遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『カラスは飼えるか』  松原 始   新潮社

2023-09-29 21:28:34 | 科学関連
 今はSNSで交流することが主になった友人がブログでこの本のことを最近記していた。植物図鑑や多少の新書本などを除くと、生物の領域の本とはほぼ無縁だった。タイトルがおもしろいこともあり、本書を読む動機づけになった。
 第5章中の見出し「カラスは飼えるか」の節の冒頭で、カラスの研究者である著者は「基本、飼えない。以上」(p194)と記す。その節の末尾では「だから、うっかりカラスを飼ってはいけないのである」(p201)と結ぶ。この8ページの節中に、きっちり理由が説明されている。ナルホド!である。
 本書は、2020年3月に単行本が刊行された。単行本と同じ表紙で2023年3月に文庫化されている。

 読了してから、少しインターネットで検索してみたら、結構カラス情報もインターネットに溢れていることを知った。カラスの飼育関連情報もかなりあるものだ。インターネットってやはりおもしろい。勿論、情報のフィルタリング、選択は必要だけれど・・・・・。いくつか、補遺として抽出情報を列挙してみた。

 カラスに興味を持つ人には、本書の末尾の10ページにわたる「付録-カラス情報」が有益だろう。◎カラスが見られる場所と◎カラス本が列挙されている。
 前者には、カラスのねぐらの一例、カラスの「聖地」、日本のカラスゆかりの神社、各種のカラスの見られる場所(日本とアジア)に触れている。
 後者には、< 1 実用書(でもないか)篇、2 物語篇、3 専門誌もあるのだった、4 映画にも結構登場するのであった、5 歌詞にカラスが登場する歌はこちら > と、各々について列挙されている。カラスも奥が深い・・・・と思った次第。

 とはいえ、この本、カラスに特化した本ではない。「はじめに」に代えて「脳内がカラスなもので」という見出しでの冒頭文も著者がおことわりとして「本書の内容は鳥類を主とする生き物について」(p3)なのだ記す。カラスを主軸にして幅広く語ったエッセイ集である。軽い語り口調で体験談を広く織り交ぜたエッセイだった、鳥類についての本は初めてだったが、けっこう楽しみながら読み進めることができた。肩の凝らない読み物に仕上がっている。だが、研究者視点での裏付けはきっちり押さえられている。その道の研究者たちのエピソードにも触れられていておもしろい。

 本書の内容は、最初、ウエブ「考える人」に24回の連載として発表されたそうだ。その時のタイトルは『カラスの悪だくみ』だったとか。これもいわば、反語的タイトルづけだ。「私のスタンスは『カラスは悪だくみなんかしねえよ』であった」(p202)と本書に著者は本心を書いている。

 本書の構成をご紹介しておこう。ちょっと付記する。
 1章 フィールド武者修行   著者の武者修行は屋久島でのサル調査だとか
 2章 カラスは食えるか    ニワトリとカラスを対比。カラス:食えるがまずい
 3章 人気の鳥の取扱説明書  カラス、ワシ、ハヤブサ、タカ、インコ、オウム、アオサギ、ハチドリ等々
 4章 そこにいる鳥、いない鳥 カササギ、恐竜、ドードー、ウミツバメ等が登場
 5章 やっぱりカラスでしょ! 

 カラス以外にもいろんな鳥が登場する。著者の体験談(失敗談を含む)や様々な事例が紹介されていて楽しく読み進めることができる。なかば雑学書でもある。そこがおもしろい。

 著者は子供の頃に「カラスって面白い」と思ったという。大学時代にカラスにハマり、「とうとうカラスで学位を取得したが、残念ながらカラスでは食えない。というかカラスでなくても、動物行動学は食えない」(p210)と記す。「普段は(付記:東京大学総合研究)博物館に勤め、その傍でカラスの観察、という生活を送っている」(p210)そうである。だが、子供の頃の興味を、そのまま仕事で実現しているのはある意味で羨ましいと思う。

 本書でカラスの生態の一部は理解できた。
 カラスについて、本書で学んだ事項の一部だが、要点を覚書にしておきたい。
*世界にカラスは約40種。日本には7種が記録されている。
*普通に「カラス」と呼んでいるのは2種:ハシボソガラスとハシブトガラス
*雑食性。自然界の掃除屋(スカベンジャー)。死骸を食べる。人間の食べ残しはごちそ
 うの山。嫌いなのは野菜。特に生野菜。キュウリは食べるとか。
*カラスは好みのものだけ漁り、食いたくないものをポイッと投げ捨てるだけ。
 カラス自身に「散らかす」意図があるわけではない。
*カラスは注視されるのが好きではない。カラスは弱気な鳥。子供を守るのには必死。
*正面攻撃はしない。後から頭を蹴飛ばす程度の反撃をすることはある。
*カラスは繁殖のために、その都度樹上の高い所に巣作りをする。3月~4月。
 直径50cmくらいの巣を作る。巣は卵と雛だけのためのもの。巣は使い捨て。
 卵を抱くのに20日。雛が巣立つまでに30日少々。合計2ヶ月弱。
*カラスは晩成性のタイプ。最初雛に羽はない。雛は目が青い。
*生態系の中で、カラスは種子散布の役割を果たしている。糞と一緒に種子を落とす。
*カラスは「見えたものが全て」という現実的な態度を貫く。
*烏の黒色は羽毛に含まれるメラニン顆粒。その艶は羽毛表面のケラチン層の層構造に
 基づいている。
このような要点が第5章でさらに広がる形で展開され、かなり具体的にわかりやすく説明されていく。その語りを気楽に楽しく読めるところが、実に良い。

 私自身はカラスを好きになれるとは思わないが、カラスについて具体的な事実を知れたことに読み甲斐を感じている。勿論それ以外の鳥類についても一歩踏み込んで知ることができて楽しかった。「ヨーロッパで繁殖するスゲヨシキリはアフリカまでの約4000キロを4,5日で飛ぶ。ニューギニアから日本まで、4500キロ以上を一直線に飛んだシギもいる」(p95)、鳥は現代に生き残った恐竜なんて話も出てくるから驚き、かつおもしろい。
 「『ヘー、鳥ちょっと面白いじゃん』で十分である」(p3)と、著者は「脳内がカラスなもので」の末尾近くに記している。この点は、間違いなくクリアできている。

 最後に印象に残る箇所を引用しておこう。
*人間は動物に対してイメージを投射し、そのイメージに従って行動を類推する。もちろん学者だって行動を類推するし、私もカラスの行動を擬人化して説明もする。だが、動物学者はその類推の不確かさもちゃんとわかっている。実際の生物の行動は、人間のイメージを超えたものであることも少なくない。そこが生物学の奥行であり、面白さである。 p169

 ご一読ありがとうございます。

補遺
カラスの飼育は可能なの?法律と保護・飼育の注意点 :「EPARK くらしのレスキュー」
カラス  :ウィキペディア
日本のカラスの種類、7種全ての特徴をご紹介!   :「ADVAN CORPORATION」
実は、街のカラスは2種類いるんです。ハシブトガラスとハシボソガラス:「BIOME」
カラスのことをもっと知ろう  :「豊中市」
世界のカラスの仲間  :「HPHP (Hosaka Personal Home Page)」
カラスの図鑑 日本に生息する5種のァラスを紹介! :「北海道情報大学」
考える人  ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
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『読書の森で寝転んで』  葉室 麟   文春文庫

2023-09-27 16:34:17 | 葉室麟
 著者は2017年12月23日、66歳で惜しくも物故した。愛読作家の一人だった。これから更に・・・と期待していた時にこの訃報だった。噫。合掌。
 本書は、エッセイを主体に、対談、遺稿を併載している。目次に続く内扉の裏ページに文春文庫オリジナルと明記してある。2022年6月に刊行された。

 本書には、葉室麟さんが時代小説家になった背景や、個々の作品を創りだした作者の意図やその作品に托した思いなどが、エッセイ等の文脈の中で自作に触れる際に書き込まれている。愛読者として、その点を一番の着目点にしながら、少しずつ読み進めた。葉室麟さんの人と形、素顔がイメージしやすくなる一冊である。
 読み終えてからも長らく机の側に積んでいた。区切りをつけるために、読後感想を覚書を兼ねてまとめてみたい。

 全体は4章構成になっている。章毎にご紹介し、少し付記する。

<第1章 読書の森で寝転んで>
 本書のタイトルの由来になる章。「わたしを時代小説家へと導いた本」(「kotoba
」所載)を最初に、「毎日新聞西部本社版」に掲載された23編、「日本経済新聞」に掲載された4編、合計27編の読書エッセイが収録されている。最後に、「書店放浪記」(「日販通信」)という題のエッセイが載る。
 「『韃靼疾風録』司馬遼太郎」から始まり「『追われゆく坑夫たち』上野英信」に至る23編は、その書の読後感想とともに、著者への思い、書の書かれた時代背景への思い、その書から葉室自身の思いへと枝葉を広げる。エッセイは各篇4ページの分量でまとめられている。書評ではなく、あくまで随想が綴られている。
 「日本経済新聞」の方は、「空海」という題から始まる4編だが、こちらも同様である。たとえば、「空海」は高村薫著『空海』を読んだという書き出しから、思いを司馬遼太郎著『空海の風景』へと展開していく。
 書名・著者名の出てくる本を、葉室麟さんがどのように読んでいるかを楽しめ、かつ読み方の一例を学ぶきっかけにもなる。著者葉室麟を知ることにつながり愛読者としてはおもしろい。

 この第1章から、葉室麟を知るという視点で、いくつか引用しご紹介しよう。
*時代小説家へと導いた本:白土三平画『忍者武芸帳 影丸伝』『カムイ伝』、花田清輝著『東洋的回帰』『もう一つの修羅』、上野英信著『追われゆく坑夫たち』『地の底の笑い話』、長谷川伸『相楽総三とその同志』、山本常朝『葉隠』  p12-p18
*拙作の『銀漢の賦』(文春文庫)で武士の子である源五、小弥太と少年時代、友になり、長じては一揆の指導者になった十蔵に、わたしは『カムイ伝』の真摯な農民、正助の生きざまを託しているのかもしれない。  p13
*わたしは拙作『蜩の記』で・・・・主人公の戸田秋谷には筑豊の記録文学作家、上野英信の面影があると気づいて愕然とした。   p15
*「至極は忍ぶ恋」と考えることは、常朝が理想とした武士道に通じるものがあったのだ。いずれにしても同書(付記『葉隠』)から拙作『いのちなりけり』『花や散るらん』(共に文春文庫)の着想をえた。  p18-19
*(『小説 日本婦道記』山本周五郎のエッセイの末尾)
 そんな生き方を求めて苦闘していく女性たちの姿が描かれているから、この作品は感動的なのだ。そう思ったときから、わたしも女性を主人公にした小説を書き始めた。 p55
*小説に純文学かエンタメかという分類は必要ではないのだ。心に響くものだけが小説ではないか。  p69-70
*伝えねばならないものは何か。この世の矛盾への憤りであり、苦しむすべてのひとへの共感であろう。
 ただ、わたしにできるのは、ひとの内にある、
 -物悲しいやわらかさ
 を語ることだけかもしれない。そんな気がして不甲斐なさを申し訳なく思うのだ。p111

<第2章 歴史随筆ほか>
 「”西郷隆盛”とは誰だったか」から始まり、「酒を飲む」までのエッセイ19編が収録されている。葉室麟さんの歴史への視座をはじめ、身の回りの諸事への視点と思いがうかがえる。葉室麟の作品の裏側にある考えや心情が垣間見えて、楽しめる。
 ここでもいくつかご紹介しよう。
*西郷をわかり難くしているのは維新後に作られた、明治維新は尊王攘夷派による革命だったとする薩長史観の革命伝説だろう。  p132
*西郷の真骨頂は、デモクラシーに近い感覚を持ちながら保守的な政治活動を取ったところにある。・・・・やはり、西郷の心は信じるべきだと思う。  p134-135
*わたしにとって、(付記:『蜩の記』の主人公)秋谷が書いたものは白紙ではなかったということだ。(注記:随想文の前部で「小説としては、家譜と書くだけでいい」と)
 秋谷が筆をとって書き記したものは、上野さんが書いた炭坑労働者の記録であり、作品ではなかったか。
 そのことを思うと、小説はフィクションだが、書いていることは決して嘘ではないのだ、とあらためて思う。・・・・・・・・・
 だが、描いているのは、私が生きてきて、上野さんのように実際に会ったひとであることが多い。・・・そんなひとびとを虚構に仮託して描いてきたように思う。  p147-148
*わたしが思う(付記:立花)宗茂の魅力は、普通のひとの感覚を持ち、それを貫いたことにある。  p152
*宗茂の心の内には、茶で培っただけではないにしても、人生の厳しさと対峙し、内面を深めたことによる静謐があったに違いない。  p154
*少し翳りのある中年男になりたかったのだ。・・・・・・
 酒を飲むのは、生き方を学ぶことでもあった。   p224

<第3章 小説講座で語る>
 web「小説家になりま専科」2014年8月27日に載った講義録が収録されている。文芸評論家・池上冬樹氏に招かれて山形に赴き、小説講座で池上氏と対談した講義録である。
 この章の冒頭に「小説は虚構だけど、自分の中にある本当のことしか書けない。書くことは、心の歌をうたうことです」という文が載る。
 当然ながら、上記の引用と重なってくる。さらに、その語りには枝葉の広がりがありおもしろい。例えば、手塚治虫の『ジャングル大帝』や本宮ひろ志の『男一匹ガキ大将』ほかにも広がって行く。次のような箇所もある。引用する。
*僕は大学のサークルで俳句を始めたんですが、最初になんで俳句をやろうと思ったかというと、やっぱり寺山修司ですね。  p232
*文章というのは、何かを説明すればいいというものではないですよね。その人が持っている、精神の高みに人を連れていく。石川淳は「精神の運動」と言っています。それが、文章を読むときの大事さだと思うんです。・・・・高みという言い方はよくないかもしれませんけど、何か違うものを得る。それが大事なんです。      p233
*五十歳になったときに書き始めたというのは、過去というものに対して、自分の中で振り返るというか、自分の生きてきた中での、いろんな意味での決着をどこかでつけたい。その枠組みとして、時代小説がいいのではないかと、考えて書き出したんです。 p241
*技術は手段であって目的ではない。人に伝わるのは、本当の言葉だけです。 p259

<第4章 掌編、絶筆>
 ここには、「読売新聞大阪本社版」2016年4月3日に載った「芦刈」と題する10ページの掌編と、「我に一片の心あり 西郷回天賦」が載る。こちらは、著者が2018年から「オール讀物」で『大獄』第二部を連載開始するために、最後まで推敲を重ねていた序盤の遺稿だという。
 それと、最後に「オール讀物」2018年2月号に掲載された原稿が収録されている。葉室麟さんが、亡くなる2017年12月に病床で語っていた内容だそうだ。『大獄』第二部のテーマ、構想について残された音源を元に、「オール讀物」編集部が構成したもの。
「葉室麟 最後の言葉」である。噫!『大獄』第二部・・・・読みたかったなぁ。

 本書は、葉室麟愛読者にとり、やはり欠かせない一冊だと思う。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<葉室 麟>作品の読後印象記一覧 最終版
                 2022年12月現在 70冊+5冊 掲載
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『ラストライン』   堂場瞬一   文春文庫

2023-09-26 14:56:47 | 堂場瞬一
 既にラストラインのシリーズ第6弾として『灰色の階段 ラストライン0』が今年3月に刊行されている。この警察小説シリーズを読み継いで行くことにした。第1作『ラストライン』は、「週刊文春」(2017年8月17・24日夏の特大号~2018年6月7日号)に連載され、2018年11月に文庫本が刊行された。はや5年前になる。

 ストーリーは、定年まであと10年のベテラン刑事、岩倉剛警部補が、島嶼部を除き東京都内で一番南にある南大田署に赴任した日から始まる。この冒頭部にまず興味を引く記述がある。
「自分なりに仕事をこなして、基本的には大人しくしているつもりだった」(p9)
「『追っ手』を逃れて、東京最南端-いや、二番目に南にある所轄を希望して異動してきたのだから、とにかく靜かに、目立たぬように仕事をこなしていくつもりだった」(p9)
「実際、この署は暇なはずである。・・・・それでいい。これからの数年は、自分の人生の後半生をどうするか決めるための準備期間でもあるのだ。そのためにじっくり考える時間が必要ーそれに、私生活でも整理しておかねばならないことがある」(p9-10)

「追っ手」とは何のこと? この「つもり」という意識は、それまでの刑事活動の裏返しの意味なのか? 私生活の整理? さりげなくまず読者に関心を抱かせる。
 
 読み始めると早々に岩倉剛に絡むいくつかの背景情報がわかり始める。岩倉は警部補になってからは昇任試験に興味を失った。赴任した南大田署の刑事課長安原康介は、岩倉が警視庁捜査一課に所属したときの後輩。岩倉は別居中であり娘が居る。南大田署刑事課への異動に伴い、岩倉は署からほど近い東急池上線蓮沼駅近くの小さなマンションに移転した。舞台女優をめざしている赤沢実里と交際している。・・・・・岩倉の人物像をイメージできはじめる。

 赴任当日、岩倉は許可を得て一人管内巡視に出る。午後4時、署に戻ろうとしていたときスマートフォンに連絡が入る。岩倉の隣席になる新任刑事伊東彩香からの連絡だった。萩中で殺し発生。岩倉は現場に直行し、彩香と現地で合流することに。
 ここで一つ明らかになる。「岩倉が行く先々で事件が起きる」「つき」を持つ刑事、「事件の神様に好かれた人間」と周りからみなされてきた刑事だったということ。大人しく、目立たぬように・・・・は最初から崩れることに。読者にとっては、期待がふくらむ。

 マンション2階の204号室で、男が顔を確認できないほど殴られて死亡した。被害者は部屋の住人、三原康夫と推定される。寝室にあった免許証から70歳、管理人の証言から12年前に持ち家として購入。第一発見者は宅配の配送員。と言う点がわかる。
 特捜本部が立つ。最初の捜査会議の席で、本部の水谷刑事が玄関の鍵をこじ開けた手口から、常習の窃盗犯で今は出所している宮本卓也のやり口に似ていると発言した。当面捜査の方向性は、宮本の所在確認と近所の聞き込み捜査、防犯カメラのチェックとなる。事件の翌日、被害者は三原康夫と断定された。身元確認ができたことで、通常の捜査が始まる。
 宮本卓也の所在を見つけ、容疑者として署に引っ張り、水谷刑事が取り調べを始めるが、その進展は難航する。
 一方、岩倉は新聞販売店での聞き込み捜査から、三原康夫の行動について店主が電話で怒られたという思わぬ証言を得る。その情報は、三原が少なくともどの時点まで生きていたかを裏付けた。三原の周辺捜査が重要になっていく。

 そんな矢先に、110番通報を受けて地域課から刑事課に連絡があり、新聞記者の自殺という事実を彩香が受けた。嫌な予感がした岩倉は安原に報告し、指示を受けて、彩香を伴い自殺現場の検分に行くことになる。自殺したのは日本新報社会部の松宮真治記者、28歳で、彼は二方面の警察回りを担当していた。この事件に日本新報の警視庁キャップ、峰が広報にしないお願いという形でまず絡んで来た。現場を検分した岩倉は、不審な点は見つからず自殺と判断する。だが、動機が腑に落ちず、どうも引っかかりを感じるという。警視庁キャップ峰の接触のやり方にも違和感を感じる。峰は安原課長を無視し、署長に面会を求める行動にも出ていた。安原の承諾を得て、岩倉は一旦、特捜本部を離れ、松宮真治の自殺の動機に関連した捜査を彩香とともに始める。勿論ここから岩倉の捜査活動に比重を移した展開となって行く。
 読者としてはちょっとはぐらかされた感じを受けるとともに、松宮の自殺が三原殺害と関係していくのかどうかという関心に引きこまれていくことになる。被害者三原並びに容疑者宮本の周辺捜査の継続。松宮の自殺動機の周辺捜査。この両者がパラレルに進行していくことに・・・。
 三原の周辺捜査は三原の過去を明らかにしてきた。過去の勤務先が判明したのだ。一方、松宮の両親への事情聴取から岩倉は新たな捜査の切り口を見い出した。岩倉と彩香は特捜本部で新たな担当を割り振られる。そして、遂に、岩倉はミッシング・リンク(missing kink) が何かに気づく。それが意外な方向へと捜査を進展させていくことに・・・・。

 このストーリーの特徴をいくつかあげておきたい。
1.少しずつ、岩倉という刑事の素性、周辺情報が織り込まれていき、岩倉のプロフィールが読者の頭脳に蓄積されていく。岩倉を具体的にイメージ形成するステージとなっている。勿論、「追っ手」が何者かもはっきりとしてくる。

2.岩倉は同時点で南大田署に赴任した新任刑事伊東彩香を相棒として捜査するよう安原課長の指示を受ける。この相棒の確定は、岩倉が彩香の教育係とならざるを得ないという立場を意味する。岩倉が彩香を刑事として鍛えあげるための教育をどのように行って行くかという興味を読者に与える。いわゆるオン・ザ・ジョブ・トレーニングの側面がストーリーの中に織り込まれていく。この細部に渡る教育指導の側面がおもしろい。

3.捜査一課では後輩だった安原が、今では南大田署の刑事課長である。そこに赴任した岩倉が、警察組織における組織人として、どのように人間関係を構築していくのか。それは、警察の昇進試験をベースとする昇進システムを基盤とした警察組織運営の側面を織り込むことになる。警察組織の運営に目をむける面白さを引き出す。

4.足でかせぐ捜査による事実の積み上げと論理的な筋読みという捜査活動の本筋が描き出されていくことがやはり読ませどころとなる。捜査の王道が如何に描き込まれていくか。その面白さ。そこに現れる意外性が読者を引き付けるのだろう。

5.岩倉の別居は離婚を想定している。岩倉は実里と交際を始めている。岩倉の私生活の事情がどのように進展するのか。娘と岩倉の距離感はどうなるのか。このストーリーの底流になるサブストーリーが始まった。今後の展開が気になる。

 このラストライン・シリーズが現在までどのように展開してきているのか、追いかけていくのが楽しみである。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『共謀捜査』   集英社文庫
『凍結捜査』   集英社文庫
『献心 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『闇夜 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『牽制 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『遮断 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『波紋 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫
『裂壊 警視庁失踪課・高城賢吾』  中公文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<堂場瞬一>作品の読後印象記一覧 最終版
                     2022年12月現在 26冊
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『マスカレード・ゲーム』  東野圭吾   集英社

2023-09-25 21:50:43 | 東野圭吾
 ホテル・コルテシア東京を事件の舞台とする「マスカレード」シリーズの第4弾である。読了後のこのエンディングを考えると、ここまでの警察小説としての「マスカレード」はこれが完結篇といえる。「累計495万部突破シリーズ、総決算!」とホームページの本書紹介ページで書いているのだから間違いないだろう。だが、ホテル・コルテシア東京そのものを舞台とした新発想のシリーズが生まれるニュアンスが残るところがおもしろいと感じている。本書は書き下ろしにより、2022年4月に単行本が刊行された。

 勿論、登場するのは警視庁捜査一課の刑事新田浩介警部。今や新田は係長として一係を率いて、入江悠斗殺害事件を捜査していた。事件捜査から3週間後に、新田は稲垣管理官に捜査資料持参で警視庁本部の会議室に来るよう指示を受けた。会議室には、同様に係長の本宮警部と梓警部が来ていた。梓警部は能勢警部補を同行させていた。本宮と梓もまた殺害事件の捜査に取り組んでいた。
 捜査一課長の尾崎と管理官の稲垣が入ってきて、開口一番、3人の係長が各々捜査している殺害事件に何等かの繋がりがある可能性が出て来たという。そのため、今後の捜査の方向性を決めたいという。どの被害者も正面からナイフで刺されていた。3つとも細身のナイフだが微妙に違うものだった。犯人が自分の使いやすいサイズや形で同じタイプを選んだという可能性は考えられた。この3週間の間に3人が刺殺されたのだ。尾崎課長は3つの事件が関連している可能性を念頭にまずは各係の事件捜査を進めてくれと言う。特にこの3事件の各被害者は過去に事件を起こしているので、彼らが加害者となった事件の折の被害者遺族を徹底的に調べるように指示した。
 稲垣管理官、本宮警部、梓警部、能勢警部補がこの後主な登場人物になっていく。

 新田が捜査する入江悠斗により暴行を受け植物人間となって1年後に死亡した大学生の母親神谷良美は被害者の遺族である。入江悠斗が刺殺された日の神谷良美には明確なアリバイがあるという事実は確認されていた。だが、新田の部下が神谷良美の行動を尾行していた。新田は、神谷良美がホテル・コルテシア東京にチェックインしたと、スマートフォンに連絡を受けた。

 午後4時20分。急遽、稲垣管理官と本宮、梓、能勢、新田は会議室に集合する。
 新田がメモを板書した。
事件の被害者 現在の被害者が過去に起こした事件と被害者   過去の被害者の遺族
入江悠斗 傷害罪(少年院送致)   神谷文和(1年後に死亡)  神谷良美(母親)
高坂義広 強盗殺人事件(懲役18年)   森元俊恵(殺害)     森元雅司(長男)
村山慎二 リベンジポルノ(徴三猶五) 前島唯花(自殺)      前島隆明(父親)

 部下から連絡を受けた新田は、神谷良美をきっかけにして、森元雅司と前島隆明もともに、ホテル・コルテシア東京に本日から二泊の予約を入れていることを確認した。被害者遺族が3人揃って同じホテルに泊まる予定・・・・。
 被害者遺族3人は共犯の関係にあるのか? ホテルに集まる目的は何か?
 交換殺人の可能性が提起される。
 新田は、ホテルでの第4の殺人事件の可能性を思いつく。梓は、被害者の会あるいは被害者遺族の会といった交流サイト等がきっかけとなることを想定して、サイバー犯罪の専門家の協力を得ることを提起する。

 午後6時半。新田は稲垣とともに、ホテル・コルテシア東京の総支配人藤木、宿泊部長久我と面談し、協力を依頼する。「事件は必ず防ぎます。過去二度のケースと同様、未遂に終わらせます。自分が約束します」(p42)と新田は頼み込んだ。
 稲垣は、新田にフロントクラークに扮装して現場監視と捜査をやれと指示する。藤木はその考えに有無を言わせぬ形で同意した。新田がホテル・コルテシア東京の現場での捜査責任者となることに・・・・。
 被害者遺族のチェックインはクリスマス・イヴの前日。それからの二泊が決着をつける場となる。3事件の犯人を確定し、第4の殺人事件の可能性を未然に防止するという困難な秘密裡の捜査が、ホテル・コルテシア東京を舞台に始まって行く。タイムリミットのあるゲームの始まりである。

 このストーリーが読者を引き付ける要素がいくつもある。いくつかポイントを列挙してみよう。
1. 今までと同様に、ホテルへの宿泊客はそれぞれがマスカレードを被っているという前提に立って、捜査・チェックをする。本名での宿泊者。偽名での宿泊者。人様々。

2.ホテルの従業員は変化している。過去の事件を経験していない管理者やスタッフが居る。総支配人藤木は奇策を採る。アメリカに移りコルテシア・ロサンゼルスに勤めている山岸尚美を急遽呼び戻したのだ。過去2回の事件を体験している山岸尚美の協力は、新田にとっても大きな実務戦力になる。
 このシリーズを読み継いできた読者には、彼女の機転が大きな楽しみとなる。

3.ストーリーの冒頭で新田の捜査する入江悠斗殺害事件の事実が明らかになる。ストーリーの進展の中に、3つの事件の被害者が起こしていた事件の内容が、被害者遺族の情報とともに、一層明らかになっていく。被害者遺族のことを知らねば、先の予測も建てられない。知ったからといって、第4の殺人事件の可能性とどう結びつくのか・・・未知数である。それは逆に読者に取っては楽しみとなる。

4.刑事達は、ホテルの従業員に扮装したり、客の振りをしてホテル内に張り込み、監視捜査をする。当面は、被害者遺族の3人-神谷良美、森元雅司、前島隆明-が、ホテル内でどのような行動をとるのか。どのように接触するのかの監視行動から始まって行く。
 この監視が実を結ぶことになるのか・・・・。

5.ホテル・コルテシア東京で起こった過去の事件を知らない梓警部は、新田と藤木の間で共有されてきたホテル内での捜査活動についてのルールを無視する行動に踏み込む。それが、この捜査にどういう影響を及ぼすか・・・・・。読者者には興味津々の一要素となる。
 稲垣管理官は独自の立場で、梓の提案に黙認するような形の合意をする。
 新田は刑事としていわば、板挟みの立場に追い込まれる。

6.梓警部の指示を受けた能勢警部補は専らインターネットからのサイバー情報の収集と分析、そのデータの伝達を担っていく。明らかになった交流サイト情報について、新田を含め捜査陣に報告に来て、コミュニケーションを深めていく。
 インターネットのブログから収集された情報が重要な要素となっていく。

7.思わぬ攪乱要素が発生する。三輪葉月(ミワハヅキ)という宿泊客がチェックインしてくる。三輪葉月のチェックイン手続きは山岸尚美が行う。だが、三輪葉月はフロント内の側に立つ新田に気づいたのだ。予期せぬハプニング!
 三輪葉月は、新田と大学の同期だったのだ。刑法各論とか法社会学で一緒に講義を受けた同期だった。三輪は検察官になった。新田が警察官になったことを彼女は知っていた。山岸がホテルのスタッフには転職組が多いと説明した。三輪は釈然としないものの一旦は引き下がった。三輪葉月の登場が新田にとっては、コインの両面の要素を持つ存在になっていく。おもしろい構想といえる。

8.当然のことながら、チェックイン段階で、どこが怪しげな客が現れてくる。事件との関係性は全く不明だが、気になる客はチェックせざるを得ない。そこから思わぬ繋がりが発見できる可能性も。ホテル・コルテシア東京を舞台としての捜査の難しいところ・・・・。

 大凡の要素に触れた。他にもあるが、それはまあ本書を読み進めて楽しんでいただきたい。

 このストーリー、当初の刑事達の予測通りには進展しない。そこが実におもしろいと言える。
 
 この読後印象をまとめるに辺り、スキャン読みしていて、はたと気づいた箇所があった。このストーリーを読み進めた時は、ほとんど意識せずに字面を読んでいたなと再認識した箇所である。
 「入江悠斗のスマートフォンは、様々な情報を提供してくれる。・・・・その位置情報によれば、入江悠斗は毎週土曜日の夕方になると奇妙な行動を取っていたようだ。アパートを出ると、約二時間、延々と町中を歩き回っているのだ。どこかの店に入るわけでもない。ただひたすら歩き、自宅に戻っている。時間経過を考えるとジョギングではない。ウォーキングにしてもペースが遅いのではないか。すると散歩か。二十四歳の若者が、土曜日に二時間も散歩するだろうか。
 コースは、ある程度決まっているが、いつも全く同じというわけではない。よく似たコースだが微妙に違っていたり、最初からまるっきり別の方向へ進んだりもする。
 この習慣は、少なくとも去年の秋にスマートフォンを買い換えて以降、ほぼ毎週続いている。出かけない日は、調べてみたら雨だった」(p12-13)

 本書が総決算になる意味という意味は、エンディングの山岸尚美の一言の意味にある。
 「ようこそ、ホテル・コルテシア東京へ」

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<東野圭吾>作品の読後印象記一覧 最終版
                    2022年12月現在 35冊

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『菩薩花 羽州ぼろ鳶組』   今村翔吾   祥伝社文庫

2023-09-24 22:02:12 | 今村翔吾
 羽州ぼろ鳶組シリーズを読み継いでいる。本書はその第5弾、書き下ろし作品として、平成30年(2008)に刊行された。
 
 「菩薩花」は仏桑華の別名だという。松永源吾の妻・深雪は道を尋ねられて知り合った久保田藩の絵師曙山から贈られたのだと源吾に言う。琉球を故郷とし薩摩などの南国以外では冬を越えるのが極めて難しい花。曙山からそのことを聞き、深雪は冬を越させてみせようと思うと返答した。本書のタイトルはここに由来する。
 また、この名称中の「菩薩」は本書のストーリーに重なっていく。なぜか? 深雪が曙山に自分が駕籠舁きさんの間では火消菩薩と呼ばれていると話したのだ。それが花を贈られた契機となる。ここに菩薩が出てくる。もう一つは、八重洲河岸定火消に任じられている旗本の本多大学のもとで火消頭を務める進藤内記。内記は人々から菩薩と称されているのだ。かつて、源吾が、飯田町定火消、松平隼人家で勤めていた時の立場と同じ。その頃から、源吾は内記を「胡散臭え野郎め」(p36)と感じていた。

 このストーリー、主な登場人物の一人として、この進藤内記が登場する。 なぜ内記が菩薩と呼ばれるようになったのか。火難に遭った遺児を救い育てるという行為を行っていて、遺児たちの生きる道を見つけてやっていると、人々から見られていたからだった。
 源吾がこの内記と再会するのは、源吾の率いる羽州ぼろ鳶組が火事場の芝口久保町に駆けつけた時である。これが始まりとなる。この火事場で、源吾は己が現場指揮を執る方針を抑制し、新庄藩火消は火消に撤し協力した。内記の指示とそれを的確に具現化する配下の動きを観察する加持星十郎は「良い人材を集めているようですね」と源吾に語りかけると、「あいつは集めているんじゃねえ。足りない駒を作っているのさ」(p40)と源吾は答えた。その言が一つの伏線となっている。

 新庄藩火消の面々以外に、あと3人主な登場人物がいる。一人は序章にまず登場する仁正寺藩市橋家の火消頭、柊余市。元禄の頃の藩主が火消を市橋家の象徴とし、小藩といえども名を知られるようにした。だが、現藩主の方針を家老が与市に告げる。116名の鳶を30名に減らせというのだ。藩主に翻意してもらうには火消大名の名を挙げるしかない。火消番付での格を三役に上げよと家老は言う。配下の鳶の死活問題である。窮地に立たされた与市。「三役を獲る。大物喰いだ」(p13)と配下に宣言する。与市の通称は「凪海」。火消番付では西の前頭三枚目だった。
 本郷の東、不忍池あたりが火事になった時、与市率いる仁正寺藩火消が火事場に駆けつけていく。加賀鳶が火札を掲げ消口で指揮を執っていた。だが与市はそれを奪い、指揮を執ろうとする行動に出る。燃え上がる火を前にして火消たちの繰り広げる騒動描写は実に緊迫感を生む。
 この時点で、読者としては、今後与市がどのような行動をとっていくか、興味津々とならざるを得ない。
 この火事場に主な登場人物がもう一人居る。加賀鳶を指揮している詠兵馬(ナガメヒョウマ)だ。加賀鳶の頭取並にして、一番組頭を勤め、通称「隻鷹」。番付は西の小結。ストーリー全体の中では、脇役的に押さえ所として登場している印象を持った。

 主な登場人物でありながら、3人目は火事読売という瓦版の書き手である文五郎。彼は第一章の最初及び第六章以降に登場する。文五郎は常に火事場に駆けつけて、その状況を客観的に観察し、事実を読売として伝えることを実践している。読売を己の天職とする男。四谷塩町で起こった火事を観察記録しつつ、この火事は火付けの線が濃厚と推測する。この火事場に真っ先に駆けつけた頭を勿論知っていた。そこで文五郎は疑問を抱く。この文五郎がその後に行方不明となる。そこで、息子の福助が父を捜し回る行動をとる。
 その福助が狙われていると偶然察知した大音勘九郎の娘のお琳とお七が、福助に関わることになる。それで、文五郎が行方不明という件を源吾と星十郎が知るに至る。勿論、源吾は文五郎を知っていた。源吾は星十郎と二人で文五郎の失踪について、ある仮設を導き出していく。

 京橋筋の北紺屋町で火事が起こる。そこは、蝗の秋仁の名で呼ばれる頭が率いる町火消よ組の管轄なのだが、その消口を八重洲河岸定火消の進藤内記が取ったのだ。秋仁は、源吾に「こいつら太鼓を打たねば町火消が動けぬのをいいことに、消口を取ってからようやく太鼓を叩きやがった」(p136)と彼の行為について告げた。源吾の問いに対し、内記は火消番付目当てを当然の如くに嘯く。秋仁はやむなく引き下がる。源吾も弓町まで引き下がり、飛び火の警戒にあたった。
 一方、火事場に与市の率いる仁正寺藩火消が乱入して行った。消火した後、与市の行方が絶たれた。

 ここから読者にとっては、源吾と星十郎を中核にストーリーは謎解きへと急速に進展していく。その進展に再び火事が絡んでいく。どこまでも火消絡みのストーリーとして構想され実に巧妙に仕組まれていく。読者を飽きさせず引っ張っていく。なかなかのエンターテインメント作家だと思う。

 深雪が菩薩花を絵師曙山から贈られたことについて源吾に話した中に次の言葉がある。「人も花も同じ。住まう地、取り巻く人々で生きも死にもします。だからこそ越前衆の方々をしっかりと支えなくてはなりません」(p224)と。このストーリーのテーマは、この深雪の発言の最初の二つの文に大きく関係していると思う。今回は、そこに火消番付が大きく関わっている。人は評価されることに対して無心ではいられない。評価することにも関心を示す。人がそれぞれの立場で抱く承認欲求の存在。それが様々に影響を及ぼして行く。テーマとしてどこまでも興味深い。
 このストーリー、菩薩と呼ばれる内記の裏の姿を暴き出していくことになる。そのプロセスをお楽しみに!

 さて、今回のストーリーの背景に少し触れておきたい。
 読後印象をまとめるに辺り、部分的に読み直していて気づいたことである。第一章の初めのあたりに、「昨年の明和の大火で多くの優秀な火消が殉職した」(p25)と記されている。第七章の六の冒頭に「振り返れば様々なことがあった安永2年(1773)が暮れた」の一文。このストーリー、源吾の視点に立つと安永2年という一年間に起こった出来事である。
 そこで少し調べてみて、なるほどと思った。
 明和の大火は、明和9年2月29日(1772年4月1日)に発生した。大火発生の後、改元されて安永になっていた。安永は西暦で表記すると、1772年11月16日から始まっている。つまり、明和9年は安永元年であり、安永2年の暮れから見れば、昨年になる。
 このシリーズ、フィクションと雖もよく続けられるな、と思いながら読み継いでいたら最初の段階で、「江戸では年に300回以上の火事がある。素人は意外に思うかも知れないが、その原因の大半は火付けに因るものである」(p30)という地の文が出て来た。フィクションでも、この辺りは当時の事実を踏まえていると考えると、フィクション化がしやすくなることだろう。どこでいつ火事が起きようと不自然感はなくなる。

 更に、歴史的事実を歴史年表で確かめてみると、次の背景がわかる。
 明和4年(1767)7月 田沼意次、側用人に。第10代将軍家治の治世。田沼時代の始まり
 安永元年(明和9/1772)1月 田沼意次、老中となる。

 このストーリーでは、老中田沼意次は密かに浅間山に視察に出かけていて、江戸不在の設定になっている。「これまで幾度となく噴火しており、もっとも記憶に新しいところでは今より約20年前に燃え滾った。この山ニまた不穏な兆しがあるということで、・・・・」(p238)とある。浅間山の噴火記録では、1752(宝暦2)年と1754(宝暦4)年に噴火している。そして、1776(安永5)年9月5日と1777(安永6)年には数度にわたり噴火した。
 田沼の視察の先遣として加賀鳶の大音勘九郎が浅間山に調べに赴き、その後国元に戻るという設定がうまく織り込まれている。

 最後に、このシリーズでの朗報を二つご紹介しておきたい。
 一つは、深雪が出産した。男子である。平志郎と名付けられた。
 二つ目は、老中田沼意次により、新庄藩が方角火消桜田組を免じられ、改めて方角火消大手組に任じられた。
 
 このシリーズ、火消菩薩と称される深雪を背景に、源吾と羽州ぼろ鳶組の活躍がさらにステップアップすることを期待したい。勿論、一方で、老中田沼意次への反撃が顕わになってくることも予測される。源吾はどのように立ち向かっていくのか・・・・。前作で、安永2年の前半に、長谷川平蔵が京都西町奉行所在任中に急逝した。息子銕三郎が家督と平蔵の名を継ぎ、安永2年に江戸に戻ってきていた。お琳、お七、福助の危機を救う形で源吾との関わりが江戸で再び始まって行く。二代目長谷川平蔵との関わりもまた、読者として期待を抱く。ますますおもしろくなりそう・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
明和の大火  :ウィキペディア
33. 明和9年江戸目黒行人坂大火之図   :「国立公文書館」
明和の大火死者供養墓  :「港区立郷土歴史館」
浅間山 有史以降の火山活動  :「国土交通省気象庁」 
幕府番方武官 長谷川平蔵  :「大江戸歴史散歩を楽しむ会」
ブッソウゲ   :ウィキペディア
ブッソウゲ/ぶっそうげ/仏桑花  :「庭木図鑑」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)



こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『鬼煙管 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『九紋龍 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『夜哭烏 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』   祥伝社文庫
『塞王の楯』   集英社
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