遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『千里眼とニアージュ 完全版』 上・下  松岡圭祐  角川文庫

2023-10-31 12:30:16 | 松岡圭祐
 千里眼クラシックシリーズの第10弾である。このストーリーはスケールが大きさが生み出す荒唐無稽さの要素、そこに幕末期以来現在まで連綿として話題に上る一伝説の要素、そこに臨床心理士の活躍する世界という要素が加わり、それらが巧みに組み合わされていく。エンターテインメント性に溢れた面白さが強みといえる。本書(完全版)は平成21年(2009)2月に文庫が刊行されている。

 前作の舞台となったイラクから戻ってきた岬美由紀は、またもや手許に届いた不可解な葉書がトリガーとなって、大事件に捲き込まれて行く。このストーリーでは、美由紀の意識の底に沈んでいた過去の悩ましい事実が重要な要素として絡んでくる。美由紀が事件に関わるプロセスで一之瀬恵梨香との運命の出会いが起きる。
 一之瀬恵梨香。美由紀が自衛隊に入隊した後に、美由紀の両親が交通事故死した。対向車に接触されたことが原因で、両親の車は道路脇に飛び出し、二階建てアパートを直撃。破損したガソリンタンクに引火して爆発事故が起き、アパートは焼失した。唯一、部屋にいたのが一之瀬恵梨香で、彼女は軽傷で助け出された。恵梨香は父親が自宅に火を付け無理心中をはかったことのショックでPTSDに陥り、ようやく立ち直り独り暮らしを始めたところだった。しかし、この事故が恵梨香のPTSDを再発させた。美由紀は死亡した両親の家を恵梨香に無償で譲渡した。そんな苦い過去の記憶を美由紀は背負っていた。

 このストーリーの読ませどころの一つは、運命的な出会いの後に美由紀の心の中に生まれる悔い、関係づくりの試みから生じる対立・葛藤、理解し合うことの困難性など、悩ましい思いに囚われ続けていく経緯の描写である。
 二人の再会は、恵梨香の反発から全てが始まっていく。ストーリーの進展において、美由紀と恵梨香の心理描写が底流をなしていく。勿論、恵梨香自身も事件のただ中に捲き込まれていくのだ。というよりも、恵梨香が戸内利佳子が訪ねてきたことにより、利佳子の発言を受け、恵梨香が衝動的に利佳子を臨床心理士である岬美由紀が勤務する病院前まで自分の車で送るという行動を取ってしまった。それが美由紀を事件に引き込み、恵梨香もまた渦中の人となる一因といえる。

 荒唐無稽さのベースになるのは、萩原である。埼玉、千葉、茨城の県境にあった広大な国有地の森林が伐採され、28の市と町が形成されて、萩原ジンバテック特別行政地帯が誕生した。ここには正式な地方行政は確立していない。埼玉県知事が便宜上の行政責任を持つ形が取られている。しかし、ジンバテックというIT企業が土地を所有し実質的な権限をもつ地域である。俗称、萩原県と皆が呼んでいる。
 ここが特殊なのは、同じサイズの住居が並び、人々はそこに住む。月10万円の生活費が支給され、就労の義務がないこと。病院、スポーツセンター、美容室、理髪店などは無料で利用できる。萩原線という八路線、270キロメートルの路線がある。
 家に引き籠もり何不自由なく生活したい人々が応募して全国から住人が集まった。800万戸もあった住居は移住者で埋まってしまった。そんな特異な地域である。
 その萩原県を一IT企業が資金面で支えているというのだから、ちょっと想像を絶する。それを実行させているのは、社長の陣馬輝義というIT富豪だった。一般企業にとって、これは何のメリットがあるのか。ここに荒唐無稽さのベースがある。
 逆にこの萩原県を実質運営するジンバテックと陣馬輝義が何をしようとしているのか。読者はこれから何が起こるのかということに興味を引きつけられずにはいられない。
 さらに、一之瀬恵梨香は、この萩原県に移住し、心理相談員と名乗っていたのだ。

 このストーリー、住民の一人である戸内利佳子が死後の世界・地獄の様を夢でみるようになり、それが夢とは思えないリアルさを感じるという苦しみを繰り返すようになる。テレビで、臨床心理士の岬美由紀がイラクから帰国の途についたという報道を見る。そして、臨床心理士に相談しようと思う。萩原線の駅に設置された案内ロボットに尋ねると、心理相談員・一之瀬恵梨香を、該当カテゴリで合致する3件の内の一つとして回答した。利佳子は萩原県に住む恵梨香を訪れる。それが結果的に利佳子が岬美由紀に会える契機となる。利佳子の夢の話を聞き、要因分析するためにも、利佳子の家を訪ねると約束する。逆に言えば、美由紀が萩原県の問題事象に一歩足を踏み入れることになる。
 
 一方、美由紀は鍋島院長から不在中にたまった美由紀宛のはがきの束を受け取る。その中に意味不明の文字を羅列した葉書にまず目を止めた。その謎解きを即座にしたのだが、それがきっかけで、帰国後早速、美由紀は東京タワーで発生した事件に自ら関わりを持っていく羽目になる。これまた想像外の事件なのだ。それは美由紀を誘い出す一つのステップにしか過ぎなかった。
 メフィスト・コンサルティングの最高顧問ダビデが絡んでくる。

 一之瀬恵梨香は、岬美由紀と間違われてメフィスト・コンサルティングのノンキャリアのスタッフに拉致され、ダビデと出会うことになる。その場所は、慶応4年の安房国をリアルに再現した宿場町だった。ダビデはあるところで、実際に壮大なシミュレーション実験をしていた。それは、ダビデが日本政府と密約を推し進め、ある利権を確保するための手段だった。
 読者をどこに導こうとするのか・・・・。そんな思いを抱かせる転調となっている。
 
 アプローチのやり方は異なるが、陣馬輝義とダビデの狙いは、德川埋蔵金の発見・発掘だった。その追求がどのように進行していくのか。それがメインストーリーとしての読ませどころとなっていく。德川埋蔵金、ロマンを感じさせるテーマである。
 
 上記以外の主な登場人物を簡略にご紹介しておこう。ストーリーの広がりにもつながるので。
 夏池省吾:財務大臣。ダビデの接触を受ける。総理への密約の連絡窓口になる人物。
      ダビデは夏池に100兆円の事業を示唆する。
 播山貞夫:現在は萩原県の一住民。元民間の考古学研究団体の副理事長。
      旧石器の発掘に絡む捏造事件を起こした人物。
      伊勢崎巡査の要望を受け、恵梨香は播山の自宅で彼と面談する。
 大貫士郎:ジンバテックの顧問会計士。岬美由紀に一方的に面談を申し出てくる。
      社長の陣馬輝義に妄想性人格障害の疑いがあるので相談に乗ってほしい
      というのが彼の第一声だった。結果的に美由紀はジンバテックの問題事象
      に、一歩踏み込んでいくことになる。
 塚田市朗:臨床心理士資格認定協会の専務理事。美由紀を要注意人物とみなす存在。
      美由紀を敵視する立ち位置から徐々に美由紀の協力者へと変容する。

 このストーリーでもう一つ興味深いことは、萩原県の住民から悪夢の訴えが頻出してくることから、臨床心理士たちが総動員され、緊急に現地派遣される事態に展開することである。現地でのヒアリング調査の情報が集約されてくることで、一つの仮説が導き出されていく。美由紀が仮説について重要な発言をするに至る。
 美由紀には、事態の核心に迫る一つの結論が浮かびあがってくる。

 最後に、本書のタイトルに絡む一点に触れておこう。
 上巻には、「蒼い瞳とニュアージュ」という章がでてくる。これは美由紀が幼い頃に母から読み聞かせられた絵本のタイトルであるという。この絵本が恵梨香とのリンキング・ポイントになっていく。そして「荻原県」という章には、「あの童話に登場する雲(ニュアージュ)とは、親をはじめとするおとなの存在を示唆している」(上、p373)と記される。つまり、ニュアージュは雲を意味する。
 さて、その雲の存在は何を意味するか。上記引用文の続きにその心理的意味合いが具体的に説明されていく。さらに、それは美由紀の確信する自覚につながっていた。

 さあ、本書を開いてお楽しみいただきたい。

 なお、私は未読なのだが、『蒼い瞳とニュアージュ 完全版』、『蒼い瞳とニュアージュ Ⅱ 千里眼の記憶』と題する二書が出版されているようだ。こちらも、いずれ読み継ぎたいと思っている。

 ご一読ありがとうございます。
 

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅷ 太宰治にグッド・バイ』  角川文庫
『探偵の探偵 桐嶋颯太の鍵』    角川文庫
『千里眼 トオランス・オブ・ウォー完全版』上・下   角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅵ 見立て殺人は芥川』   角川文庫
『ecriture 新人作家・杉浦李奈の推論 Ⅶ レッド・ヘリング』  角川文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<松岡圭祐>作品の読後印象記一覧 最終版
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『平治の乱の謎をとく 頼朝が暴いた「完全犯罪」』  桃崎有一郎  文春新書

2023-10-24 15:35:15 | 歴史関連
 新聞の広告で本書を知ったのだと思う。サブタイトルの「頼朝が暴いた『完全犯罪』」という方にまず関心を引き付けられた。「平治の乱」と言われれば、保元・平治の乱とセットのようにしてその名称を学生時代に記憶したことを思い出す。その乱の具体的内容などほとんど記憶にないのが正直なところ。平治の乱の謎って何?
 なかなかおもしろいタイトル作りである。本書は、2023年7月に刊行されている。

 社会人になってかなり歳月を経てから、手許に手軽に参照できる日本通史本があると便利と思った。一番基本的な内容を捉えるのに便利だから。高校時代の日本史の教科書などは処分してしまったので、あるとき、高校生向けの学習参考書を購入した。『詳説 日本史研究』(五味・高埜・鳥海 編 山川出版社 1998年10月第2刷)である。
 この書は、平治の乱をどのように既述しているか。
「やがて院政を始めた後白河上皇の近臣間の対立が激しくなり、1159(平治元)年には、清盛と結ぶ信西に反感をもった近臣の一人藤原信頼(1133-59)が源義朝と結び、清盛が熊野詣に出かけている留守をねらって兵をあげ、信西を殺した。武力にまさる清盛は京の六波羅に帰還すると、信頼らを滅ぼし、東国に逃れる途中の義朝を討ち、その子の頼朝を捉えて伊豆に流した。これが平治の乱である」(p123)
 また、かつて、家永三郎氏の教科書問題が裁判で有名になった。その時の『検定不合格 日本史』(家永三郎著 三一書房)が市販されたときにその本を購入した。
「1156年(保元元年)の保元の乱、1159年(平治元年)の平治の乱と京都で貴族間の権力争いから2度も戦が起こり、どちらも武士の武力を借りてはじめて解決されたため(60ページ史料9参照)、ついに政権は武士の手に渡り、2度の戦いにてがらをたてた平清盛が、競争相手の源氏を倒して、藤原氏の地位にとって代わったのである」(p51)と記述されている。
 平治の乱といえばこれくらいの内容の理解が大方のところだろう。私もその程度あるいはそれ以下であった。最近の教科書や学習参考書は少しは視点が変わっているのかもしれないが・・・・。未確認。

 本書を読み、思ったのは、上記教科書レベルの既述は、平治の乱の一面を間違いなく捉えているが、近臣間、貴族間、とか武士の武力を借りて、というのは平治の乱の一側面を説明しているに過ぎないなあ・・・ということである。この既述だけでは隠された部分が多すぎる。まあ、それは日本史の通史学習では避けられないことかもしれないが。

 そこで、本書に入る。平治の乱の謎とは何か。頼朝が暴いたこととは何なのか。なぜ「完全犯罪」なのか。
 「プロローグ」で、著者はまず次の点に触れる。建久元年(1190)冬に、源頼朝は上京し、後白河の御所で会談し、内裏で後鳥羽天皇に挨拶をした。その後内裏で、摂政の九条兼実と二人きりで面談し、その密室で頼朝が兼実の語ったことがあると。
 その内容を、兼実が日記に書き残していたという。冒頭にまずその内容が記される。
「義朝の逆罪、是れ王命を恐(カシコマ)るに依(ヨリ)てなり。逆に依て其の身は亡ぶと雖(イエド)彼(カ)の忠又(マ)た空(ムナ)しからず」
 この既述について、平治の乱の研究者たちが注意を払って来なかったという。この一文が、どのような重大な意味を持つのか。本書で著者がその事を論証しようとしたのだと言える。
 著者は記す。平治の乱について、「面白いことに、当時の国家権力と関係者の全員が、真相を隠蔽した。加害者側が、ではない。事件と無関係の者も、そして被害者さえもが、この犯罪を隠蔽した」のだと断じる。今日まで、平治の乱の本質、真因を隠蔽することに成功してきたので、まさに完全犯罪と呼んでいいと著者は言う。
 本書は、源頼朝の冒頭の発言を中核にして、完全犯罪の謎解きを実行していく。
 本書は、日本史についての教養書の体裁をとり、用語の使い方で一般読者にわかりやすい用語を用いているが、その内容はまさに厳密に論証された論文という印象をもった。

 保元の乱が一つのモデルとなり、平治の乱が引き起こされた裏側にこんな入り組んだ人間関係があったというのは驚きである。

 本書は<事実経過編>、<全容究明編>、<最終決着編>という三段階構成になっている。
 <事実経過編>は保元の乱に言及しながら、平治の乱で何が起こったかの事実を、厳密に精査していく。全体の人間関係などの予備知識がなかったので、この<事実経過編>は正直読みづらい面があった。著者は最初に、平治の乱の研究には3つの壁があるという。①覆すべき通説的イメージの不在、②一次資料の不在、③保元の乱を踏まえずには語れない。そして、保元の乱の勃発が摂関家の内紛と皇位継承問題にあったことを概説する、
 平治の乱の経過事実については、一般読者にわかりやすい様にそのステップに名称をつけていく。
 三条殿襲撃事件: 平治元年(1159)12月9日
          後白河の御所への襲撃。襲撃者は藤原信頼・源義朝らの軍勢
          後白河の近臣である信西と息子らを殺害する目的。御所に放火。
          後白河と上西門院を大内の一本御書所に移す。

 二条天皇脱出作戦: 大内(大内裏の中にある本来の内裏)から二条天皇を平清盛の
           六波羅亭に迎え取る。信西一族の藤原尹明が使者となる。

 京都合戦: 12月26日、源義朝らと清盛軍が京都の市街地で戦う。
       翌年正月9日、義朝の首が東獄門で梟首される

 二条派失脚事件: 後白河が新たな御所とした八条堀河亭の堀川小路に面した桟敷
          (仮設の観覧席)を外側から封鎖してしまう事件を起こす
          藤原経宗・藤原惟方が強引に実施。清盛が逮捕する。

 著者はこの区分に沿って、平治の乱の経過事実を詳細に綴っていく。
 その後で、<全容究明編>、<最終決着編>が展開されていく。本書のおもしろさはこのステップの分析と論証にある。先人の諸研究を踏まえ、出典を明確にし、それらの成果の是非を交えながら、著者の仮説の論証が展開される。
 
 平治の乱について、著者は二条天皇が三条殿襲撃事件の黒幕であるという仮説を綿密に立証していく。父である後白河と子の二条天皇との間の確執。そこには、二条天皇の親政欲望と皇位継承問題が関係していたという。父子間での政治闘争である。また、朝廷政治起動のために二条天皇が身勝手にも責任転嫁を繰り返すという行動を取った事実を論じていく。
 さらに、日本史上における平治の乱の意義は、真の主役が平清盛だったことにあると言う。平家の覇権の起点となり、武家の時代への始動である。

 本書の本質は論文だと私は受け止めた。著者の仮説が如何に論理的・合理的的に、その全容究明のプロセスを論証するかにある。上記の3つの壁を著者はどのようにして乗り越えて、仮説を立証するのか。立証できるのか。本書は後に行くほど、面白さが加わってくる。著者流の論証プロセスをお楽しみいただきたいと思う。

 後半では、なぜ平清盛が、藤原氏に取って代わり政権の座につくに至ったのかがよく分かる。清盛という人物像が見えてきて、この点も興味深い。著者は、二条天皇が清盛を味方にできなかったことが、最大の敗因だと論じている。ナルホドである。

 なぜ、平治の乱の真因がわからずに現在に至ったのか。著者は後白河院政が二条の犯罪を全力で隠蔽したからだとみる。「二条天皇自身は、犯した罪と向きあう時間がないまま世を去った。しかし、彼が犯した罪は、死後に朝廷が全力で隠してくれた。そして見事に、800年以上も発覚させなかった。勝者や加害者が自分の犯罪を隠蔽するなら、何も珍しくない。しかし、敗者である加害者の罪を、勝者である被害者が隠蔽した点に、この事件の奥深さがある」(p337)という。
 この辺りの機微と背景もまた、本書を読むことにより感じ取ることができると思う。

 最後に、本書を読んで得た副産物といえる事項を覚書を兼ねて取り上げてみたい。
*「後白河が平治の乱の最終勝者となるために清盛に頼った時、国政の全権は武士のものになる流れが始まっており、二度と朝廷の手にはもどらなかったのである」 p202
*「頼朝の証言は、実は<平治の乱の結末としての鎌倉幕府の成立>という話に落とし込める」  p166
*後白河が院政の拠点とした法住寺殿は、信西宅の跡地に藤原信頼宅を移築したもの。
 応保元年(1161)に築く。法住寺は昔あった寺の名。当時既に廃寺になっていた。
 著者は、それを後白河が両者への親愛感情を示すものと推測している。  p171
*新日吉社は、永暦元年(1160)7月22日に着工され、10月16日に完成。
 建立したのは後白河の叔父で天台座主の最雲法親王。           p265
*新熊野社は平清盛が建立した。永暦元年(1160)10月16日に完成。     p265

 お読みいただきありがとうございます。


補遺
平治の乱   :「ジャパンナレッジ」
平治の乱   :「コトバンク」
平治の乱   :ウィキペデキア
平治の乱   :「NHK for School」
武士の世の中へ~平清盛~  動画 :「NHK for School」
三条東殿遺址 :「フィールド・ミュージアム京都」
三条東殿址・信西邸跡(平治の乱のはじまり) :「平家物語・義経伝説の史跡を巡る」
後白河法皇御所聖蹟 法住寺  ホームページ
新日吉神宮  :「京都観光Navi」
歴史ある新日吉神宮  :「京都旅屋」
新熊野神社  ホームページ

インターネットに有益な情報を掲載してくださった皆様に感謝します。

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません。
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』 中公新書編集部  中公新書
『眠れないほどおもしろい 徳川実紀』  板野博行  王様文庫
『収容所から来た遺書』   辺見じゅん  文春文庫
『新選組』   黒鉄ヒロシ  PHP文庫
『坂本龍馬』  黒鉄ヒロシ  PHP文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<歴史>関連の本の読後印象記一覧 最終版
                    2022年12月現在  28冊
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『曙光を旅する』  葉室 麟   朝日新聞出版

2023-10-21 20:56:50 | 葉室麟
 愛読作家の一人としてその作品を読み継いできた。ネット情報で作品一覧をチェックしていて、本書は未読だと気づいた。それで本書を遅ればせながら読み終えた。
 奥書に、2018年11月に第1刷とある。著者は2017年12月に逝去した。残念でならない。本書は、ほぼ1年後に刊行されていたことになる。
 本書はエッセイを主体にしながら、対談ほかを組み合わせて編集されている。

 著者のエッセイ集を読み継いできて、そのエッセイの端々に著者の歴史観、創作にあたっての立ち位置と思い、自作からの気づきが読み取れる。つい、ナルホドと思いながらエッセイを読み進めた。本書もそうだった。エッセイと対談などから、著者の作家としての視点を著者自身の言葉により知ることができるという副産物があり、興味一入である。

 全体の構成をまずご紹介しよう。4部構成になっている。
< 旅のはじめに 時代暗雲 詩人の出番 >
 この一文が、通常の「はじめに」の代わりになっている。「旅に出ようと思った。遠隔地ではない。今まで生きてきた時間の中で通り過ぎてきた場所への旅だ」という書き出しから始まる。小倉(北九州市)への歴史紀行文である。
 この一文に、早くも著者の作家の視点が明確に記されている。
 地方をめぐり歴史にふれてみたいという著者は、「勝者ではなく敗者、あるいは脇役や端役の視線で歴史を見たい。歴史の主役が闊歩する表通りではなく、裏通りや脇道、路地を歩きたかった」(p10)と記す。それが著者の作品につながっている。

 著者は晩年の平成の時代をとらえ「近頃の世の中の流れを見ていると頭上に暗雲がかかる思いがするし、今にも降りそうな雨の匂いもかいでいる」(p12)と危機感を表明する。そして、時代を詠う詩人が求められている時代だと語る。「詩を読み、人の心が動くとき、世界が変わる。今は、そんな詩人が求められている時代だ」(p12)と。

< 第Ⅰ部 西国を歩く >
 葉室麟さんの歴史紀行文をまとめたもの。朝日新聞(西部本社版)に2015年4月11日~2018年3月10日の期間、「曙光を旅する」連載のエッセイである。著者が生前に記したエッセイの一部はこの連載の終幕部分で死後に発表されたことがわかる。
「旅のはじめに」は、この歴史紀行の第一回なのだろう。
 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』のファンだったという葉室麟さんは、「曙光を旅する」というこの歴史紀行を書き続けていきたいという夢があったのではないか。司馬さんが歩き訪れた地を、葉室さんにも歩いてもらい、敗者・脇役の視点で歴史エッセイをもっと書いて欲しかった。そう思う。
 この連載では、福岡、柳川、若松(福岡県)、臼杵・日田(大分県)、名護屋・佐賀(佐賀県)、長崎、鹿児島・奄美(鹿児島県)、小天(熊本県)、飫肥(宮崎県)、下関(山口県)、沖縄、京都が歴史紀行として取り上げられている。
 著者がこのエッセイ集で思いを馳せている内容を人物名で捉えると、大友宗麟、沙也可、司祭ロドリゴ、広瀬淡窓、西郷隆永(隆盛)、坂本龍馬、木戸孝允、鍋島閑叟(直正)、佐野常民、夏目漱石、宮崎滔天とその兄弟、金子堅太郎、小林寿太郎、北原白秋、島村速雄、火野葦平、丸太和男、青來有一、島尾敏雄、古川薫、守護大名大内氏、高嶺朝一、大城立裕などである。
 著者の歴史観の一端と思索の広がりを知り、感じるとともに、初めて知る人物名もかなりあり、目を開かれる思いがした。敗者・脇役というフィルターを通して歴史に思いを馳せる著者の姿勢が見えてくる。
 この第Ⅰ部で本書のページ数の半ばとなる。

< 第Ⅱ部 先人を訪ねて >
 これも元は上記の新聞連載の一環のようである。一部、書き下ろしも含まれている。
 内容的にこちらは著者が尊敬する先人を訪れた時の内容をエッセイにまとめている。
筑豊(大分県)の上野朱(アカシ)さん(長男)を訪ねて、故上野英信さんについて語る。中津(大分県)の松下竜一さん、熊本の渡辺京二さん、土呂久(宮崎県)の川原一之さんとの対話がまとめられている。著者がどういう先人から何を学んだかが伝わってくる。
 ここに、対談「小説世界 九州の地から」が収録されている。2015年の直木賞作家東山彰良さんとの対談。奇しくも大学の先輩後輩の関係になるそうだが、「いま九州で書くこと」について、語り合っている。ここに葉室麟の作家意識が語られている。以下を抜き出してみる。
*僕は歴史を地方の視点、敗者の視点から捉えたいと考えているんです。 p169
*自分が感じていないことは書けませんから、小説とは、うそをつけないものかもしれません。 p172
*僕は国家や社会への帰属意識は必ずしも持たなくていいと思っています。自分が生育してきたなかで、大事だな、信じられるなと感じたものがあれば、それがよりどころとなる。 p173
*その人が今まで生きてきた実感として、何を美しいと感じ、何を大事だと思うのか、その感性から逃げないことが何より大切だと思います。 p173
 どういう文脈で語られたものかは、この対談をお読みいただきたい。

<第Ⅲ部 苦難の先に>
 2016年4月、熊本県益城町を震源とした震度7の地震に関連したエッセイが2つ。熊本を襲った震度7の大地震を背景にしながら、熊本藩出身で明治憲法の起草者となった井上毅(コワシ)を語るエッセイ。秋月(福岡県)の歴史を振り返りつつ、豪雨被害からの復旧を願うエッセイ。4つのエッセイが収録されている。
 自然災害における被災者の人々への著者の悲痛な思いが伝わってくる。

< 第Ⅳ部 曙光を探して >
 2017年の春先に、「曙光を旅する」連鎖開始から2年目の節目に合わせて行われたインタビューの内容が収録されている。結果的に、葉室麟さん最晩年の作家としての抱負が語られている。「『司馬さんの先』私たちの役目」というタイトルになっている。
 勿論、ここには作者自身の思い、作者のスタンスが表出されている。インタビューの文脈の中で、葉室麟さんの言葉のニュアンスなどを味わっていただく必要があるが、覚書を兼ね、私なりにその発言を抽出して見る。
*「人生は挫折したところから始まる」が、私の小説のテーマ。 p206
*50歳を過ぎて作家デビューするまでに人生の経験を積み、・・・・・経験の数が私の強みです。  p206
*歴史小説は、自分に似た人を歴史の中に探して書きます。
 自分とつながる人から見る方が、歴史がよく見える気がします。  p207
*(『大獄 西郷青嵐賦』『蝶のゆくへ』)その2作品では、私なりの明治維新論を、近代という歴史そのものを描きたいと考えて書いています。 p208
*九州・山口・沖縄は、現代に至るまでの日本を考える材料がそろっています。 p208
*私は地方記者出身であり、発想も地方記者そのもの。地方が大事で、そこに寄り添っていきたいと根っから思っています。 p209

 第Ⅳ部の最後であり、本書の末尾として、「葉室メモ」が収録されている。
 「連載を始めるにあたってのおおざっぱなメモです」という一行から始まる。「曙光を旅する」の新聞連載の準備中に葉室さんから担当記者に発信されたメールだという。
 編集者の前書きが付いていて、そこに次の文がある「単なる『メモ』にはとどまらない、日本の歴史に対する深い省察が込められていた。『葉室史観』の一端を示す、その内容をここに紹介する」(p204) と。 
 葉室麟さんの人柄と連載に取り組む意欲・夢などが伝わってくる。葉室ファンには是非読んでほしいと思う「葉室メモ」だ。司馬遼太郎さんとの問題意識の違いも表明されている。
 次の箇所だけご紹介しておきたい。
「歴史の大きな部分ではなく、小さな部分を見つめることで、日本と日本人を知りたい。 あえて言えば、自分たちが忘れている歴史を思い出したいのです」  p214

 なお、各所に、「曙光を旅する」連鎖との関連で、著者と関わりを持った人々による葉室麟さんへのメッセージも載っている。著者を知るのに有益なメッセージである。

 せめて、あと10年、葉室史観を書作品として書き続けて欲しかった。噫、残念だ。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『読書の森で寝転んで』   文春文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<葉室 麟>作品の読後印象記一覧 最終版
              2022年12月現在   70冊+5冊
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『日本史の論点 邪馬台国から象徴天皇制まで』 中公新書編集部  中公新書

2023-10-18 17:33:33 | 歴史関連
 はるか大昔、受験勉強で「いい国作ろう鎌倉時代」、1192年が鎌倉時代の始まりと記憶した。その時代区分を露とも疑わずに・・・・。だが、その歴史認識はもはや主流ではないらしい。「邪馬台国」は「やまたいこく」と呼ぶものと記憶した。だが、今は「邪馬台」を普通名詞として「やまと」と読むのが適切であるという。

 日本史の研究は史資料や出土品等の発見が累積し、それとともに歴史解釈が変化してきているようだ。歴史知識は半世紀以上前の受験期のまま、ほぼ凍結されてきたようなもの。一度、リセットしてみないと・・・・・。
 そんな折りに、何周遅れかは知らないが、本書のタイトルが目に止まった。2018年8月に刊行されていた。手に取ったのは同年翌月発行の第3版。悠久の歴史のスパンからみれば、ごく最近の本。現在時点で、日本史の何が論点になっているのか? その概略を知り、古びた知識をリセットして、少しは頭を活性化するのには手頃かもと読んでみた。

 読んでいて、ある意味で、目から鱗が落ちるという類いの新鮮さを味わうことができた。なるほどな・・・と思う箇所が多かった。一つ一つの論点が、それぞれたぶん一冊の本になるところだろう。それを言わばダイジェストして、何が歴史解釈の論争点になるのかをまとめてくれている。歴史解釈の見直しに触れる入口としては便利な新書である。

 本書は日本史の論点を29取り上げている。目次をご紹介すれば、何が論点になってきているのかが、それでお解りいただけるだろう。本書は研究者の共著である。各章に執筆者名等を併記してご紹介する。各著者の肩書きは、本書末尾の「執筆者紹介」から引用。

第1章 古代    倉本一宏 国際日本文化研究センター教授
 論点1 邪馬台国はどこにあったのか
 論点2 大王はどこまでたどれるか
 論点3 大化改新はあったのか、なかったのか
 論点4 女帝と道鏡は何を目指していたのか
 論点5 墾田永年私財法で律令制は崩れていったのか
 論点6 武士はなぜ、どのように台頭したのか

第2章 中世    今谷 明 帝京大学特任教授 国際日本文化研究センター明誉教授
 論点1 中世はいつはじまったのか
 論点2 鎌倉幕府はどのように成立したか
 論点3 元寇勝利の理由は神風なのか
 論点4 南朝はなぜすぐに滅びなかったか
 論点5 応仁の乱は画期だったか
 論点6 戦国時代の戦争はどのようだったか

第3章 近世    大石 学 東京学芸大学教授
 論点1 大名や旗本は封建領主か、それとも官僚か
 論点2 江戸時代の首都は京都か、江戸か
 論点3 日本は鎖国によって閉ざされていた、は本当か
 論点4 江戸は「大きな政府」か、「小さな政府」か
 論点5 江戸の社会は家柄重視か、実力主義か
 論点6 「平和」の土台は武力か、教育か
 論点7 明治維新は江戸の否定か、江戸の達成か

第4章 近代    清水唯一朗 慶応義塾大学教授
 論点1 明治維新は革命だったのか
 論点2 なぜ官僚主義の近代国家が生まれたのか
 論点3 大正デモクラシーとは何だったのか
 論点4 戦争は日本に何をもたらしたか
 論点5 大日本帝国とは何だったか

第5章 現代    宮城大蔵 上智大学教授
 論点1 いつまでが「戦後」なのか
 論点2 吉田路線は日本に何を残したか
 論点3 田中角栄は名宰相なのか
 論点4 戦後日本はなぜ高度成長できたのか
 論点5 象徴天皇制はなぜ続いているのか

 この本の便利なところは、自分の関心が深い論点から読めること。どこから読んでも、一つの論点はそれで完結している。日本史の論点の概略を知るのに便利である。論点の論述の中に、関連する著書・論文が明記されているので、さらに一歩奥に入るためのガイドブックの役割も果たすようになっている。少なくとも、
 日本史の解釈がダイナミックに動いているという感じに触れることができておもしろい。

 2点、触れておきたい。
 1つは、各章の裏ページに、簡略な「関連年表」が記されている。史実の整理に役立ち、並行して別に年表など必要としない。これ自体が一つの副産物になる。
 2つめは、本書の末尾に、「日本史をつかむための百冊」と題して、論点に深入りしていくための関連書籍がリストアップされている。各書に簡略な紹介文が付記されている。
 論点のメッセージに、貴方がちょっと、引っかかりを感じたら、その関心があなたの日本史理解への一歩を推し進めることになることだろう。
 この論点全てに、最新解を持っている人など、たぶんいないだろうから。きっと、どこかで関心が目覚めるのでは・・・・。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『眠れないほどおもしろい 徳川実紀』  板野博行  王様文庫
『収容所から来た遺書』   辺見じゅん  文春文庫
『新選組』   黒鉄ヒロシ  PHP文庫
『坂本龍馬』  黒鉄ヒロシ  PHP文庫

「遊心逍遙記」に掲載した<歴史>関連の本の読後印象記一覧 最終版
                    2022年12月現在  28冊

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『仏教 第二版』  渡辺照宏  岩波新書

2023-10-17 17:37:53 | 宗教・仏像
 仏教書を系統的に学ぶという形が取れず、関心の赴くままに行きつ戻りつという形で読み継いで来た。著者の名はかなり以前から知っていたが、著書を読んだことがない。『ブツダの方舟』(中沢新一・夢枕獏・宮崎信也共著、河出文庫・文藝コレクション)を読んだことが、本書を読む契機になった。
 仏教の入門書・基本書に立ち戻るよき機会となった。著者は1977年に鬼籍に入られている。本書は1974年12月の刊行であり、手許の本は2012年11月第51刷である。現在も市販されているので、増刷は続いていて、まさにロングセラーの一冊なのだと思う。
 
 「まえがき」の冒頭に「仏教とは何か、という問いに答えるのが本書の仕事である」と著者は記す。その次のパラグラフで、本書執筆への著者のスタンスが明言されている。これを転記するだけで、一つの紹介になると思う。

「本書を通読すれば仏教についてひととおり基本的な知識が得られるように工夫する。どうしても必要なテーマを落とさないように注意する。叙述をできるだけ平易にして、予備知識なしに読めるように気をつける。それと同時に、内容については専門学者の批判に耐え得る水準を保ち、学問的に責任の持てることのみしか書かない。仏教において人生の指針を求める人びとの手引ともなる。学生や研究者の参考書としても役に立つ」と。
 
 この冒頭での宣言、通読して期待を裏切らない説明とまとめ方になっていると思う。読みやすいし、学問的な視点での説明も要所要所できっちり論じてあるように受け止めた。「学問的に責任の持てることのみしか書かない」という宣言が特に惹かれるところである。 「ひととおり基本的な知識が得られる」という視点は、目次の構成に反映されていると思う。本書の構成は、次の通りである。
    Ⅰ 仏教へのアプローチ
    Ⅱ 仏陀とは何か
    Ⅲ 仏陀以前のインド
    Ⅳ 仏陀の生涯
    Ⅴ 仏陀の弟子たち  -出家と在家-
    Ⅵ 聖典の成立  -アショーカ王の前と後-
    Ⅶ 仏陀の理想をめざして  -ボサツの道-
    Ⅷ 仏陀の慈悲を求めて  -信仰の道-

 今まであまり意識しなかったことで本書で知ったことの一つは、ヨーロッパやロシア等における仏教研究の一端に触れられている点である。それは、サンスクリット語、パーリ語による聖典からの直接の仏教研究というアプローチである。私が今までに読み継いできたのは、漢訳経典から出発した研究を踏まえた仏教書が多かった。「日本では1300年以上のあいだ、もっぱら漢文資料によって仏教を学び、研究し、実践し、これによって信仰を形成した。鎌倉期においてさえも中国仏教の型から脱出したことはなかった」(p36)と著者は指摘している。日本においては「明治の開国によって、漢訳仏典の原典の存在が判明した」(p36)という。そういう意味で、異なる仏教研究のアプローチが進展している状況に触れたことは、遅ればせながらいい刺激になった。仏典解釈を相対化して客観的に受けとめる視点ができる。
 さらに、著者が、「インドの仏教はどのようなものであったか」という歴史的な考察が基本にないと、日本における仏教の考究もできないし、「仏教とは何か」という問いにも答えられないと論じている点も、刺激剤になった。
 仏教について、漢訳経典中心ではなく、違った次元から視野を広げるのに役立つ基本書と言える。
 仏陀以前から説き起こし、仏陀の生涯を説明しながら、仏陀の思想がどのように形成されて行ったかの説明が織り込まれていく。それが読みやすさ、わかりやすさになっている。
 最後に、仏陀の理想をめざすアプローチとして3つの道を説明する。仏陀の教えを忠実に守り、厳しい戒律に従い、出家教団の中で解脱の道をめざす第一の道。仏陀の理想をめざし、衆生の救済を志す第二のボサツの道。一般の大衆にはそのどちらも困難である。そういう人々のための第三の道が信仰なのだと著者は言う。
 ”「私は仏陀に帰依する。私は法に帰依する。私は教団(サンガ)に帰依する」という文句を三度繰り返して唱えるだけで信者となることが許された”(p185)そうである。
 その上で、三宝(仏・法・僧)への帰依という形から、仏陀の死後、人々にとって信仰の対象がどのように多様化して行ったかの事実を著者は概説している。

 通読して、仏教の考えについて著者が説明する基本的な要点を覚書としてまとめておきたい。その具体的な説明は本書でお読みいただきたい。
*仏陀はサンスクリット語”ブッダ”を漢字で音写したもの。原語は”目覚めた者、最高の真理を悟った者”という意味で、完全な人格者のことである。 p3-4
*仏教もまた当時の諸宗教と同じく輪廻説を前提とし、解脱を目標とする。 p4
*仏教の基本用語が日本ではまったく別の意味で使われるようになった側面がある。p5-7
  成仏:鎮魂思想にもとづく使い方になった。
  ほとけ:死者を亡者という代わりにほとけと一種の婉曲語法で使う。死者≠仏陀
  往生:死ぬという意味で用いるようになった。
  念仏:阿弥陀仏の名号を口に唱えることが念仏になった。
     唱名を念仏と同一視するのは中国人の発明である。中国の浄土教。
*仏典の用法 死没:一つの生涯を終えること
       往生/来生:その後に新しい生涯を始めること。仏国土での新しい生涯。
             原語には往生・来生の区別はない。
       往生は成仏(仏陀になる)ための手段である。   p6
*念仏というのは本来は仏陀を思念しそれに精神統一することをさし、心的作用である。 p6
*仏教とは、シャーキャムニによって説かれた教え。仏陀が説いた宗教。仏教とは仏陀を信仰する宗教。というようにとらえ方が複数ある。  p46-50
*仏教は中道を説いた。八つの部分からなる聖なる道[八正道]を説いた。p74-75
*すべての苦悩の根源は根本的無知にある。「根本的無知によって[縁]、生活活動その他が生ずる[起]」という。”縁起説”として知られるこの考えが仏教思想の出発点となる。
 根本的無知から老死まで十二支分あることから十二因縁とも称される。 p90
*人間苦の解決は、”四つの聖なる真理”[四聖諦]を知ることと説いた。 p97-102

 また、「過去において日本人の精神形成に仏教が重要な役割を果たしたことは明白である」(p3)、「日本ではほとんど最初から中国の宗派仏教を伝えているが、インドにはこのような組織はなかったのである」(p10)、「中国において成立した浄土教では往生を終極的な目的と考えている」(p6)、「日本にも、初期の仏教は西域→北魏→朝鮮→日本という径路で来た」(p11)、「今日の原典批判の立場からみれえば、玄奘訳が必ずしも正しいとは断言できないのである」(p14)、「中国仏教は必ずしもインド仏教の忠実な模写ではないのである」(p15)と諸点にふれてはいる。
 しかし、本書は「インド仏教に重点を置き、それ以外は必要ある場合に触れるにとどめる。中国や日本における独自の形成は別の書物にゆずる」(p19)と一線を画している。

 インド仏教を重点にして、「仏教とは何か」を説く基本書・入門書として最初に読むのに適した一冊。やはりロングセラーになるだけの価値はあるなと思った。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『ブツダ最後の旅 -大パリニッパーナ経-』  中村元訳  岩波文庫
『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション
『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社

「遊心逍遙記」に掲載した<宗教・仏像>関連本の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 43冊


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