遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『千里眼 背徳のシンデレラ 完全版』 上・下 松岡圭祐  角川文庫

2024-04-08 16:24:21 | 松岡圭祐
 クラシックシリーズの第12弾。このシリーズの最終巻となる。2006年5月に文庫本で刊行されたものに加筆・修正が加えられ、2009(平成21)年に完全版と題して改めて文庫が刊行された。この刊行から早くも15年が経っている。上下巻でなんと実質1,201ページという超長編小説。シリーズの最後を飾るに相応しいロング・ストーリーといえる。

 上巻の目次の次のページに、
 阿諛子、あなたはわたしの子ではない。これを読んだのなら、あなたは変われる。
                    ---友里佐知子の日記より抜粋
という引用が記されている。この一行がこのストーリーを暗示していて、またこのストーリーのテーマにもなっている。

 ストーリーの冒頭は、メフィスト・コンサルティング・グループが一級建築士音無耕市に自白させるために仕組んだ大がかりな心理戦に岬美由紀が介入していくところから始まる。それは100人近くの不安神経症の人々を救出する為でもあった。救助した人々の一人、衣川智子から音無耕市がタイタニック計画ということを口にしていたと聞く。美由紀はこのタイタニック計画の意味を解明し、それを阻止する行動にで出る。これが一つの短編小説風にまとまった導入部になっている。いわば007の最初の導入部のような手法である。
 場面は一転し、能登半島の先端近く、石川県輪島にほど近い山中に建つ白紅神社に。ここは大晦日のNHK紅白歌合戦の勝利組を予言することで有名になり膨大な信者を集めてきていた。この予言を今回限りで打ち切ると宣言した年の大晦日に、鬼芭阿諛子が宮司風知卓彌の前に現れる。阿諛子の再来!! これがこのストーリーの重要な伏線になる。

 場面は二転する。岬美由紀が臨床心理士として日常活動に従事する場面となる。そこにいくつかのエピソード、問題解決が織り込まれて行く。そのプロセスで、ヘジテーションマーク(逡巡創、ためらい傷)、小学生の間で流行の裏技である位置情報を操作する神隠しなどの謎解きが描かれる。これまた、自然な展開の中で伏線が敷かれていく。

 場面は三転する。警視庁捜査一課の蒲生誠警部補と公安部の桜並克彦警部補が美由紀のマンションを訪れる。蒲生の要件はJAI845便の機長の死を殺人と判断し、鬼芭阿諛子への殺人容疑を固めるため。一方、桜並は恒星天球教という危険分子の捜査の一環で鬼芭阿諛子を捜査するためだった。
 白紅神社に鬼芭阿諛子がいる。今29才の阿諛子は宮司になっているという。阿諛子は美容整形している可能性があるので、本人の鑑定のために美由紀に協力してほしいという。美由紀は彼らに同行し、白紅神社に赴く。中核となるストーリーがここから始まる。

 神社社務所内の床の間に紅白の玉と箱が置かれ、その下に敷かれた布の一部がまくれあがっていて、そこからSDメモリーカードがのぞいていることに美由紀は気付いた。美由紀は、持参していた小型のモバイルパソコンにそのSDカードを差し込み、密かにコピーを試みた。
 蒲生・桜並・美由紀は阿諛子と神社で対面する。そのとき、阿諛子は同性同名であるだけで、恒星天球教や友里佐知子とは無関係と反論する。立証という点で反論しづらいところをつかれ、蒲生と桜並は立ち往生する羽目になる。
 巧妙な反論を準備する一方で、阿諛子はこの白紅神社が蓄えた金とこの神社を密かに占拠し、己の願望を成就するための拠点としていた。

 この後、ストーリーは、一旦SDカードに記録された内容に転じて行く。それは縦横にびっしりと並んだ1万ページ以上とおぼしき友里佐知子の日記だった。昭和40年8月7日、佐知子が17歳だった夏の日から唐突に始まる日記である。
 ここから友里佐知子のバックグラウンドが明らかになっていく。美由紀が膨大な日記の内容を読み継いで行く形で、このクラシックシリーズの全体が、友里佐知子の視点、彼女の人生の文脈としてつながっていく。その過程で上掲引用文の意味もまた明らかになる。
 さらに、佐知子の日記を介して、メフィスト・コンサルティング・グループの実態も明らかになる。特に、佐知子を見出したゴリアテ、後にグレート・ゴリアテと称される特別顧問のプロフィールも明らかに。さらに、メフィスト・コンサルティングで佐知子と共に同世代として教育訓練を受けたマリオン・ベロガニアとフランシスコ・フリューエンスのプロフィールも明かになる。フランシスコ・フリューエンスは後にダビデと称する特別顧問に昇進する。
 ストーリーの中核はあくまで鬼芭阿諛子の行動なのだが、少し視点をずらせると、この日記の内容をこのクラシックシリーズでのメイン・ストーリーと受け取ることもできる。過去のこのシリーズのストーリーの場面とリンクしていくからだ。そういう面白さがある。この点はこのシリーズを読み継いできた方にはよく理解できるだろう。
 
 そこで、再び鬼芭阿諛子の視点に戻る。彼女が画策している事は何か。それは、常に母と呼んできた友里佐知子の意志を継ぐこと、国家転覆である。そのためには、まず国会議事堂の破壊と国会議員の殲滅を同時に実行する襲撃作戦を準備し、完遂することだった。この白紅神社はそのための拠点に相応しい立地でもあったのだ。
 恒星天球教・友里佐知子の意志を継いだ鬼芭阿諛子と岬美由紀との最後の闘いが始まっていく。
 「阿諛子、あなたはわたしの子ではない。これを読んだのなら、あなたは変われる。」という一文がどのような意味を持ち、どのように位置づけられていくのか。そこが読ませどころの一つにもなっていく。
 この引用文は本文では、上巻の330ページに日記の文脈の一部として登場している。
 
 このストーリー、心理学的な視点からは、「選択的注意集中」という技法が一貫して利用されていく。この描写が興味深い。
 上巻で敷かれた伏線が、こんなところで結びついてくるのかという箇所がいくつもある。上巻を読んでいるときはわからなかった部分が、ナルホド・・・と感じるおもしろさに転換していく。
 現在実現しつつある科学技術の成果物が、2009年のこの完全版では更に技術革新した形で、先取りされ組み込まれている。そこがおもしろいと思う。ネタバレになるのでこれ以上は触れない。

 最後に、このストーリーから印象深い箇所をいくつかご紹介しておきたい。⇒印以下は付記である。

*運命は五分五分。わたしはそう思っていた。だが、現実は違っていた。予想とは異なる結果があった。運命は変えられる。彼はそれを告げにやってきた。可変の運命、それが未来に違いないと美香子は思った。  上巻p362
   ⇒ 彼、美香子が誰を意味するか。これがターニング・ポイントになっている。

*ひとりの個が自然に持ちうる意識は決して他者の思いどおりにはならない。・・・・・・
 人間とは単純かつ弱い生き物だ、数になびく。反体制という不利な立場を悪とみなし、体制側を善と考えることで、弱者から強者の側へと乗り換えてしまう。・・・・・・悪とみなされる者への弾圧を、正義を守る勇気として正当化する人々が少なくない。それはとんでもない自惚れだ。真の勇気は反体制にある。   下巻p229-230
   ⇒ 友里佐知子が阿諛子を育てる基盤にした思考。
     このシリーズで、岬美由紀の思考とは対極にあると思う。

*あの女医はすごい、もしかしたら超能力者ではないか。そういう好奇心に満ちた興味本位の目が自分に注がれるように仕向けた。マスコミのインタビューでは、非科学的な能力と混同されたくはないと抗議するふりをしつつ、裏側では大衆の好む超能力への興味を掻き立てた。
 庶民は愚かだと友里は思った。科学的な権威であることをしめすリベラルな学者よりも、どこかいかがわしさを伴う特殊な人間にこそ、いままでになかった価値観が存在するかおしれないと感じて、会いたいと欲するようになる。  下巻p254
   ⇒ 大衆の心理をうまくつかんでいると思う。

*以心伝心(テレパシー)はない。真の意味での千里眼は存在しない。だから人は、心を通わそうと努力する。理解しあおうと人を思いやる。そこに人の温かさがある。人の心が見えないからこそ、人に優しくなれるのだろう。そのことに、ようやく気づいた。
 なにもかも見通せなくてもいい。それがわたしんおだから。   下巻p630
   ⇒ 周囲の人は感じていても、成瀬史郎の思いを見抜けない美由紀の内省。
     千里眼シリーズの掉尾に記されたこのギャップの描写がユーモラス!

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
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