ウィーン室内合奏団-日本公演2014へ行きました。
素晴らしくて、ちょっと感動。
良かったです。
どなたかが、「ほんとに上手ぅ・・・」と感想を(笑)。
あなたに言われたくないでしょうが・・・もちろん私にも言われたくないでしょうね、あはは。
こういう時、本場のちから、感じちゃうのです。
うまい人たちは、うまいのだな、普通に・・・。
音楽やってちゃダメなんじゃないのん、アタシ・・・みたいな。
まぁ、そんなこと言ってないで、今日やらなくちゃいけないことを、今日やりましょう。
素晴らしくて、ちょっと感動。
良かったです。
どなたかが、「ほんとに上手ぅ・・・」と感想を(笑)。
あなたに言われたくないでしょうが・・・もちろん私にも言われたくないでしょうね、あはは。
こういう時、本場のちから、感じちゃうのです。
うまい人たちは、うまいのだな、普通に・・・。
音楽やってちゃダメなんじゃないのん、アタシ・・・みたいな。
まぁ、そんなこと言ってないで、今日やらなくちゃいけないことを、今日やりましょう。
…とはいかないところが音楽の難しいところですね。
『うまい』と思わせる何らかの隠し味がありそうですが、その辺が『伝統のちから』なのでしょうか。
音楽はまだまだ謎だらけ。
そうでなければならないと思う。
もちろん、そうでなくても感動することはありますし、感動させることも出来る。
でも、それは一時的であって・・・やはり真実ではないんです。
そこを目指すべきではない、そこは、一つの通過点でしかありません。
あぁいうものを、普通に見せつけられるとやはり、感動すると同時に、打ちのめされもしますね。
以前、ベルリンフィルの某元コンマスと話した際、
「今まで満足できた演奏会は一度も無い!」
との言葉を聞き、衝撃を受けました。
もはや"人間"がその次元に到達するのは、諦めた方がよいのかも?
それが、楽しいのだと思う。
もしも仮に、獲得してしまったら、つまらないでしょうね。
私の亡くなった恩師は夢の中で理想の音を聴いたそうです。
飛び起きて、今なら出来るかと、演奏してみたけれど、現実自分が出した音は、夢のそれでは無かったと・・・。
恩師の求めたものの大きさ、理想と志の高さを知ることが出来る、美しい話だと思って・・・私の好きな逸話です。