遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

「剛心」 木内 章  集英社 

2023-05-02 18:14:03 | 建物・建築
 本書をU1さんのブログ「透明タペストリー」で知った。本書の主人公は妻木頼黄(つまきよりなか)。辰野金吾、片山東熊とともに明治期の建築界において三大巨匠の一人だったという。片山東熊は京都国立博物館正門や現在の名称で明治古都館、また奈良国立博物館の現在の名称でなら仏像館を設計した建築家、辰野金吾は現在京都文化博物館別館となっている建物(旧日本銀行京都支店)を設計した建築家として知っていた。それぞれの博物館に出かけるので建物に親しみがある。しかし、京都・奈良・大阪のエリアに現存する建築物と妻木頼黄という建築家について見聞したことがなかった。そこで、関心を抱き本書を読んだ。
 「小説すばる」(2019年11月号~2022年2月号)に連載された後に、加筆・修正を加えて、2021年11月に単行本が刊行された。

 ブログ記事で本の表紙を見、著者名を読んでいても当初気づかなかった。本書を手にして奥書を読み、古い記憶・・・・著者の『櫛挽道守』(集英社)を2015年1月に読んでいたこと・・・・を思い出した。私にとって著者本は2冊目となる。

 妻木は、明治政府の工部省が創設した工部大学校をあと1年という時期に中退し、二度目の渡米を行った。コーネル大学で建築を学び学士号を取得後、アメリカにてしばらく建築家として働いた。井上馨の推進する官庁集中計画のために明治19年2月に内閣直属の「臨時建築局」が発足した。妻木は帰国後、技師長松崎万長(まつがさきつねなが)の推薦を得て、この臨時建築局に入る。そして、他の技師や職人たちとともにドイツに派遣され、エンデ・ベックマン事務所でドイツ流の設計を学ぶ。帰国後、政治的情勢の変化による組織改編により、妻木は内務省さらには大蔵省へと移るが、終始営繕官僚の道を歩む。最後は大蔵省での営繕の総元締めの立場で、己の建築に対する思いを実現する方向へと邁進していく。本書は建築家であり営繕官僚である妻木が歩んだ軌跡をフィクションとして鮮やかに描いていく。
 妻木が己の目標として掲げていたのはわが国の本議院建設である。最終的な建築図面を仕上げて予算案の作成までに至る。だが、時代情勢の中で建設計画は頓挫する。妻木は大正5年10月に逝去。現在の国会議事堂の建設は大正9年に始まり、昭和11年11月に完成した。妻木が思い描く本議院建設を目指す経緯及び現在の国会議事堂建設の背景の経緯が、ストーリーの最後の山場となっていく。

 本書は、建築家妻木の業績と生き様について、いくつかのステージに光を当てて描いている。キーフレーズで繋いでいくとすれば、私は次のように受けとめる。
 第一章 営繕官僚の道への経緯。派遣地ドイツでの活動。大審院の建設。
 第二章 広島臨時仮議院の建設(期間は半月)。
 第三章 日本勧業銀行本店の建設。
 第四章 議院本建築へ向かっての活動経緯
 終 章 妻木逝去後の本議院建設の背景・経緯
勿論ストーリーの山場となる過程に、妻木の人生、建築家として活動、家庭のことなどさまざまな側面が織り込まれて行く。
 広島臨時仮議院を超短期間で建設するプロセスに読者として引きこまれて行くことは間違いないと思う。ここが一つの大きな山場となる。感動ものである。もう一つの大きい山場はやはり、妻木が己の目標と見定めていた議院本建築実現のための活動の経緯である。だが、妻木の目標は、あと一歩というところで、時代の情勢と政治の壁に阻まれる。結果的に本議院、つまり現在の国会議事堂の建設は、妻木がそれぞれの能力を見極め配下に集めた建築家たちによって引き継がれることになる。

 営繕官僚の道を歩んだ建築家妻木のプロフィールを描き込む箇所を引用しご紹介しておこう。本書を読んでみたくなる事と思う。
*この男には、師とする人物はいないのだろう。折々の出会いによって、なにかのきっかけを摑み、影響を受け、学んできたことは感じ取れる。しかし、目指す人物も、憧れる人物も、私淑する人物も、おそらく彼にはいない。建築のけの字も知らぬうちから、その本質を見極め、自分なりのやり方で一歩一歩高みに登っている。誰にも師事せず、徒党も組まず---彼にとって自作への外野の声なぞ痛くも痒くもないのだろう。反面、自分が納得できるものが出来上がるまで、ひとり自問し、存分に苦しみもがいてきたのだろう。 p292-293 
*妻木には、我というものが極めて薄い。設計において、自己顕示というものが一切介在しないように思える。その構えがいかに、これから造られる東京という市区にとって重要かを、多くの建築家と接する中で原口は意識せざるを得ないのだった。  p265
*君に予算を出してほしいんだ。材料も細かに書き出したから無駄なく発注できるはずだ。なにせ三万円以内に仕上げなければならんから、余材がなるべく出んようにせんとな。   p140 ⇒広島臨時仮議院建設時、妻木が現地で設計図を仕上げた後の指示発言
*役職に就くと局内での仕事がどうしても多くなるだろう。それが憂鬱の種子だ。僕は、現場での仕事をなるたけ続けていきたいんだが。  p207
*ーーーーいくら近くにいても、人というのは、いなくなるときは一瞬なんだ。
 一緒になったばかりの頃、妻木はそうつぶやいていた。夫は幼い頃に父親を、二十歳を待たずに母と姉を亡くしている。天涯孤独で生きてきた夫の内には、人はある日突然、無情に去っていくものだ、という観念が植え付けられているのかもしれない。 p106-107
 
 冒頭に本書の表紙を紹介している。これは第四章にエピソード風に織り込まれる日本橋の建設に関連する。妻木は事案として日本橋の装飾彫刻の部分を担当した。妻木自身が装飾の麒麟を粘土細工で製作し、それをたたき台にして芸術家に依頼したという経緯が描き込まれていく。妻木の意志と、他の建築家には江戸趣味に見える都市建築へのこだわりの意識が反映されている。この彫刻装飾には、彫刻家渡辺長男と鋳金家岡崎雪聲が関わったこと、日本橋銘は徳川慶喜によるということを私は本書で初めて知った。

 政権交代により、西園寺公望が首相になった時、妻木が首相の西園寺に面談する機会を得る。そこで本議院建築について述べる場面が描かれ、次の発言が織り込まれている。
「軀体については幾度も模型を作り、計算の上、重心のしっかり据わったものに致します。建造物には、その重さの中心点を表す重心ともうひとつ、強度を表す重要な中心点がございます。英語では center of rigidity と言われておりまして、強心、いや、剛心とでもいえばよろしいでしょうか。これは、重さの中心である重心に対して、強さの中心を指し示す言葉です。この剛心がしかと定まってこそ、その双方が歪みなく存在してこそ、強く美しく安定した建物になる。この議院は、それを叶えたものにすべきです」 p406
 
 本書のタイトル「剛心」は直接的にはここに由来するのだろう。さらにこの「剛心」という言葉に、建築家妻木頼黄の建築に対する揺らぎのない理念と意識、妻木の心が重ねられていると感じた。
 
 本書を読了し、もし妻木頼黄がタイムスリップして、現在の東京を眺めたらどのような感慨をもつだろうか・・・・。ふっと、そんなことも思った。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
妻木頼黄         :ウィキペディア
ジョサイア・コンドル   :ウィキペディア
ヘルマン・エンデ     :ウィキペディア
ヴィルヘルム・ベックマン :ウィキペディア
辰野金吾 :ウィキペディア
片山東熊 :ウィキペディア
第16回 日本近代建築の夜明け  :「本の万華鏡」
世界遺産と建築09 ロマネスク建築  :「ART+LOGIC=TRAVEL[旅を考える]」
   交差ブォールトの図と事例を含む。
組積造 建築用語集  :「東建コーポレーション株式会社」
建築史料の展示 ~建築の近代化~  :「法務省」
  赤れんが棟と碇聯鉄構法について記載あり
石塀 :「旧閑谷学校」
「帝国議会議事堂」の変遷  :「三井住友トラスト不動産」
仮議事堂の変遷  :「写真の中の明治・大正」
広島臨時仮議事堂 :ウィキペディア
大審院      :ウィキペディア
日比谷・有楽町 経済と行政の中心地  :「三井住友トラスト不動産」
東京府庁時計台  :「TIMEKEEPER」
千葉トヨペット本社(旧勧業銀行本店) :「文化遺産オンライン」
横浜赤レンガ倉庫の歴史  :「横浜赤レンガ倉庫」
日本橋      :ウィキペディア
小林金平 日本研究のための歴史情報 『人事興信録』データベース:「名古屋大学」
武田五一     :ウィキペディア
矢橋賢吉     :ウィキペディア
大熊喜邦     :「コトバンク」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


拙「遊心逍遙記」で読後印象記をまとめたものも、ご一読いただけるとうれしいです。
『櫛挽道守』 木内 昇  集英社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『城郭考古学の冒険』  千田嘉博  幻冬舎新書

2023-02-13 10:52:17 | 建物・建築
 この本は、U1さんのブログ「透明タペストリー」の記事で知った。著者については、朝日新聞の連載「千田先生のお城探訪」を愛読していて、時折テレビのお城番組で見ているけれど、著書についてはほとんど知らなかった。本書は2021年1月に刊行されている。

 改めて新聞の連載を確認してみると、「千田嘉博・城郭考古学者」と文末に記載がある。連載記事の本文を読んでも、この末尾の一行をほとんど意識していなかったのだろう。
 一時期、滋賀県下にある様々な城・城跡を史跡探訪したことがある。その時には城の縄張りと位置関係、城の戦略的な立地、重要性などに関心が向いていた。また、その時の入手資料も縄張り図や城の構造、立地条件と城主等の背景の説明が主体だったように思う。城、あるいは判りづらくなっている山城跡を訪れた経験から、本書のタイトルにある「城郭考古学」という言葉に、遅ればせながら惹きつけられた次第。

 著者は「第一章 城へのいざない」において、まず「城郭考古学」という新しい研究視角をわかりやすく説明している。姫路城、彦根城、熊本城など各地に現存する近世城郭がある。しかし、殆どの近世城郭建築は失われ、中世城郭の建築は一棟も現存しない。「考古学」という言葉からは、文献史料の存在しない古墳時代以前の発掘調査研究をまず連想してしまう。城跡の発掘調査で城郭建築遺構が次々に発見され、城郭建築の手がかりが累積されているという。著者はこれらを「物質資料」と位置づける。しかし、部分的な発掘による考古学的調査だけでは、城を物質資料として把握するのに十分ではないと言う。一方、城郭については、絵図や文書などの史料が現存する部分もある。「従来の考古学、歴史地理学、建築史、史跡整備などの文理にまたがる多様な学問」(p25)、それぞれの個別研究領域の手法と成果を援用し、「城を中心において総合して学融合分野として研究していく新しい研究視角が、城郭考古学である」(p25)と説く。
 「城の立地や全体像については、測量調査はもちろん、歴史地理学が研究方法として深めてきた絵図の読み取りや地籍図(略)を駆使してとらえ、城の堀や土塁・石垣の配置については地表面観察によって理解し、曲輪内の空間構成や個々の建物、使用した武器や生活用品については発掘調査でつかむという、重層的な研究方法の総体が城郭考古学なのである」(p24)とも説明している。
 そして、歴史を考えるには「とりわけ考古学の資料操作方法や資料批判方法は、城跡を史料/資料化して歴史研究を行うのに必須の知識である。この点が十分理解されていないことも多いのではないか」(p27)と論じる。学融合的な領域での研究分野として、城郭考古学というネーミングはこの認識があるからなのだろう。

 城の総体をとらえていくと、「地域の歴史と文化を物語る」ことになっていくと説く。本書では城の実例を挙げて、城が地域の歴史と文化の中枢になっていく様相を解説している。城の縄張りや構造の理解及び城の軍事的特徴と戦略的な立地などは、城の一側面と位置づける。著者は城の外形や構造次元だけで城を論じることに対して批判的な立場をとる。著者は城の総体を捉えていくことで、城が地域の歴史・文化と一体になってきた様相を把握し深化させる必要性を強調していると受けとめた。城の機能である軍事的側面の研究は、著者によれば基礎研究であり、「それを学融合的に検討した諸分野の研究と合わせて、社会や政治を分析するその先の研究展開ができると思う」(p30)と述べる。そこに城郭考古学の意味があるとする。

 第一章の後半では、城の歴史と変遷について、「原始・古代の城館、中世前期の城館、室町・戦国期の城館、近世の城」という4期に区分で解説していく。
 その上で、分立的・並立的だった戦国期拠点城郭から近世城郭体制への転換が日本の社会や政治のあり方を根源的に変えて行ったと言う。「階層的・求心的な城郭構造の成立」(p40)とそれが一斉に全国の大名に共有されて行った事実に着目する。
 近世城郭体制は、信長・秀吉・家康に引き継がれた城の理念、有り様である。「織豊系城郭」という用語は見聞していた。だが、この学術用語としての概念が、1986年に著者により提唱されたものだということを、本書で初めて知った。
 著者は、城郭考古学の目的と役割を明示している。(p46)
「戦いに関わる要素を含め、城を史料/資料として、歴史と政治、社会を明らかにする」
「今に残る城を保存し具体的に整備・活用して、より文化的で豊かな未来社会を生み出す」
以下の章はこの主張点の展開と言える。

 「第二章 城の探検から歴史を読む」では、戦いという機能から城を論じて行く。この点では、一般的な城好きの着目箇所がまず解説される事になる。ただし、著者は「防御施設本来の機能の把握」を重視せよと説く。城の鑑賞術として、櫓、門、石垣、堀について解説をしていく。例えば姫路城の美しさは戦いを前提にした機能美にあると論じている。

 「第三章 城から考える天下統一の時代」では、「階層的・求心的な城郭構造の成立」が具体的に例証されていく。著者の主張が明確に論じられ読み応えのある章である。
 信長は天下布武へのプロセスで次々に城を移って行った。小牧山城-岐阜城-安土城への変遷の中で、軍事性を基盤にした城郭に、信長自身を頂点とした階層性と求心性を貫徹させ敷衍していく状況を明らかにしていく。それは、城内における信長と家臣の屋敷との隔絶性が深まっていくプロセスだったという。秀吉、家康はそのコンセプトを継承・強化して行った。その城郭体制が、全国の大名に共有されて行ったという。なるほど・・・と思う。
 近世城郭体制とそこに組み込まれる城下町が近世の社会のあり方を規定していく。
 著者は、政治拠点の城と軍事拠点の城の両者を合わせて分析すべきと論じている。p69
 3人の天下人が16世紀後半から17世紀初頭のわずか60年間の活動で、現在の城のイメージを定めてしまったのだ。 p71
 具体的な例証として、「城から見た○○」という形で、織田信長・明智光秀・松永久秀・豊臣秀吉・徳川家康、それぞれを論じて行く。わかりやすい解説になっている。
 政治拠点の城という視点でみれば、天主/天守、石垣、瓦・金箔瓦などは、階層性と求心性を意図した表象なのだと著者は説明している。
 勿論、城の構造的な側面についても解説している。例えば石垣について、熊本城の実例を引き、算木積みと重ね積みについても説明し、従来の解釈の間違いを指摘している。p148-152

 「第四章 比較城郭考古学でひもとく日本と世界の城」では、日本の城と世界の城とを比較し、世界的な視野で捉えてみるという試みを展開している。日本の近世城郭が持つ特徴に普遍性と特質の両面があることを、世界の城との実証的な比較研究から明らかにしていこうとする。巨視的に捉えると、国や地域を超えた共通性や法則性があり、城から歴史を考えることができるのではないかと著者は言う。私にとっては今まで考えたことのない視点であり、実におもしろい。
 「一般法則を念頭にした研究は、1980年代以降に歴史研究の一分野としてはじまった城郭研究に欠けた視点であった」(p248)と著者は振り返る。世界の城の中での日本の城の相対化を試みようとしている点、城郭研究に広がりと夢があると感じる。
 著者が関わってきた事例を取り上げて論じてられていて、その意図することが具体的にわかる。

 「第五章 考古学の現場から見る城の復元」は最終章である。城の軍事性は、「堀や塁線といった遮断装置と出入口をポイントにした城道設定のバランスによって生み出された。だから城郭の整備・復元では、正しくそれを復元する必要がある」(p269)ことを主張する。その観点から、城跡の整備において疑念の残る整備が行われている事例を挙げている。さらに城の立体復元において、城郭考古学の視角から見て、適正な実例と不適切な実例を挙げ、不適切な事例を批判している。それは現存する城跡の今後の整備について警鐘を発する意図であろう。さらに不適切な整備には改善を示唆しているものと受けとめた。また、著者は未来社会に向けて城跡の復元・整備を行う上で、バリアフリーの導入を前提とすることを世界的視野から提唱している。最後に、城郭考古学の視角から、現状放置されている問題事象を例示して警鐘を発してもいる。
 この最終章では、城跡の整備・復元の現状レベルを知ることにもなる。

 今まで、いくつもの城や城跡探訪をしてきたが、城郭について冒頭に記したように、一側面でしか眺めていなかったことに気づく契機となった。城・城跡を捉え直す為の啓発書と言える。城郭考古学へいざなう入門書として、城好きにはお薦めしたい。

 ご一読ありがとうございます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ものと人間の文化史 100 瓦』 森 郁夫 法政大学出版局 

2023-02-08 18:26:15 | 建物・建築
 昨年の春頃に通読し、そのままになっていた。寺社探訪が趣味の一つなのだが、様々な寺社を訪れてきて、興味をいだいたのが建物の屋根の瓦である。特に鬼瓦・鬼板が好き。そこから鯱、鴟尾を含め各種屋根瓦に興味をいだくようになった。図書館で「ものと人間の文化史」という叢書の中にこの一冊があることを知り、手許で利用したくて購入した本である。瓦好きには、基本書の一冊と言えると思う。
 本書は2001年6月に初版が刊行されている。手許の本は2012年6月の第4刷。「ものと人間の文化史」という百科叢書は、末尾の簡略な各書紹介によるとこの時点で158冊が出版されている。現時点でどれだけ増えているかは未確認。

 本書は、瓦研究の領域の成果を基にした多分研究概説書レベルの本だと思う。一般的教養書より深掘りされている。全体は、「Ⅰ 瓦の効用と歴史」「Ⅱ 古代の瓦」という2部構成になっている。瓦好きにとって、本書の有難いところは、写真と図が沢山掲載されていることである。
 第Ⅰ部は概論的な説明であり、瓦について理解を深める導入部として役立つ。Ⅰ部の「第一章 瓦の効用」では、各種屋根の紹介写真とともに、「屋根瓦の名称」(屋根の写真に詳細な名称付記)、各種瓦の実例写真、軒丸瓦と軒平瓦の詳細な部分名称記載図が掲載されている。「第二章 瓦の歴史」では、中国の瓦・朝鮮三国の瓦・日本の瓦について、写真を豊富に掲載して実例での解説が行われている。「はじめに」に「第二章では、中国大陸・朝鮮半島での瓦の概略と、わが国の古代から近世までの瓦のおおよその流れを述べた」と記されている。
 第Ⅱ部は、「第一章 瓦の生産」「第二章 瓦当文様の創作」「第三章 文字や絵のある瓦」「第四章 技術の伝播」という四章構成である。「平瓦桶巻作りの実験」工程写真、「高井田廃寺の丸・平瓦に見られる各種の叩き圧痕」の各種図、古代の軒瓦の文様の変遷が詳細な図を主体に実物瓦の写真などを載せて、解説されていく。
 ここも、著者の言を引用してご紹介しよう。「第一章では古代の瓦生産はどのようにして行われたかという点を、最近の発掘調査の成果を取り入れながら述べた。第二章では寺院や宮殿の軒先を飾る軒瓦に関するいくつかの問題点、その文様や瓦当范に関わる問題点について述べた。瓦に文字を記すことは古今を通じて行われていることである。古代の瓦に記されている内容は、関係史料の少ない古代の瓦生産を考える上で一等史料とも言えるものである。そこで第三章では文字瓦を通じてのいくつかの事柄を述べた。第四章では瓦を通じての代寺院の造営の背景、また瓦生産そのものの状況を述べた。ここでは複数の寺の間での同范品のあり方を中心として、どのような背景のもとにそのような状況が生まれたかという面を、なるべく多くの資料をもとに述べた」そして、末尾を「いずれにせよ、わが国の瓦は飛鳥時代の初期に生産が開始された。瓦が建物にとって、いかに重要なものであり続けたか、という点をくみ取っていただきたい」と締めくくっている。

 上記に出てくる「瓦当(がとう)」とは、丸瓦の先端部の文様部のこと。この瓦当に飾られた文様構成が、2000年以上に及ぶ瓦の変遷を知る重要な手がかりになっている。日本の古代瓦に多く見られるのは蓮華文様であり、その文様が時代に応じて変化していく。博物館の考古セクションでこの瓦当の発掘品で変遷年代順に展示されているのを見ることができる。現在、丸瓦の瓦当で一般的によく目にするのは三つ巴文様だと思う。
 瓦を大量生産する為に、この瓦当の文様を陰刻したいわばハンコに相当する「瓦当范」が作られていく。日本では当初木製で製作し、陶製瓦当范になっていったそうだ。発掘で出土しているものは陶製のものという。詳しい解説が興味深い。

 中国の西周晩期に、丸瓦に「瓦当」を持つ瓦が作られ、その文様には様々なものがあり、瓦当は変遷を遂げてきた。その写真も掲載されている。その文様の中に、例えば瓦当面を四等分してそれぞれの区画に蕨手文を配置したものもある。そして、こんな説明が加えられている。
「一般に蕨手文と呼んでいるものは、他の吉祥の文字や瑞鳥を飾ったりするものの存在からみて、むしろ瑞雲・雲気をあらわしたものと見るべきであろう」(p82)
 現在、石灯籠やブロンズ製灯籠の笠の部分を見ると「蕨手」が先端部に付いている。祭礼で見る神輿の屋根にも蕨手が付いている。この文様は「蕨手文」と称されるので、どこか通じる側面があるのかもしれない。猶、本書からははずれるが、調べてみると、古墳内部の装飾に蕨手文様を使っているものがあるそうだ。文様ひとつも一歩踏み込めば奥が深そうである。

 私の好きな鬼瓦についていえば、p35に平城宮の鬼瓦三枚と新羅の鬼瓦(雁鴨池出土)が載っていて興味深い。

 瓦について、基本的知識を得るとともに、古代の瓦について、一歩踏み込んで知識を広げる上で、有益な書である。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
秦漢時代の彫刻瓦、先人が軒先に託したロマン  :「AFP BB NEWS」
日本の古瓦 :ウィキペディア
  :ウィキペディア 
瓦当 :「科普中国・科学百科」
令和時代の瓦屋根~最新情報~  :「テイガク」
蕨手文 :「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」
[神社建築]灯籠  :「玄松子」

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


「遊心逍遙記」に載せた次の本もお読みいただけるとうれしいです。
『瓦に生きる 鬼瓦師・小林平一の世界』 小林平一 駒澤琛道[聞き手] 春秋社

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「遊心逍遙記」に掲載した<建物・建築>関連の本の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2023-01-02 11:48:14 | 建物・建築
ブログ「遊心逍遙記」を開設して以降、その時々の関心で手に取り単発的に読んだ本があります。既にまとめた一覧以外の本についての読後印象紀を大凡で整理してみました。
掲題の大凡の分類ですが、関心の方向性はご理解いただけると思います。

お読みいただけるとうれしいです。

『日本建築集中講義』  藤森照信 × 山口 晃   淡交社   
『日本建築集中講義』  藤森照信 山口 晃   中公文庫
   (付記:こちらは2022年に読み始めて途中で再読と気づいた時の再読後印象記。
      最初のは2014年に単行本で読んだ時の読後印象記)

『五重塔入門』 藤森照信・前橋重二  新潮社
『建築から見た日本古代史』  武澤秀一  ちくま新書
『法隆寺の謎を解く』  武澤秀一  ちくま新書
『奈良で学ぶ寺院建築入門』 海野 聡  集英社新書
『京博が新しくなります』  京都国立博物館 編 クバプロ
『ヴォーリズの西洋館 日本近代住宅の先駆』  山形政昭  淡交社
『ヴォーリズ建築の100年 恵みの居場所をつくる』  山形政昭監修 創元社
『瓦に生きる 鬼瓦師・小林平一の世界』  小林平一 駒澤琛道[聞き手] 春秋社
『世界の教会』 写真・ピーピーエス通信社 パイ インターナショナル
『絵本のようにめくる 城と宮殿の物語』  監修 石井美樹子  昭文社
『企画展がなくても楽しめる すごい美術館』  藤田令伊  ベスト新書

以上
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする