遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『秀吉 vs. 利休  和合と、破局と』  矢部良明  宮帯出版社

2023-09-11 18:18:47 | 茶の世界
 7月に著者の『茶道の正体』(宮帯出版社)を読んだ時に、本書について知った。本書は『茶道の正体』より4ヵ月先行し、2022年8月に単行本が刊行されていた。
 
 「はじめに」を読むと、研究という領域で論文や本を発表してきた著者が、「はじめて、ノンフィクションという手法を借りて、利休と秀吉のあいだに展開したドラマを描いてみたいと思い実行してみた。この試みは、利休と秀吉の信条にふかく迫ってみようという筆者の意図から発している」(p4)という。
 ノンフィクション作品としては読みやすい本になっている。
 
 『秀吉 vs. 利休』というタイトル、その副題「和合と、破局と」を最初に見たとき、秀吉と利休の茶の湯におけるスタンスの違いや精神的な確執にフォーカスを絞り込んで分析した本かなと想像していた。秀吉と利休が直接的に主従関係、茶の湯の人間関係を築いて破局を迎える時期を詳細に追究していくのかと勝手なイメージを抱いていた。
 読み始め、通読してみると、確かに「和合と、破局と」を「秀吉 vs. 利休」の関係性として、利休の最終ステージで明らかにしている。ノンフィクション手法で描き出している故に、対立・確執という側面での秀吉と利休の心理・心情理解に隔靴掻痒感を抱いた。この辺りフィクションの小説として描き出すこととの違いなのかもしれない。
 私には「利休伝」を読んだという印象が強く残った。

 まず、本書の全体構成をご紹介する。
  第 一 章 利休と紹鴎の出会い             
  第 二 章 師匠紹鴎から離れる利休          
  第 三 章 利休、信長と出会う             
  第 四 章 茶の湯の改革に目覚める利休         
  第 五 章 利休の提案を理解する秀吉          
  第 六 章 利休、創作活動を開始する    
  第 七 章 津田宗及と利休を平等に扱う秀吉    
  第 八 章 秀吉茶の湯の真骨頂       
  第 九 章 秀吉と利休、茶の湯の相違     
  第 十 章 コンセプトの利休とファッションの秀吉   
  第十一章 破局への道       
  (付記:紹鷗の鷗は環境依存文字なので鴎を使う。本書では鷗で表記されている)

 第一章~第四章は、利休が茶の湯の世界に足を踏み入れ、紹鴎を師匠として学ぶ過程で、珠光が提唱した冷凍寂枯というコンセプトの茶の湯に回帰していく。冷凍寂枯をめざす茶の湯への改革に利休が目覚めるまでの過程が跡づけられている。この四章は、利休が己の創意を本格的に表出する以前の、いわば利休の雌伏期を明らかにすることになる。

 著者は、「山上宗二記」を拠り所にしながら利休の足跡を描いて行く。当初利休は、四畳半の茶室を確立した武野紹鴎を師匠とした。だが、紹鴎流は名物主義の茶の湯だった。著者は、「冷凍寂枯の美学を基準にして、名物とはどういうものかを実践で示して、名物を骨子に据えた茶道具のランキングを整理し、茶の湯の価値の体系を築いた」(p37)と述べ、この業績で紹鴎を茶の湯の正風体の完成者に位置づける山上宗二の意見に、著者は「心底から賛成する」(p37)
 利休は、紹鴎の名物主義が、茶の湯界に身分差を生み出したととらえる。四畳半の茶室を建てられず、名物物を所有できない侘び数寄者の存在に利休は眼を向ける。著者は「侘び数寄を救済するためには、どうしたらよいだろうか」という課題を利休が自らに課したと説く(p92)。それは、珠光の茶の湯、「茶の湯に上下なし」の精神に利休が回帰することへと導く。冷凍寂枯のコンセプトを追究・純化していく道であり、紹鴎流を離れ、茶の湯を改革する歩みとなる。40代で紹鴎流の茶の湯を越える信念を利休は固めたと著者はみている。だがこの考えは、信長には通じ無い。つまり、利休の雌伏期となる。

 天正11年~12年頃に、利休は「四民平等の茶の湯こそ、茶の湯の真髄」(p113)という己の考えを秀吉に言上したと、著者は推測する。信長とは異なり、下賤の出である秀吉は、利休の考えに対し、己の天下の有り様がひらめき、利休の考えに合意する。第五章はこの和合の瞬間に光を当てている。

 第六章は、利休が己の茶の湯を目指して創作活動を開始する側面を描く。利休の創意を茶室の工夫の側面で描いている。「常識的な建築ではなく、日常性を遮断してしまう、別乾坤を樹立しなくてはならないという信条」(p126)を背景に、紹鴎流の開放的建築ではなく、利休流の閉鎖的建築の創出へと突きすすむ。「藁屋に名馬を繋ぎたるが、面白く候」(p127)という珠光の言葉にリンクして行くという。利休の茶の湯の進展がわかる章である。

 第七章では、利休に和合した秀吉が、見える形として、紹鴎流の津田宗及と利休を平等に扱う様子を事実で例証する。
 
 秀吉と利休が茶の湯という接点で和合できたことにより、利休は冷凍寂枯のコンセプトを追究し己の創意を茶の湯に注ぎ込める場を確保できた。しかし、それを具現化する中では、互いの茶の湯に対するスタンスが異なる側面が明らかになっていく。二人は同床異夢の状況にあるということなのだ。第八章はこの点を秀吉の視点を主にして描いて行く。
 「一、北野大茶湯」「二、侘び数寄を視野に収める秀吉」「三、天皇を視野に入れる秀吉茶の湯」「四、官能の極、黄金の茶室」「五、眩惑の茶の湯装束」「六、長次郎の黒茶茶碗と黄金の井戸茶碗」「七、井戸茶碗 銘『筒井筒』にまつわるエピソード」「八、井戸茶碗 銘『筒井筒』と長次郎の黒茶碗 銘『大黒』の対比」という実例から読み解いていく。
 読者にとっては、その違いがよくわかる説明になっている。しかし、その相違を感じ取った両者がその時点で相手をどのように感じていたのか、両者の心理、心情については触れられていないように思う。そこがノンフィクション手法の限界なのかもしれない。本書を読む最初の動機は、ここでの両者の心理、心情の確執と軋轢の側面にあったので、少し肩すかしを感じた。一方、事実の側面を具体的に理解できた点は収穫である。

 第九章で、著者は秀吉と利休の問題意識の位相が異なることを明確にしていく。
 「秀吉は、利休流茶の湯を実践して、自ら楽しむことには、まったくといってよいほどに関心がなかったのである。利休流の茶の湯を全国に広め、普及させる役目を担うことには、無関心であった。利休は秀吉の懐刀となって仕えることによって、結果的には全国区の茶人になれたというのが、正しいであろう」(p207)
 「侘び人を不憫に思って企画したと秀吉が自らいう北野大茶湯には、実は、同様に佗び数寄者の救済を狙って創造した、利休新製の茶道具類をまったく登用しなかった」(p208)
 これらの指摘は実に興味深い。著者は具体的に事実ベースで例証している。

 「二、区別されて評価された秀吉と利休の茶道具」では、聚楽第の茶室を使った秀吉と利休のそれぞれの茶席の事例が取り上げられていておもしろい。

 第十章は、章題の示す通り、コンセプトの利休とファッションの秀吉という二人の対極的なスタンスが論じられていく。この章の論旨は、本書より4ヵ月後に刊行された『茶道の正体』で更に展開されて行くことになる。
 著者は、茶の湯という芸術活動において、コンセプトとファッションの両側面の重要性を説いている。利休は、冷凍寂枯のコンセプトを超克の美学に高めた。だが、ファッションという切り口を開いたのが秀吉であり、「遊戯」が秀吉茶の湯の特徴だと指摘する(p227)。「衝動に駆られての遊戯こそ、もっとも重要な秀吉茶の湯のモチベーションの一つであった」(p234)と説く。
 さらに、秀吉茶の湯に対して、信条レベルでは秀吉と利休は同じだった点を重視している。それが利休の「人と同じ茶の湯をしてはならない」という信条なのだと。
 秀吉と利休を論じつつ、この章ではコンセプトとファッションについて、著者の持論が展開されている。本章をお読みいただきたい。

 第十一章は、利休に対する突然の指弾から始まっって破局に至る様々な憶測が論じられていく。現在までに論じられてきた諸説を概説し、分析して、背景要因をまとめられている。それで利休の賜死の謎が解ける訳ではない。その上で、最後に利休の破局に対し、著者の信条が語られている。

 破局の謎がスッキリと解明された訳ではない。一つの視点は提示された。屋上屋を重ねることになっているのかもしれないが、それは仕方がない。しかし、破局の謎への全体図はわかりやすく説明されている。ノンフィクションの「利休伝」としては読みやすい。
 当時の茶道具で、現存するものについて知識豊富な方が読めば、茶会での茶道具の事実記述が各所に出てくるので、本書の楽しみ方が一味違ってくるかも知れないと思う。

 本書を読み、興味深く思った箇所をいくつか引用する。
*茶道具が有力者の間を往来するのが天文年間から弘治・永禄年間であった。 p24
*ものそれ自身は何も変わることなく存在するにすぎないのに、見る目が変わると、それに価値が生まれる。世の中、こんなうまい話はそうざらにあるものではない。無価値に近い安い工芸品が評判を集めるこの経済効果は、通常では発生することはまずない。
 ただ、欠かすことのできない要件が付きまとう。それは、その無名な工芸が、はたして茶席のなかで、効果を発揮できるかという「働き」の具合である。 p33
*冷凍寂枯をうたう喫茶法がやがて茶の湯と呼ばれることとなるわけだが、茶の湯には発祥の段階から、経済効果の裏付けを持って発展するという地場があった。 p34
*織部を天下一宗匠という指導者に祭りあげたのはときの浮世の人々であった。・・・・
 大衆の意思が時流を左右するというこのパターンは、21世紀の現代にもそのまま通用する。  p236-237

 最後に、著者が「侘び」について言及している箇所をご紹介しておこう。
「もともと、侘びには美的カテゴリーの意味はなかった。平安時代以来、『経済的に整わず、うらぶれて、将来を見失うほど落ちぶれた生活の状態』を指す言葉であった。
 桃山時代の茶人たちは、婉曲的な言い回しをせずに、単刀直入に言い表すので、名物茶器にめぐまれない茶人を侘数寄、あるいは単に侘といって、裕福な本数寄者と区別したのであった。ちなみに、侘を生活状況から切り離して、情緒たっぷりの美的カテゴリーに祭り上げたのは、ずっと下って昭和年間になってからのことであり、今ではすっかり侘びという言葉は、本義から離れてしまったのである。」(p86)
 珠光が評価し、利休がコンセプトとした冷凍寂枯の美に出てくる「寂」は「寂びる」である。

 ご一読ありがとうございます。


補遺
村田珠光  :ウィキペディア
武野紹鴎  :ウィキペディア
北野大茶湯  :ウィキペディア
10分の1に期間短縮?豊臣秀吉主催、800人参加の大イベント北野天満宮大茶会の謎!:「和楽」
大井戸茶碗『筒井筒』|井戸茶碗  :「茶道具事典」
井戸茶碗の魅力  :「陶磁器~お役立ち情報~」
黒楽茶碗 長次郎作  :「MIHO MUSEUM」

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『茶道の正体』  矢部良明  宮帯出版社
『茶人物語』  読売新聞社編  中公文庫
「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
 2022年12月現在 26冊

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『茶道の正体』  矢部良明  宮帯出版社

2023-07-23 18:50:57 | 茶の世界
 地元の図書館に設けられた本を紹介する書架で本書のタイトルが目に止まった。まず「正体」という語に惹きつけられた。「茶道の正体」というちょっと思わせぶりなタイトルで何を語るのか? 千利休関連の本は幾冊か読んでいるが、直接「茶道」を冠した教養書は読んでいない。好奇心が働いた。本書は、2022年12月に刊行されている。
 本書で初めて著者を知ったのだが、最後のページをみると、同出版社からだけでも7冊の著書を刊行されている。いずれこれらも読んでみたいと思っている。

 「はじめに」は、出版社より「茶の湯の基本的な常識についてまとめてほしい」、内容は自由にという依頼を受け、本書をまとめたという書き出しから始まっている。ターゲットとしての読者をどの辺りに想定した「茶の湯の基本的な常識」なのだろうか、という印象を抱いた書である。基本的な常識の基準線がちょっと高めだな・・・・と感じている。逆に少し踏み込んだ形で、珠光以降の茶の湯、茶道を通史的に学ぶ機会となり、役に立った。
 
 著者は「美術茶の湯」と「点前茶の湯」を茶の湯を支える二本柱と捉える。前者を尊ぶ人は数寄者であり、数寄茶の湯者である。後者は、点前中心の流儀の茶人であり、点前茶の湯者であると言う。そして、茶の湯500年間の起伏消長を論じていく。読後印象として、著者は茶の湯の真髄をなす美学は何かという点にウエイトを置いていると受けとめた。著者は「冷凍寂枯」という術語がその美学の根幹を成すと論じている。「世俗を超えるところに新境地をひらいた『超克の美学』を原理原則とする茶の湯」(p2)と語る。
 500年の茶の湯の歩みを通史的な視点で捉えると、「超俗の美学」をコンセプトにおいた茶の湯が、ファッションの茶の湯へと移行してきたと言う。その過程で茶の湯が多様化し、流儀(宗家)が生み出された。点前茶の湯に移行して行ったと論じている。
 500年間の当初200年ほどは、茶室と茶道具を使って超俗するための喫茶文化活動が継続した。それが美術茶の湯であり、そこに確立されたのが「冷凍寂枯」の美学だと論じている。その論証プロセスは読み応えがある。基本的な常識を踏み越えて、更に掘り下げていると思う。

 本書の構成をご紹介しておこう。私が理解した範囲で多少要点を付記する。
 第一部 茶の湯、その芸術活動
  第一章 心に染みる抹茶の美味しさ
   中国の茶の製法と喫茶法を簡略に紹介した後、日本で「抹茶」が確立され、濃茶
   と薄茶が生まれたと述べ、その製法にも言及する。

  第二章 芸術の道を歩む茶の湯
   中国は喫茶を芸術に発展させたとして『茶経』『茶録』の内容を説く。「鎌倉時
   代後期の14世紀に流行し始めた喫茶法は、中国の文人が9世紀から10世紀に称揚し
   始めた黒釉茶碗に象徴される新たな喫茶法だったのです」(p49)と著者は言う。
   日本には宋風喫茶が導入された。15世紀に、京都・東福寺の僧正徹が、茶好きを
   「茶呑み」「茶喰らい」「茶数寄」の三種の人々に分けた。「数寄」という概念
   がここに登場してくる。

  第三章 禅と茶の湯
   室町時代末期の禅僧たちが「茶禅一味」を言い出したが、日本において初期の茶
   人たちが茶の湯を発祥した動機付けは禅ではないと著者が論じる点が興味深い。
   珠光、彼の嗣子宗珠、武野紹鷗(以下、鴎で代用)を取り上げている。さらに、
   心敬法師が「連歌は枯れかじけて寒かれ」と言い、紹鴎は茶の湯美学の原点をこ
   こに求めたと論じていく。著者は藤原俊成の「寂び」、世阿弥の「寂び・冷え」
   に言及する。その上で、禅と茶の湯の精神共同体的な土壌の確認を進めたのが千
   利休と論じている。

  第四章 金銭が物語る茶の湯の発展
   茶の湯の発展を、唐物茶道具に財産価値が付き、茶道具の値段が高騰していく様
   の事例を挙げて論じている。それは、茶の湯が人々に理解され普遍性を獲得しそ
   の存在感を確かめるのに分かりやすいからと言う。確かに茶道具がどのように受
   容されて行ったかが一目瞭然である。当初の茶の湯は茶道具への関心が高かった
   ようだ。その点を信長が己の政治に採り入れたのをなるほどと思う。

  第五章 珠光茶の湯の遺産
   珠光は、自ら冷凍寂枯の美学を提案し、「喫茶が主目的ではなく、高級な茶道具
   を使って、特別な建築や庭園などの環境をととのえ、超俗の境涯に清遊すること
   に主眼をおく」(p113)美術趣味と捉えていたと著者は論じている。
   著者は、珠光の茶道具は「麄相(そそう)の美」を象徴していると言う。
   珠光は、当時格上とみられた建盞よりも格下と見られていた天目を高位に置いた
   という。
   さらに、著者は珠光が茶の湯台子と茶室の原形をつくったと推考している。珠光
   流の茶室は押板ではなく、床構えであり、「床」が茶席の飾り所となっていたと
   論じている。「床には飾りのマニュアルがないという自由さこそが、珠光の着眼
   点だったのでしょう」(p146)と推考する。

  第六章 茶の湯を大成したのは、武野紹鴎?千利休?
   著者は『山上宗二記』を基盤にし、諸文献を渉猟し引用することで論証しながら
   持説を論じている。知らない諸資料が次々に登場するが、論理の展開はわかりや
   すく読みやすい。
   紹鴎が活躍した天文年間(1531~1555)は、唐物茶道具が急展開する時期で、紹
   鴎は茶道具の目利きであり、彼の審美眼が実績となったと言う。紹鴎の茶室の図
   面が『山上宗二記』に記録されていて、著者はその図面を本書に掲載している。
   山上宗二は紹鴎を「正風体の茶の湯の大成者」と評価したと著者は紹介する。そ
   れと対比し、山上宗二の記述「千利休は、名人であったから、山を谷、西を東と
   言って、茶の湯の法を破り、自由をなしても面白い」(p173)を引用して、著者
   は千利休を茶の湯の革新者と位置づけて論じている。天正10年までは、紹鴎流が
   一世を風靡したとする。そして、「利休が、紹鴎茶の湯を乗り越えようと覚悟を
   つけたのは、天正10年以後のことでした」(p179)と述べ、この時期以降に利休が
   茶の湯の革新者となり、「唐物名物に代わる創作茶道具の提案と、格別な茶室の
   提案」(p179)をスローガンにした行動を始めたと論じている。利休が己の茶の湯
   を始めるのは、豊臣秀吉が天下人として君臨する時期と一致するという。
   さらに、著者は利休が己の創作へと突き進んで行ったのかを論じて行く。
   この章から学ぶことが多い。小見出しを列挙しておこう。
   「六、創作にかける利休の動機」  「七、超俗の至味をうながす利休茶席」
   「八、利休道具を貫流する寂びの美」
  
  第七章 ファッションの茶の湯の系譜 秀吉から織部・遠州・宗和へ
   「秀吉の心には三人の茶人が住んでいた」と比喩的な言い方で著者は持説を展開
   するところから始める。その一人がファッショナブルな茶人だと言う。利休の超
   俗の茶の湯という価値観に拘泥しない創意の地平を秀吉が開いた。その一例を黄
   金の茶屋で論じる。秀吉を筆頭にした故に、利休亡き後、時代の変化に呼応して
   織部・遠州・宗和というファッションの茶の湯が次々に生まれて行った。その経
   緯を論じていく。読んでいて興味深いし、おもしろい。
   それもまた、創作を試みた利休の根底に「自我の自覚」が厳然とあり、そこにフ
   ァッションの茶の湯を生み出す原点があると論じていると理解した。
   織部・遠州・宗和のそれぞれの創作した茶の湯が概説されていく。

 第二部 茶の湯、伝統芸能への道
  第一章 茶の湯流儀が成立する様子
   著者は、美術茶の湯の創造活動がそれぞれにおいて、理想的な頂点を極めていく
   とその先にはその芸術活動の伝統を守る気運が生まれていくのは必然だとする。
   「先人が築いた茶の湯が感動的に映り、守らなくてはならないという使命感が生
   まれ、さらに、先覚者の茶風をモデルとして尊重し、モデルからはみ出すことを
   避ける気運が生まれてきます」(p290)と。つまり、流儀が成立していく。茶の
   湯が伝統芸能になっていくのだと著者は言う。古典芸能は全て同じ道を歩んでい
   ると。茶の湯は「点前茶の湯」が主流となる道を歩み始めたということだろう。
   著者は、「二、千江岑と山田宗徧の流儀意識」「三、主要流派の成立」という小
   見出しのもとで、論証を進めている。
  この後の本書の展開は、章名のご紹介にとどめよう。
  第二章 流儀と点前
  第三章 流儀と茶室
  第四章 流儀と茶道具
  第五章 流儀を離れ、数寄風流する茶人たち

 また、本書は以下の事項について、参照資料として役に立つ。
*本文中に、紹鴎の茶室の図面と併せて、紹鴎茶席の特徴を箇条書きにまとめて、解説してくれている。  p166-168
*茶の湯の点前を眼目とする茶書について、桃山時代から江戸時代前期、17世紀の主だった茶書を一覧にまとめてくれている。 p314-316
*本書では様々な茶室の説明が出てくる。解説された茶室の茶室図が巻末に「茶室図」としてまとめられている。 p406-411

 最後に、著者の主張で印象に残る箇所を覚書として抽出しておきたいと思う。
*「侘び」と「寂び」とが、利休の思想のなかで、まったく別の次元の概念として相違していた。  p182
*「物を入れて、?相に作る」。この一語こそ、利休作為の原点です。 p195
  ⇒「物の入れる」という言葉は、金銭を掛けるという意味
*「秀吉なくして、利休なし」という想いを捨てるわけにはいきません。 p209
*利休がみずからの矜持としていたスローガンは、
  茶の湯は一個人のものであって、他人が模倣したり、遵守してはならない
というものです。美学は古典を守る利休でしたが、創作を試みる利休の精神を支える骨格は、 天が自らに与えた「自我」こそ、すべての真髄  という主張にあったようです。明晰な識見によって支えられる自我の自覚こそ、利休創作の基盤をなしていたのです。  p229-230
*利休自身の茶の湯は自分のなかで完結するものであって、利休は身内にも、まったく利休茶の湯を伝えることを強要しなかった。
 利休には、流派を形成しようという魂胆はまったくなかったのです。 p323
*茶道具に流儀が成熟する様子が投影しているとは、筆者の持論です。 p347
*大宗匠の功績は門弟たちに継承されて、流派は生まれます。流派の成立は、茶の湯の大道がすでに個々の茶人の個性から離れて、初めて可能になると思います。・・・普遍性を得たことによって、自我に根差すことが使命である芸術活動は沙汰止みとならざるを得ません。ここで、主導者が定めたマニュアルを守るという方向に茶の湯はすすむことになります。こうして茶の湯という高級な文化は、伝統に守られた没個性の芸能として保持されていくと、筆者は考えているのです。芸術から芸能へと歩むこの方向付けは、歴史の必然といえましょう。  p325
*画期的な茶道具作りが一段落した江戸中期、18世紀以降になると、・・・過去の名品をいかに按配するか、ここに茶人の力量が試される時代に入ったといってよいと思います。
  p349

 「美術茶の湯」と「点前茶の湯」、古典的な「冷凍寂枯」の美学をめざす茶の湯とファッションの茶の湯、芸術活動と芸能活動。茶道、茶の湯について考える観点が整理されていて、おもしろく読めた。
 著者の語るファッションの茶の湯の背景にある美学について、一歩踏み込んで知りたくなってきた。

 ご一読ありがとうございます。
  

補遺
村田珠光  :ウィキペディア
武野紹鴎  :ウィキペディア
千利休   :ウィキペディア
千利休   :「ジャパンナレッジ」
古田重然  :ウィキペディア
小堀政一  :ウィキペディア
金森重近  :ウィキペディア
山田宗徧  :ウィキペディア
珠光青磁茶碗(出光美術館所蔵):「表千家」
珠光青磁  :「鶴田鈍久乃章 お話」
建盞  :「コトバンク」
天目  :「コトバンク」
南蛮芋頭水指  :「茶道入門」
面桶      :「茶道入門」
古備前水指 銘 青海  :「文化遺産オンライン」

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「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
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『茶人物語』 読売新聞社編  中公文庫

2023-01-23 18:31:30 | 茶の世界
 市の図書館で参考資料を探していて、たまたまタイトルが目に止まり、借り出して読んでみた。「あとがき」に編者が日野忠男氏と出ている。その説明によれば、当初、「茶道の人々」として約2年間にわたり読売新聞に連載されたものという。「一冊の本とするに当たって、新たに資料を加え、一部人物も入れかえて書き改め」て、1978年に淡交社から刊行された。さらに再編集されて2012年10月に文庫化されている。
 
 茶の湯は日本文化史の上で大きな影響を与えてきた。日本文化の中の茶の湯の歴史という視点で捉え、茶人たちを絡めて語っていくというアプローチでは以前に谷晃著『茶人たちの日本文化史』(講談社現代新書)を読んでいて、ご紹介している。
 この『茶人物語』は、「あくまでも茶の湯を舞台とした人物史伝」という視点で、茶人について語り継ぐ形で、その人物を知るとともに、茶の湯の歴史の一側面を浮彫にしていくというアプローチになっている。そういう意味ではこの二書は相互補完される形になる。本書は、茶人その人に興味を抱きながら、茶人を通して茶の湯の流れを知るという意味では読みやすい一書である。

 目次の構成とその章に取り上げられている茶人を列挙してご紹介しよう。
 目次には茶人名の後に、短いフレーズで見出しの一部としてその人物を評し紹介している。それは本書を開いてお読みいただきたい。本書には53人の茶人が登場する。

 第一章 喫茶の起こり
   陸羽、永忠、空也、栄西、明恵、叡尊
 第二章 婆娑羅とわび
   佐々木道誉、足利義満、足利義政、村田珠光、古市澄胤、武野紹鴎、
   今井宗久、津田宗及、松永弾正久秀、織田信長
 第三章 利休とその周辺の茶人たち
   豊臣秀吉、上井覚兼、千利休、細川三斎、織田有楽斎、高山右近、
   神谷宗湛、島井宗叱、山上宗二、南坊宗啓、千道安、千少庵、古田織部
 第四章 茶道隆盛への道
   薮内紹智、長闇堂、小堀遠州、松花堂昭乗、本阿弥光悦、片桐石州、沢庵宗彭
   江月宗玩、金森宗和、千宗旦、山田宗徧、杉木普斎、藤村庸軒、吉野太夫
 第五章 近世の茶人
   近衛家煕、鴻池道億、高遊外、如心斎天然、堀内仙鶴、川上不白、松平不昧
   井伊宗観、玄々斎宗室、岡倉天心

 「第一章 喫茶の起こり」は、茶道の古典と言われる『茶経』を書いた中国の茶人から始まっている。永忠から叡尊までは、茶を伝え、広めることに関わった日本の僧侶たちである。
 第二章では具体的な茶の湯の姿が大きく変容していくプロセスになる。人物史伝の中で、茶の湯の姿の変容が人物と絡めて語られる。闘茶から淋汗茶会、そしてわび茶の始まりと町人の間での茶の湯の勃興、そして大名茶の始まり。室町時代は足利義満・義政の関心により茶道具が重視され珍重されていく。果ては信長の「名物狩り」「茶の湯御政道」に結びつく。
 第三章では、まず利休が茶の湯の頂点を究める。だが時代の変化につれて、茶の湯のあり様も変化していく。茶人を語る中から、大きな3つの流れにわかれていくことがわかる。それぞれの領域で茶人たちが活躍していく。
 一つは、政権を担っていく武士、大名たちの間での茶の湯の変遷。それは利休の茶の湯から始まり、古田織部流⇒小堀遠州流⇒片桐石州流へと移っていく。幕府の対極にある宮廷・公家の世界では、金森宗和の茶の湯が宮廷茶として取り入れられて行く。千宗旦が千家を中興し、山田宗?がわび茶の復興をはかるにつれて、経済を担う町人たちの間でわび茶が広がっていく。一方で、町人たちの茶の湯のあり方も変容していく。また、大名たちもわび茶に再び目をむけるように・・・・・

 一茶人あたり、3~10ページくらいにまとめられた人物史伝を読むと、それぞれの茶人のプロフィールが大凡つかめるとともに、上記のような茶の湯の歴史の大きな流れも把握できて行く。

 本著は茶人事典という意味合いでも利用できるメリットがある。ちょっと特定の茶人について知りたいというときに便利。大凡の有名どころはカバーされていると思った。
 また、索引は人物名で構成されている。ここに登場する53人の茶人と関係する人々も載っているので、人間関係の繋がりを知るのにも使える側面がある。例えば、千家の場合、茶人としては利休、道安、少庵、宗旦、玄々斎宗室が人物史伝として登場している。一方、索引には、千宗恩、千宗見、千宗左、千宗室、千宗守、千宗拙の名前が索引に載る。さらにサンプリングしてみると、明智光秀が7カ所、空海(弘法大師)が4カ所、正親町天皇が4カ所、徳川家光が6カ所・・・という具合である。
 
 最後に、「吉野太夫 -島原の名妓」の項でおもしろいことを学んだのでご紹介しておこう。
 吉野太夫は豪商灰屋紹益との大ロマンスで有名な京都・島原の遊郭で二代目の太夫である。灰屋紹益は本阿弥光悦とも交流のあった茶人であり諸芸に秀でていた人。
「遊女と茶の湯が深い関係にあったので、いつしか待合のことをお茶屋と呼ぶようになり、また客のない遊女が暇つぶしに茶の葉を臼で挽いたことから『お茶を挽く』という言葉が生まれた。遊郭が茶の湯と離れて、ほんとうの悪所になるのは、江戸中期以後のことである」(p213)
 「お茶屋」の言葉の由来を知った。

 この本、今後の参照資料として手許に置いておきたくなった。

 ご一読ありがとうございます。

こちらもお読みいただけるとうれしいです。
「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版
                  2022年12月現在 26冊
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「遊心逍遙記」に掲載した<茶の世界>関連本の読後印象記一覧 最終版 2022年12月現在

2022-12-29 18:15:14 | 茶の世界
ブログ「遊心逍遙記」を開設して以降、読み継いできた作品を一覧にまとめました。
お読みいただけるとうれしいです。  26冊掲載

=== 小説 ===
『茶道太閤記』  海音寺潮五郎 文春文庫
『利休とその妻たち』 上巻・下巻   三浦綾子   新潮文庫
『利休の闇』 加藤 廣  文藝春秋
『利休にたずねよ』 山本兼一 PHP文芸文庫
『天下人の茶』  伊東 潤  文藝春秋
『宗旦狐 茶湯にかかわる十二の短編』 澤田ふじ子  徳間書店
『古田織部』 土岐信吉 河出書房新社 
『幻にて候 古田織部』 黒部 享  講談社
『小堀遠州』 中尾實信  鳥影社
『孤蓬のひと』  葉室 麟  角川書店
『山月庵茶会記』  葉室 麟  講談社
『橘花抄』 葉室 麟  新潮社

=== 教養書・エッセイなど ===
『裏千家十一代 玄々斎の茶と時代』 愛蔵版淡交別冊  淡交社
『裏千家今日庵歴代 第三巻 元伯宗旦』 千宗室 監修  淡交社
『裏千家今日庵歴代 第二巻 少庵宗淳』  千 宗室 監修  淡交社
『利休とその一族』  村井康彦  平凡社ライブラリー
『利休 破調の悲劇』  杉本苑子  講談社文庫
『茶人たちの日本文化史』  谷 晃   講談社現代新書
『利休の功罪』 木村宗慎[監修] ペン編集部[編] pen BOOKS 阪急コミュニケーションズ
『千利休101の謎』  川口素生  PHP文庫
『千利休 無言の前衛』  赤瀬川原平  岩波新書
『藤森照信の茶室学 日本の極小空間の謎』 藤森照信 六耀社
『利休の風景』  山本兼一  淡交社
『いちばんおいしい日本茶のいれかた』  柳本あかね  朝日新聞出版
『名碗を観る』 林屋晴三 小堀宗実 千宗屋  世界文化社
『売茶翁の生涯 The Life of Baisao』 ノーマン・ワデル 思文閣出版

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