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遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『リミックス 神奈川県警少年捜査課』  今野 敏  小学館

2025-01-06 21:32:00 | 今野敏
 神奈川県警少年捜査課を冠したシリーズとしては第2弾。第1弾は『ボーダーライト』であり、2024年8月に文庫化された際に、この神奈川県警少年捜査課を冠する形に改題された。今回の単行本にはこの冠が最初から付いた。しかし、『わが名はオズヌ』(2000年10月)がいわばシリーズ前日譚としてその前に刊行されている。実質第3作といえる。
 本書『リミックス』は、奥書を読むと、「WEBきらら」(2023年5月号~2023年9月号)から「STORY BOX」(2024年11月号~2024年5月号)に引き継がれ連載された後、2024年9月に単行本が刊行された。

 警察小説にオカルト次元がミックスされた長編ストーリー。気軽にちょっとした異次元世界の融合を楽しめる。
 神奈川県立南浜高校の生徒、賀茂昌が中核になる。賀茂には、古代の霊能者・役小角(エンノオヅヌ)がある時から降臨するようになった。そのため、彼は「オズヌ」と称されるようになる。オズヌが賀茂に降臨すると、賀茂は意識があるものの、降臨したオズヌが賀茂という個体を借りて行動していて賀茂自身委はその自覚がない。時折賀茂自身の意識が断片的に記憶されているに過ぎなくなる。
 賀茂が行方不明になる状況が発生すると、少年捜査課の高尾勇巡査部長と丸木正太巡査長がコンビを組んで捜査を始動する。そのプロセスがメインストーリーになるので、警察小説であり、オズヌが降臨した状態の賀茂は捜索対象者となる。オズヌの降臨は、何らかの事件・事象と関わっていく。それが高尾と丸木を事件の捜査・解決に邁進させる。

 面白いのは、高尾は少年たちを厳しく「お仕置き」するところから、「仕置き人」の異名を持つ。高尾は賀茂が関わりを持った事件を解決してきた経験から、オズヌが賀茂に降臨している状態があるという事象を一応受け入れて、その事実が意味することを重視する。一方、丸木はオズヌが降臨している状態を受け入れる心境には至っていない。そのため、高尾の相棒として行動しつつも、距離を置いてちょっとシニカルに状況を見つめている。勿論、丸木は己の内心で批判的言辞を弄していても、面と向かって高尾には何も告げない。その辺りの描写場面、このコンビの認識のギャップが時にはユーモラスで読者にとりおもしろさとなる。

 賀茂の側に、賀茂の担任教師の水野陽子と、賀茂の同級生の赤岩猛雄が居る。赤岩は暴走族「ルイード」の元リーダー。神奈川県下では名を馳せた少年であり、刑事たちには凶暴さでその名が知られている。ある事件が契機でおとなしくなり、賀茂を護る役割を担う立場になる。オズヌは水越を「前鬼」、赤岩を「後鬼」とみなしている。賀茂にオズヌが降臨した状況では、水越と赤岩はオズヌにその役割で従うことになる。

 川崎署の管轄内で、赤岩猛雄が強行犯係に逮捕されたことから、高尾と丸木は事件に関わっていく。赤岩は川崎で6人を相手に立ち回りを演じて3人を倒した現場に居たという。川崎署に出向いた高尾に、赤岩は賀茂が追われているのを追っていて3人が倒れている現場に遭遇しただけだと告げた。川崎署の刑事・江守巡査部長に高尾が助言したことで、赤岩の無実は証明された。だが、この時のグループが、後に南浜高校前に現れる事態に至る。
 一方、高尾は、赤岩と担任教師水越から、賀茂が行方不明ということを聞く。賀茂とトラブルになった連中は、赤岩によれば、テルが中心で、ナンバーツーをヒトシとする、半グレのグループで、川崎の連中だった。
 高尾と丸木は、川崎署の江守を介して、刑事課暴力犯対策係の細田隆次巡査部長の協力を得て、昼間に銀柳街周辺を探索する。高尾はカラオケ店の前で二人の若い男に目を止めた。後で彼らはサムとハルと呼ばれるギャングだと聞く。川崎署の刑事でも接触したくない連中だという。細田は、サムたちと話をするなら彼らの保護司とコンタクトするのを勧めた。

 再び賀茂が居なくなったと水越先生から連絡を受けた高尾は、細田と江守両刑事の協力を得て、夜は危険だという銀柳街を探索に行く。そこでサム、ハルと話をしている賀茂を高尾は発見して保護することになる。この時、賀茂ことオズヌは、川崎へはテルやヒトシ、そしてサムやハルと話をするために来たのだが、うまくいかないと語り、一言主(ヒトコトヌシ)の力がいると言う。また、テルとサムのグループが対立していることも知っていると賀茂(オズヌ)は言う。
だが、細田はこの両グループは神奈川県警が必死になってもどうしようもない連中なのだと言う。一方、賀茂(オズヌ)は両グループの対立の解決は一言主の役目だと答えた。
 
 賀茂を保護した高尾は水越の依頼通り、本牧にあるライブハウスのオルタードに賀茂を連れて行く。そこには、ミサキが居た。賀茂がミサキのことをオズヌが心配していると言ったことについて丸木が質問した。ミサキは若者に絶大な人気を得ているカリスマボーカルであり、ミサキはオズヌが憑依する依巫でもあった。
 この時、川崎署の細田から高尾に電話が入る。保護司のことがわかったという知らせである。名前は葛城誠。水越陽子は、賀茂がオズヌがカツラという言葉について考えていると言っていたことを思い出す。
 丸木は、さらにミサキに、どこかの事務所に所属するつもりかどうかと質問を投げかけた。それはオルタードの経営者田崎がジェイノーツの平尾から聞いた話だった。ミサキは迷っているようだった。が、ミサキは未だ17歳。事務所はマロプラ企画だとわかる。専属契約となると、マロプラ企画が暴力団のフロント企業ではないかという危惧を高尾は抱く。そこで高尾はこの事務所の背景調べと専属契約の内容面にも踏み込んでいく。
 
 高尾の捜査範囲は一見、拡散し広がるように見えるのだが、ミサキの事務所所属問題を中軸に様々の事象が、ジグソウパズルのピースがはまっていくように、一つの方向に収れんしていくことに・・・・・。

 この小説、様々な社会的側面・要素が盛り込まれている。
 暴力団と半グレの法律的規制の差異。芸能界に繋がる暴力団の影響。音楽業界のビジネスを構成する要素の相互関係(歌手、プロモーションとマネージメント、レーベル、原盤権、芸能プロダクション、音楽事務所、専属契約、暴対法・児童福祉法等の法規制、etc)。不良少年と保護司。中国残留邦人と混血児問題。役小角と葛城氏と一言主。憑依現象・依巫。
 これらがストーリーに織りなされていくところが興味深い。

 このストーリー、「一言主」がキーワードになっていると思う。
 「一言主というのは言葉そのものではないか」
 「自分を語る言葉を持たないのは辛いことだ」
 「言葉をうまく交わせないことによる誤解や恐れから差別が生まれます。彼らは幼い頃からずっと差別を受けてきたのでしょう」
 p207からの抽出引用であるが、ここにこのストーリーのテーマの一つがあると思う。

    とぅきぽしぴかりてあめのしたぴとりかなし
    うみわたりゆかむなぬむとぅぬ          p147

ミサキがカリスマボーカルとして歌う場面描写がある。自作の歌詞に含まれた言葉として、この二行が歌い込まれている。水越陽子は「あれが、飛鳥時代の言葉なのね」と語る。
 飛鳥時代の人々はこのような言葉遣いだったのだろうか。ちょっとエキゾチックな感じ・・・・。

 ご一読ありがとうございます。


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『海風』   今野 敏   集英社

2024-11-28 16:44:01 | 今野敏
 6月に小説『天を測る』の読後印象を書いた。この歴史時代小説は、小野友五郎を主人公として、日米通商条約批准の遣米使節団の正使がポーハタン号に乗船して渡米する際に、咸臨丸が同航した。日本人の航海員だけで操船する咸臨丸に、天体観測により航路を定める航海士が小野友五郎だった。
 本作は、井伊大老より永蟄居を言い渡されて自宅の居室で永井尚志が、太平洋を横断しアメリカに向かって出航した咸臨丸の姿を思い浮かべる場面で終わる。海防のためには艦船が必要であり、操船するには航海士を育成することが必須である。永井は長崎に伝習所を創設する準備をし、初代の伝習所総督となる。航海士育成に尽力した。その長崎伝習所第一期生の一人が小野友五郎である。

 本作は、この永井尚志を登場人物の中核とし、単純化していえば、通商条約締結の結果、咸臨丸をアメリカに運航させる段階にまで至った時代を描き出した歴史時代小説である。攘夷思想が時とともに高揚していく時代の渦中で、日本国の将来を考えると、開国し通商により国を繁栄させていく選択肢しかないという結論に至り、そのために奮励し行動した一群の人々の物語である。
 勿論、徳川幕府内には開国派と攘夷派が居て、老中が一枚岩であった訳ではない。黒船来航という外圧の下で、清国の状況を鑑み、海軍創設、開国と通商の必要性への思いを抱き、老中に働きかけ、苦心惨憺しつつ、各拠点地で通商条約締結への交渉担当者となって活躍したいわば中堅官僚の生きざまを描く。大変なプレッシャーだっただあろうと感じる一方で、時代と国を背負うというやりがいもあったのではないかと思う。

 本書は、「小説すばる」(2023年5月号~2024年4月号)に連載された後、2024年8月に単行本が刊行された。

 ストーリーは、主な登場人物の3人が、黒船来航の時勢話を交わしている場面から始まる。その3人の共通点は昌平黌(ショウヘイコウ)と呼ばれる昌平坂学問所の大試に合格した仲間という点にある。簡単なプロフィールを紹介しておこう。
 永井尚志(岩之丞) 昌平黌甲科合格。大名の側室腹の生まれで、旗本永井家の養子。   38歳の折、目付に取り立てられ、海防掛(海岸防御御用掛)に指名される。
   職務には外国との交渉が含まれていた。永井は長崎表取締御用として長崎へ。
   出島のオランダ商館長クルチウスとの交渉担当に振られることが皮切りに。

 岩瀬忠震(タダナリ) 昌平黌乙科合格。旗本設楽家の第三子。母方の岩瀬家の養子に。
   永井は岩瀬には甲科合格の実力あり、その気がなかっただけとみる。頭が良い。
   ペリーが浦賀に再来した1854年1月、海防掛目付を命じられる。ペリーとの交渉
   に加わることを皮切りに。何を言っても人に嫌われない性格の人物。
   御台場の建設、大砲の鋳造、大型船の製造にも関わっていく。

 掘省之介 昌平黌乙科合格。堀の父は大目付。母は林述斎の娘。堀と岩瀬は従兄弟同士
   二人より一足先に海防掛目付になっていた。蝦夷地の探索に赴く。帰路の矢先に、
   函館奉行に任じられる。北の防御対策を推進することを皮切りに。
   
という形で、それぞれが外国との交渉の最前線に関わっていく。
 
 本作は、徳川幕府が対応を迫られた諸外国との通商条約を成立させていく紆余曲折のプロセスを、実務に携わった彼ら3人の視点から織り上げていく。その中で、永井の活動を中軸に描きつつ、岩瀬・堀とのコミュニケーション、連携プレイが進展していく。当時の諸外国との条約交渉の状況がどういうものであったかということがイメージしやすくなった。コミュニケーションをするだけでも如何に大変かがよくわかる。
 読ませどころは、やはり外国との交渉の実態描写にあると思う。
 だが、諸外国との交渉に奔走した人々は、井伊大老の下で、左遷され罷免されていく。
 最後に、日本史の年表からこの小説に関わる史実を抽出しておこう。
   1853(嘉永6)年 6月 米使ペリー、艦隊を率いて浦賀に来航                    7月 ロシア使節プチャーチン、長崎に来航
   1854(嘉永7)年 1月 ペリー、再び来航  
            3月 日米和親条約(神奈川条約)
            8月 日英和親条約
           12月 日露和親条約
1857(安政4)年 5月 下田条約
   1858(安政5)年 6月 日米修好通商条約調印 
            7月 オランダ・ロシア・イギリスと調印
            9月 フランスと調印
 尚、これらの通商条約の調印に、京の朝廷は許可を出していない。
 この小説には触れらず、その一歩手前の時期で終わるのだが、安政5年9月には、井伊大老の下で、「安政の大獄」が実行される。本作はそういう時代状況を描き出している。

 黒船来航から、諸外国と通商条約締結というステージに立ち至る我が国の状況を感じ取るには大いに役立つ歴史時代小説である。史実の読み解き方のおもしろさがここにはあると思う。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
永井尚志    :ウィキペディア
永井尚志    :「コトバンク」
長崎海軍伝習所初代総監理・永井尚志と岩之丞の追弔碑  :「墓守りたちが夢のあと」https://ameblo.jp/
岩瀬忠震    :ウィキペディア
岩瀬忠震    :「コトバンク」
岩瀬忠震宿所跡 :「フィールド・ミュージアム京都」
堀利煕     :ウィキペディア
堀利煕     :「コトバンク」
日米修好通商条約  :ウィキペディア
安政五カ国条約   :ウィキペディア
出島   ホームページ
出島   :ウィキペディア
浦賀   :ウィキペディア
函館奉行所 公式ウェブサイト

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『ロータスコンフィデンシャル』   今野敏   文藝春秋

2024-09-26 00:44:58 | 今野敏
 先日、『台北アセット 公安外事・倉島警部補』の読後印象を載せた。これは第7弾。その時、第6弾の本書を見過ごしていたことに気づいた。このことには触れている。
 そこで遅ればせながら本書を読んだ。冒頭の画像は単行本の表紙である。
 奥書を読むと、「オール讀物」(2020年2月号~2021年3・4月号合併号)に連載された後、2021年7月に単行本が刊行された。
 
 2023年11月に文庫化されている。この文庫本の表紙を見て気づいたことがある。カバー写真として景色を撮った視点が変化している。それよりも、文庫本には、「公安外事・倉島警部補」という添えの標題が加わっていた。第7弾の単行本には添え標題が記されていた。この第6弾の単行本には記されていない。調べてみると、文庫の新カバー版からこの添え標題が冠されたようである。

 公安部外事一課第五係に所属する倉島警部補が、「作業」に従事すると、それは諜報活動なので極秘事項である。つまり、「コンフィデンシャル」なマターを扱うという意味でこの第6弾のタイトルに「コンフィデンシャル」が使われることはいたってあたりまえといえる。だけど、本作を読了してみて、ロータス(LOTUS)という語が冠言葉として選択されたのはなぜなのか。読後印象としてこの由来がわからなかった。倉島は佐久良公総課長に作業の計画書を提出したが、別にこの計画書にコード名が付された記述はないし、ストーリーの中でも、記憶では「ロータス」という言葉は出てこなかった。なぜ「ロータス」が冠されたのか。それが一つ不可思議として印象に残った。

 さて、本作のおもしろさは、警視庁公安部外事一課の倉島、外事二課の盛本、刑事部捜査一課の田端課長以下の殺人事件捜査本部、この3者が複雑に絡み合っていくところにある。3者それぞれは、己の捜査活動においてコンフィデンシャルな情報を抱えている。問題解決のためには、立場が異なるとはいえ相互に情報を交換して関わり合っていかなければならない。お互いの立場を斟酌しつつ、ぎりぎりのところで連携協力関係を築き上げる努力を重ねる。互いにコンフィデンシャルな情報の共有を図らなければ、効率よく効果的に目指す目的を達成できないからだ。想定される敵よりも早く対処しなけらば・・・・という緊迫感がつきまとう。刑事部と公安部という水と油のように発想の違う組織がぶつかり合いながら協力するところが読ませどころになる、

 冒頭では、ロシア外相が随行員を伴い総勢65人で来日する。公安部は随行員のうち、50人を行確対象者とし、分担して監視体制を組む。この中に第5係の倉島たちも24時間体制で組み込まれる。公安部の作業班、つまり諜報活動担当者の一人である倉島は、ロシア大使館の三等書記官コソラポフとコンタクトをとりつづける。倉島の情報源である。このストーリーの進展で、しばしば登場してくる人物。勿論、タヌキとキツネのだましあいのような駆け引き関係が繰り広げられる。

 監視中に、倉島は、刑事部から公安部に異動してきた年齢では先輩の白崎から、殺人事件のニュースを知らされる。被害者はベトナム人で、外事二課も動きだしたそうだという。倉島は軽く聞き流した。監視業務を終え、宿舎で眠っていた倉島は、公安機動捜査隊の片桐秀一からの電話で起こされる。片桐がもたらした情報は、白崎が言っていたベトナム人を殺害した被疑者がロシア人かもしれないことと、そのロシア人が来日中の随行員の一人と接触した可能性があるということである。そのことを捜査一課の刑事から聞いたという。
 片桐は一度行確に駆り出されそのロシア人の名前を思えていた。名前はヴォルコフ。日本に滞在する音楽家でバイオリニスト。刑事部では、まだ被疑者と断定した段階ではないという。片桐は、ヴォルコフを要注意人物と認識し、彼の犯行と思っているという。倉島は初めて聞く名前でもあり、片桐の情報をも軽視した。
 これが後に、倉島にとっては、大きな反省材料になっていく。

 被害者はベトナム人。チャン・ヴァン・ダット。37歳。技能実習生として来日。
 被疑者はロシア人。マキシム・ペトロヴィッチ・ヴォルコフ バイオリニスト。
     日本在住。

 倉島はものの見方を逆転させる。ヴォルコフが被疑者という観点から、彼の身辺調査と殺人の理由を調べ始める。ここからこのストーリーが始動する。
 その最初の進め方が、後に問題視される。随行員の行確、監視業務が終了した後、白崎が独自の行動をはじめ、倉島は白崎との連絡がつかず、白崎の行方不明という状況が発生する。
 倉島は、まずはできること、優先度の高い事項を列挙する。「ヴォルコフノ身辺調査。白崎の足取りを追う。ヴォルコフの行確。チャン・ヴァン・ダッド殺害の捜査の進捗を聞く」
 直属の上司上田係長と佐久良公総課長の二人から大目玉を食う羽目になる。このあたりも、公安部という組織のあり様がリアルに描かれていて興味深い。
 紆余曲折をへて、倉島の作業計画書は佐久良課長から承認される。作業班が立ち上げることがな能になる。そのメンバーを記しておこう。
 リーダーは勿論、倉島警部補。
 白崎  第五係の同僚。元刑事の人脈が生かされていく。
 片桐  公安機動捜査隊員
 伊藤  公安総務課公安管理係。公安のセンスがある人材。
それぞれの持ち味がうまく相乗効果を生んでいくところが楽しめる。特に、伊藤のキャラクターが一つの要として作用しているように思った。このシリーズが続いていくならば、いずれ再び登場してくるのではないかという気がする。

 倉島は外事二課で中国担当の盛本とコンタクトをとる。一方、殺人事件の捜査本部を訪れ、情報のギブ・アンド・テイクを行いながら、捜査本部との協力関係を築いていく。面白いのは、公安機動捜査隊の隊長との交渉である。公安的センスのない隊長というのが、ユーモラスである。どんな組織にも、場違いな人物が居る。そんな要素を盛り込んでいるのもおもしろい。
 なぜ、外事二課が絡んでくるのかがこのストーリーを複雑にし、かつおもしろくする要素になっていると思う。

 このストーリー、倉島がヒューミントと称される情報収集活動を中軸に織り込みながら殺人事件の捜査と公安視点の捜査の違いを対比させつつ、公安部と刑事部が連携していく難しさと必要性をリアルに描いている。そこが読ませどころである。
 著者は、公安部と刑事部の思考・発想の違いとそれぞれの長所の対比を読者がイメージしやすく描き出そうという意図が根底にあったのではないかと思った。

 情報をどのように収集し、分析し、読み取っていくか。情報をどのように組み合わせ、ていくか。そこにも力点がおかれているように感じる。公安の「作業」の意味合いを感じ取れるところがよい。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
この作品を読み、リアルな現実世界での事実情報を少し検索してみた。

ベトナムにおける原子力発電所建設計画に係る事務レベル協議について
        平成23年(2011)9月9日         :「外務省」
ベトナム、原発計画中止 日本のインフラ輸出に逆風 2016.11.22 :「日本経済新聞」
ベトナム・原発からの「勇気ある撤退」の理由とは  :「FoE Japan」
ベトナムの国情と原子力開発  2014年12月   :「ATOMICA原子力百科事典」
ロシア ベトナムの原子力科学技術センター建設を支援 2024.1.26:「原子力産業新聞」

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『台北アセット 公安外事・倉島警部補』   今野敏   文藝春秋

2024-09-15 17:26:25 | 今野敏
 公安外事・倉島警部補シリーズ第7弾! 「オール讀物」(2022年5月号~2023年3・4月号)に連載の後、2023年11月に単行本が刊行された。
 今回も、本作がシリーズの何冊めか調べていて、前作の刊行を見過ごしていることに気づいた。速やかに読みたい本がまたできた。

 さて、このシリーズもそれぞれは独立したストーリーなので、本作の読後印象をまとめてみたい。

 倉島達夫警部補は警視庁公安部外事一課第五係に所属する。同じ係に所属する西本芳彦がゼロの研修を終えて戻ってきたところからこのストーりーが始まる。倉島自身もゼロの研修経験者。本作の一つのサブ・ストーリーでは、研修から帰還した西本の思考・行動の変化を、倉島が己の経験を踏まえて観察しつつ、西本が一皮むけた公安マンにステップアップできるよう、先輩として導けるかというテーマを扱っている。
 西本は研修から戻ってくるなり、五係において、白崎と倉島に対して、日本の製薬会社の台湾法人がロシアのハッカー集団REvil(レビル)からサイバー攻撃を受け、ランサムウェアに汚染された事件を話題にした。倉島はその事件はロシアのFSBが14人のメンバーを逮捕したという報道で決着がついていると認識していた。だが、西本はそれは茶番劇ではないかと疑問視する。それが契機となり、倉島はレビルについて情報を収集しなおす。

 そんな矢先に、倉島は公安総務課長から呼び出しを受ける。佐久良忍課長は倉島に台北の警政署への出張を命じる。公安捜査についての研修を行うにあたり教官を派遣して欲しいという要請に応じるというものだった。警察庁に来た話だが、公安の実働部隊は警視庁公安部なので、倉島にその役割が回って来たのだ。課長は「細かなことは、先方が決めます。台湾側の求めに応じてくれればけっこうです」(p25)と言う。そして、「ついでに、サイバー攻撃のことについて、様子を見てきてください」(p27)と告げたのだ。
 倉島は適当な名目のもとに、西本を同行させたいという許可を得て、指示を受けた翌日、台北に飛ぶ。

 このストーリー、台北への出張目的は、警政署での公安捜査に関する研修である。台北で、倉島が教官としてどのような研修を行うかのか。勿論その様子が描き込まれていく。だが、ストーリー全体から見ると、これはもう一つのサブ・ストーリーという位置づけになる。倉島がどのように研修を進めるか、この点は興味深い。それなりに面白く読める。
 ならば、メイン・ストーリーは何か?
 佐久良課長がついでにサイバー攻撃について・・・・と付言した副次的目的が逆にメインになっていく。
 台北に着いた倉島と西本には、滞在期間中、警政署の劉(リュウ)警正と張(チャン)警佐の二人が世話係として現れる。張警佐は主に車の運転手を担当する。劉警正は日本語が堪能であり、日本・台湾の警察組織の階級を対比すると、倉島よりも上位の階級である。この設定は実に巧みに考慮されている。倉島にとっては信頼がおけ、力量を発揮する渉外係の役割を担ってくれる相手になるからだ。勿論、劉警正と張警佐が倉島・西本の監視役をも兼ねているのは当然である。
 倉島は、劉警正に、日本企業の台湾法人がロシアのサイバー攻撃に遭った件を調べたいと依頼する。劉警正は警政署トップの楊警監の許可を得て、この調査の通訳兼案内役となる。
 西本が疑念を抱いている日本の製薬会社の台湾法人に対するサイバー攻撃を調査するために、劉警正の案内で現地法人を訪ねる。この台湾法人では、ランサムウェアに感染したのは事実だが、自社で駆除でき、身代金などの被害もなく既に終わった話と認識されていた。ところが、そこで、倉島はニッポンLCという日本企業が最近サイバー攻撃を受けたという情報を得る。西本にはこの会社の件は初耳だった。だが、劉警正はその情報を知っていた。株式会社ニッポンLCの台湾法人が新北市に所在するという。
 当然ながら、倉島はニッポンLCの台湾法人に出向き、サイバー攻撃の事実と状況の調査に踏み出す。劉警正にとっては調査のこの展開は予測済みだった。

 倉島は、まず広報課の陳復国(チェンフーグウオ)と面談することに。彼が第一関門である。彼は被害届も出していないので警察に事情を聴かれる理由はないと拒否する。倉島は日本人に事情を聴きたいと語る。劉警正の通訳と彼の発言により、CTOの島津誠太郎と面談することができた。島津は8月25日にサイバー攻撃を受け、ランサムウェアに感染したと言う。経路も判明しており、既に除去してシステムを復旧させた。ランサムウェアに感染したのは本社の管理システムであり、技術情報の保持された工場のシステムには侵入されていないと回答した。それ以上は、企業秘密に関わるので話をしたくなさそうだった。
 倉島は今後何かあればという時のための連絡窓口を島津に頼むと、島津は技術部の部下の一人で、秘書を兼ねている林春美(リンチュンメイ)を紹介し、彼女を窓口担当にすることが決まる。

 その日の夜、林春美を介して、島津には言い忘れたことがあり直接会って話をしたい旨、連絡を取ってきた。それは、倉島が教官として担当した研修を無事終了し、楊警監の接待で食事会に臨んでいる最中だった。メイン・ストーリーはここからが始まりとなる。
 一方、台湾に出張してきて以来の西本の挙動から倉島は不審な点に気づく。そのきっかけは、島津の紹介で、林春美が倉島・西本の前に現れたとき、一瞬倉島が言葉を失うほどに林春美が唖然とするほどの美貌だったことによる。この時の西本の反応に倉島は気づく。上記したサブ・ストーリーが織り込まれていくことに・・・・・。
 このサブ・ストーリーの流れでは、倉島が劉警正に語る言葉が印象的である。
 「どんなに優秀でも、必ず無能に見えるときがあります。ステップアップするときがそうなのです。ステージが上がれば、それまでのように活躍はできない。しかし、いずれ克服するはずです。それが成長です。」(p182)

 島津の懸念は、サイバー攻撃を皮切りに産業スパイが暗躍するようなことになればという危惧だった。この点を林春美が島津に進言していたのだ。迫りくる危機への対処、リスクマネジメントの観点である。島津は警察に相談するという選択肢を取ることに踏み込んだ。倉島はまず情報収集のために、ニッポンLCの台湾法人内における関係者の枠を広げ、ヒアリングをすることから始める。

 このストーリーが、俄然興味深くなるのは、ニッポンLCのエンジニア、李宗憲が殺害され、遺体がニッポンLCの本社ビルの玄関付近で発見されたことに起因する。李宗憲は工場のシステムを担当していて自信家でもあった。
 なぜ興味深くなるのか?
 
*当然ながら、殺人事件の捜査が始まるから。新北市警察局がこの事件を扱う。刑事の鄭警正が中心となって捜査する。
 警察の捜査は属地主義である。つまり、台湾において、倉島・西本には、たとえ、日系企業の敷地で発生した殺害事件と言えど、捜査権がない。
 一方で、この殺害は、サイバー攻撃・産業スパイの暗躍と関係があるかもしれない。
 倉島はこの視点を重視し、制約のある中で行動する決意を抱く。

*この事件を殺人事件という範疇で捜査することに鄭警正は執拗にこだわる。己の視点だけで捜査を進展させていく。
 鄭警正は劉警正にライバル意識を持っていた。つまり、劉、倉島、西本の介入を徹底して排除しようというスタンスをとる。

*倉島は、サイバー攻撃に絡む調査は、劉警正を通じ、日台の共同捜査という形で臨む方針を、楊警監から承諾された。

*倉島の出張目的は、研修の教官という業務である。台湾で発生した殺人事件は枠外となる。サイバー攻撃の調査という一点での関わりで、佐久良公総課長から、台湾滞在を延長する交渉を行わなければならない立場に立つ。捜査の大義名分が立つか。認められるか。
*台湾と日本との過去の歴史的関係が各所で心理的な影響力を見せる側面が重ねられていく。親日と反日という両面で現れる。文化の中に根付いていると思われる側面もある。

 つまり、日本国内での公安の捜査活動とは異なる、多面的な視点が絡み合っていくところが、本作の面白さと言える。

 上記の理由に重なる部分があるが、改めて台湾という国の歴史の一端を垣間見る機会となった。鄭という姓のルーツ。鄭成功に関わる逸話。台湾に多い人名の話題。日本による台湾統治の歴史の一端とその痕跡などである。
 もう一つ、台湾との警察組織の名称や階級呼称などの一端が日台対比で要所要所で出てくることが、異国情緒を感じさせる要素の一つになっている。

 ストーリーの根底にあるテーマの一つと思う箇所がある。少し長いが覚書として引用しておきたい。
「差別や偏見をなくすことは不可能だ。それは、個人の感情の問題であると同時に、文化的な防衛意識でもあるからだ。
 自分のテリトリーに異分子が入り込むと、人は本能的に警戒し恐れるのだ。差別の根底には恐怖がある。それが激しい嫌悪の衣を着るのだ。
 自分のテリトリーを守るためには闘争が不可避で、それが差別の根源にあるのかもしれない。
 だから人間は、心の奥底から差別意識を払拭することができない。それとどう付き合うのかが問題なのであり、さらに問題なのは、その気持ちを社会化するかどうか、なのだと倉島は思う。
 差別との戦いには二面性がある。個人の中では自分の差別意識との戦いであり、同時に社会の中に具現化された差別との戦いなのだ」(p319-320)

 ストーリー構成の巧みさとファイナル・ステージでのどんでん返しの妙味が読者を魅了することと思う。
 一気読みしてしまった。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
台湾     :ウィキペディア 
台湾     :「外務省」
台湾の警察組織について(ちょっとマニアック) 黒木 :「カクヨム」
中華民国の警察  :ウィキペディア
ランサムウェアとは   :「docomo business」
「キルネット」とは何者か?  :「NHK サイカル」
鄭成功    :ウィキペディア
日本統治時代の台湾  :ウィキペディア
台湾の人々は日本統治時代をどう捉えたか 山崎雅弘 :「DIAMOND online」

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『一夜 隠蔽捜査10』   今野敏   新潮社

2024-07-20 23:33:17 | 今野敏
 竜崎伸也を主人公とする隠蔽捜査シリーズは、著者の手がけるシリーズ物の中では特に好きな愛読シリーズである。このシリーズ、3.5、5.5、9.5という番号づけが途中に組み込まれているので、タイトルは隠蔽捜査10であるが、このシリーズとしては第13弾の長編小説となる。「小説新潮」(2022年10月号~2023年9月号)に連載された後、2024年1月に単行本が刊行された。

 余談であるが、このシリーズには2つの受賞歴がある。2006年に『隠蔽捜査』が吉川英治文学新人賞となる。2017年に「隠蔽捜査」シリーズが吉川英治文庫賞を受賞している。シリーズ物としては定評を得ていることがうかがえる。

 さて、竜崎伸也は現在神奈川県警本部に異動し、部長官舎のマンション暮らしで、公用車通勤し、刑事部長の要職についている。原理原則論と論理的思考、現場主義を基盤とする竜崎の信条は微動だにしない。読者としてはそこが実に魅力的なのだ。

 このストーリー、小田原署に行方不明届が出されたと、竜崎が阿久津重人参事官から報告を受けるところから始まる。行方不明届はよくあることなので、なぜ阿久津がわざわざ報告するのか竜崎は不審に思う。この行方不明者が大問題となっていく。
 最近また大きな文学賞を受賞した小説家の北上輝記が行方不明の当人だった。小説を読まない竜崎はこの時、この作家の名前すら知らなかった。
 小田原署の副署長がたまたま届けの記録を見て、署長に報告。それが県警本部に上り竜崎が報告を受けることになった。副署長はこの小説家のファンだった。竜崎はまず箝口令を敷けと指示を出す。その直後、竜崎は本部長から呼び出しを受けた。
 佐藤実県警本部長にこの行方不明届が伝えられていた。佐藤本部長は北上輝記の大ファンだった。佐藤は伝手を頼って北上と横浜の中華街で食事を共にしたことがあるという。佐藤は竜崎に特殊班(SIS)を動かそうと思うのだが、と投げかける。捜査においてSISを動かすかどうかは、竜崎刑事部長の専権事項だろうと言う。ここでの会話が楽しい。そこに竜崎のスタンスが即座に出ている。
「そんなことはありません。板橋捜査一課長が(SISの)出動を命じることもできます」
「あ、そうなの?」
「はい」
「でも、捜査一課長にその気がなくても、部長が言えば、誰でも逆らえないよね?」
「考えろというのは、つまり、特別扱いしろということですか?」
「いやあ、強要はできないよ。だから、相談してるんだ。俺、ファンなんだよね」
「北上輝記のですか?」
竜崎は、「相手によって捜査に力を入れたり手を抜いたりという差をつけることはできません。それは、さきほども申しました」と。    (p10)
 竜崎の真骨頂が直ちに本部長に対しても出ている。これがスタート地点になるのだから、おもしろい。どこかの高級官僚群のように、忖度などしないのだ。
 さてどうなる。

 竜崎流が早速発揮される。午後10時半頃に、竜崎は小田原警察署に到着た。捜査本部の準備がされていた。竜崎は副署長と板橋課長の話を聞く。北上が車で連れ去られるところを目撃した者がいると言う。特殊班中隊(SIS)が既に小田原署に来ていると板橋課長が竜崎に告げる。竜崎と板橋課長との会話が一段落した時点で、「今からここは捜査本部だ」と竜崎が承認した。

 ここから捜査本部の有り様が面白味を加えることになる。なぜか?
 普通、捜査本部が立つと、本部の刑事部長はポイントとなる場面、捜査会議に列席するだけである。竜崎は捜査本部の設置された小田原署に、ほぼ詰めるという行動を取り始める。最前線の現場の状況、情報を己自身で知り、的確な判断と指示をするという信念である。勿論、これは板橋課長並びに小田原署の署長・副署長にとっては、いわば異例の状況に近い。捜査本部がどのように進展するのか。つまり、竜崎がどのような立ち位置で捜査本部に詰めるかが、読者にとっての興味となる。まずは板橋課長と竜崎との間で捜査の進め方についての判断等の関係が重要にならざるを得ない。板橋課長にとって本部運営のやりづらさがまず障害にならないかである。

 一つ大きな変動要素が加わってくる。小説家の梅林賢と名乗る男が誘拐捜査にボランティアとして協力できると小田原署に来たのだ。本部が誘拐事件としての公式発表をしていない時点での申し出である。小田原署の内海副署長はこの小説家を知っていた。北上輝記と親交があったはずで、北上と同じくらい有名だと言う。梅林に応対した者は、本人が誘拐されたことは推理すれば誰でもわかる、自分なら捜査の手伝いができると語っていると報告した。
 板橋課長は追い返せと言う。竜崎は興味があるので自分が応対すると引き受ける。竜崎の判断理由は明確である。1.現場の仕事に、俺は必要ではない。板橋課長が現場のトップであることを明確にした。2.梅林がどのように誘拐と推理したかを知りたい。また、小説家同士にしかわからないことがあるはずだ。それが捜査のヒントになるかもしれない。
 捜査本部とは切り離した小田原署内の部屋にて竜崎が梅林に対応していくことになる。勿論、進行中の捜査情報は一切梅林には語れないという制約、大前提で、竜崎が梅林に応対するというサブ・ストーリーが捜査プロセスのストーリーとパラレルに進行していく。通常の捜査にはありえないこのサブ・ストーリーの進展がおもしろい。そこには小説家の世界を内側から眺めた話も登場するので、読書好きには興味が持てるだろう。竜崎がどのように梅林に対応するかが読ませどころとなる。

 誘拐事件捜査という本筋のストーリーと並行していくつかの傍流が組み込まれていくところが、本書の構成として興味深い。3つの流れが上記2つの流れに併存していく。読者にとっては、それらの傍流が本流にどのように絡むのかが楽しみになる。
1. 竜崎の息子の邦彦が、ポーランド留学から帰国してくることになった。竜崎が結果的に、小田原署に赴いた日である。帰国した邦彦は留学経験を踏まえて、東大を退学すると母親に考えを告げたのだ。竜崎は妻から、邦彦の東大退学の意思についての対応と対話の下駄を預けられる。さて、竜崎どうする? が始まる。

2. 八島圭介が新任の警務部長として異動してきた。八島は竜崎の同期である。竜崎は相手にしていないのだが、八島は竜崎をライバル視している。本部長と竜崎の関係を常に注視しているのだ。北上誘拐事件についても、いち早くそれを知ると、竜崎に絡んでくるようになる。いわば竜崎の失点ねらいというところでの関心である。要所要所で竜崎は対応を迫られる立場になる。こういう類いの人物はどこの世界にも居るのではないかと思う。こういう傍流の組み込みは、俗っぽさをリアルに反映させてストーリーに面白さを加える要素となる。
 一例だが、八島警務部長は、竜崎と連絡がとれないと、捜査本部の板橋課長に「くれぐれもヘタを打つな」と連絡をいれたのだ。勿論、竜崎は板橋に「警務部長が言ったことなど、気にしなくていい。俺が電話しておく」と即座に応え、対処したのだが。

3. 阿久津参事官が竜崎に警電で、東京の杉並区久我山で発生した殺人事件の概要を報告してくる。竜崎の同期である伊丹刑事部長が扱う事件である。
 竜崎が梅林との面談を繰り返し、対話を重ねていると、東京でのこの殺人事件の被害者の名前に聞き覚えがあると梅林が、全く関係がない話なのだがとふと漏らした。
 竜崎は伊丹に連絡を入れてみる。伊丹は梅林に直接話を聞けないかと言い出す。伊丹は梅林のファンの一人だった。梅林のふと漏らしたことがどう展開するのか。興味津々とならざるを得ない。

 SISのメンバーは北上輝記宅に詰めているが、誘拐犯からは一向に要求事項の連絡が入らない。誘拐については箝口令を敷いた状態で、報道媒体には情報が流れてはいない。SISは誘拐犯の考えがつかめない。そんな最中に、SNSに北上が誘拐に遭ったという書き込みが発生し、拡散された。ここから動きが出始める。
 犯人から被害者宅に誘拐を公表しろという電話連絡が入る。普通の誘拐事件とは様相の異なる事態へとさらに一歩踏み出していくことに・・・・・。
 誘拐されて72時間を超えると、被害者の生存率が格段に下がるという経験則がある。
 読者にとってはおもしろい展開となってくる。

 タイトルの「一夜」は、小説家の梅林賢が竜崎の息子邦彦に語る次の一文に出てくる。「人生なんて、一夜もあればすかり変わってしまうこともあるということだ」(p329)に由来する。

 最後に、本作に出てくる竜崎の信条や観察による思考に現れるフレーズをご紹介しておこう。竜崎のキャラクターをイメージしやすくなるのに役立つだろう。
*捜査情報を漏らしたら、俺はクビになる。  p12
*キャリア同士は親しくなる必要などないのだ。どうせ、みんな二年ほどで異動になるのだ。  p13
*東大には再興の教授陣と研究機関がある。教育機関としてこれ以上の環境はない。
 豊かな文脈もある。  p49
*大学は職業専門学校じゃないんだ。  p82
*本部長が心配したからといって、捜査が進むわけじゃない。  p89
*約束すると、嘘をつくことになりかねません。  p112
*事件に派手も地味もない。  p127
*追い詰められたら、人間はリスクのことなど忘れて犯罪に走ることがあります。p130
*捜査情報を守ろうとするあまり、亀のように甲羅の中に閉じ籠もってはいけない。p131
*「理屈が通っている」などとわざわざ考えるときはたいてい理屈が通っていないのだ。p152
*強くなければ謙虚にはなれない。  p159
*間違ってはいけないのはネットやSNSが悪いわけじゃない。悪いのはそれを利用する犯罪者だ。 p189
*そもそも俺は、自分が警察官であることを前提で物事を考えている。だから、他の職業のことなど、考えたこともない。  p244
*自分の人生に、そういうものは必要だろうか。
 そして、必要ではないという結論に至った。
 読みたければ読めばいいし、観たければ観ればいい。それだけのことだ。  p335

 ご一読ありがとうございます。

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