史跡探訪の一環で寺社を訪れるようになった頃、参道の狛犬にバリエーションがかなりあることに気づいた。それがきっかけで、狛犬像の写真を撮るようになった。
かなり以前に、小寺慶昭著『京都狛犬巡り』(ナカニシヤ出版)を読んだ。『狛犬学事始』の書名はある時に知ったが未読のままだった。後はインターネット情報からの知識。そこから先に踏み込むことはなかった。
先日、U1さんのブログで本書についての感想記事を読み、本書への関心が湧いた。
理由は単純。本書が宇治市の狛犬を中核にして狛犬を論じているということを読んだから。私は、京都市生まれだが、宇治市に引っ越してこちらに住む期間の方がはるかに長くなった。宇治市が今の地元、たぶん終の棲家になるだろう。宇治市の狛犬をどのように取り上げているのだろうかという関心が高まった次第。
地元図書館の蔵書にあったので、図書館本を読んでみた。「はじめに」を読み、図書館の蔵書になる必然性がわかった。本書は「第一部 狛犬学事始」「第二部 狛犬一族の歴史」という二部構成になっている。著者は、当初『狛犬学事始ーーー宇治市・南山城編ーーー』をまとめた。これが平成4年(1992)度に宇治市「紫式部市民文化賞」を受賞したそうだ。受賞後に著者は、その後に調査等でわかったことを第二部としてまとめたと記す。
本書は、1994年1月に、単行本として刊行された。
うかつにも、これをまとめ始めて気づいた! 本書の著者略歴を読むと,<ねづてつや>はペンネームで、その後に、<本名・小坂慶昭>と明記されている!
略歴には『京都狛犬巡り』が明記されていないので、これは本書刊行後に出版された本だったのだ。
タイトルに「狛犬学」とある通り、著者は狛犬を研究対象として本書を書いている。
だが、その研究のスタンスは明確に限定されている。
「神社等の参道をはさみ、その両側に設置された一対の狛犬」の範囲で研究すると。
著者は<狛犬学>を始めるにあたり、立ち位置を明確にしている。<研究>という観点で、なるほどと思う。まず上記の通り、対象範囲を一旦確定した上でいくつかの点を論じていく。思考プロセスを文章にされているので、著者自身が記すように「随筆的かつ冗漫的」(p10)なスタイルが所々にみられる。それは、まどろっこしい面もあるけれど、「事始」の一歩として、私のような素人読者には、研究の始まりの雰囲気も楽しめ、おもしろさにつながっている。
最初に著者が対象・目的として論じている考え方の要は次の諸点と受け止めた。
*「神社の参道」にあり、参道を「はさみ、両側に設置」されていて「一対」ということが条件となる。なので、単独で置かれた狛犬は対象外。参道と関わらないところの設置も対象外。
*狛犬はご神体を両脇から守るという役割を持つ脇侍的存在。だから一対は不可欠条件。
*参道の狛犬は、民衆の信仰に裏打ちされ、「民衆の願い」を感じさせる対象という点を著者は重視する。
つまり、狛犬が、宮中御座所の御帳の重し・魔除けとして活用されたこと。「神社の神殿内にある木の狛犬」として存在していたことは認識しながら、対象外とする。勿論、手軽に観察や測定できる対象ではないことにもよるが「民衆の願い」とは隔絶するからとする。
*神社に「神使」として設置される動物にはいろいろあるが「狛犬」以外は対象外。
「神使」の問題の複雑性、民間民話レベルまでの掘り下る必要性等を回避するため。
その上で、著者は独自に狛犬分類法を編みだしていく。
本書刊行時点で、「宇治市に現存する狛犬は22対」(p30)、神社の所在地を数えると、18社(p31)となる。
研究結果である「南山城地方の狛犬の分布表」(p42)によれば、宇治市を含め、南山城地方には、平成3年(1991)5月1日現在、150対の狛犬が125社寺に設置されているという。
狛犬の設置年代、狛犬の大きさ、狛犬の姿形など、様々な視点から分析され、詳細に論じられている。素人眼からは、おもしろい面とちょっとうんざりの面、両面があるが、研究となるとそういうものだろう。好事家の知的遊び、趣味と蘊蓄の側面があるのだから。踏み込んで基礎的な知識を蓄えないと、おもしろみを感じにくい側面があるから。
狛犬好きにとっては、南山城という限定された地域のことながら、一歩踏み込みおもしろみを感じる事始書になることだろう。学ぶこと多しである。
地元の宇治市の神社が第一の対象になっているのだが、私は、一覧表を見て未だ半数弱しか探訪していないことがわかった。この一覧表の残りの神社と狛犬の探訪が、遅ればせながらこの春以降の課題にもなった。運動を兼ねて順次巡って現地現物確認をしてみたい。
本書の研究対象地域は限定されているが、その研究の比較対象事例として、京都市はじめ全国各地の狛犬その他の事例写真が掲載されている。この比較分析も狛犬について広く知る上で役に立つ。
勿論、著者は狛犬そのものの概念についても、先行書を参照しつつ所見を論じている。私の理解した要点を覚書を兼ねて列挙しておこう。論議の詳細は第一部の後半をお読みいただきたい。 (p97~)
*広義では一対を総称して「狛犬」。狭義では「狛犬」と「獅子」がある。
*口の開け方には「阿形」と「吽形」がある。
狛犬の姿は「狛犬阿形」「狛犬吽形」「獅子阿形」「獅子吽形」の4種類。
*研究の原点として、「角のあるのが狛犬・角のないのが獅子」とわりきる。
*狛犬は、「オリエント・インドのライオン像」を原型として、「中国や朝鮮を経て日本に来て狛犬・獅子になった」という点はほぼ識者共通の認識である。
→なぜ伝わる過程で「狛犬」(高麗犬)と「獅子」(唐獅子)に分裂したのか。
本当に分裂しているのか。単に経路の違いだけではないか。これが課題として残る。
この概念整理の上で、著者は宇治市の実例を整理分析し、「昭和に入り、特に戦後では『獅子・狛犬』の姿がはやらず、『獅子・獅子』になっていこうとしているようだ」とその傾向を読み取っている。(p104)
統計的なデータとして整理し分析しているからこそ言えることなのだと思う。
著者は、昭和30年代以降、狛犬の姿が画一化し、没個性的となり、類型的になってきていると指摘する。そういう視点で新しく奉納された狛犬を見比べてみるのも一興かなと思う。これも楽しみ。著者がこれらの狛犬を「こまやん」と呼んでいるのもおもしろい。
第一部の最後に、印象的な1項:狛犬は雑食性か肉食性か? をご紹介しておこう。
著者は狛犬の歯に言及する。阿形の狛犬の歯は見える。石の彫刻家がおろそかに歯を彫るはずがない。そこには意図が込められているとみる。歯の形状には、門歯・犬歯・臼歯がある。門歯と臼歯に形態上の違いはない。そこで、狛犬の上の歯の形状を犬歯(肉食性)、臼歯(雑食性)と捉えて、その数を観察記録しているのだ。こんなことを意識して狛犬を眺めたことがなかった・・・・・。
著者は記す。「もともと狛犬は雑食性であった。ところが、明治28年、急に肉食性の狛犬が発生し、中心種となる。ところが戦争とともに絶滅し、戦後は再び雑食性の狛犬の世の中になった。少なくとも宇治市内ではそう言えそうであるが、果たして南山城地方全体ではどうだろうか」(p127) 全国的にみたらどうなのだろう・・・・ふと思う。
第二部は、第一部の未解決課題等について、その後の調査・研究の進展結果を物語風にまとめている。第一部よりはるかに読みやすい。次の諸点が語られている。
*狛犬が参道に出たのはいつか
*獅子・狛犬の形式の起源はいつ、どこに。
*日本に現存する最古の狛犬は?
*北京・紫禁城(故宮)の狛犬
*沖縄のシーサーとは何ものか。
*さらにルーツを探す旅に出かければ・・・・。
という視点で、話がまとめられていく。楽しく読める。
ご一読ありがとうございます。
補遺 私が見つけた狛犬関連ネット情報源
狛犬 :ウィキペディア
狛犬について :「神社本庁」
狛犬(こまいぬ) 資料調査室 伊東 199.2.11 :「京都国立博物館」
狛犬 :「京都御所」
奈良の狛犬と丹波佐吉 :「いかす・なら 奈良県歴史文化資源データベース」
狛犬ネット ホームページ by たくみ よしみつ
狛犬史における重要な狛犬たち
狛犬の精神史(1)
まあ、そのう。。。。こまけん 日本参道狛健犬研究会 綾瀬稲荷神社の私設HP
最新版中国の狛犬 町田茂
全国参道狛犬図鑑 ホームページ
京都府狛犬図鑑.pdf
長野県狛犬図鑑.pdf
東京狛犬倶楽部 ホームページ
狛犬について :「神社人」
神社にいる「狛犬」の役割は? 長い歴史や人々の暮らしとの関わり:「animal lab アニラボ」
獅子と狛犬の違いは口にあり? 古代オリエントから辿る狛犬5000年の歴史:「和楽web」
実は犬じゃなかった! 神社の狛犬にまつわる「3つの謎」 :「サライ.jp」
神社の狛犬 地域散歩 :「広島市文化財団」
神社の入口を守る「狛犬」のルーツと霊力 :「京都の摩訶異探訪」(Leaf KYOTO)
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)
かなり以前に、小寺慶昭著『京都狛犬巡り』(ナカニシヤ出版)を読んだ。『狛犬学事始』の書名はある時に知ったが未読のままだった。後はインターネット情報からの知識。そこから先に踏み込むことはなかった。
先日、U1さんのブログで本書についての感想記事を読み、本書への関心が湧いた。
理由は単純。本書が宇治市の狛犬を中核にして狛犬を論じているということを読んだから。私は、京都市生まれだが、宇治市に引っ越してこちらに住む期間の方がはるかに長くなった。宇治市が今の地元、たぶん終の棲家になるだろう。宇治市の狛犬をどのように取り上げているのだろうかという関心が高まった次第。
地元図書館の蔵書にあったので、図書館本を読んでみた。「はじめに」を読み、図書館の蔵書になる必然性がわかった。本書は「第一部 狛犬学事始」「第二部 狛犬一族の歴史」という二部構成になっている。著者は、当初『狛犬学事始ーーー宇治市・南山城編ーーー』をまとめた。これが平成4年(1992)度に宇治市「紫式部市民文化賞」を受賞したそうだ。受賞後に著者は、その後に調査等でわかったことを第二部としてまとめたと記す。
本書は、1994年1月に、単行本として刊行された。
うかつにも、これをまとめ始めて気づいた! 本書の著者略歴を読むと,<ねづてつや>はペンネームで、その後に、<本名・小坂慶昭>と明記されている!
略歴には『京都狛犬巡り』が明記されていないので、これは本書刊行後に出版された本だったのだ。
タイトルに「狛犬学」とある通り、著者は狛犬を研究対象として本書を書いている。
だが、その研究のスタンスは明確に限定されている。
「神社等の参道をはさみ、その両側に設置された一対の狛犬」の範囲で研究すると。
著者は<狛犬学>を始めるにあたり、立ち位置を明確にしている。<研究>という観点で、なるほどと思う。まず上記の通り、対象範囲を一旦確定した上でいくつかの点を論じていく。思考プロセスを文章にされているので、著者自身が記すように「随筆的かつ冗漫的」(p10)なスタイルが所々にみられる。それは、まどろっこしい面もあるけれど、「事始」の一歩として、私のような素人読者には、研究の始まりの雰囲気も楽しめ、おもしろさにつながっている。
最初に著者が対象・目的として論じている考え方の要は次の諸点と受け止めた。
*「神社の参道」にあり、参道を「はさみ、両側に設置」されていて「一対」ということが条件となる。なので、単独で置かれた狛犬は対象外。参道と関わらないところの設置も対象外。
*狛犬はご神体を両脇から守るという役割を持つ脇侍的存在。だから一対は不可欠条件。
*参道の狛犬は、民衆の信仰に裏打ちされ、「民衆の願い」を感じさせる対象という点を著者は重視する。
つまり、狛犬が、宮中御座所の御帳の重し・魔除けとして活用されたこと。「神社の神殿内にある木の狛犬」として存在していたことは認識しながら、対象外とする。勿論、手軽に観察や測定できる対象ではないことにもよるが「民衆の願い」とは隔絶するからとする。
*神社に「神使」として設置される動物にはいろいろあるが「狛犬」以外は対象外。
「神使」の問題の複雑性、民間民話レベルまでの掘り下る必要性等を回避するため。
その上で、著者は独自に狛犬分類法を編みだしていく。
本書刊行時点で、「宇治市に現存する狛犬は22対」(p30)、神社の所在地を数えると、18社(p31)となる。
研究結果である「南山城地方の狛犬の分布表」(p42)によれば、宇治市を含め、南山城地方には、平成3年(1991)5月1日現在、150対の狛犬が125社寺に設置されているという。
狛犬の設置年代、狛犬の大きさ、狛犬の姿形など、様々な視点から分析され、詳細に論じられている。素人眼からは、おもしろい面とちょっとうんざりの面、両面があるが、研究となるとそういうものだろう。好事家の知的遊び、趣味と蘊蓄の側面があるのだから。踏み込んで基礎的な知識を蓄えないと、おもしろみを感じにくい側面があるから。
狛犬好きにとっては、南山城という限定された地域のことながら、一歩踏み込みおもしろみを感じる事始書になることだろう。学ぶこと多しである。
地元の宇治市の神社が第一の対象になっているのだが、私は、一覧表を見て未だ半数弱しか探訪していないことがわかった。この一覧表の残りの神社と狛犬の探訪が、遅ればせながらこの春以降の課題にもなった。運動を兼ねて順次巡って現地現物確認をしてみたい。
本書の研究対象地域は限定されているが、その研究の比較対象事例として、京都市はじめ全国各地の狛犬その他の事例写真が掲載されている。この比較分析も狛犬について広く知る上で役に立つ。
勿論、著者は狛犬そのものの概念についても、先行書を参照しつつ所見を論じている。私の理解した要点を覚書を兼ねて列挙しておこう。論議の詳細は第一部の後半をお読みいただきたい。 (p97~)
*広義では一対を総称して「狛犬」。狭義では「狛犬」と「獅子」がある。
*口の開け方には「阿形」と「吽形」がある。
狛犬の姿は「狛犬阿形」「狛犬吽形」「獅子阿形」「獅子吽形」の4種類。
*研究の原点として、「角のあるのが狛犬・角のないのが獅子」とわりきる。
*狛犬は、「オリエント・インドのライオン像」を原型として、「中国や朝鮮を経て日本に来て狛犬・獅子になった」という点はほぼ識者共通の認識である。
→なぜ伝わる過程で「狛犬」(高麗犬)と「獅子」(唐獅子)に分裂したのか。
本当に分裂しているのか。単に経路の違いだけではないか。これが課題として残る。
この概念整理の上で、著者は宇治市の実例を整理分析し、「昭和に入り、特に戦後では『獅子・狛犬』の姿がはやらず、『獅子・獅子』になっていこうとしているようだ」とその傾向を読み取っている。(p104)
統計的なデータとして整理し分析しているからこそ言えることなのだと思う。
著者は、昭和30年代以降、狛犬の姿が画一化し、没個性的となり、類型的になってきていると指摘する。そういう視点で新しく奉納された狛犬を見比べてみるのも一興かなと思う。これも楽しみ。著者がこれらの狛犬を「こまやん」と呼んでいるのもおもしろい。
第一部の最後に、印象的な1項:狛犬は雑食性か肉食性か? をご紹介しておこう。
著者は狛犬の歯に言及する。阿形の狛犬の歯は見える。石の彫刻家がおろそかに歯を彫るはずがない。そこには意図が込められているとみる。歯の形状には、門歯・犬歯・臼歯がある。門歯と臼歯に形態上の違いはない。そこで、狛犬の上の歯の形状を犬歯(肉食性)、臼歯(雑食性)と捉えて、その数を観察記録しているのだ。こんなことを意識して狛犬を眺めたことがなかった・・・・・。
著者は記す。「もともと狛犬は雑食性であった。ところが、明治28年、急に肉食性の狛犬が発生し、中心種となる。ところが戦争とともに絶滅し、戦後は再び雑食性の狛犬の世の中になった。少なくとも宇治市内ではそう言えそうであるが、果たして南山城地方全体ではどうだろうか」(p127) 全国的にみたらどうなのだろう・・・・ふと思う。
第二部は、第一部の未解決課題等について、その後の調査・研究の進展結果を物語風にまとめている。第一部よりはるかに読みやすい。次の諸点が語られている。
*狛犬が参道に出たのはいつか
*獅子・狛犬の形式の起源はいつ、どこに。
*日本に現存する最古の狛犬は?
*北京・紫禁城(故宮)の狛犬
*沖縄のシーサーとは何ものか。
*さらにルーツを探す旅に出かければ・・・・。
という視点で、話がまとめられていく。楽しく読める。
ご一読ありがとうございます。
補遺 私が見つけた狛犬関連ネット情報源
狛犬 :ウィキペディア
狛犬について :「神社本庁」
狛犬(こまいぬ) 資料調査室 伊東 199.2.11 :「京都国立博物館」
狛犬 :「京都御所」
奈良の狛犬と丹波佐吉 :「いかす・なら 奈良県歴史文化資源データベース」
狛犬ネット ホームページ by たくみ よしみつ
狛犬史における重要な狛犬たち
狛犬の精神史(1)
まあ、そのう。。。。こまけん 日本参道狛健犬研究会 綾瀬稲荷神社の私設HP
最新版中国の狛犬 町田茂
全国参道狛犬図鑑 ホームページ
京都府狛犬図鑑.pdf
長野県狛犬図鑑.pdf
東京狛犬倶楽部 ホームページ
狛犬について :「神社人」
神社にいる「狛犬」の役割は? 長い歴史や人々の暮らしとの関わり:「animal lab アニラボ」
獅子と狛犬の違いは口にあり? 古代オリエントから辿る狛犬5000年の歴史:「和楽web」
実は犬じゃなかった! 神社の狛犬にまつわる「3つの謎」 :「サライ.jp」
神社の狛犬 地域散歩 :「広島市文化財団」
神社の入口を守る「狛犬」のルーツと霊力 :「京都の摩訶異探訪」(Leaf KYOTO)
ネットに情報を掲載された皆様に感謝!
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その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)