ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 04/30

2017-05-03 15:46:35 | ツイッター
お早うございます。主の平和。北朝鮮がミサイル1ッ発発射、直後に失敗判明。米空母日本海に進出。午前中はほとんど古い写真の整理にかかった。400枚ほど廃棄。下痢気味で、外食は控えた。昼食後、30分ほど昼寝。午後から読書、『アウグスチヌスの「三一論」について』。1頁ほど。釣川堤防散策。夕食後はイミタチオの現代文化。10時半に就寝。5時半起床。体温:36.1、血圧(130:70、75)、体調・快調、チュン、チュン

27 播 稔さん、松井 信一さん、他25人
コメント

久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

東山 富昭 おはよう😃ございます。身体は、かわりばえはしません。聖日礼拝で、教会に行きます。今日は、教団の南海地区の講壇交換です。主なる神と主イエス・キリストにあって、歩みます。よろしく、お願いします。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
どうぞ、お大事になさって下さいませ。
先生ご夫妻の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

藤木 冨士子 こんにちは。

文屋 善明
4月30日 6:04 ·

お目覚めの花。「今日は復活節第3主日、復活節のピークだ」。(今朝の花は昨日に続いて、いつもの散歩道の道路脇に咲いていた、赤い花。赤は写真写りが悪い)
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、屋外、自然

24 入口 紀男さん、播 稔さん、他22人
コメント

杉浦 紀明 赤色はデジカメで撮るのが大変に難しく、赤い花は露光で調節するのですが、老眼鏡必須になった私は今では露光だけでなくピント合わせにも難儀しております(笑)。

文屋 善明
4月30日 6:28 ·

2017 日々の聖句 4月30日(日)
低くされたわたしたちを御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(詩136:23)
もし子があなたたちを自由にすれば、あなたたちは本当に自由になる。(ヨハネ8:36)
私の黙想:
「低くされたわたしたち」ときたら、ほとんど反射的に「誰によって」という疑問が出てくる。それでこの詩を改めて読み返してみると、それらしい言葉は24節の「敵からわたしたちを奪い返した方に感謝せよ」と続き、「敵」が私たちを低くしたらしいと読む。じゃあ、その「敵」とは誰だ、となるとこの詩の中では答えがない。と思いながら、ふらふらと口語訳を見ると、「われらが卑しかった時に」とあり、受け身形ではない。だから「誰によって」という疑問はわかない。私たちが未だ貧しかった頃、と読める。フランシスコ会訳、新改訳では「卑しめられたとき」で受動態だ。岩波訳では「低いとき」だ。面白い。こうなったら、私はお手上げだ。
ところで文語訳を見ると、これはまた面白い「われらが賤しかりしときに記念したまえる者に感謝せよ」。こういう場面で「記念」という言葉が出てくると違和感があるが、面白い。貧しさを記念する、という感覚。これはもう「御心に留めた」とはかなり違う。岩波訳では、この部分「われらを思い起こし」で、これは「記念」にかなり近い。私たちが未だ「身分の低かったときのことを」ズーッと思っているのはヤハウェだというニュアンスである。私たちは、忘れたいと思っていることを神は忘れない。さて、この結論は、お預けだ。

26 播 稔さん、小貫 ツマさん、他24人
コメント

門叶 国泰 「シェーペル」は名詞形ですね。やはり、岩波が正確なのですね。コヘレト10:6と詩136:23だけに使われています。

文屋 善明 ありがとう御座います

文屋 善明
4月30日 6:33 ·

今日の名言:@Wilde_meigen
女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。男に欠点が多ければ多いほど、女は何もかも許してくれる。我々の知性さえもだ。(オスカー・ワイルド)
<一言>これは本当だ。実証済みの真理である。一言付け加えるならば、男には女の欠点が見えない。

17 北村 良輔さん、播 稔さん、他15人
コメント

播 稔 これは 何故か本当ナンダナー。

文屋 善明
4月30日 6:38 ·

現代文イミタチオ・クリスチ
第27章 心の統一
キリスト:
愛する者よ、君自身を含めて人間というものの愛情に頼よってはなりません。それは一つの物から、何か一寸したことがあるとすぐに他の物に移ってしまいます。君は生きているかぎり、移ろい易いのです。今、笑っていると思ったら、次の瞬間泣き始めます。今、安心していると思っていたら、すぐに悩み始めます。ある時は勤勉で、ある時は怠け者になります。ある事柄では慎重で、また別なことでは軽薄になります。
しかし霊的生活を積んでいる人は、このように移ろい易い人間の本性を超えて、自分の内部で何を感じているので、つむじ風のように方向性のない風に迷わされることなく、自分の心が向いている方向を定めています。すべてのゴチャゴチャした状況においても、自分自身が進むべき方向を見定めしっかりと進むことができるのです。
人間は内的な目が清らかであれば、それだけ確固として嵐の中を通つて行きます。けれども多くの人には、方向を定めるべき目も、鱗に覆われ、現実を朧気にしか見えないのです。それで、どうしても安易な道に進んでしまいます。
自己追求という鎖から全く解き放たれた人はめったにいません。その昔、ユダヤ人たちがベタニヤのマルタとマリヤとの所に集まって来たのは、「イエスのためだけでなく」、甦ったラザロも見ようとしたのであった。だから人間は自分自身の目を清め、すべての障害を乗り越えて、真っ直ぐに私を見なさい。(2:27:1~9)

23 播 稔さん、濱 和弘さん、他21人

文屋 善明
4月30日 8:13 ·

「昨日のFB 04/28 再臨論議」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 播 稔さん、竹本 耕造さん、他9人

文屋 善明さんが写真4件を追加しました。
4月30日 17:30 ·

今日は教会の朝の礼拝に参加し、聖書研究会でヨハネ福音書14章を学び、帰りに信徒の方が岡垣町の岡湊神社の「なんじゃもんじゃ」を見て、家まで送って頂きました。岡湊神社では牛島司祭ご夫妻とばったり、楽しい一時を過ごしました。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、自然

35 播 稔さん、佐藤 静代さん、他33人
コメント

烏田牛島 和美 とってもキレイでしたね。お会いできて嬉しかったです。

文屋 善明 私たちも!

文屋 善明
4月30日 17:33 ·

奇遇!
画像に含まれている可能性があるもの:木、空、植物、屋外

烏田牛島 和美さんが写真3件を追加しました — 牛島 幹夫さんと一緒です。
4月30日 16:35 ·
対馬はひとつばたご祭りの日。だけど行けないから、直方近辺でひとつばたごを検索すると芦屋にありました。満開!低木に仕立ててあるので、間近で見れます。対馬とはまた趣が違って、花にまみれて見れました。明日はもう1ヶ所、戸畑教会の用事の帰りに行ってみます。


12 辻本 昌弘さん、竹本 耕造さん、他10人
コメント

村田 多鶴子 これって「ナンジャモンジャ」じゃないのかしら?!…と思いながら調べてみましたら、ヒトツバタゴ=ナンジャモンジャということが分かりました。それにしても立派な樹ですこと!

文屋 善明
4月30日 20:05 ·

今日の「折々のことば」、大変遅くなりました。もうスルーしようかとも思いましたが、一言だけ。この人、温又柔さんは何か深くものを考えようとする場合、いったい何語で考えているのだろうか、と考えていた。その上でバイリンガルの難しさを思い起こす。
実は、私は小学校の3年生の1学期まで日本語と中国語(満洲語)のバイリンガル状態で育った。両親は日本人だが、共働きで昼間はほとんど中国人の女性に育てられた。彼女はほとんど日本語が話せない。だから彼女と話すときは中国語、両親と話すときは日本語で、子どもながら不自由は感じていなかった。両親は片言の中国語しか話せなかったので、そのお手伝いさんとの会話は私が通訳しているような状況でしたが、敗戦と同時に、一瞬で中国語社会とは完全に切り離されて、日本人の収容所に入れられた。そこを管理しているのは朝鮮人で、そういう生活が1年続いているうちに中国語は完全に忘れてしまった。あのまま順調に育っておればほぼ完全にバイリンガルになったかも知れない。
と、そこまで考えて、そうだ。温さんは日本語でもなく台湾語でもなく、温さん独自の「言葉」でものを考えているのだと思い当たった。それが特定の「国語」の呪縛から解放されるという状況なんだろうな、と思う。恐らく、表現も温さん独自のものがあるのだろうなと思う。「私は日本語に住んでいます」という表現は、実に面白いと思う。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1338633866214071&set=a.200492220028247.51380.100002024109092&type=3&theater

30 木下 海龍さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他28人

最新の画像もっと見る