い。
 このエッセイ集、京都に絡んだ場所や内容が多いので、楽しく読めるとともに、京都に関わっていて知らないことがいくつもあった。そこで関心を惹き寄せられることにもなった。

 本書に収録されたエッセイは大半が著者自身の周辺の事柄を題材にして記されている。京都で育ち、学び、小説家になるに至った著者自身による回顧やそれにまつわる思いがエッセイの大半となっている。読みやすい文章でかつ控えめなスタンスで書かれた文章なので、すんなりと楽しみながら読み進められた。このエッセイ集に収録された文の端々に著者の人物像をイメージする上での様々な要素・様相がちらりと記述されている。つまり、個々のエッセイを楽しみながら読み進めている内に、著者のプロフィールを徐々にイメージしやすくなっていく。インターネットで公開されている肖像写真と本書に織り込まれた諸要素の断片を総合していくと、著者像が何となく浮かびあがってくる。それが読後の副産物となった。一言でいえば、親しみを感じる一歩控えめでちょっと変わったところもある市井のおばさん作家というところ。偉ぶらない、受賞を鼻にかけない、「普通」ではないことを自認しているところがいい。ここで記した「普通」という語句にまつわるエッセイが、「『普通』とは何か」という見出しで載っているのでお読みいただきたい。

 エッセイの末尾に初出が付記されている。それを通覧してみると、「カレーライスを食べながら」(小説現代 2013年3月号)が一番古いエッセイのようだ。このエッセイ集の主体は、2016年から2021年にかけて日本経済新聞に掲載または連載されたエッセイである。他に朝日新聞、西日本新聞、産経新聞、京都新聞、公明新聞、西日本新聞、毎日新聞、オール讀物が初出となるエッセイが載っている。
 一般雑誌に載ったエッセイもある。媒体は、小説現代、小説すばる、週刊新潮、ジェイ・ノベル、文藝春秋、婦人画報、小説宝石である。
 また専門の機関誌と思えるものに載ったエッセイもある。あまから手帖、JA全農、たべるのがおそい、ひととき、銀座百点、なごみ、同志社大学博物館学年報、能、国立能楽堂、本郷、近鉄ニュース、日販通信、泉鏡花研究会会報、淡交、波、共同通信である。
 ちょっと列挙してみたのは、これら掲載媒体の広がりから、著者が幅広く受け入れられていると感じられるからだ。一方で、「終わった旅から再びの旅へ」の冒頭に、「エッセイを書くのが好きで、ご依頼を受けると毎回いそいそと取りかかる」とある。著者はエッセイを気軽に引き受ける作家でもあるようだ。それが媒体の広がりと相応しているということか。
 エッセイの一文を断片的にいずれかの媒体で読むだけだと、著者の周辺での一事象一局面が数ページの文章にまとめられているだけである。ワンポイントに絞ってキラリと、あるいはさらりとまとめられた文の内容を知り、楽しみ、余韻にひたるにとどまる。これだけエッセイが集められるとエッセイ間の相乗効果が出てくる。そこに著者の思考が重なったり、形を変えて書き込まれていることも分かる。上記したが、著者像が浮かび上がることに繋がって行く。
 
 本エッセイ集では、これまでのエッセイ文が、内容に応じて分類編集されている。その分類名称を目次から抽出しておこう。
 「京都に暮らす」「日々の糧」「まだ見ぬ空を追いかけて」「出会いの時」「きらめきへの誘い」「歴史の旅へ」「ただ、書く」 である。

 著者澤田瞳子さんは私にとって愛読作家の一人。最初に『満ちる月の如し 仏師・定朝』を読んだことがきっかけで、その後アットランダムに作品を読み継いで来ている。エッセイ集を読むのはこれが初めて。本書を読み、印象深い点を箇条書きにしてみる。
*エッセイ文の内容を理解して楽しむということとは別に、著者自身のプロフィールイメージを膨らませることに役立った。
*「オシフィエンチム駅」という名称を知ったこと。「アウシュヴィッツ」というドイツ名は知っていたし、幾つか本も読んでいるのに、ポーランド駅名を今まで意識していなかった!
*著者は『若冲』を書いている。伊藤若冲について、著者のエッセイ文が二篇掲載されていて、舞台裏と著者の視点が読めて興味深い。『京都錦小路青物市場記録』に関連して伊藤若冲評価が変転しているという解説箇所が特におもしろい。
 さらに、山本兼一、山岸凉子の作品を例に引いた上で、「伊藤若冲を妻を自死させた人物として設定しても、それがフィクションである以上、なんの問題もないと考えてであった」(p171)と明記していること。その設定に一部の研究者からは批判を受けたらしい。
*京都市内の通りを歩いていて、「京都神田明神」という祠の表示に出会ったことがある。なぜここに、神田明神? その疑問が「平将門と能」というエッセイで氷解したこと。*愛読作家の一人に葉室麟さんがいる。これからますますとその活躍を期待する時期、2017年に逝去された。その葉室麟さんとの交流に関連して、著者がエッセイを書いていて、本書に収録されていた。葉室麟さんの素顔の一面を知ることができた。さらに澤田瞳子さんを一歩身近に感じる愛読作家になった。

 最後に、本書から印象に残る箇所を引用・ご紹介しておこう。
*世の中には、歴史とは客観的事実に限るべきと定義する方もいらっしゃるだろうが、そんな歴史は人の思いを捨象しているがゆえに、いささか面白みに欠ける。・・・・実に歴史とは無数の人々によって形作られた大いなる流れそのものだと見なしうるのだ。  p200
*そう、人間は生きていく中で、イメージというものに大なり小なり束縛を受ける。p236
*読書とはただ、知識を取り入れるだけの行為ではない。いつ、何を読み、どう感じたか、自らの内外の変化とその時々の風景の記憶は、読書体験には欠かせないと私は思う。・・・・・・私にとって本を読むとは、本を取り巻く環境と不可分であり、どんな経緯をへてその本を手に取ったかという記憶も欠かすべきではない。  p240
*わたしは自分自身がクローズアップされることよりも、読者の方々が純粋に物語世界を---そこに登場する歴史や文化を楽しんでいただくことを望みたい。  p251
*小説は一人でも書ける。だが、書籍は小説家一人で完成するものではない。 p263
 作家に出来る務めとは、結局ただ粛々と書き続けることでしかない。  p266
*文学とは、本来、平等であるべきだ。物語を紡ぐこと、読むこと、そしてそれらを楽しむこと。それは誰にも奪われるべきではなく、すべての人が平等に手にできてしかるべき権利だ。当然、男子高校生と四十代女性作家が同じ賞の候補になったとて、なんの不思議でもない。性差も年齢差も国籍の違いも、そこにはありはしないのだから。  p268
*顧みれば紆余曲折あった二十代は私にとって、群れなくてもいいのだ、違うことをしてもいいのだ、ともう一度認識するための時間だった。  p277

 ご一読ありがとうございます。

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『漆花ひとつ』  講談社
「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
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『漆花ひとつ』 澤田瞳子  講談社

2023-03-11 13:17:23 | 澤田瞳子
 著者の作品を読み継いできている。本書は、白河上皇の死後、鳥羽上皇(宗仁)・後白河上皇(雅仁)・二条天皇(守仁)の時代、いわゆる院政時代を題材に取り上げる。天皇家の系譜における政治的確執を背景に、史実を踏まえて様々な確執の局面に焦点をあてている。様々な状況に投げ込まれた人々の人間模様をフィクション化した短編集である。5編の短編が収録されている。「小説現代」(2018年8月号~2020年4月号)に発表された後、2022年10月の単行本が刊行された。

 この時代の状況と雰囲気が感じ取れる短編集である。各編を読後印象を加えて簡略にご紹介しよう。

<漆花ひとつ>
 時代は白河院の死から1年を経た頃。鳥羽ノ宮は宗仁上皇(後鳥羽上皇)が主となっている。この鳥羽御堂に仕える応舜という気弱な法師が主人公。彼は我流ながら絵を描くことを得手とする。応舜は魚名という少年から寝ついた母に姉の顔を描いた絵をみせてやりたいと、絵を描くことを頼まれる。女を描いた事が無い応舜は、下郎法師を束ねる恵栄のはからいで、鳥羽ノ宮の一隅、泉殿跡に建つ小屋を拠点とする傀儡一座中の一人の傀儡女、中君を紹介される。この中君との関わりに絡むストーリー。
 当時、都で二人義親騒動が起こっていた。義親は二十余年前に、平正盛により誅伐されたはずなのに・・・。中君はこの義親を見物に行きたいという。応舜は案内する羽目になる。その見物行の折、中君は東市の店で漆の花を模つた銀作の釵子を購入した。その時は、義親の顔を見る機会はない。だが後日、応舜は偶然にも鴨院義親の顔を描くことになる。その絵を応舜は中君に渡した。だが、それが中君との別れに・・・。
 小屋が撤去された更地で応舜が残された銀作の釵子を見つける。
 二人義親に絡む政治的カラクリの一局面を応俊は理解する。応舜の中君に対する淡い思いが余韻となる。

<白夢>
 「自分はもしかしたら、泰子よりも彰子よりも、国母たる得子よりも幸せな女なのかもしれない。なぜなら年を経ても奪われぬ知識が、子を産めずとも果たせる勤めが、己にはあるのだから」(p97-98)という結論を抱くに到る典藥寮のたった一人の女医師、大津阿夜の見聞譚。
 阿夜の夫紀正経は家財道具一式を運び出し阿夜を捨てて出ていった。阿夜は典藥頭から命じられ、内覧藤原忠実の依頼として、土御門東洞院にある藤原泰子の住む屋敷に出向することになる。後に高陽院と称される泰子は、鳥羽上皇の形だけの皇后。
 形だけの皇后・泰子は、上皇と得子(後の美福門院)の間に生まれた叡子という赤子を養女としていた。泰子は気鬱の病だという。薫物を激しく焚きこめる屋敷において、赤子に対応し、泰子の症状に対処していく阿夜が描かれる。そこでの見聞から、阿夜には鳥羽上皇に関わる女性の人間関係が見えてくる。
 八条東洞院に住み、中流公卿の娘である得子は今は上皇の寵愛を一身に受けている。泰子は名ばかりの皇后で、上皇が通って来ることは皆無。花園・法金剛院御所に住む待賢門院璋子。璋子は、上皇との間に、顕仁(崇徳上皇)、統子(上西門院)、雅仁(後白河上皇)を産んでいる。ここには上皇をめぐる女性間の確執が描かれていく。待賢門院璋子から嫌がらせを受けていた泰子は、得子が男児を産んだ(体仁、後の近衛天皇)ことから、策略を巡らせていく。
 後宮の舞台裏は、まさに愛憎入り交じるサバイバルゲームともいうべき世界だったのか・・・・という思いを深くする。
 
<影法師>
 「上西門院統子内親王の護衛に当たるもののふ遠藤盛遠が、兵庫頭・源頼政の郎党である渡辺渡の妻女を殺害した」(p101)という一文から始まる。遠藤盛遠は出家して文覚と名乗った。
 京都の伏見には、この殺害事件、文覚に関わる寺が2つある。史跡探訪で訪れたことがある。「渡辺佐衛尉源渡(みなもとのわたる)の妻、袈裟(けさ)御前に横恋慕し、誤って彼女を殺してしまった」ということが探訪の折の記憶にあった。
 この短編は雅仁上皇(後白河上皇)に仕える人々の間に生じていた政争・確執を踏まえて一つの仮説を持ち込む。上西門院の暮らす三条南殿に仕える下﨟女房相模が、己の目を通してみた遠藤盛遠像と事態のギャップに対する疑問を解くために行動し始める。そして一歩踏み込んだ解釈を紡ぎ出していく。
 「武士なぞ畢竟、上つ方のただの手駒。彼らの気分次第で、幾らでも入れ換えられる。それにもかかわらず、文覚は己の務めを忠実に果たそうとし、結果、すべての罪を一人でかぶった」(p144)それが相模の行き着いた推測だった。
 遠藤盛遠(文覚)の妻女殺害行為についての真実は何か。今の世に伝わるエピソードの背後に、思わぬ歴史の謎が潜んでいる思いがした。

<滲む月>
 権中納言・藤原信頼と左馬頭・源義朝が信西入道を殺害せんと乱を起こす。歴史年表では、「平治の乱」の一行が載る。
 信西入道の首級を含め三級が獄舎の門の屋根に掛けられさらし者とされた。その首級の一つが平康忠である。中国の故事にならって、あるもくろみを期待し、康忠の妻周防と息子時経がその首級を取り戻そうとする。その時、信西入道の七男坊で叡山僧の澄憲が配下の者と首級を取り戻しに来ていた。それをきっかけに、周防と時経は澄憲との関わりができ、彼らは澄憲に活計としての仕官先を斡旋してもらう。
 周防は守仁天皇(二条天皇)の中宮・高松殿姝子(しゅし)の女房として宮仕えをする。高松殿は鳥羽上皇の内親王で、雅仁上皇(後白河上皇)の異母妹にあたる。雅仁上皇と高松殿は仲がいい。一方、時経は式部省の史生として勤めることになる。ところが、守仁天皇と雅仁上皇の間には政治上の確執がある。周防は己と時経が置かれた状況がわかってくると、澄憲の意図は何かに疑念を抱き始める。
 権勢争いの中で翻弄される母子の姿に哀れさを感じる一方で、生きることへのしたたかさを感じる。澄憲もまたしたたかである。

<鴻雁北(こうがんかえる)>
 雅仁上皇と守仁天皇との間には政治的確執がある。また、上皇は歌舞音曲の達人としても名高い。天皇は琵琶を愛している。琵琶には西流と桂流の二流が存在する。西流は隆盛を極めているが、桂流は衰退著しい。系譜として源信綱が桂流の後継者であるが、「弾かずの信綱」との異名をとり、笙や篳篥を奏するが琵琶には手も触れない。そこで桂流琵琶の正統なる後継者は大原の郷に隠栖する尾張尼一人となっている。
 天皇は宴の席での琵琶の演奏で上皇を瞠目させたいために、桂流琵琶を演奏したい願望を抱く。そのためには尾張尼を内裏に呼ばなければならない。中原有安はその役目を名乗り出た。尾張尼が天皇の要望を拒絶することから有安の苦労が始まるというストーリー。 天皇の周辺に連なる楽人たちの有り様も描き込まれていく。
 「楽を生業とする者にとっては、麗しき響きもまた立身出世の手立ての一つ。とかく慌ただしきこの世を渡るためには、楽の美しさばかりに耽溺してはいられぬのだ」(p210)という意識の有安は立身の手段として、尾張尼を大原から引き出そうとやっきとなる。
 有安は、皇嘉門院の女房として務める治部卿から呼び出される。治部卿は源信綱の娘だった。治部卿は桂流琵琶の秘事として、尾張尼の所有しない桂流琵琶の伝書を信綱が所蔵することを教えた。そこから、新たな動きが始まって行く。
 天皇と上皇の歌舞音曲面での確執が楽人達を翻弄していく。さらに、この話に摂関家の御曹司・藤原基実が平清盛の娘を娶ることになり、平清盛が絡んでくるところもおもしろい。尾張尼との関わりを通して中原有安は楽人の根本に回帰するに到る。それがオチといえるだろう。
 著者が尾張尼に語らせる言葉が印象深い。
*花鳥風月を恋い、異国を恋い、友を恋う。かような思いが楽を生み、人々に奏でさせるのさ。天を動かし地を感ぜしむ楽は、生きる人間の念そのものとも言えるんじゃないかい。 p246-247
*美しきものを激しく恋う思いがなけりゃ、楽は上達しないよ。 p247

 上皇・天皇間の確執からの波紋に翻弄されていく人々の姿と思いが様々な局面で描き出されている。歴史に残された断片的事実の隙間、明かされることのない闇の中に塗り込まれた人々の存在と状況がフィクションとして紡ぎ出されている。
 歴史年表に記された一行の説明のその奥を想像する楽しみにつながる短編集といえる。
 ご一読ありがとうございます。

補遺
鳥羽離宮 :ウィキペディア
鳥羽離宮 都市史  :「京都市」
信西    :ウィキペディア
平治の乱 :「ジャパンナレッジ」
恋塚寺  :「京都感応Navi」
恋塚 浄禅寺  :「京都観光Navi」
鳥羽天皇  :ウィキペディア
待賢門院 ⇒ 藤原璋子  :ウィキペディア
美福門院 ⇒ 藤原得子  :ウィキペディア
「平安時代を終わらせた女性」美福門院と高野山  :「高野山の歴史探訪」
高陽院 ⇒ 藤原泰子   :ウィキペディア
後白河天皇 :「ジャパンナレッジ」
二条天皇  :ウィキペディア
姝子内親王 :ウィキペディア
上西門院 ⇒ 統子内親王  :ウィキペディア
琵琶譜(びわふ) :「宮内庁」
中原有安  :「雅楽研究所 研楽庵」
第23回 方丈記 鴨長明  荒木浩  :「京都新聞」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


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「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版
       2022年12月現在 22冊
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「遊心逍遙記」に掲載した<澤田瞳子>作品の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2022-12-29 00:02:41 | 澤田瞳子
ブログ「遊心逍遙記」を開設した以降、読み継いできた作品を一覧にまとめました。
お読みいただけるとうれしいです。 22冊掲載

『恋ふらむ鳥は』  毎日新聞出版
『星落ちて、なお』   文藝春秋
『輝山』  徳間書店
『与楽の飯 東大寺造仏所炊屋私記』  光文社
『駆け入りの寺』  文藝春秋
『日輪の賦』  幻冬舎
『月人壮士 つきひとおとこ』  中央公論新社
『秋萩の散る』  徳間書店
『関越えの夜 東海道浮世がたり』  徳間文庫
『師走の扶持 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『ふたり女房 京都鷹ヶ峰御薬園日録』  徳間書店
『夢も定かに』  中公文庫
『能楽ものがたり 稚児桜』  淡交社
『名残の花』  新潮社
『落花』   中央公論新社
『龍華記』  KADOKAWA
『火定』  PHP
『泣くな道真 -太宰府の詩-』  集英社文庫
『腐れ梅』  集英社
『若冲』  文藝春秋
『弧鷹の天』  徳間書店
『満つる月の如し 仏師・定朝』  徳間書店

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