お早うございます。今日も皆様方に上よりの祝福が豊かにありますように。昨夜は黒崎で開催された「ホームレス エイド コンサート」に出かけ、余韻を味わいながら12時前に就寝。今朝は6時15分に起床。<講釈>の発送が1日遅れている。滝沢神学で時間を取られている。体調快調。チュン、チュン。
posted at 06:32:28
#losungenj 今日のローズンゲン 11月16日(水): あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。(イザヤ65:18、口語訳)
posted at 06:39:30
#losungenj : 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。(ロマ5:10)
posted at 06:41:43
#losungenj 確かに新共同訳より口語訳の方がスッキリしている。「楽しみ、喜びを得よ」という表現には、「わたしが創造したもの、これから創造するもので満足せよ」という意味が込められているように思う。人間は神が創造したものだけで満足しないで、自ら何かを作り出そうとする。そこに人間の傲慢の芽がある。
posted at 06:46:27
今日の名言: RT @wisesaw: 広く好かれれば好かれるほど、深く好かれないものだ。 (スタンダール) <一言>どちらが正しいかという問題ではない。人生は、そしてそこでの人間関係は、その人自身の選択による。広いのも良し、深いのも良し。ただ自己中心な人は誰からも好かれない。
posted at 06:54:47
#kokorotabi 今日の目的地は長崎県大崎町、大崎高校前の中戸の浜、佐世保港から船で横瀬西港に向かう。すっかり変わってしまっている。もう砂浜がない。
posted at 07:54:53
#kokorotabi こころ旅(昨夜の分)、佐賀県での第1日目、国見湖畔公園から佐世保市展海峰に向かう。そこから眺める九十九島の夕陽が「思い出の風景」。それにしてもこのチームのカメラマンがいいな。芋掘りをする園児たち、正平さんに出会って興奮する母親、佐世保バーガー。(続)
posted at 09:58:19
#kokorotabi (2)大きな口を開けて佐世保バーガーをほおばる正平。元々は米軍キャンプの文化。元気なおばあさんに驚く。展海峰からの眺め、わぁー、綺麗なぁ。凄い夕陽。ここまで来る苦労は十分報いられる。思わず「ぎんぎんぎらぎら日が沈む」を歌う正平。良かった。
posted at 10:13:45
一昨日出かけた西日本菊花大会(宗像大社)での写真をアップします。 http://t.co/6Y5Pb5w3
posted at 13:45:59
次はTwitterから写真をアップ。 http://t.co/toxpb3MI
posted at 13:56:13
琴奨菊の今日の相手は旭天鵬、右寄り切りで4連勝。いい立ち会いであった。
posted at 17:50:05
#kokorotabi 長崎県西海市大崎町中戸の浜に向かって。高い橋をやっと渡った。また橋だ。桜貝って本当に桜色してるんだ。砂浜がなくなっている。代わりにコンクリートの堤防。情緒なんか少しもない。だんだん国土が味気なくなっていく。軍艦島が遠くに見える。
posted at 19:28:12
「家政婦のミタ」。「たとえどんなことがあっても、私は家庭の問題に口を出すつもりはありません」という態度。徹底的に「伝言者」としての態度。家庭内の会話の問題。正直に言うということ。(続)
posted at 22:15:42
「家政婦のミタ」(2) 長女が家出を決意する。「もう誰にも干渉されずに、好きな人とだけ一緒にいたいの」。父親も浮気相手に逃げられ、長女もボーイフレンドから裏切られる。「ミタさん、私を殺して」。(続)
posted at 22:36:15
「家政婦のミタ」(3) 長女の名前は「結」、家族を結ぶ存在である。父親に愛の証明を迫る。まだまだ続く。
posted at 22:52:3
<FBより>
文屋 善明 これは写真を複数枚同時にアップする方法のテストです。そのため、文章を付けることもなく(本当は失敗した)、大変失礼いたしました。
牛島 幹夫 後から、文章を入れる方法があります。
画面の上右にある自分の名前をクリックすると、自分の投稿がずらっとならびます。
次に右側に出てくる自分のプロフィール写真の下にある「写真」をクリック。
今までにアップした写真やアルバムの一覧が出てくるので、該当のところをクリックするとアルバムが開きます。
次に、アルバムの表題が書いているところの右端にある青くなった「アルバムを編集」をクリックすると、題字や、コメントを編集しなおせる画面が出るので、変更した上で、保存をクリックで変更できます。写真を編集をクリックすると、一枚一枚の写真にコメントを入れられます。
加藤 治
妹にもFBを教え、OB会で会った仲間も何人か知り合いに加えたのだが、なかなか応答がない。こんなことをやるのは暇人か変人なのか。あるいはITの奴隷か?
文屋 善明 FBを楽しい会話の時として楽しむか、愚痴る不満解消の時にするかは、その人次第です。それを誰に押しつけることも出来ないし、押しつけられるのも迷惑なことです。何時でも始められるし、何時でもやめることが出来る。それが良いところでしょう。
<補遺>詩23の説教がなかなかまとまらない。滝沢克己と西田幾多郎の哲学にまとわりつかれている感じ。しかしインマヌエルということについて、滝沢ほど拘った哲学者いない。その視点から仏教とキリスト教との対話の道を開いた。
西谷啓治先生は「あなた方はパウロが言う『我キリストと偕に十字架につけられたり。最早われ生くるにあらず、キリスト我がうちに在りて生くるなり』(ガラテヤ2:20)という言葉をどういう風に理解しているのか」と問いかけられた。それ以後、ずっとこの問いを考えている。この問いも、結局は「神共にいます(インマヌエル)」をどう受け止めているのかという問いである。キリスト者はわりあい平気で「神共にいます」ということを口にするが、この言葉が意味していることを真剣に、深く考えたことがない。「神」という絶対者、永遠者と「われ」という相対的存在、時間的人間とが共存するとはどういうことなのか、考えたことがない。
posted at 06:32:28
#losungenj 今日のローズンゲン 11月16日(水): あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。(イザヤ65:18、口語訳)
posted at 06:39:30
#losungenj : 敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。(ロマ5:10)
posted at 06:41:43
#losungenj 確かに新共同訳より口語訳の方がスッキリしている。「楽しみ、喜びを得よ」という表現には、「わたしが創造したもの、これから創造するもので満足せよ」という意味が込められているように思う。人間は神が創造したものだけで満足しないで、自ら何かを作り出そうとする。そこに人間の傲慢の芽がある。
posted at 06:46:27
今日の名言: RT @wisesaw: 広く好かれれば好かれるほど、深く好かれないものだ。 (スタンダール) <一言>どちらが正しいかという問題ではない。人生は、そしてそこでの人間関係は、その人自身の選択による。広いのも良し、深いのも良し。ただ自己中心な人は誰からも好かれない。
posted at 06:54:47
#kokorotabi 今日の目的地は長崎県大崎町、大崎高校前の中戸の浜、佐世保港から船で横瀬西港に向かう。すっかり変わってしまっている。もう砂浜がない。
posted at 07:54:53
#kokorotabi こころ旅(昨夜の分)、佐賀県での第1日目、国見湖畔公園から佐世保市展海峰に向かう。そこから眺める九十九島の夕陽が「思い出の風景」。それにしてもこのチームのカメラマンがいいな。芋掘りをする園児たち、正平さんに出会って興奮する母親、佐世保バーガー。(続)
posted at 09:58:19
#kokorotabi (2)大きな口を開けて佐世保バーガーをほおばる正平。元々は米軍キャンプの文化。元気なおばあさんに驚く。展海峰からの眺め、わぁー、綺麗なぁ。凄い夕陽。ここまで来る苦労は十分報いられる。思わず「ぎんぎんぎらぎら日が沈む」を歌う正平。良かった。
posted at 10:13:45
一昨日出かけた西日本菊花大会(宗像大社)での写真をアップします。 http://t.co/6Y5Pb5w3
posted at 13:45:59
次はTwitterから写真をアップ。 http://t.co/toxpb3MI
posted at 13:56:13
琴奨菊の今日の相手は旭天鵬、右寄り切りで4連勝。いい立ち会いであった。
posted at 17:50:05
#kokorotabi 長崎県西海市大崎町中戸の浜に向かって。高い橋をやっと渡った。また橋だ。桜貝って本当に桜色してるんだ。砂浜がなくなっている。代わりにコンクリートの堤防。情緒なんか少しもない。だんだん国土が味気なくなっていく。軍艦島が遠くに見える。
posted at 19:28:12
「家政婦のミタ」。「たとえどんなことがあっても、私は家庭の問題に口を出すつもりはありません」という態度。徹底的に「伝言者」としての態度。家庭内の会話の問題。正直に言うということ。(続)
posted at 22:15:42
「家政婦のミタ」(2) 長女が家出を決意する。「もう誰にも干渉されずに、好きな人とだけ一緒にいたいの」。父親も浮気相手に逃げられ、長女もボーイフレンドから裏切られる。「ミタさん、私を殺して」。(続)
posted at 22:36:15
「家政婦のミタ」(3) 長女の名前は「結」、家族を結ぶ存在である。父親に愛の証明を迫る。まだまだ続く。
posted at 22:52:3
<FBより>
文屋 善明 これは写真を複数枚同時にアップする方法のテストです。そのため、文章を付けることもなく(本当は失敗した)、大変失礼いたしました。
牛島 幹夫 後から、文章を入れる方法があります。
画面の上右にある自分の名前をクリックすると、自分の投稿がずらっとならびます。
次に右側に出てくる自分のプロフィール写真の下にある「写真」をクリック。
今までにアップした写真やアルバムの一覧が出てくるので、該当のところをクリックするとアルバムが開きます。
次に、アルバムの表題が書いているところの右端にある青くなった「アルバムを編集」をクリックすると、題字や、コメントを編集しなおせる画面が出るので、変更した上で、保存をクリックで変更できます。写真を編集をクリックすると、一枚一枚の写真にコメントを入れられます。
加藤 治
妹にもFBを教え、OB会で会った仲間も何人か知り合いに加えたのだが、なかなか応答がない。こんなことをやるのは暇人か変人なのか。あるいはITの奴隷か?
文屋 善明 FBを楽しい会話の時として楽しむか、愚痴る不満解消の時にするかは、その人次第です。それを誰に押しつけることも出来ないし、押しつけられるのも迷惑なことです。何時でも始められるし、何時でもやめることが出来る。それが良いところでしょう。
<補遺>詩23の説教がなかなかまとまらない。滝沢克己と西田幾多郎の哲学にまとわりつかれている感じ。しかしインマヌエルということについて、滝沢ほど拘った哲学者いない。その視点から仏教とキリスト教との対話の道を開いた。
西谷啓治先生は「あなた方はパウロが言う『我キリストと偕に十字架につけられたり。最早われ生くるにあらず、キリスト我がうちに在りて生くるなり』(ガラテヤ2:20)という言葉をどういう風に理解しているのか」と問いかけられた。それ以後、ずっとこの問いを考えている。この問いも、結局は「神共にいます(インマヌエル)」をどう受け止めているのかという問いである。キリスト者はわりあい平気で「神共にいます」ということを口にするが、この言葉が意味していることを真剣に、深く考えたことがない。「神」という絶対者、永遠者と「われ」という相対的存在、時間的人間とが共存するとはどういうことなのか、考えたことがない。