お早ようございます。主の平和。『地に火を放つ者』続読。次の説教の準備。孫息子がエンデのの『モモ」、『パパラギ』を読みたくなったとのことで、書斎を探す。夜は向井理・尾野真千子主演の「サマーレスキュー」、医師不在の時の看護師の役割の問題。看護師の役割を軽視してはならない。これは私自身が入院して実感したこと。緊急時における看護師の役割をもう少し規制緩和してもいいのではないだろうか。医療とは命に関わる行為であり、常に緊急時である。10時半就寝。5時半に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 05:47:17
#losungenj 07.23(mon) 民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために祈った。(Num21:7)
posted at 06:01:58
#losungenj イエスは常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。(Heb7:25)
posted at 06:02:27
#losungenj 私の黙想:
ここでは民はモーセの指導者としての責任を問う。神はそれを見て怒り民に災いを送る。民は困り果てモーセの所に来て執り成しを願う。モーセは神に執り成す。神は赦す。ヨハネは青銅の蛇をイエスの十字架の象徴とする。しかし本当はモーセがイエスの予型である。
posted at 06:12:34
今日の名言: 人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、 青年よ大志を抱け。(W・S・クラーク)
<一言>一般に日本人は最後の言葉だけを取り上げる。むしろ、重要なこと、クラーク先生から直接にこの言葉を聞いた若者たちは、前半の言葉に命をかけたのである。
posted at 06:24:30
門叶 国泰 この句は、北大予科教師ポ-ル・ローランドが、大正3年に「ウイリアム・スミス・クラークのメッセージ」として発表したものです。これが、大正7年同文館発行の「教育大事典」にのり、その後クラークの「別離の辞」として広まっていきました。ローランドは、年代が違いクラークに会っていないことは押さえておかなければ、と思います。だからと言って、クラークの言葉の意味が損なわれると言うことではありません。
文屋 善明 そうでしたか。ちっとも知りませんでした。感謝。
今日は朝から大分県の玖珠町に出かけました。この町は「日本のアンデルセン」と呼ばれた久留島武彦先生の生まれ故郷で、そこには久留島記念館があります。先生は豊後森藩久留島家13代通簡の兄・通寛の長男として生まれ(1874年)、中学生の頃英語教師ウェンライト先生と出会い関学神学部に転校した(1890年)。1893年に神戸美以教会の日曜学校の校長に就任したが、翌年近衛師団に入隊し翌年日清戦争に従軍。ボーイスカウト運動にも尽力し、第2回世界ジャンボリー(1924年、デンマーク)にも参加している。童話の口演を行った幼稚園・小学校は全国6000を超えるといわれている。児童文化の向上に貢献したことによって紫綬紋章を受けている(1958年)。
posted at 17:55:34
<補遺>久留島武彦先生と野辺地天馬先生との比較をしなければならないだろう。同じような時代、同じように生きた。
posted at 05:47:17
#losungenj 07.23(mon) 民はモーセのもとに来て言った。「わたしたちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。主に祈って、わたしたちから蛇を取り除いてください。」モーセは民のために祈った。(Num21:7)
posted at 06:01:58
#losungenj イエスは常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。(Heb7:25)
posted at 06:02:27
#losungenj 私の黙想:
ここでは民はモーセの指導者としての責任を問う。神はそれを見て怒り民に災いを送る。民は困り果てモーセの所に来て執り成しを願う。モーセは神に執り成す。神は赦す。ヨハネは青銅の蛇をイエスの十字架の象徴とする。しかし本当はモーセがイエスの予型である。
posted at 06:12:34
今日の名言: 人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、 青年よ大志を抱け。(W・S・クラーク)
<一言>一般に日本人は最後の言葉だけを取り上げる。むしろ、重要なこと、クラーク先生から直接にこの言葉を聞いた若者たちは、前半の言葉に命をかけたのである。
posted at 06:24:30
門叶 国泰 この句は、北大予科教師ポ-ル・ローランドが、大正3年に「ウイリアム・スミス・クラークのメッセージ」として発表したものです。これが、大正7年同文館発行の「教育大事典」にのり、その後クラークの「別離の辞」として広まっていきました。ローランドは、年代が違いクラークに会っていないことは押さえておかなければ、と思います。だからと言って、クラークの言葉の意味が損なわれると言うことではありません。
文屋 善明 そうでしたか。ちっとも知りませんでした。感謝。
今日は朝から大分県の玖珠町に出かけました。この町は「日本のアンデルセン」と呼ばれた久留島武彦先生の生まれ故郷で、そこには久留島記念館があります。先生は豊後森藩久留島家13代通簡の兄・通寛の長男として生まれ(1874年)、中学生の頃英語教師ウェンライト先生と出会い関学神学部に転校した(1890年)。1893年に神戸美以教会の日曜学校の校長に就任したが、翌年近衛師団に入隊し翌年日清戦争に従軍。ボーイスカウト運動にも尽力し、第2回世界ジャンボリー(1924年、デンマーク)にも参加している。童話の口演を行った幼稚園・小学校は全国6000を超えるといわれている。児童文化の向上に貢献したことによって紫綬紋章を受けている(1958年)。
posted at 17:55:34
<補遺>久留島武彦先生と野辺地天馬先生との比較をしなければならないだろう。同じような時代、同じように生きた。