ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

信実 2000.9.1

2000-09-01 16:15:30 | 嫩葉
信実
「セリヌンティウス」メロスは眼に涙を浮かべて言った。「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い夢を見た。君が若し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ」
セリヌンティウスは、すべてを察した様子で首肯き、刑場一ぱいに鳴り響くほど音高くメロスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」
メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ」二人同じに言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

わたしがまだ若い頃、時も状況も、すっかり忘れてしまったが、このシーンは心の映像としてしっかり覚えている。覚えているどころか、まるでその場に居合わせてように鮮明に、色と音響までつけられて、わたしの心の中心にしっかりと植付けられている。その意味では聖書のどの言葉よりも、強くわたしの生き方のテーマとなっている。信じること、疑うこと、謝ること、信じられること、疑われること、謝れること。
今年の夏、どうしてももう一度、この小説が読みたくなって、本屋で新潮文庫の「走れメロス」(太宰治著)を手に入れ、読み直した。始めに読んだときの感動が甦ってきた。もう、今までに何回読んだだろうか。何回読んでも、太宰の名調子に引きづられて「走り読み」になってしまう。今度こそ、ゆっくりと読もうと思って、読み始めたがやっぱり「走って」しまう。しかし、新しい発見もあった。実は、ただチラッと「悪い夢を見た」どころではない。メロスの信実は破れてしまっているのである。
メロスが「精も根も尽き」ぶっ倒れた時の独白。「正義だの、信実だの、愛だの、考えて見れば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。」「あぁ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。」この徹底的な敗北感からメロスを振るい起こし、走らせる「恐ろしく大きいもの」が働いている。「メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきづられて走った。」
若い時に読んだ本をもう一度読み直すのもなかなかいいものである。

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